「メガバット、何をした!?」
「・・・・・・中々いい作戦だったとは思いますわ。たった今まで、大音量により私の聴覚は封じられていましたわ。ですが”未来を聴く”力によって、あなた方がどう出るかはすでに読めていた。私ではなくカコ・クリュウの奪還を優先するということも」
「耳が聴こえなくなったなら、君にはスプリングボックの接近がわからないはずだ! いったいどうやって攻撃を!?」
「ええ、だからもうひとつの力を使って罠を仕掛けていましたのよ・・・・・・その二本角の子は見事にそれに引っかかりましたわ」
「そんなバカな・・・・・・”先にある力”がふたつあるなんて聞いたことないぞ!」
「ふふふっ。シベリアン、どうやらあなたは、まだ”ひとつ目”止まりですのね」
かつてメガバットの下で戦っていた頃、彼女は野生解放のことも”先にある力”のことも詳しく教えてくれた。当時は野生解放すら出来なかった私にとって、それは非常にためになるアドバイスだったことを覚えている。
今だって一言一句思い出せる。
フレンズは戦いを繰り返すうちに、自分の体のリミッターの外し方を自然に覚えていく。自分の体がどうしたら一番よく動くかを理解し、それを信じることでリミッターは外れる。それが野生解放と呼ばれる現象だ。
そして”先にある力”と呼ばれる超常の力・・・・・・それがフレンズの体に宿るのは、己の動きの根幹となる一番強い感情を悟り、それを徹底的に磨き上げた時だと。
言葉にすると難しいけれど、数多の戦いを経て自分なりに成長した今になって思い返すと、的確に真実を捉えた内容だったと感じる。
メガバットは私が知る限り、フレンズに秘められた能力の仕組みに関しては他の誰よりも深い造詣を持っている。
「そう・・・・・・フレンズの”先にある力”は進化しますのよ」
そんな彼女の口から今、新たな真実が告げられた。
最初に発動した”ひとつ目”の能力は、使うたびに成長していく。それがある段階に達した時、幹から枝が分かれるようにして、より高次の能力である”ふたつ目”が分化するというのだ。
ひとつ目の能力を下敷きにして発現したふたつ目は、ひとつ目の純粋な上位互換であるか、もしくは密接に関連した内容になるという。
その言葉を信じるならば、私の勁脈打ちにも進化形があることになる。
今回の作戦でも薄々感じていたことではある。あの冷たい世界の中で、何か別のことが出来るんじゃないかって。
「あなた、スパイダー・モンキーを覚えていますわよね」
「・・・・・・あの子がどうした?」
「聞いた話では、彼女もふたつ目の能力をすでに習得しているそうですわ。いっぽうでウルヴァリンはあなたと同じで、まだひとつ目で止まっていると聞きます。私が思うに、フレンズにとって大事なのは、腕力や戦闘技術ではなく、己の活かし方を心得ているかどうかなんですのよ・・・・・・先にある力もそれに付随する。まさしく彼女がいい手本ですわね」
そうか。スパイダーがそんなにも成長しているのか・・・・・・あの子、ノリは軽いし腰も低かったから、いっけん頼りないように見えたけれど、実際はメガバットに匹敵するほどに賢くて、かなりの度胸と行動力がある子だった。
彼女の有能さにはクズリも一目置いていて、爆弾のように暴れるクズリと奇妙なコンビを組んでいたのを覚えている。
そして私もずいぶん世話になった。
今思うと、あの子は意図的に自分を弱く見せていたように見える。その方が面倒が回ってこなくて、生き残る確率が上がるって考えたからなんだろうな・・・・・・。
だけど、そんなことは最早どうでもいい。スパイダーの名を聞いて懐かしさに浸っている場合じゃない
昔の仲間は今はもうみんな敵なんだ。スパイダーもそのうち恐ろしい敵として立ちはだかってくると思った方がいいだろう。望まない再会が今後も私を待っている。
「後はまかせて、スプリングボック」
私がやるべきことは、敵から今の仲間を守ることだ。
そう頭に何度も刻みながら、腕の中で浅い呼吸を繰り返す血まみれの彼女を地面に降ろそうとしたその時。
「まだだぁぁぁっっ!!」
私の腕の中で、息も絶え絶えだったはずのスプリングボックが吼えた。
そして私を突き飛ばすようにして地面に転がると、槍を地面に突き刺して、それにしがみ付きながら、満身創痍の体を持ち上げるようにゆっくりと立ってみせた。
腹部の出血はなおも止まっていない。傍目からはとても戦いを続けられる状態とは思えない。
それでも彼女は今までよりもいっそう激しく闘志を燃やしていた。
「まだ戦えるゥゥッ!」
「む、無茶だ! スプリングボック!」
「うるさいッ、うおおおおっっっ!!」
私の制止を振り切って絶叫するスプリングボックの目が、眩い金色の炎に覆われる。いったいどうするつもりなんだ?
野生解放をしてみせた所で、メガバット相手に有利になれるわけじゃないだろうに、彼女の怒気は一歩も引かないどころか、さっきよりもなお強固な意志をもって、猪突猛進に前に進もうとしている。
______ジュウウッッ・・・・・・
(あ、熱い!?)
炎に炙られているような高熱が、周囲の空間に広がり始めるのを感じた。両腕を交差させて熱から体を庇いながら、皮膚を焦がすようなそれの出どころを探る。
その中心にいるのはスプリングボックだった。
彼女の体は全身が白熱化していて、輪郭さえ定かじゃなくなっていた。
「何をしてるんだ!?」
野生解放の勢いが一定のレベルまで高まると、瞳を満たす金色の光が漏れ出してフレンズの全身を覆うようになる。戦闘慣れしたフレンズに稀に見られる現象だった。
・・・・・・だけど今のスプリングボックの様子は、それとは似て非なる物のように見える。
なぜなら、野生解放の光はただ眩しいだけなんだ。今のスプリングボックのように実際に高熱を発することはあり得ないはず。
「はあっ、はあっ」
炎と熱とが急速にかき消えていった。すると途端にスプリングボックが肩で息をする姿が露になった。
だいぶ息は上がっているものの、先ほどと変わらない気勢を取り戻し、ふたたびメガバット目掛けて槍を突き上げて構えた。
「・・・・・・どうだ!? 貴様の攻撃など私はまったく効いていない!」
「だ、大丈夫なの!?」
彼女の腹部から吹きこぼれていたはずの流血がピタリと止まっている。先ほどメガバットに負わされた傷を完治させたように見える。
たしかに野生解放はフレンズのあらゆる能力を高めることが出来る。傷を癒す早さだって、何もしていない時の数倍にはなるだろう。
だがそれでも、あんな深手を一瞬で塞ぐことは出来ないはずだ。
・・・・・・そういえば、さっきから肉が焦げたようなにおいがツンと鼻をついている。
もしかすると、今の高熱はスプリングボックの能力なのだろうか? 熱で傷口を焼くことで出血を止めてみせたということなのか?
______パチパチパチ・・・・・・
空中から私たちを見下ろすメガバットが「すばらしいですわ」と、スプリングボックに向けて賛辞を送っていた。乾いた拍手の音をしばらく空洞の中に響き渡らせると、やがて拍手をやめて静寂をその場に作り出した。
「あのネコ科の子といい、あなたといい、すでにひとつ目の能力は手にしているようですわね。あなた方はきっと、パークが擁するフレンズの中ではトップクラスなのでしょう・・・・・・さすがはカコ・クリュウの護衛に選ばれるだけのことはありますわ」
「それで、その炎の能力で私を攻撃はしませんの? 傷を塞いだだけで終わり?」
「うるさい! 卑劣な手品など私には必要ない!」
「そう・・・・・・どうやらあなたはまだ能力を自在に使えないようですわね。確実に形になりつつあるのに、あと一歩の掘り下げが足りないのかしら・・・・・・あのネコ科の子、あなたの相棒は能力を自在に使いこなしていたというのに」
スプリングボックの能力は結局謎のままで終わった。おそらくは熱や炎に関係したものなんじゃないかということしかわからない。
彼女は能力をまだ使うことが出来ないのか、あえて使わないだけなのかも不明だ。
パンサーと同じように一発逆転ができるような切り札を持っているんじゃないかと思ったのに、アテが外れたような気持ちにならざるを得なかった。
なお悪いことに、今のスプリングボックは完全に冷静さを失っている。
メガバットの目論見通りに、張り巡らされた謎の罠の中にふたたび無為無策で突っ込もうとしているようにしか見えない。
メガバットの二つ目の能力とは?
どうやってスプリングボックにカコさんの姿を自分だと誤認させたのか?
その謎を解かないことには、また同じことが起こるだけだ。
メガバットは短絡的に突っ込んで勝てるような相手じゃない。
一刻も早く上にいるカコさんを助けなきゃいけないのはわかっている・・・・・・だけど今の私たちには、頭を捻って打開策を考えるしかないんだ。
「スプリングボック、ともかく落ち着いてもう一度作戦を考えるんだ!」
「くっ! 貴様はそれしか言えないんですか!? 私はあのコウモリが許せない! ものすごくムカつく奴です! 私を嘲笑うように、余裕ぶっこいて歌なんて歌っていやがりました!」
「・・・・・・待って。メガバットは歌っていたのか? 鐘の音のせいで私には聴こえなかったよ」
「ええ確かに聴きましたとも! おまじないみたいな奴の声が耳に響いてきました。まったくバカにしている!」
メガバットについてひとつだけ良く知っていることがある。
それはこの世の物とは思えないぐらい美しい声をしていることだ。その声を聴いていると、なんともいえず心が落ち着いたことを覚えている。
かつてブラジルで一緒にハーベストマンを倒した時もそうだ。
あの声で、謎の呪文みたいな言葉を耳元で囁いてくれた。それを聴いていた私は、恐怖も不安も忘れて、自分の勝利を信じて集中することが出来た。
・・・・・・確証はないけれど、メガバットの声には何か特別な力があるんじゃないだろうか? その声を聴く者の心に働きかける力が。
「わかったぞ! メガバットの二つ目の力・・・・・・それは声なんだ! スプリングボック、君がメガバットをカコさんと見間違えたのは、メガバットが声の力で君に幻を見せたからなんだよ!」
「何ですって? そんな夢みたいなことが!」
「正解ですわ」と、上の方で、またも逆さまになってぶら下がっているメガバットが私に答えた。
「さすがにシベリアンは、一年も私と一緒にいただけあって察しがよろしいようね? 未来を”聴く力”と”聴かせる力”は表裏一体のもの・・・・・・むしろ、聴かせる力の方こそが私のひとつ目の能力なのでしてよ」
「聴かせる力だと・・・・・・? でも鐘の音のせいで他の音を聴くことも聴かせることも出来なかったはずだ」
「あなたは音という物の性質をわかっていませんわ。確かに、大音量でマスキングすれば、他の小さい音を隠すことは可能ね。しかし音そのものが消えるわけじゃありませんのよ? そして私の”特別な声”は、たとえ聴き取れていなくても、耳に入った時点で脳に作用する・・・・・・そっちの子が聴いた”歌”の正体はそれよ」
「・・・・・・くっ!」
立ち尽くし、歯噛みしながら思考を走らせる。
メガバットの技の正体はもうすっかりわかった。だけど、これからどうしたらいい? 謎を暴いた所で、攻略する手立てがなければどうにもならない。
「アムールトラ、私はもう一度行きます。貴様は例の技で、また鐘を鳴らしなさい!」
「無茶だ。鐘の音でメガバットの耳は塞げても、声は封じられないよ」
「・・・・・・考えがあるんです!」
謎の自信に満ちたスプリングボックが、私の言葉を打ち切るように、我が意を得たりと大声で叫んだ。
その直後、彼女は驚きの行動を取る。己の両耳に人差し指をねじ込んでみせたのだ。
「スプリングボック、まさか!?」
「声が聴こえないようにすればいいだけでしょうがッ!!」
______グチュッ
躊躇なく突き込まれた指が、やがて引き抜かれると、スプリングボックの指先にはべっとりと血が付いていた。
彼女は鼓膜を破ることで、自らの聴覚を封じてみせたのだ。
「ぐうッッ!」
「な、なんてことを!」
自らが与えた激痛に、スプリングボックはたまらず前かがみになってしゃがみ込む・・・・・・しかしその数秒後には真っ直ぐ立ち上がり、強い闘志と決意を秘めた瞳で上にいるメガバットを睨み付けてみせた。
このアフリカの猛戦士は、どんなに傷ついても、自分が絶命するその瞬間まで戦意が折れることなどないのだろう。
「さあッ! これでもう卑劣な手品は効きません。勝負です!」
「どこまで扱い易い子なのかしら」
時計塔の頂点を目指して、三度スプリングボックが飛び上がった。
そして上の方にある数少ない足場を飛び移りながらメガバットに攻撃を繰り返しているが、もちろんすべて躱されてしまっている。
状況は私がこの時計塔に足を踏み入れた時と一緒だった。まったく振り出しに戻ってしまったように見える。
・・・・・・いや、それよりもずっと悪い。傷口を焼いて塞いだとはいえ、何度も何度もダメージを負わされたスプリングボックの体力は限界に近いだろう。気力と根性で何とか持たせているようだけど、いつ倒れてしまってもおかしくない。
スプリングボックも自分でそれがわかっているから、体力が尽きる前にメガバットを倒そうと我武者羅な攻撃を仕掛けている。
攻撃が躱されるたび、空振りした槍の穂先が、辺りに張り巡らされたパイプとか色んな部品に当たっていた。それによって歯車なんかの細かい部品がバラバラと宙を舞った。
この戦いが続けば続くほど、時計塔の内部が破壊されていく。
このままでは、カコさんを吊り下げている文字盤の傍のパイプが壊れるのもそう遠くないはず。
それにしてもメガバットの飛行のなんと器用なことだろう。
スプリングボックの攻撃をヒラヒラと躱しながら、部品が複雑に張り巡らされる空間を縫うように飛び回っている。
・・・・・・ただ、広げた翼が巨大すぎるせいで、時折こすれるぐらいに部品と接触したりはしているようだった。
(もう、勁脈打ちに賭けるしかない)
そう決心した私は、先ほどと同じように、上から下まで通じている時計塔の要である金属のシャフトに手を触れた。
スプリングボックにはまた鐘を鳴らすように言われたし、確かに鳴らせば有利になれるけど、この期に及んで満身創痍の彼女に戦いを任せっきりにすることは間違っている。
いま私が打つべきなのは鐘なんかじゃない。メガバットだ。
これまでで一番当てるのが難しい目標であることを直感した。
自分の技だからわかる。勁脈打ちは決して万能の必殺技なんかじゃない。桁違いの破壊力を持ってはいるが、同時に無視することのできない致命的な弱点をも抱えている。
それは空中にいる相手には当てることが出来ないということだ。
勁脈打ちは物質が持つ揺らぎの中に”意”という波を起こして調和を打ち砕く技だ。しかし物質の中を伝搬する”意”にとって、空中はただの無であり、行き止まりでしかない。
だから今のメガバットのように、空中にいる相手を”意”で打つことは叶わない。
メガバットに勁脈打ちを当てられるのは、ヒラヒラと飛び回る彼女の翼ないし体の一部が、時計塔内部の部品に触れた瞬間だけだ。
その時ばかりは”意”を通すための道が開かれるだろう。
チャンスはいつ訪れるかわからない。狙えるタイミングは一瞬・・・・・・でもきっとやってみせる。あるかなしかの刹那の時を打ち抜くことに全てを賭ける。それこそが私の真髄。
思えば、このケープタウン大学での戦いは私を大きく成長させてくれた。
いままで私は、ゲンシ師匠が授けてくれた技と思想だけを頼りに戦ってきた。野生を知らずに育ったせいで、トラとしての自分に自信が持てなかったからだ。
・・・・・・しかし私はついに一線を越え、自分の意志でヒトを殺害してしまった。
それは師匠の面影に依存する私のヤワな内面を打ち砕くのに十分過ぎる経験だった。
そんな私を救ってくれたのは、孤高の狙撃手カイルとの出会いだった。
彼の生き様と言葉が、野生とは何なのかを、命を奪いながら生きている生き物の元来の在り方を自覚させてくれた。
ヒトに与えられた物、トラとして生まれ持った物・・・・・・私を形作るふたつの核が、完全にひとつに合わさっている。
今の私なら、これまでで最高の一撃が放てる。なんとなくそんな予感がする。
______ドプンッ
深い暗闇の中に意識が潜っていく。
形のある物体のすべてがいったん分解され、揺らぐ輪郭を暗闇の中に描き出す。
この世界は有と無の連なりによって出来ている。有の形がわかれば、それに切り抜かれるようにして、無もまた姿を現す。
広がる無の中を、ふたつの形無き魂が素早く交錯している。
スプリングボックとメガバットの戦いは、目で見るのとそう変わりない様相だった。
まず目に映ったのは、まるでスプリングボックそのものであるかのように、真っ赤な炎を纏わせながら白くかがやく魂だ。
火の玉は激しく眩く燃え盛りながら、メガバットを討ち取るために、ひと時も休むことなく直線的に動き続けている。
一方のメガバットは、魂の形になっても変わらず軽やかで曲線的な動きをしていたが、魂の色彩がスプリングボックとはまるで異なるものだった。
光がまるで感じられない、得体の知れない影のような塊だった。それは黒いようでもあり、紫や深緑のようにも見える・・・・・・ずっと前に見た、放射能に汚染された海の色によく似ている。
この醜い塊が、あの美しいメガバットなのか? どうしてこんな色をしているんだ・・・・・・? いったいどんな人生を送ったりすれば、魂はあんな闇色を宿すようになるんだろう。
思えば私はメガバットのことを何も知らない。
彼女がどこで生まれて、何をして生きてきたのか。どんなことを考えてこの先を生きようとしているのか。
(・・・知りたい・・・)
この世界に入れば、論理的な思考はやがて途切れる。
私の”揺らぎ”は直前まで考えていた行動を実行することしか出来なくなる。
メガバットを狙撃することだけを考えていたはずだったのに、いつの間にか別のことに思考がすり替わってしまった。
彼女のことをもっと知りたい、と・・・・・・それが思考が溶ける前に最後に考えたことだった。
(し、しくじった!?)
私としたことが、無意識のうちに雑念を入り込ませてしまった。
こうなったら勁脈打ちはもう失敗だ。波を起こすことは叶わず、強制的に現実に引き戻されてしまうだろう。
______フォンッッ
しかし、自分でも想像だにしていない方向へと”揺らぎ”が向かい始めた。
現実に戻るどころか”意”の世界の奥底に、いっそう潜航していった。深く深く潜った先、やがて有と無の境界へと辿り着いていた。
異変はそれだけにとどまらなかった。
有と無の連なりで形づくられる世界において、本来ならば有の中だけしか動けないはずの揺らぎが、境界をすり抜けて無の中へ降り立ち、さらに魂のように浮上を始めていた。
これはもう勁脈打ちじゃない。技の理から外れた別の何かだ。
禍々しくうごめくメガバットの魂めがけて、私の揺らぎが一直線に登っていくのがわかる。彼女との距離がどんどん近くなる。
・・・・・・私は何をやろうとしているんだろう。自分の行動なのにまったく先が読めない。
ただひとつ「知りたい」という意志だけ、それだけが私のすべてになったみたいに、最初からそうすることを決めていたように、闇色の彼女の中に溶けていった。
願いがかなった瞬間、私の揺らぎは意志さえも消えて完全な無となった。
◇
______ザァァァァ・・・ザプンッ・・・
「シベリアン? こんな夜更けに何か用かしら?」
≪ちょっと気になってさ。メガバット、君も海が好きなの?≫
(・・・なんなんだ・・・これは)
とつぜんに意識と思考が取り戻された。そこは私の理解と想像をはるかに超えた世界だった。
視界は暗黒そのものだった。だけど、その代わりに耳から聴こえる情報量は、それを補って余りある豊かさだった。
砕ける波の一つ一つが、そよ風に揺れる木の枝の一本一本の動きと形が耳の中に感じ取れる。目で見るのと代わりないぐらい鮮明で美しい情景が思い浮かぶ。
・・・・・・そう、これは確かガジュマルという樹木だ。
ブラジルの西海岸沿いによく生えていたもので、私はこの大きな樹の根本で座禅を組むのが好きだった。音しか聴こえないのに、記憶の中の姿形とピタリと重なるようだった。
「ふふっ、会うなり妙なことを訊きますわね」
≪君はいつも海の近くの木にぶら下がって寝てるでしょ。どうしてなのかなって思ったんだ≫
私らしき声が外から聴こえてきて、それに対して私自身が言葉を返している。
だけど、私の口から放たれる声も口調も、すべてメガバットのものだった。話す言葉の一言一句さえも、あらかじめ自分の考えであるかのようにごく自然に出てきている。
メガバットの思考も感情も・・・・・・彼女の心のうちにしかないはずの情報が絶え間なく流れ込んでくる。
それを何の疑問も持たずに自分の物だと認識できてしまっている。
まるで自分がアムールトラであることさえ忘れてしまいそうだった。
メガバットの体を借りた私は、ガジュマルの樹の枝に逆さまにぶら下がりながら、根本に座っている”シベリアン”と会話を続けている。
どうやらこの体は指一本たりとも私の自由には動かせないらしい。彼女の自我をなぞることしか出来ないようだ。
「まあ、確かに好きですわ。海から聴こえる数えきれない程の音は、地球が生命を育んでいる現象そのものですもの。心が洗われますわね」
≪やっぱりそうなんだ。目で見ても、耳で聴いても、海はきれいなんだね≫
「あなた・・・・・・前から思っていましたが、きれいって言葉を乱用しがちな傾向がありますのね」
(この会話、知ってる)
情報の濁流に翻弄されながらも、なんとか自我を保つために一旦冷静になって思考を働かせた。
ブラジルの部隊にいた時分、私とメガバットはよく2人でガジュマルの樹のそばで夜を過ごした・・・・・・私は樹の根本で彼女を見上げて話しかけていた。
いま私はメガバットの視点から、ブラジルの思い出を追体験しているというのか。
(間違いない。いま私は、メガバットの記憶の中にいる)
______ドクンッ!
とつぜんに海辺の情景が消し飛ばされた。
それといっしょに粉々になった私の意識が、まるでガジュマルの樹のように複雑に入り組んだ神経回路の中を、分散と集合とを繰り返しながら登っていった。
知らない記憶と感情が早回しに巻き戻されていく。
私の意識はいま完全にメガバットと同一化を果たした。
(ネオ・ワン。おまえに新たな指令を下す。全身全霊で遂行するのだ・・・・・・果たせぬ時は、わかっているな?)
男の声が聞こえる。
頭の中に埋め込まれた機械を通して、いつでもどこででも絶えず命令してきて”私”を思うがままに操ろうとする声だ。
男は”私”の創造者、マスターだった。ただのオオコウモリからフレンズへと生まれ変わった瞬間から”私”の血も肉もすべてを支配する存在だった・・・・・・生命活動のすべては、あの男の利益へと還元されるように仕組まれている。”私”はマスターの道具、いや部品として作られた。
僅かな自由も、それを願う意志すらも許されていなかった。
生きててもいいことなんか何もない、とマスターの声を聞くたび思った。
彼を憎み、己の運命を呪った。
命ぜられるがまま常に何者かと戦わされていた。セルリアンだけじゃなく、ヒトも大勢殺した。すべてはマスターの利益のため。
それを可能にするだけの英才教育も詰め込まれるだけ詰め込まれた。
絶望の中で生きるうちに、だんだん感情が色褪せてきて、自分が生きているのか死んでいるのかわからなくなっていた。
与えられた役目をどうやって果たせばいいか、ただそれだけを考えようとした。
そんな”私”にもたったひとつだけ、人生の喜びと呼べるものがあった。
それは戦いの中で、敵を「詰ませる」こと。それにいたる手順を見つけた瞬間だ。
将棋やチェス、ヒトが生み出したボードゲームは”私”にとって理想の世界だ。
目が見えないから実際に体験したことはなく、その概念を人づてに聞いて知っていただけではあったが・・・・・・
作戦を立てて駒を動かし、思考が及ぶ限り相手の出方を先読みして妨害し、最後には相手を詰ませる。目的と行動、そして結末までが一貫して繋がっている。
極限まで無駄がない、美しい思考の世界。
いつしか”私”は自分自身を盤上の駒になぞらえて、人生のすべてをボードゲームのように考えるようになった。
戦いの中で「詰み」だけを偏執的に求め続けた。
こちらの読み通りに状況が動き、敵が詰んだ瞬間”私”の心は歓喜で高ぶった。
やがてそんな”私”の精神性に呼応するように、フレンズの”先にある力”が発現した。
最初に手にしたのは、特殊な音波を聴かせて相手の思考に働きかけ、こちらに都合のいい行動を誘発する「偽りの未来を聴かせる」力だ。
その後しばらくしてから、相手の心音を聴き取ることで、相手が近い未来にどのような行動を取るかを予測する「未来を聴く」力も手に入れた。
ふたつの能力の発現によって”私”の戦闘能力は極限まで高められた。Cフォースが擁する特殊生物兵器フレンズの中でも、最高級の実力があるとの太鼓判を押されるに至った。
やがて”私”の頭脳や能力は、近接戦闘要員ではなく、むしろ指揮官向きであるとマスターによって判断され、だんだんと他のフレンズの指揮を命ぜられる機会が増えていった。
案の定、そこでも”私”の能力は多いに役立った。
それぞれに性格も能力も違う部下を動かして敵を「詰ませる」のは、本当にボードゲームみたいだった。まさしく指揮官こそが”私”の天職なのだろうと思った。
戦いに勝つたび、頭の中からマスターの新たな指示が下される。
いつか命を落とすその瞬間まで”私”が盤上から降りることはないのだろう。
(そうか・・・・・・これがメガバットの半生だったんだね)
メガバットの記憶の中から、何とか”アムールトラ”の自我を寄せ集めて思いにふける。彼女の気持ちが自分の物であるかのように感じて、寂しくて空しくなってくる。それでもすべてを知ったわけではない。
だって「頭の中から声が聞こえる」なんておかしいじゃないか。メガバットの体はどうなってるんだ?
(マスターとは何者だ? メガバットの、創造者・・・・・・とは)
考え事をする間もなく、寄せ集めた自我が光になって分解され、また枝分かれする回路の中を走るようになった。
より深淵へと光が潜っていく。近い過去ではなく、さらに遠い過去へと記憶がさかのぼる。
Cフォースの人造フレンズは、どこかから集めた動物の死体を材料にして研究所で生み出され、セルリアンと戦える実力が身に付くまではそこで訓練を受けるんだ。
メガバットにも研究所で過ごした時期がある。それが今から見るものだろう。
______ゴウンッッ・・・・・・
それまで音によって形成されていた暗闇の世界に、突如光が現れる。
耳ではなく目で見て認識する世界がそこにあるのだった。
銀色の人工的な照明が照らし出すのは、あちこちに複雑な基盤が走る不気味な部屋。
その中央にある台座に、黒い翼を背中に生やした”私”がいて、いくつもの拘束に縛り付けられていて身動きが取れなくなっていた。
「やめて! やめてください!」
≪ネオ・ワン、お前に拒否する権利などない≫
男の立体映像が”私”の傍に現れる。
白衣を着た金髪碧眼の男は、老年だが背が高く整った容姿であり、その片眼鏡の奥の眼光は得体のしれない迫力に満ちていた。
この男こそが”私”のマスター。Cフォースの最高指導者であるグレン・ヴェスパーそのヒトだ。
≪安心するがいい、シミュレーションの結果、90%以上の確率で成功と出ている≫
あらかじめ聞いていた内容についてもう一度説明を受ける。
フレンズの肉体はヒトをはるかに凌駕する可塑性を持っている。脳細胞もその例に漏れない。
脳を変異させるための手っ取り早い方法として、ひとつの感覚を遮断することが挙げられる。
ある感覚が失われれば、それを補うために別の感覚が異常発達するというのだ。
そして”私”の場合は、視覚を犠牲にして聴覚を発達させるというプランニングが成された。
そう・・・・・・”私”はオオコウモリのフレンズ。
元々は目が見えていたのだ。
視覚に頼らず聴覚でのエコーロケーションを行うのはココウモリであり、オオコウモリは他の多くの哺乳類と変わらず、視覚に頼って生きている動物だ。
それでも遺伝的に共通する部分が多いために、後天的な施術によってココウモリに近づけることが可能と考えられた。
オオコウモリは、エコーロケーションが出来ないのを補うために、ココウモリに比べて飛翔速度や旋回能力が格段に優れているという。
つまりマスターはオオコウモリの飛行能力とココウモリの聴覚の良いとこどりをしようと目論んでいたのだ。
しかし・・・・・・そんな説明を受けた所で、納得することなど出来るはずもない。
ただただマスターのことを恐ろしく感じた。
彼は”私”を見ているようでいて見ていない。自分の頭の中にある段取りと会話しているだけだ。それだけがこの世で唯一価値のあるものだと思っている。
そして彼にとっては、その段取りを確立することの方が重要だったのだ。
何故ならば”私”はネオ・ワン・・・・・・数多の失敗作を経た後で、はじめて生み出された、Cフォースの人造フレンズ第一号なのだから。
マスターは”私”を人体実験の材料にすることで、後々に活かせるデータを取ることを目的にしていた。その結果”私”が死のうが構わないのだろう。
残虐な施術を行うのにあたって、マスターが人間的な躊躇を覗かせていたのなら、どれだけ慰めになっただろう。
ところが彼には何もない。”私”にとって、不純物のない絶望そのものだった。
(ああ・・・・・・何であの時、ご主人様と一緒に死ねなかったのかしら?)
絶望に直面しながら、動物だった頃の幸せな記憶を思い出す。
かつて”私”はヒトに飼われていた。
ご主人様は世界的な作曲家として知られた女性だったけど、同時にかなりの変わり者であり、数人の召使いだけを傍に置き、世俗を避けて田舎の豪邸に隠れ住んでいた。
彼女はいつもだだっ広い私室でピアノを弾くことだけに明け暮れていた。それを天井の片隅で聴くことが”私”の動物時代のほぼすべてだった。
オオコウモリは、ヒトに飼育されることなど滅多にないと聞いた。
しかしご主人様の独特な美的感覚は、数ある動物の中でも取り分け奇妙な、逆さまにぶら下がって生きている”私”の姿を見初めたらしい。
さまざまな絵画や陶芸品などの美術品と同じように”私”のことを大金を払って購入し、私室の調度品のひとつとして扱っていた。
ご主人様は”私”の世話などは、すべて召使いに任せっきりだったけど、それでも確かな幸せを教えてくれた。美しいピアノの音色を聴かせ続けてくれた。
そして”私”という存在もまた、彼女が作り出した美しい世界の一部なのだと思った。
美の中で生き続ける幸福を享受していた。
・・・・・・思えばフレンズになってからの”私”がボードゲームに関心を示し、戦いの中に「詰み」を求める暗い衝動を見出したのは、ご主人様が弾き鳴らしていたピアノの音色を思い出していたからかもしれない。相手を「詰み」へと誘う戦術は、まるでピアノの譜面のようだ。一切の無駄のない完全な美しさを宿している。
だが、そんな”私”の生活は、ある日屋敷を襲った火災によってすべて破壊し尽された。
ご主人様の死にざまは壮絶だった。屋敷が崩れ落ちていくのも構わずに、最期の瞬間までピアノを弾き続けていた。それは己の美しい世界を守ろうとしているかのようであった。世界の一部である”私”を膝元に乗せながら・・・・・・
彼女の傍で美しいまま死ねる”私”はとても幸せだと思った。
しかし安らかな死が訪れることはなく、むしろそこからが生き地獄の始まりだった。
一夜明けてから、焼死した”私”の遺体は、焼け跡と化した屋敷の中からCフォースの手の者に見つけ出されてしまった。
グレン・ヴェスパーは”私”を人造フレンズとして蘇生させた。
______キュイイイ・・・・・・
薄暗い部屋の天井から、細長い金属のアームが降りてくる。
アームに取り付けられているのは、白い液体を充填した注射器だった。針の先端がゆっくりと、しかし確実に”私”の眼球に近づいてくる。
拘束された”私”には、顔をわずかにそむけることすら叶わない、そして。
______いやああああああっっ!!
____・・・・・・
(はっ!?)
割れるように大きな悲鳴が脳内に響き渡ると、それがきっかけであるかのように、目の前のすべての姿形が消失し、また別の形へと構成しなおされた。
目の中にふたたび光が宿り、月明かりを取り入れる薄暗い時計塔の内部を映しだした。
世界のすべてを描き出すほどに鋭敏だった聴覚は、ただその場の音を拾うだけの平凡な耳に戻っていた。
そして手も足も胴体も、一番見慣れた”アムールトラ”の形になっていた。
(な、なんだったんだ。私は何をしていたんだ?)
勁脈打ちを打とうと思っていたのに、私の”揺らぎ”がひとりでに漂い始めてメガバットの中に入り込み、彼女の記憶や感情を自分の事のように体験するという謎の現象を、自らの意志で発動させてしまった。
あまりにも異様な光景を見たせいで、自分が現実に戻って来たという実感すら湧かなかった。
(そうだ! 2人はどうなった!?)
「いやああああああっっ!!」
慌てて上を見上げると、メガバットが頭を抱えながら絶叫しているところだった。その悲鳴は私が今しがた、彼女の記憶の中で最後に聞いたものとまったく同じもののように思えた。
あの長く苦しい苦痛の時間から、ほんのわずかな時間しか経過してないことを悟った。
「くらいなさいっ!」
今まで一分の隙も見せなかったメガバットが突然に錯乱をはじめた瞬間を、スプリングボックは見逃さなかった。
前後不覚になっているメガバットに接近し、さっきの仕返しとばかりに腹部を二又槍で串刺しにすると、そのまま垂直に落下した。
______ドシィィンッッ!!
「ぐふっっ!」
数秒の後、穂先を突き刺されたままのメガバットの体が、張り巡らされたパイプや階段をへし折りながら地面に勢いよく落ちてくるのだった。
「・・・・・・うう、シベリアン・・・・・・あなた、いったい私に何をしましたの・・・・・・!?」
仰向けに倒れたメガバットは、私の姿を見つけると、口元からゴボゴボと血を流しながら必死の形相で詰問してきた。
「・・・・・・とつぜん私の頭の中に入ってきて・・・・・・おぞましい、誰にも知られたくない記憶を・・・・・・根こそぎ掘り返して・・・・・・!」
そうだったのか。メガバットもまた、私の”揺らぎ”が侵入していたことに気付いていたのか。
おそらくは私と一緒に己の過去を追体験し、トラウマがフラッシュバックして、それで・・・・・・
「わ、分からない。自分でも初めて出来た事なんだ」
「・・・・・・なるほど・・・・・・あなたの”ふたつ目の能力”の発現がはじまったということね・・・・・・あなた自身すら意図していなかったことを、私が読めるはずもない・・・・・・見事にやられましたわ・・・・・・」
メガバットは自分の身に起こったことに納得すると、やがて穏やかな自嘲的な笑みを浮かべながら天を仰いだ。
彼女の真上には槍を握りしめたスプリングボックが仁王立ちしているままだった。
「・・・・・・あなたも、大したガッツでしたわ。私の部下に欲しいぐらいね・・・・・・」
「ふん」
完全に負けを認め健闘を称えてくるメガバットに対して、スプリングボックは一言も答えない。
自ら鼓膜を破ったので声が聞こえていないだろうし、そもそも敵であるメガバットと交わすような言葉など持ち合わせていないのだろう。
「ふふふっ・・・・・・殺していいですわよ」
スプリングボックはその一言を気配で察したように、槍の穂先をメガバットの腹部から引き抜き、円を描くような巧みな槍捌きで、彼女の翼を両方とも付け根から瞬時に切断してみせた。
メガバットを万が一にも逃がさないという執念が感じられる追い打ちだ。
そして頭上に天高く槍を構えると「かくご」と低く唸った。
穂先が狙う先は明らかだった。メガバットの頭だ。
たとえフレンズであろうとも頭を破壊されれば即死するしかない。
(・・・・・・これでメガバットも終わりか)
かつての友が今の友に殺される瞬間を見るに絶えず、目を伏せて事が済む瞬間を待とうとした。
だけど、胸の中が嫌な気持ちでいっぱいで耐えられなかった。
ついさっきまでメガバットを一刻も早く排除しなくてはならないと思っていたのに・・・・・・カイルやギルを殺した、にっくき敵のはずなのに。
それでも、それでも私は・・・・・・
「やめてくれっっ!!」
気が付くと体が前に出ていて、メガバットを庇うように覆いかぶさっていた。ひゅうひゅうと今にも途絶えそうな彼女の浅い息遣いが耳元で聴こえる。
何でこんなことをしているのか自分でもよくわからない。理屈ではない熱が脳裏に走って私を突き動かしている。
メガバットに死んで欲しくない。それはかつての友だからというだけじゃない。
今となっては、彼女のこれまでの痛みも苦悩も、まるで自分のことのように感じられるからだ。
「・・・・・・アムールトラ!? 貴様、何をしているんです? まさかそいつを庇おうというのですか?」
「も、もうこれ以上やる必要ないだろ・・・・・・勝負は付いてるよ!」
「言い訳をしたって、今の私には聞こえませんよ!」
耳の聞こえないスプリングボックを説得するには・・・・・・と、一瞬思案したが、すぐに方法をひらめくことが出来た。
今の私たちには敵を倒すことよりも最優先の目標があるのだから。
「早くカコさんを助けようよ!」と、文字盤を貫くパイプに未だ吊り下げられている彼女を指さしながら叫んだ。
「・・・・・・ふん!」
さしものスプリングボックも、その提案には納得せざるを得なかったようだ。
憎々し気にそっぽを向くと、カコさんが吊り下げられている場所までひとっ跳びで飛び上がり、手錠を切り裂いて彼女を救出した。
そしてカコさんを抱えて地面に降りてきた後、スプリングボックは彼女の口元に貼られていたテープを剥がすのだった。
「ボス! しっかりしてください!」
「・・・・・・ええ。スプリングボック、アムールトラ、2人とも本当にありがとう。私なら平気よ」
カコさんは大変な目に遭ったというのに、すぐさま気丈な笑顔を見せてくれた。
しかし彼女の手首から先は、長時間手錠で吊り下げられていたことで、紫色にうっ血しており、いくつも擦り傷を負って血を流していた。
「カコさん!」と、彼女の無事が嬉しくて、私もそばに駆け寄ろうとした。
・・・・・・しかしスプリングボックがそれを阻んだ。
まるでカコさんを守るように立ちはだかっている。その目には、ついさっきまで私に向けてくれていた友情も信頼も無くなっていた。
「す、スプリングボック?」
「アムールトラ、私は貴様のことを見損ないましたよ。仲間を殺した奴を庇うなんて、正気の沙汰じゃない・・・・・・! まだCフォースへの未練があるということですか? ともかく、もう貴様に背中を預ける気にはなれません」
「おやめなさい」
しかしカコさんが仲裁に入った。スプリングボックの肩に紫色の傷だらけの手を置いて、嗜めるような表情で顔を横に振った。
「な? ボス!?」
「スプリングボック、あなたにいつも言っているはず。無駄に殺してはならないと。私たちは殺すのではなく救うために戦っているのだと・・・・・・だからここはアムールトラが正しいわ」
カコさんが私に同調していることを察したスプリングボックは、やり場のない怒りを堪えるように拳を握りしめてそれきり黙り込んだ。
「何とかまだ息があるようね」
カコさんは仰向けに倒れているメガバットに近づくと膝をついてしゃがみ、メガバットの額にそっと触れた。
クールで表情に乏しい彼女の目には、メガバットを慈しむような暖かい光が宿っている。ついさっき、自身をあれほどまでの危機に陥れた相手だというのに、恨みや敵意はまったく持っていないようだ。
彼女の強い意志はいかなる時でも揺らぐことがないということだろう。
「この子は捕虜として連れ帰ることにします」
メガバットの処遇が決定され、スプリングボックはいよいよ機嫌を損ねた。
戦いに勝ったことも、カコさんを無事に助けられたことも、すべて帳消しになるぐらいの不快感を持て余しているようだ。
無理もないよな・・・・・・スプリングボックは他の誰よりもパークの仲間を想っている。メガバットを許せと言われても簡単に許せるはずもない。
それでもボスであるカコさんへの忠誠心は変わらないのだろうけど、元Cフォースの私に対しては同じように思えないだろう。
私が彼女から失った信頼を取り戻すことは、かなり難しいことなのかもしれない。
メガバットには手錠だけがかけられ、私が彼女を負ぶって運ぶことになった。
カコさんとスプリングボックは一足先に時計塔の出口へ、私がここに入る時に破壊した扉へと向かっていた。
メガバットも含めて、今宵私たちを襲ってきたCフォースの刺客はすべて排除することができたはずだ。
後は当初の目的であるメディカルタワーの地下に潜入し、スーパーコンピューターを使ってCフォースのデータサーバーにハッキングを仕掛けるだけ。すでにウィザードたちが先行してハッキングを始めている頃だろう。
私たちも一刻も早く彼らに合流しなければならない。
「ボス! 早く乗ってください!」
「え、ええ。頼むわ。スプリングボック」
時計塔の外へ出た後、いら立ちが収まらないスプリングボックは、ぶっきらぼうな態度で、カコさんに背中に乗るように促した。
複雑な表情のカコさんを抱え上げた後、チラリと私の方を振り返り、疎んじるような瞳で一瞥すると、その場からあっという間に跳び去ってしまった。
私もすぐにスプリングボックたちの後を追い、粉々になっている扉をくぐって外へと出た。
永遠にその場から動かないように思えた夜の闇が段々と白み始めている。
もう夜明けが近いのか・・・・・・ケープタウン大学の敷地の向こうにある、雄大なテーブルマウンテンが、朝靄に切り抜かれて空との境界線を形作っていた。
「シベリアン・・・・・・なぜ今さら私を庇ったりしたのかしら?」
私の背中に力なくその身を預けるだけになったメガバットが耳元で囁いてくる。
彼女は自分の命が助かったことを別段に嬉しく思う素振りもなく、ただ冷めた口調で私のことを非難しているようだった。
「・・・・・・仲間の信頼を失うことぐらいわかっていたはず。あなた、せっかくCフォースから離れて、自分の居場所を見つけることが出来ましたのに・・・・・・」
「それでも君に生きていてほしいと思ったから」
「・・・・・・あなた、変わらないんですのね」
「ああ、そうさ」
けっきょく私は、必死に迷いながら、正しいと信じられる道を探すことしか出来ない。
ようやく選ぶことが出来た道だって、合ってるかどうかなんてわからない。
だけど、間違っていないことを証明したいから・・・・・・いまの自分に出来ることを精一杯やろうと思うんだ。
夜明けの近い空を見上げながら溜息をひとつ付くと、メガバットを背負う腕に力を込めながら、まっすぐに走り出した。
to be continued・・・
_______________Cast________________
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種
「アムールトラ」
哺乳綱・コウモリ目・オオコウモリ科・オオコウモリ属
「インドオオコウモリ(俗称メガバット)」
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・スプリングボック属
「スプリングボック」
_______________Human cast ________________
「久留生 果子(くりゅうかこ)」
年齢:26歳 性別:女 職業:国際的非政府組織「PARK」構成員 南アフリカ事業所代表
_______________The Power of Next (野生解放の先にある力)
「エコー・オブ・アルファ」
「エコー・オブ・オメガ」
使用者:メガバット
概要:ふたつの音の能力は、対を成す性質を持っている。アルファはそれを聴く者の中枢神経に作用して、感覚の鈍麻もしくは鋭敏化を自在に引き起こす幻惑音波。オメガは近距離にいる対象の近い未来における心拍音を観測する能力であり、優れた頭脳と組み合わせることで相手の手を先読みすることが可能となる。オメガは強力無比な未来予知能力であるが、メガバットは決して能力頼りにはならず、己の思考を補完する程度にしか解釈していない。また彼女が部下のフレンズを従えるようになってからは、周囲にいる対象に無差別に作用してしまうアルファの使い勝手は低下することになり、オメガだけを多用するようになるのであった。
_______________Story inspired by________________
“けものフレンズ” “けものフレンズ2”
byけものフレンズプロジェクト
“けものフレンズR”
by呪詛兄貴