※4.19 内容を一部加筆修正しました。
《諸君・・・・・・戦況は極めて順調に推移している》
無機質で淡々とした声が、薄暗く埃っぽい格納庫に響き渡る。
声の主は他でもない、グレン・ヴェスパーだ。
華美な装飾が施された椅子に座り、居丈高に僕らシャヘルのフレンズ部隊を見下ろしている姿がホログラムごしに見える。
傍らには実娘イヴ・ヴェスパーが姿勢よく佇んでいる。まるで秘書だか召使いの類だ。
その場にいるヒトはあの親娘だけじゃない。
ホログラムを挟まない僕らと一つところには、ガスマスクを被ったカルナヴァルがいて、さらに左右を囲むようにして数十人の兵士たちが威圧的に並んでいる。
何人かの兵士たちは、銃の代わりに数十センチほどの長さの警棒を両手に持っていた。
その中の1人が、左右二本の警棒をおもむろに擦り合わせると「バチッ」と派手な火花を飛び散らせた。
どうやら警棒からは電撃が発せられているようだ。
まるで僕らを威嚇するかのような様相は、カルナヴァルの意向だろう。
オーダーを仕込まれて無抵抗になるしかないフレンズを相手に武装はそもそも必要ないはずだが、奴は自分を強く見せることで周囲を威圧し、己の身を守ろうとしているのだ。
作戦を終えた僕とクズリさんは、拠点であるホバー艦に戻るやいなや呼び出しを受けた。
グレン・ヴェスパーが、シャヘルのフレンズ部隊のメンバーを一か所に集めているのだ。どうやら今後の作戦について奴自ら通達を行おうとしているようだ。
プレトリア郊外の地下深くにあるという、セルリアンを生み出す卵管。
グレン・ヴェスパーが率いるシャヘルの人員は今、卵管に向けて核ミサイルのエネルギーを最大限に浸透させるための地盤工事を行っている。
工事には大量の爆薬を用いる。それに刺激された卵管が活性化し、エサを求めて大量の”子供たち”を生み落とした。
そうやって生み出されたセルリアンから工事エリアを防衛するのがシャヘルのフレンズ部隊の役目だった。
僕がオリファンツ川沿いの巨大倉庫でパークと一戦交えている間も、部隊の仲間たちは引き続き工事エリアの防衛を行っていた。奮戦の甲斐あってか、今やセルリアンのほとんどが工事エリアを抜け出して四方に散っているという。
それにより工事は程なくして完了し、後は核ミサイルの発射を待つだけとなる。
パークの出方が気になるところだが、それについてもやがて明らかになるだろうとのことだ。
僕とクズリさんが帰投した後、シャヘルの部隊が入れ替わる形で地上に降り立った。
そして地盤沈下で倒壊した巨大倉庫の跡地を掘り起し、瓦礫の下で倒れていたパークの兵士を何人か捕虜として捉えることに成功したからだ。
フレンズも数人見つかったらしい・・・・・・結果オーライだったが、僕らは作戦をこれ以上ない形で成功させたのだと思う。
捕虜を尋問して情報を聞き出し、それを元にパーク残党を殲滅する作戦を立案する。
それが終わるまで待機せよ、とのことだった。
《さて、もうひとつ通達すべき事項がある》
それまで上機嫌そうに緩んでいたグレン・ヴェスパーの口元が、突如能面のような無表情へと変貌した。
《裏切り者スパイダー・モンキーについての処遇だ。本日をもって、奴のすべての任を解く・・・・・・ラボに送り、捕獲した天然フレンズと共に生体実験のモルモットとして扱ってくれよう》
我らが隊長であるスパイダーさんを実験体扱いとは・・・・・・いかに敵をわざと逃がした罪が重いとはいえ、作戦を成功させた立役者でもある彼女に対して、常軌を逸した重い処分であるかのように思えるが。
それにグレンはスパイダーさんのことを、無きメガバットに代わる側近として抜擢しようとしていたんじゃなかったのか?
《私が目を掛けてやった恩を仇で返した罪は重い。死刑よりも凄惨な、自ら死を懇願してくるほどの苦しみを与えてやらねば気が済まぬ!》
そう告げる奴の青白い口元からは、静かな怒りと揺るがぬ意志が感じられた。何がどうあっても決断を取り下げる意向はないようだ。
・・・・・・所詮はこれがフレンズの扱いか、と思った。
僕らはヒトではない。しかし動物でもないグレーな存在。グレン・ヴェスパーがフレンズをどのように扱おうともそれを裁く法はない。
奴はそれがわかっているからこそ、悪意の向くまま僕らを虐げ、気分ひとつで使い捨てるのだ。
・・・・・・それにしてもスパイダーさんはどこに連れていかれたのだろう。
すでに成層圏に浮かぶ要塞「スターオブシャヘル」に収容されてしまったのだろうか?
作戦終了時、彼女は僕とクズリさんとは別の輸送機に乗せられていった。それきり姿を見かけていないのだ。
「聞いての通りだ家畜ども! これより先は私が直々に貴様らを指揮してくれるわ!」
グレン・ヴェスパーの威を借りたカルナヴァルが吠える。
フレンズたちの表情が青ざめ、身を寄せ合って震えている。
無理もない。スパイダーさんという精神的支柱がいたから戦って来られたのだ。彼女がいなくなっては立ちゆくはずがない。
カルナヴァルごときの命令など受け付けるはずがない・・・・・・だから奴は精一杯おどして言うことを聞かせるつもりなのだろうが。
「納得がいかねえなァ」
怯えるフレンズたちの中でたった1人、クズリさんだけが顔色ひとつ変えず抗議をした。態度の大きさだけならグレンに負けてはいない。
「スパイダーを解放しろよ」
《それは無理だ。利敵行為をした裏切り者にお咎めなしというわけにはいかぬ》
「・・・・・・アイツはちょっと血迷っただけだ。裏切り者じゃねえ。アンタにとって使える駒であることに変わりはねえ」
《その駒をどう使うかは持ち主が決めること。無用な口を挟まぬことだ。スパイダーの後を追いたくないのであれば・・・・・・》
まるで話し合いが成立しない。
当たり前だ。グレンがフレンズの言うことなど聞くはずがない。
これ以上機嫌を損ねたら「鎖の腕輪」を作動させられてしまうだろう。そうなったらクズリさんでも拘束を打ち破るのは無理だ。
後ろからさり気なく彼女を諭そうと近づく。
・・・・・・だが、一見すると静かに佇んでいるだけの彼女の背中から、まるで可視化されているかのような巨大な殺気が立ち上っていることに気付いた。
_______ガシャンッッ!
まさか、と思った僕が視線を走らせるよりも速く、クズリさんはすでに行動を達成していた。
目にも止まらぬ動きで兵士たちの頭上を飛び越えると、カルナヴァルを押し倒し組み伏せて、ガスマスクを被った黒い禿頭を鷲掴みにしていた。
「は、放せ! 何をするかバケモノめ!」
万力のごとき力で取り押さえられたカルナヴァルが両足をばたつかせてもがく。
遅れて気付いた護衛の兵士たちの銃口が、クズリさんをぐるりと取り囲む。
「もう一度言うぜ・・・・・・さっさとスパイダー返せや。じゃねえとコイツの頭ツブすぞ?」
ついに実力行使に出たクズリさん。
その表情は冷静だったが、それだけに確かな勝算があっての行動だろう。
「いちおう言っておくぜ。てめえらが唇を動かすよりも、オレが動く方が速い・・・・・・ためしてみるかァ?」
「や、やめろおおおッ!」
僕とクズリさんの両腕に付けられた「鎖の腕輪」は、音声入力によって作動する。
権限を持ったヒトが特定のワードを発し、腕輪がそれを認識して作動するのだ。この中ではヴェスパー親娘とカルナヴァルの3人がそれに該当する。
だがクズリさんなら、たかが3人ぽっちの口元を見張るのは容易だ。
己を人質に取られたカルナヴァルが、さっきとは打って変わって死の恐怖に怯えて泣き叫んでいる。その痛快なザマに思わずほくそ笑む。これで少しは身の程を思い知ったか。
・・・・・・それにしても流石はクズリさん。痛快な暴れっぷりだ。僕はこういう彼女が見たかった。
さあ、奴らはどうでるか。
《かまわんよ》
グレン・ヴェスパーがぽつりと答えた。
唇を動かすな、と脅されているにも関わらず無視して喋った。
どこふく風の無表情。なんならクズリさんと画面越しに目すら合わせていない。
《・・・・・・その男の代わりなら、いくらでも用意出来るからな》
クズリさんはグレンの様子を見て一瞬固まった。
彼女ならいくらでも動くことが出来たはずだ。だが動けなかった。脅しが全く通用していないことに動揺を覚えたからだ。
そしてグレンは彼女の一瞬の隙を見逃さなかった。
《ステイ・ワン》
_______ガクンッ・・・・・・
魔法の言葉が奴の口から飛び出す。
それを認識して「鎖の腕輪」が作動すると、クズリさんは突如として動きを封じられ、四肢を地面に投げ出して倒れ込んだ。
腕輪が作動するのを見たのはこれが初めてだ・・・・・・聞くところによると、腕輪から飛び出した微小な針が装着者の神経に食い込んでおり、そこから特殊な電磁パルスを放出することで、装着者の手足を完全に麻痺させる効果があるようだ。
《私にとってはすべてが替えの利く駒でしかないのだよ。ウルヴァリン、君も含めてな》
「てめえ・・・・・・マジでぶち殺してやる」
《やれやれ、君にも制裁が必要だな・・・・・・おい、やれ》
グレン・ヴェスパーが画面ごしに顎をしゃくって兵士たちに指示をした。
電撃を放つ警棒でクズリさんを痛めつけろというのだ。
・・・・・・だが、兵士たちは二の足を踏んでどうにも動かない。
無理もないだろう。画面越しに離れた所で話しているグレンと違って、彼らは目の前にいるクズリさんのプレッシャーにじかに触れているのだ。
いかに拘束されている状態とはいえ、強さの桁が違う存在に対してはどうしても怖気づいてしまうのが生物としての正しい防衛本能だ。
「バカ者めらが! 貸せ!」
カルナヴァルが一人の兵士から警棒を引ったくると、うつ伏せに横たわるクズリさん目掛けて突き出した。
_______バチバチバチバチッッ!!
クズリさんの背中に押し当てられた警棒が白い火花を燦然と放ち、肉が焦げるすえた臭いを周囲に巻き散らかせた。
「このおぞましいバケモノめ! 死ね! くたばれ!」
恐怖を振り切って制裁を加えるカルナヴァルの黒い禿頭は冷や汗でびっしょり濡れていた。
今さっきクズリさんに殺されかけた恨みだけではない。
己のご主人様に「替えが利く男」として見捨てられそうになったことが奴を突き動かしていた。
主に忠実な駒としての存在感をアピールするのに必死な様がうかがえる。
「ぐうううっっ! ・・・殺すぅ・・・てめえら全員ぶち殺すっっ!」
_______ゴゴゴゴ・・・・・・
無抵抗のまま電撃をくらうしかないクズリさんだったがしかし、全身から金色の闘気を突風のように放ち、周囲の空間をビリビリと揺るがしていた。痛みをものともせずいきり立つ怪物の姿に、その場にいる兵士たちはさらに震えあがり距離を取った。
《お父様。無意味ですわ。このようなことをしても・・・・・・》
父の傍らに従順そうに立っていたイヴ・ヴェスパーが異を唱えた。
さしもの暴君も、右腕として重用している実の娘の物言いには聞き入れる姿勢を見せ《やめよ》とカルナヴァルを制止した。
電撃が騒がしく爆ぜる音が鳴りやみ、辺りには気まずいどよめきだけが残る。
《このウルヴァリンを力によって従わせることは不可能です。根っからの野獣を鎖につなぐことなどはね》
《では・・・・・・どのようにして従わせようというのだ?》
《理によって手なずけるのが一番かと。現に私は、今までそうすることで奴を飼い慣らしてまいりましたの》
場の主導権を握ったイヴ・ヴェスパーが一歩前に出て、画面越しにクズリさんを見下ろすと、薄ら笑いを口元に浮かべながら勝ち誇るように話しかけた。
《ウルヴァリン、あなたは早くシベリアンタイガーと戦いたいのでしょう? であるならば、私たちに従った方が賢明だと思いませんか?》
「・・・・・・アイツとやるのは最後の楽しみだァ」
《なんですって?》
「目障りなてめえらをぶち殺す方が先だっつってんだよッッ!」
クズリさんはますます怒りを爆発させている。
てこでも動かない頑強な態度に、今度はイヴがたじろぐ。
アムールトラのことをエサにクズリさんを従わせようとしたようだが・・・・・・やれやれ、所詮はこの程度の浅知恵でしか喋れなかったか。彼女がつまらない理屈を突き付けたぐらいで素直に引き下がるようなタマであるわけがない。
こうなってはもう「スパイダーさんを解放する」という要求を呑まなければクズリさんの怒りは収まらない。
奴らがそれをやらないのであれば、鎖の腕輪を作動させたまま彼女をどこかに閉じ込めるか、このまま電撃で焼き殺すかしかない。
このままではスパイダーさんどころか、クズリさんまで僕の前からいなくなってしまう。それだけは何としても避けなければならない。
・・・・・・いちかばちか、僕が話をまとめてみせる。
そう思い「発言してもよろしいでしょうか」と、手を上げて前に出た。
うやうやしく頭を下げ、従順さを絵に描いたような上目づかいでヴェスパー親娘を見上げる。足を組んでふんぞり返るグレンと、直立不動のイヴが虫けらを見るような目で見下ろしてくる。
口を開くぐらいは許してやる、と言わんばかりだ。
念には念をおして、さらに深く頭を下げてから交渉の口火を切った。
「このままではパークに勝てません」
《・・・・・・ほう。なぜだ? メリノ・シープよ》
「ご存知の通り、僕は先だってパークの軍勢と戦いました。パークの兵士は、士気も練度も相当に高いものと見受けます。そして何より、奴らが所有するフレンズたちの戦闘レベルは僕らに引けを取らないものでした。
そのような強敵を相手に、部隊の中核である2人を抜きで戦って勝てるはずがありません。どうか今回ばかりはご容赦をいただけないものでしょうか? せめて、戦いが終わるまでの間は・・・・・・」
反吐が出そうになるのを堪えながらも、何とか一息で言い切った。オブラートに包んではいるが全て本音だ。そして動くことのない正論でもある。
グレン・ヴェスパーの判断は正気の沙汰ではない。
勝利を望むならば、スパイダーさんというまとめ役と、クズリさんという最強戦力を自らの手で切り捨てんとするなど愚の骨頂のはずだ。
《なるほど・・・・・・お前の考えはわかった》
冷血な視線はそのままに、若干の寛容さを含ませたような声色でグレンが答える。
《心配することはない。私の判断は勝利への確信に基づいている》
「そ、それはどういう・・・・・・」
《私にとってすべては替えが利く駒ということだ。そして我が意に背く駒に存在価値はない》
失敗した。グレン・ヴェスパーは正論すら受け付けなかった。
これ以上何か話すことはないだろう・・・・・・相手を小馬鹿にした意味深な回答が、奴から僕に用意されたすべての答弁だった。
《ウルヴァリンを連れていけ》
話は終わったと言わんばかりのグレンに命令されるまま、兵士たちが動けないクズリさんを両脇から持ち上げて乱暴に引きずり始めた。
辺りにいるフレンズを銃や警棒で脅して道を開けさせている。
(行かせるものか)
《メリノ・シープよ、何をしている? 話は終わったはずだが?》
いつの間にかひとりでに体が動いていて、クズリさんを連れ去らんとする兵士たちの前に立ちふさがっていた。
「・・・・・・ふっ」
クズリさんとも目が合う。彼女は何も言わず、燃えるような血走った瞳で僕を一瞥し、不敵な笑みを浮かべるだけだった。
その表情の意味はわからない。ただひとつ確かなのは、今この瞬間、僕の中のオオカミがどうしようもなく奮い立っているということだ。
_______ジャキンッ!
「うおおおっ!!」
虚空から槍を取り出して兵士たちに躍りかかる。
我が身かわいさにこの場を見過ごしたりしたら、僕は臆病なヒツジに逆戻りだ。それは死ぬよりも怖いことなんだ。
その思いだけが僕の体を突き動かし、結果がわかりきった無謀な暴挙へと駆り立てた。
「な、何してんだバカ野郎!」
後ろから僕にそう言ってくるのはディンゴか。
放っておいてくれ。愚かだと思うだろうが、これが僕なんだ。お前は上に逆らったりしないで賢く生き残ればいい。
生きる道があるかはわからないが。
《ステイ・トゥー》
_______ガクンッ
画面越しにその言葉が聞こえた瞬間、全身が痺れて力が入らなくなり、いきおいよく前のめりに突っ伏した。
これが腕輪の効力か。クズリさんが一瞬で動けなくなるわけだ・・・・・・立ち上がろうにも、まるで手足が自分の体じゃなくなったかのように、脳の命令を一切受け付けない。
自由が利くのは首から上だけだ。何とか眼球を上転させて上を見ると、1人の兵士が近づいて来る姿が見えた。
兵士は僕のすぐそばで膝をつくと、両手に一本ずつ持った警棒を眼前に差し出してきた。
_______バチバチバチィィッッ!!
直後に青白い雷が眉間に炸裂し、激痛に全身が震えた。
傷みだけなら我慢することは出来るが、この電撃の恐ろしさは別の所にある。
電撃によって呼吸困難に陥らさせられているのだ。
腹筋が収縮し続け、息を強制的に吐かされている。逆に息を吸うことが出来なくなっている。
首から下が利かないということは腹筋も動かせない。自然な呼吸はあっても意識的に呼吸することは出来ない。
成すすべのない僕はそのまま気を失うしかなかった。
◇
(・・・・・・ここは)
意識を取り戻して顔を上げる。とりあえずまだ生きているようだ。
腕輪はまだ作動しているようで、相変わらず首から下はいっさい自由が利かない。
白い床と天井に、強化ガラスで仕切られた狭い部屋を、青白い照明が照らしている。
独房というには少々こぎれいな印象を受けるそんな場所で、僕はただ透明なプラスチック製の椅子に座らされていた。
腕輪ひとつあれば他の拘束は一切必要ない。煮るなり焼くなり好きにしろ、と捨て台詞を吐くしかないような状況だ。
_______ブゥン・・・・・・
前面にあるガラスの壁に、とつじょ画面が投影される。
《・・・・・・メリノヒツジ、どうかしら? 気分は》
さっそくお出でなすったか、と画面越しに映った人相を睨み付ける。
どうやら娘だけだ。父親の姿は見えない。
「この内装・・・・・・スターオブシャヘルの中か?」
《その通り、ここは私専用のラボよ。父ですら全容を把握してはいない》
「それでどうする? 僕を改造してフランケンシュタインにでもするつもりか?」
《知的な切り返しね。好きだわ》
もう猫を被る必要もない。だからため口で喋ってやることにした。
だがイヴは僕のささやかな抵抗を嘲笑するように機嫌が良さそうな顔で受け流している。
イヴの口からその後の状況が語られる。スパイダーさんもクズリさんも、シャヘル内の別の場所に収容されているようだ。
2人の処分についてはグレン・ヴェスパーが権限を握っている。そんななか僕だけがイヴの管轄になったのだ。
理由は簡単で、グレンは僕には大して興味がないからだ、と言う。
《それにしてもメリノヒツジ、あなたには失望したわ。書物を読み漁って多少の教養を身に着けたところで、結局は他のフレンズと同じね・・・・・・一時の感情で衝動的に動いて身を破滅させる。畜生の悲しき性というべきかしら》
「・・・・・・畜生はどっちだよ」
どのみち僕の未来は閉ざされたのだと思った。
グレンだろうとイヴだろうとやることに変わりはないはずだ。命が尽きるまで非人道的な実験のモルモットにされるだけだろう。
ならば、その瞬間までオオカミとしての意地を貫いてみせる。
「いや、お前らは親子そろって畜生以下の醜さだ。カマキリのように冷え切った目付きと、蛇みたいにシャーシャーと喋る口を兼ね備えたキマイラだ・・・・・・とてもじゃないがヒトには見えないな」
_______バチバチバチバチッッ
「ぐわあああっっ!」
せいいっぱい罵りの言葉を吐いた瞬間、どこからともなく機械のアームが伸びて来た。
アームの先端から電撃が放たれ、制裁と言わんばかりに僕を打ちのめす。
《・・・・・・メリノヒツジ、言葉には気を付けなさい》
少しして電流が止むと、イヴが諭すように言ってくる。
《私は父とは違う。あなたにチャンスをあげたいと思ってる》
チャンスときたか。
嘘八百も甚だしい。都合のいい言葉で僕を踊らせようというだけだろう。
今回の件でつくづくわかった。この親娘の頭にあるのは、僕らをいかに利用し尽すかということだけだ。
このイヴはなお腹立たしいことに、父親よりは穏健であるというポーズを装っている。薄皮一枚下には、父親とまったく同じ、自分以外をゴミ同然と見下す尊大さを持っているくせに。
・・・・・・だが不可解な点もある。
やることがあまりにもまだるっこしいじゃないか。わざわざ僕を隔離して語り掛けて来る理由はなんだ?
クズリさんやスパイダーさんと一緒にまとめて収容しておけばいいじゃないか。まさか父親とは別個の思惑があるとでも言うのか?
《チャンスが欲しければ、私に覚悟を見せてみなさい》
「この不自由な状態でどうしろと?」
《・・・・・・テイク・トゥー》
その言葉を聞いた瞬間、今の今まで指一本たりとも動かせなかった手や足に力が入り、すくっと問題なく立てるようになった。
今イヴが発したワードが、腕輪の拘束を解除する合言葉というわけか。
《さあ、こっちへ来なさい》
椅子から立ち上がって、イヴの顔を映しているガラスの壁の前に立つと、壁はドロリと溶けるように消え去り、進む道を僕の目の前に示した。
ひとりでに現れたり消えたりする壁や道・・・・・・ここが「スターオブシャヘル」の内部であるという事実を改めて確信させる様相だった。
イヴの言うことに従うのは癪だが、ともかく先に進むしかない。
この迷宮にあっては逃げることも留まることも出来ないのだ。
《進みなさい。私たちの計画の全容を教えてあげる》
どこからか僕を見張っているであろうイヴのアナウンスに従うまま、冷たい風が吹き抜ける一直線の道を進み続ける。
やがて行き止まりに辿り着くと、またも扉が出現し、僕を新たな場所へと誘った。
「こ、ここは?」
かなりの広さがあるであろうこの部屋には、虹色の溶液に浸された水槽が、上下左右に空間を持て余すことなく配置されていた。
サンドスター調整槽・・・・・・数十、数百、いやそれ以上の数がある。
調整槽の中にはフレンズらしき姿が浮かんでいた。意識のない人形のような姿を部屋の青白い照明に晒している。
これほどの数のフレンズがシャヘル内で密かに製造されていたというのか。
だが、良く見ると明らかにおかしい点があることに気付く。
どいつもこいつも似たり寄ったりの容姿をしているのだ。体色も、耳の形も、尻尾の長さも・・・・・・本来は多種多様であるはずのフレンズにはあり得ない程の没個性っぷりだ。
「まさかこいつら、全員おなじ種族なのか」
《良くわかったわね》
これまで人造フレンズは、野生動物の死体に施術を施すことで生み出されたいた。
だがそれではあまりにも非効率的であるために、ヴェスパー親娘はフレンズの生産方法を一から見直すことにしたのだと言う。
その結果生まれたのが目の前にいる彼女たちだ。彼女たちは2種の動物をもとにして作られているという。
ひとつはイヌ、もうひとつはネズミだ。
どちらもこの世界において、ヒトに匹敵するほどに繁栄している種族。入手しようと思えば何匹でも好きなだけ手に入れることが出来る。
ヴェスパー親娘はそこに目を付けたのだという。
イヌは保護犬を、ネズミは実験用のマウスを、何千何万という個体数を買い取り、ガス室で命を奪ってからフレンズ化施術にかける。
そうすることで短期間で急ピッチで数を揃える体制を確立したのだそうだ。
天然フレンズをサンプルとして攫ってくるようにと僕らに命じたのは、フレンズ化施術の成功率を上げる研究が早急に必要になったからだという。
いくら失敗したところで材料はいくらでも手に入る。とはいえ今後のことを考えるとコストは抑えたい。
コスト削減のためには施術の成功率を高めることが第一だからだそうだ。
《まだこのシャヘル内部でしか実用化されてないけれど、いずれ世界中の研究所にこのシステムを広める予定よ》
「くだらないな。イヌやネズミなどが戦力になるものか」
《ヒツジのあなたがそれを言う? ・・・・・・もちろんそこも考えているわ》
製造したイヌやネズミのフレンズは、ほとんど覚醒させることはないのだという。
睡眠状態のままVR漬けにすることで、短期間で戦闘技術を覚えさせようというのだ。
これまではコストの問題で、フレンズ一体一体に丁寧な戦闘教育を施すしかなかったが、今後は質より量の考え方で行くのだという。
個々の戦力は並クラスでも、大量に投入することで戦場を支配するのだ。
《およそ500体のイヌとネズミのフレンズを、いつでも戦場に投入可能よ》
なるほど。グレン・ヴェスパーが「勝利を確信している」と言ったのはそれが理由か。
この”量産型”フレンズ軍団こそが奴の隠し玉か。もしパークに追い詰められても彼女らを投入することで蹴散らすつもりなのだろう。
僕ら旧態依然とした人造フレンズは精々パークを疲弊させるための前座といったところか。
《このプロジェクトには続きがある。あなたやウルヴァリンに関係したことよ》
フレンズの潜在能力を限界まで引き出し、次なる”進化形”に至るための実験体。
僕とクズリさんに元々あてがわれた役割はそれだった。そのためにオーダーというリミッターが外され、代わりに鎖の腕輪を付けられることになったのだから。
どうやら僕は・・・・・・グレンから興味すらもたれない状況から察するに、期待値には達さず、半ば見放された状態なのだろうが。
《次なるステージへと進化したフレンズのデータを他の個体に移植することで、当プロジェクトは完成することになるわ》
「意味がわからないぞ。僕とクズリさんのどちらかが進化形に至る存在なのだとしたら、僕らのクローンでも作ればいいじゃないか」
《ほう、やはり物知りね。でもクローンはしょせん旧世紀の技術。そんなことは出来ないわ》
クローン技術ではフレンズを複製することは出来ないのだという。
サンドスターと動物の体細胞が結びついて変異を起こしたのがフレンズという存在だ。ところがクローンのもととなる幹細胞にはサンドスターの情報が保存されないのだ。
仮に僕の幹細胞からクローンを作ったところで、動物のヒツジが生まれるだけというわけだ。
《・・・・・・ではどうするか? 答えは単純よ》
フレンズのクローンを作れないのであれば、動物の段階から手を加えてしまえばいい。
それがヴェスパー親娘が出した結論だった。
同一の種族であっても、遺伝子によって個体差が生じる能力がいくつもある。
筋力、知能、疾病などに対する耐久性etc・・・・・・
遺伝子操作を行うことで、それらの能力を限界まで高めた個体を作り出し、それを大量に複製。
しかる後にフレンズ化施術にかけるというわけだ。
《究極の遺伝子を持ったフレンズ。私たちはこれを”ハイブリッド”と名付けることにした》
「・・・・・・つまり雑種ということか」
《ハイブリッドを誕生させるまでには、生物を遺伝子操作とフレンズ化施術という、二段階の振るいにかける必要があるわ。さすがに製造には膨大な手間を要する・・・・・・量産はとうぶん先のことになるでしょうね》
遺伝子操作によって限界まで能力が高められた「ハイブリッド」たちに、僕やクズリさんの戦闘データを移植する。
そうすることで最強のフレンズ軍団を創造するというのだ。
「なぜそこまでやる必要がある? 核実験で”女王”が生まれれば、セルリアンを支配できるんだろう? それで十分じゃないか」
《逆よ。強すぎる力を制御するためには、それに拮抗する力をもうひとつ持つ必要があるの。セルリアンとフレンズ・・・・・・ふたつの力を手中に収めることこそが肝要なのよ》
この親娘の力に対する欲求はまるで留まるところを知らないようだ。
けっして大袈裟ではなく、こいつらは本気で世界を支配しようとしているんだな、ということを思い知らされる。
《あれを御覧なさい》
とつじょとして、薄暗い部屋の一点にスポットライトが当てられる。
部屋中に無数に点在しているサンドスター調整槽の中でも、最奥に位置している大き目の水槽を照らし出した。
水槽に近づいてみると、中には全身白色のフレンズが浮かんでいるのが見えた。
丸い耳と細長い尻尾を持っていることから、イヌではなくネズミと思しき姿だ。
それよりなにより、彼女の体には奇異な特徴があった。左右で目の色が違うことだ。
意識のないまま半目開きになった瞳は、片方はごく普通の黒目だったが、もう片方は血のように赤かった。
《彼女は記念すべき一体目のハイブリッドよ。ハツカネズミをベースにしている。これ一体を作るまでにおよそ10万匹の実験用マウスが必要だったわ》
「この奇妙な姿は何だ」
《美しいでしょう? これこそが究極の遺伝子を持っていることの証左よ》
どうやらハイブリッドの元となる動物は、遺伝子操作の結果「アルビノ」かつ「オッドアイ」という、自然界では併発することが稀な身体的特徴を兼ね備えるようになるようだ。
イヌのハイブリッドはまだ完成していないが、おそらく同じような結果になるだろう、とイヴは言った。
「で、こんなものを見せてどうする? とち狂った実験の成果を見せつけて、僕が恐れひれ伏す事を期待しているのか?」
奴は僕にチャンスをやると言ってきた。チャンスが欲しければ覚悟を見せろとも言った。
まったく話が見えてこないじゃないか。
《仏作って魂入れず、という諺が日本にはあるわね》
「・・・・・・何が言いたい?」
《ハイブリッドの完成にまで漕ぎ付けたというのに、肝心の”フレンズの進化形”の戦闘データが手に入らないのよ》
お前達が不甲斐ないせいだ、と言わんばかりの非難めいた声色だ。
僕もクズリさんもいっこうに”進化形”に達する予兆を見せないことを、イヴは以前から不満げに思っていた。
進化に至るためには戦いの経験値をともかく積むことだ、と口を酸っぱくして聞かされてきた。
今から20年前、たった1人だけ”進化形”に達したフレンズがいたといわれている。
一撃で地面にクレーターを開けるほどの攻撃力を持ったその個体は、たった一夜で荒野を埋め尽くすほどのセルリアンを殲滅し、そして自分も永久に姿を消した。
その破壊の様を写真で見せられた時は背筋が凍ったものだ。
あれがフレンズの限界値だとするのなら、どれだけ僕と隔たっているんだと思った。クズリさんでさえあの領域には遠いだろう。
《・・・・・・メリノヒツジ、良く聞きなさい。チャンスというのはね、あなたが”進化形”に至るためのチャンスのことよ》
「な、何だと!?」
《今のあなたではまず無理・・・・・・でも特別なドーピングを施せば、万にひとつの可能性はあるかも》
_______フォォン・・・・・・
甲高い駆動音を発しながら、一機のナビゲーションユニットが舞い降りてきた。
ユニットが僕のすぐ真上で、存在を見せつけるように静止すると、球状のボディの底面部をスライドさせる。
内部から飛び出したアームには注射器のような円柱系の物体が握られていた。
「それが特別なドーピングとやらの正体か? いったいなんだ?」
《特に名前は付けていなかったわね・・・・・・言うなれば、進化促進薬とでも言うべき代物かしら》
「し、進化促進薬・・・・・・」
完成させたのはごく最近のことらしい。
進化促進薬には、フレンズの体内に流れるサンドスターの循環を、瞬間的に爆発的に早める作用があるそうだ。そうすることで理論上、肉体のリミッターを外し、限界を超えた能力を発揮させる効果が期待できるのだという。
もともと、地球上のあらゆる生物にはリミッターが設けられている。リミッターがなければ、無制限に発揮される能力に肉体が耐えられず早々に自壊するからだ。
つまり進化促進薬を打ったが最後、暴走の末に”進化”に至るか、身を破滅させるかの二者択一の運命を辿るしかないのだ。
・・・・・・いや、上手く行く確率は5分以下と見ていいだろう。
治験もロクにされていないような未知の劇薬。そして何よりも、他者の命を顧みることのないこの親娘が発明した代物だ。
《父はおそらく、ウルヴァリンとスパイダーモンキーに促進薬を打つつもりなのでしょう》
そうか・・・・・・考えてみればクズリさんだけでなく、スパイダーさんもグレンにとっては魅力的な実験体になり得るはずだ。
野生解放の”先にある力”。その二段階目にあたる能力をクズリさんよりも先に使いこなしていたのは、他ならぬスパイダーさんなのだ。
能力の特性が戦闘には向いていないだけで、己の潜在能力を上手く引き出しているという点においては”進化形”に近い存在に違いない。
《父にとってあなたは本命ではない。だから私に処分を一任してきた。このまま切り刻むのもよし、促進薬の治験に使うのもよし・・・・・・とね》
「つまり、チャンスというのは・・・・・・」
《察しが良いわね。メリノヒツジ、あなたが進化促進薬の被験者を名乗り出るならば、この場で切り刻むのは止めてあげてもいい。治験の名目で下に送り返してあげるわ》
チャンスと言ってはいるが・・・・・・僕のことなど最早どうでもいいのだろう。実験体としてはクズリさんらがいるわけだし、戦力は量産型部隊がいれば事足りると思っているはずだ。
促進薬を手渡して、実地で治験を行わせるモルモットとして処分してやろうということか。
僕には何の得もない。クズリさん達を助けることも出来なければ、僕自身も被験者として犬死をするしかない末路が待っているだけだ。
《もしかしたら、あなたの手でウルヴァリンらを救うことが出来るかもしれない。あなたが2人よりも先に”進化体”に至ることが出来れば・・・・・・》
答えあぐねている僕にイブが重ねる。
その白々しい物言いにはいよいよ耐えかねた。
「ふざけるなっ! 今さらそんな言葉を信じるものか! 僕が何をしたところで、グレンがクズリさん達を手放すはずがない!」
《まあ、私も父の意向を完全には把握していない・・・・・・しかし実際問題”進化体”が1人でも出現すれば、そこで今の研究にはピリオドが打たれるわ。どうかしら? 仲間を救いたいのなら、万にひとつの可能性でもかけてみるというのは?》
「・・・・・・だったら言う通りにしてやる! それを僕に打て!」
空中に浮かぶナビゲーションユニットめがけて手を伸ばしながら叫ぶ。
行くも地獄、退くも地獄・・・・・・ならば僕は行く方を選ぶ。オオカミとして生きる覚悟を決めている僕には、退くことは絶対に許されない。
だが、ユニットは僕の手を躱すように一段上へと上昇した。
《覚悟を見せなさいと言ったはず。ただで手に入るとは思わないことね》
「この上いったい何をしろと!?」
《まずは、ある人物と会話しなさい》
そう言うなり、ユニットのカメラアイが光り、空間上に画質の悪いホログラムを投影する。
どうやら随分と薄暗い部屋を撮影しているようだ。
いったい誰と会わせようというのか。一見してわかるのはフレンズではなく、イヴでもグレンでもないということだけだ。
1人の男が、手首や足首を縛られて椅子に座らせられている。
薄汚れた衣服のあちこちには血が滲んでいる。
酷い拷問を受けているようで、パッと見では生きているのか死んでいるのかわからないぐらいにぐったりとしている。
《この男を忘れたの? かつてあなたを育てた男よ。トーキョーの地でね》
「まさか・・・・・・ヒグラシ所長?」
どうやら向こう側にもこちらの声が聞こえているようで、自身の名前を呼ばれたヒグラシがびくりと顔を上げる。
何度も何度も殴られたようで顔面が青痣まみれになっている。
・・・・・・そうか。彼はあのカルナヴァルと一緒に、スパイダーさんの影潜りでCフォースに奪還されていたのだった。
その後どういう扱いを受けて来たのかは気になってはいたが、これが答えのようだった。
「機密を吐かせるためにヒグラシを拷問にかけているのか?」
《違うわ。いま彼は父のお気に入りの玩具なのよ》
グレン・ヴェスパーの大昔からの部下であったヒグラシだったが、彼はCフォースを裏切ってパークに出奔した。
目を掛けていた部下に裏切られたグレンの恨みは凄まじく、こうして日々拷問にかけて憂さを晴らしているんだそうな。
兵士などの手も介さず、自らの手で直々に痛めつけているようだ。
拷問にはそれなりの技術が必要だ。素人に出来るものじゃない。勢いあまって殺してしまう可能性だって多いにある。
グレンにとっては、そのランダム要素がまた楽しいんだそうだ。
《せめて核を落とす日まで持ってほしい、と父は言っているわ》
「彼を僕に見せてどうしたいんだ!」
_______メリノ、その声はメリノか・・・・・・。
消え入りそうな声でヒグラシが割って入る。僕の顔を見て驚いたように目を見開いている。
「お、お久しぶりですね、所長」
《・・・・・・その姿はどうしたんだ? 本当に君なのか?》
驚くのも無理はない。彼が知っている頃の僕とはずいぶん違う姿になっているのだから。
身長が一回り以上大きくなって筋肉が付き、白くブカブカだった毛は、赤みがかり体の線がわかるほどに短くなった。
眠たそうだった締まりのない目つきは殺気で血走り、つねに周囲を鋭く睨み付けている。
《奴らに何かされたのか。それでそんな》
「違いますよ。これが本当の僕なんです・・・・・・あなたが知っている、あの弱くて惨めな羊は死んだんだ」
《そうか・・・・・・自分を殺すしか生きる道がなかったのか》
ヒグラシは青痣だらけの顔を歪ませ、目元には涙を浮かべていた。
僕のことを憐れんでいるようだ。今は自分の方がよっぽど酷い状況に置かれているくせに・・・・・・
思い出したくもないのに、彼との思い出が次々に頭によぎる。
始めて文字というものを教えてくれた日のことを。読んだ本の感想を喋る僕に親身に耳を傾けてくれたことを。僕が研究所を去る日、不安げな寂しそうな表情で僕を見送っていたことを・・・・・・。
優しくて想像力が豊かな子だ、とたくさん褒めてくれた。今思えば彼だけが、ヒツジのままの僕を認めてくれた唯一の存在だった。
昔の自分が今にも生き返ってしまいそうな気持ちになる。
《どうかしら? いまの彼の姿を見て》
「・・・・・・なんだと」
イヴが鬱陶しく会話にしゃしゃり出て来る。姿は見えないものの、明らかにニヤついているのがわかるような声色だ。
なるほど、覚悟を見せろとはこういうことか。
ヒグラシの悲惨な姿を見せつけて、それに僕がどう反応するかを評価しているんだ。
僕にだって情はある。ヴェスパー親娘のようなバケモノとは違う。育ての親のこんな姿を見て心が痛まないはずはない。
だがそれを悟られたりすれば一貫の終わりだ。促進薬は手に入らず、二度と日の目を見ることのないまま、このラボで切り刻まれる最期を迎えるしかない。
今の僕に出来ることは、表情筋に力を込めて冷淡さを装うことだけだった。
《・・・・・・メリノヒツジ、良いんだ》
ヒグラシは全てを見透かしたような表情で、静かに諭すように話し始めた。
《僕は君に戦いを強要し、辛い思いをさせた。僕のことを恨んでいい・・・・・・そして、どうか死なないでくれ》
「だまれぇっっ!」
追いすがってくる過去を振り払うように叫ぶ。
ヒグラシはボロボロになってもなお、自分だけを悪者にして僕を庇おうとしている。それを見てイヴ・ヴェスパーは嘲っている。
今さらながらに思う。これが世界の真実だ。
「やっぱり僕の選んだ道は正しかったよ。アンタみたいな優しいだけの弱者は搾取されるしかないんだ。僕はそんなのごめんだ! 食われる側じゃない! 食らう側として生きる!」
ヒグラシは僕の告白を聞きながらいっそう慟哭し《すまない》と繰り返し喘いだ。
これ以上話すことは何もない。僕は彼から目を逸らし無視を決め込んだ。
_______パチパチパチ・・・・・・
ホログラムが消失し、空間に拍手の音だけが鳴り響いた。
《覚悟を見せてもらったわ。育ての親の酷い姿を見ても欠片も情を見せず、関係を断ち切った・・・・・・見事だわ。その非情さに免じて、あなたにチャンスを与えましょう》
満足げにイヴが感想を漏らすと、ナビゲーションユニットが僕の真上へと降りてくる。
こんどこそ、と思いながらユニットに手を伸ばし、アームにぶら下がった「進化促進薬」をその手に掴んだ。
《これは即効性の劇薬よ。今打っても意味はないわ》
「ならばいつ打てと」
《まさに今こそ、と思った時に使いなさい》
・・・・・・ふん。我ながら聞くまでも無い事を聞いたものだ。
フレンズが進化形に至るのは、戦いの最中しかあり得ない。リミッターを取り払うのは、それを行うに値する強大な敵が目の前に現れた時のみ、ということだ。
・・・・・・そして僕が想定する相手は1人しかいない。
《さあ、下に降ろしてあげましょう。もう間もなくパークの残存兵力を掃討する作戦が開始される頃。下にいる部隊に加わりなさい》
僕がクズリさん達に先んじて”進化体”になることが出来れば、彼女らを救うことが出来るかもしれない。
わずかな希望だとわかっていせても、育ての親を見捨ててまで掴んだチャンスだ・・・・・・地獄に落ちるその瞬間まで足掻いてみせる。オオカミとしての生き様を貫いてやる。
(やってやる! やるしかないんだ!)
手に入れた”切り札”を握りしめながら、来たる決戦へと思いを馳せた。
to be continued・・・
_______________Cast________________
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・ヤギ亜科・ヒツジ属
「メリノヒツジ」
哺乳綱・ネコ目・イタチ科・クズリ属
「クズリ(ウルヴァリン)」
哺乳綱・ネコ目・イヌ科・イヌ属・タイリクオオカミ亜種
「ディンゴ」
哺乳綱・げっ歯目・ネズミ科・ハツカネズミ属
「ハツカネズミ」
_______________Human cast ________________
「イヴ・B・ヴェスパー(Eve Brea Vesper)」
年齢:25歳 性別:女 職業:Cフォースアフリカ支部研究所(別名スターオブシャヘル)所長
「グレン・S・ヴェスパー(Glenn Storm Vesper)」
年齢:74歳 性別:男 職業:Cフォースアメリカ本部総督ならびにアトランタ研究所所長
「日暮 啓(ひぐらしけい)」
年齢:52歳 性別:男 職業:元Cフォース日本支部研究所 所長
「イブン・エダ・カルナヴァル (Ibn Edd Carnaval)」
年齢:67歳 性別:男 職業:国際的非政府組織「PARK」現代表
_______________Story inspired by________________
“けものフレンズ” “けものフレンズ2”
byけものフレンズプロジェクト
“けものフレンズR”
by呪詛兄貴