培養して生み出された人造セルリアンとの戦闘やその他諸々のトレーニングを終えれば、サンドスター溶液の中に入れられて眠りにつく時間が待っている。
血を流さない日はなかったが、溶液内で一晩眠れば肉体の負傷はたちまち全快してしまう。そうしてまた戦いの場に赴いていく。
僕とクズリさんはそういう毎日を送っている。
しかし、逆に言えばそれだけだ。実験体とはいえ、何か肉体に改造手術が施されるとか、そういった類のことは今の所なかった。
詳しいことは説明されていないが、サンドスター溶液には特殊な薬物が混入されているようで、それによってフレンズの中に眠る野性の本能が次第に引き出され、肉体が作り変えられていくというのだ。それが極限にまで至った時、フレンズはもう一段階上の存在へと進化を遂げるという。
僕やクズリさんは、その進化への道筋を確立するための実験体だ。
そんな毎日の成果が出てきているのか、僕は少しずつ、そして確実に変わっていった。
今の僕は、自分でも驚くほどに、どうしようもないぐらいに凶暴で好戦的だ。心の片隅には常に暴力を振るいたいという衝動があって、それを抑えられない。
まるで麻薬であるかのように、暴力を求める気持ちが心に刻み付けられている。目を閉じれば、いつでも真っ赤な幻覚が脳裏に広がっている。
精神面だけでいえば、すでにヒツジの本来の在り方を軽く踏み外していると思う。
そして凶暴な精神に影響を受けるようにして、肉体にも変化が起きていた。
背が伸びて、全身の筋肉が固く強靭になり、同時にしなやかさも獲得してきている。それとは逆に、ブカブカの鬱陶しい体毛が薄くなって、無垢な白色に若干赤みがかってきた。
筋肉はわかるが、毛の色が変わるなんて一体どういうことだろう? 鮮血の汚れが落ちなくなったのか? それとも僕の脳内の景色が肉体に溶けだしてきたとでもいうのか?
フレンズの体は謎が多い。最終的にこの体がどうなってしまうのか、まるで予想もつかない。
______ふぅ・・・・・・。
ある日僕は、多少ばかりのスケジュールの空きを使って、憩の時間を満喫していた。やることはもちろんひとつしかない。読書だ。
慣れ親しんだ紙の冊子ではなく、ヒトが使う手のひらサイズの端末の画面に触れて、それをスクロールさせて文章を追っていた。最初は味気ないと思ったが、文章が脳に入ってしまえば紙も端末も変わりない。
この端末はイブ・ヴェスパーから僕に貸し出されたもので、休憩時間だけ持ち歩くことを許可されている。
彼女が何か欲しいものはないかと聞いてきたので、僕は本が読みたいと所望した。そうして彼女が手渡してきたのがこれだ。2番目の実験体として、多少の贅沢が許される身となった結果と言えるだろう。
機械で出来た生き物の体内であるかのような他の場所とは違って、フレンズたちの居住区は区画や階層が分かれており、衣食住を行う場所としておおよそ常識的なものだった。
直接顔を合わせることはないが、このシャヘルで勤務しているヒトらも同じような空間に住んでいるに違いない。
壁も床も、まるでSF小説の宇宙船の中のようになだらかな曲線で形作られており、そこには銀色の丁度品が規則正しく並べられている。他のフレンズがどう思っているか知らないが、僕の美的感覚としては中々居心地がよいと感じている。
中でも僕にはお気に入りの場所がある。食堂と居住区とを繋ぐ螺旋階段の中腹にある踊場だ。この階段を使用するフレンズはほとんどいない。エレベーターが数か所もあり、あえて階段などを使う必要がないからだ。
僕がこの螺旋階段を気に入っている理由は、上から下まで貫くようにして縦長の巨大な窓ガラスが貼られていて、そこから絶景が見られることだ。
下をみれば成層圏の雲海がどこまでも広がり、上を見れば空気の薄い紺碧の空にただひとつ浮かぶ孤独な太陽が見える。
地球上では到底味わうことが出来ない静謐さと壮大さだ。
この絶景を肴に読書をするのは、僕にとってこの上ない贅沢だった。
凶暴性に目覚めたからといって、本を愛する気持ちが色褪せることはない。物語の世界は、今でも変わらずにかけがえのない友として己の傍にあり続けてくれている。それどころか、今の方がより深い友情を結べているとすら思える。
今までは自分の人生の道標が見えていなかった。だから結末が約束された物語の世界に逃避していた。だが今は自分の価値観を持ちながら本と向き合っている。
本に依存するのではない、共感できる言葉、そうでない言葉、それらを己の物差しという相対的な目線で測ることで、一層豊かな時間を味わうことが出来るのだ。
今画面をスクロールしながら読み進めているのは、ユダヤ人の文豪フランツ・カフカが生み出した名作「変身」だ。
以前読んだことがある作品だったが、今はこれを猛烈に読み返したい衝動に駆られていた。
物語の主人公、貧しい家族を支えるために真面目一途に働いていた青年を突如襲った運命・・・・・・
青年の悲劇的な顛末に思いを馳せるのでもない。彼を孤独に追いやる世界に絶望するでもない。僕が読みたいと感じていたのは、彼が醜い虫に「変身」していく様、その描写の一つ一つだ。
まともに動けなくなり、寝返りさえ打てなくなる。すべての人間関係から断絶され冷たい部屋に押し込められる。
幸薄い人生の中で、それでも己の尊厳を保っていた誇りや幸せ、それらをすべて手放さざるを得ない現実に直面していく。
「今まで当たり前であったことが、当たり前でなくなる」
その過程こそが「変身」の骨子だと思う。
彼の身に起きた出来事を僕に置き換えて考えてみる。
僕にとって決定的だった出来事はまずひとつ。動物からフレンズに生まれ変わったことだろう。体が別物になっただけじゃない。人生の全てが変わった。
しかしそんなことは比ではないと思えるぐらいに、今の僕は以前と変わった。当たり前だと思っていたことの多くが、当たり前でなくなった。
・・・・・・そう、生きている限り「変身」はいつでも、誰にでも起こり得る。
「でさー、この前やり合ったセルリアンときたらよ」
「ああ、あの時は危なかった」
心地よい静寂に浸っていた耳に、どよめきが入り込んでくる。視線を向けると、階下の食堂から食事を終えたであろう様子のフレンズが7~8人階段を上ってくる姿が見えた。
地上に下りていたフレンズたちも、作戦を終えてここに帰ってきていた時分だったか。
実験体としての生活が始まってからは別スケジュールで動くことになり、ほとんど顔を合わせることもなくなったから、彼女達の顔を見るのは久々だ。
「・・・・・・チッ」
フレンズたちの中心にはディンゴがいた。それまで笑顔で談笑していた彼女が、踊場の隅っこで読書にふける僕を見た途端、不機嫌そうな顔で黙り込んだ。他のフレンズたちも気まずそうに喋るのをやめた。
ディンゴは戦闘能力に優れているだけでなく、明るく周囲のフレンズに思いやりがある優等生だ。シャヘルに来てからそう経たないうちに、多くの仲間たちから信頼と友情を寄せられているようだ。
さすがの社交性といったところか。ディンゴのルーツは、家畜化されたイヌが再び野生化してオオカミの亜種と分類されるようになった、いわばオオカミの紛い物だ。その性根は慣れ合うことに重きを置くイヌそのものだな・・・・・・
(早くどこかに消えろ)
無視して端末に視線を落としながら、彼女らが階段を通り過ぎるのを待った。が、彼女らは踊場で足を止めたまま進もうとしない。
彼女たちの意図がわかった。この踊場にたむろしたいと思っているのだろうな。ならば、僕がいたらさぞ邪魔だろうな・・・・・・しかしここをどくつもりはない。先に居たのは僕だ。たまり場が欲しければ食堂や広間にでも行けばいい。
「いこうよ」
「ああ」
僕から言外に発せられるメッセージを察したのか、何人かのフレンズはその場から立ち去ろうとした。
クズリさんに戦いを挑み生き残ったたあの日から、周囲の見る目が変わった。怒らせたら何をやるかわからない危険な奴として恐れられはじめた。そして僕自身も周囲を遠ざけるために、そう見られることを良しとしていた。
・・・・・・だが、ディンゴだけは僕を睨みつけたままその場から動こうとしなかった。
そうだよな。ここで引くなんてことは、君には出来まい。今までバカにして踏みつけてきた相手を恐れて引くなど、屈辱極まりない話だろう。
「ディンゴ、僕に何か用事があるのか?」
「・・・・・・くっ」
素直に「どけ」と言えばいいのに。そうしてこないのはやはり僕を恐れているからだろう。
クズリさんに戦いを挑む度胸もない時点で、ディンゴは精神的な面で僕に大きく負けている。
「黙っているということは、特に用事はないのかな? ・・・・・・けど、僕のほうはたった今、君に用事が出来たよ」
端末を踊場の手すりの上に丁重に置くと、踵を返してディンゴの方へ歩み寄っていく。
近づいて来る僕を見る彼女の目の中には、怒りと焦りが入り混じって瞳孔が落ち着きなく震えているのがわかる。
______ボグゥッッ!!
目と鼻の先までゆっくりと近づいた瞬間、僕は表情筋をピクリとも動かさないまま、胸先三寸に留めていた衝動を弾けさせた。
素早く踏み込んでディンゴを殴打した。振りぬいた拳が、あっさりと芯を捉える。衝撃が逃げにくい鼻っ柱を殴られて、鮮やかな真紅の弧を描きながらディンゴが転倒する。
なんとも情けないものだ。彼女はボクシングを使うくせに、こんな大振りなパンチを簡単に食らってしまうとは・・・・・・確かに思いきり不意打ちさせてもらったし、力もスピードも以前の倍以上になった体で放った代物ではあるけど。
「ディンゴ、僕の憩いの時間を邪魔した罰だ。死ねよ」
倒れたディンゴに間髪入れずに馬乗りになって、顔面を繰り返し殴り続けた。
クズリさんのそれに比べたら、足元にも及ばないぐらいヌルい攻撃だ・・・・・・だのに、ディンゴは手も足も出ないのか? こいつには今までイヤな思いをさせられ続けてきたが、なんで僕はこんなザコにやらせたい放題させていたのだろう。我ながら不甲斐ないばかりだ。
僕はもう弱いヒツジなどではない。あの血まみれの幻覚の中で、昔の弱い自分を食い殺し、強大なオオカミに生まれ変わったのだ。
紛い物に過ぎないディンゴごときが、本物のオオカミである僕に勝てる道理などない。
「や、やめろ!」
「いきなり何するんだ!」
僕の突然の乱暴狼藉に驚いて、仲間たちが慌てて後ろから羽交い絞めにしてきた。そして僕はされるがまま拘束を許した。
まあ・・・・・・さすがに彼女たちにまで暴行を加えるのはフェアじゃない。ディンゴと違って、最初から僕と目を逸らして、ここから去ろうとしていたのだから、敵とみなすことは出来ない。
言うなれば、その場に存在していないのと同じ、空気のような存在だ。
「ぐっ! ・・・・・・ご、ごのやろう!」
顔面を腫らして血を流すディンゴが立ち上がり、羽交い絞めにされている僕の前に近寄った。その拳は怒りでわなわなと震えている。まあ当たり前だな。
今なら僕も自由が利かないし、彼女に仕返しされれば避ける術はないだろう。
「で、これから君はどうするのかな」
怒り狂うディンゴを先ほどと変わらない無表情で見つめた。
相手を恐怖させるのに、怖い顔で凄んだり、強い言葉を使う必要などどこにもない。たったひとつのシンプルなメッセージを、瞳に含ませて伝えればいい。
「いつでもお前を殺せる」「一切躊躇しない」と・・・・・・それが本当のことであるという態度を相手に示せばいい。
わずかでも躊躇がある相手ならばそれで終わりだ。
案の定、ディンゴが僕に殴り返してくることはなかった。ここで僕にやり返そうものなら、今後も僕に因縁を付けられて、命の危険を伴うほどの手ひどい報復を受けることを危惧したからだ。
この場で殺してしまうか、最初から一切関わらないかのどちらかでなければ、僕という危機からは逃れられない。
ようやくわかったか。僕と事を構えるということがどういうことなのか、出来の悪い脳みそでも理解できるように心を砕いた甲斐があったというものだ。
「ディンゴ、僕を怒らせない方法を教えてあげるよ・・・・・・僕を見るな。僕の視界に入るな、隅っこでコソコソと怯えていろ。なに簡単なことだよ。以前までの僕と同じようにしてればいいのさ」
額に青筋を立てながら悔しそうに震えるディンゴが、やがて瞳を伏せ、完璧に僕から顔を背けた。その瞬間に僕は彼女に永久に勝ったことを確信した。
さて、こちらの用事は済んだことだし、読書に戻らせてもらおうか。今の僕にとっては一分一秒が惜しいのだからな。
「君たちも僕に用があるのか? ないなら・・・・・・放せよ」
後ろで羽交い絞めにしている数人のフレンズに向かって振り返らずに凄んだ。ぐうの音も出ない彼女たちは僕を解放した。
しかし、招かれざる来客はディンゴたちだけではなかった。
端末を取りに戻ろうと歩き出した僕の目の前に、1人の小柄なフレンズが肩で息をしながら階段を駆け上がってくるのが見えた。
・・・・・・そうか、ディンゴたちが帰ってきているなら、彼女ももちろんいるはずだものな。誰かが呼びに行った声に応じて、大急ぎで揉め事の現場に駆けつけてきたのだろう。
「メリノ! 何をやってるっスか!」
「これはこれは、お久しぶりですね」
つぶらな瞳の上の眉毛が逆八の字に吊り上がっている。あらゆる危機に対して冷静でいられるタフさがあり、常に穏やかな物腰を崩さない彼女が本気で怒っているのをはじめて見た。
スパイダー隊長、あなたの顔を久しぶりに見ることが出来て嬉しい。これは本当だ。
「大丈夫っスかディンゴ?」
「は・・・・・・はい」
隊長はディンゴの傍に駆け寄ると、血を流している額に手を当てて、素手でそれを拭った。そして他のフレンズたちにディンゴを医務室に連れて行くように命じた。
仲間たちに支えられながら螺旋階段を跡にする彼女が、僕の方を見てくることは最後までなかった。まさしく”負け犬”だ。その哀れな後姿をほくそ笑みながら見送った。
そのまま永久に消え失せろ。また僕の前に現れるなら、今度こそ本当に殺してやる。
「メリノ、話があるっス」
僕はスパイダー隊長と2人きり、踊場に残った。彼女は先ほどと同じくしかめっ面の中に静かな怒りを覗かせている。
さすがに隊長のことを他の奴らと同じように扱うわけにはいかない。彼女は自らの身を投げ打って僕の命を助けてくれた恩人だ。お叱りの言葉があるならば、まずは聞くしかないだろう。追従するかどうかは別としてだが。
「お前・・・・・・いったいどうしちゃったんスか?」
スパイダー隊長は口元を震わせながら、絞り出すように僕に問うてきた。そのしかめっ面は怒りで出来ていたのではない。僕に対する失意と悲しみで作られていたのだ。
さしもの僕も言葉を失った。怒りに任せたお説教の類であれば、いくらでも抗弁をして言い負かす自信はあった。だがこのような態度に出てくるのであれば、どんな言葉を返しても無粋になってしまうだろう。
そんな僕の心情を知ってか知らずか、彼女は返答を待たずに僕から目を逸らした。踊場の手すりに身を乗り出し、重ねた腕の上に頭を乗せて外の風景を見つめはじめた。
こんな光景は前にも見たことがある。シャヘルに来る前、輸送機の中の出来事だ。そんなに前のことでもないのに、もう随分昔のことに感じられる。
あの時、スパイダー隊長は隅っこで卑屈にうずくまっている僕に声をかけてくれた。
僕はあの頃から随分変わったが、彼女は何も変わらない。
隊長だけは、最初からずっと僕の味方だった。
そしてたった今、ディンゴにも同じような優しさを見せた。初対面の時に無礼を働いてきた相手であることなど全く意に介していない。
何者をも許し、共に生き残ろうと優しく歩み寄る意志がある。その意志を寸分のブレもなく示してくる・・・・・・まったく、体は小さいのに、度量が大きいフレンズだ。
あのクズリさんに、己に互する存在として一目置かれているのもよくわかる。
「お前だけじゃない・・・・・・ウルヴァリンも変わった。アイツがアンタをビルから突き落としたって聞いた時は驚いた。昔から強い奴には全力で噛み付いてたけど、自分より弱い後輩を痛めつけるような奴じゃなかった」
スパイダー隊長は相変わらずの悲嘆にくれながらそう独りごちた。
僕はその時悟った。隊長とクズリさん。片や地上のフレンズ部隊を率いる隊長。片や最強に至るための実験体。
隊長は、今や別々の道を行く戦友と、ロクに意思疎通が出来ていないのだ。それがすれ違いを生みかねない要因になっている。
「隊長、もしこの後お暇でしたら、僕に付き合っていただけませんか?」
「どこに行くっスか?」
「もうじき、今日の戦闘実験が始まります。ぜひ見学していってくださいよ。実験が終われば、クズリさんと話す機会もきっとあるでしょう」
やはり、スパイダー隊長だけは今後とも僕の味方に付けておくべきフレンズだ。そのためにも今の僕のことをしっかりと理解してもらいたい、どれほどの覚悟や矜持を胸に秘めて戦っているかを、その目で見てもらいたい。
そしてクズリさんとも話し合いの場を持ち、昔と変わらぬ知己を保ち続けるべきだ。
実験の部外者である隊長に立ち合いの許可が下りるかは確信が持てない。だが許可される可能性も捨てきれない。序列においては、隊長はシャヘルにいるフレンズの中で最も上なのだ。
「うん・・・・・・いいっスよ」
「決まりですね。では、付いてきてください」
◇
スパイダー隊長を連れ添って、居住区の出入り口であるゲートを訪れた。
この無機質な門にはノブなどない。フレンズの方から開けることは不可能だ。何らかの指令がヒトから下される時のみ、遠隔操作で開かれる仕組みだ。
門の前に立った瞬間、それが溶けるように消失し、通り道が現れた。定刻通りに戦闘実験に赴こうとする僕の姿を、監視カメラか何かが捉えたのだろう。
そして僕の後ろにいるスパイダー隊長が先に進むことについても特にお咎めはないようだった。このまま付いてきていただこう。
といっても、足で歩くのはこれで最後だ。扉の先に道らしい道はない。ここから先には区画という概念はない。
基盤が内側に透けて見えるガラス状の迷宮が、縦にも横にも複雑に入り組みながら広がっている。この有様を見ていると、いつも同じ感想が胸に去来する。巨大な機械のクジラの腹の中にいるようだ、と。
さしずめ僕は巨鯨モンストロに飲み込まれたピノキオと言ったところか。
行き止まりの床が周囲から切り取られたように浮き上がり、僕たちを運び始めた。唯一の移動手段だ。あとは実験室まで自動で僕らを運んでいってくれる。
ここまではいつもと何も変わらない・・・・・・だが、何かがおかしい。
宙に浮かぶ床の上に乗ってしばらくしてから違和感に気付いた。
僕は今まで何回も実験室に連れていかれているのだ。たとえ区画の概念がない機械仕掛けの迷宮だとしても、床がどのタイミングでどの方向に進むかは、何となく覚えてしまっている。
それが今回は、見知ったパターンとはまるで違う動き方をしているのだ。
やがて僕らを乗せた床が、おおよそ他と区別が付かない迷宮の一角に降り立ち、最初から何もなかったかのように周囲と同化して消え失せた。
目の前に現れた細いトンネル状の一本道を進んだ。
「メリノ、この先に実験室があるんスか?」
僕の動揺を察したように、スパイダー隊長が不安そうに尋ねてくるが、それには答えなかった。僕自身が答えを探すように歩を進めることしか考えられなかったからだ。
突き当りに辿り着くと、そこにあった壁が生きているかのように蠢いて消滅した。
この異常な建物には常識が通用しない。壁や床が勝手に動く程度の様相はもう飽きるほど見ているので驚くほどではない。問題はこの先がいつもの実験室なのかどうかだ・・・・・・僕は早足になって空いた穴を潜り、その先にある部屋へと押し入った。
「ここは・・・・・・?」
案の定、見たこともない部屋が目前に飛び込んできた。おおよそ戦闘なんて出来そうもないほどに狭く、何とか足元がわかる程度の照明しか灯っていない。
部屋の中心には棺桶のような大きさの四角くて黒い機械が鎮座している。壁や床には銀色の筋が血管のように複雑に走査しており、それらはすべて機械に向かって集まっていた。
「これって、アレっスか」
「ええ、VRマシーンのようですね」
Cフォースのフレンズならば誰もがお世話になったであろうその機械を見て、僕らは互い目配せしながら怪訝そうにそれに近寄った。
棺桶の頭側には、楕円形の分厚いガラスが蓋のように覆いかぶさっている。その内側から怪しい緑色の光が漏れ出ている。
その光に吸い寄せられるようにしてガラスの蓋の中身を覗き込んでみた。
「な、なんで!?」
予想だにしない光景を見て、思わず平静さを失った。
棺桶の中にはクズリさんがいた。意識を失ったまま大の字に横たわっている。
「へえ、戦闘実験ていうのはVRを使って行われてたんスか。ウルヴァリンのやつは、一足先に実験に取り掛かっているみたいっスね」
僕とは対照的にスパイダー隊長は別段驚いてもいない様子だ。彼女が知りうる情報の範囲で、予想とおおむね合致するような光景だったからだろう。
「い、いえ。違うんですよ隊長。シャヘルに来てからVRなんて一度もやったことはない。こういう機械を見るのも初めてです」
「・・・・・・え? だったら、なんでウルヴァリンはこの機械の中に?」
______カッッ!
取り乱しながら問答する僕らの目の前を、突如まばゆい光が照らした。
突然の閃光に目が慣れると、その正体が何であるかをすぐに察することができた。
映像だ・・・・・・空中に映像が投影されている。
≪うおおおおっっ!!≫
映像の中からはち切れんばかりの雄たけびが聞こえ、二つの影が激しく交錯している。
一方はクズリさんだ。激しく動き回る小さな体のあちこちから血が噴き出し、顔面を腫らしている。その表情からは余裕が消え、研ぎ澄まされた刃のような鋭い殺気を相手に向けている。
そしてもう一方がクズリさんに向かって歩を進めている。表情がうかがいしれない不気味なその姿が足を止めると、殺気を弾けさせるクズリさんとは対照的な、静かな佇まいで彼女と対峙した。
映像の中の思いがけないその姿を見て、僕もスパイダー隊長も驚いて目を見開いた。
実際に会ったことはない、けれども良く知っているその姿。
巨岩と対峙しているのかと錯覚させるような、相手を静かに押しつぶしていくプレッシャー。
無敵と呼ばれるクズリさんと対になるあのフレンズが、なぜここに?
「アムールトラ・・・・・・!?」
肺の奥から激情を絞り出すように、僕はその名を告げた。
to be continued・・・
_______________Cast________________
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・ヤギ亜科・ヒツジ属
「ヒツジ(メリノ種)」
哺乳綱・ネコ目・イタチ科・クズリ属
「クズリ(ウルヴァリン)」
哺乳綱・霊長目・クモザル科・クモザル属
「ジェフロイズ・スパイダーモンキー」
哺乳綱・ネコ目・イヌ科・イヌ属・タイリクオオカミ亜種
「ディンゴ」
_______________Story inspired by________________
“けものフレンズ” “けものフレンズ2”
byけものフレンズプロジェクト
“けものフレンズR”
by呪詛兄貴