一振りの凶刃が音もなく放たれる。
それまで変わりない様子で会話していたメリノヒツジが、突如ジフィ大佐に向かって、能力で作り出したナイフを投げつけたのだ。
あまりにもさり気なく何の前触れもない暴挙は、きっとその場にいる誰もが想像すら出来なかっただろう。
私は前もって彼女の殺気を読んではいたが、大佐の盾になるには少し遠かった。
それでも何とか間に合って欲しい一心で、彼めがけて飛んでいくナイフに向かって必死に手を伸ばした。
_______ドシュッ!
「ううっ・・・・・・!」
激痛が走った手のひらを見つめる。そこには黄金色のナイフが突き刺さっていた・・・・・・すんでのところで間に合った。進化態になったことで手のひらが肥大化してなかったら、もしかしたら危ないところだったかも知れない。
「やはり気付いていたか、アムールトラ・・・・・・」
「あ、あうっ!?」
どうしてこんなことをするんだ、という疑念と非難を目で訴えるが、メリノヒツジは悪びれもせずニヤリと笑い返してくるだけだ。しかしその目つきには冗談でも何でもない本気の殺意がこもっている。
そして彼女がおもむろに片手を顔の横にかかげると、指と指の間から火の粉のような金色の光が漏れ出し、それらが新しいナイフとして形を成す様子が見えた。
たかが一本防いだところで無駄なあがきだと言わんばかりだ。
_______ガチャガチャッッ!
突然のことに驚いたCフォースの将官たちが、メリノヒツジに向かって銃口を突きつける。今しがた命を狙われたジフィ大佐も例外ではない。
私も大佐たちの側に立って、彼らを庇うように両手を広げながら彼女に対峙した。
いま大佐たちに死なれては困るんだ。
どういうつもりであるにせよ殺させるわけにはいかない・・・・・・でも、だからってメリノヒツジと戦いたいわけじゃない。
敵味方に分かれていた間柄であるにせよ、いまは共にグレン・ヴェスパーを打倒する仲間であるはずじゃないか。
「・・・・・・メリノ、いきなり何してんだァ?」
クズリがあっけらかんとした様子で問いかける。
その声色にはメリノヒツジのしたことに対して否定も肯定もない。我関せずといった空気を吹かせながらその場に佇んでいるだけだ。
クズリはどういうつもりなんだろう? 今の出来事はメリノヒツジの独断なんだろうか? 今は何とも判断がつかない。
将官たちはクズリに対しても警戒の視線を送っていた。
成り行きで合流した3人のフレンズが、実は自分たちに害をなす存在なのだとしたら、自分たちには万に一つも助かる見込みはない・・・・・・そんな絶望的な気持ちでいるのではないだろうか。
「・・・・・・なあニンゲン、今の状況、何かおかしいと思わないか?」
メリノヒツジが指の間のナイフをクルクルと弄びながらジフィ大佐たちに問いかける。
なぜあんな恐ろしいヒト型セルリアンに追いかけられながらも、ただの脆弱なヒトでしかない大佐たちが生き延びることが出来たのか?
なぜ私たち3人のフレンズに偶然にも合流出来たのか?
「状況から考えれば答えは簡単だ。グレン・ヴェスパーが僕らを足止めするために、お前らをわざと引き合わせたのさ・・・・・・」
メリノヒツジがグレン・ヴェスパーの策略を推測し語った。
私たち3人の力は間違いなく強大だ。スターオブシャヘル内のあらゆる戦力を用いても、私たちを排除することは簡単ではない・・・・・・そう考えたヴェスパーは、捕虜にしていた将官たちを私たちを鉢合わせることにしたのだろう、というのだ。
私たち3人だけならば、圧倒的な攻撃力と素早さでもって電撃的に暴れられる。しかし大佐たちが合流した状態ではそうは行かない。彼らを守りながら動かなくてはいけなくなる。
となれば万の兵士をぶつけるよりも、よっぽど効果的に私たちの勢いを削ぐことが出来たという結果が残る・・・・・・それがあの男の狙いなのだと。
「つまり我々は、君たちにとって足枷だと言いたいのかね?」
「そうさ。僕らは罠に嵌まるわけにはいかないんだ。だからお前らにはここで死んでもらう・・・・・・残念だったな。クズリさんやアムールトラならば、旧知の間柄であるお前を殺すことには躊躇があるだろうが、この僕と出会ったのが運の尽きだよ。
もっとも、そこのファインマンという男だけは別だ。マザーユニットを操作してヴェスパー親娘の居所について調べてもらう。それが済んでから殺す」
「あ、あううっ!!」
ふたたび手にしたナイフを振りかぶったメリノヒツジに向かって、大佐たちを庇うように前に出ながら呼びかけた。
「・・・・・・チッ」
するとそれまでニヤついていた彼女の表情に苛立ちが募る。こんなに丁寧に説明しているのに、どうして聞き分けられないのだと私に向かって憤慨しているようだ。
「アムールトラ、お前まさか、その男たちと一緒にカコ・クリュウを助けに行きたいと思っているんじゃないだろうな?」
もちろんそうだ、とメリノヒツジの問いかけに対して縦に頷くと「冗談じゃない」と無慈悲に一蹴する答えが返ってくるのだった。
「・・・・・・そのつもりなら僕たちの協力関係はこれで終わりだ」
ジャパリのボスがどうなろうと自分たちには関係がない。私と手を組んだのは、ヴェスパー親娘を打倒するという目的が合致したからだ。だからそれ以外のことに手を貸す義理はない、というのがメリノヒツジの言い分だった。
気持ちはわかる。ジフィ大佐たちが現れて得をしているのは私だけなんだ。
ヴェスパーへの報復心に燃える彼女にとって、カコさんを助けようとしている大佐たちの存在は一切の得がないだけじゃなく、復讐を邪魔する余計な横やりも同然だろう。
「・・・・・・あううっっ」
言葉が話せない私は黙ってたじろぐしかなかった。
しかし、たとえ何一つ言い返すことが出来なくても、メリノヒツジに大佐たちを殺させたくない気持ちは変わらない。
「まったく、ニンゲンなんかに何を期待しているのやら。いい加減に目を覚ませよ」
そんな私を彼女は鼻で笑うようにあざけった。
「さっきセルリアンの中身となっていた量産型フレンズのみじめな姿を見ただろう?
あれがCフォースがやってきたことの成果だ。だが悪いのはグレン・ヴェスパーだけじゃない・・・・・・奴を今日まで増長させてきた周りのニンゲンの責任でもあるのさ。そんな罪深い連中を庇う価値なんてどこにある?
・・・・・・さあアムールトラ、早くそこをどけよ。僕らの勝利のために役立たずのニンゲンどもを殺さなくちゃいけないんだよ」
メリノヒツジの言葉の節々から、個人ではなくヒトという種族そのものに対する明確な憎しみと怒りを感じる。
彼女にとってはグレン・ヴェスパーもジフィ大佐たちも、カコさんも等しく殺意を抱く対象なのかもしれない・・・・・・そう思っても仕方がないくらい、彼女はCフォースの中でたくさんの辛い目に遭わされてきたんだろう。
もし私が今も言葉が話せるんだったら、そんなヒトばっかりじゃないんだってことを教えてあげたい。
・・・・・・けれどももう、体を張って止めるしか方法がない。
「アムールトラ、まさか僕と戦う気かな?」
メリノヒツジは私の目の色が変わったのを察知し、けん制するように言葉を投げかけてきた。
「たしかに僕じゃあどう足掻いてもお前にはかなわない・・・・・・すると僕はお前の胃袋に直行することになるのかな? まあそれもいい。スパイダーさんと同じ所に行けて嬉しいよ・・・・・・!」
皮肉たっぷりに告げられる言葉を聞いて背筋が凍る。
私のもっともおぞましい罪の記憶をメリノヒツジに突き上げられて、頭が真っ白になるような心地を味わわされる。
「ふふふっ」
私の一瞬の動揺を見逃さんとばかりにメリノヒツジが動き出していた。
後ろにいる将官たちを一網打尽にせんと、指と指の間に挟まったナイフを一斉に投げつけるために上半身を振りかぶった。
「・・・・・・フェアじゃねえな」
「なっ!?」
「口が達者なてめえが、口が利けねえヤツに向かってベラベラと理屈コネてんじゃねえ」
メリノヒツジの凶行を止められないと思ったその時、何者かの影形が音もなく私と彼女の間に割り込んでいた・・・・・・クズリだ。
さっきまで動かずに静観していたはずの彼女が、いつの間にかメリノヒツジに立ちはだかるように向き合っていたのだ。
_______ガシィッ! カランッカランッ!
私やジフィ大佐たちが絶句する中、おもむろにクズリがメリノヒツジにずかずかと近づき、ナイフが握られた手首を握りしめた。
剛力によって無理矢理に開かされた手のひらの間から何本ものナイフがこぼれ落ちる。するとそれらは黄金の粒子に分解され、まるで霞のように消えてしまった。
メリノヒツジはうめきながらクズリの手を振り払い、怯むように一歩後ろに下がった。
「ぐっ! 何をするんですか!?」
「てめえの言い分・・・・・・もっともらしく理屈を立てちゃいるようだが、ようはてめえがニンゲンが嫌いってだけだろ? そいつをアムールトラに押し付けるのは、それこそスジが違うってモンじゃねえのか?」
それはクズリがメリノヒツジに言われたことの意趣返しでもあった。
私にスパイダーを殺された憎しみのあまりに、私と手を組むことを拒否していたクズリに、メリノヒツジは「自分の恨みつらみだけを優先させるのはスジ違いだ」と説いたのだった。
メリノヒツジがハッとして額に青筋を走らせる。
理屈を盾に自分の感情を通そうとする欺瞞を、他ならぬ自分の言葉で突かれてしまったことに憤慨しているようだった。
「でも・・・・・・だったらあなたのスジはどこにあるんですか? このニンゲンどもが僕らの重荷になるのは事実だ。それを承知でコイツらを生かしておくんですか? 僕らにとって一番大事なのはヴェスパーへの復讐だっていうのに!」
にじみ出る悔しさを抑えながら、しかし問題の根本にある問いを投げかけるメリノヒツジ。
それに対してクズリはぶっきらぼうな口調で「ああ」と即答した。
「オレはコイツらに加勢するぜ。カコ・クリュウも助ける。もちろんヴェスパー親娘からはケジメを取る・・・・・・それで何の問題もねえだろ」
その言葉を聞いて、後ろで恐れおののいていた将官たちから安堵の声が漏れる。
3人のうち2人が自分たちの味方をしてくれるなら、少なくとも今殺されることはないと思ったのだろう。
そして私も何だか目頭が熱くなってきた。今度こそクズリと本当の仲間同士に戻れたような気がしたからだ。
クズリはずいぶん前に一度カコさんと会っている。彼女はカコさんに付いていくことを拒否し脱走した・・・・・・それが私と彼女が別々の道を歩むきっかけの出来事でもあった。
そんな彼女が、今やカコさんのために戦おうとしてくれている。
「・・・・・・ふ、そうですか。あなたには失望しましたよ」
メリノヒツジが視線を床に落とし深いため息をついた。たった一人の味方も失って不貞腐れている様子が伝わってくる。
そしてかぶりを振りながら吐き捨てるように語りだした。
「これまでのことを後悔しているんですね? 自分もアムールトラのように、カコ・クリュウに付いて行けばよかったと思っているんでしょう?
だから今からでもニンゲンに恩を売ろうとしているんですねェ?」
_______ドキャァッッ!!
穏やかな様子を崩さなかったクズリが、無言のままメリノヒツジの顔面を殴りつけた。
宙を舞った赤い体が錐もみ回転しながら地面に叩きつけられる。
・・・・・・あれでも本気ではないだろうにせよ、相当な威力の鉄拳制裁であるには違いない。
「後悔だと? ・・・・・・てめえオレを舐めてんのか?」
「ぐっ、ちぐしょう!」
メリノヒツジが片膝を付いて顔を上げた。鼻っ柱からべったりと血を流しながら、静かに見下ろしているクズリのことを睨みつけている。
俄かに2人の間に流れる剣呑な空気にジフィ大佐たちもざわつく。しかし下手に制裁に入ろうものなら巻き添えを食らいかねない。だから静観するしかないようだった。
「いったいどこに後悔する要素があるんだァ? オレはこれまでずっと、アムールトラと勝負することが人生の全てだったんだ・・・・・・負けはしたが、最高のケンカが出来たと思ってる。
んで、今のケンカ相手はヴェスパー親娘だ。全力でやってやるよ」
それが嘘偽りない心からの言葉であることは、クズリというフレンズを知っている者ならば誰でもわかるはずだろう。
不屈にして剛直。過去を振り返ることはなく、いつだって目の前のものに真っ直ぐぶつかるだけ。それこそが彼女らしさなんだ。
「けどよ、勝つために敵じゃねえ奴まで巻き添えにすんのは違うだろ。そんなだっせえ方法で勝者ヅラをして良いんなら、核ミサイルを撃てる奴がこの世で一番強いってことになっちまうぜ・・・・・・?」
「あなたはそれで良いんでしょうけどねっ!!」
_______ガシィィッ!
鼻血を滴らせながらヨロヨロと立ち上がったメリノヒツジが、クズリのところまで果敢に突っ込んで胸倉をつかんだ。
仕返しのパンチでも炸裂させるんじゃないかって空気だったが、意外にも彼女がしたことと言えば、顔をクズリの間近に近づけながら大声で怒鳴ることだけだった。
おどろいた事に彼女の瞳には涙が浮かべられている。
「いいですかクズリさんっ! どこまでも外道なあの親娘はねッ! あなたのそういう気性にだって付け込んでくるんだ! ・・・・・・どうしてそのことがわからないんですか!?」
メリノヒツジが凶行に走ろうとする動機は、どうやらヒトへの恨みつらみだけではないようだ。
彼女は私たち3人の中でヴェスパー親娘のことに最も詳しい。そして彼らが仕掛けてくるであろう卑劣な罠のことを最大限に警戒しているんだ。
「あの親娘に勝つためには、奴らを上回る冷徹さを持って戦うしかないんですよっ!」
「メリノ、てめえは奴らのほうがオレたちより強いって思ってんのかァ? てめえの目指す強さってのは、奴らの真似をすれば手に入んのか?」
「違う! 僕はただ・・・・・・!」
胸倉をつかまれながらも怒らず平然としているクズリと、感情を剝き出しにして揺さぶりながら訴えかけるメリノヒツジは、言葉の応酬以上に、視線によってたくさんの言葉を交わしているように見えた・・・・・・どうやらこの2人には思っていたよりもずっと深い絆があるようだ。
クズリに対して明らかに後輩然としたメリノヒツジは、スパイダーのような対等の相棒というわけではないだろう。
仲睦まじいわけでもなく、意見がぶつかり合うことも多い。だがそれでも当たり前のように互いの背中を守り合っている。
・・・・・・クズリにとってのメリノヒツジはきっと、生意気だけど放っておけない弟のような存在なのかもしれないな。
「ビビるんじゃねえ。オレたちは何があっても絶対に負けねえ」
「・・・・・・くっ!」
力強く自信に満ちた叱咤の言葉に、メリノヒツジはついに心が折れたように項垂れた。
「・・・・・・よう、騒がせて悪かったな。話は済んだぜ」
クズリが悠然と振り返り将官たちに告げると、彼らもまた真剣な面持ちで頷き、メリノヒツジに突きつけていた銃口を下ろした。
彼らの中の一人がおもむろに額に手を当て、クズリに向けて敬礼のポーズを取った。ほどなくして他の者たちもそれに倣った。
「ウルヴァリン、つくづく大したヤツだ。戦士としてお前のことを尊敬するよ・・・・・・我々がお前らの足枷になるようであれば、そこのメリノヒツジの言うように、いつでも切り捨ててもらって構わない」
ジフィ大佐が一歩前に出ると、覚悟を決めた表情で静かに告げるのだった。
◇
マザーユニットに隠れ潜みながら人知れず要塞を移動していた私たちは、やがてとあるポイントへと到着していた。
ファインマン氏のハッキングにより、スターオブシャヘル内部において捕虜を収容、拘束する設備のあるエリアを無数に見つけ出すことが出来た。
・・・・・・そんな中でジフィ大佐たちはとある場所に目を付けた。見つかった中でも最もセキュリティが機密であり、堅牢な作りの区画だ。
その場所こそ、現状で考えられる限り最もカコさんが囚われている可能性が高いという判断になった。
カコさんはヴェスパー親娘にとっては間違いなく最上級の人質であり、何としても手の内に置いておきたい対象だと言うのが理由だ。脱走されても困るし、戦いに巻き込まれて死んでしまうような事態だって避けたいはず。
万に一つもそんなことにならないように、特別に安全な場所に閉じ込めるだろうというのだ。
私も大佐たちの見立てで間違いないだろうと思った。
カコさんとヴェスパー家には特別な因縁がある。
20年前、歴史上はじめてフレンズが発見されてきた時からすべてが始まった。
カコさんの亡き父である遠坂重三さんとグレン・ヴェスパーの、フレンズに対する受け止め方の相違・・・・・・たったひとつの諍いが、今日まで続く悲惨な争いに発展してしまったんだ。
重三さんの一人娘であるカコさんは、ヴェスパー家にとっていわば宿命の敵だ。
だから奴らはカコさんを簡単に殺しはしない。
生かして、自分たちの勝利を世に知らしめるために徹底的に利用するはずだ。
ファインマン氏ふくめ数名の将官を後方支援役としてマザーユニット内に残し、私たち3人のフレンズは、ジフィ大佐たちと共に目的の場所に侵入することになった。
目的地に付くまでは簡単だった。マザーユニットに入ってきた時と同じように、地面に呑み込まれ身を任せていれば、あっという間に到着してしまうのだから。
・・・・・・しかしもちろん、カコさんを見つけ出すためには自分たちの足で探し回るしかない。
いつどこから敵が襲ってきても対応できるように緩やかな隊列を組んで進んだ。
敵の気配を探ることに最も長けた私が斥候として先頭を行き、クズリとメリノヒツジはジフィ大佐たちを守れるように前後に分かれていた。
静まり返った不気味な銀色の回廊が続いている。電気は通っているようだけれども、明かりは全体的にまばらであり、どこまで行っても薄暗かった。
火薬の匂いも一切の破壊の痕跡もない。
マザーユニットに送り込んでもらったことで、敵にまったく見つからずに潜入できたとは思うが、こんなに人気が無いのは却って不気味ですらある。
ここが「特別に厳重な牢獄」であることなんて、とてもじゃないけど信じられない。
「ここは、来たことがある・・・・・・」と、後ろのほうでメリノヒツジがぽつりとつぶやいた。
メリノヒツジはクズリと言い争ってからというもの、不貞腐れたように黙って一行に付き従っていた。そんな彼女がおもむろに発したその言葉に周囲の注目が集まる。
「この場所はイヴ・ヴェスパーが私有する研究室だ」
「な、なんだと? だとしたらおかしいぞ」
ジフィ大佐がメリノヒツジの言葉をすぐさま否定した。
ファインマン氏のハッキングをもってしても、ヴェスパー親娘の個人認証がかかっている情報は調べることは出来ない。
だからイヴ・ヴェスパーの私室などにいきなり辿り着けるはずがない、というのだ。
「いや間違いない。僕は以前ここに無理矢理連れてこられた事がある!」
_______カサッ・・・・・・
自身の意見をゆずらないメリノヒツジに周囲が困惑する中、私は曲がり角の暗闇に潜む何者かの気配を感じとっていた。
謎の物陰はすでに私たちのことを見つけていて、柱の影から顔を出してこちらの様子をうかがっている・・・・・・そのことを察した私は、考えるよりも先に駆けだしていた。
こちらが向かってくる事を察したのか、謎の気配は脱兎のごとく身をひるがえし、角の向こうへと逃げ出していた。
ここで敵に逃げられるわけにはいかない・・・・・・あえて余力を残しながら直進した私は、曲がり角に達する瞬間に、足に溜めていた力を爆発させた。
_______パァンッ! ドシャッッ!
一瞬で最高速に達した勢いに任せて、逃げようとする後ろ姿に向かって一足飛びで圧しかかり組み伏せた。
私の下でもがく者の姿をしげしげと見る。
その雪のような絹のような美しい白い全身に、思わずハッとさせられる。
体格は私よりもずっと小柄だ。側頭部に生える一対の丸い耳、細長い尻尾・・・・・・フレンズであることは明らかだが、どういう身元なのかがわからない。
ここがイヴ・ヴェスパーの実験室なのだとすると、何らかの実験を受けていた子なのだろうか?
「やめて! 殺さないで・・・・・・!」
「あ、あう?」
白い顔貌が恐怖によってさらに青みがかっていく。
驚いたことに、その瞳は左右で色が異なっていた。
ありふれた黒褐色と、血液が透けているような赤・・・・・・ちぐはぐな瞳が怯えたように見開かれ震えている。
「一体どうしたのだシベリアン!」
後ろから追いついてきた仲間たちが声をかけてくる。
この謎の白いフレンズをどうするのかは彼らに任せよう・・・・・・そう思い、倒れた彼女の腕を後ろ手に極めたまま上半身を引き起こし、よく見えるようにした。
だが彼らもまた一様に呆気に取られるのみであった。
考えてみればそれも当然だろうと思った。彼らはセルリアン災害に対するCフォース軍の前線指揮をしていた軍人に過ぎないんだから、ヴェスパー親娘が裏で行っている実験のことなど知る由もないんだ。
「・・・・・・その白いフレンズも見たことがある。そいつはネズミの”ハイブリッド”だ」
だがやはり、一番の事情通であるメリノヒツジは彼女のことも知っていた。「ここに一度来たことがある」という言葉が真実であることも照明されたことになる。
「ハイブリッド? つまり雑種のことか?」
「ただの雑種じゃない・・・・・・数多の犠牲の上に生み出された、究極の遺伝子を持つ個体だ。あの親娘が行ってきた実験の完成形なんだよ」
メリノヒツジの口から”ハイブリッド”と呼ばれるフレンズの製造方法、および作られた目的が語られた。
・・・・・・それは彼女からこれまで語られた情報の中でも、もっとも聞くに堪えない、おぞましい、グレン・ヴェスパーたちの狂気の極致とも言える内容だった。
気が付くと私の瞳からは、やり切れない気持ちが漏れだすように涙がこぼれていた。
核実験のことといい、どうして奴らは生命という物に対してここまで残酷になれるんだろう。
そんなことを考えていると、静かな嗚咽が止まらなかった。
「・・・・・・泣いてるの?」
と、憐れな白い子が幾分か恐怖をやわらげた声色でそうつぶやいた。
メリノヒツジがいま話している内容が、自身のむごたらしい出生の経緯であることさえも、彼女にはわからないのだ・・・・・・。
私は彼女を気遣うように腕をほどき、そっと立ち上がらせた。
共に話を聞いていたジフィ大佐たちも一様に表情を険しくしている。中には口元に手を当てて吐き気を我慢している者さえいた。
「メリノヒツジ・・・・・・本当にすまない。我々はなんという恐ろしい所業に手を貸してきたのか。これじゃ君が人類に憎しみを抱くのも必然だ!」
大佐がメリノヒツジに向かって平身低頭して謝罪した。
だが彼女は「僕にそんなこと言っても意味はない」と、そっぽを向いて一蹴するだけだった。
「しっかしよォ」
クズリがおもむろにメリノヒツジに近寄り、後ろから肩にポンと手を置いて話しかけた。
「何だってそこまで色々くわしいかね? オレとずっと一緒に行動してたはずだってのに」
「バトーイェの戦いでは別れていたでしょう。グレン・ヴェスパーの本命であるあなたは、アムールトラと戦わさせるためにVR漬けにされていましたが、僕は起きたまま色々と聞かされるハメになったんです。このことを話せば長くなるんですがね・・・・・・
まあ奴らは、ほんの戯れのつもりでベラベラと機密を話してきたんでしょう。僕のことを使い捨ての消耗品ぐらいに思っていただろうからね」
自嘲的な笑顔で振り返り、苦々しい思い出を回顧するメリノヒツジ。
しかしクズリは、それに対して言葉を返すことなく固まっていた。
「・・・・・・どうかされましたか?」
怪訝に問いかける声を聞いてクズリの体がびくりと震える。そして「いや、別に」と何気ない返事をしてからメリノヒツジから離れた。
今しがた、ほんの一瞬だけクズリの意識が飛んでいたように見えたのは気のせいか? あまりにわずかな間のことで、私とメリノヒツジ以外に気付いた者はいないだろうが・・・・・・
私たちはまずこの白いフレンズから事情を聞いてみることにした。
彼女は記憶がなく、自分の名前さえも知らなかった。そもそも彼女が目を覚ましてからまだそんなに時間が経っていないようだ。
ここからほど近い区画にある、虹色の溶液に浸された水槽にて覚醒したという。
・・・・・・おそらくはサンドスター調整槽のことだろう。
私たちがスターオブシャヘル内部で暴れたことが影響して、偶然に眠りから覚めることになったのかもしれない。
わけもわからず目を覚ました後、混乱のさなかに放り出されながらも辺りのことを探っていたというのだ。
話を一通り聞いた後、ジフィ大佐たちは彼女の処遇を決めたようだ。
私たちに敵意がないことは明らかだったので、一緒に連れて行こうという判断になった。
「君以外にここにフレンズはいるか」と最後にジフィ大佐が尋ねる。
「ううん、いない、でも・・・・・・」
白い子は言い終える前にバッと後ろを振り返り駆けだした。
「・・・・・・来て! こっちに来て!」
「待て、どこへ?」
血相を変えて手招きしようとしてくる彼女を追って、私たちは相変わらず人気のない薄暗い回廊を進み続けた。
左右の壁はガラス張りになっていて、向こうにある部屋の様子がよく見える。
うず高く重なる計器類。複雑に絡み合った配線・・・・・・進めば進むほど、ここが研究室なのだということが分かる様相になっていった。
サンドスター調整槽とおぼしき虹色の液体が満ちた容器もいくつか見かけた。どうやら中身は空っぽだったようだが・・・・・・。
「この研究室には無数の量産型たちが眠っていた」
走りながらメリノヒツジがまた語り出す。
その多くはバトーイェ山脈での戦いに駆り出された。またいくらかは先刻戦った「ヒト型セルリアン」の素体として使用された。
生き残りが何人残っているのかもわからない。メリノヒツジが言葉巧みに戦場から逃していた子たちが生きていてくれたらいいが。
目の前を走る白い子が、どうして今までここに取り残されていたのかというと「究極の遺伝子を持っている彼女に、究極の戦闘データを移植する」という計画があったためらしい。
つまり”進化態”のデータだ。グレン・ヴェスパーは彼女の体を使って、私かクズリの戦闘能力をコピーしたかったようだ。
しかしそれは、私たちが組んで反乱を起こしたことで実現しなかった・・・・・・結果として、何の罪もないこの子を助けることが出来た。それだけでも不幸中の幸いと言うべきかもしれない。
「あれ!? お、おかしい・・・・・・!」
白いネズミの子が行き止まりの壁で足を止めると、動揺しながら壁をドンドンと叩き始めた。
追いついたジフィ大佐が何をしているのかと尋ねる。
こんな所に壁なんてなかった。この先に部屋が続いてた、という返事がかえってきた。
新たに壁が出現するなどということは、普通に考えれば非現実的だったが、この変幻自在の要塞スターオブシャヘルならば勿論あり得るだろう。
「この先でヒトが倒れてて・・・・・・でもどうしたら良いか分からなくて・・・・・・そのヒトのことも助けてほしくって!」
生まれたての赤子に等しい彼女が、喋りなれない舌足らずな口調で状況を説明してくれる。
倒れているヒトとは誰だろう? まさかいきなりカコさんと対面できるのだろうか? だとしたらとても幸先がいいのだけど・・・・・・
「血の匂いがぷんぷんするなァ」
クズリがおもむろにそう告げると、異形の右手を顔の横で構えた。すると数十センチもの鋭い鉤爪が指から「ジャキン」と飛び出した。
その剣呑な様子を見て仲間たちが道を開けると、クズリは壁のすぐ手前に近寄って足を止めた。
「目立つようなことは控えてくれ」
「わかってらァ大佐。コッソリやりゃいいんだろ」
_______ゴリッ・・・・・・ベキベキッ・・・・・・
クズリが鉤爪をそっと壁に突き入れる。そして宣言した通りに、少しずつ右手を動かして壁を切断していった。
分厚い金属性の壁がまるで食パンのように引き千切られ、あっという間にヒトが潜り抜けるのに十分な穴が開けられた。
こじ開けた穴の向こうに通じていた部屋は、およそ何のためにあるのかわからないほど殺風景な一室だった。
何かを研究するための設備もなければ、生活の気配を漂わせる家具すらない。四角形の容器の中に入れられたような気分になる場所だ。そして他の区画よりも一段と暗かった。
「・・・・・・真っ暗だな。何も見えない」
ジフィ大佐が一人ごちる。ヒトならばそうであろうが、夜目を持つネコ科の私には何とか目の前が見える程度の暗さだ。
クズリの言う「血の匂い」を放っている者の居所を探っていると、部屋の隅っこ当たりに横たわる何者かの姿を見つけた。
全体的な体つきから女性ではなく男性だとわかる。どうやらカコさんでないことだけは確定だ。
血がにじんだ灰色の衣服を身にまとった男が、四肢を力なくグッタリと投げ出していた・・・・・・良く見ると右足の膝から下が欠損している。
不審に思いながら視線を流し、その男性の顔を確認しようとした。
ひどく戦慄した。見間違いでなければ、私がよく見知っている顔と符号しているからだ・・・・・・でも知らされている限り、そのヒトの生存は前々から絶望視されていて、私も再び会えるとは思っていなかった。
他人の空似の可能性もある。いくら私が夜目が利くからといって、暗闇の中では正確に物を見ることは出来ないからだ。
_______チカッ
暗闇のなか茫然自失のまま立ち尽くしていると、大佐たちが懐中電灯をつけて辺りを照らし、倒れている男の姿を完全にあらわにした。
私は今度こそ、目の前の相手が懸念していた人物であると断定せざるを得なくなった。
・・・・・・ぼろ雑巾のような姿で横たわっていたのは、ヒグラシ所長だった。
「こ、これはひどい! 全身傷だらけだ!」
「この顔を見たことがあるぞ。確かトーキョーの研究所の所長をしていた男じゃないか? 一年以上前に組織を裏切ったと報じられていたが」
大佐たちが明かりを当てながら所長の体をあらためる。
刺し傷、切り傷、無数の打撲痕・・・・・・さまざまな道具を使い、さまざまなやり方で長期間にわたって相当な拷問を受けたことは明らかなようだ。
すでに呼吸はなく、事切れてしまっているという。まだ死後硬直は始まっていないことから、ほんの少し前までは生きていたらしい・・・・・・
「もう少し早くここに来られていたらな」と、ジフィ大佐が無念そうに告げた。
カルナヴァル長老と共にCフォースに攫われたヒグラシ所長。
後に長老が裏切者であると発覚したことで、所長の生存は絶望的だとされていた。
でも今日この日まで、このスターオブシャヘルで生きながらえていたんだ。ひどい拷問を受けながら・・・・・・
「あ、ああ・・・・・・わああああああっっ!!」
悲痛な慟哭を上げたのはメリノヒツジだった。
血相を変えて所長の亡骸まで歩みよると、魂が抜けたようにガックリと膝を付いて項垂れた。
「ううっ、ううっ・・・・・・ごめんなさい」
そしてもの言わぬ所長の顔に額をすり寄せて、大粒の涙をこぼして泣き出した。
・・・・・・明らかに他の誰よりも、この私よりも深い悲しみに打ちひしがれている。
彼女のこんな姿を見るのは初めてだ。
一体何が起きているんだ? 唐突な変貌と言うほかはない。兵士たちを笑いながら虐殺していた恐ろしいフレンズと同一人物とはとても思えない。
冷徹にして非情。相手を丸め込む弁舌にも長け、さらにはヒトという種族そのものを憎んでいる節さえある彼女が、ヒグラシ所長を前に、まるで幼い子供のように感情をあらわにしている。
「アムールトラよォ、メリノがどこで生まれたか知ってるか? アイツはオレやてめえと同じように、ヒグラシに作られたフレンズなんだぜ」
「あ、あうっ!?」
「・・・・・・ま、生みの親に死なれるってのはやっぱキツイわな」
ぶっきらぼうに事情を説明してくれたクズリもまた、憂鬱で心ここにあらずといった感じだ。
付き合いの長い彼女のこんな顔を、私は今までに一度も見たことがない。
クズリは私よりも早い時期にヒグラシ所長の手で生み出されたフレンズなんだ。
いちいちぶつくさと反抗的な態度を取る彼女に対して、所長はいつも困ったように受け答えしていたっけ・・・・・・
「思えば随分変わったもんだぜ」
クズリは泣き崩れるメリノヒツジを見ながら、彼女と初めて出会った頃のことを話してくれた。
元来の彼女はとても臆病で弱弱しく、戦いの世界で生きていけるような子ではなかったという。今のような残虐さも冷徹さも、かつては影も形も無かったらしい。
感情をさらけ出して幼子のように泣き続けるメリノヒツジが、出会った頃の彼女と重なるように見えるそうだ。
・・・・・・よくよく複雑な性格をしているフレンズだ。
かつてのメリノヒツジにとっての唯一の希望は、本を読むことだったという。
Cフォースのフレンズとして辛い日々を送っていた彼女は、空想の世界に逃げ込むことで何とか生き忍ぶことが出来ていた、というのだ。
そんな彼女に読み書きを教えたのは他でもない、ヒグラシ所長だったというのだ。
今のメリノヒツジは、生きる希望を与えてくれた相手の死に直面しているんだ。
そういえば、けっきょく実現はしなかったけれど、所長は私にも読み書きを教えたがっていた。
フレンズがこの世界で生きていくために絶対に必要になるから、と。だからフレンズに勉強を教える学校を作りたいというのが所長の夢だった。
彼が夢を抱くに至った理由は、過去にとあるフレンズに読み書きを教えて、とても感謝されたことだったという。
・・・・・・そうか、メリノヒツジのことだったんだな。
所長が生きて夢を叶えてくれれば、彼女だけでなく、フレンズが当たり前に読み書きができる世界が来たのかもしれない。
「弱っちいヒツジが、てめえのキバを死に物狂いで研ぎやがった・・・・・・本当に大したヤツだぜ」
こう見えてクズリは、昔から相手の長所を認める素直さを持っている。一度認めた相手には義理堅く信を置くタイプだ。
だが照れくさいのか、相手への好意を直接口にすることは基本的にない。太陽が西から登るぐらいあり得ないことだ。
そんな彼女が、面と向かってではないにせよメリノヒツジを称賛している。
だがクズリの身になってみれば少し気持ちがわかる気がする。
生まれながらにして力も精神も類まれに強い彼女は、弱さという概念を経験したことすらないはずだ。
だとしたら、メリノヒツジのように弱さを乗り越えて強さを手にいれるというのは、クズリにはどう足掻いても出来ないことのはずなんだ。
・・・・・・ここまでの話を聞いて、二人の関係性というものがおおよそわかった。
「あうっ」
「何だァ? オレの顔に何か付いてるか?」
言葉が話せないのが本当にもどかしい。
クズリに言ってあげたかった。メリノヒツジがこれまで生きてこれたのは、きっと君が傍にいたからだと。
見ていればわかる。メリノヒツジがクズリに見せる尊敬は本物だ。
優しく弱かった彼女は、目標とする存在に出会えたからこそ、その背中を追いかけることでどんな苦難をも乗り越えることが出来たんだ。
「・・・・・・ま、いいや。そろそろアイツのケツ叩くとすっか」
クズリが物憂げな表情のまま私から目をそらし目蓋を閉じる。
しかし次に目を開けた時には、一転して不屈の闘志を瞳に宿らせ、そして悲しみに暮れるメリノヒツジに歩み寄った。
「行こうぜ。今のオレ達がヒグラシにしてやれることは敵討ちだけなんだからよ」
「・・・・・・」
淡々と現実を告げるクズリ。しかしメリノヒツジはその言葉が耳に入っていないかのように膝を付いて泣きはらしたままだ。
「・・・・・・僕はヒグラシ所長を見捨てたんです。それだけじゃなく、ひどい言葉までかけて罵った。すべては進化促進薬を手に入れるために! ・・・・・・・ありのままの僕を唯一認めてくれたこのヒトのことを!」
「なんだとォ?」
進化促進薬というフレンズに強大なパワーをもたらす劇薬。
メリノヒツジは運よく手に入れた切り札を、戦場で死ぬ思いをしながらも使うことなく温存し、けっきょく自分にではなくクズリに打ったという話だった。
クズリにとっては僥倖だった。促進薬があったからこそ、暴走した私によって殺されかけた状態から生き返ることが出来たのだから。
バトーイェ山脈での戦いが始まる直前、メリノヒツジはここイヴ・ヴェスパーの私設実験室に監禁され、イヴから様々な機密情報を聞かされたという。
そして最後に、進化促進薬の実験台となるように持ちかけられたようだ。
イヴ・ヴェスパーの指示によると、進化促進薬をその場で投与するのではなく、戦場において自分の意志でタイミングを見計らって投与するように言われたようだ。
その話を飲んだメリノヒツジに対してイヴは、拷問され酷い姿になったヒグラシ所長と引き合わせたそうだ。
メリノヒツジはこう思ったようだ。イヴに弱さや情を見せれば進化促進薬は手に入らず、外に出してもらえる機会すらも永遠に失うと。
だから泣く泣く非情に徹し、ヒグラシ所長に冷たい言葉を投げかけて突き放したようだ。
・・・・・・しかしヒグラシ所長はメリノヒツジに恨みごとひとつ吐かず、逆にCフォースのフレンズとして苦労を背負わせてしまったことを彼女に詫びたそうだ。
「どの道てめえにゃどうすることも出来なかったんだろうが! だったらその悔しさを奴らにぶつけるしかねえ! 立て!」
「これは悔しさじゃない。罪の意識なんです・・・・・・あの時の僕にはヒグラシ所長の強さと優しさがわかっていなかった」
私は知っている。ヒグラシ所長がどれほどの後悔を背負いながらグレン・ヴェスパーの手下として過ごしてきたかを。
自身の善意に従ってパークに寝返ると決めた時の勇気と覚悟も。
そして彼はメリノヒツジの内面に深く寄り添っていた・・・・・・かつて私にそうしてくれたのと同じように。
彼は最後まで彼らしかったんだな。
「あう・・・・・・」
ヒグラシ所長に最後の別れを告げんと、泣き続けるメリノヒツジごと亡骸を抱きしめた。
突然覆いかぶさってきた私にメリノヒツジは一瞬驚いてビクついたが、気持ちを察してくれたのか、結局はされるがまま動かないでいた。
熱く震える彼女と対照的な、しんと冷たくなった所長の体温・・・・・・しかし、思ったほどのものではなかった。
死後硬直すら始まっていない、ほんの少し前まで生きていたというジフィ大佐の見立てはどうやら本当の事みたいで・・・・・・
「あうっ!」
「悼むんなら静かにやれよ」
メリノヒツジに顰蹙を買ってしまったが、私はとある予感に驚きを隠せなかった。
・・・・・・なぜなら、死体の冷たさってのはこうじゃないからだ。
もっと無機質で、生きていた頃の面影がまるで無くなってしまうんだ。
それは体温のような数値化できるモノでは決してなく・・・・・・言葉ではうまく説明できないけれど、想像もつかないほど遠くに行ってしまった感じがすることを私は知っている。
直観でしか断じることは出来ないけれど、ヒグラシ所長はまだ死んでしない。
限りなく死に近い状態だとは思うけれど、彼はまだ”ここにいる”。
そう直観した私は、抱きしめた所長の体に手のひらを押し当てた。
(生きながら大極に至り、相手の精神に入り込むことが出来る・・・・・・あらゆる先人が成し得なかった、おめェだけの奥義だ)
ゲンシ師匠も太鼓判を押してくれた、私の”ふたつめ”の能力。今こそあれを使うべき時だ。
心をなくして暴走する進化態の力ではなく、師匠から受け継ぎ、磨きぬいた末に会得した私の真の奥義を・・・・・・
こんな鉤爪の生えた醜い手で出来るかは知らないけれど、所長の命を救えるかもしれない唯一の手立てを試さないわけにはいかない。
メガバット相手に2回だけ使ったことがあるけれど、2回とも無我夢中だった。意図的に使うのはこれが初めてだ。
だが・・・・・・きっとできるはずだ。魂が暗闇のかなたへと飛んでいくさなか、自分自身を勇気づけるように反芻した。
_______ブゥンッ
肉体の枠から抜け出した私は、一筋の光となってヒグラシ所長の精神世界を駆け巡った。
実に奇妙な場所だ。暗い空の下、灰色の地平線がどこまでも続いている。
大地は灰色一色ではなく、よく見ると無数のモノクロ写真が寄せ集まったパッチワークだった。
写真を見ていると、ヒグラシ所長のこれまでの人生が脳裏に流れ込んでくるようだった。
フレンズにまつわる出来事、運命を狂わされた上司グレン・ヴェスパーとの関わり、そしてそれ以外のあらゆる人生の途上の記憶・・・・・・
やはりメガバットの精神に入った時と同じだ。この技を発動したからには、相手の記憶をまるで自分のものであるかのように共有してしまえるんだ。
気が付くと記憶の奔流に飲まれ、相手と自分の境が分からなくなってしまう。
だが今は所長の人生を追体験している暇はない。
こうしている間にもパッチワークの大地があちこち崩れ落ちて行っている。まだ完全に崩壊してはいないが、一刻を争う時だろう。
やるべきことはわかっている。どこかに所長がいるはずなんだ。見つけ出して、ここから連れ出すことが出来れば・・・・・・!
「ヒグラシ所長! どこにいるんだ! 返事をしてよ!」
言葉を失ったはずの私が、大声を張り上げて叫んでいる。
でもそれも当たり前だ。今の私は”意”だけしかない。現実の肉体がどうなっていようが関係がないんだ。
_______ズズッ・・・・・・
灰色の大地の上で何かが動いた。周りの全てと同じように写真の寄せ集めのような姿だったが、確かにヒトの形をしている物体だ。
ゆらりと立ち上がり、そして助けを求めるように天を仰いだ。
_______ゴゴゴゴッッ・・・・・・
だが、彼が立っている大地はもう持ちそうになかった。
地平線の向こうから猛烈な勢いで崩れ去り、彼の足元にまでまもなく達しようとしていた。
「・・・・・・お父さんっっ!!」
無意識のうちに湧いて出た言葉を絶叫しながら、立ち尽くす彼のいる場所まで矢のように飛んで行った。
思えば人生で初めてこの言葉を使ったかもしれない。
「アムール、トラ・・・・・・?」
漆黒の空の上を浮遊していると、腕の中に抱え込んだ所長が私の名を呼ぶ声が聞こえた。
その体は相も変わらず、無数の写真が集まってヒトの形を成しているものだった。
これらの写真は、私にまつわる彼の記憶が形になったものだ・・・・・・そんなことも今の私には手に取るようにわかる気がした。
間一髪で救出することができた。後は明るい所を目指してどこまでも飛んでいくだけだ。
そう思い天高く飛び上がろうと力を込める・・・・・・だがしかし、抱きかかえている所長の体がとても重くて持ち上げられない。
このままじゃ2人して死の深淵に呑み込まれてしまう。
「・・・・・・僕のことはもういいんだアムールトラ。君はここにいるべきじゃない。最後にもう一度だけ、謝らせてくれ」
死に呼ばれている。所長もそれを受け入れている。だからこんなに重たいんだ。
拷問によって長いあいだ苦痛に苦しめられ、生きることをあきらめてしまった所長が、私たちへの罪悪感だけを胸に抱いて永遠の眠りに付こうとしている。
・・・・・・このヒトのことを、そんな風に終わらせてなるものか。何か言葉をかけるんだ。
精一杯はげまして揺り起こしてみせる。
「私に夢を持てって言ってくれたじゃないか! あなたにだって夢があった! それを叶えないまま向こうに行ってしまうのかい!?」
「・・・・・・僕の、夢・・・・・・」
「そうだよ! フレンズたちの学校を作りたいんだろう!? 私にも読み書きを教えてくれるって言ったじゃないか! ・・・・・・フレンズがこの世界でヒトと生きていくために、所長の助けが必要なんだよ!」
_______ベリッ・・・・・・
ヒグラシ所長の体に纏わりついていた無数の写真が一枚、また一枚と剥がれ落ちていく。
するとそれに応じて、少しずつ体が軽くなっていくような気がした。
やがて内側からのぞかせた彼の素顔と目が合った。
生死の境をさまよう彼が、消え入りそうな微笑みを私に向けてきた。
「・・・・・・さあ、行こう」
その笑顔を見て、もう大丈夫だと思った。お別れの挨拶ではなく、再び生きることを決意した顔であると思った。
所長の魂を包み込み、ひとつの光に溶け合いながら来た道を逆戻りする。
_______カハッ
やがて肉体に重力が取り戻された時、冷たい体を震わせる所長が、勢いよく息を吐き出した。
to be continued・・・
_______________Cast________________
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種
「アムールトラ」
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・ヤギ亜科・ヒツジ属
「メリノヒツジ」
哺乳綱・ネコ目・イタチ科・クズリ属
「クズリ」
哺乳綱・げっ歯目・ネズミ科・ハツカネズミ属
「ハツカネズミ」
_______________Human cast ________________
「日暮 啓(ひぐらしけい)」
年齢:53歳 性別:男 職業:元Cフォース日本支部研究所 所長
「ギレルモ・セサル・ジフィ(Guillermo César Jiffy)」
年齢:67歳、性別:男、職業:Cフォース南米支部 陸軍連隊総司令官
「ジェームス・F・ゴードン(James Feynman Gordon)」
年齢:72歳、性別:男、職業:Cフォース本部 防諜担当副次官
_______________The Power of Next (野生解放の先にある力)
「大極変化(だいきょくへんげ)」
使用者:アムールトラ
概要:
勁脈打ちに続くアムールトラの二つ目の能力。
魂を物質世界から解放することで、他者と魂を重ね合わせることを可能とする。
ひとたび発動すれば、魂を重ね合わせた相手の記憶や感情をすべて読み取ってしまうなど、高次元の知覚能力を得ることが可能となる。
完全に死んでいない肉体を持つ魂であれば、呼び止めて蘇生させることが可能。裏を返せば強制的に死の淵に追いやることさえも行える。
相手の生殺与奪を握ることが出来る無敵の能力ではあるが、無制限に流れ込んでくる情報に耐えきれなかった場合、アムールトラ自身も精神崩壊を起こすリスクが生じる。
_______________Story inspired by________________
“けものフレンズ” “けものフレンズ2”
byけものフレンズプロジェクト
“けものフレンズR”
by呪詛兄貴