他者のために生き、他者のために死んだ一人のフレンズがいた。
「ウウウウッッ・・・・・・」
核爆発の衝撃波が過ぎ去った直後、アムールトラは謎の変貌を遂げた。
血走った燃えるような瞳からは抑えきれない怒りが感じられる。歯が剥き出しになった口から不気味な唸り声を上げ続けている。
その立ち姿も今までと全く違う。いつでも姿勢が良かったはずの上半身を折り曲げて前かがみになっている。
垂れ下がった両腕から伸びる黒い鉤爪は地面に付きそうな位になっている。
・・・・・・野性的どころではない、野生の獣そのもののような印象を受ける。
「アムールトラちゃんよォ」
間近で茫然としていたクズリさんが、変わり果てたライバルに向かって気を取り直したように声をかける。
何はともあれ戦いの決着は付いていない。自分達のやることは変わらない、と言わんばかりだ。
「・・・・・・まだ、やれんだよな?」
アムールトラは答えない。クズリさんの方を見もせず、焦点すら定まらないまま唸り声を上げ続けるばかりだ。
そしてクズリさんは答えを待たずに戦闘態勢に入る。再び野生解放を全開にしてアムールトラの真正面に立つのだった。
冷えて固まった黒いマグマに覆われる岩肌の上で、再び2人が対峙する。
・・・・・・どうにもいやな予感がした。クズリさんとアムールトラとの間の空気が、核が落ちる直前までとは全然違っていたからだ。
クズリさんが放つ金色の光と、アムールトラの体から立ち上る漆黒のオーラでは、どこまで行っても混じり合うことがない。
まるで太陽が黒雲に覆い隠されていくような絵面を思い起こさせる。
ついさっきまでクズリさんとアムールトラは、同色の光を発しながら全力でぶつかり合い、際限なく互いを高め合っていたというのに、あの素晴らしかった戦いの面影は今やどこにもない。
今クズリさんが対峙しているのは互角のライバルではない・・・・・・まったく得体の知れない異質な怪物だ。
少なくとも僕にはそんな風にしか見えなかった。
「再開、させてもらうぜぇ!」
先ほどから気勢がまったく衰えないクズリさんが、小さな体を稲妻のように加速させアムールトラに激突する。
その場から一歩も動かない奴の腹部を、クズリさんの全力のボディーブローが捉えた。
________ドッ・・・・・・
土嚢を棒で打ったかのような、乾いた鈍い音が響いた。
しかしそれだけだ。アムールトラはビクともしない。衝撃が後方に突き抜けることもない。
不気味な静寂が残る中、クズリさんの表情がいっしゅん青ざめたような気がした。
「オラアアアッッ!!」
________シュババババンッッ!
クズリさんが間髪入れずに追撃を繰り出した。
機関銃のような怒涛の勢いのパンチを、至近距離で何度も何度も打ちこんでいる。一発一発がソニックブームを生じさせるほどに速く、そして重い。
・・・・・・しかし、その強烈な連打ですらもアムールトラには効果がないようだ。
巨岩が涼風を受けているかのごとく、仁王立ちしたまま、無防備に、こともなさげにパンチをくらい続けていた。
先ほどまでの戦況が嘘みたいな有様だ。
今のアムールトラが異常なまでにパワーアップしたのか? それともクズリさんの体力が尽きて弱くなってしまったのか?
僕には何もわからなかったが、少なくともこれだけは言える。
2人の間に存在したある種の調和のような均衡が、まったく消えて無くなってしまった。
「だったらァ・・・・・・とっておきを食らわせてやるよッッ!」
もちろんそこで諦めるクズリさんではない。
素早くジャンプしてアムールトラの体を飛び越えて空中で身を翻すと、奴の肩に飛び乗って、その橙色の頭部めがけて真上から手のひらを押し付けた。
その瞳には今までで一番の気迫がこもっている。
(つ、ついにあの技を使うつもりか!)
クズリさんのとっておき。
手のひらに触れた物の全身に、途轍もない圧力を加えて握り潰してしまう能力・・・・・・ディザスター級セルリアンの巨体をも手のひら大に圧縮してしまうあの技ならば、いかなる相手だろうとも無事では済まないはずだ。
「アアアッッ!!」
なすがままにされていたアムールトラが初めて動いた。
それは特に攻撃と呼べるような動作ではなかった。ただ天を仰いで叫んだだけだ。頭を掴んできたクズリさんを振り払おうとでもしたのだろうか。
のぶとい咆哮と同時に、奴が纏っていた漆黒の炎が激しく燃え盛り膨張した。
________バチュッッ
「な、なんだとォ!」
黒いオーラにクズリさんが晒された瞬間、肉がひしゃげる音が聴こえた。
だが潰れたのはアムールトラの頭ではなかった。
攻撃を仕掛けたはずのクズリさんの右手が潰れ、手首から先が無くなってしまっていたのだ。
まるで”握りつぶす”攻撃がクズリさんに跳ね返ってきたかのような有様だ。
さすがの彼女もそのダメージには怯んだ。
全身から湧き出ていた金色の光がかき消えてしまい、飛び乗っていたアムールトラの肩から足を踏み外してしまった。
「ウウウッ!!」
クズリさんが地面に落ちるよりも先に、アムールトラはその鉤爪が生えた黒い剛腕で彼女の胴体を掴みあげた。その表情にはいっそう凄まじい怒気が宿っている。
・・・・・・次の瞬間、されるがままだった奴の反撃が今度こそ始まった。
________ドォンッ! ドォンッ! ドッガアアアッッ!
アムールトラは鷲づかみにしたクズリさんの体を右に左に振り回して、何度も何度も地面に叩きつけ始めた。
技術も何もない暴力そのものとしか言いようがない動きだ。
一度叩きつけるだけでも地面が揺らぎ、周囲の冷え固まったマグマが巻き上げられて空中に散らばっている。それほどまでの恐ろしい勢いで、何度も、何度も・・・・・・。
まるでアムールトラ自身の中の溜まりに溜まった怒りを発散しているかのようだった。その様にはかつての面影はどこにもない。
奴ほどの優れたフレンズが、今や知性も技術も捨て去って、殺意のままに暴力を振り回す化け物になってしまっている。
これが強さを極めたフレンズの行き付く先だなんてあんまりじゃないか。
「・・・・・・てんめぇぇええッッ!」
________メキィッ!
たちまち全身から血を噴き出すクズリさん。
傍から見ていても震えあがってしまいそうな暴力に晒されているにもかかわらず、彼女はあきらめなかった。
いつの間にか反撃に打って出ていたのだ。
叩きつけられ続けていた五体を空中で立て直し、いまだ健在の左手と両足とを用いて、アムールトラの片腕に十字固めを食らわせていた。
不屈の闘志であると言う他はない。
________メキ、メキ、メキ!
クズリさんはそのまま体を思いきりのけ反らせてアムールトラの腕をへし折らんとしている。
「ウ、ウ、ウ」
痛みを感じているのかいないのか、変わらぬ形相のまま唸り続けるアムールトラが、クズリさんを振りほどかんと動きだした。
信じられないことに、空いている左手でクズリさんの腰を掴み、しがみ付かれた右手から力づくで引き離してしまったのだ。
どう見ても格闘技の動きではない・・・・・・そもそも尋常な腕力で出来ることではない。
全力でしがみ付いてくる相手を腕の力だけで引っぺがすなどという真似は、子供と大人ほどの力の差がなければ出来ないはずだ。
あの怪力無双のクズリさんを相手に、同じフレンズがそんな事出来るはずがない。
そしてアムールトラは、クズリさんの上半身と下半身とを左右の手で握りしめ・・・・・・
(だ、ダメだ!)
________ボギンッ
僕が声にならない悲鳴を上げようとした瞬間には、クズリさんの体をあらぬ方向に折り畳み、背骨をへし折ってしまっていた。
そして奴が手を放すと、ついにクズリさんが力なく地面に横たわることになった。
「も、もうやめろ! ・・・・・・このままじゃクズリさんが・・・・・・」
「ウアアアッッ!!!」
________ズドンッ! グチャッ!
しかし僕の懇願が届くはずもなく、アムールトラの追い打ちは止まらなかった。
変わることがない憤怒の表情のまま、ボロ雑巾のように横たわるクズリさんを、負の感情を発散させるように何度も何度も踏みつけた。
・・・・・・こんなのは戦いじゃない。ただの蹂躙だ。
もう勝負は終わりだ。今すぐやめさせなければ。
________グ、ググ・・・・・・
不屈の闘志を持つクズリさんはしかし、まだ戦いを続けようしていた。まともに使える左手をゆっくりと上に掲げ、そして拳を形作ったのだ。
・・・・・・しかし、アムールトラにふたたび強烈な踏みつけを喰らった瞬間、その手もあえなくガクリと地面に落ちた。
アムールトラはその様を一切変わらぬ憤怒の表情のまま見下ろすと、右手を天高く振りかぶった。鉤爪の生えた手のひらに、奴の周囲を漂っていた漆黒の炎が凝縮されていく・・・・・・。
遠目からでも明らかにわかる。あれはトドメの一撃だ。
「やめろおおおおっ!!」
まるで自分の声じゃないみたいな悲鳴が暗い空に轟いた。
心臓が凍り付くようだ・・・・・・次の瞬間には引き裂かれる、いや消し飛ばされるクズリさんの姿を想像したその時。
________ドキャッッ!
上空から飛来した何かがアムールトラに激突し弾き飛ばした。まるでクズリさんを庇うようなタイミングだった。
謎の物体はボールのように跳ね返ると、空中で何度もトンボを切りながら地面に着地した。物凄いスピードの動きだ。
僕にはどうやらそれが人型をした何かであることぐらいしか分からなかった。
「・・・・・・わりぃなウルヴァリン。遅くなったっス」
(あ、そ、そんな!)
ふわりとした金髪に片目を隠した穏やかな顔が、倒れたクズリさんを見下ろしている。
小柄で身軽そうな金一色の容姿。身長よりも長いしなやかな尻尾・・・・・・それらの情報が、その者が誰であるのかを一瞬で悟らせてくる。
「スパイダーさんっ!!」
とたんに驚愕と安堵と、処理し切れない様々な感情が湧き上がってくる。
この瞳が夢や幻を映しているのでなければ、突如現れてクズリさんを救ってみせたのは、今この場にいないはずの、無事であることを祈り続けた存在だった。
「ずいぶん久しぶりっスね、シベリアン」
「・・・・・・ウウウ」
「苦しいっスよね。そんなになっちまって・・・・・・」
スパイダーさんは次にアムールトラへと呼びかける。憐れむような、慈しむような声色だ。
だがアムールトラは答えずに虚ろに唸り続けるだけだ。目の前にいる相手がかつての友である事すらもわかっていないのかも知れない。
今の奴にとっては、目の前の動く物すべてが破壊すべき対象にしか見えていないようだ。
「なあシベリアン、正気に戻ってくれっスよ!」
「ヴアアアッッ!!」
「・・・・・・お前は誰よりも優しい奴だったじゃないっスか!」
スパイダーさんの呼びかけもむなしく、アムールトラが再び黒いオーラを膨張させながら襲い掛かってきた。
「わかったっス」
禍々しい鉤爪が振り下ろされるのを見上げながら、スパイダーさんは最後にそう呟くと、憐れむような表情を一変させ、眉間にしわを寄せながら前に出る。2人の激突が始まろうとしている。
・・・・・・おかしい、なにか腑に落ちない。
なぜスパイダーさんは今のアムールトラの様子を見て驚かないのだ? それどころか早々に対話を打ち切って戦闘へと切り替えることが出来ている。
________ブォンッッ!
まるで実体を持たない虚像を攻撃したかのように、アムールトラの鉤爪がスパイダーさんをすり抜ける。
・・・・・・次の瞬間には、いつの間にかアムールトラの背後を取っていたスパイダーさんから目にも止まらぬ蹴りが放たれ、奴の後頭部をまともに捉えていた。
すると無敵にも思えたアムールトラが、初めて敵の攻撃で膝を付いてしまっていた。
「これ以上は誰も殺させねえっス! アタシからお前へのせめてもの情けだ!」
言うなりスパイダーさんの体が金色に・・・・・・さらには白く光り出す。体の輪郭すら良くわからなくなるほどの眩さだ。
________ズドドドドッッ!
光の化身みたいになったスパイダーさんが、漆黒のアムールトラが振るう剛腕をことごとくすり抜けて、目にもとまらぬ手数の攻勢を見せ始めた。
「ウウウウウッッ」
速さだけでなく威力も申し分ない。一撃くらっただけでもアムールトラは体勢を崩し、後退を余儀なくされていた。
・・・・・・信じられない有様だ。あのスパイダーさんが、クズリさんでさえ叶わなかったアムールトラを圧倒している。
もともと彼女は戦闘が苦手なんだ。それでも影潜りという便利極まりない能力と、明晰な頭脳と、周囲をまとめ上げる器の大きさによって、ハンデを補って活躍してきた。
それが彼女の個性だったのに・・・・・・いったい何が起きたというのだろうか。
________ドッガアアアッッ!
思考を張り巡らせる間もなく、スパイダーさんの決定的な一撃が炸裂する。
低く丸まった姿勢から、バネのように伸縮させた長い尻尾を使って飛び上がり、途轍もないスピードでアムールトラの顔面を蹴りつけた。
(や、やったか!?)
それを受けたアムールトラはエビ反りの姿勢のまま吹き飛び、ずっと後方にあった岩山に姿が隠れるほどにめり込むと、それきりピクリともしなくなった。
「メリノ! 今のうちにズラかるっス! 早くこっちに降りて来い!」
「は、はいっ!」
スパイダーさんは軽く息を吐くと、大岩の上で茫然と立ち尽くしていた僕に振り返って大声で呼びかけた。
アムールトラが起き上がってこない内に逃げようというのだ。想像を絶する怪物へと変貌した奴が今の一撃で死んだとは考えづらい。
・・・・・・これで一安心だ。スパイダーさんの影潜りさえあれば、ここを瞬時に離脱してアムールトラから逃れることが出来る。
いかに奴であろうと、彼女のテリトリーである”影の空間”まで追ってくることは不可能だろう。
「ちょっと待て! 後ろのソイツも連れてきてやれっス」
二の口もなく飛び降りようとした僕をスパイダーさんが呼び止める。
後ろを振り返ると、怯えきった顔のカルナヴァルが、置いて行かないでと言わんばかりに手を伸ばしてきていた。
「・・・・・・た、頼む! ワシも一緒に!」
その声を聞くなり、ドス黒い感情が胸の内に沸き起こる。
カルナヴァルがどのツラを下げて僕に命ごいをしようって言うんだ? 一体どこまで厚顔無恥を晒せば気が済む?
何人もの量産型たちがコイツの愚かな命令で殺された。瞳を閉じれば鮮明に思い浮かぶ。僕の目の前で砲弾に身を裂かれて死んだ、イヌの量産型フレンズの絶望した顔が・・・・・・。
コイツはグレン・ヴェスパーに匹敵するほどの外道だ。情けをかけるに値しないクズだ。勝手に死ねとしか思えない。
僕自身が手を下すのを止めてやっただけで、命を助けてやるつもりなんてさらさらない。
「こんな奴を助けて何になるって言うんですか!?」
「うるせぇ! 言う通りにしろっス! ・・・・・・生きたいって気持ちは誰だって一緒なんだ!」
スパイダーさんは一歩も譲らない。いつかも聞いたセリフだ。
どうしてそんなに誰彼かまわず優しく出来るのだろう? ひょっとしたら彼女は、どんなに酷い目に遭っても、そしてどんなに強くなっても、憎しみや殺意とは無縁でいられる稀有な精神の持ち主なのかもしれない。
・・・・・・僕のような性悪にはとうてい理解不能だ。だが、これでこそ彼女らしいとも思った。
「そうですか」
妙に納得してしまった僕は、スパイダーさんにぶっきらぼうな返事を返し、カルナヴァルを鷲づかみにして大岩から飛び降りた。
カルナヴァルの体を乱雑に引きずりながら、全速力でスパイダーさんに近寄る。
彼女のすぐ傍にはクズリさんが倒れている。
その姿を間近で目の当りにした瞬間、己の全身が総毛立つのがわかった。言葉を無くしたまま駆け寄り、ひざを折って項垂れた。
「・・・・・・ち、ちきしょうっ!」
虫の息のクズリさんが血まみれのボロ雑巾のような姿で、生気のない瞳で天を仰いでいた。
遠目からでもアムールトラの圧倒的な暴力によって蹂躙されていたのはわかっていたが、間近で見た痛ましさは僕の想像を超えていた。
何度も踏みつけられたからなのか、背骨だけじゃなく全身あちこちがへし折れている。腹部からは内蔵が零れてしまっている。
「クズリさん・・・・・・起きてくださいよ!」
懇願するように呼びかけるも返事はない。
これじゃさすがの彼女も助からないのでは、と認めたくない現実を認めざるを得ないような気持ちになってくる。
クズリさんはアムールトラに敗れ、ついにその命を・・・・・・。
「メリノ、まだ諦めるのは早えっスよ」
スパイダーさんが泣き崩れている僕の肩を叩いた。
そして慰めの言葉でもかけてくれるのかと思いきや、意外なことを言ってきたのだ。
「まだ動物の姿に戻ってねえっス」
「・・・・・・そ、そうか!」
フレンズが死ぬ時、その体からサンドスターが放出され、肉体は素となった動物の姿に戻る。
クズリさんがまだフレンズの姿を保っているということは、完全には死んでいないということ。
体内にサンドスターが留まり、必死に肉体を生かそうとしている。
「ウルヴァリンは強いっス。体の頑丈さも並のフレンズの比じゃねえ・・・・・・簡単に死んだりするもんか!」
静かだが強い口調で告げると、スパイダーさんは膝を付き、物言わぬ親友の左手に手を重ね、そしてもう片方の手を僕に差し出した。
「さあメリノ、早くアタシの手を!」
「・・・・・・はいっ!」
________ドプンッ
唯一の希望にすがるような気持ちで差し出された手を握る。
刹那、硬くゴツゴツとしていた岩肌が底なし沼のように柔らかくなり、僕らを地の底の暗闇へとを飲み込んでいった。
僕にとっては見慣れた景観を目の前にして、今度こそ助かったという感慨を覚える。
「う、うおお! な、何だここは! ワシは今どこにいるのだ!」
暗闇の中をスパイダーさんの手に引かれながら進んでいる。
もう片方の手に鷲づかみにしているカルナヴァルが、初めて訪れたであろう異空間に驚愕し鬱陶しい悲鳴を上げている。
視界が効かないこの世界では、必然的に聴覚に注意が向く・・・・・・クズリさんのか細い息づかいがいつ途切れてしまうかと思うと気が気ではなかった。
「す、スパイダーさん、いったい何があったんですか? あの物凄い力は?」
はたと我に返り、気になっていたことを尋ねる。
地上に出たらまたどんな危険があるかわからない。だからこの絶対の安全地帯を移動している間に、必要な話を済ませておくべきだろう。
「グレンの奴に変な薬を打たされたっスよ」
「進化促進薬のことですよね? つ、つまりスパイダーさんは進化を遂げた存在に!?」
「・・・・・・いや、違う。アタシぁドーピングで一時的に強くなってるだけっス」
スパイダーさんは、息を飲んで問い詰める僕に、軽い溜息を付きながら続ける。
グレン・ヴェスパーは彼女に”フレンズの進化”に関する詳細な情報を教えていたようだ。
「物を考えたり喋ったりすることが出来る時点で、どうやらアタシぁ進化に失敗したみたいっス」
進化態を定義づける条件は今も謎に満ちているが、わかっていることがひとつあるのだという。
それはフレンズの体内に流れるサンドスターが変質をきたすことだ。
サンドスターは実に絶妙なバランスを保ちながら僕らの体内で循環を続けているという。
それによりただの動物だった僕らに、ヒトに近い姿や思考能力など数多くの恩恵を与えている。
だがフレンズの肉体のリミッターが完全に外れてしまった時、同時に体内のサンドスターのバランスが崩れてしまい、すべてが戦闘力の向上に費やされることになるのだという。
・・・・・・その結果、それまで持っていた思考・会話能力が喪失し、ヒトに近かった姿は獣に戻ってしまうのだと。
「シベリアンは好きで暴れてるワケじゃねえっス。体が突然別物に変わっちまって、抑えが利かなくなっちまったんだ。かわいそうに・・・・・・あんなに優しかった奴が・・・・・・」
変わり果てたかつての友に、スパイダーさんが憐れみの情を募らせる。
だが僕は相槌を打つことも出来ず、ただただ青ざめていた。
スパイダーさんは進化促進薬を打ったにもかかわらず、進化することが出来なかった。あの劇薬を打ったが最後、待っているのは進化か破滅の二択であるはず・・・・・・
「か、体は大丈夫ですか!?」
「見ての通りっスよ。心配すんな。そんなことより」
スパイダーさんは妙に口ごもった後、まったく別の話題を振ってきた。
シャヘルの仲間たちはどうした、と聞いてきたのだ。
確かにそのことも話しておかなくちゃと思い、これまでの戦いの大まかな経緯を説明した。
彼女が救おうとしていた部隊の仲間たちは、僕が一計を案じてジャパリの軍に投降させたということを。
だがそれから先の足取りはわからない。難を逃れていて欲しいと思うが、火山が噴火したり核が落ちたりした危機的な状況では何とも言えない。
・・・・・・そして唯一、ディンゴだけは僕の目の前で死んだ。
「アイツは僕を庇って死んだんです」
「そうか、辛かったっスね・・・・・・なあ、ところでメリノ」
静かに聞いていたスパイダーさんは、最後に相槌をひとつ打つと、感慨深そうに告げてきた。
「今のお前はすごくいい顔をしてるっスよ。ひと皮もふた皮も剥けた感じだ」
「・・・・・・クズリさんにも似たようなことを言われましたよ」
憎まれ口しか叩かないクズリさんと違って、スパイダーさんのストレートな褒め言葉は聞いてて照れくさくなってくる。
「もうすぐ地上ですかね」と、ぎこちなく流して会話を終えようとした刹那、予想だにしない異変が起こった。
僕らの体が突然に急停止してしまったのだ。
________ギキィィィッ!
「なっ!」
「・・・・・・か、体が動かねえっス!」
スパイダーさんまでもが想定外と言った風に声を上げる。
何が起こったのかわからない。暗闇の中を滞りなく進んでいたはずなのに、何者かが彼女の移動を妨害しているのだ。
________グオオオオッ・・・・・・!
急ブレーキによってガクリと前に投げ出されるような感覚を覚えたのも束の間、今度は後ろに向かって吸い寄せられている。
・・・・・・まるで影の世界に穴が空いて、そこに向かって全てが流れ出しているみたいだ。
「シベリアンの仕業っス! アイツがアタシらを捕まえようとしている!」
「・・・・・・こ、ここまで追ってきたというのですか!? そんなバカなことが!」
「そうじゃないっス!」
この異空間においては、スパイダーさんだけが唯一まわりの状況を把握することが出来る。
どうやらアムールトラは再び動き出したそうだ。
だが異空間の中を追ってきたわけではなく、変わらず峡谷前の地形に取り残されたままらしい。
奴がやった事と言えば、僕らがいた辺りにまで戻ってきて、その鉤爪が生えた手を地面に突き刺しただけだと言う。
・・・・・・普通に考えれば、そんなことをした所で異空間にいる僕らを捕まえられるはずがない。
だが現にアムールトラは、現実世界から異空間に干渉して僕らを動けなくしてしまっている。
「このままじゃアイツに引っ張り出されるっス!」
進化態と化したアムールトラ。その能力は図り知れない。
奴が引き起こした異常な現象といえば、思い当たることがもうひとつある。さっき”圧殺”を仕掛けようとしたクズリさんの右手を消し飛ばしてみせたことだ。
クズリさんの能力を跳ね返したように、スパイダーさんの能力も無効化してしまっているのだとしたら・・・・・・
「・・・・・・に、逃げることさえ不可能だなんて!」
「あきらめんな。お前らを絶対に死なせやしねえっス!」
もはや万策が尽きたような気がして絶望しかけていた僕を、スパイダーさんが変わらぬ様子で元気づける。
「アタシぁ、そのためにここに来たんだ・・・・・・うおおおおっっ!」
そして突如として気勢を高めるのだった。
何かの確信に基づいた強い意志を感じさせる叫びと共に、彼女から放たれる白い輝きが暗闇を照らし出す。
「メリノ! 今すぐ言う通りにするっスよ!」
スパイダーさんが僕に命じたのは、クズリさんとカルナヴァルを両手に抱え込むことだった。
暗闇の異空間の中で、僕ら3人は球のようにひと固まりになっている。その背後でスパイダーさんが僕の首根っこを掴んで運ぶような形になった。
「一体何をやろうっていうんですか!?」
「今からお前の体に、アタシの能力を移す!」
スパイダーさんはそう言いながら、ひと固まりになった僕らに何か念のような物を送り込みはじめた。
彼女の体から放出される白い光が、僕らの体に伝播し包み込んでいく。
「たった一回だけ、アタシがいなくても影の世界を渡り切れるはずっスよ!」
能力を移すだなんて、聞いたことも考えたことすらもない。
フレンズが各々に習得した”野生解放の先にある力”は、それぞれが生まれ持った個性を徹底的に磨き上げた末に発露するもの。他の誰かが真似できるような物ではない。
・・・・・・だがスパイダーさんの口ぶりは大まじめだ。
本気で僕に能力を分け与えようとしている。
この異空間は不規則に流れる激流に等しい。適応した者でなければ、どこまでも無限に流され続けるしかない。
そんな場所を自由自在に移動する術を僕に授けようとしているのだ。
徐々に体に変化が現れていった。
それを自覚するに至った根拠のひとつが視覚の変化だ。
本当なら僕には何もわからない暗闇のはずなのに、今はこの異空間の様相がよく見えるのだ。
辺りを流れる闇色の奔流の、ひとつひとつがどこから来てどこへ通じているのか。どこで流れに乗ればいいのか、そんなことまでが手に取るようによくわかる。
そしてスパイダーさんの方へと向きなおり目を合わせる。
冷や汗を浮かべた青ざめた顔が、僕に向かってニコリと微笑んだ。
見るからに満身創痍のその様相に驚く。さっきまで、普段通りのひょうきんな喋り方をしていたのは演技だったというのか。
やはり彼女の体は、進化促進薬によって・・・・・・。
「いいかメリノ・・・・・・絶対に2人のことを放すなっスよ」
「待ってください! スパイダーさんはどうするつもりなんですか!?」
「・・・・・・アタシぁ、戻ることにするっスよ。シベリアンの奴が呼んでるからね」
その一言で、彼女の意図をすべて悟った。
・・・・・・我が身を犠牲にして僕らを救うつもりだ。自分一人でアムールトラの所に戻り、再び戦いを挑む。
そうすることでアムールトラの妨害行動を中断させ、その隙に僕らを安全な所に移動させるつもりなのだろう。
そしておそらく、自分が生き残ることは考えていない。
「行かないでください!」
「わかってくれっスよ。これしか方法がねえんだ・・・・・・どのみちアタシぁもう先が長くねえっス。でも、お前らだけは何としても助けたいんだ」
「い、いやだ! こんなのあんまりだ!」
スパイダーさんが、泣き叫び駄々をこねる僕の体にグッと手を押し当てる。最後の一押しといった感じで能力を絞り出しているのだ。
同時に彼女の呼吸がいっそう切迫してきている。まるで彼女の命そのものを分け与えられている感じだ。
驚くべき感覚だ。まるで背中に羽が生えてきたかのように、水を得た魚になったかのように、この異空間での動き方が直感でわかるのだ。
・・・・・・いよいよスパイダーさんと同じ能力が肉体に備わりつつある実感を覚える。アムールトラに吸い寄せられているこの状況でも、自力で短時間は踏ん張れるはずだ。
「・・・・・・さあ、これで能力を移し終わったッス。あとはアタシがアムールトラを止めにいくから、それまで持ちこたえおくっスよ」
一仕事終えたスパイダーさんが、浅い息を吐きながら僕の肩を叩く。
もう行ってしまうつもりだ。
僕には何も出来ない。スパイダーさんを犠牲にしなくても済む方法も思い浮かばない。出来るのは、無様に泣きじゃくりながら彼女を見送ることだけだ。
「ごめんなさい・・・・・・僕は、あなたに何も・・・・・・」
「メリノ、今のお前ならきっと、何があっても乗り越えられる。あきらめず前に進めっスよ」
穏やかな声色で告げられるその言葉はまるで遺言だ。
あり得ない。これがお別れだなんて思いたくない。出会ってから今日まで、僕は彼女に守られ、助けられ、支えられてきた。だから今まで生きて来れた。
僕だけじゃなく、関わった者すべてにそうしてきた。敵ですらも救おうとした・・・・・・
こんなに素晴らしいフレンズが死んでいい理由がどこにある?
「お別れっスね・・・・・・ウルヴァリン」
「ッッ」
死に向かわんとする親友に名前を呼ばれて、僕の腕に抱えられている虫の息のクズリさんが小さく呻いたような気がした。
「ウルヴァリン、お前とは色々あったっスね。アタシとお前で組んで、毎日命がけで戦って、そのうち仲間も増えて、楽しかった。
・・・・・・なあ、ひとつだけ頼みがあるっス。どうかシベリアンを恨まないでやってくれっス。アタシぁやっぱり、アイツを敵だと思いたくねえ。お前と同じ大事な仲間なんだ」
「う、あ、あ・・・・・!」
今度こそクズリさんは完全に目を覚まし声を上げている。スパイダーさんを呼び止めるように、ボロボロの体を震わせて、声にならないうめき声を。
「お前ら、どうか生きてくれっスよ」
________ブォンッッ
そう言って笑ったのを最後に、スパイダーさんは僕から手を放した。
アムールトラが引き起こした、地上へと吸い上げようとする濁流に向かって自ら飛び込んでいったのだ。
・・・・・・その勢いは想像以上だった。ずっと上の方に吹き飛ぶように昇っていき、一瞬で見えなくなってしまった。
「スパイダーさんっ・・・・・・!」
クズリさんとカルナヴァルを抱えた僕は、歯を食いしばって必死に涙をこらえると、影潜りの力でその場に押し留まり耐えた。
やがて辺りがしんと静まり返ると、アムールトラが引き起こしていた圧倒的な濁流がピタリと止んでいた。
スパイダーさんが奴の所へと戻った証拠だ。僕らを逃がすために、理性を無くした怪物と力尽きるまで戦う彼女の姿が脳裏に浮かぶ。
(・・・・・・行くしかない!)
今なら移動を妨げる物は何もない。影潜りを使って安全な場所へと抜け出ることが出来る。
彼女から託された命のバトンを胸に抱いて、取り残された暗闇の渦の中を、より深く深淵へと向かってひた走った。
to be continued・・・
_______________Cast________________
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種
「アムールトラ」
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・ヤギ亜科・ヒツジ属
「メリノヒツジ」
哺乳綱・ネコ目・イタチ科・クズリ属
「クズリ(ウルヴァリン)」
哺乳綱・霊長目・クモザル科・クモザル属
「ジェフロイズ・スパイダーモンキー」(死亡時年齢:10歳4か月)
_______________Human cast ________________
「イブン・エダ・カルナヴァル (Ibn Edd Carnaval)」
年齢:67歳 性別:男 職業:国際的非政府組織「PARK」現代表
_______________The Power of Next (野生解放の先にある力)
「????」
使用者:アムールトラ
概要:肉体のリミッターが外れたアムールトラから発せられる黒いオーラには、他の生体が発するサンドスターの波動を打ち消す作用がある。
ひとたびオーラを凝縮させれば、フレンズやセルリアン相手に一撃必殺の攻撃力を得るだけでなく、あらゆる”先にある力”の働きを無効化することが出来る。
個々のフレンズの特性が発露に大きく影響する”先にある力”とは別物と位置づけられる。
進化態に到達したフレンズのみが扱うことが出来る究極の能力。
「ラストシャドウ」
使用者:スパイダーモンキー
概要:自分と手を触れた仲間を影に引き込むシャドウシフト、効果を広範囲に拡大させたセカンドシャドウに続く、スパイダーの三段階目の能力。一時的に自分と同じ能力を仲間に分け与えることで、自分がいなくても仲間を逃がすことを可能にする。
三段階目まで能力を開花させたフレンズはスパイダー以外おらず、この先も現れるかどうかわからない。
_______________Story inspired by________________
“けものフレンズ” “けものフレンズ2”
byけものフレンズプロジェクト
“けものフレンズR”
by呪詛兄貴