_______ヒュゥゥウンッ・・・・・・ドォォォンッッ!
僕がスターオブシャヘルから地上へと戻される頃には、すでに状況が一変していた。
カルナヴァルの指揮の元、シャヘルの地上戦力が結集し、パークの残存戦力を掃討するための戦いが始まっていた。
黒雲に閉ざされた空の下、岩山や土くれで形成されたゴツゴツとした丘陵が広がっている。
そこに布陣した無数のシャヘル側の戦車やミサイル車両が、山の上へと向かって雨あられと仰角射撃を繰り返している。
甲高い音を発しながら頭上を通り抜けた砲撃が、着弾と同時に炎と粉塵を巻き上げている。
地獄というものを的確に言い表す情景があるとしたら、まさにこんな感じだろう。
バトーイェ山脈。
それが決戦の地であるこの場所の名前だ・・・・・・そして僕にとっては、かなり高い確率で死に場所になるであろう。
地盤工事が行われていたプレトリア郊外の平原から、南に40キロほどの場所に位置するこの山岳地帯は、アフリカ大陸中でも有名な火山群のひとつであり、絶え間なく吹き出し続ける噴煙のおかげで、昼間にも関わらずあたり一帯が薄暗い。
特に山頂付近は、空気が悪いためか植物の類は自生せず、そのために動物もヒトも住まうことが出来ない土地として知られているようだ。
パークの捕虜から聞き出した情報によれば、残党兵力はバトーイェ山脈にて最後の抗戦を試みようとしているようだ。
奴らの目的はふたつある。
ひとつはセルリアンの「女王」の誕生を阻止すること。
女王誕生の引き金となる核ミサイルのエネルギーを減衰させるために、着弾位置を卵管から外させようとしているらしい。
そのために、大規模な電波障害を起こさせるためのジャミング装置を建造しているようだ。
当初はアンダーテイカーが破壊したオリファンツ川沿いの巨大倉庫が、ジャミング装置を作動させる場所として予定されていたらしい。
倉庫の中から装置の残骸が見つかったことからも、捕虜からもたらされた情報が真実であることを裏付けている。
巨大倉庫が破壊されたことによって作戦を変更せざるを得なくなったパークは、次なるジャミング装置の設置場所としてバトーイェ山脈を選んだ。
もうひとつの目的は撤退することだ。
もともと奴らはいくつかの班に分かれて行動していたらしい。ジャミング装置を仕掛ける班の他に、地元の住民が核実験の被害に遭わないように避難させる活動も行っていたようだ。
避難民を伴いながらの撤退行動に、奴らが敢えてこの険しい山岳地帯を選んだ理由・・・・・・
それは勿論、シャヘルの爆撃を恐れているからだ。
平坦な道を進めば狙い撃ちにされてしまうが、このような天然の要害に対しては空爆も難しい。
一般的な建造物と違って、ターゲットへの命中率が下がるからだ。
パークの奴らもバカじゃない。ジャミング装置が傍から見て分かりづらいように偽装することが考えられる。
ターゲットの特定に時間がかかればかかるほど、今度はシャヘル側の爆撃機が撃ち落されるリスクが発生する。
パークの奴らにとっては、まさに至難の作戦内容となっている。
足場の劣悪な山岳地帯を進む以上は、細く列をなして進むしかない。そのような状況で非戦闘員を伴いながら撤退を行うのがいかに難しいかは、想像するだに容易だ。
その上ジャミング装置の設置まで同時並行で行おうというのだ。ひとつ歯車が狂えば瞬時に総崩れになってしまうはずだ。
・・・・・・そのような無茶な作戦を一糸乱れず行えるのだから、やはり奴らはかなり統制が取れた集団なのだろう。
奴らにとっては最後の生命線。総力を結集して抵抗してくるはずだ。
アムールトラもここに来ているはず。きっと・・・・・・いや必ず。
シャヘル側としては、空爆に頼れない以上、地上から攻めて制圧するしか手段が無くなる。
パークの抵抗を蹴散らしながら、バトーイェ山脈のどこかに設置されているであろうジャミング装置を見つけだして破壊すること。それが今回の作戦内容だ。
戦況だけ鑑みればシャヘルの優位は揺るぎないが、一方でこちら側にもかなり厳しい条件が課せられている。
時間がない。ごく限られた時間で作戦を成功させなければならない。
今日は6月6日。核ミサイルは明日6月7日、正午に投下される予定だ。
それまでに作戦を完了させて撤退しなければ、核爆発に巻き込まれる恐れがある。
バトーイェ火山は、核が投下される卵管からは約40キロ離れていて、さすがに爆風の加害範囲からは外れているという話だが、人体が重篤な被爆をこうむるのには間違いない。
・・・・・・まああくまでヒトの話で、元から放射能を体に含んでいるフレンズならば、ヒトよりは深刻な被害にはならないとは思うが。
6月7日というのは、グレン・ヴェスパーにとって政治的に重要な意味を持つ日なのだ。今から20年前の同じ日に、奴が少数の研究者たちと共にCフォースを立ち上げた日だからだ。
グレンは記念すべき日のために着々と準備を進めて来た。
まずはプレトリア都市部のとある一角に会場を建設させた。そこでCフォース中から主要な軍閥を招いてCフォース設立20周年を祝う式典を行う予定だという。
会場の建設は容易な作業だったろう。セルリアンの手で壊滅させられて久しいプレトリアだったが、エサとなる資源が枯渇したために、巣食っていたセルリアンはとうの昔に去っていたからだ。
・・・・・・だがグレンの本来の目的は20周年を祝うことなどではない。
記念すべきその日に改めて己の権力を絶対的なものとするためだ。
世界中でセルリアンと戦う役目を担うCフォースは、グレンが1人で支配するのにはあまりにも巨大になり過ぎた。
後から参画した外様の軍人たちの権力や発言力も、今やそれなりに高まってしまっている。
たとえ最高指導者グレンであっても、彼らの意向を無視して好き勝手することは不可能なのだ。
奴が本当の意味で思いのままに操れるのは実質、このシャヘルという私設部隊だけだ。
軍人たちには様々な意見の人間がいる。中にはグレン・ヴェスパーが支配者として君臨することを快く思わない者もいる。
奴はそういった反体勢力を内部から一掃することを目論んでいるのだ。
女王が核爆発によって誕生する様を中継し、それを意のままに操れる様をアピールすることで反対勢力を恐怖に陥れ従わせる。
と、これがグレンの描いたシナリオだ。
僕にとってはグレンの妄想などただの雑音に過ぎない。
いや、自分の心の中の言葉以外のすべてが雑音に聴こえる。偉そうに大声で命令するカルナヴァルらの罵声も同じだ。
・・・・・・すべて戦場の熱狂にかき消されてしまえばいい。
カルナヴァルは短期決戦を望んでいる。
奴が取った作戦は、包囲網を形成してパークを殲滅することだった。
そのために、奴は部隊を3つに分けた。左右に別れた切り込み部隊と、中央に位置するカルナヴァルが直々に指揮する本隊だ。
パークの連中は細く長い列を成して前進し、バトーイェ山脈を突っ切ろうとしている。
そこを切り込み部隊が左右から挟撃することでパークの行軍を混乱させる。
本隊は後方に布陣し、砲撃によって切り込み部隊を援護しながら少しずつ前進。やがてパークに追いつき、力押しで押しつぶす。
・・・・・・良く言えば定石に則った。悪く言えば平凡な戦術といったところか。
しかし時間がない事を除けば、兵力でも地の利でもシャヘルが圧倒的に有利なのだ。パークを殲滅することは十分に出来ると思う。
予定通りに事が運べば、の話だが。
僕を含む、元はスパイダーさんが率いていたフレンズ部隊は今、切り込み部隊の一員として、ヒトの歩兵と共に山道を進軍している。
平坦な道がわずかしかない急峻な上り坂を敢えて進んでいる。敵に見つからない死角から奇襲を仕掛けるためだ。
眼前にそびえ立つ、あの尾根を越えさえすれば、見晴らしはぐっと良くなり、敵を狙い撃つことが可能なポジションに陣取ることが出来るという情報だ。
しかしまだまだ時間はかかりそうだ。フレンズ達がひとっ跳びで障害物を乗り越えても、後から付いてくるヒトの戦力を待たなければならないわけだから。
まったく愚かな行軍。とんだ足手まといだ。
・・・・・・と言いたいところだがそうもいかない。
このような開けた場所では、奴らの銃火器が無ければパークの軍勢を相手にすることは出来ない。フレンズは基本的に接近戦しか出来ないのだから。
クズリさんとスパイダーさんが居ないことが本当に悔やまれる。あの2人がいれば一瞬で敵の懐に飛び込んで壊滅させられたものを。
カルナヴァルはグレン・ヴェスパーから”量産型”フレンズ部隊をいくらか借り受けたようだったが、すべてを自分の近辺に本隊として配置させていた。
あきらかに僕ら旧式の人造フレンズたちを遠ざけている。
自分でもわかっているのだろう。僕らから信頼も何もされておらず、まともな用兵が出来ないことを。だからこのような役目をあてがうしかなかったのだ。
「もういや」
「アタシたちは終わりだ」
兵士たちに先んじて岩壁の上へと飛び上がると、周囲を偵察していた数人のフレンズたちが、互いに背中を預けながらグチをこぼし合っていた。
パークと違ってこちらの士気は最悪だ。皆心が折れかかっている。
無理もない。心の支えだったスパイダーさんがいなくなり、後ろから銃を突き付けられているも同然の状況で死地へと突っ込まされようとしているのだから。
「・・・・・・ああ、終わりだ。お前らは無駄死にするだけだよ」
僕はフレンズたちに向かってニヤリと笑いながら悪しざまに暴言を吐いた。
戦いを直前にしてメソメソと泣き言を言っている者たちに、かつての自分の姿を重ねてイラついたからだ。
「お前らなんか、スパイダーさんがいなければ何もできない弱虫どもなんだろうが!」
_______ガシィッ!
後ろから近づいて来た大柄な影が「ふざけんな!」と怒鳴りながら僕の胸倉を掴みあげる。
されるがまま顔をのけ反らせた僕は、目線だけをそいつに向けて冷たく見下ろした。
「メリノ! 皆の気持ちがわからねーのか! 誰もがおめーみたいに強いワケじゃねーんだ!」
「・・・・・・今はお前が隊長というわけか?」
「オレじゃスパイダーさんにとても及ばないのは分かってるさ・・・・・・けどよ、仲間を守りたいって気持ちは同じだ!」
ディンゴ・・・・・・元は僕に似たような言葉を浴びせていたイジメっ子が、変われば変わるものだ。
かつてはクズリさんに憧れていて、己の強さを誇示するように振る舞っていた癖に、いまやスパイダーさんを模倣するかのように、仲間に気を配り支えようとしている。
まあもともと周囲とつるむのが上手い奴だったから、これが本当のコイツらしい在り方なのかもしれないが。
「チッ!」
何秒間か睨み合った後に、ディンゴが僕を放すと、崖っぷちからロープで引き上げられている兵士たちへと視線を向けた。
紺一色のシャヘル兵の中に交じって、明るい水色のベレー帽をかぶった兵士が現れる。奴がこの切り込み部隊の指揮官だ。
耳に手を当てて何ごとかブツブツと話している。
どうやら後方にいるカルナヴァルと通信しているようだ。
パークに奇襲をかけるどころか、まだ敵影すら見つけられていない切り込み部隊の足の遅さにしびれを切らしているらしい。
電波の向こうの相手にペコペコと頭を下げながら通信を終えると「何を休んでいる!」とフレンズ部隊の面々を怒鳴り、行軍を再開するように顎で促した。
「向こうはなんと言っているんです?」
焦る指揮官の命令をわざと無視するように尋ねてみた。
ガスマスク越しに明らかにイラついている様子がうかがえるが、奴らに僕を咎める権限はない。
僕はカルナヴァルよりもさらに上の立場である、グレン・ヴェスパーの愛娘イヴの命令で作戦に参加しているのだから。
「一刻も早く敵陣を打ち崩せとのご命令だ!」
指揮官が言うには、後方にいる本隊は、パーク側の砲撃によって足止めを受けてしまっているようだ。
とても撤退を行おうとしている軍隊の仕業とは思えないぐらい密度の濃い砲撃だという。
カルナヴァルの命令は、本隊を前進させるために、側面から攻撃を浴びせてパークを妨害しろ、という物だった。
だが今の行軍のスピードじゃ今すぐ尾根を越えるのは無理だ。ヒト如きがこの岩山がそこらじゅうに屹立する険しい地形をまともに進めるものではない。
「・・・・・・なるほど、では」
無茶な命令に頭を抱える憐れな指揮官に変わって、ひとつ作戦を考えてやろうかと思った。
もちろんシャヘルの勝利などどうでもいい。僕自身の目的を果たすための作戦だ。
「フレンズだけで突撃させるというのはいかがでしょう?」
「な、何だと?」
それは奴らにとっても悪くない策のはずだった。
機動力に優れたフレンズだけを先に行かせれば、ごくわずかな時間でパークに迫ることが出来るだろう。
ヒトの部隊は後から追い付いて戦列に加わればいい。この状況下でカルナヴァルの命令を遂行するにはもっとも確実だと言える。
・・・・・・しかし当たり前ながら、僕のことを信用していない指揮官が首を縦に振ることはなく、上司であるカルナヴァルに打診してお伺いを立てはじめた。
「オレたちだけで突撃だと!? メリノてめー、なに勝手なこと言いだしてやがる!」
と、後ろからディンゴの非難の声が飛んでくる。
振り返ってみると、他のフレンズ達も恨みがましい目で僕のことを睨んできている。
「やれやれ、自分で言った通り、お前はスパイダーさんには遠く及ばないな・・・・・・」
「何だとォ!?」
_______グンッ!
憤慨しているディンゴにずかずかと近づくと、ついさっきの仕返しと言わんばかりに胸倉を掴み顔を引き寄せた。
(スパイダーさんの分まで、皆を生かしてみせろ)
(てめーなに考えてやがる?)
(わからないのか? これが最後のチャンスだということが・・・・・・)
周囲に聞きとれない小声でそれだけ囁くとディンゴを突き放す。
奴はしばらくは鳩が豆鉄砲を食ったように唖然としていたが、やがて瞳にするどい精気が宿っていくのが見えた。
そして後ろに控える仲間たちへと振り返って叫ぶ。
「・・・・・・そこまで言われて引き下がってるほど、オレは落ちぶれちゃいねー! やるぞみんな! 突撃だ! パークに一泡吹かせてやろうぜ!」
嫌われ者の僕と違って仲間に慕われているディンゴだ。彼女がそう言ったことで空気がいっぺんに変わりはじめる。
フレンズたち一人一人が、なんとか最後の気概を奮い立たせて、いちかばちかの突撃を敢行してやろうという決意を持ち始めた。
ほどなくして指揮官からの返答があった。
カルナヴァルからの許可が下りたようだ。僕らは正式に、フレンズ部隊だけでの正面突撃を命じられた。
「お前らは逃げることも逆らうこともできない。オーダーを忘れるな」
指揮官は最後に、僕らにそう念を押してきた。まんまと僕の口車に乗せられたような口惜しさを滲ませているようだ。
_______シュタタタンッ!
ヒトという重荷から解放されたフレンズ部隊が、急峻な岩の斜面をみるみるうちに駆け上がっていく。
程なくして尾根に到達すると、おのおのが岩に身を隠しながら向こう側の様子を見やった。
あれほど急だった来た道とは異なり、目の前には程よくなだらかな勾配が広がっている。標高が高いために、辺りには霧が立ち込めてはいるが、見晴らしはかなりいい・・・・・・
まだまだバトーイェ山脈の中腹といったところか。
勾配を下りきった先にはまた無数の険しい岩山がそびえ立ってはいるが、少なくともしばらくは劣悪な足場から解放されるだろう。
_______ドォォォンッッ!
そしてついにパークの戦力と遭遇するのだった。
霧に包まれた台地を、爆音と閃光とが照らしている。高台に陣取った無数の戦車や榴弾砲が雨あられのごとく砲弾を撃ちまくっている。
あの砲撃が遥か下方から進軍してくるカルナヴァルを足止めしているというわけだ。
真下の敵を撃つことに夢中になるあまり、側面の離れた場所からコソコソと顔を出している僕らには気付く様子はない。
「よし、やってやろうぜみんな!」と、ディンゴが仲間たちに発破をかける。
ここのところ丸くなっていた奴の、本来の武闘派気質が戻ってきているようだ。
「オレたちにゃ銃は使えねえ! だから皆で野生解放して、全力であの中に突っ込むんだ! 強行突破だ!」
「・・・・・・バカ、そうじゃないのさ」
ディンゴの出ばなをくじくように言葉を遮る。
必死に仲間を鼓舞しようとしているところ悪いが、僕はそういうつもりで突撃を提案したわけではないんだ。
真意を説明してやる必要があるようだ。
「そんな命がけの突撃をしてみせた所で、グレン・ヴェスパーやカルナヴァルを喜ばせるだけじゃないか。お前らはあんなクズニンゲンどもに命を捧げたいのか?」
「じ、じゃあ、おめーがさっき指揮官に言ってたことは・・・・・・」
「あれはウソだ。奴らを騙すために、まずお前らを騙す必要があったのさ」
そう。僕はつい最近、オーダーの明らかな抜け穴に気付いた。
パークという敵対勢力の存在が、オーダーにとっての致命的な盲点だ。
奴らはフレンズの保護を目的としてCフォースに楯突いている連中なのだから、いかにCフォースの手先とはいえ、無抵抗なフレンズを殺すことはしないはずだ。
オーダーが発動したところで、気絶したままパークの奴らに運んでもらえば済む話。
「・・・・・・うっ!」
一人のフレンズが軽く呻くと、意識を失って倒れた。近くにいた仲間がそれを支える。彼女の中のオーダーが発動したようだ。きっと他の誰よりも強く脱走を意識したのだろう。
ここに来るまで真意を明らかにしなかったのは、脱走を意識に上らせることで、彼女たち全員のオーダーが発動してしまうことを恐れたからだ。
オーダーというのはいま、実際にどれ程の拘束力があるのだろう。
僕たちがシャヘルに集う前・・・・・・かつて世界各地でセルリアンと戦っていた頃、オーダーはふたつの絶対的なルールを課していた。
・・・・・・「殺人禁止」と「脱走禁止」がそれだ。
しかしパークとの戦闘が間近に控えた今、殺人禁止は取り払われたという話だった。
ふたつのルールがひとつに減らされた分だけ、昔よりも拘束が弱まっているんじゃないか、と勘ぐってしまう。
長時間にわたって脱走行動を行うことは無理でも、今目の前にいるパークに姿を見せて、命乞いをしてみせるぐらいの猶予はあるんじゃないか、と。
あくまで希望的観測だ・・・・・・そもそも僕自身の体にはオーダーがもう無いわけだから、そう言い切れる材料は何もない。
僕がこう思うに至った理由は、先日スパイダーさんが行った一連の行動だ。
敵を逃がすというのは、オーダーの琴線に触れかねない、かなりギリギリのグレーゾーンだったのではないだろうか?
僕らを置いて逃げる気はない、とスパイダーさんは言っていた。それが彼女の意志。しかし心の片隅には逃げたいという欲求だって芽生えていたはずなのだ。
にも関わらず、彼女は最後まで意識を失わなかった・・・・・・。
「逃げる・・・・・・? 逃げてもいいのか・・・・・・生まれてこの方、Cフォースに頭下げるしか生きる道がなかったオレたちが?」
「だが油断しないことさ。ここは戦場だ・・・・・・降伏するのも命がけだと思え」
安堵と不安の間で揺れるディンゴたちに釘を刺す。
パークの連中はシャヘルを食い止めるために必死の抵抗を試みている。とうぜん気が立っている。目の前に現れる者をすべて敵だと思い銃口を向けてくるだろう。
そんななか無防備に身を晒し、奴らを刺激しないように手を上げてゆっくりと歩き、降伏する意志があることを示すのだ。並み大抵のことじゃない。
途中で何人かは撃たれるかもしれない。あるいは最悪、シャヘル側の罠か何かだと思われて、降伏が受け入れられず皆殺しになるかも・・・・・・
「ディンゴ。お前が皆をまとめろよ。皆を勇気づけて、銃口の前に身を晒すんだ。早くしないと、下にいる連中に追いつかれる」
「メリノ・・・・・・おめーはどうするんだよ?」
「最後までここで戦うさ。やらなきゃいけないことがある・・・・・・お前らとはこれまでだ」
そう言うなり踵を返し、岩陰に身を伏せてゆっくりと進みはじめる。
僕は最初から、戦う気がない情けないコイツらを戦場から切り離したかっただけだ。そのために一芝居をぶったまでのこと。
後はパークの奴らに見つからないように、ここから出来るだけ離れるだけ。僕と一緒では、コイツらの降伏が受け入れられることはないだろうからな。
「待てよメリノ! オレも行くぜ! おめーにばっかカッコつけさせてたまるか!」
背後から耳を疑う一言が聞こえてきたので思わず振り返る。ディンゴの声色も表情も、どうやら冗談の類を言っているわけではなさそうだった。
「もちろん行くのはオレだけだ。みんなにはここでパークに降伏してもらうさ」
「・・・・・・唯一の生きる道を潰す気か? それにお前がまとめなかったら、皆はどうなるんだ?」
「コイツらを舐めんじゃねえ! 自分のケツぐらいは自分で持てる奴らだ! ・・・・・・もちろんオレだってそうだ!」
ディンゴと仲間たちが抱擁を交わす。「生きろよ」「死ぬなよ」など口々に別れの言葉をかけ合っている。
わずかな間の別れを済ますと、脇目もふらずに僕の後へと迫って来た。
「このバカが・・・・・・後悔しても知らないぞ」
舌打ち混じりに吐き捨てると、僕もそれ以上構うことはなく前を向いて、岩だらけの斜面に身を隠しながら進み始めた。
◇
「それじゃその薬を打てば、おめーが最強になれるってのか? そうしたらグレン・ヴェスパーが、隊長とウルヴァリンさんを返してくれるってのか?」
「・・・・・・どちらの話も、可能性は限りなく低いがな」
ディンゴは僕が懐から取り出した”進化促進薬”入りの金属の筒を食い入るように見つめている。
この即効性の劇薬を投与したが最後、破滅か進化かの二択が肉体に訪れる。
最良の効果を得る為には「すさまじい強敵との戦い」に臨むことが必要だ。さすればフレンズの潜在能力は限界まで引き出され”進化態”に達するとの話だったが・・・・・・
そのためにも僕は、アムールトラを見つけ出して戦いを挑まなければならない。
ながらくクズリさんと互角であると評価され、ディザスター級セルリアンを1人で軽々と粉砕してのけるほどの規格外の存在・・・・・・僕を次のステージに引き上げる相手がいるとするなら、奴の他には考えられない。
「ハナっからそんな無謀なバクチを1人でやるつもりだったってのか?」
「他に道はないと思ったのさ」
あれから僕らはパークの砲撃部隊の陣地から遠ざかり、いったん見晴らしのいい場所へと身を潜め、周囲を観察していた。
肝心のアムールトラの居場所がわからないことには何も始まらない。
だからまずはパーク側の動きを探るのだ。
あの砲撃部隊は、カルナヴァルたちを近づけさせないことが役目なのだろう。避難民たちが無事に山脈を抜けるための時間を稼ぐためだ。
逆に避難民たちの傍で護衛を行う兵士たちもいるはずだろう。
いっぽうで、まったくの別働隊。すなわちジャミング装置を設置するために動いている兵士たちもいる。
・・・・・・アムールトラはいずれかのチームに属して、兵士たちと行動を共にしているはず。それはいったいどこなんだ。
「おめー前に言ってたよな。ヒツジに戻りたくねー、だからウルヴァリンさんに認められてーってさ・・・・・・オレにゃやっぱり理解出来ねー。どうしてそんなにヒツジなのが嫌なんだ?」
「べつに理解してくれなくてもいいさ。それが僕にとっては命より重い理由ってだけさ。逆にディンゴ、お前にはそういう理由はあるのか? どうして僕に付いて来た?」
「お、オレは・・・・・・」
ディンゴが虚空に視線を泳がせながら言葉を探しているようだった。
思えばコイツとこうして2人きりで会話をする機会なんてほとんどなかった。元はいじめっ子といじめられっ子の間柄でしかなかった。
後に僕は力づくでディンゴを一方的に視界から追い出した。絆なんて物はない。
・・・・・・それでも、同じところにいた時間だけは長かった。コイツは、今の僕を見て何を思うのだろうか。
「オレだってよ、腕力自慢でやってきた中の1人なんだ。おめーに追い抜かされっぱなしじゃ我慢ならねーんだ」
取り繕うようにディンゴがやっと言う。
何か言いにくい本音を隠しているように見えるが、これ以上追及するのはやめておこう。
だいたい、昔馴染みのディンゴが何を考えているかは想像がつく。コイツはプライドが高く、周りに恰好いい姿を見せたいと常に思っている奴だ。
結局のところ、敵に降伏することなどプライドが許さなかったのだろう。
逃げる恥を晒すよりも、勇敢な姿を見せて仲間たちに恰好を付けてみせたかったのだ。理性よりも欲求を優先した結果に過ぎない。
残念ながらディンゴは、僕と同レベルの愚か者だった。ただそれだけだ。
もちろん良い所もある。基本的に他の奴には気さくで面倒見がよかった。いつも仲間に囲まれて歩いているような奴だった。
ただ、僕とだけはこういう関係しか築けなかった。ディンゴだけが悪いわけじゃない。本の世界に逃げて、周りに壁を作っていた僕も悪い。
もし、僕がこういう性分でなければ、ディンゴの接し方だってきっと変わったことだろう・・・・・・今となっては、過ぎたことだけど。
「仲間と共に生き延びる道を選べばよかったのに・・・・・・これで僕と同じだよ。生きるも死ぬも自分一人になった」
「う、うるせー・・・・・・オレは後悔なんかしねーぞ」
それきり沈黙が訪れる。相変わらず両陣営からけたたましい砲撃が鳴り響いている以外に、周囲に変わった様子は見受けられない。
・・・・・・いっそのことこのまま待つのも一つの手か、と思った。
シャヘルが進軍して本格的な衝突が始まれば、いずれアムールトラが向こうから姿を現すかもしれない。
「あ、あれを見ろ!」
これからの動きを考えあぐねていた僕に向かって、ディンゴが眼下のとある一点を見つめて耳打ちしてきた。
パークの砲撃陣地とはまったく違う方向に見えるのは、険しい山の中腹だ。一見すると何の変哲もないように思えるが、たったひとつだけ風穴がぽっかりと口を開けていた。
幅にしておよそ1~2mほどといったところか。生き物が入ろうと思えば入れるだろうが、狭苦しい思いをするのには間違いない。
意識しないと見落としてしまいそうな、なんとも言えない大きさだ。
・・・・・・そして見た。パークとおぼしき歩兵の姿だ。
十人にも満たない少人数が列をなして、険しい足場を慎重に少しずつ進むと、やがて1人、また1人と風穴の中に入っていった。
砲撃隊から離れた場所での別行動。明らかに不審なその動きの意味するところとは・・・・・・
「まさか、例のジャミング装置を掘っ建てようとしてる連中なんじゃねーか?」
「可能性はあるな」
「行ってみよーぜ」
確かにそうであるとしか考えられないのだが、断定できる証拠はない。
そもそもジャミング装置とは空に向かって電波を発する物だ。障害物のない屋外に設置するのが道理だ。
あのいっけん暗闇そのものの風穴に潜っていく行動とは辻褄が合っていない。
そのギャップを埋め合わせるための理由づけは・・・・・・考えてもわかるはずもない。
「良いだろう。ここでこうしていても仕方がない」
パークの奴らはこのバトーイェ山脈の地形を熟知しているだろうが、僕にはわからないことが多すぎる。
何はともあれ情報を得ることが今の最優先事項だろう。
そして願わくば、未だに姿を見ることのないアムールトラがあの風穴の中に潜んでいてほしい。
2人して勢いよく岩陰から飛び出す。
他に兵士たちの視線がないか十分に気を配りつつ、岩から岩へと飛び移り、眼下にある風穴を目指した。
敵に見つかってはならないが、かといって移動に時間をかけすぎると手がかりを見失ってしまうだろう。
気を揉みながら移動していると、なんとかトラブルなく目的地へと辿り着いた。
風穴に首を突っ込むと、ひんやりと冷たい風が頬に吹き付けてくるのを感じた。
この穴がどこか屋外へと通じている動かぬ証拠だ。
であるならば、ここを進んだ先にジャミング装置を見つけられる可能性だって十分にある・・・・・・
意を決した僕らは、息をひそめ身をかがめて穴の中へと身を投じる。
意外なことに、目の前に広がっているのは暗闇ではなかった。瞳の中には相も変わらずに光が入ってきている。
見るかぎり、やはりここは洞窟の類ではなさそうだ・・・・・・言うなれば、裂け目。
絶壁と絶壁の隙間に生じた細い道のようだ。上を見上げると、はるか頭上からか細い光が降り注いできているのが見える。
元は隣接していた二つの山稜が、長い年月をかけて同化し、ほとんどひとつになってしまった。
この地形はその残滓といった所か。
同化は今もなお進んでいる。入り口付近から埋め立てられていき、二つの山の境目は、傍目からは穴ぐらにしか見えなくなってしまったのだ。
大自然の中に偶然に生じた、奇妙奇天烈な地形というわけだ。
視界が確保されているのはいいのだが、しばらく進むと分かれ道が出現しており、兵士たちがどちらに進んだのかわからなくなってしまった。
思ったより複雑に入り組んでいて、文字通り一筋縄ではいかないようだ。
「こっちだぜ。風に乗ってすこし火薬の臭いがする」
ディンゴが立ち往生している僕の前に立つと、確信を持った声色で方角を指し示した。
なるほど。自慢の嗅覚というわけか。
本物のイヌ科動物だけが備えている特質だ。残念ながら、オオカミを”自称”しているだけの僕にはどうあがいても獲得できない。
「オレがいて良かっただろ?」
「ふん・・・・・・そうだな」
確かな手がかりを得た僕らは、迷うことなく絶壁の隙間を進んでいった。
すると崖の高さはそのままに、道の間隔が段々と広まってくる。
岩壁に挟まれているような圧迫感が薄らいでいくのと同時に、頼りなかった空からの光が少しずつ強くなり、視界が良好になっていった。
(いたぜ!)
ほどなくして、先ほど見かけたと思しきパーク兵たちの後ろ姿を見た。
裂け目の道のずっと向こうに、豆粒ほどの兵士たちが列を成して進んでいる。
一分の隙も感じられない、強い目的意識が感じられる行軍だ。
まだ気づかれてはいないが、油断は禁物だろう。視界が良いということは、こちらも見つかりやすくなっているということ。
近づきすぎてはいけない。距離を保ちつつ、物陰に潜みながら追跡するのが得策だろう。
・・・・・・行動を起こした甲斐があった。これでようやくアムールトラの居場所の手がかりを得られそうだ。
《貴様ら、何しにきた?》
高揚感に胸を弾ませ、遠くを歩く兵士を食い入るように見つめながら進んでいると、見知らぬ声が耳朶を打った。
まるで谷間を通り抜ける風鳴りのように静かな、それでいて不気味な存在感を感じさせる声色だった。
「おいメリノ、何か言ったか?」
「僕じゃない・・・・・・まずい。どうやら敵に見つかった」
「な、なんだとォ? 向こうの奴らに特に動きはねーぞ」
ビリッとした殺気が腹の奥を震わせている。理屈では説明できないような、とてつもなく危険な気配が感じられる。
・・・・・・どこから発せられた声なのか、まったくもって見当がつかない。だが声の主は確実に僕らの命を狙っているようだ。
_______スタァンッ!!
絶壁の隙間に存在するこの道に、遥か真上にある空から何者かが降り立った。
殺気の正体を見極めようと必死に動かした視線が、まったく追いつけないほどの速さだ。
いつの間にか僕らの真正面に、絶対的な存在感を放ちながら立ちはだかっていた。
「・・・・・・誰だ!?」
空の上から突如現れた敵。
言うまでもなくパーク側のフレンズだ・・・・・・だがアムールトラではない。
ほっそりとした、それでいて研ぎ澄まされた筋肉を備えた無駄のない体つき。
長く直線的な亜麻色の髪がなびく頭部には、二本の鋭角がV字に逆立っている・・・・・・その形状は、螺旋状にねじれ下向きに伸びている僕のそれとはずいぶんと違う。
しかし、兎にも角にもその二本角が、そのフレンズが僕に近い種族であることを示している。
ずっと向こうを移動していたパークの兵士たちが、喧騒の気配を聞きつけて振り返り、僕らに向けて銃を構えてきた。
しかし二本角を生やした亜麻色のフレンズは「ここは私にまかせなさい!」と背後を振り返って叫び、兵士たちに先を急ぐように促した。
それを聞くなり兵士たちは頷き、急いで駆け出してその場を後にしていった。
「私の名はスプリングボック・・・・・・」
開口一番に名乗りを上げたソイツは、やはり僕がいつもそうするのと同じように、虚空から二又の槍を取り出してきた。
奴の角そのものを象ったような、柄の端から穂先まで黒一色の二又槍だ。冷たさすらも感じられるほどに真っ直ぐで鋭利な形状をしており、見るからに威力が高そうだ。
僕も含めたほぼすべての角獣のフレンズは、それぞれ自身の角に似せた槍を武器に用いている。一本角のサイなんかは、西洋でいう所のランスに似た直槍を携えている。
フレンズの体を構成する「けものプラズム」という物質によって具現化した自分だけの得物だ。
なぜ角獣だけが槍を備えるのか・・・・・・当事者である僕には何となくわかる。
爪も牙も持たない僕らにとって、角は体の一部である以上に特別な意味合いを持った部位だ。誇りや自信といった、すべての尊厳が凝縮されていると言っていい。
だからこそ、その意志がけものプラズムに作用して「角に似せた槍」を形づくるのだ。
「Cフォースの賊どもよ。ここを貴様らの墓場にしてあげましょう」
穂先を僕とディンゴに向けて悠然と構える、嫌味なぐらい正々堂々とした有り様は、まるで中世の騎士か何かのように重厚で自信に満ちていた。
このスプリングボックとやら・・・・・・どうやら、前の作戦で遭遇したパンサーとは違うようだ。
彼女はフレンズと戦うことにひどく躊躇していた。
いっぽうで、コイツには一片の迷いも無い。確実に僕らを始末しようという冷徹な気迫をみなぎらせている。
同じパーク所属とはいえ、色んな考えのフレンズがいるものだ。
「あ? たった1人でいきがってんじゃねーよ! オレら2人を相手によぉ!」
ディンゴが威圧を跳ね返すように答える。
長身を折りたたんで上半身を丸めると、八の字を描くように激しく体を揺らしながらスプリングボックに敢然と間合いを詰めていく。
近接距離でのボクシングがディンゴの戦闘スタイルだ。その水準は、数多のセルリアンを相手に一歩も引かずに戦えるまでに仕上がっている。
_______ボッ!
振り子状にしならせた上半身から繰り出すフック。
ディンゴの得意技が渾身のスピードで炸裂するかと思った瞬間、スプリングボックの体は霞のように消え失せてしまった。
「出て来いよクソが! 逃げてんじゃねー!」
空を切った拳を持て余すように叫ぶディンゴは、すかさず両拳を眼前に並べてファイティングポーズを取りなおした。
僕は一歩引いた場所から消えたスプリングボックの気配を探ってみる。
この狭い場所じゃ下手に槍を構えるわけにもいかない。僕はディンゴのように五体だけでコンパクトに動く戦闘スタイルじゃないんだ。
_______ヒュンッ
甲高い風切り音。引き絞った弓を放つようなそれが耳朶を打った瞬間、まるで心臓を射抜かれたかのような嫌な予感が胸をよぎった。
本能でわかる・・・・・・スプリングボックは僕を狙っている。
油断なく身構えているディンゴよりも、立ち尽くしている僕の方が容易く仕留められる獲物だろうと思ったのだろうか。
「うおおおっ!!」
なりふり構わず槍を虚空から取り出すと、破れかぶれの抵抗を試みた。
左右を絶壁に挟まれた地形に穂先が引っかからないように、縦回転の軌道で薙ぎ払おうと振りかぶった。
_______ガギンッッ! ドシャアアッ!
しかし地面から振り上げた穂先が90度回転して真上に達した瞬間、手にした槍が鮮烈な金属音を発した。
柄ごしに伝わってくる凄まじい衝撃が、僕の体を弾き飛ばし岩壁へと叩きつけた。
怯みながらも体を起こし、つい数瞬前まで自分がいた場所を見やると、そこには消えたはずのスプリングボックがいた。
その手には、地面に深々と突き刺さった二又槍が握られている。
「運の良い奴ですね」と、僕のことを一瞥すると、余裕な態度を崩さないまま膝を付き、ゆっくりと槍を引き抜いて立ち上がった。
その様子を見れば、何が起きたのかを察するのは容易だった。
スプリングボックはいつの間にか上空へと跳び上がっていて、僕の頭上目掛けて飛び降りざまに槍を突き出してきたのだ。
そして偶然にも僕の槍とぶつかり、勢いが劣っていた僕だけが弾き飛ばされたのだ。
本当に運が良かった・・・・・・一歩間違えれば、僕の脳天が串刺しにされていた。
「しかし次は外しません」
奴はそう言うと、今度は堂々と見せつけるように、棒立ちの姿勢から浮き上がるかのようなジャンプでゆうに数十メートルは跳び上がって見せた。いったいどれだけの脚力があればあんな挙動が出来るのか・・・・・・
そういえば本で読んだことがある。ヒツジに極めて近しい動物であるヤギは、険しい岩山をまるで庭場のように駆け上がる脚力があると。
スプリングボックにも同じような芸当が出来たとしても不思議ではないのだ。
奴はそれきりまた地面から姿を消した。
ずっと上の方にまで、左右を挟むようにしてそびえ立つ絶壁の間を、自慢の脚力で三角跳びを繰り返しながら昇っている。
動きを目で追うのがやっとな程の物凄いスピードだ。
ようやく今の状況が理解できた。
この地形においてはスプリングボックがあまりにも有利だ。安全地帯から一方的に好きなだけ攻撃を仕掛けることが出来る。
かたや僕らはただの動く的というわけだ。
「ディンゴ! いそいで壁に張り付け! そして僕の傍に来い!」
「わ、わかったぜ!」
構えを取りながら真上を見上げているディンゴに呼びかける。
壁を背にすれば、道の真ん中にいる時と比べて、スプリングボックが攻撃を仕掛けられる射角は半減するはずだ・・・・・・だからといって、僕らの不利が覆るようなことはないワケだが、このまま黙って的にされているわけにはいかない。
そう思った僕は岩壁に張り付いたまま”
スプリングボックの攻撃を防ぐ盾だ。ディンゴのやつも身を隠せるようになるべく広範囲に展開させた。
僕とディンゴを傘のように覆い隠すそれを、岩壁に立てかけるように斜めに倒す。盾と言うよりも、バリケードと言った方が正解だろう。
どこまで耐えられるかはわからないが、これが今できる最善の防御だ。
間もなく奴が上から攻撃してくる。それを斜めに倒した盾で受けることで、衝撃のほとんどを受け流せるはずなんだ。
「随分と器用ですね、それが貴様の能力ですか・・・・・・だが、どこまで持つか!」
三角跳びを繰り返して絶壁の頂点まで駆け上がったスプリングボックは、僕が出現させたバリケードを見ても顔色一つ変えず、携えた槍の穂先を下に向け、上空から急降下してきた。
_______ズガンッッ!! ズドンッ!
衝撃のほとんどを斜めに逸らしているにもかかわらず、一発受けるたびに強烈な振動がバリケードに伝わってくる。
スプリングボックは、バリケードに攻撃を防がれても、地面に留まって追い打ちすることはなく、またすぐに上空へと跳び上がっていた。
執拗に、愚直なまでに、何度も同じ攻撃を繰り返してくる。必死に防ぐ僕のバリケードには、少しずつ亀裂が入り始めていた。
・・・・・・どうやら奴は僕らを仕留めるのを焦ってはいない。このまま攻め続ければ自分の勝ちが揺るがないことがわかっているのだ。
「チッ! こりゃヤバいぜ! オレにも”すげー力”があればいいのにな!」
ディンゴがバリケードの下に身を隠しながら嘆く。
手も足も出せない状況にいら立ち、冷静さを保つのがやっとという様子だった。
「ディンゴ、そんなこと考えるだけ無駄だ。それより、今持っている手札で何が出来るか考えろ」
「ああ。さっきから考えてるぜ。いったん退いた方がいいってな」
「なんだと・・・・・・?」
ディンゴは逃げ道がないかどうかを、持ち前の嗅覚によって観察していたようだ。そして見つけ出した。
日中ほとんど陽がささない湿っぽい空気が滞留する空間の中に、乾いた空気の匂いが吹き込んでいることを。その正確な方角をだ。
開けた場所に出られさえすれば、少なくともスプリングボックに一方的にやられることはなくなる。奴の厄介きわまりない「連続急降下攻撃」は、この絶壁に挟まれた地形があればこそ成り立つものだからだ。
しかし、この状況だ・・・・・・逃げるにしても簡単にはいかないはずだ。すぐにここを抜けられなければ、スプリングボックに追いつかれて上から串刺しにされてしまうだろう。
「その抜け穴は近くにあるのか? 行くのにどれぐらいかかる?」
「遠くじゃねー・・・・・・だが、すぐに行けるってわけでもねー。駆け足で一分ぐらいはかかるんじゃねーか」
一分か・・・・・・たしかに微妙な時間だ。過ぎてしまえばあっという間だが、攻防を何度か繰り返すことが出来る程の猶予はある時間だ。
僕らが無事に逃げ切れるか、スプリングボックに追いつかれ倒されるか、それは運否天賦だとしか言えないだろう。
(・・・・・・まあ、上等じゃないか)
どちらにせよ、このままジリ貧状態でやられるよりはマシだろう・・・・・・そもそも僕が挑もうとしているこの戦い自体が、分の悪い賭けなんだ。こんなものは僕の平常運転でしかない。
「ディンゴ、さっそく命を懸けてもらうぞ」
「最初からそのつもりだぜ!」
「よし、僕が合図したら・・・・・・」
スプリングボックがまたも上空で槍を構え、穂先を向けて急降下してくる。バリケードはボロボロだ。あと一撃すら耐えられる保証はない。
だがもう耐える必要はない。最後に別の役目を果たしてもらうとしよう。
「いち、にの・・・・・・さん!」
_______ズガァァァンッ!!
合図とともにバリケードをかき消し、僕とディンゴは左右に飛び退いた。
スプリングボックはまんまと僕らのフェイントにはまり、何も無くなった地面に勢いよく穂先を突き刺していた。
周囲が陥没し地割れが走るほどの威力だ。あれをまともに食らったらタダじゃ済まないのは明白だろう。
「こっちだ!」
横っ飛びして地面を転がった体を立て直し、ディンゴが呼ぶ方向へと駆け出す。奴はすでに僕の前を走っている。
「小癪な奴らめ・・・・・・!」
スプリングボックは憎々し気に吐き捨てながら、地面に突き刺さった槍を思いきり引き抜いた。
わずかな猶予でも作れたのは幸いと言うべきだろう。
こうなるという確信はあった。
角獣はすべからく、己の尊厳のシンボルである槍を、戦いの最中にしまったりはしない。
出したりしまったりするのを戦術に組み込んで多用する角獣は、恐らくはこの僕だけだ。
「グレン・ヴェスパーの手先ども! 貴様らは逃がさない! 必ず地獄に突き落とすっ!!」
殺気がピリッと肌を打つ。背を向けて走っていても明確に感じられるほど鋭く強い。
それまでは冷静な態度を崩さなかったスプリングボックの語気が荒くなっている。どうやら多少の時間稼ぎと引き換えに、奴の怒りに火をつけたようだ。
_______ドガンッ! ドガンッ! ドガンッ!
怒り心頭に発するスプリングボックの追撃が始まった。
必死に逃げる僕らを追いかけながら急降下攻撃を繰り返している。まるで絨毯爆撃のように、僕らが走り去った地面を次々と粉砕していっている。
少しでも走るスピードを緩めようものなら、即刻やつの餌食になるだろう。
「あったぜ! ここだ!」
そう言うなりディンゴが先行して、向かって右にある隙間に体を潜らせた。
続いて僕だ・・・・・・かなり細い横穴だ。体を横にしてカニ歩きしないと進めそうにない。だがここに入ればとりあえず危機を脱することが出来る。
こんな場所に逃げ込んだ相手を攻撃することは、いくらスプリングボックでも不可能だろう。
「い、急げメリノ! 早く入って来い!」
「無駄です! 死になさいっ!」
矢継ぎ早に急降下攻撃を繰り返していたスプリングボックが、岩壁を利用して体の向きを変えた。攻撃の軌道修正というわけだ。
はるか頭上から燃えるような瞳で僕のことを見下ろすと、二又槍を胸の前で構えながら突っ込んできた。
まずい、まだ体が完全に穴に入り切ってない・・・・・・
_______ガシャアアンッッ!
攻撃が空ぶった・・・・・・どうやらすんでの所で助かったようだ。先に横穴に入り込んでいたディンゴが僕の片腕を引っ張って引き込んでくれていたのだ。
スプリングボックの攻撃によって横穴の入り口付近の岩壁が破壊され、道を完全に封鎖してしまっていた。
幸いなことに、先に進む道は続いている。
「メリノ、危ないとこだったぜ」
「・・・・・・ああ、礼を言うよディンゴ」
スプリングボックをひとまずは振り切った。
どうやら奴はかなり猪突猛進な性格をしている。後先考えず敵に突っ込むことしか考えていないように見える。その思慮の浅さが僕らにとってプラスに働いた。
封鎖された道を力ずくで破壊するにしても、回り道をするにしても、僕らを追跡するのにひと手間以上かけなくてはいけなくなった。
僕らはその間に出来るだけ逃げて、奴を迎え撃つのに適している開けた地形を探せばいい。
「礼は言うが、次は助けなくていい。あのスプリングボックは恐ろしい敵だ。危なくなったら僕を置いて逃げろ」
狭苦しい岩壁の隙間を、横歩きで進みながらディンゴに話しかける。
紛うことなき本音だ。このさき平穏に会話が出来るチャンスなど期待できそうもないから、いま言ってしまうしかないと思った。
僕の先を行く彼女は振り返ることなく「何バカ言ってやがる」と返事をした。
「今の状況だって、2人だから何とかなったんじゃねーか!」
「・・・・・・それはそうだが、お前はやはり、自分が助かることを一番に考えるべきだと思う。僕のように、命より優先するに足る理由がないんだから」
「いちいち難しいこと言ってんじゃねー! オレにだって出来ることがある! それでいいじゃねーか!」
憤慨するディンゴの声色は、何故だか妙に機嫌が良さそうだった。それに暑苦しい。
これが本当のコイツの性格なのだろうか・・・・・・長く一緒にいたのにわからない。思えば今まで、これほどまでに互いに背中を預け合ったこともなかった。
「メリノ、おめーが命がけのバクチをやるって言うんなら、それを最後まで見届けてみてーんだ。それがオレの理由だ!」
「・・・・・・やれやれわかった。もう好きにしろ」
横穴を抜けると、またも肝を冷やすような光景が広がっていた。
切り立った断崖。その中腹に張り出した段の上に僕らはいた。ぎりぎりヒトひとりが通れるほどの頼りない一筋の道が続いている。
足を踏み外せば何者をも落下死は免れないだろう。自然に出来た物なのか、現地のヒトが作った物なのか不明だが、今まで以上に劣悪な地形であることだけは確かだ。
・・・・・・だが、その分良い点もある。
仮に後ろからスプリングボックに追いつかれても、ここには壁が片側にしかないのだから、自慢の脚力で三角跳びをすることは出来ない。
「さあ行こーぜ!」
先ほどから暑苦しいディンゴが果敢に一歩を踏み出す。よくわからないが、士気が高いなら結構なことだ。
僕らに今できるのは、可能な限り距離を稼いでスプリングボックを引き離すこと。一刻も早く前に進む以外にはあるまい。
・・・・・・そして地の利を得て奴を倒す。僕の本命はアムールトラだ。あんな奴にてこずっているわけにはいかない。
《逃がさない、と言ったはずです》
岩壁に吹き付ける風のようなその声を聞いて、再び背筋に戦慄が走る。
間違いなくスプリングボックの声だ。
もう追いつかれたのか、と思い後ろを振り返る・・・・・・だが奴の姿は見えない。だいいち、追ってきている気配は一切感じなかったのだ。
かと言って前方にもいない。だから回り道をして先回りをしてきたわけでもないようだ。
ならばどこから話しかけてきている? ここは崖の淵に突き出た一本道。隠れ潜む場所なんてどこにも存在しないはずなのに。
《・・・・・・ここですよ。わからないのですか?》
最初に違和感を覚えたのは、温度だった。
このバトーイェ山脈は標高が高く、それゆえに気温が低い。常に凍てつくような風が吹きすさんでいる。
だが今この瞬間、頭や肩のあたりが妙に暖かいのだ。まるでストーブの前にいるような、謎の熱波がどこからか放射されている。
上から漂ってくる熱の正体を探ろうと辺りを見回すと、上空からゆっくりと異形の存在が降りて来る様が見えた。
「ありえねー・・・・・・あんなの、化け物じゃねーか!」
と、ディンゴが感想を漏らす。僕もまったく同感だった。
炎だ。赤々と燃える炎を全身に纏った人型の存在が空中に浮いている。
炎に包まれた体はシルエットしか判別できないが、頭部に生えたVの字の二本角から、それがスプリングボックであることを認めざるを得なかった。
空を飛ぶ角獣なんて現実には存在しない。東洋における麒麟のような、空想上の生物しかいないはずだ。
・・・・・・だが、そうか。これがスプリングボックの能力というわけか。
現実にはあり得ない力を発揮するという”野生解放の先にある力”の定義を、これほどまでにシンプルに体言した能力が他にあるだろうか。
奴は地の利を失ってなどいなかった・・・・・・それどころか、今この状況こそが奴にとって最も有利なのだ。
「・・・・・・どうですか? この燃え盛る炎こそは、我が正義の証なのです! 愛する故郷を、貴様らCフォースの鬼畜どもの手から守りぬいてみせる!」
「だまれ! つまらない能書きをべらべらと!」
_______ビュウンッッ
虚空から二又槍を取り出し、スプリングボックめがけて投げつけた。
ここに至るまで奴に攻められっぱなしの僕らだ。思わずイラついて手が出た。
「いつまでもいい気になるなよ!」
体が燃えているから何だと言うのだ。炎ごと刺し貫いて谷底に落してやる。
槍を一本や二本そこら避けられたり払われたりしたところで何も問題ない。いつでも手許に戻せるし、なんなら僕の精神力が付きない限り、何本だって取り出すことが出来る。
だが、奴は避けたりはしなかった。
見事な動体視力で投げ槍の軌道を見切り、身動きひとつ取らず受け止めてみせたのだ。
投げ返してくるのか、と思った瞬間、奴は思いがけない行動に出た。
「いい気になってなどいません!」
_______ゴオオオオッッ!!
スプリングボックの全身を包む炎が、いっそう激しく燃え盛り膨張する。その様はまるで奴の怒りが具現化されているかのようだ。
「・・・・・・ただただ、貴様らが憎いだけです! 先の戦闘で、我が親友までもが貴様らの犠牲になった! 絶対に許さない!」
程なくして、奴の手に握られた僕の槍がグニャリと融解し、赤熱化したまま崩れ落ち、谷底に消えていった。
想像を絶する程の高熱に戦慄する・・・・・・多分これは奴からのメッセージだ。今から僕らをあの槍のように溶かして殺してやる、という予告に他ならない。
_______ブオォォンッッ!!
「これで終わりです!」
巨大な火球と化したスプリングボックが、上空から真っ直ぐに突っ込んでくる。猪突猛進という言葉がこれほど恐ろしい形で表現されている様はないだろう。
僕とディンゴは大急ぎでその場から駆け出す。冗談ではない。あんな物にあたったら、熱いと感じる間もなく絶命してしまう。
「やべーよ! 避けろ!」
_______ドッシャアアアッッ!!
命中すると思った瞬間、僕とディンゴは前方にヘッドスライディングで飛び込んだ。
どうやらまだ体に火は燃え移っていない。間一髪で躱したようだ。
スプリングボックの攻撃に弱点があるとすれば、全力での突撃しか行わないために、直前での軌道修正が利かないことだ。
つまり、狙いが基本的に甘い。まあそれを威力で補おうとしているんだろうが。
「メリノ! 大丈夫かよメリノ!」
「いや・・・・・・あまり大丈夫ではないな」
空振りしたとはいえ、奴の攻撃は甚大な破壊をもたらした。
空を飛べない僕らにとっては唯一の命綱に等しいこの足場を、広範囲にわたって破壊してしまったのだ。
僕の前を走っていたディンゴは何とか逃れることが出来たようだ。奴の攻撃が及ばなかった場所に飛び移ることが出来ていた。
・・・・・・だが僕は間に合わなかった。何とか岩壁に槍を突き立ててこの場に留まっているだけだ。瞬時に判断できなければ谷底に落ちていた。
ロープか何かを具現化させて、ディンゴの奴に引っ張り上げてもらおうか・・・・・・そんなことを一瞬だけ思案したが、勿論そんな甘くはなかった。
「つくづく往生際の悪い奴らですね!」
体当たりが空振りして、岩壁に全身を深くめり込ませていたスプリングボックが、そこから抜け出して、燃える全身を再びゆらりと滞空させた。
どうやら、当たらないなら当たるまで繰り返す、というのが奴の信条のようだ。
そしていくら奴の狙いが甘いとはいえ、足場を無くして身動きの取れない今の僕には確実に攻撃を当てられてしまうだろう。
・・・・・・どうする? 絶体絶命の窮地だ。アムールトラの顔を拝む前にこんなことになるなんて、我ながら自分の不甲斐なさに無性に腹が立ってきた。
「め、メリノォォ! 早く上がって来いよ!」
「・・・・・・ディンゴ、僕に構うな。逃げろ。お前に出来ることはもう何もない!」
生きるも死ぬも自分の責任。クズリさんに教えられた信条だ。
僕が至らないから死ぬのは仕方がない。すべて承知の上で戦いに臨んでいる。
だが、ディンゴが僕に巻き込まれるような形で死んでいくのを見るのはどうも忍びない。
意固地なまでに意地を張って、無理やりに僕に付いてきた真意っていうのもよくわからないし。
やっぱりディンゴは、仲間と一緒に降伏して生き残る道が一番良かったんだと思う・・・・・・
「オレは、オレは」
ディンゴは僕の言葉を理解したようだ。逃げる以外に選択肢が無くなったことをすでに悟っている。
だがしかし、僕を見捨てて逃げることに躊躇しているようだ。
・・・・・・遠慮することなんて何もないのに。付き合いが長いだけで、別に友達というわけでもなかっただろう?
「仲良く地獄に送ってあげますよ! 貴様は後です!」
空中で佇むスプリングボックが苛立ち凄む。僕らのことをいっこくも早くこの世から消したいという意志が伝わってくる。
「先に死ぬのは・・・・・・赤い奴! 貴様だ!」
スプリングボックが、僕の体色を見てそんな風に呼称してくる。
身動きの取れない僕を、優先的に仕留めるターゲットとして認識したようだ。
クズリさんとアムールトラ以外にも、これほどまでに強いフレンズがいたとは・・・・・・。
いや、あの2人と比べたらさすがに劣るのだろうが、コイツもじゅうぶんに”凄まじい強敵”の範疇に入るだろう。
おもむろに懐に忍ばせた”切り札”に手を触れてみる。さあどうする? 進化促進薬を、いま打ってみるか・・・・・・?
_______ゴオオオオッッ!!
スプリングボックがまたも全身に滾らせた赤熱を膨張させた。それが攻撃の合図のような物だ。
今度こそ仕留めてやる、という意気込みを感じさせながら、ジェット噴射のごとき様相で、壁に宙吊り状態の僕へと突撃してきた。
もう逃げられない。今にも業火に全身が焼かれてしまう・・・・・・
「うおおおおっ!!」
死を覚悟した刹那、ディンゴの叫び声が聴こえた。まだ逃げていなかったというのか。
しかし、今しがたまで彼女がいたはずの断崖にはその姿が見えなかった。
いったいどこで何を・・・・・・?
_______ガシィッ!
「き、貴様ァッ! 気がふれましたかっ!?」
「うるせーッッ!! 先にオレの相手をしろや!」
僕に向かってきていたはずのスプリングボックが、空中で炎を振り乱しながらごたついている。
そして信じられない物を見た。
ディンゴがスプリングボックの体に必死にしがみついていたのだ。足場からジャンプして、空中にいる奴に飛びついたというのか。
「な、何をしてるんだ!? ディンゴ!」
炎の化身と化したスプリングボックに触れたことで、ディンゴの全身もあっという間に業火に包まれてしまっていた。
そしてスプリングボックの体が少しずつ下に落ち始めている。自分一人で滞空することは出来ても、フレンズ一人乗せて高度を維持することは出来ないようだ。
しかし・・・・・・
_______ドシュウッ!
「・・・・・・がふっ!!」
「そんなに死に急ぐなら、望みを叶えてあげますよ!」
スプリングボックの二又槍が、ディンゴの腹部を刺し貫いていた。先ほどまで力強くしがみ付いていたディンゴの手足がだらりと力なく垂れ下がる。
勝敗は決した。全身が焼けただれ、息も絶え絶えだったディンゴは、何故か僕の方を向いて口を開いた。
「メリノ、オレは、おめーの・・・・・・」
その言葉の先を聞くことは出来なかった。
スプリングボックが、自身の滞空の妨げを早急に排除するために、槍を振り払ってディンゴの体を引き抜いてしまったからだ。
落ちていくディンゴの体は、信じられない位あっという間に見えなくなってしまった。
これで本当に一人きりになってしまった。喪失の傷みとは、自ら進んで孤独を選ぶこととは根本的に違うものだと始めて知った。
なあ、なんでだよディンゴ。僕を庇ったのか? 何でそんなことをした? 教えてくれよ、最後までワケがわからなかったよ・・・・・・。
お前がずっと嫌いだった。いじめられた思い出しかない。
でも何故だか今、猛烈に後悔している。
もっと話をしてみたかった。
「・・・・・・無駄なことをする!」
滞りなく宙に浮けるようになったスプリングボックが、再び全身の炎をたぎらせながら上空へと浮かび上がってくる。
その苛立った声色からは、敵を1人仕留めた事への感慨など微塵も感じさせない。
ただひたすら”残りの赤い奴”を性急に仕留めんと躍起になっているのがわかる。
「仲間を庇ったつもりなのですかね? Cフォースのおぞましい鬼畜どもに、そのような感情があったことに驚きです」
「・・・・・・なあスプリングボック。こんな言葉を知っているか? ”怪物と戦う者は、自らが怪物にならないように気を付けろ”とな・・・・・・」
言葉の海が脳内に溢れる。
こういう時、僕はいつも自分を救ってくれそうな言葉を探すんだ。
困難な状況、困難な敵、どうにもならない自身の感情・・・・・・それらに当てはまる言葉が見つかった時、頭も体もすっきりして、とことんまで悪あがきが出来るようになる。
僕にとって一種の儀式みたいなものだ。
「貴様、何をブツブツと言っているのです?」
「・・・・・・ニーチェの言葉さ」
正義の炎に身を焦がし、邪悪な敵を撃ち滅ぼすために突き進むスプリングボック。
散っていったディンゴの気持ちなんて永久に気にも留めないだろう。この後何人殺そうとも、自身の正義を欠片も疑わないだろう。
恨み言が言いたいわけではない。奴は敵として当たり前のことをしただけだ・・・・・・
ただ、ニーチェの言うことが、あまりにも的を射ていて、思わず冷笑を口元に浮べたくなってしまう。
この世界の怪物は、類い稀なる悪意を持ったヴェスパー親娘だけではない。
奴らとは一見真逆の、清廉な精神を持つ善人であっても、正義を拗らせてしまえば、簡単に怪物になれてしまうんだ。
スプリングボックが正しくそれを体現している。
・・・・・・言葉が見つかった。
さあこれで儀式は澄んだ。後は言葉の海をかき消して、自身の中から溢れ出す真っ赤な衝動にどこまでも身を任せることにしよう。
「ああそうだ。まだ名乗っていなかったよな? 僕はメリノヒツジ・・・・・・そしてお前がいま殺したフレンズの名は、ディンゴだ」
「・・・・・・一応覚えておきましょう」
岩壁に宙吊りになった無様な恰好のまま名乗りを済ませる。
スプリングボックは燃える体を空中に浮かせたまま、苦虫を嚙み潰したような表情でうなずいた。
奴はやはり、騎士道精神のような考え方を重んじているようだ。殺すだけの相手とはいえ、名乗りぐらいは黙ってさせてやろう、というような情け心はあるらしい。
前置きはもういらない。そう思った僕は、瞳に金色の光を宿らせ、スプリングボックに対して嘲っているようなニヤケ顔を向けた。
虚勢を張っているワケじゃない。極限まで昂ぶると表情筋が緩んでくるのは僕のクセだ。
「かかって来いよ・・・・・・怪物同士、とことん殺し合おうじゃないか」
to be continued・・・
_______________Cast________________
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・ヤギ亜科・ヒツジ属
「メリノヒツジ」
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・スプリングボック属
「スプリングボック」
哺乳綱・ネコ目・イヌ科・イヌ属・タイリクオオカミ亜種
「ディンゴ」(死亡時年齢:7歳8か月)
_______________The Power of Next (野生解放の先にある力)
「モト・ヤ・セラヴィ(熾天使の炎)」
使用者:スプリングボック
概要:全身から摂氏3000度超の熱エネルギーを噴射し続ける能力。熱そのものが推力を持っており、噴射する角度を調整することで空中を飛び回ることすら可能となる。
全身に纏った炎は何物をも破壊する威力があるだけでなく、並大抵の攻撃を受け付けない強固な防御力をも兼ね備えている。
また傷を負ったとしても、高熱によって傷口を焼いて塞ぐことが可能。
熱を発するための燃料は自身の血液であり、一分間におよそ100CCもの血液が失われていく。能力を展開し続ければ、およそ十分前後で命の危険が身に降りかかってくる。
きわめて強力である一方、短期決戦が求められる能力である。
_______________Story inspired by________________
“けものフレンズ” “けものフレンズ2”
byけものフレンズプロジェクト
“けものフレンズR”
by呪詛兄貴