けものフレンズR あるトラのものがたり   作:ナガミヒナゲシ

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過去編終章31 「せんしのきかん」

 

 ・・・・・・ここはどこだ?

 どうして私はこんなところにいるんだろう?

 寒くて、暗くて、何もない場所だ。

 おまけになんだかひどくぼんやりとしている。自分の体の感覚がつかめない。

 

 私は誰だ? 自分を自分たらしめる具体的な出来事を何も覚えていない。

 覚えているのは漠然とした感情だけ・・・・・・ひどく寂しくて悲しかった。

 私の前からつぎつぎと大切な誰かがいなくなっていった。これ以上何も失いたくない、その一心でひたすら足掻いていた。

 

 ・・・・・・ああ、ひとつだけ思い出しかけてきた。

 私の前に、とても強い敵が立ちはだかっていた。

 本当はその相手とは戦いたくなかった・・・・・・それでも戦うしかないことがわかっていたから必死に戦った。

 その相手は本当に強かった・・・・・・私がどんなに強い力で殴っても、同じ力で殴り返してきた。

 どんなに素早く動いても、合わせ鏡のようにぴったり私に付いて来た。

 次第に私はその相手を倒すことしか考えられなくなっていた。

 

 ・・・・・・そんな時、はるか向こうで何かが光ったんだ。

 

(そうだった、私は)

 

 世界を焼き尽くす暴走的なまでにまばゆい光。

 私が大切に思う仲間たちが、大地に生きるヒトが、動物が、きれいな花畑が、一瞬で光に飲み込まれて消えて行くような気がした。

 ・・・・・・そして私の中に、消えることのない火がついた。

 

(私はぁぁぁぁッッ!!)

 脳裏に反響する炎が私の体に輪郭を取り戻していく。

 いまや私自身が世界を焼く炎だ。

 怒りと憎しみを糧に成長した恐ろしい怪物の肉体が、どこまでも大きく高く広がっていく。

 

 曖昧な記憶の中では、誰を憎んでいたのか、何に怒っていたのか、もはや思い出すことが出来なかった。

 怒りや憎しみを発散させること、それ自体が私の目的だった。常にそうしていなければ体が破裂してしまいそうだと思った。

 

「アアアッッ!! バラバラに引き裂いてやるッ!」

 

 虚空の中、巨大な腕を振り回して暴れた。

 本当にここはどこなんだ。早く外に出て、もっともっと破壊の限りを尽くしたいのに、どこに行けば出られるのか見当がまったく付かない。

 

 行き止まりの壁があればそれをブチ破る。その前に動く物が現れれば、それを殺す。じつに簡単なことだ・・・・・・

 何もない暗闇の中、暴力的な言葉を反芻させていると、じきにそのことだけしか考えられなくなっていった。

 

________アムールトラ・・・・・・

 とつじょ、私に向かって語りかけて来る何者かの声が聞こえた。

 振り向くと、ひとりの人影が私を見下ろしていた。

 やっと獲物が現れたか。ちっぽけなニンゲンがひとりきりのようだが、まあいい・・・・・・頭からかぶり付いて血を飲み干してやる。

 

 そう思って喜び勇んだ私は、早速その者の体を掴み上げ口元に近づけた。

 逃げもせず抵抗もせず私に捕まったその男を間近で眺める。

 奇妙な風体の男だ。鍛え上げられた筋骨隆々の体には似つかわしくない程に、顔が皺くちゃの年寄りだった。

 無精に生やした髪と髭がたてがみのように放射状に広がっている。

 

 しかし・・・・・・その男のボサボサの髪と髭の間にある表情を見てハッとした。

 慈しむような優しい瞳で私を見つめていたからだ。

 

「本当のおめェはそうじゃねェだろ」

「・・・・・・!?」

「オレはおめェの頑張りを知ってる・・・・・・ずっと見守ってきた」

 

 全てを見透かすような声を聞いて、はたと青ざめる。

 私はこの男のことを良く知っている。

 膨れ上がった怒りと憎しみに塗りつぶされた内側にある、私の根幹の部分が、何やらこの男にひどく共鳴している。

 

 そうだ。このヒトは今は亡き私の師だ・・・・・・このヒトに近づくことを目標にして今まで生きて来たはずだった。

 一瞬でもこのヒトのことを忘れてしまうなんておかしい。

 今の醜く膨れ上がったこの姿は、本当の自分じゃない。

 

(・・・・・・私は何をやっているんだ!)

________バリィィンッ

 拭いきれない違和感が頂点に達した時、にわかに嘘っぱちに思えてきた視界が、ガラス細工のように粉々に砕け散っていった。

 

 

________ザァァァァ・・・・・・

 

 気が付くと私は穏やかな波が打ち付ける砂浜に力なくうずくまっていた。

 瞳から零れ落ちた涙が砂浜に染み込んでいっている。

 

 ・・・・・・そして、私の隣にはゲンシ師匠がいて、在りし日と同じように悠然と座禅を組んで水平線の向こうを眺めていた。

 これはきっと夢なんだろう。ずっと昔に死んでしまった師匠が夢の中に出てきてくれたんだ。

 

 いつの間にか正気に戻っていた私は、怪物と化していた間のことも含めて、記憶をすべて取り戻していた。

 宿命のライバルであるクズリとの戦いの時、私の敵に対する怒りと憎しみは極まっていた。

 ・・・・・・そして、核爆発の炸裂をその目で見た瞬間、拳に宿らせていた怒りと憎しみが抑えきれないほどに肥大化し、私の自我を飲み込んでしまったんだ。

 

 その後は我を忘れて残虐の限りを尽くした。

 血の臭い、肉の味、悲鳴・・・・・・すべてのおぞましい感覚が蘇ってくる。

 

(スパイダー・・・・・・)

 

 私の戦友だった。ブラジルの仲間たちのムードメーカーだった。どんな時でも明るくて優しく、周りに気を配っていた。

 クズリとはいっけん真逆のタイプでありながらも、実に息の合ったコンビ関係を築いていた。

 ・・・・・・私も戦いの日々の中で何度も助けられてきた。

 

 南アフリカにおけるジャパリとCフォースの戦争においても、変わらずにクズリと共に戦っていたのであろう彼女は、怪物と化した私からクズリを庇った。

 友のために命を懸けて、勝てないのを承知の上で私に挑んだ。  

 ・・・・・・そんな素晴らしい子を、私は喰らったんだ。

 時間はまだそんなに経ってない。彼女の肉の味も血の臭いも、ぜんぶ鮮明に覚えている。今も胃袋の中に納まって、私の腹を満たす一部となっている。

 

 ・・・・・・友を食い殺す行為にいっぺんの躊躇もなかった。ただただ怒りを発散し、同時に空腹を満たすことしか頭になかった。

 スパイダーの喉元にかぶりついた時、私は肉の美味さにおどろき舌鼓を打って笑っていた。

 彼女を食べ終わった後、腹がまだ満たされなかった私は、何人かの逃げ遅れた兵士も見つけて捕食した。

 敵であるCフォースも、味方であるジャパリも、もはや私には関係なくなっていた。

 

「うわああああっ!!!」

 

 発狂しそうなほどの罪悪感が一気に押し寄せてくる。

 たまらず額を砂浜に擦り付けながら叫んだ。

 取り返しのつかない罪を犯してしまった・・・・・・にもかかわらず、私は自分でそれを認識することさえ出来なかった。

 一体どれだけ狂えばそんなことになる? 私の体は・・・・・・本当にどうなってしまったんだ。

 

「アムールトラよ」と、傍らのゲンシ師匠が呼びかけてくる。

 私はビクっとして師匠に向き直った。

 たとえ夢でも師匠と会えたのは喜ぶべきことだけど、今の私にはとてもじゃないけど合わせる顔がなかった。

 

「・・・・・・ごめんなさい! 私は、私はぁぁ!」

 

 頭を地面に打ち込まん勢いで、なんどもなんども土下座した。

 ゲンシ師匠が生み出し、私が受け継いだ朔流空手・・・・・・それは単なる流派ではなく、師匠の願いそのものだったはずだ。

 

 師匠は当初、朔流を自身の命と共に消し去ろうと決めていたはずだった。

 しかし私のことを見込んで、流派を受け継ぐことを許してくれた。

 自分の分まで朔流を世のために役立ててほしいという願いを私に託したんだ。 

 ・・・・・・でも、私はそれを最悪な形で裏切った。怒りと憎しみに飲まれて暴走し、残虐の限りを尽くした。

 その罪の重さはもはや、親不孝者なんて生易しい言葉じゃ済まされない。

 

「私にはもう、師匠の弟子でいる資格がないんです!!」

「・・・・・・」

 

 理性を無くした怪物と化した理由そのものはわからない。

 ・・・・・・でも、世の中ってものは原因があって結果がある。

 今にして思えば私は、前々からゲンシ師匠の教えを破り、空手家としてあるべき道を踏み外してしまっていた。教えをきちんと守り続けていれば、こんな結果にはならなかったように思う。

 

 カコさんやヒルズ将軍の下で正義を信じて戦っていた私だったが、いつの間にか私の拳には、正義と一緒に憎しみも宿るようになっていた。

 欲望のままに世界を破壊しようとするグレン・ヴェスパーが許せなかった。

 これ以上好きにさせてたまるかと思った。

 だから「空手に先手なし」という絶対の教えがあるにも関わらず「敵はもう先手を打ってきた」と自己欺瞞でそれを捻じ曲げた。

 ・・・・・・この結果はとどのつまり、私が行ってきたことへの報いだ。

 

「アムールトラ、まずは坐禅を組むンだ。海を見て呼吸を整えろ」

「し、師匠・・・・・・?」

 

 変わらぬ様子で座るゲンシ師匠は、私の懺悔と謝罪を黙って聞き終えると、溜息をひとつ付いてから私にそう命じた。

 遠い目で水平線を眺める穏やかな瞳は、まるで生きていた頃の彼のようだ。

 

「・・・・・・良い眺めだ。波も風もじつに穏やかだ。心を落ち着けるには持って来いってモンだ」

 

 やむなく言われた通りにしてみる。

 呼吸を研ぎ澄ませ心を落ち着けることは、ゲンシ師匠から教わった最も基本となる稽古だ。

 私はいかなる時でもその基本を欠かしたことはない。

 でも・・・・・・今は無理だ。心を落ち着けることなんて到底出来そうもなく、顔からは絶え間なく後悔の涙が零れ落ちていた。

 

「おめェの気持ちが伝わってくる。おめェは今、罪悪感と後悔で胸がいっぱいになっている。自分のすべてを否定したくなってる。こンなことになっちまうなんて、今まで自分は何のために戦っていたンだろうか、てェな・・・・・・」

 

 岩のように静かに座る師匠が、ピタリと寸分たがわず私の気持ちを言い当ててくる。

 ・・・・・・まあ、それもそうか。本物の師匠はとっくの昔にいないんだ。

 いま目の前にいる彼は、私が作り出した夢なんだ。つまり私自身だ。考えていることがわかって当たり前だ。

 

「俺もその昔同じことを思ったさ。育て誤ってしまった不肖の弟子を殺めちまった時にな」

 

 私はすでにゲンシ師匠の過去を知っている。

 彼が死刑囚へと身をやつした切っ掛けを。

 ジャパリの大切な仲間の1人、天才ハッカーのウィザードが、ハッキングで調べた師匠の経歴を私に教えてくれたんだ。

 

 師匠はかつて、とある孤児の少年を引き取って育てていた。

 その少年に見込みがあることに気付いた師匠は、誰にも継がせるつもりがなかった己の空手の技を教えることにした。

 ・・・・・・しかし少年は、一般市民を傷つける犯罪者へと成長してしまい、師匠の気持ちを踏みにじった。

 

 師匠は世間にこれいじょう迷惑をかけることがないようにと、少年のことを彼の仲間ともども殺害することにしたんだ。

 きっと師匠はその男に空手を教えたことを後悔しただろう。

 長年磨き上げた己の技術を、犯罪なんかに使われて、自分のそれまでの人生が否定されたような気分になったことだろう。

 ・・・・・・でも今にして思えば、私はその少年とまったく同じことをしでかしてしまった。

 

「俺の後悔は、その男に空手を教えたことじゃねェンだ」

「・・・・・・え?」

「どうして息子も同然の男を手にかけちまったのかってェことだ。

 てめェのメンツなんかにこだわって、どうしてアイツのことを許せなかったのかってな・・・・・・

 アイツの罪を一緒に背負ってやればよかった。世間すべてが敵に回っても、俺だけはアイツの味方でいてやるべきだった・・・・・・でもそれに思い至った時は、後の祭りだった」

 

 違和感を感じた。

 目の前にいる師匠が、あきらかに私が思いもよらなかったことを話しているからだ。

 私の記憶が作り出した存在ならば、そんなことは絶対にあり得ない。

 夢枕に過ぎないと思っていた彼の姿が、にわかにはっきりとした実在感に満ち溢れていった。

 

「ゲンシ師匠! あなたは・・・・・・!?」

「ああ、かつておめェの目の前で死ンでいった、正真正銘の俺さ。おめェにどうしても話さにゃいけねえことがある。だからあの世から舞い戻ってきたてェワケさ」

 

 ゲンシ師匠が言うには、この砂浜は私の精神世界なのだという・・・・・・そして今この場にいる彼は、夢枕などではなく、彼の魂そのものなのだと。

 あの世から舞い戻ってきた師匠の霊魂が、私の心に入り込むことで語りかけているというのだ。

 

「そ、そんなことが可能なんですか?」

「・・・・・・なに言ってンだ。おめェにだって身に覚えがあるはずだ。前に他人の心の中に入ったことがあンだろう?」

 

 それは私が前々からずっと気になっていたことだった。

 相手の心の中に入り、記憶や感情を読み取る・・・・・・おそらくは”勁脈打ち”に続く、私の二段階目の能力だ。 

 

 今までにたった二回だけ発動したことがある。ともに同じ相手に対してだ。

 メガバット・・・・・・ブラジルにいた時の私の上司であり、大切な親友でもあるフレンズだ。

 Cフォースを裏切った私は、メガバットとも一戦交えるはめになった。彼女との戦いの中で新たな能力の発露が始まった。

 

 最初は無意識のうちにメガバットの心の中に入り込んでいて、まるで自分が彼女になったかのような錯覚を覚えながら、彼女の凄惨な過去と、抱いていたグレン・ヴェスパーへの激しい憎しみを知った。

 二度目は意図的だった。戦いを経て命に関わる重傷を負ったメガバットの精神世界にて、黒い死の渦に飲み込まれようとしている彼女の魂に呼びかけた。

 ・・・・・・その後、何をどうしたのか知らないが、現実世界で止まっていた彼女の心臓がふたたび動き出したのをこの目で見た。

 

「他人の心に入ることは出来るのは”大極”に至る術を身に着けた者だけだ」

 

 聞き覚えのある言葉だった。

 以前ウィザードが、師匠の遺書のデータを発掘して読み聞かせてくれた。

 その文章の結びに書かれていた謎の一文が「すべての功が成りし時、その手に大極が握られむ」というものだった。

 ウィザードが八方手を尽くして調べても分からなかったのが大極という単語だった。

 

「我を完全に消し去り、自然に帰すことで、この世のすべてを知り、すべてと繋がる道が開けてくる・・・・・・それが大極に至るってェことだ」

 

 大極とは、朔流空手のルーツのひとつである「霊山元承拳」を学んでいた古のチベット僧たちが目指した究極の境地のことだという。

 すべてと繋がることが出来た精神は、死後も自我を保ち、生者に語りかけることすら可能となるのだという。

 

 己の罪と向き合い続けたゲンシ師匠もまた、死の瞬間に大極へと到っていたのだという。 

 全身を放射能に侵されながらも、命が絶えるその時まで修行と瞑想を怠らなかった師匠。

 彼の精神は、風や波といったあらゆる自然と同化を果たしていた・・・・・・そして私のことをずっと見守っていてくれていた。

 

「ゲンシ師匠と同じ力が、私にも・・・・・・」

「いいや。おめェはとっくの昔に俺を超えている」

 

 師匠は穏やかだった表情をにわかに曇らせると、少し寂しそうに微笑んだ。

 彼は言う。生きたまま大極に至ることが出来た者は、歴史上一人もいないのだと・・・・・・つまり、私だけが唯一それを成し遂げたことになる。

 もしかすると、私がヒトではなくフレンズだったからこそ出来た事なのかもしれないということらしい。

 

「生きながら大極に至り、戦いの最中ですら相手の精神に入り込むことが出来る・・・・・・あらゆる先人が成し得なかった、おめェだけの奥義だ。

 俺から教えられることはもう何もねェ。おめェ自身で磨いていけ」

 

 ゲンシ師匠は私を許してくれるつもりだ。

 かつて弟子を許せずに殺してしまった後悔が彼にそう言わせているのかもしれない。

 ・・・・・・でも、だめだ。

 師匠が許してくれたって、私が私自身を許せない。正気を失った怪物である私にはもう、師匠の教えを受け継いでいく資格なんて無い。

 これから先、もうどうしたらいいのかもわからない。

 

「アムールトラ。今からおめェに新しい修行を言いつける」

「あ、新しい、修行・・・・・・?」

「おめェ自身の罪と、最後まで逃げずに向き合え」

 

 ゲンシ師匠は言った。

 償うことが出来ないぐらいに重い罪でも、向き合うことだけは出来る、と。

 真剣に罪と向き合い続ければ、やがて自分なりの答えを見つけることが出来るはずだ、と。

 

「わ・・・・・・私なんか、とても師匠と同じようには出来ません! いつまた正気を失ってしまうかもわからないのに!」

「きっと大丈夫さ。何故ならおめェの心の中には今だって、この広く穏やかな海が広がっている・・・・・・だからこそ。俺ももう一度おめェと話すことが出来たンだ」

 

 さざ波のように優しい師匠の声には、私への揺るぎない信頼と愛情とが入り混じっている。

 勿体ないぐらいの有難い励ましの言葉だった。

 だけど、とてもじゃないけど私は今の自分を信じることが出来なくて、涙を流しながら首を横に振った。

 すると師匠は「答えを急ぐな」と念を押してくれた。

 

________ゴゴゴゴ・・・・・・

「なっ! この揺れは!?」

 穏やかに広がっている波間に、俄かに大地震が巻き起こる。

 水平線と青空とが一緒くたになって色褪せ、空間に亀裂が走っている。

 ・・・・・・私の精神世界が、崩壊を始めている?

 

「さあ、そろそろ目覚めの時だ」

 と、色褪せて形を失い始めている師匠が呟いた。

 言うまでも無く悟る。魂だけの存在である師匠は現実には存在できない。私が意識を取り戻した時、師匠も一緒に消えてしまうのだろう。

 

「・・・・・・次に起きた時、おめェにとって最も大事な時がやってくるだろう。最後の、最大の試練だ」

 

________ガッシャアアンッッッッ!!

 

 地震の次は物凄い轟音がとどろいた。

 かと思いきや、亀裂の入った空間が窓ガラスみたいに激しく砕け散り大穴が空けられた。

 大穴の向こう側に広がる暗黒が、物凄い勢いでこちら側に侵食してきている。

 

「ふっ、どうやらおめェのことを荒っぽく起こそうとしている奴がいるようだ」

 

 空に広がる暗黒を見上げながらゲンシ師匠が告げる。

 止められない目覚めと別れの気配が募る中、名残惜しさのあまりゲンシ師匠へと手を伸ばした。 

 だがそれもむなしく空を切り、穏やかに微笑みかける師匠の瞳と目が合ったと思うや否や、いつの間にか彼の姿も、海も空も、すべてが暗黒の中に消え去っていた。

 

「ゲンシ師匠・・・・・・ま、また、会えますか!?」

「・・・・・・会えるさ。何があろうとも、俺はいつでもおめェのことを見守っている・・・・・・」

 

 一人ぼっちになった私の耳に、風の囁きのように静かな師匠の声が聞こえたような気がした。

 

 

 はたと目覚めた時、最初に目にしたのは一本の腕だった。

 指先から長い鉤爪を生やし、皮膚は岩石のごとく硬く節くれだっている。

 そんな恐ろしい物体が、殺意を滾らせるように指をワキワキと動かしながら、一直線に私に迫ってきたのだった。

 

________グギュウウウウッッ

「あっ、あががっっ・・・・・・!」

 怪物か悪魔のものとしか思えない手のひらが、喉元を猛烈な力で握り締めてきた。その激痛と息苦しさによって、いつの間にか完全に意識を取り戻していることを想い知らされた。

 ・・・・・・まだ目の前が薄ぼんやりとしか見えないが、この感覚は現実のものとしか思えない。

 

________ブォンッ! ガッシャアアンッッ!

 目蓋をしばたたかせて目の前をしっかり見ようと思った刹那、怪物の腕がとつじょ私の体を放り投げた。

 宙を舞う感覚を味わうやいなや、私の全身に纏わりついていた硬く重たい何かが粉々に砕け散るけたたましい音が耳をつんざいた。

 これは氷か? そこらじゅうに分厚い氷の破片が散らばって、山のように折り重なっている。

 もしかして私は、この夥しい量の氷の中に閉じ込められて眠らされていたのか?

 

 だんだんと五感が明瞭になっていく。

 バトーイェ山脈の麓にて戦っていたはずの私は、いつの間にか得体の知れないどこかの薄暗い屋内に連れて来られていた。

 最低限の照明しかない暗く広い部屋に、けたたましく点滅する赤いランプが瞬いている。

 どこかからサイレンの音がひっきりなしに鳴り響いてきている。

 ・・・・・・ここがどういう場所だか知らないが、何らかの非常事態が起きているのであろうことは薄々わかった。

 

________ドガッ!

「起きろっ!」

 何者かが私を蹴り起こし怒鳴った。

 ランプの明滅の中に、ぼうっと恐ろし気な姿が立ち上がり私を見下ろしている。

 見覚えのあるフレンズだ・・・・・・この子は確か、メリノヒツジと呼ばれていた、クズリの仲間だ。

 頭の左右から生えた渦巻き状の立派なツノが、彼女が角獣であることを示している。

 そしてその全身に生える薄赤色の豊かな体毛は、一度見たら忘れないだろう彼女だけの特徴だ。

 

 どんなフレンズかもおおよそ覚えている。

 クズリにも劣らぬほどの激しい闘志と、状況を操るための明晰な頭脳を持ち合わせていた。

 仲間のフレンズ達を口車に乗せてこっそり戦場から逃がしてみせた後で、あえて自分一人だけで私に無謀な戦いを挑んで来た・・・・・・容易には真意が測れない侮れない子だと思った。

 

 今もその表情は怒気に満ちていて、歯を剥き出しにしており、その顔面は体毛とほぼ変わらぬほどに赤く怒張している。

 ・・・・・・良く見るとあちこちに鮮血を浴びている。おそらくは返り血だ。

 

________ジャキンッ!

 燃えるような怒りを滾らせたメリノヒツジが、角獣フレンズのシンボルともいうべき槍を手のひらに出現させ、私の喉元に付きつけた。

 

(ああ、そうだよな・・・・・・)

 この子は私とクズリの戦いを間近で見ていたんだ。その後何が起きたかも知っているのだろう。

 スパイダーの仇を討つつもりだ・・・・・・きっとこの子にとっても、スパイダーはかけがえのない存在だったんだろう。

 さっき精神世界でゲンシ師匠に言われたことを思い出す。

 目覚めたら、私にとって最も大事な時がやってくる、と。

 ・・・・・・その時は本当にすぐやってきたな。

 

 この子の復讐はまったく正当なものだ。私には抵抗する権利はない。

 いさぎよく死のう。それこそが、取り返しのつかない罪を犯した私に出来る唯一の償いだ。

 ・・・・・・そう思い、横たわったまま目を閉じた。

 

「な、何!? お前・・・・・・まさか!?」

 

 しかし私が想像した通りの展開にはならず、メリノヒツジは困惑した表情で私を見下ろしたまま、突きつけていた金色の穂先を後ろに引いた。

 

「・・・・・・なぁにブツブツ言ってんだァ?」

 

 メリノヒツジとは違って私の良く知っている声が背後から聞こえた。

 思わず驚いて振り向くと、私が想像した通りのフレンズがゆっくり近づいて来るのが見えた。

 

(く、クズリ? 生きていたのか・・・・・・?)

 私が怪物と化したあの時、一番そばにいたクズリを、喰らいはしないまでも、暴虐の限り痛め付けてしまった。

 しかし今の彼女は信じがたいことに、あれほどの重傷がなかったことのように動いている・・・・・・そして何やら、私の知っている彼女と違う。

 

 何より目に付くのがその肥大化した禍々しい右手だ・・・・・・あれはついさっきも見た物だ。

 あの手が暗闇の中で私の首を締めあげてきたんだ。彼女の左手は見た感じ普通なのに、いったいその身に何が起きた?

 

 クズリは周囲に散らばる氷塊を踏み砕きながら私に近づき、メリノヒツジに並んだ。

 黒と赤、立ち並んだ2人の体色のコントラストは見るも鮮やかだ。

 ・・・・・・しかし妙だ。薄暗い部屋の中にあってなお、クズリの周りだけさらに闇が立ち込めている気がする。こんなに傍にいるのに、彼女の周囲に纏わりつく黒いモヤのせいで表情が良くうかがい知れない。

 

「クズリさん、アムールトラはどうやら正気を取り戻しているようです。僕が槍を突き付けたら、観念したように目を閉じた・・・・・・そんな潔い態度は、正気を失った者に出来ることじゃない」

 

 メリノヒツジは手にした金色の槍をかき消してしまうと、その場から一歩身を引いた。

 彼女にとっては目上の存在であろうクズリに、スパイダーの仇討ちを果たす役目を譲るつもりらしい。

 

「おそらく会話も出来るでしょう。せっかくだから、殺してしまう前に何か話をしてみては?」

「・・・・・・ふーん、話ねぇ」

 

 興味なさそうに頷くクズリだったが、ぶっきらぼうな口調とは裏腹に、禍々しい本気の殺意を全身から迸らせていた。

 もちろん抵抗する気はない。だが、うつ伏せに倒れている今の姿勢じゃあんまりに恰好が付かないので、起き上がってクズリに真っ直ぐ向きなおろうとした。

 ・・・・・・その時、体の違和感に気付くのだった。

 

 首から下がまったく動かない。

 気になって自身の体を見回してみると、私の両腕はやはり、記憶の中とまったく同様の、変わり果てた怪物の手と化していた。クズリの右腕とほとんど同じだ。毛が生えているかいないかの違いしかない。

 

 ・・・・・・そして、驚いたことがもうひとつある。

 私の知らない内に、両腕に黒く重々しい腕輪が嵌められていたことだ。両腕は互いに長い鎖で連結されている。

 

「それは鎖の腕輪だ。腕輪から発射される神経パルスがお前の四肢を麻痺させ動きを封じている。グレン・ヴェスパーの仕業だ。お前が万が一覚醒しても動き出さないようにするために取り付けたんだ」

 

 私の疑問を察したのであろうメリノヒツジが教えてくれる。

 難しい単語を整然と並び立てる彼女の話し方は、まるでヒトの言葉を聞いているようだった。

 彼女の方を見ると、彼女の両手首にも同じ腕輪が取り付けられているのがわかる。

 しかし腕輪に付いている鎖はすでに千切れていて、十数センチほどの切れ端が垂れ下がっているだけだった。

 ・・・・・・そして、クズリにも左手首にだけ腕輪が残っている。

 思いだしてきた。バトーイェ山脈で戦った時も、2人の手首にはこんな腕輪が付いていた。

 

「あ、あ、う、あ」

「何だ? 何を言っている?」

 

 ここはどこか、私はどうしてここに連れてこられたのか?

 おそらくこの2人は私よりも事情を知っているだろうと思って口を開いた。死ぬしかないにしたって、そこら辺の話は聞いておきたかった。

 ・・・・・・が、しかし、私の口から出たのは言葉にならないうめき声だけだった。

 

「あっ、あーーっ!?」

 

 こんなのおかしい。

 精神世界ではゲンシ師匠と普通に喋っていたはずなのに、今だって頭の中は別に何ともなくて、色々と考えられているのに、全然喋れない。

 言葉を発しようとすると、口や喉が石みたいに硬く強張ってしまうんだ。

 

「なるほどな・・・・・・読めて来たぞ。アムールトラ、どうやらお前は、進化した影響で言葉を失ったようだな」

「ううっ? あうっ?」

「フレンズの進化とは、体内のサンドスターの変質によって引き起こされるものだ」

 

 うめき声を上げ続ける私を見て、頭を捻っていたメリノヒツジがやがて何かに思い至ったように頷き告げた。

 進化? 今の私が前よりも進化しているっていうのか? 理性も言葉すらも忘れて暴走してしまうようなこんな異常な状態が?

 ・・・・・・わからない。私の体に何が起こったのか。

 

「進化した肉体には、戦闘能力の劇的な向上がもたらされる・・・・・・が、それと同時に、肉体の性質が動物だった頃に逆行してしまうんだ。

 お前が食肉衝動を抑えられなかったのはそれが理由だ・・・・・・さらに、今まで持っていた発語機能も失われることになったようだ」

 

「メリノヒツジ先生は何でもご存知ってかァ? 大した博識ぶりじゃねえか」

 と、クズリが茶化したように口を挟んだ。

 

「あの憎たらしい親娘の受け売りが大半なんですけどね」

「だが、ちょっとおかしいんじゃねえか? 何でオレは口が利けるんだァ?」

「・・・・・・おそらくは、クズリさんの進化が完全なものではないためかと」

 

「はははっ! 自分の力で進化したアムールトラと比べて、お注射の力で進化したオレは半端者ってか? だっせえなァおい・・・・・・まぁ、いいや!」

________メキメキィッ!

 クズリがメリノヒツジの返事を聞いて、天井を仰いで自嘲気味にケタケタと笑った。

 ・・・・・・かと思うと、いきなり腰を下ろし、私のことを腕輪から出た鎖を巻き取るようにして持ち上げた。

 小柄な彼女に持ち上げられたところで、私の足が地面から離れることはなかったが、まったく力が入らない垂れ下がるだけの足を見て、腕輪の効力の確かさを余計に思い知らされた。

 

 私とクズリの頭の高さがちょうど同じぐらいになる。今度こそ彼女の表情を間近で見ることになった。

 ・・・・・・彼女は声色こそ陽気だったが、表情はまったく笑っていなかった。しかし怒ってもいない。張り付いたような無表情だ。

 どんな時でも感情を爆発させていた彼女の、こんな顔をこれまで見た事がない。

 

「てめえが口が利けなかろうが何だろうが、オレのやることは変わんねえからよォ」

________ゴゴゴゴ・・・・・・

 凍り付くような殺意を向けられて、今度こそ最後の瞬間を覚悟する。

 クズリの周りを漂っていた黒いモヤが、炎のように揺らめき、天井に向かって立ち上っている。

 2人の会話から、どうやらクズリは暴走状態の私と同等の力を得たことがうかがえる。

 ・・・・・・そんな彼女が今、私を全力の一撃で屠るために力を溜めている。

 

「アムールトラよぉ、今はてめえの胃袋の中にいるスパイダーが、最後に何て言ったか教えてやろうか・・・・・・? アイツはな、てめえのことを”恨まないでやってくれ”って、オレとメリノに言ったんだよォ!」

 

 クズリがどれほど私を憎んでいるかが伝わってくる。そして自分の行いをとことん後悔した。

 クズリとスパイダーは昔から、兄弟のように命を預け合い戦いを生き抜いてきた。その絆は何物にも代えがたいものだ。

 私はクズリからそんなかけがえのない存在を奪った。

 ・・・・・・そうだ。私はクズリによって殺されなければならない。間違いなくそれが私の償いだ。

 

________バッキャアアンッッ!!

 

 限界まで膨れ上がったクズリの殺気が弾けたかと思った瞬間、甲高い破壊音が耳をつんざいた。

 しかし・・・・・・破壊されたのは私ではなく、腕輪から伸びていた鎖だった。

 

「う・・・・・・?」

 宙吊りの状態から解放された私は、自分の体に自由が戻っていることを悟った。

 鎖が引きちぎられたことで、メリノヒツジのいう神経パルスが腕輪から消失したのだろうか?

 困惑のままに立ち上がると「なぜ?」という問いを瞳に込めてクズリを見つめた。

 

「・・・・・・オレがどんだけてめえのことをブチ殺したくても、アイツの言葉の方が重いんだよ」

 

 クズリが凍った炎を瞳に宿したまま私を見つめている。

 かと思うと、左右それぞれ形の違う手を硬く握り締めて小刻みに震わせている。

 私に恨みを晴らしたい気持ちを必死に抑え付けているんだ。鎖を引きちぎってくれたのは、私を許すとかそういうことでは決してなく、ただスパイダーとの友情のために・・・・・・

 

「・・・・・・行くぞメリノ。腕輪は壊してやった。あとは好きにさせりゃいい」

 やがてクズリは舌打ち混じりに私から目を逸らすと、メリノヒツジに声をかけてその場から立ち去ろうと踵を返した。

「これ以上コイツの顔を見ていたくねえ。手が出ちまいそうだ」

 

 しかしメリノヒツジはそれには従わず「待ってくださいよ」と立ち尽くしたまま異を唱えた。

 

「殺すつもりなら止める気はありませんでしたが・・・・・・生かすつもりなら、腕輪だけ壊して放置なんて中途半端だと思いますがね」

「あ? 何が言いてえ?」

「・・・・・・アムールトラを僕たちの仲間に入れるべきだ」

 

 それを聞いて、立ち去ろうとしていたクズリが静かな怒気を纏いながら振り返る。

 いっぽうのメリノヒツジも一歩も引かずに、腕を組んだまま不敵に睨み返している。

 彼女にとってクズリが目上の存在であっても、言われることすべてに黙って追従しているだけではないことがうかがえる。

 

「アムールトラの強さは最早言うまでもない。僕ら2人だけで戦うよりよっぽどいいはずです。 

 ・・・・・・もっともコイツはいつまた暴走するかもわからないワケですが、僕らに危害が及ばない限りは、ここでなら好き放題暴れてくれて良いわけだしね。メリットしかないでしょう?」

「ふざけろよメリノ、てめえは何ホザいてんのかわかってんのか?」

「例えどんな手を使ってでもグレン・ヴェスパーを、ここにいる奴らを皆殺しにするのが僕らの悲願だ。違いますか?」

 

 ________ピリッッ・・・・・・

 互いの主張をゆずらないクズリとメリノヒツジが真っ向から睨み合っていると、とつじょ薄暗い広い部屋の向こうから、何者かの殺気が発せられ肌を差してきた。

 銃口だ。私たちに向かって真っ直ぐに狙いを付けてきている。ものすごい数だ・・・・・・。

 

 私と同じくそれに気づいた2人はピタリを言い争いをやめ、表情に緊張を走らせながら、部屋の向こうの見通せない薄暗闇を見上げて身構えた。

「もう勘付かれたようですね」と、メリノヒツジが何かを予期していたように呟いた。

 

________ウィィィィンッッ・・・・・・

 銃口を掲げる者達の姿に気付く。

 敵の兵士たちかと思いきや、予想とはまったく異なる者達が現れた。

 見覚えのある、空中を浮遊する黒い球体の姿は、Cフォースのナビゲーションユニットだ。

 しかし私の知っているそれよりも球の直径が一回り以上も大きく、球体の表面からは銀色の細長いバレルが突き出ていた。

 

________ドンドンドンドンドンッッ!

 やがて無数のナビゲーションユニットから雨あられと銃撃が降り注ぐ。

 弾道が描く虹色の軌跡は、セルリアンだけでなくフレンズをも殺傷することが出来るSSアモであることを示している。

 

________ガキキキンッッ!

 しかし、虹色の銃撃はすべてメリノヒツジによって受け止められていた。

 彼女の手からは金色がかったドーム状の膜のような物が展開されていて、それが銃撃を防いだようだ。盾とでもいえばいいのだろうか。

 槍だけでなく色んな道具を取り出して戦えるとは、なんて便利な能力の持ち主だろう。

 

「・・・・・・落ちろよ! ガラクタどもがッッ!」

 

 一変して凶悪な面構えになったメリノヒツジが、激昂しながら手にした盾を上に放り投げた。

 きらきらと光りながら跳ね上げられた金色の盾が、空中で分裂し無数の槍と化すと、下の方へいた持ち主に向かって回転しながら順々と戻って来た。

 

________バヒュヒュヒュッッ!

 メリノヒツジは落ちて来る槍を流れるような動作で順々にキャッチし、矢継ぎ早に前方目掛けて投げつけた。

 槍が次々とユニットを貫き爆散させていく。しかし、落とされる傍から新手の機体がやって来るのが見える。

 

 突然に始まった激しい戦闘に応じて私も身構えた。

「あ・・・・・・うっ!?」

 しかし、一歩踏み出そうとした瞬間、何かに足を取られているのに気付いた。

 

________ズグググッ

 何の変哲もない硬い床だったはずの地面が、いつの間にかアリジゴクの巣のようにスリ鉢状にへこんでいた。飛び上がって脱出しようと思っても、足首が地面に沈み込み、そのまま固まってしまったように動かない。

 ・・・・・・見ると、私の傍にいたクズリは前もって危機を予期していたようで、その場から飛び退いて脱出を果たしていた。

 

「クズリさんッ! アムールトラが危ない! あなたの能力で助けてください!」

 

 メリノヒツジがナビゲーションユニットの群れに応戦しつつも私の危機に気付いて呼びかける。

「こん・・・・・・ちくしょうがッ!」

 その声を聞いたクズリは、苦渋に満ちた表情をしながらメリノヒツジの呼びかけに応じることを躊躇していた。

 だが、やがて何かを決意したように、金色のオーラを纏わせた左手を地面の上に置いた。

 

________ズォォォンッッ!!

 最初は何をしているのか分からなかった。

 ・・・・・・が、そっと置かれた左手を中心に、床がひしゃげて盛り上がっていっているのが見えた。まるで地面がクズリの掌に向かって集まっているかのような絵面だ。

 その勢いは尋常ではなく、すり鉢状に凹み続ける床を力づくで押しとどめ、私もろともクズリの所へと引き寄せていった。

 

(こ、これがクズリの新たな”先にある力”か!?)

 

 クズリの左手にはあっという間に、直径数メートルほどの団子状に固まった地面が集められることになった。その一部に私の足首が埋まっている。

 そして彼女はその禍々しい右手で団子を打ち砕き、私を拘束から解放してくれた。

 

 ありがとう、と口では言えない私が、目を使って感謝を表そうとした時だった。

「見てんじゃねえ」

 しかしクズリは謝意など受け取らないと言わんばかりに、私のことを敵意が籠った冷たい瞳で睨み付けてきた。

 もはやかつて仲間だったことが信じられない程に、彼女との間に修復不可能な亀裂が出来てしまったことを実感する。

 ・・・・・・その亀裂を作ったのは、他でもない私なのだからどうにも出来ない。

 

「行きましょう! 走って!」

 

 盾を展開して銃撃から私たちを庇っているメリノヒツジが、顔を横に振ってそう指示してくる。

 クズリが聞くなり走り出す。どう進めばいいのか既に心得ているのであろう。

 私もそれに付き従ってここを立ち去ることにした。

 

 

 ナビゲーションユニットの群れを振り切った私、クズリ、メリノヒツジの3人は、暗く長い回廊をしばらく道なりに走ることになった。

 私とクズリの間で険悪な空気が渦巻いている中、メリノヒツジが一人で喋り続け、今置かれた状況を説明してくれた。

 

 ここは”スターオブシャヘル”という名前の場所らしい。

 グレン・ヴェスパーの本拠地であり、想像を絶する程に高い空に浮いている巨大な要塞なのだという。あの男が世界を支配するための全ての企てがここで行われているのだと。

 

 Cフォースを裏切ったクズリとメリノヒツジは、これからたった2人でスターオブシャヘルの全兵力と闘い、グレン・ヴェスパーとその娘イヴを抹殺しようとしているらしい。

 すべての戦いを仕組み、自分達のことを生きるも死ぬも思いのままに操ろうとした2人に復讐することが、スパイダーへの弔いだと思っているようだった。

 

「アムールトラ、さっきのでわかったと思うが、このスターオブシャヘルを当たり前の基地か何かだと思わないことだ。ここは、建材のほぼ全てがナノ分子加工された形状記憶合金で出来ている。

 ・・・・・・いわば生きている要塞だ。僕らはモンストロの腹の中に飲まれたんだ」

 

 メリノヒツジの言葉はあい変わらず難しい単語混じりだったが、用はさっきのようなことがどこでも起こり得るということなのだろう。

 脅威は配備された兵士や兵器群だけでなく、建物自体が変形して私たちを排除するために襲い掛かってくるということだと。

 

「だが必ず僕の手で巨鯨の腹を裂いてやる。そして地面に叩き落として・・・・・・スパイダーさんの墓石代わりにするんだ」

 

 2人が私の所へ来て氷の中から呼び醒ましたのは、もちろんスパイダーの直接の仇である私を討つためだったが・・・・・・しかし私が偶然に正気を取り戻したために、今2人は私の扱いをどうするかで揉めてしまっている。

 

「アムールトラ、そしてクズリさん。2人に是非とも聞いてもらいたいことがある」

 

 先頭を走るメリノヒツジはあらかた状況説明を終えると、先ほどにもまして深刻さを秘めた表情で新たな話題を振ってきた。

 クズリは己の唯一の仲間を睨みつけながら「何が言いてえ」と凄んだ。

 

 メリノヒツジは我が意を得たりという表情で頷くと「バトーイェ山脈での戦いのことです」と切り出した。

 

「僕はジャパリ側のとあるフレンズと戦い、その末にそいつを殺害した。

 正直、僕が勝てたのが奇跡というぐらいの強敵だった。強さだけでなく、強靭な精神力と、戦士としての矜持を持った素晴らしい相手だった。

 スプリングボック・・・・・・それがそのフレンズの名だ。戦いの末、彼女は最後にアムールトラ、お前の名を呼び、後はまかせたと言って死んでいった」

 

 メリノヒツジの突然の告白に、私はただただ驚いて目を見開くしかなかった。

 そしてスプリングボックとの思い出が脳内を駆け巡った。

 いつだってストレートに本音でぶつかってくる、不器用だけど純粋な子だった。衝突して上手くいかないことも多かったけど、互いに信頼し合って一緒に戦ってきた私の大切な仲間だ。

 ・・・・・・死んでしまっていたのか、このメリノヒツジという相手に殺されて・・・・・・

 

「アムールトラ、お前はスパイダーさんを食い殺したが、僕もまたお前の仲間を殺したのさ・・・・・・」

 

 言わなければ私に知られることはなかっただろうに、メリノヒツジは私の目を真っ直ぐに見ながら、きっぱりと告白した。

 おそらく彼女にとっては、スプリングボックに勝ったことは一生の誇りであるに違いない。だからこんなに堂々としていられるんだ。

 ・・・・・・スプリングボックはきっと、最後まで彼女らしく、正々堂々と力を出し切って、敵であるメリノヒツジに畏怖されるまでの戦いを繰り広げて散っていったんだろう。

 

「クズリさん、あなただってアムールトラの仲間のジャパリ兵士を大勢殺したはずです。僕らは戦争をしていたんだ。互いに加害者でもあり、被害者でもある。当然のことでしょう? ・・・・・・唯一の例外は、100%の加害者であるヴェスパー親娘だけなんですよ。

 それなのにスパイダーさんを失った自分の恨みつらみだけを優先させるのは、スジが通っていないと思いますがね」

 

 メリノヒツジはクズリにも私にも肩入れすることはなく、状況をあくまでフェアな視点から見ているようだった。

 そして私にスプリングボックを殺したことを敢えて打ち明けたのは、痛み分けと言うべき今の状況をクズリにわかってもらうためなのだろう。

 

「ぐっ・・・・・・」 

 クズリは低く唸ると、それきり項垂れて走ることだけに集中しはじめた。さしもの彼女も、メリノヒツジの鋭く容赦のない論理に黙らせられるしかないようだった。

「さてと」

 さらにメリノヒツジは間髪入れずに私に向かって問いを投げかけてきた。

 

「アムールトラ、改めて問おう。お前は仲間の仇である僕たちと手を組むか? 口が利けなくたって、首を縦か横に振ることは出来るはずだ」 

「・・・・・・ううっ」 

 

 だが私は首を縦にも横にも振ることが出来なかった。

 とても難しい、容易には答えを出すことが出来ない問いかけだと思った。

 もちろんメリノヒツジに復讐する気などない。二度と同じ過ちを繰り返してはいけない。また正気を失った化け物に戻ってしまうかもしれないからだ。

 そうならないためにも、今度こそゲンシ師匠の教えに立ち返り、正しい道を歩みたい。

 

 ・・・・・・でも、復讐という手段そのものが完全に過ちであると否定できる材料もない。

 殺されたスプリングボックに対して、私がしてやれる弔いがそれしかないのなら、過ちであることを承知で復讐を選ぶのも一つの選択肢なのかもしれない。

 きっと今の私とまったく同じ葛藤を、クズリも抱えているのだろう。

 道理ではないことと頭ではわかっていても、スパイダーを私に奪われた悲しみが大きすぎて、復讐の道を捨てることが出来ないでいるんだ。

  

「あうっ!」

「な、てめえ!?」

 

 私は呼びかけるようにクズリに唸り、彼女の腕をつかんで引き留めた・・・・・・いや、つかむと言うよりは両方の手のひらで挟んだ。自分の両手から生える鉤爪があまりに鋭くて、彼女を傷つけてしまいそうだったから。

 

 そして触るなとばかりに睨んで来るクズリに向かって、思いのたけを込めた視線を送った。

 許してくれとは言わない・・・・・・ただどうか、今だけは一緒に戦わせてほしい。その後で私を殺したっていい。

 私は私自身の償いのために戦わなきゃいけないんだ。

 ・・・・・・言葉で言えないのが悔しいけど、私の気持ちを分かってほしかった。

 

 それからメリノヒツジに向かって視線を流すと、一度だけはっきりと頷いた。

 彼女はそれを見て得意そうに笑い「決まりだな」と答えた。

 

「クズリさん、あなたの返事はまだですか?」

「チッ、生意気なんだよクサレヒツジが・・・・・・べらべらと話を勝手に進めやがって。これじゃオレが一人で駄々こねてるバカみてえじゃねえか」

 

________ガシィッ!

 クズリは吐き捨てるようにそう言うと、私の手を払いのけ、お返しと言わんばかりに、普通のままの左手で私の襟首を掴み、物凄い力で引き寄せてきた。

 

「昔みたいな目でオレを見やがんじゃねえよ・・・・・・!」

 

 しかしクズリもそう言いながら私から目を逸らさない。

 間近で睨んでくる彼女の瞳の中に、思い出が映し出されているかのような気分になった。

 まるで彼女との間にあったこれまでの出来事を瞬間に追体験しているかのような・・・・・・。

 

 最初の出会いは私がかつて動物だった時だ。

 クズリは圧倒的な強さでセルリアンをなぎ倒しながら私の前に現れた。

 ヒグラシ所長の研究所で一緒だった時は、常に私の先を行く先輩だった。ブラジルではメガバットの指揮の下、背中を預けて戦う頼もしい仲間だった。

 南アフリカでは互いに別々の道を歩むことになり、バトーイェ山脈では死力を尽くして激突することになった。

 ・・・・・・そして今またこうして私の目の前にいる。

 

「わかったよ」

 私と同じように遠い瞳をしていたクズリの目の焦点が現在に戻る。

 睨み付けてくる彼女の表情からは、先ほどのような拒絶ではなく、挑発的な、それでいて鼓舞してくるような意志が宿っていた。

 かつて何のしがらみのない仲間同士だった頃、よく私にこんな顔を向けてくれていたっけ。

 

「・・・・・・もう一度だけ、てめえと手ェ組んでやるよ」

「あ、う」

 

 瞳に涙をにじませた私は、ありがとうと言う代わりにお辞儀をした。

 そうしてゲンシ師匠の言葉を頭の中で反芻させた。

 私に訪れる最も大事な時とは、きっとこの時のことを言っていたんだ。

 

 この2人と共に、グレン・ヴェスパーの野望を必ず阻止してみせる。

 スパイダーに、スプリングボックに、ヒルズ将軍に、私が殺した兵士たちに・・・・・・この戦争で死んでいったあらゆる者達の思いに応えなきゃいけない。

 

 私は私の罪と向き合い償ってみせる。かつてゲンシ師匠がそうしたように。

 

 to be continued・・・




_______________Cast________________

哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種
「アムールトラ」 
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・ヤギ亜科・ヒツジ属
「メリノヒツジ」
哺乳綱・ネコ目・イタチ科・クズリ属
「クズリ」

_______________Human cast ________________

「朔 原始(さくづきげんし)」(霊体)
享年75歳 性別:男 職業:朔流空手道 開祖

_______________Information________________

「擬似進化態(ニア・ビースト)」
概要:進化促進薬によって蘇生を果たしたクズリを指す。完全進化態であるアムールトラと同様に常軌を逸した攻撃力と防御力を持つが、肉体の変異は右腕だけにとどまり、発語能力も維持されている稀有な状態。
 完全進化態と比較して、急激な進化に肉体が順応しきっておらず、絶えずかかり続ける負荷によって急激に生命力を消耗し続けており、遠からず死に至ることが予見される。

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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