けものフレンズR あるトラのものがたり   作:ナガミヒナゲシ

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 メリノヒツジVSクズリ


過去編後章17「オオカミをかるもの」

「卵は世界だ。生まれようとするものは、一つの世界を破壊しなくてはならない」

 

 ある詩人が残した詩だ。

 昔パラパラとめくった程度に読んだ詩集の一説が、何故だかふと頭に浮かんだ。詩には物語が付与されていない分だけ、普遍的にそれを読む者の血肉になってくれるような気がする。  

 僕は一つの卵、一つの世界なのだ。

 今僕はまさに創造のための破壊を行おうとしている。

 新しく生まれ変わるために、今の自分を殺す。

 

______うおおおおおッッ!!

 

 豪雨と雷鳴に彩られた天を仰ぎながら、僕は頭が割れそうになるような絶叫を上げた。胸の奥で滞留していた熱が、全身から噴き出した。

 金色の光と共に、血の巡りが爆発的に早まり、力が漲ってきた。全身を締め付けていた包帯が所々ブチブチと弾け飛び、鮮血が滴り落ちた。

 

 金色の気迫を全身に滾らせながら槍を構え、穂先をクズリさんへと向けた。いっぽうの彼女は構えることもなく気怠そうに立ちながら僕を待ち受けている。

 本日2度目となる、僕とクズリさんの2人きりの対峙だ・・・・・・さっきと今では、その意味合いがまるで違うけれど。

 

「メリノヒツジのやつ、野生解放なんて出来なかったはずなのに!」

 僕と一番付き合いの長いディンゴが、僕の有様を見て驚いている。

 彼女の言う通り、僕が野生解放をするのはこれが初めてだ。今まではそうするのを避けてきていたから・・・・・・実際に体験してみて実感する。

 野生解放とは確かに、尋常ではない力をフレンズにもたらすものだ。

 

 先ほどの戦いでセルリアンに切り裂かれて出来た裂傷が、もう癒えはじめている。包帯がなくても出血を止めることが出来ている。

 もちろん傷が完全に塞がったわけではないけれど、動くこともままならない状態というほどでもない。

 つい先刻、あれほどの戦いをしたというのに、もう動けるなんて・・・・・・

 フレンズの体は普通の生き物の数倍も傷の治りが早く、野生解放を行えばさらに早まることは知っているけど、我ながらこんな様は化け物じみているなと思う。

 

「お待たせしました。参ります」

「ああ、来いよ」

 

 高層ビルの屋上に吹きすさぶ暴風雨は、なおも激しさを増していて、台風が着実に近づいてきていることを予感させる。

 このダーバン市街での作戦はすでに完了し、シャヘルの輸送機が僕らを回収しに来るのを待機している段階だ・・・・・・だが僕の本当の戦いはこれから始まろうとしている。

 

 屋上の出入り口付近には、ディンゴの他にも、僕らの戦いを見守らんと集まったフレンズたちが固唾を飲んで視線を注いでいる。

 仲間同士で私闘に及ぼうとしていることに対する戸惑いの感情だったり、報復と称してクズリさんに戦いを挑んだ僕に対する呆れや軽蔑が彼女たちの目から感じられる。

 だが今の僕には彼女達のことなどまったく意識に上らない。

 せいぜい指を咥えて見ているがいい。外野に僕とクズリさんの勝負を邪魔する権利はないのだからな。

 

 それにしても、クズリさんの迫力はさすがだ。

 身構えることもせずその場にいるだけなのに、残酷な死の運命そのものと相対しているかのような絶望感が垣間見える。

 今から僕は満身創痍の体であの”無敵の野生”に挑むのだ。

 

 己の殻を破るために、新しい自分になるために決して避けては通れぬ道。

 殻を破れなければ、卵の中で息絶えるだけ。「卵の詩」は、痛快なほどにこの世の真実を言い表しているな、と思った。

 

 槍を腰の高さで構えたままジリジリと摺り足で接近しながら、これから取るべき作戦に思考を巡らせた。たとえ僕が全力を出したとて、実力はあっちがはるかに上。生半可な小細工も通用しないだろう。

 

(・・・・・・あの攻撃に賭けるしかない)

 たったひとつだけ、もしかすれば彼女に通じるかもしれない攻撃を考え着いた。あくまで可能性でしかなく、まったく通用しないかもしれない。 

 そしてそれが行える状況は限られている。僕が生きてその状況に持っていける可能性からして極めて低い。

 分の悪い賭けをやって、2回続けて大当たりを引かなければ、クズリさんには勝てない。

 だが仕方がない。どうせ生きるも死ぬも自分の責任・・・・・・その責任の中で僕が出来ることをやってやるまでだ。

 それに、別に死んだっていい。このまま生きてたって良いことは何にもない。最後に見つけた死と隣合わせの希望だけが、僕の寄る辺なのだ。

 

「だりゃあああっっ!!」

 怒声を張り上げなら、自分の全存在をぶつけるように突進した。野生解放状態であるために、走るスピードも普段の倍近く出ている。

「へえ、リキ入ってんじゃん・・・・・・いいなァ」

 みるみる間合いを詰める僕を見て、やっとクズリさんが動いた。

 そしておもむろにその場にしゃがむと、顔だけを上げて、戦慄すら覚えるほどの目付きで僕を睨んだ。 

 

______ボゴオンッッ!!

「なっ!?」

 僕とクズリさんの間に突如、巨大な塊が隆起した。それはこの屋上のコンクリートの床そのものだった。

 彼女が持ち前の怪力で地面を破壊し、それをめくり上げてしまったのだ。しかし、勢いの付ききった今の僕の攻撃を食い止める盾としては若干心許ないように思える。

 あんな脆弱な盾などを避けるために、せっかく付いた勢いを止めるのは愚の骨頂だ。なぜなら、あれを避けた所で次に来るのはクズリさん本人なのだから。

 ここで取るべき動きは一つしかない。

 

「くらえっっ!!」

 めくれあがった床に最高速のまま接近し、渾身の槍の一撃を繰り出した。分厚いコンクリートの床が衝撃で粉々に砕け散り、視界を覆うものが取り除かれた。

 ・・・・・・しかし、その先にいるはずの姿がなかった。僕が破壊した床は盾などではなく、クズリさんが身を隠すための目くらましの意図があったのだ。「まずい」と全身が総毛立つのがわかる。

 

「おい」

 辺りの気配を探りながら槍を構えなおそうとした瞬間、いつの間にか僕の背後を取っていたクズリさんに声をかけられた。

 反射神経で振り向きざまに薙ぎ払おうと試みるが、僕が踏み込むよりも先にクズリさんに懐に潜り込まれてしまった。

(は、速いっっ)

 ここまで肉薄されて初めて実感した。

 彼女はその怪力や存在感からは信じがたいほどの小柄だ。こんな小さな体で、数多の巨大なセルリアン達をなぎ倒してきたというのか。

 

 下からやってくる剛腕が僕の襟首を掴み、流れるような動きで僕に背を向けながら密着してきた。一連の動作の正確さは、神がかり的な完成度だ。

______ピシッッ・・・・・・

 彼女の背中が僕の胴体に触れ、予備動作からインパクトに入る直前、時間が止まったような感覚を覚えた。

 それはひとつの完成された作品のようであった。投げる者と投げられる者が作り出す完璧な技の形。作品の構成要素に過ぎない僕に、調和を崩すすべはない。 

 

 その予感通り足元が地面から離れ、視界がぐるりと一回転した。天と地が入れ替わり、地が僕に向かって落ちてきた。

 クズリさんの18番とも言える技、山のような巨体のセルリアンをも投げ飛ばす強烈な背負い投げが僕に炸裂したのだ。

(し、死ぬ!)

 僕は直観した。この勢いで地面に叩きつけられれば、僕の体は比喩でも何でもなく、本当に「こなごな」になるだろう。策を弄することも叶わない。

 矜持を見せつける機会もなく、ただ惨殺される・・・・・・

 

(まだだ、まだ終われない!)

 投げ飛ばされた体が地面に叩きつけられるまでコンマ数秒と言ったところか。僕は己に残された時間を使って、最後の悪あがきを試みた。

 

 弧を描いて仰向けに地面に叩きつけられようとしている肉体、そして投げ出された四肢を動かすことはもはや叶わない・・・・・・しかしイメージを働かせることは可能だ。

 僕はその手に持った槍をいったんイメージの中にしまうと、出来る限りの早さで再構成し、手のひらの中から逆手で突き出した。

 

______ガッ!!

 再び実体を伴って現れた槍の切っ先が地面に突き立ち、つっかえ棒のように、叩きつけられようとしている僕の体を食い止めた。

 間一髪で間に合った。僕のほぼ唯一の取り柄は、得物の出し入れが早いことだ。

 普段から虚構の世界にかまけている僕は、イメージを描く早さだけなら誰にも負けない。

 

 僕が地面に叩きつけられることはなかった。

 地面に叩きつける瞬間が最大の威力を生むのが投げ技だ。途中で勢いを殺されれば、いかにクズリさんの膂力を持ってしても一撃必殺にはなり得ない。

 

 しかしそれでも、つっかえ棒にした槍の柄から、それを握る手のひらに向かって絶大な衝撃が伝わってくる。

 槍を持っていられなくなった僕は、なすすべもなく弾き飛ばされ、屋上のコンクリートの床を何メートルも転がった。

 

(つ、強過ぎる!)

 たった一度の攻防を終えただけで、絶望的な力の差を身をもって痛感させられる。こちらの攻撃はまるで通用せず、あちらの攻撃はどれも致命傷となり得るのだ。

 一瞬の判断の遅れも命取りになる。そう思った僕は、うつ伏せに倒れた体を急いで起こし、向きなおって身構えた。

 

「面白えなァ・・・・・・」

 背負い投げの動作を終えた小さな巨人が、ゆっくりと立ち上がった。必死に動き回る僕とはまるで正反対の余裕が見て取れる。

 悠然と僕を眺める様は、無限にある選択肢の中から、次はどんなどうしようもない攻撃を繰り出そうとしているのか思考を巡らせているかのようだ。

「オレの投げ技をそんな風に躱す奴に会ったのは初めてだ。褒めてやるよ」

 

 クズリさんはすぐ近くにある、床に突き刺さった僕の槍を引き抜くと、それを掲げてしげしげと眺めはじめた。

 

「こんな棒っきれも、使い方次第で侮れないモンだな・・・・・・そうか。てめえは頭を使って戦うタイプだな。ひょっとして、相手の裏をかくのも得意なんじゃねえのか?」

「どうですかね。それを返してもらいますよ」

 

 僕はクズリさんの手の内にある槍に向かって念じるように手を伸ばした。すると槍は金色の粒子と化し、クズリさんの手をすり抜けて再び僕の手元で具現化した。

 僕のイメージで作られた得物は、たとえどこにあろうとも僕と共にあるのだ。

 

 おそらくクズリさんは、僕の企みに勘付き始めている。戦いを長引かせれば隙を突くことも困難になるだろう。 

 僕は再び槍を構えて突進しはじめた。絶望的な攻防であっても、その中に活路を見出す他に手はないのだ。

 

「ちょっと待てメリノヒツジ、てめえにハンデをやるよ」

 クズリさんはその場から動かず、あろうことか僕を制止して意外な申し出をしてきた。

 

「どういうつもりです? 誰が相手でも手加減はしないと言ったではないですか」

「気が変わったのさ、もう少してめえで遊びたくなった。だから一発で殺すようなことはしたくねえ・・・・・・いいか? 今からオレは投げ技を使わない。打撃だけでてめえと勝負してやるよ」

「後悔、しますよ」

 

 表面上では強がって見せたが、実際はかなり有難い申し出だった。

 彼女の投げ技は一撃必殺。さっきは咄嗟の思いつきで躱すことが出来たが、同じ手口は二度と通用しないだろう。

 打撃だけでも脅威には違いないが、投げに比べれば、しのぎようはある・・・・・・もう一度クズリさんが僕の槍を潜り抜けて接近してきた時、その時こそ勝機が生まれる。

 

______リュボボボッッ!!

 全身の筋肉をフル稼働させて、己に出来る限りの速さで突きを連射した。クズリさんはそれを嘲笑うようにことごとく躱している。身のこなしもまったく隙がない。

 

 だが、彼女は槍の穂先を掴んで受け止めるようなことはしなかった。槍を受け止めて僕を投げ飛ばすなんてことは、やろうと思えば造作もないはずだ。

 投げ技は使わないという先ほどの宣言に偽りはないということか。

 

「一発くらい当ててみろよ? ハンデをやったんだからよォ」

「くっ!」

 

 ただの突き攻撃などがクズリさんに命中するとは最初から思っていない。

 僕は彼女が距離を詰めてくるのを待っているのだ。しかしそれを悟られるわけにはいかない。

 むしろ、必死に距離を保とうとしているように見せかけなければ、作戦を読まれてしまうに違いない。

 そのためには全速全力の攻撃あるのみ。

 

(早く! 早く仕掛けて来い!)

 全身が重くなっていく。連射のサイクルも見る間に落ちて行った。

 もとより負傷していた体に残された体力はわずかだったのだ。それを野生解放で誤魔化していただけだ。

 

______ブバッ!!

 突如、体の全身数か所から血が噴き出した。先ほどのセルリアンの戦いで負傷した傷が開いてきている。

 野生解放の力によって筋肉を締め付け出血を防いでいたが、それも限界に来ていた。時間が経てば経つほど、出血に体力を奪われて不利になっていく。

(それが・・・どうした!!)

 今さらわかりきったこと、そんなものに恐怖して攻撃を躊躇しているような段階は、とうに過ぎているのだ。

 

 僕はさらに踏み込んで、目の前の強大な敵に対して全力を込めた一撃を繰り出した。

「・・・・・・な、何だとっ!?」

 その場からようやく動いた思った彼女の姿が、霞のように消えていた。隠れる場所なんてどこにもないはずなのに。

 

「根性だけじゃオレには勝てねえよ」

「ッッ!」 

 

 クズリさんが立っていたのは、僕が突き出した槍の先端だった。

 足場とは到底呼べぬその場所に、まるで大地に立っているかのような安定感を醸し出しながら佇んでいる。

 そうか・・・・・・映像でも見たことがある。これがクズリさんの”先にある力”というやつか。彼女は手のひらと足の裏に触れた物体を、根が生えたように固定する能力を持っている。

 どのような場所でも足場にしてしまえるし、そこから踏み込んで全力の攻撃を仕掛けることも出来てしまう。

 

 スパイダー隊長のシャドウシフトに比べればシンプルで限定的だが、その分どんな局面にでも応用が可能な、強烈極まりない能力・・・・・・身をもって実感させられる。

 

「今度はこっちから行くぜ」

 クズリさんは足裏に張り付いた槍を踏み台にして、勢いよく僕に飛びかかり圧し掛かってきた。

 なすすべもなく仰向けに押し倒された僕の上に、クズリさんが馬乗りになっていた。

 いわゆるマウントポジションだ・・・・・・ヒトの格闘技でも、この状態に陥ったら「奇跡が起こらない限りは詰み」だと言われている。

「もうダメだろ」と、誰かが呟く声が聞こえた。

 

(これでいい)

 僕は一つ目の賭けに勝った。ようやくクズリさんが仕掛けてきた。生きたまま彼女に密着することが出来た。

 マウントポジションは絶対的に有利だが、相手の手元が見えなくなるという弱点がある。相手が凶器を隠し持っていたら防ぎにくくなる。そして僕にはすぐに取り出せる凶器がある。

 間合いも構えも必要ない、今の僕に出来る最高の技だ。

 

(行けっ!)

 イメージを手のひらの中に走らせ、僕に馬乗りになっているクズリさんめがけて具現化させた。

 

______ガランッ・・・・・・

 しかし・・・・・・僕の手から出現した槍が彼女に届くことはなく、むなしく地面に投げ出された。

 

「これを狙ってたんだよな?」

 不敵にほくそ笑むクズリさんが、僕の右手を握りしめていた。強く手首を握ることで、僕の手のひらを無理やり開かせていた。

 これでは槍を持つことなど出来ない。不意打ちで具現化させたところで意味をなさない。

 やはり・・・・・・読まれていた。

 

「てめえはオレの裏をかいてくるだろうと思ってた。こうやってマウント取ったら、てめえお得意の”出し入れ攻撃”をしてくるだろうってな・・・・・・」

 クズリさんは、僕の右腕を握りしめて槍を握れない状態にしたまま、空いたもう片方の手を顔の高さでゆっくり丸めて拳を形作ると、表情一つ変えずにそれを振り下ろした。

「で、次はどうすんだァ? どうやって切り抜けんだよ?」

 

______ドンッ!! ドンッ!! グチャッッ!! メキャッッ!!

 

 攻撃に使っているのが片方の腕だけであっても、一発一発が絶望的だった。息つく暇もなく繰り出される強烈な拳に、僕はなすすべもなく蹂躙されていった。

 口と鼻の中が鉄くさい血でグズグズになっている。激痛と衝撃でだんだん意識が遠のいてくる。 

 一発撃たれるたびに、手足がガクガクと電気に打たれたように震えた。

 ・・・・・・僕という世界が、圧倒的な暴力によってひび割れていく。

 

「ウルヴァリンさん、もうそれくらいにしませんか!?」

 屋上の出入り口で観戦していた仲間のフレンズが1人、暴風雨を浴びながらクズリさんの下へ駆け寄ってきた。

 それにつられて1人、もう1人と決闘の場に近づいてくる。

「こ、このままじゃメリノヒツジを殺しちゃいますよ・・・・・・別にそこまでしなくたって」

 

「そうですよ」

「味方を殺したらいくらなんでもマズいって」

「ねえ」「だよね」

 

 フレンズたちが口々に戦いの中止を促してくる。クズリさんは僕の顔面に叩きつけた拳をゆっくり引き抜くと「そうか」と呟いた。

 

「じゃあ、代わりにてめえらがオレの相手をしてくれんのか?」

「待ってくださいよ・・・・・・どうしてそんな風に」

「だったら失せろ」

 

______ドキャッッ!!

 フレンズたちの制止を無視するように僕へと視線を戻したクズリさんが、さらに鉄拳を一撃加えてきた。鼻っ柱が破裂するような痛みが走る。

 クズリさんの拳に僕の鼻血がべっとり付いている。彼女の有無を言わさぬ態度を見たフレンズたちは、言葉を失い青ざめた顔で後ずさっていった。

 

「・・・・・・戦いを終わらせる権利があるのは、戦ってる当人だけだろうが」

 

 僕の視界はつい先刻から赤一色の幻覚が見えていたけど、それが今や僕の血で物理的に赤くなっている。

 命を奪い合う残酷な世界。この世の真実の姿。その中心に座す台風の目のような存在・・・・・・あの日僕を殺したオオカミ以上の獣がここにいる。

 

(やはり、名前の通りだったな)

 

(彼女はオオカミを狩る者(ウルヴァリン)・・・・・・)

 

 見込んだ通りだった。彼女こそが僕を殺してくれる。僕を産んでくれる。

 そう思うと、今までで一番の凄まじい闘志と、得も言われぬ多幸感が混ざり合った素晴らしい感情が湧いてくるのだった。

 死ぬことなど大した問題じゃない。大事なのは今だ、今をすべて出し切ることだ。僕にとってかけがえのない相手へ向けて。

 

 一瞬本当に意識が飛んで、リアルな幻覚を見た。

 懐かしい景色だ。暖かな春風に緑豊かな牧草がそよぐ、僕の生まれ故郷・・・・・・僕はそこに立っている。

 目の前には、玉のように純白で無垢な一匹の子羊が、恐怖に染まった瞳で僕を見上げている。

 子羊の無垢な瞳に映る僕の体は、想像を絶するひどい姿をしていた。毛が一本もない赤黒く焼けただれた痩せぎすの巨体は、どこもかしこも刃物のように鋭利に尖っている。黒い外套からのぞく両手からは、自分のものではない鮮血が滴り落ちている。

 これが僕の中にいた、もう一人の僕? オオカミっていうより怪物だ。セルリアンよりも醜くて、そしてカッコいい。

 

(やあ、昔の僕・・・・・・いいや、まだ今の僕かな?)

 僕と子羊の間には境界線が引かれていた。

 子羊の側には若草色の、緑豊かな豊穣の大地が広がっている。そして僕の側には荒れ果てた錆色の荒野が広がっていた。よく見ると、その上で何匹ものヒツジたちが血だまりを作りながら息絶えている。

 ひょっとしてあのヒツジたちは僕が殺したのかな? すると目の前の”僕”が、最後の一匹か?

(殺さなきゃ)

 僕が子羊を追い詰めれば追い詰めるほどに、僕の周囲にある荒野が牧草地を侵食し飲み込んでいった。若草色の草むらの半径がみるみるうちに狭まっていき、やがて逃げ場をなくした子羊は命乞いをするようにうずくまって震えていた。

(・・・・・・この世界に君の居場所はない。さようなら)

 僕は子羊の上に覆いかぶさると、大口を開けて一息に噛み砕いた。

 

______あぐうううっっ!!!

 

「くくくっ・・・・・・てめえは、いったい誰だよ?」

 幻覚の子羊を噛み砕いたと思ったら、それはクズリさんの拳だった。僕は無意識のうちに彼女のパンチを口で受け止めていた。衝撃で歯が何本も折れたけど、構わずに顎に力を込め続けた。

 そして目を見開いて、真っ直ぐにクズリさんを睨み付けた。彼女は心底楽しそう口角を吊り上げて笑っている。

 

 雨と血に塗れた愚鈍なヒツジの体を捨て去って、真っ赤に燃えたぎる激情の化身が現実世界に飛び出した。念願の瞬間だった。

 残念なことに、夢の中の怪物の姿ではなく、まだヒツジの原型を保ってはいたけれど。

 

(これが最後の賭けだ)

 僕は意識を失う直前まで考えていた思考を取り戻し、即座に行動に移した。

 自分でも信じられないけど、この体はまだ動く・・・・・・肉体の痛みすら超越してしまうほどの闘志によって突き動かされている。

 

______ザキュッッ!! 

 

(・・・・・・これなら、どうですか?)

 クズリさんに握り締められた右手ではなく、自由な左手の中から槍を出現させ、彼女の後頭部、延髄めがけて突き刺した。ここをやられれば彼女とて命はないはずだ。

 

 いくらクズリさんでも躱せまい。何故なら僕が槍を二本出せることを知らないのだから。

 そしてすでに一度同じ手口を見破っているのだ。一度破られた技を再度繰り出してくるとは思うまい。二重の意味で相手の裏をかける必勝の策だ。

 最初からこれを狙っていた。万策尽きたと見せかけておいて、彼女に一矢報いるこの瞬間を。

 ・・・・・・穂先が肉を穿つ手ごたえを確かに感じた。僕は血走った眼を思わず歓喜に歪ませた。

 

「ッッぐっ!! いってえなァ・・・・・・」

 

 しかし僕の確信は外れ、クズリさんは健在だった。よく見ると彼女は自身の後頭部を片手で庇っていた。彼女の手のひらを貫通した穂先は「固定する能力」で食い止められ、延髄に達することはなかったのだ。

 またしても読まれていた。今度こそ絶対に読まれないと思っていたのに。

 

「な、なじぇ?」

「・・・・・・てめえのツラを見て、ギリギリで察することが出来たぜ。その”してやったり顔”のおかげでな」

 

 そうだったか。あまりにもバカバカしい理由だ。

 こんな経験をしたことが今までになかったから、表情筋につい油断が生じてしまったということか・・・・・・次からは気を付けないとな。

 まあ、次はないけどな。

 

「・・・・・・まけまひた。ころひて、いいでひゅよ」

 

 今度こそ万策尽きた。すべてを出し切った。

 そう確信した瞬間に、張りつめていた気迫の糸が一気に切れてしまい、代わりにやってきたのは耐えがたいほどの激痛だった。特にズタズタになった口元は、雨に打たれただけで割れてしまいそうなぐらいだ。

 息をするのも辛い。早く楽にしてほしい。

 

 もうこの体は動かないし、あと一発でも拳をもらえば命が尽きるだろう。後悔はしていない。誰もが認める無敵の戦士に真っ向から挑んだ。それどころか手傷を負わせた。 

 上出来だ。最後の最後で、僕は本当の自分に辿り着くことが出来たのだ。

 僕はヒツジじゃない。間違いなくオオカミに生まれ変わったのだ。この充実感、この歓喜・・・・・・僕が戦う生き物である何よりの証拠じゃないか。

 

「満足してんじゃねえよ」

 僕の腹の上に乗ったままのクズリさんが、胸倉を掴みあげて無理やり引き起こしてきた。まともに前が見えない視界でも、殺気を湛えた恐ろしい眼光に見つめられているのがはっきりとわかる。

「本当は、まだまだ、もっとヤリたいんだろ?」

 

______はい・・・・・・

 血まみれの唇を震わせて何とか声を絞り出した。

 全然満足なんてしていない。クズリさんが僕をもし生かしてくれるのなら、ヒツジではなくオオカミとして、命を奪う強者としての第二の人生を生きてみたい。

 そして、僕に戦う喜びを教えてくれたクズリさんと、何度だって殺し合いたい。

 

 鉛のように重たい両手を持ち上げて、僕の胸倉を掴んでいる彼女の手の上に重ねると、それを強く握り締めた。

 この手を永久に離して欲しくない。僕を殺し、生まれ変わらせてくれた、力強き手を。

 

 朦朧とした意識で懇願する僕の視界が暗転し、やがて暗闇の帳が降りてきた。

 

 

______ゴボッ・・・・・・

 肺の中から出てきた空気が、泡となって口から飛び出し、上に登っていく。その音で僕は再び意識が呼び戻された。

 どうやらここは死後の世界の類ではないようだ。それが証拠に僕の精神にはまだ肉体がくっ付いている。生来持っている鬱陶しく分厚い体毛が、液体の中をゆらゆらと漂っている。

 

 死んでないなら、ここは一体どこだというのだろう。僕の全身は得体のしれない液体に浸されている。どこからか光が降り注いでいて、液体がそれを反射して虹色の光を放っている。

 どうやら川の中や海の中ではない、クジラかなんかの胃袋の中でもないようだ。

 

≪ふふふっ・・・・・・どうかしらメリノヒツジ? サンドスター溶液槽の湯加減は? そこにいれば癒えるわ。数日中に、どんな重傷も≫

 

 一度聴いたらしばらく耳に残る、芝居がかった倒置法で喋る女の声がどこからか聞こえてくる。

 あの女だ。イヴ・ヴェスパーが僕に呼びかけている。そうか・・・・・・

 ここは「スターオブシャヘル」の内部か。意識を失っている間に、輸送機に運ばれて、地上を遠く離れた成層圏の要塞に戻ってきたというわけか。

 戦いの後、結局クズリさんは僕のことを殺さなかったというのか。

 

≪ここに運ばれてきた時、あなたは酷い状態だった。全身の血液の半分近くを失っていた。頭蓋骨ほか全身数十か所の骨に亀裂が入っていた・・・・・・それでも簡単には死なない。フレンズの体は≫

 

≪それより、面白いものを見せてもらったわ。さすがに予想できなかった。あなたがウルヴァリンに決闘を挑むなんて。それどころか手傷を負わせるなんて≫

 

 訳を知った様子のイヴ女史が得意げに語り始めた。ぼんやりと思考が定まらない頭で受け止めることが難しい情報が飛び込んでくる。

 

≪今回の作戦のすべては、最初から私が仕組んだこと≫

 

 替えの効かない実験体であるクズリさんが、シャヘルの支配者である彼女に作戦への参加を許可された理由。

 それは集められた40人のフレンズの中から、最強のフレンズ作成計画における「2番目の実験体」を選出することだった。

 

 2番目の実験体。それは計画を進めるうえでなくてはならない手駒だという。

 クズリさんだけを被験者にするよりも「控え」として別のフレンズのデータも収集した方が、効率的に妥当性の高い情報を蓄積できる。

 そして実戦におけるクズリさんの補佐役としての役割も期待されることから、実際に彼女を戦場に向かわせて視察を行わせたのだ。

 

 セルリアンのサンプル回収は、今回に限ってはその副産物であったに過ぎないという。ダーバンが作戦地域に選ばれたのは、さほど強いセルリアンが生息していないことが確認されていたことと、電波状況が良好なことから、シャヘル側からの観測がしやすいという二点からだった。

 

≪メリノヒツジ、あなたで決まりよ。2番目は≫

「・・・・・・ぼく、が?」

≪私としては、もう少しデータを収集したうえで、慎重に「選りすぐり」たかったのだけれど・・・・・・当の1番目があなたのことを強く推挙してきたのよ≫

 

≪あなた、ウルヴァリンにいたく気に入られたようね。あなたの他には考えられないとまで言ってきたわ・・・・・・己に戦いを挑んでくるような豪胆さがお気に召したのかしら? まったく意外だわ。他人とのなれ合いを嫌うあの個人主義者が≫

 

「ベラベラうるせえぞ」

 

 イヴ女史の饒舌な言葉を遮って、突き刺さるように鋭い声が僕の耳元に去来した。

 液体に浸かった体を回転させて、声のする方向へと振り向いてみるけど、視界は最悪だ。虹色に怪しく光る溶液が詰まった試験管の中から見えるのは、ぼんやりと灯る照明の光だけだ。

 

「しょこに、いるのでひゅか?」

 

______バァンッッ!!

 

 何者かが試験管を強く叩いた。

 分厚い試験管が割れることはなかったが、そこから伝わってくる振動ごしに感じられるプレッシャーが、その手の主を悟らせる。雄弁な答えだ。

 試験管の表面に血塗られた手のひらがべちゃりと張り付いた。付着した真っ赤な手形の真ん中には、鋭利な刃物で貫かれたような穴が開いている。

 

「くじゅり、しゃん、ほんとうに・・・・・・ぼく、なんかで」

「締まりのねえ顔をしてんじゃねえ。あの凶悪なツラはどこに行った? あれがてめえの本性なんだろうが」

 

 先ほどの戦いの記憶が蘇る。クズリさんの拳に噛み付いた時、そして脳天に槍を突き刺してやろうと思った瞬間の興奮と高揚が。

 あの時の表情を、彼女は褒めてくれた。命を奪って当然だと思っている”殺し屋”の顔だと。

 対峙した敵を絶望に突き落とすそんな表情が出来る者こそ、自分の傍に置くにふさわしいと・・・・・・

 

「そんなとこでマヌケにプカプカ浮かんでる場合じゃねえだろ。てめえのような奴にお似合いの、この世の地獄みてえな場所に連れてってやるよ」

「・・・・・・たのひみ、でひゅ」

 

 僕はズタズタの口に満面の笑みを浮かべながら答えた。

 2度目の生まれ変わりを果たした、今の僕の顔だ。

 

 to be continued・・・ 

 




_______________Cast________________
 
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・ヤギ亜科・ヒツジ属
「ヒツジ(メリノ種)」
哺乳綱・ネコ目・イタチ科・クズリ属
「クズリ(ウルヴァリン)」

_______________Human cast ________________

「イヴ・B・ヴェスパー(Eve Brea Vesper)」
年齢:24歳 性別:女 職業:Cフォースアフリカ支部研究所(別名スターオブシャヘル)所長

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴

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