けものフレンズR あるトラのものがたり   作:ナガミヒナゲシ

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 後書きがネタバレになるこの形式もうやめたほうが良いのかもしれない。


過去編終章5 「つきよのけっせん」(後編)

 油断のない足音が、すばやく階段を駆け上がってくる。

 頭蓋骨そのもののように滑らかな首を生やした恐ろしげな人影が銃を構えながら、こちらに向かって近づいて来る。

 それはこの絶望的な状況で、私が唯一背中を預けられる者の姿だった。

「・・・・・・」

 カイルはその場にへたり込む私の姿を見つけると、無言で一瞥し、次にすぐ傍の血だまりの中にある首なし死体に銃口を向け、注意深く何秒か観察した。

 その視線に責められているような気分になって、彼の視線が早く他の所に行くように願った。

 いくら観察したところで「それ」が再び起き上がってくることなんて、絶対に有り得ない。

 

「”全員殺したのか?”」

「い、いえ。奥にまだ2人倒れていますけど、そっちは生きています」

 

 あいも変わらず冷淡な最低限の言葉だったが、別に私のことを責めているわけじゃない。彼はあくまで状況を的確に把握しようしているだけだ。

 

 私の返事を聞いて、カイルは無言のまま講堂の奥深くへ進んだ。

 周囲の様子を見まわしながら進み、私の手によって重傷を負わされ気絶したまま倒れている2人の敵兵に気付くと、銃を構えながら近寄っていった。

 そして2人の様子をあらためている。

 片方は顎を砕き、もう片方はみぞおちに拳を打ち込んで、横隔膜のあたりを破裂させて仕留めた相手だ。

 

「”・・・・・・どうやらこっちは話が出来そうだな”」

 カイルが、内臓破裂で倒れている方の兵士に近づくと、馬乗りになって上半身を押さえつけ、顔にかぶっている顎まで覆うヘルメットをもぎ取った。

 中から現れたのは、浅黒く彫りの深い顔に短髪の、中東系の若い男の顔だ。

 

 無機質な仮面の中の素顔が明らかになると、なおさら生身の存在感が感じられる。私は間違いなくヒトを相手に戦っているし、すでに2人も殺してしまったんだ。

 

______ボグゥッ!

 カイルは腰から抜いたナイフの柄で、中東系の兵士の顔面を殴打した。すると何秒か経ってから、その男の瞳がぼんやりと見開かれる。

 

「”5秒やる・・・・・・質問に答えろ”」

 男の鼻先わずか2~3センチぐらいの距離に、ナイフの切っ先を突き付けた。そしてナイフ以上に鋭い殺気が眼光から放たれている。

 それに気付いた男が、顔面に冷や汗を吹き出しながら「ヒッ・・・ヒッ・・・」とえづくような息継ぎをしはじめた。

 たぶん私にやられた傷のせいだ。息をするたびに腹部に激痛が走っているに違いない。

 

「”お前らは何人でやって来た? 人間は何名? フレンズは? 5、4、3・・・・・・”」

 

 男は苦しそうな呼吸の後に、私にはわからない言葉でカイルの質問に答えているようだった。

 カイルと敵は、おそらくは同じ言葉を話しているだろうけど、ユニットに中継されていない言葉はもちろん私には聞き取れない。

 

「”そうか。じゃあ次の質問だ”」

 カイルは男の返答に無表情で頷くと、さらに畳み掛けるように新たな質問を投げかけようとしていた。

 ナイフを突きつける右手とは反対側の左手に括り付けたスマートフォンを相手に見せている。

 画面に映っているのは、ケープタウン大学内の見取り図だ。大学全体を広域で上から見下ろしている画面がそこにある。

 

「”仲間の居場所を吐け。どの位置に何人隠れている?”」

「・・・・・・!」

 敵兵は苦しそうに息を吐きながら押し黙った。

 人数はあっさりと吐いても、この質問に答えることには逡巡があるようだった。居場所をこちら側に知られることが致命的な痛手であることを悟っているからだろう。

 

「”どうした? 5秒しか待たないと言ったはずだが”」

 カイルは脅しの言葉を続けながら、ナイフの切っ先で敵兵の褐色の頬をゆっくりと撫でている。頬から一筋の血が流れ落ちて地面に滴り落ちている。

 横から見ているだけでも、恐ろしいほどに無駄がない尋問だと思った・・・・・・たぶん、彼にとっては狙撃と同じぐらい手慣れた場面なんだろう。

 

 兵士は絶望と焦燥とを瞳の中に滲ませている。このまま黙秘を続ければ、目の前にいる無慈悲な死神の手によって、5秒後には確実に命が奪われることを悟ったようだった。 

「・・・・・・ア」

 ナイフの痛みに呻いたのか、何か喋ろうとしたのか、敵兵はついに口を開いた。それを見たカイルの能面のような顔が、一度だけまばたきして動揺を覗かせたように見えた。

 その直後、私の目に思いがけない光景が飛び込んできた。

 

______サグッッ

 カイルは自身で宣言した5秒を待つことすらしなかった。

 開かれた敵の口の中へ、ナイフを勢いよく突き込んでいた。

 まったく躊躇がない、何かに裏打ちされた強い意志を叩きつけているかのような一撃だった。

 鋭く研がれた刀身が、飲み込まれるように口の中に入っていき、一瞬後には切っ先が後頭部から飛び出すと、床に当たってその動きを止めた。

 

「カッ、ガガッ・・・・・・」

 ナイフで口腔内から脳天までを貫かれた中東系の若い男が、驚いたように目を見開く。

 その後コンマ何秒か経つと苦しそうにあえぐのだった。

 最初は自分の身に何が起こったかすらわからなかったが、後から遅れてそれを認識し、同時に痛みがやってきたという感じだった。

 その後カイルが、ねじ込んだ時と同じぐらい勢いよくナイフを引き抜くと、兵士の首から下の全身がビクリと痙攣した。そして口から噴水のように血を噴き出しながら、白目を剥いて絶命してしまった。

 

 カイルはこと切れた兵士の腹の上で、刀身についた血糊を敵の衣服に擦り付けて綺麗に拭き取ると、ナイフを腰に収めつつ、無表情のまま立ち上がった。

 

「・・・・・・ど、どうして!? そのヒト、何かを話そうとしていたんじゃ?」

 混乱してたまらず横から抗議する私の声を聞いても、カイルは相変わらずふてぶてしく、微塵も感情が動いていない様子だった。

 

「”奴の奥歯に、不自然な突起があった”」

「突起?」

「”むかし戦場で同じものを見た”」

 

 それはカイルが傭兵になる以前、アメリカ海兵隊にいた頃の話だった。

 海兵隊きっての優秀なスナイパーだった彼は、シリアという国の紛争地帯に何度も派遣され、その度に地獄のような経験をして生き延びたらしい。

 敵は古くからその地と宗教に根付く、死を恐れずに戦う過激派のテロリスト集団だったそうだ。

 地の利を活かしたゲリラ戦術によってあちこちから襲い掛かってくる敵を相手に、数で勝るはずの海兵隊は常に苦しめられていたと。

 

 仲間の居場所を吐かせるために、テロリストを拷問にかけることも日常的に行っていたらしい。

 だがテロリストたちは海兵隊に情報が漏れるのを良しとしなかった。

 そんな彼らがしばしば取った手段のひとつに「奥歯に異物を仕込む」というのがあったそうだ。

 それは体を縛られ口しか動かせない状態になっても、敵に一矢報いるための備えだった。

 ・・・・・・異物っていうのも色々あるらしくって、ほとんどは自殺をするための劇薬だったけど、中には何かを動かすスイッチを仕込んでいるテロリストもいたようだ。

 そのスイッチは、仲間に自分の位置を知らせる通信機だったり、一番ひどい時には体に隠し持った爆薬に繋がっていたんだと。

 

「”昔、同じ手口で仲間が死んだ。俺をかばったんだ。ガキの頃からつるんでた兄弟のような男だった”」

「それは・・・・・・辛かったですね」

「”だが俺の感情などどうでもいい。あの経験のおかげで、今を生き延びたというだけだ”」 

 

 カイルは個人的な感情など一切この場に持ち込んでいない。何が起きても、目的を達成しようとする強く冷徹な意志で動いているだけだ。

 ・・・・・・それに比べて私は脆すぎる。今までに多少なりとも培われた自信が内側から崩れ去っていくようだった。

 しょせん私は、セルリアンを狩るのが上手かっただけなんだ。

 

 今しがたの出来事を思い返す。

 正拳突きで敵の頭を粉々に打ち砕いた時、鮮血と肉片とが拳にびっしりとこびりついていた時の感触が。己の手でひとつの掛け替えのない命を奪った重みが。

 自我のないセルリアンに比べて、ヒトには自我も感情もある。歩んできた人生も、関わってきた他人もいる。ヒトを殺すことは、それらを一瞬でまるごと奪い取ることなんだ。

 それがこんなに恐ろしくて、心が壊れそうになる体験だなんて思わなかった。

 

 ヒトを守るためにセルリアンと戦ってきたのに、結局ヒトを殺すことになるなんて・・・・・・私は今までいったい何のために戦ってきたんだろう。

 

「”おい、アムールトラ”」

 カイルが振り返りもしないまま私に話かける。

 見ると彼は、今しがた殺したのとは別の兵士に近づいて腰を下ろしていた。私に顎を割られた奴で、今となってはこの場の唯一の生き残りだ。

 話すことが出来ない相手を拷問しても仕方がないと思ったのか、手慣れた素早い動きで意識のない兵士のヘルメットや装備を引っぺがし、手首と足首に拘束バンドを取り付けていた。

 

「”おまえは運が良い”」

 敵を縛り上げる作業を続けたまま、振り返りもせずにカイルが言葉を続ける。

 

「どういうことですか?」 

「”はじめてを済ませておけば、次からはもっと冷静になれる”」

 

 すべては慣れだ、とカイルは言った。

 何十回何百回と繰り返せば、ヒトを殺すという恐ろしい所業にだっていずれは慣れる。セルリアンと同じように考えられるようになる。

 現にそうしてきたであろう彼が言うのだから、紛れもない真実なんだと思う。

 いったい彼は、眉ひとつ動かさずにヒトを殺せるほどの非情さを身に着けるまでに、どれ程の地獄を味わってきたんだろうか・・・・・・

 

 今この場面において正しいのはカイルだ。

 誰が相手であっても、何が起きても、最善を尽くすためには彼のような非情さが必要なんだ。

 私だって相応の覚悟を決めてこの場に臨んでいるつもりだった・・・・・・だけど、本当に心の底から覚悟を決めている者を目の前にして、そんな浅はかな気持ちも見事に砕かれてしまうようだった。

 

(私は、私はいったいどうしたら・・・・・・)

 

 いま私の心の中には、ふたつの考えが互いに譲らずにせめぎ合っている。ふたつの強い気持ちに引っ張られて、心が真っ二つに裂けてしまいそうだった。

 

 ひとつは正義。

 私には「フレンズもヒトもみんなが夢を叶えられる世界を作りたい」という理想がある。

 ヒグラシ所長も、パンサーも、スプリングボックも・・・・・・みんながみんな、自分の夢を叶えて幸せになってほしい。彼らの幸せのために戦うのが私の正義なんだと思っている。

 だから私はカコさんの下で戦っていくと決めた。その決意は絶対に間違っていないはず。

 

 もうひとつは倫理。

「ヒトを殺してはいけない」という、他のすべてと天秤にかけても負けることがないような普遍的な規範だ。

 

 どちらを選ぶべきかは考えるまでもない。

 相手だって自分を殺そうとしているのだから、事ここに及んでは、倫理だの何だのと言っている場合じゃない。

 目的を達するために、そんなものは一刻も早く捨てなきゃいけないんだ。

 でも、それでも私は・・・・・・

 

「”行くぞ。見晴らしの良い場所を見つけて敵の位置を探る”」

「は、はい」

「”・・・・・・”」

 

 気のない返事をした私に、必要最小限のことしか喋らないカイルが言葉を続けることはなく、静かに立ち上がって銃を構えるだけだった。

 だがそれでも、私の迷いや恐れなんかはとっくに見抜かれてしまっているような気がした。

 

≪モシモシ! ウィザードだヨ! 2人とも聞いてる!?≫

 その場から動き出そうとしていた私とカイルの耳を、突如けたたましい声がつんざいた。

≪ヤバいヨ! ミーたち、敵に見つかってるみたいなんだヨ!≫

 

「そ、そんな!」

 ウィザードがいつものお道化た態度ではなく、本気で泣き叫んでいるような声で告げてくるのは、顔面が青ざめるほどに絶望的な知らせだった。

 

 カコさん率いる本隊がサラ・バートマン・ホールの地下から外に出ようとしていた矢先、どこかから敵の銃撃を受けたらしい。死者はいないが、先行していたチャラ兄弟の弟ギルが肩ごしに弾を食らい負傷してしまったという。

 

 ホール内の出口はまだ他にもあったため、迂回して別の場所から出ようと思ったが、案の定そこでも敵に補足され攻撃を受けているという。

 物陰に隠れながら、肉眼では捉えられないほど遠くにいる敵の銃撃を耐え忍んでいるが、それもいつまで持つかわからない状況らしい。

 

 どういうことなんだ。

 敵が私たちに向かって攻めてくるならまだわかる。すでに地上に出ていて、どこで姿が見られているかわからないのだから。

 だけど、地下に潜みながら動いていたカコさん達の動きを読んで攻撃してくるなんて、いったい何が起きてるっていうんだ。

 

 考えられる可能性が二つある、とウィザードは言った。

 ひとつは、監視カメラの類でこっちの動きが筒抜けになってるのか。

 もしくは最初から待ち伏せされてたのか。

 

≪でも、どっちもあり得るはずないんだヨ≫

 彼は可能性を示唆しておいて、早くもそれらを自分で取り下げてしまった。

 まず監視カメラについてだが、この施設内の電源は最初から落ちており、そういった電子機器の類は動かすことすら不可能であると。

 それに待ち伏せの可能性も低い。敵は最初、戦闘ヘリでこちらを追い回してきたのだから。

 はじめから自分たちの存在を教えてしまっては、待ち伏せをする意味なんて全くない。

 

「だったらどうして!?」

≪全然見当も付かないヨ、どうしてこうもこっちの動きが・・・・・・!≫

 

「”簡単なことだと思うがな”」

 狼狽える私とウィザードをよそに、あくまでも冷静なカイルが言葉を差し挟む。

 

「”どうやら敵に恐ろしく優秀なスカウトがいる”」

≪優秀って、何がどう優秀なんだヨ?≫

「”単に目や耳が冴えてるのか、はたまた何か特殊なセンサーを使っているのかはわからんが”、俺たちの想像を超えてるのは確かだ”」

 

 スカウト・・・・・・隠れ潜みながら敵の居場所を探り、仲間に教える者。つまり今の私たちと同じ。

 カイルが言っているのは実に単純なことだった。

 私たちよりも敵のほうが上手だったから今の事態を招いてしまっている。ただそれだけ。

 

「”スカウトを見つけ出して始末する・・・・・・他に手はない”」

 そう静かに告げるカイルの黒づくめの背中には、これまで見た中で一番の、まるで凍った炎のような殺気と覚悟が立ち上っているようだった。

 

≪ああ早いとこ頼むヨ! この状況はアンタらにしか打開できないヨ!≫

「”・・・・・・ところで、お前が動かしていたユニットはどこにある?”」

 

 私もカイルと同じことが気になった。こうして私たちが会話出来ている以上、まだユニットの中継は生きている。姿が見えないが、壊れたりしていないのは確かだろう。

 

≪ああ・・・・・・悪いがアンタらがいる建物の屋上に置き去りにしちゃってる。操縦する余裕がないモンでね、ユニットのセンサー類を使いたいならアンタらが回収してくれヨ≫

 

「”屋上に向かうぞ”」

 そう言うと、彼は再び足音も立てずに走り出す。覚悟を背負うその背中が、後ろにいる私のことなんか放ったまま、みるみるうちに遠ざかっていくような気がした。

 

 ジレンマに引き裂かれそうな体を引きずるように足を動かし、何とか彼の後に続いた。

 縛りあげた兵士が1人と、三つの死体とが横たわる広い講堂を抜け、暗闇に包まれた廊下から階段へと抜け出た。

 

「あの、カイルさん・・・・・・!」

 カイルは重そうな銃を背負いながらもまるで疲れを見せずに階段を駆け上がっていく。その後ろ姿を追いながら声をかけてみる。

 

「さっき敵の人数を聞いてましたよね? 敵は何人いると?」

「”人間は総勢91名・・・・・・フレンズは1人だけだそうだ”」

 

 91名というのは、軍事的な単位で言う所の、おおよそ2小隊程の人数で襲ってきたということになる。

 私たちが5人減らしたから、今は86名になった。

 それでもカコさんとチームジョーカーは合わせて6人しかいないから、まだ全然敵の方が多い。カイルはこうして別行動を取っているし、ウィザードは非戦闘員だから実質4人だ。

 たとえジョーカーの1人1人が強いにしても、20倍以上もの人数差で攻め込まれたらひとたまりもないのは想像に難くない。

 

 だが逆にフレンズはたった1人だけなのか。

 散り散りになっているとはいえ、こっちには私も含めて3人ものフレンズがいることを考えると、拍子抜けするような気持ちになる。

 だいいち、パンサーもスプリングボックも百戦錬磨の強者なんだ。2人と力を合わせることさえ出来れば、どんなフレンズが相手でもまず負けないような気がする。

 

 ・・・・・・いや、侮ってはいけない。たった1人ということは、その1人さえいれば十分だと向こうが判断しているからなんだ。

 たった1人いれば事足りるような圧倒的な戦力を持ったフレンズに違いない。

 じゃあやっぱり、ここに来ているのは・・・・・・クズリ? それとも私が知らない物凄い奴がいるんだろうか?

 

 いくつもの回廊を通り過ぎ、月明かりが差し込む薄暗い階段を登り切った先、風が吹きすさぶ講堂ビルの屋上へと辿り着く。

 辺りに立ち並ぶ背が低い建物を一望できる高さだ。建物の向こうに生い茂っている木々や、テーブルマウンテンを中心とした壮大な山脈が、月夜に照らされて黒いシルエットを形作っている。

 ここからなら、ケープタウン大学の敷地内の全てを見渡せる。スカウトをするのにも、カイルが狙撃をするのにも打ってつけの拠点だ。やっぱりこの建物を手に入れて正解だった。

 

「”屋上に着いた。ユニットの光学迷彩をオフにしろ”」

≪わ、わかったヨ!≫

 

 ウィザードが返事をした途端、私たちの十数メートル先にある、何の変哲もないコンクリートの地面の一部が歪み、ガラス玉と化して周囲に溶け込んでいた青い機体が姿を現す。

 電源は付いているが、まったく操作されずにただ床に横たわっていた。

 

「”低く進め”」

 そう言うとカイルは、膝が地面に着きそうなぐらい中腰に丸まって前進を始めた。そうするのはもちろん敵から身を隠すためだ。

 屋上をぐるっと取り囲むフェンスから体がはみ出ないようにさえしてしまえば、辺りで最も高いこの建物にいる私たちの姿を目で捉えるのは不可能だった。

 

 ユニットが落ちている所まで辿り着くと、2人して地面に膝をついたまましばし沈黙した。一刻も早く辺りを偵察しないといけないとは思うけど、そのためにはフェンスから身を乗り出す必要がある。

 もし敵が、カコさん達と同じように私たちの居場所にも勘付いているなら・・・・・・今の私がやるべきことはひとつだ。

 ふたたび”意の世界”へと潜り込んで、相手の位置と出方を読んでやるんだ。

 己に命じるように念じながら、呼吸を落ち着かせて目を閉じた。

 

「”待て、先に確かめることがある”」

 その矢先、私の意図を察したカイルが声をかけて止めてきた。そうしてどこからともなく何かを取り出して、受け取るように顎で促してきた。

 手のひらに余る大きさのそれは、重たくはないが決して軽くもなく、固くゴツゴツした感触を手に伝えてくる。

 

「こ、これは・・・・・・」

 私が受け取ったのは、カイルが先ほど敵から剥ぎ取ったフルフェイスのヘルメットだった。

 そして彼自身の手にも、もうひとつ同様のものが携えられていた。

 

「”合図したら上に掲げろ”」

「わ、わざと見つかる気ですか?」

「”もう見つかっている。だから敵のお手並みを拝見させてもらう・・・・・・落とすなよ”」

 

 有無を言わせぬ態度で告げるカイルに流されるまま「いちにのさん」の掛け声に従って、しゃがんだ姿勢のままヘルメットを真上に突き上げた。

 

 もし敵がこちらを見張っているのなら、ふたつのヘルメットがフェンスからはみ出ているのが見えるだろう。それを私たちの頭だと見間違うはず・・・・・・その後何が起きるかは考えるまでもない。

 心臓をバク付かせながら、その時が訪れるのを静かに待った。

 

______・・・・・・ガィィンッッ!!

 頭の上で火花が弾け、手にしたヘルメットから電流のような衝撃が伝わってくる。

「くっ!」

 思わずヘルメットをその場に落としそうになってしまうのをギリギリで堪える。予想はしていたものの、やっぱり肝を冷やさずにはいられない。

 ・・・・・・どうやら、ヘルメットごしに敵の銃撃を食らった右手は無事なようだ。振動以外の感覚は伝わってはこない。

 ヘルメットの内側に右手がすっぽりとおさまるように、首に留めるバンドを握って持っていたから当たり前なのかもしれないが。

 

「”見せろ”」

 再び手を下ろすと、そのままカイルと顔を突き合わせ、それぞれの手に持ったヘルメットを見比べてみる。

 黒く滑らかな表面からは、ほんのり焦げ臭い火薬の匂いがした。そしてたった一か所だけ、明らかに弾痕だとわかる凹みが出来ていた・・・・・・でもそれだけだ。ヘルメットの原型はまったく保たれているし、このまま身に着けることだって問題なく出来るだろう。

 

「”どう思う?”」

「・・・・・・こんな頑丈に出来てるとは思いませんでした」

「”お前が強すぎるだけだ”」

 

 最新式の軍用ヘルメットは、数種類の強化繊維を何層にも編み込んで作られており、弾丸を当たり前に防いでしまうという。それを粉々にするには対物ライフルでも使わない限りは不可能だと。

 じゃあ、私の拳は対物ライフルと同じぐらいの威力があるってことか・・・・・・つくづくヒトに向けて放っていい代物ではなかった。

 

「”そんなことより弾痕の位置を比べてみろ”」

 言われた通りにふたつのヘルメットを見比べてみる。私のヘルメットには、丁度こめかみにあたる側面に弾痕が付いている。

 一方でカイルのそれには、額のど真ん中に跡が残っている。

 

「”・・・・・・いつの間にか、袋のネズミだ”」

 

 私たちはふたつのヘルメットを、同じタイミング、同じ角度、同じ高さで掲げた。敵はほぼ同時にそれらを狙い撃ってきた。

 たった一発だけ、狙い済ました一撃を・・・・・・にもかかわらず、ヘルメットの着弾位置はまったく違う。

 別々の場所に潜む別々の敵から狙い撃ちされたんだ。

 

 複数の地点にいる敵に、私たちの動きが読まれている。

 それに同時に仕掛けてきたことを考えると、私たちがどのタイミングでどう動くか、別々の場所にいながら、細かいことまで共有し合っているんだろう。

 

 例の「恐ろしく優秀なスカウト」が指示を出しているってことか・・・・・・一体何者なんだ。

 ヘルメットを掲げてから撃たれるまでほんの数秒ほどだったのに、複数の地点にいる仲間に指示を出して狙い撃ちさせるなんて、辺り一帯で起きていることをすべて把握していない限りは出来ることじゃない。

 まるで百個も千個も目が付いているような相手だ。

 

 それに、こっちの動きがあまりにも読まれ過ぎている。

 例のスカウトは私たちの今の動きを読んでいるだけでなく、未来に起こることまでも予知しているんじゃないか・・・・・・そんなあり得ないことすら考えてしまう。

 

≪まったく、ミーたちと同じことになってるじゃないかヨ!≫

 ウィザードが言うには、カコさん達もまた、物陰から顔を出してはすぐにどこかから攻撃を受けてしまっており、動こうにも動けないジリ貧状態に陥っているという。

 今は敵も離れた所から牽制してくるだけだが、このままでは距離を詰められて本格的な銃撃戦になってもおかしくない、と。

 

≪言っちゃ悪いけど、アンタら全然役に立ってないヨ!≫

 

 ウィザードの物言いは腹立たしかったが、彼の言う通りだから口答えすることは出来なかった。

 スカウトとして敵の位置を見つけて知らせるのが私たちの役目だったのに、まったく情報をつかめず、逆に見つけられてしまっている有様だ。

 

「”これから役に立ってやる”」

 表情一つ変えないカイルが、手首に括り付けたスマートフォンを外して何やら操作を始めた。

 

≪何をしようってんダ?≫

「”ウィザード、ユニットの電波の出力を最大にしろ、なるべく広い周波数帯域でな」

≪・・・・・・あ! その手があったカ!≫

 

 床に横たわるナビゲーションユニットの、緑色に光るふたつの目がチカチカと明滅している。

 カイルの意図を読み取ったウィザードが何らかの操作を始めたようだ。

 

 さっぱり訳が分からずにカイルのスマートフォンに目を移すと、先ほどまで周囲を上から見た地図を映していた画面が別のものに切り替わっていた。

 何とも言えない変な映像だ。複雑な光の揺らぎが波のように絶えず画面の中で揺れ動いている。

 

「”周囲の電波を可視化した。これでスカウトを見つけ出す”」

 簡単にいえば、これは音波の代わりに電波を使ったレーダーなんだそうだ。

 ユニットから強い電波を放ち、それに共鳴した他の電波の位置を探っているらしい。

 スカウトは常に仲間と通信し、指示を出している・・・・・・つまりは敵の中で一番多く電波のやり取りをしている存在と考えて間違いない。

 だから電波レーダーでおおよその位置が割り出せるだろうとのことだ。

 

≪こんなデカい花火を上げてたら普通はマズいんだけどさ、もう見つかってるから関係ないんだよネ。むしろこっちが有利だヨ≫

「どういうこと?」

≪ヒソヒソ声で相談してる奴らの耳元を、大声で塞いでやれるんだからネ!≫

 

 スマートフォンに映る光の波は、相変わらず生き物みたいにうねり続けている。

 カイルはしばらくそれを息を飲んで見守り続けていたが、しばらくして「”あっちだ”」とつぶやき、しゃがんだまま体の向きを変えて指を差した。

 ・・・・・・といっても、他と変わらずにフェンスに囲まれた夜空があるだけで、眼下に何があるかはわからない。

 

「”このレーダーでわかるのは大まかな方向だけだ”」

 そう言いながらカイルは私に目配せしてきた。寡黙な彼は、身振りで済む内容を言葉にすることはない。

(私の出番だ)

 彼に倣って無言で頷いて目を閉じ、意識を深く虚空の中に潜らせた。

 

 ”意”だけが走る冷たくて音のない世界は、さっきスマートフォンに映っていた無数の光の波を思い起こさせる。

 こうして見ると、電波と”意”はよく似ていると思う。

 目に見える決まった形はなく、どこにでも存在しており、どんなに離れた場所にも瞬時に届いてしまう・・・・・・そんな性質が両者には共通して備わっている。

 

 かたやヒトの文明を根底から支えているテクノロジーの産物。

 かたや「揺らぎ」などと曖昧にしか言い表せない、私が修業によって獲得した概念。

 まったく別物であるはずなのに、こうまで似ているのは何故なんだろう。

 

 もし電波のことに詳しい学者か何かに会うことが出来たなら、そのヒトに聞いてみたい。

 電波とは何なのか? その成り立ちや仕組み、ヒトはそれをどうやって認識し生活に役立てているのか? そういったことを根掘り葉掘り尋ねてみたい。

 

 そう思うのは、私自身の修業のためだ。

 電波のことが理解できれば”意”のことも、まったく別の切り口から理解することが出来るかもしれない。

 この冷たく音のない”意”の世界がどういう法則で成り立っているのか何もわかっていない。ただ偶然に入れるようになっただけ。

 そんな私がここで出来ることと言えば、立ち尽くして感覚を研ぎ澄ませることと、ひとつの目標に狙いを付けて、自らを体当たりさせる”勁脈打ち”を放つことしかない。

 

 でも、この世界のことを今よりも深く理解したならば、他のことだって出来るようになるかもしれない。

 もしかすると”勁脈打ち”を超える技を身に着けることだって可能なんじゃ・・・・・・?

 

______ドプンッ

 底なし沼を思わせるような深く暗い場所に、余すところなく光が走査して不定形な地形を描き出すと、直前まで脳裏にあった思考や感情がすべて途切れた。

 この世界での私に思考はほとんどなく、他のすべての”意”を探る感覚しか持ち得ていない。

 

 ・・・・・・そして光を見た。カイルが指さしていたはずの方向に、あらゆる障害物を透過して、赤黒い殺気を走らせる敵の”意”が、たったひとつだけ浮かび上がっていた。

 

「はあ・・・はあ・・・」

「”スカウトはどこだ?”」

 

 現実に意識を戻すと、待ちかねた様子のカイルがスマートフォンを差し出してくる。

 額から出る汗をぬぐいながら、画面に移されている俯瞰図と、今しがた”意”の世界で見た映像を照らし合わせるように指でなぞってみる。

 カイルは私の指の動きに合わせて画面を動かし、図を拡大して範囲を少しずつ狭めていった。

 

「ここ! この建物です!」

「”・・・・・・そうか”」

 

 そこは礼拝堂だという。宗教建築であることを示す、屋根の頂点にある巨大な十字架が”意”の世界でも印象的に映っていた。

 辺りに比べて特別大きな建物ではなく、スカウトが偵察に使う場所としては考えにくかったが、今しがた私が赤黒い”意”を見たのはこの場所に違いなかった。

 

「”ここから南にざっと1キロ弱。かなり遠いが、俺なら当てられる。あっちの弾に当たらなければだが”」

≪あー・・・・・・はいはい、わかってるヨ!≫

 カイルが横たわったナビゲーションユニットに近寄り、意味ありげにジロリと見下ろすと、籍を切ったようにウィザードが返事をした。

 

≪ボクに囮をやれって言うんだロ? 確かにこのマシンなら出来るヨ≫

「でもウィザード、今は敵から逃げてて操縦が出来ないんじゃなかったの?」

≪・・・・・・それが行き止まりに追い詰められちゃっててネ、これ以上は逃げることも無理そうヨ。だったら最後の大博打をやるのも悪かないサ≫

 

 大出力の電波を発している今、ナビゲーションユニットは敵のセンサー上でとても目立つ存在になっている。そんな状態で敵が待ち受けている場所に飛び込めば格好の的になってしまう。

 だがそれは逆に言い換えれば、敵から注意を逸らし、カイルが狙撃をする隙を作ることが出来るということ。

 さらにユニットは透明になる機能もある。いくらセンサー上で目立っていても、目で見えなくてはそうそう弾は当たらない。

 

「”最後まで付き合わなくていい。ある程度敵を引き付けたらユニットを離脱させろ”」

≪・・・・・・そんなんでエエの?≫

「”ユニットの電波攪乱で本隊を支援しに行け。後のことは自分で何とかする”」

 

 カイルはその言葉を最後に会話を打ち切り、ライフルの薬室に弾を込めはじめていた。

 ウィザードはその様子を見て溜息交じりに「OK」と返事をする。2人の中では完全に、最後の攻勢に打って出る覚悟が決まったようだった。

 

 ・・・・・・2人の覚悟に置いてけぼりにされそうな気持ちになる。いまだに命を奪うことへの恐怖心が拳と心臓とに染みついている。

 私は2人よりも確実に真剣さが足りていない。この場にいる資格さえないような気がする。

 いいかげんに私は変わらなきゃいけない。迷いに囚われている場合じゃない。

 たとえ師匠から受け継いだ空手をヒトの血で汚すことになったとしても、今この場にいる以上は目の前のことにベストを尽くさなきゃいけないはずだ。

 

「待ってください・・・・・・スカウトは私が倒しに行きます。カイルさんは私を援護してください」

 口にしてしまえば事態が動き出す。気持ちが追いつかなくても、後から追い付いてみせる。

 今の私にはそうするより他に前に進む方法はないような気がした。

 

「”捨て鉢になってるのか? 死ぬぞ?”」

「信じてください! そうした方が良いはずです」

 

 なんの考えもなしに言ってるわけじゃない。

 ウィザードが囮になり、カイルが狙撃をする作戦では、私はただ持て余されているだけ。今は3人の能力をフルに発揮するべき局面なんだから、接近戦しか能がない私は前に出るべきなんだ。

 

 いかに神業のようなカイルの狙撃でも、万一失敗したら後がない。

 しかし、私が仕留めに行って失敗したとしても、カイルの狙撃がカバーしてくれる。二段構えで攻めることで成功率を少しでも上げられるはずだ。

 それに、接近して襲ってくる私の姿を目にすれば、敵はそっちに注意を向けざるを得ない。透明なユニットよりも遥かに目立つ囮になる。

 ・・・・・・私ならきっと大丈夫だ。銃なんかじゃこの体を貫けやしない。

 

「”いいだろう”」

 すっかり準備を整えたカイルが、愛用の狙撃ライフルを腕に携えながら答えた。鬼に金棒、死神に鎌。そんな絵面だ。

「”噂に高いお前の力を見せてみろ”」

 

 そう。私はセルリアン相手なら”最強の養殖”とまで呼ばれたフレンズなんだ。

 例えヒトが相手でも、絶対にしくじったりするもんか。

 

 ナビゲーションユニットを小脇に抱えながら、フェンスを乗り越えようと手を掛けた。ウィザードの操縦で地上に降りるよりも、私が持って飛び降りた方が早いからだ。 

 後ろで待機しているカイルの鋭い視線を感じながら、ゆっくりと息を吐く。

 

「あの、カイルさん」

 集中力が高まっていく一方で、後ろ髪を引かれるような気持ちが生まれ、振り返らずに彼に話しかけた。

「あなたは何を信じて戦っているんですか?」

 純粋な疑問だった。理想のために人殺しに手を染めるしかないのが私の運命だとしたら、その道の先輩である彼の考えを是非とも知りたかった。

 

「”俺には夢や信念などない。お前みたいにピュアじゃないし、ミセス・久留生のような育ちの良いお嬢様とも違う”」

 長い会話にはならないことを察したカイルが気前よく質問に答えてくれた。

「”・・・・・・そんな俺でも、ただひとつだけ確かだと信じていることがあるとすれば”」

 

「なんですか?」

「”戦争がこの世界から無くなることはない。力の足りない奴は、金で力を買ってでも戦争をしようとする。だから俺は、食いっぱぐれたことがない”」

 

 カイルの生き様がその言葉にすべて現れていた。

 彼は傭兵。理想も感傷も持ちえない。ただ金だけを対価に求めて己の命を銃火に晒す。まるで野生動物みたいにシンプルな生き方だ。 

 肉食獣は己が食べるために得物を狩る。カイルは報酬を得る為に戦場で敵を殺す。

 そこに何も違いはない。傭兵という生き方は、ヒトの原始的なあり方に近いのかもしれない。 

 ・・・・・・動物として生まれた私が、ヒトに野生を感じることになるとは、いよいよ動物失格、なのかもしれないな。

 

(でも、待てよ・・・・・・そうか、そういうことだったんだ)

 

 苦笑で話を終えようとしていた私の脳裏に、突然に糸がほどけるように一本筋が通った考えが去来した。

 生きている限り、ヒトも動物も殺すことからは逃れられないんだ。

 長年の疑問が解けた。

 野生知らずの私が、今ようやく「野生」とはなんなのかを理解できた。

 

「行ってきます。参考になりました」

 そうカイルに答えるや否や、勢いよく屋上から飛び降りた。

 地面から離れた足とは対照的に、ふわふわと寄る辺なく漂っていた私の心が、強固な足場に乗ったような気がした。

 

 

______ズシィィンッッ!!

 講堂ビルの屋上から飛び降りると、眼下にある古ぼけた建物のひとつに着地した。

 瓦で出来た屋根を突き破り、フローリングの床に深々と両足がめり込んでいた。屋根も床も、衝撃を和らげてくれるありがたいクッションだ。

 地面にそのまま落ちるよりもダメージははるかに少ない。

 

≪ヘイ、大丈夫かアムールトラ? 何十メートルも落ちただロ?≫

 小脇に抱えたナビゲーションユニットから、私の身を案じるウィザードの声が聞こえる。彼もまたユニットのモニターごしに、さぞ怖い落下映像を見たことだろうな。

 

「落ち方にもコツがあるんだ、私は落ちるの慣れてるし。あ、でもヒトがやったら死んじゃうからマネしちゃだめだよ」

≪するワケねーダロ・・・・・・で、これからユーはどーすんノ?≫

「もちろん、すぐに行くよ」

 

 今しがた屋根に空けた穴から月明かりが降り注ぎ、そんなに広くもない建物の中を頼りなく照らしている。

 薄暗闇の中、目を凝らして室内を見回してみる。散乱する机と椅子。食べ物の腐敗臭・・・・・・例によってヒトの生活の痕跡がありありと残る廃墟だった。窓がいくつかあるようだったが、内側にあるブラインドが閉じ切っており、外の様子は何もわからない。

 ほどなくして、木製の古ぼけたドアらしき物が目に映る。 

 どこをどう進めば辿り着くかはすでにシミュレーション済み。あそこをくぐれば後は礼拝堂を目指すだけだ。

 

「ここからは別行動だよ」と、言いながらユニットを床に置き、緑色に光るセンサーごしに私を見ているウィザードに呼びかける。

 今のユニットは透明にもなっていなければ、電波も出していない。それらはバッテリー消費が激しいから、今後の役割のことを考えると無駄遣いは出来ないという理由からだ。

 

「私が出てからこっそりと動いてくれ。そして早くカコさん達のところへ」

≪そのドアを開けた瞬間、ユーねらい撃ちされちまうヨ・・・・・・≫

「大丈夫だから」

 

 そう言うやいなや、躊躇なくドアを開け放ち建物の外に踊り出た。

(・・・・・・思った通りだ)

 無数の鋭い殺気が空間を歪ませる揺らぎとなり、刺すように私を貫いている。

 ひどく直線的なそれらは、どこから来てどこに抜けるのかを前もって伝えてくれるようだった。

 

≪危ないッ!!≫

______ヒュンヒュンヒュンッ!

 

 ウィザードの悲鳴に覆いかぶさるように弾丸の風切り音が飛来する。数発の弾丸が、先刻見た揺らぎを寸分も違わずになぞりながら飛んでくる。

 まずは足、その次は胸に数発。最後に頭。

 全部食らえば、私でも致命傷を負うかもしれないな・・・・・・だが、しかし。

 

≪た、弾がすり抜けた!? どうなっとんノ?≫

 

 すり抜けた、とは大袈裟な言い方だ。彼の目からはそう見えたのかもしれないけど、飛んでくる所がわかってたから最小限の動きで躱しただけだ。相手の”意”を読むのは私の基本なんだから。

 ・・・・・・だけど、ここまではっきりと読めたのは初めてかもしれない。

 

≪アムールトラ、ユーってマジでめっちゃんこ強いんやな! まるでケンシロウみたいジャン!≫

「・・・ケンシ・・・誰?」

≪ケンシロウは日本の超フェーマスなコミックの主人公で・・・・・・ま、それはともかく、ここはもう全部任せるヨ。ユーとカイルにネ!≫

 納得した声で返事をしながら、透明なナビゲーションユニットが建物から飛び出し、そのまま闇夜に溶けるように消え去っていった。

 

 私は私で、あらかじめ決めていた道のりに向かって全速力で駆け出す。

 石畳の道を走る私を、入り組んだ建物の密集地帯に陣取った敵兵が銃撃してきた。上から、あるいは側面や背後から狙ってくる無数の殺意が鮮明に感じ取れる。

 速度を落とさないまま、あらかじめ読んだ弾道に合わせてジグザグに走行し、ことごとくを躱しながら走り続ける。

 

 そして私のはるか後方、ビルの屋上からカイルが援護してくれている様子もわかる。

 すでに何人かの敵兵が彼に狙撃されて倒されている。冷酷な一撃でもって敵を狙い仕留める殺気は、他よりも際立って強烈でまがまがしい。

 カイルの異名は”なんとかの悪夢”だってウィザードが言ってたっけ。まさしく敵対する者にとっては悪夢のような男だ。金次第では彼が敵に回っていたかもしれないと思うと恐ろしい。

 

 ただ前だけを見て走る私は、見もせずに、聞きもせずに、周囲で起きていることが手に取るようにわかる。

 今までにないぐらいに感覚が冴え切っている。

 たぶんそれは、殺すことに向き合い始めたから・・・・・・生き物が発する殺気というものの本質がわかったからだ。

 

 立つこと。息をすること。食べること。寝ること・・・・・・生き物の基本的な営み。殺すこともそれらに連なるひとつ。

 その事実を自覚できた今、私は確実に前よりも成長することができた。

 

 殺すことは、本当なら善悪で語れるようなことじゃないんだ。

 それでもヒトは考える頭があるから、殺すことに倫理や法といったブレーキを駆けるようになった。ヒトの中で生まれた私も当たり前にそれに従ってきた。

 もちろん倫理や法は大事だ。野生から進化したヒトがその中で勝ち取ることが出来た、まさしく掛け替えのない財産だと思う。

 

 だけど・・・・・・いかに発達した文明でも、生きている限りは、殺すことと無関係ではいられない。

 肉食獣が草食獣を狩るように、また草食獣が草を食むように。命はどこまでも廻るように出来ているのだから。

 

 パンサーの悩みだって、今なら心の底から共感できる。

 元は野生の肉食獣として、本能のまま草食獣を狩って暮らしていたが、フレンズ化を境にヒトの倫理の中で生きるようになり、倫理と本能との間で苦しんでいるんだ。

 ・・・・・・じゃあパンサーに比べて、今までの私はどうだった?

 私がヒトから与えられてきた食糧は、どこかで誰かに殺された命。

 それを自覚しないまま、美味しい美味しいと、何も考えずに頬張ってきた・・・・・・そっちの方がよっぽど残酷で、命に対して不誠実だ。

 今こそ本当に命の重みと向き合わなくちゃいけない。生き物として正しくあるために。

 

 決意を胸に秘めたまま狭い路地を走り抜け、開けた広場のような一角に踊り出た。礼拝堂はもう目と鼻の先にある。

(・・・・・・なんでこんなに静かなんだ) 

 敵の攻撃がピタリと止んでしまっている。さっきまで私を執拗に狙い続けていた銃口ごしの殺意がひとつも感じられない。

 

 本当なら、戦術の要であるスカウトが潜んでいる礼拝堂を守るために、今まで以上に敵兵が集まっていて、いっそう激しい攻撃を浴びせてくるはずなのに、1人もいないなんておかしい。

 カイルが何人か倒してくれたとは思うが、いかに彼の狙撃でも数十名もの敵兵をこんな短時間で仕留められるはずがない。

 

 まさかスカウトに逃げられたのか、と頭の中に疑念が広がらざるを得なかった。

 礼拝堂はもはや目と鼻の先。せっかく辿り着いたのにお目当てがいないんじゃ、作戦も台無しだ。引き返して作戦を立て直すしかなくなる。

 

 スカウトが今も礼拝堂の中にいるかどうかは、ここからじゃ確かめようがない。今の研ぎ澄まされた感覚をもってしても、殺意を向けて来ない相手の居場所はわからないんだ。

 なぜならば、スカウトは仲間に連絡をするのが仕事なんだ。本当に自分の身に危険が及ぶまでは敵に銃を向けることもないはず。

 

(クソ・・・・・・考えるのは後だ)

 今はともかく礼拝堂に突入するしかない。中に押し入ってスカウトがいれば仕留める。いなければカイルに報告してすぐに立ち去る。私にできるのはそれだけ。

 

 赤レンガで作られた十数メートルぐらいの礼拝堂。

 三角形の屋根のすぐ真下に、複雑な模様が彫られた楕円形のガラス窓が見える・・・・・・あそこなら突入するのにちょうどいい。

 

 ジャンプして、ガラス窓を突き破り、中にいるスカウトに拳を叩きこむ。

 カイルが狙撃をする時のように、これから自分がやろうとしている動きのイメージを脳裏に何回も焼き付ける・・・・・・後はその通りに動くだけ。

 私はトラ。密林に潜んで狙いを定め、獲物を狩るために一瞬にすべてを賭ける肉食獣。銃は使わないけれど、生まれついてのスナイパーだ。

 

______パリィンッッ!!

 

 イメージに従うまま、あらかじめ決めていたタイミングで地面を蹴って飛び出そうと踏み込んだ瞬間、それは起こった。

(な、何だと!?)

 私が狙いを定めていたガラス窓が吹き飛んだ。

 ガラスの破片が建物の外にパラパラと飛散している。そのことから、カイルが窓を狙撃したわけじゃないのは一目瞭然だ。

 礼拝堂の中から”何か”が飛び出してきたんだ。

 

「はっ!?」

 

 黒い影が、目にもとまらぬ速さで私の真上を横切って飛び去っていくのを感じた。

 急いで足を止めて後ろを振り向き、立ち並ぶ背の低い建物の上を飛翔する影を目で追った。

 

(そんな・・・・・・まさかあれは)

 

 放射状に広がる大きくて美しい黒い翼は、この明るい月夜の支配者であるかのように、これ以上ないぐらいの存在感を放っている。

 かつての戦いの日々で、常に私を導き続けてくれた、傍にいると誰よりも安心できたその姿。

 

 懐かしい記憶と、今しがた見ているシルエットが完璧に重なる。

 私にはそれですべての合点がいってしまった。

 敵方のフレンズは1人だと聞いている。90余名の敵兵に交じって、彼女はたった1人この場に召集され、スカウトとして私たちを追い詰めていたんだ。

 

 こちらの動きがことごとく読まれてしまうことも、いま私がこうしてドンピシャなタイミングで出し抜かれたことも、彼女が相手であるならば当然そうなると思った。

 恐ろしく優秀なスカウト・・・・・・本当にカイルが言った通りだった。彼女以上のスカウトなんて、私は他に知らない。

 

 ネコ科の夜目で何百メートルも先の夜空を鮮明に捉えた先には、黒い翼が一直線で後方に向かっている姿が見えた。

 ついさっきまで私がいた、辺りの建物より図抜けて高い講堂ビルの屋上を目指している。

 

 屋上から、いくつもの火線が薙ぎ払うように夜空に向かって打ち上げられる。

 カイルが、空から襲い来る敵の接近に気付き、狙撃ライフルからサブマシンガンに持ち替えて迎撃を試みているようだ。

 

 しかし黒い翼は、飛翔する速さはそのままに、跳ね返るように激しく軌道を変えて銃撃をすべて躱した。

 そのまま屋上に勢いよく接近すると、黒づくめの人影を抱えあげて、すぐさまゆっくりと浮き上がるように再び上昇を始めた。

 

「やめて・・・・・・そのヒトを殺さないで」

 

 広い夜空の中央で、宙吊りにされたカイルが手足をばたつかせて足掻いているのが見える。

 まるでその場にいない私に見せつけているように、その絶望的な有様が月明かりに照らし出されている。いかに悪夢のごとき腕前のスナイパーでも、空中で羽交い絞めにされては手の打ちようがない。

 勝負はもうついてしまった。

 

「メガバット! やめろおおおおっっ!!」

 

 割れるような大声を夜空に響かせてその名を呼び、猛スピードで来た道を戻る。翼のない生き物に生まれたことをこんなに恨めしく思ったことはないかもしれない。

 必死に走る私を嘲笑うかのように、メガバットは躊躇なく、羽交い絞めにした手を離した。

 

 真っ逆さまに、月明かりすら届かない奈落へ落ちていく影。

 耳を澄ませると、砕けちるような液体の落下音がうっすらと聴こえるような気がした。

(カイル・・・そんな・・・)

 私のせいだ。下に降りるなんて言い出さなければ、今も屋上に残っていれば、こんなにことにはならなかった。

 

 絶望的な気持ちでふたたび夜空を見上げる。

 放射状の翼を広げて大空に佇むその姿が、今度こそはっきりと良く見える。彼女もまた、真正面から対峙するように、高い空の上から、閉じられた瞳で私を見下ろしている。

 

 メガバット・・・・・・かつての私の上司。

 目が見えないながらも、異常に鋭い聴覚と優秀な頭脳を持ち、その場に起きている出来事を瞬時に聞き分けて把握する能力を持っている。

 あのクズリすらも完全に従えてしまうほどのフレンズ。

 

 彼女は私の命を何度も救ってくれた。ためになるアドバイスをいくつもしてくれた。静かな夜、二人で語り明かし、世界の美しさを共有し合った。

 これまで出会ったフレンズの中で、もっとも信頼と親愛とを感じていた・・・・・・ずっと再会したかった友達。

 そんな彼女が、最大の敵として立ちはだかっていた。

 

 to be continued・・・

 

 




_______________Cast________________
 
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種 
「アムールトラ」
哺乳綱・コウモリ目・オオコウモリ科・オオコウモリ属
「インドオオコウモリ(俗称メガバット)」

_______________Human cast ________________

「ウィザード(本名不明)」
年齢:30代半ば 性別:男 職業:フリーランス・ブラックハッカー
「カイル・ファウスト(Kyle Faust)」
享年37歳 性別:男 職業:民間軍事会社アダムズインターナショナル構成員

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴
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