(はあっ、はあっ、はあっ・・・・・・)
暗闇の中で意識を取り戻す。
何も見えない代わりに、全身をつつむ気色の悪い感触に思わずハッとさせられる。
まるで巨大生物の胃袋に飲み込まれたかのような、ブヨブヨとした粘膜状の空間に閉じこめられているかのようだった。
かなり息苦しいが何とか呼吸は出来ている。
(そうだったわ、私は・・・・・・)
意識を失う直前までの出来事がだんだんと思い出されてくる。
グレン・ヴェスパーの「女王の生体コアにしてやる」という言葉と共に麻酔で眠らされた私は、その後深い海の中を漂うような夢を見続けていた。
永久に目覚めることがないような、ゆっくりと死んでいくのが自分でもわかるような夢だった。
・・・・・・だが、夢の中にやってきたアムールトラが私を起こしてくれた。
何が起こったのかわからないけども、それだけは分かる。
あの子が私を助けてくれたのだと。
「・・・・・・どこっ!? アムールトラ! どこにいるの!?」
必死に声を張り上げて呼びかけるも、私を覆い尽くすゼラチン質の空間に声が全て吸い込まれていくように思える。
ゼリー状の空間を搔き分けて前に進もうと手足をバタつかせる。
それらは私の腕力でも何とか引き千切ることが可能なぐらいの強度だったが、残念ながらどこに進めば良いのか皆目見当がつかない。
「アムールトラッッ!! 私はここよ!」
_________________ドシィッ!
足掻きながら声を張り上げていると、私の手首に何かが勢いよく巻き付くのが分かった。
ロープ状のそれは私のことを猛烈な勢いで引っ張り、ゼリー状の海を掻き分けながら引き上げていった。
「ううっ・・・・・・」
「起きろ、カコ・クリュウ」
開けた場所に体が飛び出し、その勢いのまま地面に倒れ込む。今まで閉じ込められていた場所と変わらない粘膜上の質感だ。
「直接対面するのは初めてだな」
「・・・・・・あ、あなたは確か!」
私の手首に巻き付いたロープを引っ張り上げていたらしき者が、私が起き上がるよりも前に声をかけてくる。
「僕はメリノヒツジ」と、名乗ったフレンズと目が合うやいなや、彼女は手にしていたロープを粒子状に分解してかき消した。
ヒツジのフレンズ・・・・・・これが全くの初対面ではない。
麻酔漬けにされて眠らされる直前、一度だけ彼女の姿を見ていた。私を拘束して足元に跪かせたグレン・ヴェスパーが、映像越しに彼女たちと問答を繰り広げていた。
映像の中にはCフォースの数名の将校たちに混じって、アムールトラ、クズリ、そしてこのメリノヒツジという3人のフレンズがいた。
私に付いてくることを選んだアムールトラと、Cフォースに残ったクズリ。
敵同士だった2人がどうして手を組むことになったのかなんて、あの時はとても考える余裕がなく、そうこうしている内に眠らされることになったんだっけ・・・・・・。
メリノヒツジの全身を包む羊毛はしかし、一般にイメージされる純白とは程遠いほどに真っ赤だった。
出血なのか、返り血なのか、あるいはもともと体毛が赤いのか、もはや分からないほどだ。
さらには羊毛がところどころ焦げて焼け爛れた地肌が露わになっている。
彼女が潜り抜けて来た戦いの凄絶さをこれでもかと思わせる有様だった。
「あ、あなた、大丈夫・・・・・・?」
「僕のことはいい」
思わず手を差し伸べた私に対して「触るな」と言わんばかりに顔を背けるメリノヒツジ。
泣き腫らした瞳が、下向きに湾曲した二本の立派な角越しに覗いている。傷ついた体に輪をかけて悲痛な表情だと思った。
「・・・・・・僕だけが惨めに生き残ったよ」
と、自虐的に吐き捨てるメリノヒツジ。
その視線を辿った先に、一人のフレンズが横たわっているのが見えた。
私はその姿を見て全身が氷付くような心地になった。
「あ、アムールトラ・・・・・・」
思わず駆け寄って抱き起こした、傷ついた橙色の長身は冷たく生気がなく、そして虹色の粒子がうっすらと立ち上っていた。
耳を澄ませなければ聞き取れないほどの吐息が微かに口から漏れ出ている。
閉じられた瞳、その寝顔はしかし、どこか満足げに見えるほどに安らかだった。
「いやよ、そんな・・・・・・」
この子はどうしてこんな表情が出来るのかと思う。
戦いを好まない性分であるにも関わらず、いつだって誰かを守るために体を張り続けてきた。
・・・・・・私を助けることが出来たから悔いがないとでも言うのかしら。
「カコ・クリュウ、分かっていると思うが、アムールトラはあんたを助けるために命を懸けた。フレンズの体が残っているということは、まだ完全には死んでいないのだろうが。
・・・・・・そしてもう一人」
__________ジャリッ
メリノヒツジはそう言うなり、手にした物体を私に見せつけるように掲げた。
無骨なデザインの金属の輪・・・・・・あれは腕輪? 引き千切れた鎖が数片垂れさがっている。
よく見ると、メリノヒツジ自身にも、そして私の腕で眠るアムールトラにも、それぞれ同じ形の、両手首に鎖の付いた腕輪が取り付けられている。
「クズリさんが遺した物だ」
「そ、そうだわ。あの子はどこに行ったの? あなた達と一緒に戦っていたはず」
「・・・・・・ああ、さっきまでいたよ、ここに」
嗚咽混じりのメリノヒツジが告げるクズリの顛末。
致命傷を負いながらもグレン・ヴェスパーに引導を渡し、さらに暴走を続けるセルリアンの女王に対してクズリは懸命に戦い抜いた。
・・・・・・最期の瞬間まで命を燃やし尽くした結果、彼女は動物としての肉体さえも残さずに消滅してしまったのだと。
「・・・・・・私のために、本当にごめんなさい」
「うるさい・・・・・・アンタのためなんかじゃない。クズリさんは自分の戦いをまっとうした。それだけだよ」
__________ゴゴゴゴ・・・
涙交じりに怒気を投げつけてくるメリノヒツジ。
喪失感に震えている彼女に対してかける言葉を失っていたその時、私たちが今いるこの空間全体が激しく振動を始めた。
・・・・・・振り返ると、私がさっきまで埋まっていた、大樹の幹のような有機的な柱がひび割れていくのが見える。
粘膜のみずみずしさを失って乾燥し、急速に朽ちていっている。
「話は終わりだ」
__________ガシィッ!
メリノヒツジはそう言うと、動かないアムールトラを背負い、さらに私を小脇に抱えると、今にも崩れ落ちてきそうになっている高い天井を見上げた。
「カコ・クリュウ、あんたというコアを失った女王の肉体が崩壊しようとしている・・・・・・すでに大部分が浸食された要塞スターオブシャヘルごとな」
(でも、どうして私は助かったのかしら)
夢の中でアムールトラが助けに来てくれたのは確かだった。
でも女王と戦ったわけじゃない。私と瓜二つの顔をしたあの女王は、自らの意志で私を手放したように見えた。
その結果がこの状況だというなら・・・・・・いったい女王にはどういう意図があったのか。
「歯を食いしばっておけ。ここを脱出するぞ」
考え事に気を取られていた私にメリノヒツジが声をかけてくる。
そして天井めがけて、手のひらから出現させたロープを投げつけた。
天井の一部には直径数十メートルほどの大穴が開いている。
その穴の壁面にロープの先端が触れると、取っ掛かりもない滑らかな壁に固定された・・・・・・見るとロープの先端には鉤状の爪が付いていて、それが壁面にガッチリと食い込んでいる。
「カーネル・ジフィがドックで脱出艇をスタンバイさせている。彼も何とか無事だ。あんたを助ける少し前に連絡を取った」
言うなり私たちを抱えたメリノヒツジの体が勢いよく天井の大穴へ吸い込まれていく。
ロープの長さそのものを短くして、壁面に固定されたフックの方へと巻き上げていっている。
多分、さっき私を助けた時も同じようにやったのだと思う。
なんて便利極まりない能力なのかしら・・・・・・
「あんたを地上に返してやる。それがクズリさんからの僕への言いつけだからな!
・・・・・・そしてアムールトラ、せめてお前だけは死なせやしないぞ!」
溢れてくる涙をかなぐり捨てるようにメリノヒツジが吼えた。
◇
成層圏の空を、私たちを乗せた一機の小型輸送機が飛んでいる。
計器を見やると時刻は午前4時を回っていた。
夜明けは近いのだろうが、きっとまだアフリカ大陸は闇に包まれているだろう。
地球の反対側、私の生まれ故郷の日本は眩い正午を迎えた頃だろうか・・・・・・。
しかしどのような時間帯であっても、ここ成層圏の景色は変わることがない。
どこまでも続く紺碧の空は澄み切っていて、生命を寄せ付けない寒々しさに満ちている。
そんななかで、オゾン層に包まれる地球だけが青白く暖かい生命の輝きを放ち続けている。
(・・・・・・なんて綺麗なのかしら)
その景色は、ずっと極限状況に置かれ続けてきた私の心を多少なりとも解きほぐした。
はるか後方では、スターオブシャヘル・・・・・・もといセルリアンの女王の残骸が、とめどなく墜落していっている。
この高度ではロケットの大気圏再突入時のような炎に包まれることもなく、残骸のほとんどは地上に降り注ぎ被害をもたらすことになる。
・・・・・・しかし、女王が生きたまま地上に降り立つよりは遥かにマシであるのは言うまでもない。
アフリカ大陸が滅ぶか否かの瀬戸際。
そんな未曾有の危機をアムールトラ、クズリ、メリノヒツジたちは命がけで救ってくれた。
3人の英雄たちの活躍によって、グレン・ヴェスパーの野望は潰えた。父とあの男が始めた20年にも渡る諍いに終止符が打たれた。
これで止まっていた時間が動き出す・・・・・・人類が手を取り合ってセルリアン対策とフレンズ保護に乗り出すことが出来る。
失ったものはあまりに大きかったけれど。
「カコ・クリュウ。よくぞ生きて戻ってきてくれた」
「本当にありがとうございます。すべてはあなたの、そして彼女たちのおかげです」
「ワシはあの3人の援護をしたに過ぎんさ。そうか・・・・・・ウルヴァリンは戦死してしまったのだな。奴はワシがこれまで出会った中で最高の戦士だった。犠牲を無駄にはせん」
輸送機のコクピットに座るジフィ大佐に改めて一礼をした。
彼には本格的な操縦技術はなかったが、この機体は最新鋭のオートメーションコントロールが採用されており、大まかな制御を行うだけで地上まで降りられるそうだ。
それにしても大佐の精神力は見上げたものだ。
自身の仲間や、直前まで敵だった兵士を全て逃がしてから、自分だけはスターオブシャヘルに残り、アムールトラたちの勝利を信じて待ち続けたのだから。
このような人を味方に付けることが出来ただけでも、私が単身敵地に乗り込む危険を冒してまで演説をぶった甲斐があった。
・・・・・・それと、女王のコアにされたために、身ぐるみをいっさい剝がされてしまった私に、何も言わずに自分の上着を差し出してくれた気遣いもありがたかった。
後部座席にいるアムールトラとメリノヒツジを見やった。
メリノヒツジは窓際の席に座りながら俯いて震えている。その手にはクズリの遺品である腕輪を握りしめている。
顔は見えないが、どうやら声を押し殺しながら泣いているようだ。
・・・・・・輸送機に乗り込んでからずっとあの様子だ。
崩壊するスターオブシャヘルの内部を、様々な道具を駆使して脱出に導いてくれた彼女だったが、精神的に既に限界を迎えていたのだろう。
緊張の糸が切れた途端、クズリをはじめとして仲間を大勢亡くした悲しみに苛まれているのが見て取れる。どうか今はゆっくりと休んでほしい。
・・・・・・そしてアムールトラは、今も変わらずに安らかな寝顔のまま動かずに横たわっている。
尋常のフレンズならざる、動物のそれを数倍強靭にしたような鉤爪を、倒したバックシートに投げ出しながら。
研究の上では前々からわかっていた。フレンズの体内にあるリミッターが外れ暴走状態に陥る危険性を・・・・・・。
計算上では天文学的に低い数値だった。だが万に一つもそんな事態を引き起こすわけにはいかなかった。
だからこそパークでは、フレンズたちの野生を抑制するために肉食を禁止し、体内のサンドスターの流れを安定させる人工栄養食の摂取を義務付けてきた。
いっぽうのCフォースでは、オーダーという本能にブレーキをかける洗脳が行われていた・・・・・・非人道的ではあるが、フレンズが持ち得る未知の危険性を制御する意味では間違っていなかった。
事の顛末はジフィ大佐から今しがた聞いた。
アムールトラはそんな確率の低いクジを運悪く引いてしまったのだと。
リミッターが外れた彼女は一時期暴走状態と化し、正気に戻っても発語能力が失われた状態だったと。
・・・・・・そんな体になってまで私のことを助けに来てくれたんだと思うと胸が痛くなる。
これまで彼女を自分の都合で戦いに連れまわし、傷つけてきた、こんな私なんかのために。
言葉を話せなくても、どんな不自由な体になろうとも、アムールトラは優しくていじらしいアムールトラのままだったのだ。
願わくば私に恩返しのチャンスを与えてほしい。
「いつかフレンズが幸せに暮らせる
かつて父が言い、私が受け継いだ言葉。
どうしたら実現できるのか、未だその片鱗すら見えていないが、アムールトラには私が作るその場所で平和に暮らしてもらいたい。
他人のためじゃなく自分の幸せのために生きてほしい。
だから、こんなところで死なないで・・・・・・。
「見えてきたな」
ジフィ大佐がコンソールを触りながら告げる。
計器の中央にあるディスプレイには周囲の地形が表示されている。
目的地はアフリカ大陸南東部沖に浮かぶマダガスカル島、首都アンタナナリボ。
大佐の仲間のCフォース将校たちや、彼らに投降したスターオブシャヘルの兵たちはここに集合しているらしい。
なぜマダガスカルが避難先に選ばれたかというと、セルリアンの女王の性質を考慮してのことのようだ。
スターオブシャヘルでヴェスパー親娘が生み出したセルリアンは、水に溶けてしまう性質を持っている、とイヴ・ヴェスパーが言っていたらしい。
仮に女王が生きたまま落下して、アフリカ大陸に壊滅的な被害をもたらしても、大陸と海で隔てられたマダガスカルならば無事に済むだろう、と判断したからだ。
・・・・・・またあの地に戻ることになるとは思わなかった。
アンタナナリボは、決戦に向けてパークが戦力を結集させるために滞在した最後の拠点だった。
イーラ女史はお元気でいらっしゃるだろうか。
彼女には返しきれないほどの恩がある。まずは顔をお見せしに行かなければ。
「むっ・・・・・・!?」
「な、何か?」
息を飲んで身を乗り出したジフィ大佐が眺めていたのは、地形モニターの脇にある黒地に緑色のレーダー表示だ。
後方から迫る機影が2点、レーダーの有効範囲ギリギリの距離から迫ってきている。
その正体は一切不明だ。
航空機のセンサーはすべからく前方に集中しており、側方、後方は死角に等しい。
補助の全方向位レーダーでわかるのはおおよその位置と相対速度のみ・・・・・・その速度たるや、概算でこちらの倍近く。軽くマッハを超えている。
突然の事態に面食らっていると、新たな光点がまたもレーダー上に現れた。
明滅を繰り返しながらまっすぐにこちらに近づいてくる。
「ミサイルっ!!」
稲妻が走るような直感とともに叫び、ジフィ大佐が握りしめる操縦桿を横取りするようにひったくり、脇にある赤い突起を押した。
__________バシュウッ
コクピットのキャノピー越しに見える夜空に閃光がまたたく。
すんでの所で射出したフレアーが、後方から迫りくるミサイルから私たちを守ってくれた。
「敵の戦闘機が後方から迫っています!」
「ど、どういうことだ!?」
「おそらくはイヴ・ヴェスパーの差し金・・・・・・私たちが脱出してくる可能性を見越して、マダガスカル島上空を哨戒させていたんです!」
後ろを振り返り、メリノヒツジが座るシートを見やる。
さっきまで声を押し殺して泣いていた彼女が、目を白黒させながらこちらを見ている。
さぞかし不安だろう。いかに優れた戦闘能力を持った彼女であろうと、この場においてはあまりに無力だ。
「けっきょく僕らは死ぬのか? ・・・・・・クズリさんの犠牲が無駄になるのか」
涙すら枯れたメリノヒツジが絶望の溜息を漏らす。
まちがいなく致命的な事態だった。
応戦しようにもこの輸送機には火器など積まれていない。
スピードも旋回性能も、戦闘機に勝る要素など何一つない。撒くことさえ難しいだろう・・・・・・
(そんな、ここまで来て・・・・・・)
頭が真っ白になった私は、ふたたび正面を向いて無機質なレーダーの光を眺めた。
ふたつの光点が明滅を繰り返しながらどんどんと中央に迫ってくる。
このままじゃすぐに追い付かれて撃墜される。なすすべもなく、ここで全員死ぬのだ。
__________ズキッ
とつじょ、訳もなく頭が痛み出す。
(・・・・・・私はお前を利用する)
頭の奥から謎の声が聴こえてくる。
落ち着き払った、無機質な、とても人間とは思えないような声だった。だが聴き間違いじゃなければ、それは私と同じ声だった。
(・・・・・・だから、お前にも私を利用させてやろう)
内側から響く私と同じ、私ならざる声が止むと、脳裏には幻覚としか思えない不思議な光景が広がっていった。
翼の生えたどす黒い飛翔体がこちらに急速接近してきているのだ。
そしてそれが今こちらを攻撃してきている2機の戦闘機だということが本能でわかる。
どんな正確なセンサーよりも、肉眼で捕らえるよりも、遥かに鮮明にその動きが感じられる。
・・・・・・突然に第六感に目覚めたとしか言いようがない状況だ。
こういう感覚の鋭さはアムールトラの得意分野だったはずだ。
だがそれは彼女が積んできた厳しい修練の賜物に他ならない。もともと人間を遥かに超える五感が備わっていたことも影響しているだろう。
・・・・・・ただの人間でしかないこの私に、いきなりこんな超感覚が開花するなんて、一体何が起きたというのだろう。
いや、今は理由などどうでもいい。
今の私には後ろにも目が付いているに等しい。ならばこの状況を何とかできるかもしれない。
まだ死ぬわけにはいかないし、これ以上誰も死なせるわけにはいかない。
だからやるしかない。
「大佐! 私に操縦させてください! 応戦します!」
「な、何を言っているのだ! カコ・クリュウ? 君は操縦ができるのか?」
「多少は腕に覚えがあります」
「・・・・・・いいだろう。君に命を託すのはこれが初めてというわけでもない」
ジフィ大佐はさすが歴戦の兵なだけあって、一瞬で覚悟を決めることには慣れている。
青い顔で身をすくめたのも束の間、もはや私の戯言に懸けてみる以外に道が無くなったことを悟ってくれたようだった。
後部座席に移ってもらった大佐には、メリノヒツジと共に一か所に固まってもらった。
2人には横になって眠るアムールトラを間に挟むような形で座ってもらっている。
ここでまたメリノヒツジの能力の出番だ。
航空機の4点式シートベルトは安全性が高い。きちんと締めてさえいれば、体が投げ出されることはまずない。
・・・・・・が、これから私がやろうとしていることはそれでも危険だ。
弱り切ったアムールトラの体に少しでも衝撃を加えたくない。
だからメリノヒツジには能力でロープを生成してもらい、3人の体に幾重にも巻き付けてがっちりと座席に固定してもらった。
「マニュアル操縦に切り換えます!」
これで準備は整った。
超高高度を飛ぶ輸送機のレスポンスは、運転しなれたヘリや複葉機とはもちろん違う。
しかし航空機である限り、風を受けて浮揚するこの感覚はそう変わることはない・・・・・・ここは私が良く知っている世界だ。
操縦桿の感覚にようやく慣れてきたころ、敵戦闘機が距離3キロを切ろうという所にまで接近してきていた・・・・・・。
__________ドキュキュキュンッ!
風切り音が耳をつんざく。予想通りのタイミングで敵が機銃を撃ってきた。
こっちが足が遅いことがわかっているから、余裕しゃくしゃくで距離を詰めて撃ち落とそうとしているんだ。
今の私には、敵パイロットが機銃のトリガーに指をかける瞬間すらわかる。
脳裏でその情報を受け止めると、自分でもどうしようもないぐらい激しい怒りが内側から沸き立ってくる。
先ほどから私に目覚めた超感覚の正体がだんだんとつかめてくる。
・・・・・・私はきっと、敵の悪意と殺意を感じ取っているのね。
(・・・・・・あ、あれは?)
さらに感覚を研ぎ澄ませると、どす黒い悪意を放っているのは後方の敵戦闘機だけではないことに気付いた。
美しい青き地平の上に、無数の黒い沁みがポツポツと浮かんでいるのだ。
それは今もこの世界を汚し逼塞させる穢れそのもののように思えた。
私はとんだ考え違いをしていた。
グレン・ヴェスパーがいなくなれば、一区切りぐらいは付けられると思っていた。
でも現実は違う。あの男はまだ生きている。他者に与えた影響という形で存在し続けている。
・・・・・・区切りなんて付こうはずもない。今もこうして、綱渡りの戦いが続いている。
「さあ、付いてきなさい!」
操縦桿の脇に左右一対ずつあるラダーペダルの片側だけを思い切り引き絞る。
遠心力でがんっと頭に血が上りそうになったのも束の間、視界が上下入れ替わり、機体は背面飛行状態となった。
本来なら上へ上へと持ち上げてくれるはずの揚力が反対に作用した結果、機体は真っ逆さまに墜落していった。
すぐ真下に見える積乱雲へとダイブしてもなお落下の勢いは留まらない。
__________ブォンッッ
雲海を突き抜けた先には、太陽光を反射して輝く山脈が広がっていた。
首都アンタナナリボはまだ遠い。マダガスカル中部の険しい山岳地帯がしばらく続くだろう。
もう夜明けだ。視界は良好・・・・・・だがそれは敵にとっても同じ。
機体を水平方向に戻すと同時に、眼前に切り立った山間へと全速力で突っ込んだ。
「ぬうっ! 命を預けるとは言ったが、これは!」
「喋ってはいけません!」
機体を右に左に小刻みに揺らし、山肌を縫うように飛びぬける。
敵機もぴったりと後ろに付いてきている。
これでもうミサイルは使えまい。こんな地面すれすれでミサイルを撃ち漏らせば、自機に危険が及ぶどころか、最悪私に逃げられる恐れもある。
イヴ・ヴェスパーのヒットマンである奴らには絶対に避けたいことだろう。
それに機体性能にものを言わせることも簡単にはいかないはず。墜落を恐れる本能が全速力での航行にブレーキをかけるはずだからだ。
__________ドガガガガッ!
2機のうち、より私に追いすがって来ている1機から銃火が弾ける。
この状況で機体制御に専念せずに攻撃までしてくるとは、随分と無茶をするパイロットだ。
極限状況では根っこの性格が出てくるもの。あの機体に乗っているのはかなり直情的なタイプに違いない。
・・・・・・後ろにいるもう1機は多少は慎重派といった所かしらね。
機体を大袈裟にジグザグ飛行させる。
後ろに目が付いているに等しい今の私にとっては、目くらめっぽうに撃ってくる銃撃を躱すことは難しいことじゃない。
だが向こうからしてみれば、銃撃に恐れおののいているように、いかにも追い詰められているように見えるはずだ。
すると前に出た敵機がさらに前のめりに食らいついてきた。
(・・・・・・今よ!)
無軌道なジグザグ飛行と見せかけておいて、狙い澄ませていた一点へと機体を急旋回させる。
針の孔を縫うようなV字の山の隙間へ、横倒しになりながら突入した。
__________ドッガアアンッッ!
背後から爆音が轟いた。
私に追いすがっていた敵機が山肌に追突したのだ。
攻撃に専念するあまりに周りをよく見ていなかった証拠だ。
突然狭いところに入り込んだ私を追う余裕もなかったことだろう。敵を追い詰めているという油断が全ての判断を狂わせたのだ。
V字谷を抜けると、真正面には空に届かんばかりの剣稜がそびえ立っていた。
後ろには生き残ったもう1機がじわじわと距離を詰めてきていた。
急上昇して山を飛び越える以外に進路を取りようがない、直線の道に等しいこの状況では、スピードに勝る敵を振り切ることは不可能だ。
・・・・・・敵がトリガーに指をかける時の、あのピリつく気配はまだ感じない。
生き残ったパイロットは慎重なタイプだ。きっとまだ攻撃してこないだろう。
この急峻な山を越え、辺りに障害物がなくなったのを確認してからミサイルで確実に仕留めようとするはずだ。
「追い付かれてしまうぞ! すぐ後ろにいる!」
「・・・・・・ええ、私はこれを狙っていたんですよ」
__________カチッ
敵機がゼロ距離と呼べるほどにまで迫っているのを確認してから、操縦機器とは離れた所にあるレバーを引き、また別のところにあるボタンを押した。
空気圧で機体全体がガタガタと震える。
機体後部の貨物室を開き、積載されていた荷物をパージしたのだ。
無数のコンテナの中にはスターオブシャヘルを運用するために必要な資材や、兵士たちの食料や日用品、そういった取るに足らない物が入っているだろうか。
__________ゴウンッ・・・・・・
風切り音を立てながら数個のコンテナが空中に飛び出していく。
戦闘機からしてみれば止まっているに等しいスピードだろうが、こっちに向かってきている相手にとっては、その遅さこそが凶器となった。
ゆっくりとばら撒かれるコンテナの雨に、超音速で追いすがる機体が成すすべなく突っ込むことになった。
(・・・・・・はあっ、はあっ、今度こそ振り切った?)
荷物を全て捨てて軽くなった機体をそのまま急上昇させ、急峻な山を飛び越えると、目の前にはマダガスカルの大地が夜明けの空に包まれていた。
レーダーに映る影はもうない。
張りつめていた緊張の糸が切れると、額から汗がどっと噴き出してきた。
我ながらずいぶんと無茶をしたものね、と一息ついたのも束の間、後部座席で私の曲芸飛行に耐えてくれていた仲間たちの安否をすぐさま確認した。
「大丈夫でしたか? 大佐、メリノヒツジ?」
「ああ・・・・・・しかし、君の腕前はとんでもないな、元々はどこかの空軍のエースパイロットだったのか?」
「いいえ、独学でやっているだけです」
「そ、そうか」
それを聞くなり、ジフィ大佐は真っ青な強面の顔を抱えて溜息をついた。
メリノヒツジは隣にいるアムールトラを心配そうに抱き支えながら窓の外を見ている。
アムールトラは・・・・・・変わらない。つい今までのドッグファイトのことなど無かったことのように、静かに力なく眠り続けている。
「このままアンタナナリボに向かいます」
正面へ向き直った私はふたたび操縦へと集中することにした。
敵がいなくなってもまだ胸のざわつきが収まらない。遥か地平線の向こうに黒い沁みがチラついている。
・・・・・・すべての穢れは徹底的に拭い去らなきゃいけない。それが出来ない限りは、
アムールトラのために、この世界のすべてのフレンズのために、私は戦い続ける。
to be continued・・・
_______________Cast________________
哺乳鋼・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種
「アムールトラ」
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・ヤギ亜科・ヒツジ属
「メリノヒツジ」
哺乳綱・ネコ目・イタチ科・クズリ属
「クズリ」(死亡時年齢:10歳4か月)
_______________Human cast ________________
「久留生 果子(くりゅうかこ)」
年齢:26歳 性別:女 職業:国際的非政府組織「PARK」構成員 南アフリカ事業所代表
「ギレルモ・セサル・ジフィ(Guillermo César Jiffy)」
年齢:67歳、性別:男、職業:Cフォース南米支部 陸軍連隊総司令官
_______________Story inspired by________________
“けものフレンズ” “けものフレンズ2”
byけものフレンズプロジェクト
“けものフレンズR”
by呪詛兄貴