「アムールトラ、ちゃっちゃと始めようゼ」
「うん」
VR訓練の準備はすでに整っている。
黒い棺桶のようなVRマシンが、基盤まみれの壁にはめ込まれるようにして屹立している。
背中を押し付けるようにして棺桶の中に体を預けると、無数の神経端子が内部から伸びてきて、ピタリピタリと私の体に吸着してきた。
背筋から首筋にかけて、また腕や脚の付け根など、体の動きの要となる部位にことごとく端子が張り付くと、マシンの蓋が重たい音を立てて閉じられるのだった。
(ああ・・・・・・これ、いやだな)
視界が暗黒に閉ざされる。
この狭苦しさも、神経端子の気色悪い感触も、かつて私が体験したものとまったく変わらない。何度経験しても背筋が寒くなる思いだ。
そんな中で最初に感じたのは、視界を覆いつくさんばかりの眩い光だった。
光の中、体のひとつひとつが粒子状に分解されていく。神経端子から放たれる電気信号が、私を仮想現実の世界へと連れていこうとしているんだ。
《やっぱし読み込みに時間かかってるナァ・・・・・・》
肉体の形をなくして意識だけを光の中に預けていると、どこかからウィザードの声が聞こえたので振り返ってみた。
そこにいたウィザードの姿ときたら、なかなかに恐ろし気なものだった。
0とか1みたいな記号が集まって蠢き、山のように巨大な彼の顔面を形作って虚空に浮かび上がっているのだ。
まるで記号のお化けだ。夢に出て来るんじゃないかと思うぐらい妙な迫力がある。
《並のVRの十数倍近く容量使ってるもんナ》
「・・・・・・と、ところで、大丈夫なの?」
《あん、何がだヨ?》
「このVRプログラム、Cフォースから盗んだって話だけど」
ウィザードのでかい生首に呆気に取られながらも、すぐさま我に帰って、気になったことを彼に問い詰めてみる。
このプログラムの存在はすでにCフォース側に知られていて、ひょっとしたら他のフレンズの訓練にも使われてしまっているんじゃないか・・・・・・と。
《ノンノン、それは心配いらないネ。ヒグラシせんせぇはそこらへんの対策はバッチリしてたヨ》
ウィザードが生首を左右に振りながら私の疑念を一笑に付した。
彼が言うには、ヒグラシ所長は自身が秘密裏に作ったVRプログラムを、およそ7000個ぐらいに小分けにしてCフォースのデータベース上にばら撒いていたんだそうな。それらは傍から見れば出所不明のデータの残骸にしか見えない程度の存在だった。
もちろんのこと、データが互いに関連していることは作成者である所長以外には知る由もない。
そして所長はCフォースにいた時分にプログラムを完全に完成させていたわけではなく、パークに来てからも開発を続けていたらしい。
ウィザードはこの時に所長と知り合い、依頼を受けて開発の手助けをしていたそうだ。
彼らが共同して作ったのは、7000個に分割されたファイルを再統合して構築し直すための基幹プログラムだったという。
パークにて新しく作った「骨組」と、Cフォースに残してきた「肉」が合わさることで、ようやくゲンシ師匠のVRプログラムが完全に仕上がったということらしかった。
《つまり半分はミーの作品でもあるわけサ。感謝しろヨ?≫
「・・・・・・うん、ありがとう」
______ザァァァァ・・・・・・
やがて光の鳴動が収まり、仮想現実世界が目の前に姿を現した。
そこは波が打ち付ける白い砂浜だった。海は闇を深く溶かし込んだような紺色で、表面だけに陽光を湛え、光の粒を無数に散らばらせている。
陸地には苔むした岩棚が切り立っており、その上には傘のように枝葉を広げた大きなマツの木が何本も生い茂っている・・・・・・見るからに風光明媚な景観だ。
ここは地球のどのあたりの海辺を再現したものなんだろう?
私が一番馴染みがあるのはブラジルの海だけど、あそこの海水はもっと淡い水色で、水面が透き通るような感じだったから全然違う。この海の紺色の深さはむしろ、ここ南アフリカに近いものがあるかもしれない。
そんなことを考えながら歩き出した矢先、自分の体に違和感を感じた。
歩くたびに変な衣擦れの音がする。お腹周りが強く締め付けられている。何か妙だと思った私は波打ち際に立って水面を覗き込み、映しだされた自分の姿を観察してみた。
(・・・・・・こ、これが私?)
私の体は今までとは違う姿へと変わっていた。
まず目を引くのが、トラのシンボルともいうべき縞模様が全身から消えていたことだった。
両手も両足も気味が悪いぐらいにツルっとした地肌が露出している。縞のない橙色の長髪はただただ艶やかに陽の光を反射するだけだ。
おまけに尻尾が無くなっている。腰から垂れていたはずのそれが、最初から影も形もないみたいだった。
ヒトに近いどころかヒトその物になった体を覆うのは、おなじみのスカートにブレザー姿ではなく、ダボッとした厚手の生地の衣服を一本の帯で止める道着だった。
なるほど、いかにも空手家って感じの風体になってる・・・・・・VRで見た目までこんなに弄られるのは初めてだ。けどこれはこれで悪い気はしない。
「コオオオッッ」
ためしに腹から息を絞り出し、腰を落として構えを取ってみる。しかしここでまたひとつ、私は新たな違和感を覚えるのだった。
《ハハハッ、どうだいその格好、なかなか雰囲気があって良いだロ?》
ウィザードの顔がまだ宙に浮かんでいた。
しかしどうやら、少しずつ消えかけていっているようだった。
文字記号で出来たその生首が、ほつれを縫うようにして辺りの景色に同化していっているのが見える。
もう間もなく仮想世界が完成する。そうすれば現実の側にいる彼が口を出すことも出来なくなるだろう。
「待ってよウィザード!」
彼が消えてしまう前に、急いで詰め寄りながら尋ねた。
「ねえ、この体おかしいよ。いつもより手足が重たくって、全然力が入らないんだ」
《そりゃそうサ。今のユーの体力筋力は、人間と同レベルに設定してあるんだからヨ》
「な、何でそんなことしたんだ!?」
《オイオイ、ユーのそのハルクみてえなフィジカルで人間と稽古が出来るわきゃネーだロ・・・・・・ちなみに、その体は女子テニスの金メダリストをモデルに作ったものサ。ちょうどユーと同じ身長体重だったから使わせてもらったゼ。人間の中では間違いなく最高クラスの肉体だヨ。だから心配すんなっテ! じゃ、行ってら~》
早口で説明をし終えるなり、ウィザードの生首はいずこかへとかき消えてしまった。
それにしてもヒトの体の動きづらさは予想以上だ。いつも通りのパフォーマンスは全く発揮できないと思った方がいいだろう。
・・・・・・ヒトとフレンズとでは稽古が成り立たないってウィザードが思うのはわかるんだけど、そんなこともなかったんだよな。
あの頃、確かにゲンシ師匠は私に稽古を付けてくれたんだ。
私は当時からヒトを超えた身体能力を持っていたにも関わらず、師匠にはまるで敵わなかった。身体能力の差なんか問題にならないぐらいの、天と地ほどの技量の差があったからだ。
(まあ、今はこの体の方がいいのかもな)
せっかく師匠とまた稽古できるのに、技量の差を身体能力で埋めるようなことなんかしたらもったいない。
ただ純粋に技だけでぶつかるべきなんだ。今まで一日だって休むことなく磨いた技で。
覚悟を決めて砂浜を歩くこと数分、いまだに師匠の姿は見当たらない。
はやる気持ちを抑えるように立ち止まると、軽く溜め息を付きながら、波の音やそよぐ潮風に意識を向けてみた。
______ピリッ
その瞬間、虫の知らせとでも言えばいいのか、穏やかな空気の流れの中に一点だけ、刺すように鋭い気配があることに気付いた。
驚いて振り向いた先にあったのは、何てことはない。いくつもの岩礁が砂浜の上から顔を出している様子だった。こんな風景は先ほどからずっと見ているはずなのに、なぜこんなに胸騒ぎがするのだろう?
謎の気配に呆気に取られて立ち尽くしていると、私の目の前にあった岩のひとつがゆっくりと立ち上がるのが見えた・・・・・・それは岩などではなく、1人のヒトの姿だった。
恐ろしく静かな、周りの景色と完全に一体化しているかのような佇まいは、動き出すまでは周囲の岩とまったく区別がつかなかった。
「し・・・・・・師匠」
たてがみのように広がる長い髪と髭が、落ちくぼんだ眼窩を除いた頭部のすべてを覆い隠している。袖の破れたボロボロの道着からは分厚い岩のような筋肉が生えでている。
年老いてもなお、威厳に満ちた黒き獅子。
記憶の中にあるものとまったく同じその姿を見るなり、目がしらがぼうっと熱くなってくる。
「お久しぶりです!」
涙が滲む顔を俯かせながら深々と一礼する。それがVRの作り物だとわかっていながらも、胸の中から湧き出る感情を抑えることが出来なかった。
「あれから色々ありました。大変な思いもたくさんしました・・・・・・でも、師匠が残してくれた道のおかげで生きてこられました」
______ズォンッ・・・・・・
(なっ!?)
突如、鉛のように重たいプレッシャーが五体に圧し掛かってきた。
驚いて顔を上げ、ゲンシ師匠を見てみると、彼の静かな立ち姿から途方もなく巨大な殺気が発せられていた。彼を中心にして場の空気が冷たく張りつめている。
事ここに及んでやることは一つしかないといった様相だ。
感無量で語りかける私の言葉は容易く跳ね除けられ、それ以上の挨拶は場違いであることを一瞬で悟らせた。
「・・・・・・わかっています」
そう、再会が嬉しいのは私だけ。
目の前にいるゲンシ師匠は、言葉を持たないプログラム上の存在に過ぎない。私に対してなんら感情を抱くことはなく、ただ与えられた役割を遂行しようとしている。
そして私がここに来た目的も最初から決まっている。思い出に浸っている場合ではない。
「いまいちど、私に稽古を付けてください」
静寂の中、試し合いの火蓋が切られた。
互いにゆっくりと歩き出して距離を詰め、やがて制空圏が触れ合うと、2人して体を半身に開き、左足に重心を乗せた後屈立ちで身構えた。
足を開く速さも、重心を移すタイミングも、まるで合わせ鏡のようにピタリと一致していた。
______ジリッ・・・・・・
動かずに向かい合っているだけなのに、早くも全精力を傾けるような局面に陥っていた。
無数の白い稲妻のような”意”が、師匠と私との間を錯綜している。膨大な選択肢の中からたったひとつの正解を選び出すための駆け引きの時間、一瞬でも気を抜けば致命傷を負わされる予感がひしひしと感じられる。
やがて私は意を決し、錯綜する”意”の中でもっとも色濃く感じられる一つを選び取り、それを寸分もたがわずになぞるように動き出した。
______カッ!
ゲンシ師匠は私の拳を、まるで実体に重なる影のような完璧なタイミングで受け止めた。
(まだまだ!)
かつて本当の師匠と稽古をしていた頃さながらの攻防に得も言われぬ懐かしさを感じながらも、攻め手を緩めずに矢継ぎ早の連撃を繰り出した。
やっぱり思うようには動けていない。全身に金属の重りを付けたようなヒトの筋肉では、普段の半分のスピードも出ていない気がする。
だからそれを出来る限りの技術で補うことにした。ほとばしる”意”を正確になぞり、相手が避けづらい角度を、最小限の動きで狙い打った・・・・・・一撃一撃が、昔とは比べ物にならない程に精密になっていると思う。
ゲンシ師匠は的確に技を防ぎながらも、反撃することが出来ずにその場から少しずつ退き始めていた。
(私の技が師匠に通じてる・・・・・・!)
その事実に高揚感を覚えながらも、気を緩めずに追撃を行おうと前に出る。
すでに手技が届く間合いではなくなったため、身を翻して回し蹴りを放った。
・・・・・・だが、それは慢心だったのかもしれない。私の足技は、手技に比べれば未だに完成度が低かった。ごくわずかなタイムラグや、角度の浅さがあった。
師匠は私の蹴りの甘さを瞬時に見破ったようで、蹴りを受けるのではなく、おもむろに私の足首を掴んで圧迫してきた。鈍い痛みが足先に走る。
力任せに師匠の手を振り払い、蹴り足を引きもどして構え直そうとした瞬間、私の体を猛烈な違和感が襲った。
(・・・・・・な、こ、これは!?)
握り締められた右足が何故だかひどく痺れて、力が入れられなくなっていた。
左足にしか体重を乗せられないために、バランスを崩しそうになっている私に向かって、今度は師匠の方から間合いを詰めてきていた。
______ドウンッッ!
目と鼻の先にまで肉薄した瞬間、彼の拳が私の腹部を捉えた。
見たこともないような打撃技だった。正拳突きのように伸び切った腕を突き出すのではなく、脇腹に拳を添えたまま体当たりを仕掛けてきたと言った方がいいかもしれない。
後方に吹き飛ばされた私は、空中で姿勢を立て直し、再び身構えた。右足の痺れも今は収まっている。どうやら痺れはごく短時間しか持続しないようだ。
「・・・・・・ぶはっ!!」
鉄くさい塊が喉を押し上げてきて、鮮血が口から噴き出てきた。
たまらず私は膝を付く。たった一発くらっただけでこんなことになるとは・・・・・・。
激痛が腹部に広がっていく。それは外側から力で肉を打たれる痛みではなく、体の内側からダメージが弾けるような感じだった。
(いったい何をされたんだ?)
握り締めるだけで、まるで麻酔みたいに体を痺れさせる技術。そして空手とは異なる肉体の内側への打撃。
こんな技、私は見たことも聞いたこともない。
(これがゲンシ師匠の本当の力・・・・・・?)
そこから先も想像を絶する技の数々が私に襲いかかってきた。
師匠はどうやら、握り締めるだけでなく、単なる打撃によっても”例の痺れ”を引き起こすことが出来るようだった。
もうひとつ驚かされたのが、鞭のようにしなる変幻自在の足技の数々だ。私の手技と互角以上のスピードを持ち、あらゆる角度をカバーする隙のなさだった。死角に回り込んで攻撃を仕掛ける私を、振り返りもしないまま後ろ蹴りで迎撃してくることもあった。
そこから先は防戦一方だった。
的確に師匠の”意”の読み、動きの起こりを見切ることで攻撃を避け続けた。防御を徹底することで何とか持ちこたえている状態だ。
逆にこちらからは完全に攻めあぐねてしまっている。相対する師匠の姿からは、私が何をしても通じなさそうな厚みがひしひしと伝わってくる。
攻めも守りも、技の練度は師匠の方が遥かに上手なんだ。このまま守勢に回っていてもジリ貧になるのは目に見えている。
(・・・・・・だったらもう、この技に賭けるしかない)
______ザパンッ!
打ち寄せる白波が傍らで弾けた瞬間、それがあたかも合図であるかのように全速力で師匠に躍りかかった。
走りながら目を閉じて意識を向こう側に飛ばす。
ゆらめく”意”だけになった師匠のシルエットとどんどん間合いを詰めていく。
ここから繰り出す攻撃も敢え無く防がれてしまうことはわかっている。
だけどそれでいい。例え防がれようとも、体の一部分に触れることさえ出来れば、急所にダメージを与えることが出来る。そう・・・・・・師匠から授かった奥義、勁脈打ちならば。
しかし、一撃を入れるための最後の踏み込みの瞬間、それは起こった。
私の拳が師匠に触れるよりも一瞬早く、足元で閃光がひらめき、地面を伝って私の体の中に入ったきた。
______ドッシャアアアッッ!
まるで足元が爆発したかのようだった。とつじょ襲い来た謎の衝撃によって、私の体は真上へと吹き飛ばされた。
激痛が五臓六腑をふるわせ、背中から突き抜けていく感触を感じながら、放物線を描いて落下する体が地面へと叩きつけられた。
意識をこちら側に戻した私は、師匠が放ってきた攻撃の正体を探るために急いで顔を上げた。
「あ、あれは・・・・・・ッ」
師匠はただ構えながら立っているだけだった。ただ、踏み込んだ片足に異様なプレッシャーが感じられた。それを見て私は、自分が何をされたのか悟ったのだった。
私が勁脈打ちを放つために踏み込んだ瞬間、師匠もまた同じ技で反撃してきたんだ。
足の裏から”意”を走らせ、地面に伝わらせることで私の体を打ったんだ。走って向かってきた私の軸足が地面に触れる瞬間を完全に見切って・・・・・・
(これが勁脈打ちの完成系なのか!?)
今まで私は、何かに手が触れた状態でなければ勁脈打ちを放てなかった。そういう物だと思い込んでいたからだ。けれどゲンシ師匠は、手だけではなく足からも、その気になれば五体すべてから勁脈打ちを放つことが出来るんだろう。
(・・・・・・やっぱりこのヒトはすごい)
かつてと同じような感動と歓喜が胸の中に去来してくる。
師匠と最初に出会った時、まったく歯が立たず一方的に叩きのめされたことを思い出した。あの時私は、彼の強さと気高い戦いぶりに魅了され、同時に尊敬の念を強く抱いた。
そしてこう思ったんだ。
この時間がずっと続いて欲しい・・・・・・と。
◇
「アムールトラ、大丈夫かヨ?」
「う、うん・・・・・・」
「しっかしビックリしたゼ。人間並の体になってたっツってもヨ、めっちゃんこ強いユーがまるで手も足も出ねえンだものナ・・・・・・まあ、コミックとかでも師匠キャラって大抵チートだし、それとおんなじ感じなのかネェ?」
師匠との稽古のさなか、私は突然に現実世界に引き戻された。
己の全身に元通りの縞模様が走っているのを見て、何とも言えず安堵する。
開かれたVRマシンの天蓋ごしに、ウィザードが私を心配そうに覗き込みながら、意味の良くわからない感想を述べている。
「ていうかユー、何をそんなにニヤニヤしてるんだヨ? 手も足も出ずにボッコにされてたってのにヨ」
「私の知ってるままのゲンシ師匠だった・・・・・・それが、嬉しくて・・・・・・」
冷や汗を浮かべながらやっと答える私に、ウィザードは「ふーん」と相槌を打ちながら視線を外し、パソコン作業に戻っていた。
何やら忙しそうにキーボードを叩いている。
「ねえウィザード、もう一回VRの中に入れてくれよ。私まだ大丈夫だから」
「ノー、今日は試運転だからこれでおしまいヨ。それに今忙しくて手が離せねーんだヨ。ユーは水でも飲んで休んどけ」
そう言ってウィザードがペットボトルをほうってきたので、開封して中身を一気に飲みほした。
喉の乾きが癒されて一息ついている私を後目に、ウィザードはなおもパソコンに向かっていた。手が離せないって、いったい何をやっているんだろう?
サングラスの中の瞳を血走らせながらニヤニヤと笑みを浮かべ、一心不乱にキーボードを叩き続けている。その不審な姿は、私にとっても思い当たる節があるものだった。
「・・・・・・ねえウィザード、まさか今ハッキングとかしてる?」
「イエス! よく分かったナ」
「ど、どうして? 何でそんなことやってるんだ?」
まったくこのヒトのやることは意味がわからない。なんか新しい悪ふざけでも思いついたのだろうか?
すばらしい技術を持っているし、どんなにふざけてても決めるときは決めてくれる頼りになる存在ではあるけれど、マイペースな変人ぶりがひどすぎて、多くの美点を打ち消しているように見えるのが惜しい所だ。
冷ややかな視線でしばらく彼の作業を眺めていると、やがて手を止めて満足げに溜息を漏らすのが見えた。
「終わったぜ。ミーは凝り性だからヨ、気になった事はゼェンブ調べなきゃ気がすまねェんだヨ」
「はぁ・・・・・・で、何を調べてたんだい?」
「聞いて驚けヨ。ユーの師匠ゲンシ・サクヅキの個人情報だヨ。知りてェか?」
驚いて目を見開く私にウィザードが悪戯っぽい笑みを浮かべて頷いた。どこまでも冗談めかした態度だったけど、言っていることが冗談じゃないのは伝わってくる。
「個人情報だって? ハッキングってそんなことまでわかっちゃうの?」
「まあ、大概わかるけどォ・・・・・・ゲンシ・サクヅキの場合は、一般人よりズット簡単に調べがつくヨ。だってあの男は死刑囚だっただロ」
ウィザードが言うには、死刑囚というのは、一度裁判にかけられて死刑が確定したヒトのことだから、裁判するにあたって個人情報のすべてが公の記録に残されるらしい。
記録を集積しているのは「検察庁」っていう裁判を執り行う組織で、ウィザードはたったいま、日本の検察庁が管理するデータベースに”お邪魔”してきたんだそうだ。
ゲンシ師匠の過去・・・・・・ぜひとも知りたい。思えば彼は自分のことをほとんど何も語らなかった。なぜ彼が死刑囚になったのか、自分の技を他人に継がせることを恐れていたのか。何もわからないまま逝ってしまった。
師匠と出会ってなければ今の私はない。彼のことを知ることは、自分自身を見つめ直すことに等しいような気がした。
「まさか、私に教えるために調べてくれたの?」
「うんにゃ純粋に好奇心からだヨ。ミーも男の子だからァ、この手の話題だぁい好きなんだよネ。カンフー映画とかよく見るしナ」
「そ、そうなんだ・・・・・・まあ、じゃあ、教えてよ」
「よっしゃ聞いとけヨ。えーと、朔 原始、19XX年X月X日、沖縄県名護市に誕生・・・・・・」
ウィザードがつらつらと文章を読み上げる。
沖縄の漁村にて、漁師の息子として生まれたゲンシ師匠は、齢8歳の時に空手と出会う。彼が門戸を叩いたのは「剛柔流」という最も歴史がある流派のひとつだった。
以来めざましい成長を遂げ、18歳から23歳までの間、全日本大会を5連覇するという大快挙を果たしたんだとか。
当時は数十年に一度の神童と呼ばれ、将来を嘱望される有名な空手家だったらしい。もっとも、後々に犯した罪によって、空手協会での彼に関する記録は全て抹消されてしまったようだが。
「じゃあ、私もその、剛柔流の使い手ってことになるのかな?」
「ところがヨ、話はそんなに単純じゃねーんだヨ。ゲンシ・サクヅキは20台半ばの頃、日本から消えたんだヨ」
「き、消えた?」
記録によると、ゲンシ師匠は規則に縛られる競技空手に限界を感じ、己の才能を持て余していたという。そんな彼が家族友人と縁を切ってまで選んだ道は、世界中を渡り歩いて見識を深め、己が理想とする技術を完成させることだった。
中国、インド、タイ・・・・・・アジア中を放浪した師匠が最後に辿り着いたのは、チベットという土地だった。
中国国土の奥深くにある、周囲を高山に囲まれた秘境。多くの国にあまり長居しなかった彼だったが、このチベットに関しては話が別で、なんと20年もの歳月をこの土地で過ごしたという。
「チベット? ・・・・・・思い出した。確か師匠は、勁脈打ちをそこで教わったって言ってた」
「ああ、情報の中にはナ、ゲンシ・サクヅキがチベットで教わったらしい格闘技の情報もあるゼ」
閉鎖的で外界との行き来が少ない、謎に満ちた山岳地帯チベット・・・・・・仏教信仰が盛んな土地で、一生をかけて山中に籠り、信仰に身を捧げる僧侶もザラにいるそうだ。
そして、世界の屋根と呼ばれる険しいヒマラヤ山脈の、さらに奥地に存在する高嶺にて、古の時代から荒行に励んできた少数の僧侶たちの間で、門外不出の謎めいた格闘技が受け継がれてきたという。
その名は「霊山元承拳」。
ゲンシ師匠もまた、20年にわたるチベット生活の中で、僧侶たちから仏教信仰と元承拳を教わったそうだ。
「ところでアムールトラ、ユーは座禅を組んで寝るようにゲンシ・サクヅキに教えられたんだロ? ソイツもたぶん霊山元承拳の教えなんじゃねーカ? どう考えても日本の空手のトレーニング法じゃないわナ」
ウィザードは推測する。
座禅というのは仏教の中から生まれた修行法で、精神統一の方法としては良く知られたものだが、寝る時にまで座禅を組むような荒行は、現代の格闘技においてはまず考えられないものだとされる。
だが古代からの仏教信仰を守り続けているチベット僧であれば、そんな古典的な修行を取り入れている可能性があるというのだ。
・・・・・・仏教っていうのは確か、宗教とかいう、ヒトが神様を信じる思想の中のひとつだよな。
私自身は何も知らないけれど、師匠が教えてくれた色んな言葉がチベットでの僧侶生活をルーツにしているのであれば、私の中にもいくらか仏教的な価値観が根付いているのかもしれない。
「ざっと話を纏めるとヨ、ゲンシ・サクヅキは剛柔流空手と霊山元承拳をミックスした我流の拳法を使ってたってことサ。そんで、それがユーが受け継いだスタイルでもあるんだろうゼ」
(うーん、何か違う気がする)
何となくウィザードの解釈には違和感を感じる。
ゲンシ師匠はあくまで自分は空手家であると言っていたし、最期の瞬間まで自分の空手を追及しようとしていた。
多分だけど、師匠にとってはすべての格闘技は空手に通じるものだったんだ。元承拳や仏教を学んだのも、自身が追及する理想の空手の肥やしにするためだったんだと思う。
だからやっぱり、私が受け継いだのは空手なんだ。
・・・・・・いわば「朔流空手」とも言うべき流派を。
「さーて、話の続きをするゼ。アムールトラ、しみじみ感慨に浸ってねーで聞けヨ」
数十年にもわたるアジア大陸での修行を終え、齢60を過ぎていたゲンシ師匠は、生まれ故郷の沖縄へと戻って来た。
すでに親兄弟とも縁が切れて久しかった彼は、自らの修業の成果に対する満足感を1人噛みしめながら、漁や畑仕事で自給自足する隠居生活を送っていた。
古巣である表の空手界に顔を見せるつもりはさらさらなく、そのまま静かに余生を終えるつもりだったという。
「だがゲンシ・サクヅキは、ある男と出会っちまったのサ」
「え? 誰? 誰のこと?」
「弟子だヨ。たった1人のナ」
隠居生活を送っていたゲンシ師匠が出会ったのは、人生のすべてに絶望していた1人の不幸な孤児だった。師匠はその少年の目の中に光るものを感じ、とある思いを抱いたそうだ。
自分が学んだすべてを彼に伝えたいと。
弟子は取らぬと心に誓っていた師匠だったが、その思いは抗い難いものだったようで、その孤児を弟子に取り、実の子のように自分の家に住まわせ、手取り足取り技を教えたという。
師匠の弟子・・・・・・つまり私の兄弟子ってことになるじゃないか。顔も名前も知らないけれど。
「その弟子はみるみるうちに強くなったんだト。空手の大会に出ても連戦連勝、若い頃のゲンシ・サクヅキを越えるほどの逸材に育ったそうだゼ」
「それは・・・・・・よかったじゃないか」
「ノー、こっからが不幸の始まりヨ」
ゲンシ師匠がその孤児を育てたのは善意からだった。自身の不幸な生い立ちを跳ね除けて、人生を前向きに歩んで欲しいという願いがあったからだ。
だが師匠の願いをつゆ知らず、弟子は暴走を始めた。その生い立ちから、世間への恨みと並外れた上昇志向を持っていたために、日本の裏社会・・・・・・暴力団へと足を踏み入れたそうだ。
ゲンシ師匠から授かった力を糧に、その弟子は裏社会でも急速に頭角を現していった。あろうことか、自分の手下にも技を教え、手が付けられない程に危険な組を作ったというのだ。
何人もの死傷者を出したり、麻薬などの違法な商売に手を染めたらしい。
「ひどいよ! その男は師匠の教えを何だと思ってるんだ!」
「ああ、ゲンシ・サクヅキもユーと同じように怒ったようだゼ。だが、弟子はすでに聞く耳を持ってくれるような状態じゃなかった・・・・・・だから彼は、自分がしたことのけじめを付けることにしたんだヨ」
「けじめ?」
良かれと思って育てた弟子が、一般市民を虐げる悪党に成り果てた。その事実が許せなかったゲンシ師匠は、弟子のアジトに単身乗り込んだ。
そして最愛の弟子とその手下数十名を自らの手で殺害し、アジトに放火してすべてを灰に帰した。自分の技術が今後いっさい悪用されないようにするための、徹底的な後始末だった。
返り血で血まみれになった師匠は、その足で警察に自首したという。
「そんなことが・・・・・・だから師匠は・・・・・・」
「動機を考えれば情状酌量の余地はあっただろうけどヨ、まあ、普通にやり過ぎだよナ。一審で死刑が確定したヨ・・・・・・いやはや、ものすげー人生だナ」
そこから先の師匠の足跡はもう知っている。
彼が自分の技を私に継がせたくないと言っていたのは、そんな過去があったからなのか。「自分は本当なら空手を使う資格のない人間だ」という言葉も彼の口から聞いた。
生涯をかけて磨き上げた技術が、他人を不幸にする物でしかないと知った時の彼の絶望は計り知れないものがある。
それでも師匠は絶望に屈することはなかった。
彼が人生の最期に自分の空手を完成させた瞬間を、私は傍で見ていたんだ。
そして私に技を継がせることを宣言してくれた。「俺にとっては後悔そのものだったが、お前なら別の結果を生み出せるかもしれない」という言葉と共に。
あの時ゲンシ師匠は、自分の技を世のために役立てたいという願いを私に託したんだ。
絶望に近い後悔を背負っていたにも関わらず・・・・・・それほどまでに私のことを評価してくれていたんだ。
こんなに嬉しい、誇らしいことが他にあるだろうか。
「アムールトラ? もしかしてユー、泣いてんのかヨ? 確かにショッキングな内容の話だったけどヨォ」
「いや、違うんだ・・・・・・ありがとう。とてもタメになる話だったよ」
「お、オウ。そりゃどーも。これで訓練にも身が入んだロ?」
「ところでさ、ちょっとまた調べてもらいたいことがあるんだけど」
うれし涙を拭いながらウィザードに話したのは、私がケープタウン大学でたった一度だけ発動させた”相手の記憶や感情を読み取る能力”のことだ。
そしてゲンシ師匠や、もしくは霊山元承拳の使い手の中に、そういった能力を使っていた記録がないかどうかを調べて欲しい、と依頼した。
二つ目の能力が勁脈打ちの発展形である以上、私の完全なオリジナルであることは考えにくい。ルーツが存在するような気がしてならないんだ。
「オカルトかヨ?」と、彼は若干引きながら話半分な風に聞いていた。
「本当なんだ。信じてくれ」
「まあ一応調べとくってばヨ。まったく、ユーもなかなか斜め上にぶっ飛んでる奴だよなァ」
「ウィザードにだけは言われたくないよ」
「・・・・・・」
VRマシンの中に入っている私と、傍のパソコンの前にいるウィザードが和やかに会話を続けている所に、外から重苦しいプレッシャーを向けて来る者の気配を感じた。
マシンを内部に備え付けた巨大な円柱の扉の前に、その者は仁王立ちで立っていた。
「き、君は」
「・・・・・・」
例の、前髪で目が隠れている黒いクジラのフレンズだった。
ソナー室で私からリベリアの将軍を庇おうとした時の素早い動きからいって、かなりの強者であるような予感がする。そんな彼女がいま、ただ事でない空気を纏いながら私の目の前にやってきているのだった。一体何のために?
「私に何か用?」
「・・・・・・う・・・・・・」
「う?」
低く唸っただけでそれきりクジラのフレンズは喋ろうとしない。
気まずい沈黙を保ったまま何秒か過ぎた後、作業服を着た技官風の乗組員が、彼女の後ろから小走りで近づいてきた。
「これからここは我々が使用します。ご退室を」
「オウ、もうそんな時間かヨ。わりぃネ」
ウィザードが手をポンと叩きながら技官の言葉に頷くと、ナビゲーションユニットをパソコンから取り外したりするなど、そそくさと後片付けを始めるのだった。
私にも「早よう出ようゼ」と言ってきたので従うことにした。背中じゅうに纏わりついていた神経端子がプチプチと音を立てて外れていく。
すると私とすれ違うようにして、黒いクジラの子がVRマシンの中に体を預けるのだった・・・・・・なんだ。ここをどいて欲しかっただけなのか。言ってくれれば良かったのに。
そのまま私とウィザードはマシンを備え付けた円柱の中から出て、巨大な円柱が立ち並ぶ広い部屋を歩きだした。
「マシンは貸切ってわけじゃねーのサ、交代交代で使わせてもらう約束なんだヨ」
「うん、わかった・・・・・・ところでこの部屋は何なの? 他の円柱にもVRマシンとかが備え付けられたりしてるの?」
「さーて、この艦の設備の詳細はミーにはわかんねェヨ。噂じゃ将軍のファックヤローが大金つぎ込んでものすげー改造を施してるって話サ・・・・・・ただ、これらの円柱が元々何だったかっていうとナ、核ミサイルの発射管なんだヨ」
「核ミサイル!? 何で?」
「原子力潜水艦に核ミサイルは付き物だゼ。そーいうモンなのヨ」
ウィザードをさらに問い詰めようとしたが、私たちはすでに部屋の出入り口にまで来ていて、そこに立っていた人影によって会話が中断されることになった。
「アムールトラさん、ですね。お待ちしていました」
私に声をかけてきたのは、ソナー室にいたクジラのフレンズのもう一人。体が白い方の子だった。彼女は目が前髪で隠れているなんてことはなく、柔和そうな笑顔をこちらに向けている。
背丈も黒い子に比べて長身で、尾びれの形をした後髪が床に届きそうなほどに長かった。
「私はシロナガスと申します」
「うん、よろしく・・・・・・ということは、もう一人のあの子がオルカなんだね。あの子は口を聞いてくれなかったからわからなかった」
「うふふ、悪く思わないでください。オルカはとても人見知りな子で、あなたが相手だと緊張して上手く喋れなかったんですよ」
シロナガスと名乗る彼女は穏やかな微笑みを絶やさずにそう述べる。随分と落ち着いた大人っぽい子だ。喋り方も物腰も丁寧でゆったりした印象を受ける。
先日騒ぎを起こした私に対して、決して良い印象を持っていないだろうに、そんなことはおくびにも態度には出さないのだった。
「さて、私はあなたをフレンズ用の寝室に案内するように言い付けられています。どうぞこちらへ」
「ソナー室の仕事の方はいいの?」
「あらあら、神経を使う仕事ですから、あまり長時間は出来ませんの。だからヒトのスタッフと交代で休ませてもらっているんですのよ」
「そうか・・・・・・じゃあ」
彼女が平手を伸ばして指し示す方向へと歩き出す。
後ろを見やると、ウィザードは反対方向へと立ち去ろうとしていた。どうやらヒトとフレンズとは別の所で休むようだ。
「ウィザード、今日は本当にありがとう」
「オウヨ。またすぐにユーを呼びつけるゼ、次の戦いまでどんだけ時間があるかもわかんねーが、やれるだけのことはやるサ。なんせ借金完済がかかってっからヨ! ミーのハッピーライフのために、ユーには頑張ってもらわねーと困るんだからナ!」
私の方を向いたまま後ずさるウィザードが、興奮気味に何か変なことをがなり立てている。
前を向いて歩かないと危ないんじゃないかと思っていると、案の定わきの通路から出てきた乗組員とぶつかってすっ転ぶのが見えた。
私は気にせずにその場を立ち去ることにした。
ウィザードと別れてから、シロナガスに導かれるまま狭い潜水艦の通路を移動し続けていると、途中にすれ違う何人もの乗組員が、私のことをじろじろと白い目で見てきた。
シロナガスに連れられていなかったら、とてもじゃないけど艦内を歩けそうにない。
・・・・・・でもこればっかりはしょうがない。私が癇癪を起こして暴れたのが悪いんだもんな。
「あの、シロナガス。騒ぎを起こして本当にごめん」
「いいえ・・・・・・私の方こそ、ヒルズ様のお言葉であなたを傷つけてしまったことを、あのお方に代わってお詫びします」
「ヒルズ?」
「将軍の本当の名前です。まったく困ったお方です。いつも歯に衣着せぬ物言いしか出来なくて、周囲から必要以上に反感を買ってしまうのだから」
シロナガスは将軍のことで愚痴をこぼしながらも、異名ではなく本名を親し気に呼んでいた。
私にとっての将軍は、得体の知れない、とても好感を持てそうにない第一印象の人物だったが、どうやら彼女にとっては全く違うらしかった。
「君は将軍のことを慕ってるんだね」
「・・・・・・私もオルカも、ヒルズ様と出会ってなかったら、まともに生きてはいられなかったでしょうから」
「そうか。色々あったんだね」
シロナガスはそれきり黙ってしまったので、私もそれ以上は聞かなかった。
彼女たちがどんな風にフレンズの姿を得て、どんな経緯があって将軍と出会ったのかは知る由もないが、こんな時代だもの。フレンズが動物の頃のように、自然の中で気ままに生きることなんて出来るはずもない。
「さあ、着きましたよ。ここが私たちの寝室です」
計器と配管に埋め尽くされた狭い通路の突き当り。腰の高さほどの位置に分厚く丸い水密扉が取り付けられていた。
「この先には何があるの?」
「我が艦の心臓部。原子炉の整備室です。もちろん放射能は容器の中に封じ込められているので安全ですが、ヒトが長居をするのは好ましくありません。でも私たちフレンズの体なら何も気にすることはありません。多少揺れますが、一般乗組員の寝床よりも全然広くて快適ですのよ」
「そ、そう」
シロナガスが水密扉を慎重に回して開いた先には、中央に穴の開いた四角い足場があった。薄い鉄板で出来た足場は、張り巡らされた鉄骨に固定されているだけだ。室内に響き渡る鳴動に合わせて絶え間なく震えている。その上にはオレンジ色の寝袋が無作為に並べられている。
穴の周りには、ぐるりと囲むように鉄柵が取り付けられていて、一部には下に降りるための梯子が取り付けられている。
そうか。どうやらあの穴の下にあるのが原子炉なんだろう。
「あ・・・・・・」
パンサーがそこにいた。彼女は私に気付いた途端、鉄柵にもたせ掛けていた顔を上げてこちらを見てきた。
お互いに見つめあったまま、第一声を掛けられずにしばらく黙っていると、シロナガスが私の横に立って、例の穏やかな微笑みを私に向けながら頷いた。
「昨日、私とオルカも、こちらのパンサーさんからこれまでの話を聞きましたの。あなたが何者でどこから来たのか、すべてをね」
「・・・・・・え?」
「いざこざはひとまず水に流して、私たちはあなたを仲間として歓迎したいと思います。よろしくお願いいたしますね、アムールトラさん」
シロナガスは挨拶もそこそこに、震える足場に置いてある寝袋のひとつに潜り込んだ。
「私は3時間後にまたソナー室に戻りますが、気にせずにごゆるりとお過ごしください。では仮眠を取らせていただきますね」
そう言うなり数秒後には静かに寝息を立て始めた。ゆったりしているように見える彼女だったが、かなりテキパキした一面もあるようだった。
再びパンサーと2人きりになる。
彼女の隣で同じように鉄柵にもたれながら、下にある原子炉をぼんやりと見下ろしてみる。
いくつもの配管や基盤が複雑に張り巡らされた、巨大な鋼の心臓が、ほんのりと熱を放ちながら、片時も休むことなく動き続けている。
金属の部品同士が打ち付け合って響かせる、密やかだが強く途切れない駆動音・・・・・・それを聴いていると、まるで雄大な自然を前にしているかのように気分が落ち着いてきて、口を開く勇気も湧いて来た。
彼女にちゃんと謝らなくちゃダメだ。そう思い意を決した私は、パンサーの方に向き直って、飛びつくように頭を下げた。
「今までごめん・・・・・・!」
心臓が痛いくらいに跳ねるのを感じながら、その先の言葉を考えた。
「暴力を振るってごめん。君は色々やさしくしてくれるのに、私は冷たくしてばっかりでごめん。それから・・・・・・」
「ちょっと待って」と、パンサーが私の謝罪を制止した。
「アタシの話も聞いて」
折り畳んだ上半身を元に戻して真っ直ぐにパンサーと向き合っていると、彼女は照れくさそうに「アタシも」と口を開いた。
「アタシもアムールトラに謝りたいってずっと思ってた」
「いや、君が謝ることなんて何も・・・・・・」
「Cフォースからやってきたアンタが、1人で色々と辛い思いを抱えてるのは分かってた。でもロクにフォローもしてあげられなかった」
パンサー、君は私に共感してくれるのか。
元Cフォースの私の気持ちなんて、それこそ同じ身の上であるヒグラシ所長しかわかってくれないものだとばかり思っていた。
「それだけじゃないの。この間の作戦の時もそう・・・・・・あの子、メガバットは敵だったのに、アタシたちを助けてくれたよね」
確かにパンサーはメガバットのことで何かショックを受けていたのは知っていた。
私は自分のことで精一杯で、彼女の考えていることに興味を持とうともしなかったけれど。
「くわしく聞かせて」と、私は話しの続きを催促した。今度こそ同じ轍を踏まないためだ。親身になってくれる友達には、自分だって同じようにするのが当然だ。
「今までアタシは、Cフォースの連中は敵なんだから、ただ戦って倒せばいいと思ってた。フレンズの未来とか考えるのはボスたちの役目で、アタシはただの戦士だから・・・・・・でも違う。メガバットを見て思ったの。敵だと思ってたのが、実は敵じゃないのかもしれないって。もしかしたら友達になれるかもしれない子と、憎み合って殺し合ってたんだって」
パンサーの目が赤く腫れていることに気付いた。彼女がそれほどまでに思い詰めているなんて夢にも思わなくて、思わず言葉を無くしてしまった。
「アンタはメガバットと殺し合う以外の道を探そうとしてた。アタシはそんなこと夢にも思ってなかったのに・・・・・・だから、ごめん。アンタの気持ちを全然わかってあげられてなかった」
嗚咽交じりに顔を伏せて謝罪を続けるパンサーを見て思う。
彼女は本当に私の身になって考えようとしてくれているんだ。それに比べて私は、彼女も含めてパークの仲間に対して無意識に壁を作っていたことに気付く。
「ありがとう、顔をあげてくれ」と、パンサーの両肩に手を置きながら呟いた。今も涙がこぼれている彼女の瞳を覗き込みながら言葉を続ける。
「君ならきっと、敵だったやつを友達にすることだって出来るよ・・・・・・それに、私も君と一緒に頑張る。グレン・ヴェスパーに操られてる可哀想なフレンズたちを絶対に助けてみせる」
「アムールトラ、落ち込んでるのに無理してアタシを励まさなくても・・・・・・」
「落ち込んでる場合じゃなかったんだ。もっとちゃんとしなくちゃ」
今の私には確かに辛いことがたくさんある。
怒りも、不安も、寂しさも、短い間に起こった感情のひとつひとつが心をかき乱している。どれひとつとっても、胸の中がいっぱいになってしまうぐらい強い感情だ。
でも、だからといって、感情に振り回されて癇癪を起こすようじゃダメなんだ。
そんなのは本当に恥ずかしいことだ。
なぜなら私はゲンシ師匠の最後の弟子なんだ。
私が師匠から託されたのは技だけじゃない。技をこの世のために役立てたいという願いをも受け継いでいるんだ。
後悔に満ちた人生の最後に生まれ落ちた、一筋の光のような尊い願いを。
それを背負うのにふさわしい生き方をしないといけない。
(希望、夢、願い)
どれも違う言葉で、どれも同じようなもの。目には見えないけれど、心の芯にぴたりとはまって揺るぎないもの。
今まであやふやだったそれが、私の心の中で唐突に形を成したような気がした。
「・・・・・・願いを叶えたい。叶えなければいけない」
静かな息吹を吐き続ける原子炉を眺めながら、私は焦がれるように呟いた。
to be continued・・・
_______________Cast________________
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種
「アムールトラ」
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属
「パンサー」
哺乳綱・鯨偶蹄目・マイルカ科・シャチ属
「オルカ」
哺乳綱・鯨偶蹄目・ナガスクジラ科・ナガスクジラ属
「シロナガス」
_______________Human cast ________________
「ウィザード(本名不明)」
年齢:30代半ば 性別:男 職業:フリーランス・ブラックハッカー
______________Story inspired by________________
“けものフレンズ” “けものフレンズ2”
byけものフレンズプロジェクト
“けものフレンズR”
by呪詛兄貴