けものフレンズR あるトラのものがたり   作:ナガミヒナゲシ

33 / 90
過去編後章16「あかきめざめ」(後編)

(死ぬんだな)

 

 クズリさんに高層ビルの上から突き落とされてコンマ数秒ほど経った後、僕はようやく思考を現実へと追いつかせることができた。

 

 風圧が突き抜け僕の全身を震わせている。

 どこまでも、自分ではどうすることも出来ずに、強い力に引かれるまま、死の運命へとまっすぐに向かっている・・・・・・それはまるで僕の人生そのもののようだ。いっそのこと、このまま眠るように消えてしまいたい。

 そんなことを無意識に思いながら目を閉じた。

 

______ガッ!

「ぐっ!?」

 地上に落ちるよりも前に、ビルの外壁と擦れて弾かれた。肩越しに鈍い痛みが走る。

 その痛みが僕を覚醒させ、あきらめの境地から恐怖へと舞い戻らせた。

 

(嫌だ! こんな死に方はしたくない!)

 

 咄嗟に頭の中にイメージを描き出し、螺旋状の二又槍を手元に出現させると、ビルの外壁にめがけて楔のように突き刺した。

______ガリガリガリッッ!

 二又槍の穂先で外壁を削り取りながらも、落下はなおも止まることがなかった。穂先の鋭さに比べてビルの建材が脆すぎるのか、落下の勢いを止めるブレーキにさえならないようだ。

 

「止まれ! 止まってくれ!」

 空中で身をよじり、片手で突き出していた槍を両手で抱え込むと、穂先を外壁により深くめり込ませるために全体重をかけた。

 体を振り子のように何度も何度も揺らした。慣性を生み出して突き刺す力に変換するためだ。

 落下を止めようという一心で、足掻くように体を動かし続けた。

 

______ギャギギ・・・ギ・・・

「・・・・・・はあっ、はあっ」

 全身から滝のような汗が湧き出している。それを洗い流してくれる雨がひんやりと心地よく感じられるほどだ。

 外壁に突き刺さって動かなくなった己の得物から視線を逸らして、眼下の景色を肩越しに見やると、アスファルトの地面がもう目と鼻の先にまで見える。

 僕は思わず生唾を飲み込んだ。それと同時に鼻から安堵のため息も出てきた。

 

 辺りにセルリアンがいないのを確認すると、二又槍を壁から引き抜いて、雨が打ち付けるストリートの上に静かに着地した。

(これからどうしよう・・・・・・)

 今しがた落ちてきた建物の柱の陰に身を隠し、これからのことを考えた。

 

 僕がもともと言いつけられていたのは、ビル街のセルリアンたちと戦って注意を引き付けることだ。

 そうしなければ、スラム街へ向かったスパイダー隊長や他の仲間たちが挟み撃ちにあって、作戦が失敗してしまうからだ。

 

 本当ならクズリさんと一緒にそうするはずだったけど、彼女にはもう期待できない。

 今すぐ降りてくるのかもしれないし、降りてこないのかも。もしくは、僕がセルリアンに殺されたのを確認してから降りてくるのかも・・・・・・

 

 僕に取れる選択肢はふたつ。

 1人でセルリアンの大群と戦うか、作戦を放り出して隠れているか・・・・・・ 

 

 僕1人で戦えば間違いなく死ぬ。万にひとつの勝ち目もない。

 逆に、隠れて生き残ったとしても、Cフォースから脱走することが出来ない以上、仲間たちの下に帰ることになるだろう。

 当然、僕が命令に背いて逃げていたことが他の仲間に伝わることになる。

 

 そんなことになったら、まずディンゴに何をされるかわかったものじゃない。今の彼女はなおさら僕のことを憎んでいるのだから。

 クズリさんとパートナーを組む機会を僕に取られた恨みを晴らすために、今まで以上のいじめを仕掛けてくるであろうことは想像に難くない。

 

 ・・・・・・そして、クズリさんとも一緒に過ごすことになるのだ。今を生き延びたとしても、またいつ同じようなことをされるかもわからない。

「お前は今だって生きてはいない」

 クズリさんはそんなことを言いながら僕を奈落に突き落とした。僕のことを見定めたいと言っていた、その結果がこの仕打ちなんだろう。

 強くなる見込みがない。このさきも生き残るとも思えない。僕のことをそう評したのだ。言外に「お前は死ぬしかない」と言われているような気がした。

 

 クズリさんに僕への悪意があるようには思えなかった。

 相手を痛めつけながら、理路整然とした会話も同時に行う。暴力性と知性の両立、それが彼女なのだ。暴力を振るうことに怒りも憎しみもいらない。あんなことは平常運転で行えるのだ。

 ほんの少し言葉を交わしただけで「意外と話せるフレンズだ」なんて気を許してしまった僕が甘かったのだろう。

 

(・・・・・・僕が何をした? なんでこんな目に遭わなきゃならない)

 ここから出て戦いに行く勇気もなく、かといって身を潜め続ける覚悟も決まらずに、その場で立ち往生していた。

 

(この世界に救いなんてない。少なくとも僕には・・・・・・)

 シンデレラや小公女みたいに、苦労した末に救いを手に入れる物語が世の中には山ほどある。

 それは逆説的に、現実の世界に救いがないことの証明なのかもしれない。

 救われたいのに救われない。そんな思いが救いの物語を生み出すのだろう。同じように救いを夢見るヒトが物語を愛し、語り継いでいくのだ。

 そして僕も物語が好きな1人だ。その理由が今はっきりとわかったような気がする。

 

(シンデレラには、ガラスの靴を見つけてくれる王子様が現れた・・・・・・いっぽう僕を待ち受けるのはセルリアンか)

 

 しばらく虚構と現実の間をぼんやりと行き来していたが、やがて焼けっぱちな気持ちでビルの陰からストリートへと歩み出た。

 雨のしずくに交じって、熱い液体が顔を伝っている。今の僕はきっと、帰る場所をなくした迷子のような顔をしているのだろう。

 今の僕が生きていないと言うのなら、この絶望は何なんだろう。

 

「・・・・・・出て来いよセルリアン! 早く僕を殺しに来い!」

 立ち並ぶビルの中、ちっぽけな自分の存在をアピールするように大声で叫んだ。

 僕の大声を聞きつけて、ビルの隙間の闇から早くもいくつもの影が飛び出してきた。

 

 セルリアンはいつでも変わらない。ひたすら実直に「命を奪う」というたったひとつのことを為そうとしてくる。迷わない、悩まない、そもそも考えることすらしない・・・・・・羨ましいとすら思えるほどのシンプルさだ。

 僕は、僕の期待に応えてくれる唯一の存在にめがけて走りだした。

 

 手にした槍の一突きで一匹の幼体を仕留める頃には、辺りはすっかり幼体の大群に取り囲まれていた。

「わあああっっっ!!」

 技術も何もなく、幼体の群れを掻き分けるように、めくらめっぽうに槍を振り回して抵抗した。

 しかし僕の攻撃など物ともしないセルリアンたちの攻撃が一撃、さらに一撃と加えられ、ずぶ濡れになった僕の分厚い体毛を鮮血で染めていった。

 

______ザシュッッ!

 幼体たちのそれとは比べ物にならぬ程に鋭く重い攻撃が、僕の脇腹を抉った。

 吹き飛ばされた体がビルの壁に叩きつけられ、そのまま前のめりに倒れこんだ。

 

 何とか顔を起こして前を見ると、幼体の群れに交じって、長い両腕を引きずるようにして二足歩行で歩く成体セルリアンの姿を何匹か目にするのだった。

(あれは”猫背”だ・・・・・・するとやはり、この辺りが奴らの根城なのか)

 

 幼体と戦うだけなら、僕1人でも持ち堪えることが出来るかもしれない。でもあの猫背が相手ならば、どう足掻いても勝ち目はない。

 

 猫背の一体が、のっそりとした足取りで僕のすぐそばに近づくと、かぎ爪が生えそろった片腕を、それがあたかも処刑人の斧であるかのようにゆっくりと振りかざした。

 

(ここまでなんだな)

 オオカミに食い殺されて一度死んだ僕は、今度はセルリアンに殺されて二回目の生を終えるのか・・・・・・いや、クズリさんに殺されると言った方が正確だ。彼女がセルリアンを利用して、己の手を汚さず間接的に僕を殺そうとしているのだから。

 

 ・・・・・・まあどっちでもいいか。ヒツジなんて弱い生き物は、生まれた時点から、他の強い存在に命を奪われる運命が確定している。

 生まれを言い訳にするなとクズリさんに言われたばかりだけれども、やっぱり僕はそう思わずにはいられないのだ。

 

 オオカミやトラ、それにクズリさんみたいな強い肉食獣でなければ、この奪い合いの世界で自由に生きることは出来ない。

 もし生まれ変われるなら、肉食獣に生まれたい。ヒツジなんて、もうこりごりだ。

 

(ああ、この風景は・・・・・・)

 

 辺り一面が余すところなく赤色に染まっていく。

 目を閉じても、目蓋を貫いて視界を支配するほどの強烈な赤。

 それはかつて僕がオオカミに殺される直前に最後に目にした景色だった。あの時とまったく同じように見える。

(走馬灯というやつか?)

 

 ひどく懐かしいそれを、最期にもう一度よく見てみたいと思って、僕は目を開けた。

 眼前には先ほどと変わらず”猫背”の姿が見える。赤一色の背景に立ち、かぎづめを振りかぶって、今にも僕を殺そうと迫っている。

 

 目の前の猫背が、かつて僕を殺したオオカミの姿と重なるように思えた。

 

______トクンッ・・・・・・

 胸の奥に甘く痺れるような感情が湧き上がる。この気持ちは何なんだろう?

 これから僕は二度目の死を迎えるというのに、一度目の死のことをかけがえのない思い出のように回想していた。

 

 こういう時は普通、親の顔を思い出すものではないのか? 僕にだって優しいお母様がいたのに、なんでオオカミに殺された時のことなんかを懐かしんでしまうのだろう。

 僕が動物として生きた時間は決して長くはなかったが、思い出すだけで暖かい気持ちになれるような出来事が他にいくつもあったはず。

 だがそれらをすべて押しのけて、ただひたすらにオオカミの姿を愛おしいと思う気持ちが胸の奥に去来していた。

 

 僕は生まれ持ったヒツジという定めがずっと嫌だった。鬱陶しい毛に包まれた鈍重な体。食われるか毛を刈られるかしか出来ない、弱さという名の宿命そのものだ。

 

 それに比べてオオカミのなんと素晴らしいことだろう。

 力強く俊敏な体、鋭い牙と爪、血走った恐ろし気な瞳・・・・・・それらすべてを併せ持つ、この世界で一番美しい獣。命を奪うことを天から許された、生まれついての純粋な強者。

 彼らのことを思い浮かべると、胸が高鳴ってしょうがない。

 崇拝にも近い、恋焦がれるような、物理的な熱を帯びるほどの強い感情だった。

 

______ブォンッッ!!

「くっ!」

 猫背がかぎ爪を振り下ろした。その軌跡がはっきりと見える。

 突然に生まれた意味不明な感情への戸惑いが、死への恐怖をいとも簡単に凌駕してしまった。そのとたん僕の思考は、自分でもわけがわからないほどに冴え始めた。

 

 絶望的とも思える一撃に対し、予知したように槍を構えて、これを何とか受け切った。それでも衝撃を殺すことは出来ず、僕の体は真横へと弾き飛ばされた。

 

(まずは引かなきゃ・・・・・・!)

 攻撃を受けて吹き飛ばされながらも、あくまで冷静に今後のことを考えるようにした。

 空中で身をよじって体勢を立て直し、何とか地面に着地すると、辺りの様子をキョロキョロと見まわした。

 

 僕のちょうど真後ろにあるビルとビルの間に、フレンズ1人分が通れるほどの幅しかない細い裏路地が開けているのが見える。

 

(あそこだ、あそこに逃げよう!)

 頭に言葉を思い浮かべるより前に地面を蹴って駆け出し、襲い来る幼体たちを槍で掻き分けて、何とか裏路地に潜り込んだ。

 傷ついた体を引きずるようにして、狭くて深い、そして想像以上に入り組んだ小道を、我も忘れてひた走った。

 行き止まりでないことを祈るばかりだ。

 

 あの”猫背”のガタイでは、この狭い道には容易に入ってこられないだろう・・・・・・体の小さな幼体には追跡されるだろうけど、狭さゆえに襲われる角度は限定されるはずだ。

 生き残る確率は、これでぐっと上がるはず。

 

 肩で息をしながら移動を続けてしばらく経つと、さらに入り組んだ一角へと辿りついていた。最早足元すらぼんやりとしか見えない、真夜中に等しいほどに暗い路地裏だ。

 雨のしずくが染み込むように降ってくる他は、何の存在も感じ取れない程に静かだった。

 

 セルリアンの大群をようやく撒いたと思った僕は、深いため息を付きながら、その場にへたり込むと、壁にもたれかかってため息をついた。

 

______ザァァァァ・・・・・・

 

 狭い路地裏にもお構いなしに降り注いでくる雨を、シャワーを浴びるように受け止めながら瞳を閉じた。熱い体を冷やしてくれる雨が心地いい。

 黒一色であるはずの目蓋の裏に、先ほどから変わらずに鮮烈な赤色がチラつき続けていている。赤い衝動が絶えず僕の内側から湧き出て、体を今にも突き破ってしまいそうだ。

 

(これが本当の僕なのか・・・・・・)

 

 今まで無意識のうちに抑圧し否定して来たけれど、もはやそれも不可能だった。

 僕がずっとやりたかったこと。それは、脳裏にチラついて仕方がない赤一色の光景へと飛び込むこと、オオカミに憧れる自分の気持ちを肯定することだ。

 つまりそれは・・・・・・

 

(僕はヒツジであることをやめたい。オオカミになりたい)

 

 僕はずっとオオカミに憧れていた。

 あの鋭い牙を体に突き立てられ絶命した瞬間から、その強さと奔放さへの憧憬が、拭い去りがたい熱として残っていた。

 

 セルリアンと戦っている時も、槍で貫いた敵が絶命する瞬間に、胸の中に仄かな歓喜が生まれることが何度かあった。

 胸の高まりを信じて突き詰めて行けば「野生解放」に至るのは間違いないと確信しながらも、無意識のうちにそれを否定して、ヒツジとしての己を保とうと意固地に踏みとどまってきた。

 怖かった・・・・・・いや、申し訳ないと思った。ヒツジとして生きた自分の半生を、お母様から生まれ育ててもらった命を否定してしまうような気がしたからだ。

 

「やりたいことを徹底的にやれば強くなれる」とクズリさんは言った。

 僕はその言葉をだんだん信じたいような気持ちになっていた。

 

(心から願えば、ヒツジでもオオカミになれるのかな?)

 我ながら、考えた傍から「バカなことを」と否定したくなるような世迷言だ。動物であろうがフレンズに生まれ変わろうが、持って生まれた体を別物にするなんてできっこない。

 

 しかし、今の僕には世迷言を否定するだけの確信を持つことも出来なかった。

 ついさっきスパイダー隊長のシャドウシフトを実際に体験したばかりだ。100回もの脱走を実行するほどの桁外れの執念が、隊長に影に潜る能力を与えた。

 

 強く願い、それを実現するために行動し続ければ、もしかしたら僕だってあり得ない力を手に入れることが出来るのかもしれない。もちろん保証はない。むしろ無様に死んでいく可能性のほうがはるかに高いだろう。

(それでも、僕は)

 

 最後に一度だけでも、僕は僕のやりたいことをやってみたい。

 結果が手に入らなくても「やりたいようにやった」という事実だけは残るはずだ。それさえ残れば、今の僕にとっては上出来な結末のはずだ。

 

(そろそろ、行かなきゃな)

 

 もう迷いも恐怖もなくなった。

 僕は再び立ち上がって路地裏の暗い小道を歩き出した。

 

 セルリアンの大群相手に陽動を行うという、最初に与えられた任務を遂行しなければならない。

 それに何より、今はともかく戦いたい。体から湧き出る激しい熱に身を任せたい。

 ヒツジでありながら、心にオオカミの強さと残酷さを宿していることを知らしめてやりたい。

 

(ん? これは・・・・・・)

 薄暗闇の中、傍らの壁にある錆びついた鉄のドアを見やった。

 おもむろにドアノブを捻じって、軋んだ音と共にドアをこじ開けると、建物の中に頭を突っ込んで覗き込んだ。

 にやり、という擬音が感じられるぐらいに、思わず僕の口元が歪んだ。

(おあつらえ向きの場所があるじゃないか)

 

 

「かかって来いよセルリアンども! 僕はここだ!」

 再びビル通りに抜け出た僕は、ひしめき合うセルリアンの幼体たちを挑発すると、その場では戦わずに脱兎のごとく後方に走り去った。

 

 僕が行く先には、偶然にも見つけることが出来た立体駐車場がある。

 車が二車線分行き来出来るほどの幅しかない狭い道を、後ろから幼体の大群が迫ってくる気配を感じながら急いで駆けぬけた。

 

 多勢に無勢を跳ね返すためには、地の利を得るしかない。

 ビル通りで正面からセルリアンたちと戦えば、360度上下左右から襲われて、一瞬でお陀仏だ。だがこの場所ならば襲ってくる方向を真正面だけに限定できる。

 僕にとっては逃げ場のない袋小路だが、奴らにとっても身動きのとりづらい閉所だ。 

 完全な行き止まりというわけではなく、いざとなれば錆びたドアから裏路地へと脱出することだって出来る。

 まあ・・・・・・そうなる前に死ぬ可能性の方がよほど高いのだろうけど。

 

 屋内駐車場の中ほどに辿り着いた僕は、振り返りざま、埋め尽くさん勢いで迫ってくるセルリアン相手に怒声を浴びせた。

 

「僕を追い詰めたと思ったか? 逆だ、お前らは誘い込まれたんだ・・・・・・僕の狩場にな!」

 

 小悪党が好んで吐くような、威勢がいいだけの中身がない言葉。当然嘘っぱちだ。

 僕は相変わらず絶望的な状況にいるし、それを覆せるような力も策もない・・・・・・だから、言葉だけでも強い風を装うのだ。そうすれば気持ちは後から付いてくるはず。

 ただ虚勢を張っているだけ。俗っぽい言葉だと「いきがる」って言うんだろうな。

 別にいいじゃないか、いきがったって。

 

(さあここからだ!)

 

 言葉を解さないセルリアンたちに虚勢が通じるはずもなく、屋内の狭い一本道をただただ突っ込んできた。

 僕は落ち着いて螺旋状の二又槍を構え、一番先に近づいてきた幼体の一体に向かって真っすぐに突き刺し、虹色の光燐が瞬くよりも速く穂先を引きもどした。

 正面に穂先を構えたまま、わずかに後退すると、また別の一体に突きを命中させる。敵との距離を保ったまま、こちらの間合いから攻撃を仕掛ける。

 ただそれを繰り返すだけの戦術だ。

 

 そして後ろに下がり切った先には、裏路地へと続くドアがある。退路を確保しながら戦い、いよいよ危険になったら逃げる。

 僕一人で戦って生き残るにはこの方法しかないだろう。

 

 突いて引くのは槍術の基本にして要、槍という武器の有利さを存分に発揮することが出来る。

 突く速さだけではなく、引手の速さこそが肝要だ。引手の速さで相手との間合いを保ち続けることで、攻防一体の立ち回りが出来る。

 幼体程度の相手ならば槍の引手の速さには付いてこれまい。数の暴力で押しつぶすことが難しいこの閉所なら尚更だ。簡単に殺されたりはしない。

 ・・・・・・そう、相手が幼体だけであるなら。

 

______ズシャアアアンッッ! ドッドッドッ!

(くっ! もう来たのか!)

 

 一匹の”猫背”が、大きな音を立てながら駐車場の中に入ってきた。仲間であるはずの幼体の群れを弾き飛ばしながら僕に向かってくる。長い前脚を地面に降ろし、4足で俊敏に駆けている。

 後ろ脚で二足歩行をするだけだと思っていたのに、あんな風に動くこともできるのか・・・・・・いよいよもって、動物みたいじゃないか。

 

 正面から突っ込んでくる猫背が、僕の間合いに入り込む瞬間、全身が恐怖で硬直した。

(だ、だめだ、アイツが相手じゃ)

 猫背は幼体とはわけが違う。突き一辺倒の戦法が通用する相手じゃない。アイツは頑強な体を持った「石あり」だ。石を正確に突かなければ倒せない。

 一撃で倒すことが出来なければ、自慢の素早い動きに接近され間合いを崩されてしまう。

 そうなったら終わりだ。地の利も槍のアドバンテージも失った僕に”生き目”はなくなる。

 

(逃げなきゃ!)

 猫背を迎え撃つことが困難であるなら、後ろのドアから逃げ出して体勢を立て直すしかない。

 そう考えて後ろに引こうと判断した僕だったが、体がその場から動くことはなかった。

 

(逃げる? なぜ僕が逃げなきゃならない? 僕がアイツより弱いから? 死にたくないから?)

 

 理性で下した命令が、胸の奥から湧き上がる強い思いに押しとどめられ、かき消されていくのを感じた。

 脳裏に染み付いた熱が現実世界に溢れだし、視界を真っ赤に染めていく。

 今の僕には死への恐怖よりも、抑えようがない激情がはるかに勝っている。

 

(僕はオオカミだ! オオカミは決して敵から逃げない! あの猫背の方こそ僕の獲物だ!)

 僕の中にもう一人の僕がいて、囁きかけてくるような気がした。僕と同じ脆弱なヒツジの姿なのに、その表情は禍々しいほどの殺気を湛えている。

 その子が口を開くたび「戦え」「殺せ」「引きちぎれ」「踏みしだけ」なんて、ありとあらゆる暴力的な言葉が飛び出してくる。

 血走った瞳で猛り狂う猛獣。僕はそんなもう一人の自分に、一切身を任せてしまおうと思った。

 

「死ぬのはお前だッッ!!」

 激情に任せるまま威勢のいい言葉で己自身を鼓舞すると、猫背に向かって槍を振りかぶり、思考をかなぐり捨てるように突撃した。

 

 互いに駆け寄って急接近する僕らの体は、今からほんの数秒で正面衝突するだろう。4本足で走る猫背が、片腕を振り上げて攻撃の予備動作を取ろうとしていた。

 もしこのままかち合えばどうなるかは考えるまでもない。

 一撃で殺されるか、運よく槍で受け止めることが出来ても、体格も馬力も勝る相手に吹き飛ばされて終わりだ。

 すなわち体勢を崩されてしまうということ、この一対他の状況でそうなることは、確実な死を意味する。

 

(イチかバチか、やってやる!)

 つい数瞬前、死なないための策をひとつだけ考えついていた。

 僕は走るスピードを維持しながらも、偶然思いついたそれをぶっつけ本番で実行に移した。

 

 それは武器をしまうことだ。

 僕はイメージした。僕の頭に生えている角が、どんどん短くなって、やがて消えてしまう瞬間を、なるべく具体的に・・・・・・。

 すると手にした槍が一瞬でかき消えて、僕は素手へと戻るのだった。

 得物を一瞬で手元から消滅させるのは、特別な技でも何でもない。武器を持って戦うフレンズなら誰でも出来ることだ。

 フレンズの意志によって具現化された武器は、取り出したり消したりすることが一瞬で行える。

 

 僕が丸腰になっても、猫背の勢いはとどまるところを知らない。

 後ろ脚で力強く地面を蹴って跳躍すると、鋭い鉤爪が生えた前脚を真上から叩きつけてきた。

 

______ゴシャアッッ!!

 

 剛腕がコンクリートの床に深々とめり込み、衝撃の中心から亀裂を走らせた。しかし僕は猫背の攻撃から間一髪で逃れていた。

 奴は間合いを見誤ったのだ。そうなるように僕が誘導したからだ。

 

「・・・・・・かかったな!」

 

 猫背は巨体に似合わぬ俊敏で正確な動きを持った相手だ。槍を持ちながら走ってくる僕に攻撃が届く完璧なタイミングで動いたことだろう。

 僕はそれを利用してやった。

 奴が動いたのを確認してから、敢えて槍をしまうことで、奴との間合いを外してやったのだ。

 槍と素手では間合いが違う。素手の僕に攻撃を当てるならば、奴はもう一歩踏み込まねばならなかった。

 

 一歩間違ったらこちらが死ぬ、命がけの賭け。

 我ながらこんなことをよくぶっつけ本番で躊躇なくやれたものだと思う。

 あらがいがたい強い衝動が、今までの僕では決して出来なかったことをいとも簡単に実行させているのだ。

 

(早くコイツを倒さなければ・・・・・・石はどこだ!)

 

 片腕をコンクリートの床に突き刺したまま体勢を崩しているが、それを引き抜くのに何秒とかからないだろう。そうなったらもう勝ち目はない。今この一瞬で止めを刺すより他に手はないのだ。

 僕はそう思い、猫背の体を急いで観察した。

 顔のない胴体の首根っこにあたる場所には、歪な出っ張りが前方に隆起している。奴の目はその出っ張りの中心にある。

 そして出っ張りの下方、いわば奴の「喉元」にあたる部分に、他の体表とは質感も色も違う物質が覗いていた。

 

「そこッッ!!」

 石を見つけるや否や、僕の体は稲妻のように素早く跳ね、奴の急所めがけて、空間からふたたび取り出した槍を真っ直ぐに突き刺した。

 

______ザシュッッ!! 

(な、何!?)

 だが攻撃が石に到達する直前、穂先は別のものに阻まれた。

 猫背のもう片方の腕だ。地面に刺さっていない、自由が利くほうの腕で咄嗟に己の急所をかばったのだ。

 さらにはもう片方の腕を地面から引き抜いてしまい、僕の槍を掴んで押し返そうとしてきた。

 

「・・・・・・くそ! 入れ! 入れェェェ!!」

 僕は負けじと、槍を持つ両腕にさらに全力を込めた。だが腕力で上回る猫背には通用せず、槍の穂先がみるみるうちに押し戻されてしまっていた。

 僕のたったひとつの得物がこんな風に防がれてはどうしようもない。

 

(せめて、槍があともう一本あれば・・・・・・)

 

 そこまで考えてから、僕は何かを見落としていることに気付いた。

(僕の頭には二本の角がある。槍は角という概念が具現化した、いわば僕の角そのものだ・・・・・・であるならば、槍だって二本あるはずじゃないか) 

 

 僕はもう一本の槍の存在を心の底から信じ、僕の手元に現れる瞬間をイメージした。

 すると猫背の片腕に突き入れている槍が金色に光り出した。

 

(そうか、わかったぞ!)

 僕の槍は、二本角が絡まってドリルのような螺旋を描き、穂先が二又に分かれた形をしている。

 何故そんな形をしているのか気になっていたが、今になってようやくその理由が今わかった。

 僕は二本の槍をすでに出していたのだ。

 

(やるべきは作り出すことじゃない! 分けることだ!)

 

 金色の光が消える頃には、槍の形が変わっていた。今まで使っていた物より一回り以上細い、穂先が一つだけの槍が僕の手元に残った。

 螺旋状の二又槍を形作る半身、つまり片方の角というわけだ。

 そして細い槍を握りしめて猫背と押し合いをしている僕の手元には、金色の光の粒子が滞留している・・・・・・

 

(来いっ! 僕のもう一本!)

 半ば確信した気持ちで槍を手放してから、低くしゃがみ込んだ姿勢で駆け出し、猫背の腕の中へ潜るように肉薄した。

 

 片腕に穂先が刺さったままの猫背は、まさか僕が槍を手放すとは予想出来なかったようで、反応が一瞬遅れていた。

 

「死ねよッッ!!」

 生まれた隙を逃さんと、僕は猫背の喉元に向かって食らいつくように腕を突き出した。

 その手にまとった光の粒子が槍と化し、喉元から生え出た“核”に勢いよく突き刺さる。一筋の穂先が勢いを保ったまま猫背の後頭部を貫通した。

(や、やった!)

 両腕をガクリと落としたまま立ち尽くしていた猫背の体が、虹色の光芒をばら撒いて消滅した。

 強敵の最期を見届けると、全身から歓喜が湧き上がってきた。セルリアンと戦ってこんな気持ちになることは初めてだ。

 

 勝利の喜びに酔いしれるのも束の間、眼前には新手が早くも立ちはだかっていた。

 数体の猫背、そして数えきれない程の幼体が、狭く薄暗い駐車場内を埋め尽くしている。当たり前だ。一体にかかりきりになるような体たらくでは、この地獄から生還することは叶わない。

 

 僕に呼吸を整える暇も与えないセルリアンたちの進撃が始まった。

 一体の猫背が僕に躍りかかってきた。僕は左右の手に一本ずつ持った槍を交差させて、爪を激しく振り回してくる乱撃を何とか凌いだ。

「あっ・・・」

 しかし、側面から回り込んできた別の個体による一撃を防ぐ手立てはなかった。剛腕に生えた鉤爪が、僕のブカブカの体毛の下にある肉を抉り取った。

 

「う、うぎゃあああっっつ!!」

 痛みを自覚する前に、また別の方向から攻撃が飛んできた。

 そこから先はよく覚えていない。何回切り裂かれたかわからない、もはや痛みとそれ以外の区別すら付かない。

 まるでシチューの具にされているような気分になった。熱く煮えたぎる鍋の中で、粉々の肉片になって掻き混ぜられている、それはそれは絶望的な風景だ。

 

 僕の思考は意外なほどに落ち着いていた。

 死への恐怖よりも、絶望よりも、無念さがどこまでも募っていく。

 ようやく見つけることのできた、ようやく向き合うことのできた僕の夢、目的、生きる理由。

 それを追いかける喜びが、こんなに早くに終わってしまうだなんて。

「生きたい」

 動物だった時間を含めても、生まれて始めて、心の底からそう思った。

 それから僕の意識は無残に途切れた。

 

 

「うっ・・・・・・」

 眠りは永遠ではなかった。

 僕はどこかの建物の中で目を覚ました。

 全身に走る激痛が、相も変わらず命が繋がっていることを自覚させる。自分の体を見やると、あちこちに止血や包帯なんかの応急処置が施されていた。

 

 屋内でも、一層激しく降りしきる雨の音と、時折閃く雷光が、先ほどと変わらぬ天候であることを知らしめている。

 ここはどこだ、と思って寝たまま辺りを見回すと、1人のフレンズが僕に向かって近づいてくる気配を感じた。

 

「よくぞ無事だったな、メリノヒツジ」

 穏やかに僕をねぎらう声の主はクロサイ。つい先ほど同じ班のメンバーとして戦った、黒光りする鎧をその身にまとう重量級だ。 

 もっとも今はご自慢の鎧の上に包帯を巻きつけた痛々しい姿であり、激しい戦いを切り抜けた直後であることを匂わせている。 

 

「クロサイ・・・・・・ここはどこ? 作戦はどうなった?」

 

 彼女は僕の質問にひとつひとつ答えた。

 ここは作戦の開始地点にして脱出地点であるビルの中だ。最上階であり、この廊下をまっすぐ進めば屋上へとつながっているのだと。

 

 そして、言うまでもなく作戦は成功したようだ。

 スラム街方面の奥まったとある場所に、予想通りこの地区を支配するボス・セルリアンがいたという。

 スパイダー隊長が率いる40人のフレンズ達はスラム街に攻め入り、短時間でみごとボスを討ち果たし、その肉片を採取するという目的を果たしてみせた。

 その後、予定通り脱出のためにビルに戻り、屋上で信号弾を撃ってシャヘルの輸送機を待っているというのだ。

 作戦の過程で何人かの負傷者が出たので、屋内にて応急処置を施して休ませているようだ。

 見回すと僕と同じように寝込んでいるフレンズを数人見つけた。

 

「・・・・・・どうして僕は助かった?」

「隊長殿がお主を助けてくれたのだ」

 

 スパイダー隊長は、僕が一人でビル街で戦っていることを知るや否や、シャドウシフトを使って僕のことを探し、助け出してくれたのだという。

 信じられないことに、そのことを隊長に教えたのはクズリさんだという。

 

 クズリさんは、僕を突き落とした後も屋上から動かずに、作戦を果たして屋上へと戻って来た隊長たちを出迎えたそうだ。そして己のしたことを悪びれもせずに告げたらしい。

 

 よく隊長が僕の所在を突き止められたものだと思ったが、彼女の能力を体験した今となっては頷ける話だった。

 隊長は影の世界を自在に動き回りながら、影の先へと繋がる幾つもの場所の様子を同時に探ることが出来る。おまけに移動スピードは”瞬間移動”と呼べるほどの圧倒的な速さだ。

 僕が東地区のビル街のどこかにいることは予め知っていたから、さほど難しい探索でもなかったのかもしれない。

 

 隊長は地下駐車場で気を失い今にも殺されてしまいそうな僕を見つけ出し、影の中に引き込んで助けてくれたのだ。

 そうしてこのビルの屋上まで連れて行き、他のメンバーと一緒に応急処置を受けさせて休ませてくれている。

 部下想いで、仲間が死ぬことを極端に嫌う隊長の優しさのおかげで、僕は生きながらえることが出来たのだ。

 

(へえ、やっぱりスパイダー隊長は立派だな)

 僕は事の顛末を聞きながら、素直に感心した・・・・・・逆に言うと、それ以外の感想は特に浮かんでは来なかった。

 まるで本を読んでいる時のような心持ちだ。いかに胸を打つ物語であっても、外側から俯瞰する他者のような距離感で物を考えていた。

 

 隊長への申し訳なさとか、己の不甲斐なさを責める気持ちとか、本来であればそれらの感情に塗りつぶされて萎縮してしまうはずなのに、おかしいぐらいに感情が麻痺してしまっている。

 

「そうだったのか」と、クロサイの説明に最低限の相槌を打つと、痛む全身に力を込めて立ち上がった。開いた傷口から染み出した血液が包帯を貫通し、何滴か地面に零れ落ちるのがわかる。

 

「こ、こら起きちゃいかん! 寝ていろ!」

「ほっといてくれ」

 僕を気遣うクロサイを無下に押しのけ、そのまま一瞥もせずに歩き出した。

 何だかとても眠い。起きているんだか夢の中なんだかわからない。全身に傷を負って疲れ切っているせいもあるのだろうけど、何も考えられないぐらいに頭がぼーっとするのだ。

 

「・・・・・・どこ? どこですか?」

 何かに取りつかれたようなうわ言を呟きながら、満身創痍の体を引きずるように歩きはじめた。

 

 雨音を響かせる薄暗い廃ビルの中を歩いていると、クロサイ以外の仲間たちの姿も見え始めた。健在な者も、負傷して寝込んでいる者もいる。

 だが意識のある者は一様に、傷だらけの僕が当たり前のように歩いているのを不可解な顔つきで眺めていた。

 

 誰にも視線を合わせずに歩みを進めていたが、寝込んでいるフレンズの中に、無視することが出来ない1人を見つけ、思わずその場で立ち止まった。

「スパイダー隊長・・・・・・」

 隊長からの返事はない。華奢な手足と、身長より長い尻尾を床に投げ出したその体に目立った負傷は見当たらなかったが、意識を無くして泥のように眠っている。

 まるで呼吸すらしていないように見える静けさだ。

 

「隊長がそうなったのは、おめーのせいだ」

 

 足を止めている僕に向かって、ディンゴが背後から告げてきた。

 嫌というほど見慣れた、いつもの目つきで僕を睨んでいる。

 冷たく蔑むような、不愉快な物をいやいや見ているような目だ。

 

 ディンゴは、大柄でしなやかな体を泥で汚し、さらにいくつもの生傷を作っていた。目立った深手はなかったものの、奮戦の痕跡がありありと伺える。本来の希望ではない役目も精一杯やり遂げたことを物語っている。

 ディンゴは基本的に真面目で実直な性格をしており、フレンズに課せられた戦いの使命にも忠実だ。まごうことなき優等生だからこそ、僕のような異物が嫌いなのだろうな。

 

「・・・・・・どういうこと?」

「隊長は、おめーを助けるために自分の限界以上の能力を使っちまった」

 

 彼女はむき出しの敵意を覗かせたまま僕の質問に答えた。

 スパイダー隊長のシャドウシフトは便利極まりない反面、体力を大幅に消耗してしまうという難点があり、休まずに使える回数は限られている。

 隊長は己の力量を正確に推し量り、能力の使いどころをあらかじめ決め、その作戦通りにきっちり使える回数を使い切って屋上に戻って来たのだが・・・・・・。

 

 その後僕に起きたトラブルを知ることになり、僕を助けるために己の限界を超えた回数の能力を行使せざるを得なくなってしまったというのだ。

 結果、隊長は意識を保っていられなくなるほどの疲労に襲われ、昏睡状態に陥ってしまった。

 

「さっさと死ねばよかったのに」

 憎々し気に歯ぎしりしながら、ディンゴが言葉の暴力を投げつけてくる。

「隊長にこんな迷惑をかけてまで助かる価値がおめーにあんのかよ? そりゃあ原因を作ったのはウルヴァリンさんだけどさ・・・・・・そもそもおめーがウルヴァリンさんをムカつかせたのが悪いんだ。あの人の気持ちはオレにはよくわかるぜ。おめーみたいな役立たずはいらねーんだよ」

 

「・・・・・・」

 

 やっぱり感情が麻痺してしまっている。

 僕を助けるために倒れたスパイダー隊長の無惨な姿を見ても、ディンゴの罵詈雑言を聞いても、自分とは関係がない物事のように思える。

 

(そんなことよりも)

 僕は早くもスパイダー隊長に興味をなくして視線を外し、辺りの様子をキョロキョロと見回しはじめた。

 

______ピシャアアンッッ!

 

 雷鳴がとどろき、ビルの最上階の薄暗い廊下を照らし出した。

 ガラス張りの窓の淵でポツンと1人、彼女が立っていた。

「クズリさんっっ!!」

 相変わらず不敵な後姿で眼下の街を見下ろすその姿を見つけると、嬉しくて仕方がなくなって、思わず大声を上げてしまった。

 

 ついこの瞬間まで何の感情も湧かなかったのが嘘みたいだ。頭の中で感情が爆発している。薄暗かったはずの視界が、またも赤い光に埋め尽くされていった。

 

「何無視してんだコラァ!」

 クズリさんに向かって駆け寄ろうとした僕を、憤慨した様子のディンゴが後ろから取り押さえようとしてきた。

(うるさいなあ)

 

______ビュンッッ!!

 ディンゴを心の底から鬱陶しいと思い、振り向きざまに槍を具現化させ薙ぎ払った。穂先は何にも触れることはなく、ただ風切り音を立てて振りぬかれる。

 抜くのが早すぎたか・・・・・・もう少し距離を詰めていれば、聞くに堪えない言葉しか吐かない頭を胴体から切り離せたのに。

 

「・・・・・・こっ、な、何しやがる!」

 顔を青ざめさせながら飛び退いて憤慨するディンゴ。そして得物を抜いた僕の姿を見て周りのフレンズたちも唖然としている。

 

「僕の邪魔をするなら殺すよ」

 

 それだけ告げると、槍を背中に担いだまま踵を返して再びクズリさんの方へ歩き出した。

「ついにイカれたのかよ」とディンゴが後ろから感想を漏らす声が聞こえたけど、残念ながら僕の思考はまったく正常だ。むしろ今までがおかしかったのだと思う。

 

 クズリさんは周りの喧騒などどこ吹く風で、相変わらず街を見下ろしている。呼びかけながら近づく僕を無視するように、一瞥すらくれない。

 

 僕のことを殺そうとしてきた相手であるにも関わらず、クズリさんのことを恨んだり憎んだりする感情は僕には微塵もなかった。

 もう一度彼女と話がしたい、ついにやりたいことを見つけられたという報告がしたい。僕の考えを聞いてもらいたい。はたしてなんと答えてくれるだろう。

 しかし・・・・・・今は話すことよりも、もっと優先すべき用事がある。

 

「ねえ、僕と勝負してくださいよ」

 

 僕はそう言いながら、クズリさんの後頭部に槍を突きつけた。

 無視するようにそっぽを向いていた彼女が、ようやく振り返って僕を見てくれた。 

 僕の行動に驚くことも怒ることもなく、突きつけられた穂先ごしに僕の目だけを見ている。また僕のことを見定めているに違いない。

 彼女の目に、今の僕はどう映っているのだろう。

 

「あなたは僕をビルから突き落として殺そうとした。僕には報復する権利があるはずだ」

「いやだと言ったら?」

「・・・・・・今後もあなたの命をつけ狙います。寝込みを襲ってもいいし、食事に毒を盛ってもいい。僕をここで殺さないと、安心して眠れる夜は二度と来ませんよ」

 

「みんな! メリノヒツジを取り押さえろ! あのバカ錯乱してんぞ!」

 後ろからまたも鬱陶しい声が聞こえて、僕たちの会話に水を差してくる。ディンゴが仲間たちに指示して僕を止めようとしているのだ。

 

 動けるフレンズが続々と集まり僕の背後を取り囲むが、得物を構えたまま殺気をのぞかせる僕に飛びかかるのは躊躇われるわれるようで、僕の間合いに踏み入ることはなかった。

 

「オレとコイツの問題だ。てめえらは引っ込んでろ」

 クズリさんが僕の真横をすり抜けて、集まってきた仲間の方へ躍り出ると、制止するように両手を広げた。

 

「そんなバカの相手なんてしなくていいですよ!」

「いいや、メリノヒツジの言う通りだ。オレは復讐されても仕方のねえことをコイツにした。だったら売られたケンカは買ってやるのが筋ってもんだ。止めんなよ。スパイダーは寝込んでるし、今この場でオレに命令出来る奴はいねえはずだ」

 

 クズリさんの返答を聞いてディンゴたちが一層ざわつくが、彼女の断固たる返答を否定することは出来ず、黙って引き下がるしかないようだった。

「さすがはあなただ。そう答えてくれると信じていましたよ」

 僕はしたり顔で口元を歪ませながら、わざとらしく慇懃に一礼した。

 

 フレンズたちはざわつきながらも左右に退いて道を開けた。

 僕とクズリさんはその間を通って、ガラス張りの廊下の突当りにある、屋上へと続く大きな扉へと歩き出した。

 ここでは手狭であるため、雨ざらしの広い屋上に出て戦うのだ。

 

 仲間たちが僕らを見送っている。クズリさんには純粋な畏怖が、僕には蔑みと憐れみが混ざったような目が向けられている。

 

「誰が相手だろうが、オレは手加減なんかしねえぞ」

 僕の先を進むクズリさんが、振り返りもせずに話しかけてきた。

「オレにケンカを売った以上、てめえは確実に死ぬわけだが・・・・・・せっかく助かった命をどうして無駄にするんだ?」

 

「あなたの言葉が僕を突き動かすのです。これが僕のやりたいことです」

「・・・・・・フッ・・・・・・そうか。ここで殺すことになっちまうのが残念だな。やっとてめえの目が覚めたっていうのによォ」

「いいえ、僕は生きます。生きるためにあなたと戦います」

 

 そう、こうするしかない。

 頭の内側に広がる赤一色の世界の中心に、鬼のような形相のもう一人の僕がいる。

 彼女はすっかり目覚めてしまったようだ。眠ることはもうないだろう。ずっと求めてきた救いへの道標を見つけてしまったのだから。

(これだけが僕の道)

(自分自身から逃げるな)

(逃げるくらいなら、今度こそ本当に死ね)

 彼女が命令してくる。今まで押し込められていた分を取り返すかのように、饒舌に、片時も黙ることなく、僕を急き立ててくる。

 彼女は今、この世界へと生れ落ちようとしているのだ。

 

 わかってる、わかってるよ。ずっと君のことを無視してしまっていてごめんね。

 大丈夫。今から君に、僕の体をあげるから。

 

 to be continued・・・

 




_______________Cast________________
 
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・ヤギ亜科・ヒツジ属
「ヒツジ(メリノ種)」
哺乳綱・ネコ目・イタチ科・クズリ属
「クズリ(ウルヴァリン)」
哺乳綱・霊長目・クモザル科・クモザル属
「ジェフロイズ・スパイダーモンキー」
哺乳網・ネコ目・イヌ科・イヌ属・タイリクオオカミ亜種
「ディンゴ」
哺乳綱・奇蹄目・サイ科・クロサイ属
「クロサイ」

_______________Enemies date________________

「ハウンド・セルリアン」
身長:およそ2メートル半
体重:およそ200キロ
概要:前後2対の脚を持つ、地球上の生物として極めてオーソドックスな外観を備えた成体セルリアン。後ろ脚で2足歩行を行い、鋭いかぎ爪を備えた前脚で激しく敵と戦う。
フレンズやヒトと比べて数回り大柄な程度であるに過ぎず、成体セルリアンとしてはかなりの小柄である。
体格と引き換えに、フレンズと互角以上の俊敏性を獲得しており、接近戦の戦闘能力は侮れない水準に達している。
常に前かがみで歩行し、無機質な眼光を下に向けていることから「猫背」とメリノヒツジに名付けられた。

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。