けものフレンズR あるトラのものがたり   作:ナガミヒナゲシ

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過去編終章41 「カコとメリノ」

 メリノヒツジの住居は、昼間でも霧が立ち込めて薄暗い岩山の中にあるという。

 途中からは車で進入できなくなり、徒歩で山道を登っていくことになった。

 ひょっとすると、今日中に帰ることは出来ないかもしれない・・・・・・もしそんな連絡をシガニーにすることになったら、彼女をかんかんに怒らせてしまうだろう。

 

 岩肌が露出する山道には植物もほとんど自生せず、遠くで鳥の鳴き声が多少聴こえる以外には生き物の気配がしない。実に物寂しい場所だ。

 ヒツジというのはヤギの近縁種。

 ヤギが動物の中でも特にロッククライミングが得意である事は知られているが・・・・・・

 たった一人で好きこのんでこんな所に住んでいるとは、よっぽど一人になりたいのだろう。

 命を懸けて巨悪と戦い生還を果たしたにも関わらず、彼女の心はまったく救われていないのだ。

  

 戦後間もない頃、メリノヒツジは重要な参考人として取り調べを受けることになった。

 バトーイェ山脈での戦いも、スターオブシャヘルでの決戦も、重要な局面を最前線で戦い抜き、五体満足で生き残った唯一のフレンズだからだ。

 

 彼女は自分がしたことを、そしてその目で見たあらいざらいをぶちまけた。

 スプリングボックを戦闘の末に殺害したことを。スターオブシャヘルにて多数の兵士を虐殺したことを・・・・・・スパイダーモンキーを食い殺したのが、アムールトラであることを。

 またヴェスパー親娘の口から直接おぞましい所業の数々を聞かされることも多かったという。

 彼女がもたらした情報は、ヴェスパー派を失墜させるための重要な材料となった。

 そしてそれは他のフレンズや、ユニオン関係者にも広く知られることとなった。

 

 メリノヒツジが戦争犯罪者として裁かれることはなかった。

 たとえ戦闘において残虐な行為をしたとしても、常に少人数で大部隊と戦ってきた彼女には正当防衛が認められることになる。

 フレンズを裁く法はなく、さらに人間に置き換えても、彼女は少年法が適用される年齢には満たなかった。

 取り調べが済んだのち、メリノヒツジはマダガスカルのフレンズ保護区へと移送された。

 

 ヒグラシ博士を始めとして、彼女と面識のある者は多かった。

 中でもかつてグレン・ヴェスパーが生み出した「量産型」と呼ばれる、イヌ科やネズミ科のフレンズたちのことは外せないだろう。

 バトーイェ山脈での戦いに駆り出されていた彼女たちにとってメリノヒツジは命の恩人だった。

 洗脳教育で育った彼女らは自我というものをほとんど持っておらず、命令に従うだけの無垢な存在だった。

 彼女らの性質をメリノヒツジは利用し、自分が彼女らの隊長であると詐称したうえで、嘘の撤退命令を出してその場から逃がしたらしいのだ。

 

 メリノヒツジの咄嗟の機転により量産型フレンズの多くが命を拾った。

 彼女らももちろんこのフレンズ保護区に身を寄せている。

 だが今はもちろん量産型なんて呼称は使わない。彼女らにはそれぞれ種族名にちなんだ名前を付けたし、ヒグラシ博士の下で教育を受けながらのびのび自我を育んでいる最中だ。

 個性がはっきりしてきた彼女たちだったが、メリノヒツジに命を救われた恩は誰一人として忘れてはおらず「私たちの隊長」と深く慕っていた。

 

 ・・・・・・そして、パンサーとも顔を合わせることになった。

 2人をめぐる因縁はきわめて複雑だった。

 メリノヒツジは彼女の親友スプリングボックを殺した。

 だがいっぽうではアムールトラも、パンサーが戦場で友情を結んだというスパイダーモンキーを殺したという経緯がある。

 

 結局パンサーはメリノヒツジのことを恨むことはなかった。

「恨んだり殺したりするのはもうたくさん」と、全ての因縁を腹に収め、水に流そうとした。

 彼女は愚かな子ではない。もしメリノヒツジを恨み復讐しようとするならば、アムールトラにも同じように復讐心を抱かなければならないことになることに気付いたのだろう。

 一方は恨み、一方は許す・・・・・・そんな破綻した復讐心を持ってはいけないのだと。

 

 それにパンサーの特異な生い立ちも影響しているのかもしれない。

 フレンズになる前は、子供をさらって食べてしまう凶悪な人食いヒョウだったという事は、私やシガニーのような古参職員ならば知っている話だ。

 そのことについては誰が言い出すでもなく緘口令が敷かれ、パンサー自身も心を許したごく少数の者にしか打ち明けることはなかった。

 彼女のパークでの懸命な戦いぶりは、私たちの理念に共感してくれたこと以上に、自身の過去の罪を償うためだったように思えた。

 ・・・・・・償いはきっと今も続いているのだろう。だからこそ、憎い相手のことも許し、歩み寄ろうとしたのだ。

 

 が、メリノヒツジはそれを拒絶した。

 ヒグラシ博士と再会を喜び合うこともなく、自分のことを慕う無垢な量産型フレンズたちの声も黙殺し、こんな人気のない山中で隠遁生活を始めた。

 PTSDの治療のためにと入院を薦める周囲の声にも耳を貸さなかった。

 

 力ずくで治療施設に連行するとか、食事に薬を混ぜて眠らせるとか、そういった手段も一時期検討された。

 しかしグレン・ヴェスパーの下で長年苦しめられてきたメリノヒツジにそんなことをしたら、私たち人間が彼女から信頼を取り戻すチャンスは永久に無くなるであろうことは明らかだった。

 結局は匙を投げて、彼女が衰弱していくのを指を咥えて見ているしか出来ない現状だった。

 

(確か、この辺りに住んでいるって言っていたけど・・・・・・)

 

 霧の中を進みながら辺りを見回してみると、切り立った崖の一部に小さな洞穴を見つけた。

 中からはランタンらしき明かりが漏れだしている。

「ごめんください」

 と挨拶しながら洞穴の中に入ると、腐臭がウッと鼻をついた。

 

 メリノヒツジは別にここに住んでいることを隠しているわけではない。

 フレンズ用の人工栄養食や、配給の野菜スープがここに届けられている・・・・・・が、どれもろくに口を付けていないまま時間が経ってしまったようだ。

 人工栄養食はちょっとやそっとじゃ腐ることはないが、スープの方は完全に腐りハエにたかられてしまっている。

 

 藁で出来た簡素な寝床の周りには本が積まれている。

 ヒグラシ博士がメリノヒツジに気を遣って、彼女が好みそうな本を届けさせていると聞いた。

 ・・・・・・なるほど、音に聞こえた通りに彼女は読書家であるようだ。文学には造詣がない私でもそのことだけはわかる。

 

 とりわけメリノヒツジは西洋圏の書物が好きなようであった。

 文学や詩、グラフィックノベルだけじゃなく、キリスト教関係の本や哲学書、中世ヨーロッパや古代ローマなんかの歴史書もあった。

 なかなかに洒落た趣味を持っている。

 私にはそんな浅い感想しか出てこないけれど、彼女のことを誰よりも理解しているヒグラシ博士のチョイスなら間違いないのだろう。

 ・・・・・・が、残念ながらそれらの本も埃を被ってしまっている。

 ろくに食事が喉を通らず、活字さえも目を通す気力がないのなら、今の彼女を支えているのは何なのだろうか?

 

(これは?)

 積まれた本の中の一冊を拾い上げる。

 埃まみれの書物の中でその一冊だけは様子が違った。

 表紙の埃の被り方が均一ではなく、手を付けた跡があるのだ。メリノヒツジがほんの少しだけでも手を付けて読んでみたということだろうか?

 著者名を見ると、私でも知っている人物の著書であることに気付いた。

(・・・・・・ニーチェ)

 

 メリノヒツジは留守にしているようだったので、ともかく一度洞穴の外に出ることにした。

 どこに行ったというのだろう。山を降りて他のフレンズや人間の目に付くことは嫌だと思うから、この岩山のどこかにいると思いたいが。

 

_______ポツン、ポツン・・・・・・

 霧に包まれて見えない向こう側に、水滴の落ちる音が聞こえた。

 それが辺りの静寂を一層際立たせている。

 私の地獄耳でもやっと聴こえる程度のとても小さな音だったが、一定のリズムを保ちながらずっと耳朶を打っている。

 水たまりでもあるのだろうか。これほど霧が深いなら、標高の高いところで凝結した水滴が下の方に落ちてくることもあるだろう。

 

 いっそう耳を澄ませて水滴が落ちている場所を探すことにした。

 メリノヒツジがここで生活しているならば水源は大事だ。住処を不在にしているならば、居場所の候補として水場は高い位置に挙げられるだろう。

 

「・・・・・・」

 

 あまい目算だったが、早くも的中することになった。

 絶え間なく落ち続ける水滴が、岩のくぼみに直径数メートルにも及ぶ水たまりを作っていた。

 水たまりの縁にたった一人、遠めからでも目を引く真っ赤な毛皮の持ち主が、座り込んでうつむいていた。

 

 水面に映った寂しげな顔を、したたる滴が起こした波紋が揺らす。

 抜け殻のように動かない瘦せ細った体、こけた頬、光を失った空洞のような瞳・・・・・・きっともうその目には何も映っていない。

 やはりメリノヒツジの心は完全に死んでしまっている。放っておけばやがて朽ちて行ってしまう予感がありありと目に浮かぶ。

 

「探しましたよ、メリノヒツジ」

 

 背後から声をかける私に気付いているだろうに、反応が返ってくることはない。

 私はかまわずに傍に寄り、すぐ真後ろからメリノヒツジを見下ろした。

 ・・・・・・その手にはクズリの遺品たる腕輪が握られている。

 アムールトラに並ぶ最強のフレンズだったクズリは、女王セルリアンとの戦いにおいて、最期まで死力を出しつくし、腕輪だけを残して消滅した。

 メリノヒツジは、崇拝とすら言えるほどに尊敬していた相手が消えていく瞬間を、すぐそばで見届けたのだった。

 あの時から彼女の時間は止まったままなのだろう。

 腕輪は「未練」という、空っぽの心に残った唯一の感情の表れであるようだった。

 

 本当に可哀そうな子だ。だが優しい言葉をかけるつもりはない。

 そんなことをしても無駄だとわかっている。ヒグラシ博士の言葉でさえ届かないのだから、関わりの薄い私などが何を言ったところで効果はない。

 

「あなたに会ってもらいたい人がいるのですが、少しだけ時間をもらってもいいですか?」

 

 そっけない口調で告げる私に、メリノヒツジも意表を付かれたようで、たった一度だけピクリと体を震わせた。

「イヴ・ヴェスパー」

 私は身をかがめると、座り込む彼女の耳元に無遠慮に口を近づけて、その名前を囁いた。

 

「・・・・・・つまらない冗談を言って僕を嘲笑いに来たのか?」

「そんな無駄なことをしている暇が、この私にあるとお思いですか?」

 

 メリノヒツジが俯いたまま初めて口を開いた。

 私は「よし」と内心で手ごたえを感じていた。

 これが今日のもうひとつの仕事。私にとってメリノヒツジの心を救うことは、中央広場での演説と同じぐらい重要だ・・・・・・そのための仕込みも十分にしてきている。

 

「この近くにあなたの家がありますね。そこで彼女とのビデオ電話を繋ぎましょう」

 

 ついにメリノヒツジが立ち上がった。

 痩せこけてはいても、やはり彼女の立ち姿は迫力がある・・・・・・フレンズの中でも割と背が高い方だし、さらにボリュームのある赤い毛皮を身にまとっているのだから。

 

「ウソだったらアンタを殺すぞ・・・・・・!」

 不愉快そうにぎらつく瞳で私を睨みつけ恫喝してくる。

 さっきまでの抜け殻のようだった彼女はもういない。やはり思った通りだ。親しい者の言葉でも効果がないのなら、アプローチを逆にしてみるのがいい。

 ・・・・・・彼女が最も憎む者と話をさせてみればいいのだ。

 

「では一緒に来てください」

 

 メリノヒツジを連れだって崖下の洞穴へと舞い戻る。

 ずっと怖い顔のままの彼女の要望に早く答えるために、ポケットに忍ばせた手のひらサイズの立体通信機を、積まれた本の上に置いて起動させた。

 

≪フーーッ・・・・・・フーーッ・・・・・・!≫

 

 ホログラムに映し出される、薄暗く殺風景なその部屋は牢屋だった。

 拘束衣を着させられた1人の女が震えながらその場に転がされている。

「・・・・・・私です。お待たせしました。彼女と会話をさせてください」

 そう画面の向こうに呼びかけると、画面奥から目出し帽を被った男が入ってきて、倒れた女の髪を乱暴に掴んで起こし、口元に張られたガムテープを勢いよく引っぺがした。

 

「だ、誰だこの女は? これのどこがイヴ・ヴェスパーなんだ!?」

 

 メリノヒツジが女の姿を見ながら憤慨したように感想を漏らす。

 無理もない。画面の向こうの女はスラブ系を思わせる赤茶色の髪だ。顔面も低い鼻とソバカスまみれの肌で構成されている。

 典型的なアングロサクソンの特徴を持つ、金髪碧眼で目鼻立ちの整ったイヴとは、見比べるまでもなく明らかに違う。

 この不美人がイヴであるとは誰も思わないだろう。

 

「今の彼女はジェシカ・エドワーズというそうですよ」

「・・・・・・偽名か?」

 

 一年前のあの日から、イヴ・ヴェスパーは顔と名前を変え、他人の戸籍を買い取り、アフリカ大陸から遠く離れたアメリカはコロラド州にて、身をひそめるように生活していた。

 ジェシカ・エドワーズ。コロラドの片田舎に生まれ、つい数年前に州都デンバーに移り住んだ26歳の女。

 二流大学を卒業した後、郊外にある小さな印刷所で働き、地味で控え目ながらも実直に仕事をこなしている。休日は家でコーヒーを飲みながらサブスクの映画を見て過ごしている。

 ・・・・・・取り立てて語ることのない、どこにでもいる普通の女だ。

 

 良く出来たカバーストーリーを被って、その素性を完璧に隠していたイヴ・ヴェスパー。

 だが一方では本来のヴェスパー派の頭目としての活動もしっかり行っていた。

 足が付かないように数々の仲介者を通じて部下たちを指揮し、私へ暗殺者を差し向けたり、秘密裏に人造フレンズや女王セルリアンの研究も継続していた。

 

 イヴの居場所を暴く切っ掛けとなったのは、東南アジアのとある町にて、古びた薬品工場を見つけたことだった。

 巧みに偽装され周囲に溶け込んでいたその場所は、薬品工場とは名ばかりで、イヴの手の者が運営する研究施設だった。

 

 なぜそこを見つけられたかと言えば、虫の知らせとしか言いようがなかった。

 ドローンや斥候に収集させた世界中の映像を解析にかけていた時のことだった。

 何百何千もの画像や動画を調べ、そのなかのひとつを目にした際、一年前からときどき聞こえるようになった謎の声がまた呼びかけてきたのだ。

「我らが同族の気配がする」と。

 

 この声の正体については、おおよその見当は付いている。

 グレン・ヴェスパーによって女王セルリアンの生体コアにされた時、私の脳は女王と繋げられたのだ。その時の残滓が今も脳内に残っているのだろう。

 人間離れした鋭い五感や、予知能力じみた超感覚は、きっと私の中にいる”彼女”が授けてくれたもの・・・・・・彼女がどういうつもりなのかは知らないが、今の私には命を賭して叶えなければならない理想がある。

 使えるものは何でも使う。今は他に何も考えなくていい。

 

 彼女の声に従うまま、私の手の者を現地に派遣し、研究施設の所在と正体を探らせた。

 そしてその施設には、セルリアンの体細胞が培養されていることが分かったのだ。

 後は簡単だった。追加で増援を多数送り込み、研究施設を制圧させた。

 研究員たちを拷問にかけ、施設で研究しているのが”女王の胚”であることも、イヴ・ヴェスパーの所在も吐かせた。

 

≪・・・・・・わ、私にこんなことをしてタダで済むと・・・・・・!≫

 

 捕らえられ監禁されているイヴ・ヴェスパーが、画面越しに私を睨め付けながら叫ぶ。

 必死に強気な風を装ってはいるが、血走った瞳には恐怖と焦りの色が隠せていない。

 

≪私が死んだと分かれば、狂信的な部下たちが世界各地で無差別テロを起こすわ! 何万、何十万人も死ぬでしょうね! それでも良いのかしら!≫

「・・・・・・確かにコイツはイヴだな」

 

 真実を悟ったメリノヒツジがボソッと小声で呟いた。

 クズリの腕輪をいっそう強く握りしめながら、憎しみで瞳を爛々と燃やしている。

「どうでもいい」

 ・・・・・・が、その一瞬の後には目を閉じ、深いため息をついた。

 

「カコ・クリュウ、アンタはこれからイヴを殺すんだろう? 僕にその様を見せて溜飲を下げさせるつもりだったんだろうが・・・・・・

 この女の顔を見て実感したよ。惨めな負け犬のそれだ。もうコイツは終わったニンゲンなんだ。生きようが、死のうが、僕には関係ないよ」

 

≪お、お黙りメリノヒツジ! お前こそ、運よく生き残っただけの死にぞこないでしょうが!≫

 と、怒り狂い罵倒してくるイヴを、メリノヒツジは黙殺するように踵を返し、とぼとぼと洞穴から出ようと歩き出した。

 その意気消沈した様はさっきまでと全く変わっていない。

 

「待ってください。彼女を殺すなどとは一言も言ってませんよ」

 

 その言葉にメリノヒツジも、画面越しにイヴも驚いて絶句する。

「彼女の処分についてどうするか、メリノヒツジ、あなたに相談したいと思うのですが」

 ・・・・・・おかしな話という他にないだろう。

 メリノヒツジがイヴの助命を望むはずなどない。火を見るよりも明らかなことだ

 だがそれを承知で藪から棒なことを言い出す私に2人とも呆気に取られているのがわかる。

 

「Cフォースから押収したデータの中から興味深いものを見つけました・・・・・・実現に至ってはいないようですが、フレンズの研究に関する極めて革新的な内容でした。

 彼女や彼女の父親は、人格や所業はさておき、研究者としては極めて優秀であることは認めざるを得ないようです」

≪何よ! 何のことを言っているの!?≫

「・・・・・・たしか”プロジェクト22”とか言うものでしたよね」

 

 私のつぶやいた単語に、発明者その人であるイヴは得心がついたように押し黙り、何も知らないメリノヒツジはただただ狼狽えた。

 

「例によって非人道的な内容ですが、場合によっては継続する価値がある研究なのかもしれません。メリノヒツジ、つきましてはあなたの意見を聞かせてください」

「・・・・・・何を言っているのか知らんが、なぜ僕に意見を求める?」

「あなたは世界を救ったうちの1人ですよ。何かを決める権利があって然るべきではありませんか? まずは内容を聞いてください」

 

 次に私は、イヴ・ヴェスパーにプロジェクト22について、自分の口からメリノヒツジに説明をさせることにした。

 最初こそ反抗的な態度を見せたが、彼女は断ることは出来なかった。

 説明を聞いた後、メリノヒツジにはプロジェクト22を継続するかどうかを決めてもらう。

 かりに継続を望むのであれば、イヴ・ヴェスパーを殺すわけにはいかなくなる。

 研究途上であるプロジェクトを完成させるには、この女の頭脳が必要なのだから・・・・・・

≪ぷ、プロジェクト22というのは!≫

 自分が生き残る道を見つけたイヴは、必死の形相で牢屋の中でのプレゼンテーションを始めた。

 

 これまでヴェスパー親娘は、人造フレンズをいかに低コストで造産するかということに関心を傾けてきた。

 自然死した動物を施術にかけることで誕生したメガバット、クズリ、アムールトラ、メリノヒツジといった初期の人造フレンズたちは、一体作るのにコストと時間がかかり過ぎる。

 

 いっぽうで、保護犬や実験用マウスを大量に仕入れて、ガス室で殺してからフレンズ化させるという量産型フレンズは、原材料の仕入れコストを大幅に削減したものの、施術の成功率自体は旧来と変わっていない。

 

 プロジェクト22は、そんな状況を打破するために考えられた、施術の成功率を高めるための研究のことだった。

 ヴェスパー親娘は、フレンズ化出来た動物と、出来なかった動物の細胞を比較し、そのDNA配列の差異を徹底的に調べていたらしい。

 その結果、フレンズ化に必要な「特定遺伝子」が存在することを発見したようだ。

 

 つまるところ、この研究がもたらす成果とは、狙った動物をほぼ確実にフレンズ化させられるということにある。

 自然界においてどれほど希少な種族であったとしても関係ない。

 施術のために一旦命を奪わずとも、細胞片を採取して、特定遺伝子の持ち主であるかどうかを調べることさえ出来れば、ノーコストでフレンズ化できる個体を特定させられるのだと・・・・・・。

 

≪ど、どうかしら!? これであなたの仲間が生き返るのよ!≫

「・・・・・・同じ種族だったとして、別個体には違いないじゃないか」

≪あなたの協力があれば別個体ではなくなるわ!≫

 

 そこから先はCフォースのお家芸と言ってもいいVRの出番だ。

 誕生したフレンズに、VRによって別のフレンズの体験を刷り込むのだ。

 VRの材料となるのはメリノヒツジの思い出だ。彼女には、戦死した仲間たちの生きざまと死にざまを傍で見届けてきた鮮明な記憶がある。

 彼女の記憶をもとに作り出された仮想現実をフレンズに追体験させる。そうすることで自分のことをメリノヒツジの仲間なのだと思い込ませる。

 

 それがイヴ・ヴェスパーが提唱する「死んだ仲間を生き返らせる」計画だった。

 ・・・・・・私からしてみれば、議論を挟むまでもなく言語道断の内容だ。

 だがメリノヒツジはどう思うだろうか? 

 死者を悼むあまり、一歩も動けなくなってしまった彼女が、仮初とは言え自分を慰めてくれる相手を求めているのかもしれない。

 ならば、こうして確認を取るのが筋というものだろう。 

 

≪さあ、言いなさい! 私を生かすと! 仲間を生き返らせるには私の技術が必要なのよ!≫

「・・・・・・できるのかよ」

≪何ですって≫

 

 調子に乗ってまくし立てるイヴ・ヴェスパーの説明を、メリノヒツジはぼんやりと半分聞き流すような態度で聞いたのち、くぐもった声でおもむろに語りだした。

 

「クズリさんの不屈の闘志を、スパイダーさんの自己犠牲の精神を、ディンゴが死ぬ間際に見せてくれた不器用な友情を・・・・・・お前なんかに再現できるのか? 僕たちのことを道具としてしか見てこなかった、お前なんかに・・・・・・!」

≪で、でき≫

「できるわけないだろうがぁっっ!!」

 

 メリノヒツジが吼えた。

 洞穴中に響き渡り、外にまで響くような大声で、感情を絞り出すように絶叫した。

 そのあまりの迫力には、画面越しのイヴ・ヴェスパーが震え後ずさる程だった。

 

「クズリさんたちは、もうどこにもいないんだ・・・・・・」

 

 わなわなと震えながら荒い息を吐いてそう呟くと、やがて嗚咽交じりにその場に崩れ落ちる。

 話は一段落したようだ。これ以上のイヴとの会話はメリノヒツジにとって無用なストレスになるだけだろう。

 

「これがメリノヒツジの答えです・・・・・・というわけで、あなたの処分が決まりましたね」

≪・・・・・・わ、私を殺したらどうなるかわかってるでしょ? た、大変なことが起きるのよ!?≫

「それがどうかしましたか? さあ、彼女を連れていってください」

 

 私の指示を聞くなり、目出し帽をかぶった兵士たちが再び画面に映り込む。

 屈強な男たちはイヴの頭に紙袋を被せると、ひょいと強引に抱え上げてしまった。

≪わあああああっ!! やめろ! やめてええええっ!≫

 じたばたと足掻きながら恫喝するイヴをまるで相手にせず、無言でその場から持ち運び始めた。

 

 やがて牢屋は無人となる。

 寂しくなったホログラム映像に、男の手が大きく映り込むと、指を添えるような動作と共にビデオカメラの電源が切られた。

 これでまた私とメリノヒツジの2人きりとなった。

 彼女は砂嵐が流れるだけとなったホログラムを、茫然と食い入るように見つめている。

 ・・・・・・さぞ驚いたことだろう。人間を攫い、監禁し、さらには殺すことまで辞さない不穏な男たちは、フレンズ保護を掲げるジャパリ・ユニオンのイメージから程遠いことは明らかだ。

 

「彼らが何者か気になりますか?」

 と、目の前の出来事に絶句しているメリノヒツジに向かって、機先を制すように問いかける。

 私は慈善事業ばかりを行っているわけではない。決して知られてはならない暗部がある。

 今からそれを彼女に全て打ち明ける。

 

「彼らはジャパリ・ユニオンではありません。”ウィーゼルズ”といいます・・・・・・じつは私は、ジャパリ・ユニオンとは別に、もうひとつ別の組織も作っていたのですよ」

 

 ウィーゼルズ。

 私の命令一つあれば世界中に足を運んで、公には出来ないような血生臭い仕事を完遂する選ばれた精鋭集団だ。

 その目的は、あらゆる手段を使ってヴェスパー派を粛清することだ。

 

 共同経営者としてジフィ大佐らCフォース出身者も参画している。

 ウィーゼルとはイタチのこと。その由来は彼が最も思い入れが深いイタチ科のフレンズだ。

 もちろんクズリのことだ。大佐は彼女のことを「最高の戦士」と呼び称え、その死を深く深く悼んでいた。

 

 構成員の多くはジフィ大佐らの部隊の者たちだ。

 さらにはかつてヒルズ将軍の配下だった裏社会の人間も参加している。

 将軍は部下たちに対して「自分が死んだらカコ・クリュウか、その後継の者に仕えろ」と遺言を残してくれていたのだ。

 ・・・・・・かつて私が単身プレトリアに赴く際に、自分の身に何かあったらすべてを彼に任せる、と言った事に対する彼なりの返礼なのかもしれない。

 

 彼らのモチベーションは極めて高いと言える。

 かつてヒルズ将軍に仕えていた者たちの、主を失ったことへの恨みは凄まじい。そしてジフィ大佐たちの部下らも、かつての身内の不正を正したいという強い意志を持っている。

 

 ウィーゼルズのことは、シガニーやアーサーといったジャパリ・ユニオンの幹部にはもちろん知らせてない。

 表向きは政治的な立場もある私が、このような私兵同然の組織を手駒に持っていることは知られてはならない。

 やりとりにも暗号化や運び屋を用いることで、秘密が外に漏れないように工夫している。

 ・・・・・・だが今日は特別だ。メリノヒツジに秘密を打ち明けるために、彼らとも直接連絡を取ることにしていたのだ。

 

「イヴ・ヴェスパーの顛末について興味がありますか? 彼女にはこれから手術を受けてもらいます。麻酔なしの全身解剖手術をね」

「・・・・・・なん、だと!?」

「あの女を始末しただけでは不十分なのです。むしろここからが正念場と言えるでしょう」

 

 隠れ潜むイヴは資金源を必要としていた。

 そんな彼女が手を染めたビジネスのひとつに、臓器の違法売買があった。

 ストリートチルドレンやホームレス、また攫ってきた一般人を解剖手術にかけて、金になりそうな臓器を海外に売り払う。

 ・・・・・・この商売も父親の代から続けていたものだったそうだ。親子二代、つくづく醜悪の限りを極め続けてきたものだ。

 

 というわけなので、そんな彼女の熱心な小遣い稼ぎを手伝ってあげることにした。

 健康な20代女性の臓器はさぞ高く売れるはず。

 心臓、肝臓、腎臓・・・・・・需要の高いそれらの臓器は裏マーケットにばらまかれて高値で買い上げられるだろう。

 得られた収益は、彼女の口座に送金してあげる予定だ。

 こちら側は決して不当な利益を着服したりすることはない。

 

「あ、アンタは何がしたいんだ? たかだか復讐をやるにしては余りにも・・・・・・」

「個人的な怨恨などに最初から興味はありませんよ。私の目的は、あの親娘が遺した意志を、この世に存在したという事実さえも、完全に”なかったこと”にすることです」

 

 メリノヒツジの質問に対して力のこもった口調で答える。

 それこそが今回もっとも重要なファクターだったからだ。

 イヴ・ヴェスパーの臓器は、全てが裏マーケットに売り捌かれるわけではない。

 脳を初めとする中枢神経系、そして喉頭・・・・・・あとは右手の人差し指。

 その3点だけは、ウィーゼルズで回収保存することに決まっている。

 

 第一の目的は、イヴは生きていると対外的に偽装するためだ。

 まず喉頭を切り取ったのは、イヴの肉声を再現するために必要だからだ。

 きょうび、彼女の声に似せた電子音声を偽造することも可能だが、そんなものは立ちどころに見破られるに決まっている。

 

 喉頭の中には声帯がある。人体の中でも最も精緻な動作をする器官と呼んでも過言ではない。

 発声とは、声帯から発せられた振動音を、気道や鼻腔、口腔内で共鳴させ、言語音として空気中に発することだ。

 最新の3Dプリンターを使えば気道や鼻腔を再現することは可能だ。

 だが声帯だけは動きが複雑すぎて、作り物に代替させるわけにはいかない。

 

 右手の人差し指はもっと簡単な理由だ。指紋を採取するためだ。

 声帯と指紋・・・・・・偽造が困難なふたつの要素さえ抑えれば、後はそっくりな人形を用意して、対外的にイヴ・ヴェスパーが生きていると偽装することが出来る。

 彼女の狂信的な部下とやらが暴走することも防げる。

 

「・・・・・・じゃあ脳は? 何のためにイヴ・ヴェスパーの脳を保存する?」

「あの女の記憶に用があります。私がやらんとしていることは、古代中国における焚書坑儒であり、古代ローマにおける記録抹殺刑なんですよ。博識なあなたならばわかるでしょう?」

 

 実際のところ、イヴ・ヴェスパーどころか、グレン・ヴェスパーですらまだこの世に存在しつづけていると言うしかない。

 数多くの研究と、フレンズを兵器として好きに扱っていいという思想。

 それがこの世に存在している限り、あの親娘は概念として生き続ける。

 私はそれを絶対に許さない。

 

 生き物には「生物学的遺伝子」と「文化的遺伝子」がある。

 ヴェスパー親娘においては、その両者ともに根絶やしにしなければならない。

 彼らの後を継ごうなどと考える人間が二度と現れないようにするためだ。 

 来たるべきフレンズの楽園を創造するための第一歩として必要なことだ。

 そのためにウィーゼルズを作った。

 

 まずは生物学的遺伝子を消し去る。

 ヴェスパーの血筋を絶やす。遠い遠い顔も合わせたこともないような親戚もウィーゼルズに暗殺させる。

 幼子であろうが赤子であろうが等しくその対象となる。

 子供に手をかけるなどとはこの世で最も許しがたい所業だ。それに、あの親娘の罪を他の親族に償わせるなんて、前時代的で愚かな発想という他はない。

 ・・・・・・全部わかっている。だがやらなきゃいけない。血のつながりほど強く明確な因果はないからだ。

 

 次に文化的遺伝子を消去する。

 イヴ・ヴェスパーの脳組織に刺激を与え、彼女の記憶を掘り起こす。

 それによってヴェスパー親娘と繋がりのあった人物を洗い出し、ウィーゼルズを向かわせる。 

 元Cフォースの研究所はすべて解体し、そこに蓄積された研究データや、ネット上に流出した膨大な情報も削除する。

 アーサーに並ぶコンピューター技術者である、元Cフォースの情報次官のファインマン氏の協力があれば可能だ。

 

 今までにヴェスパー親娘の手で引き起こされた一切合切を、未来永劫なかったことにする。

 フレンズに天然だの人造だのという概念はない。人間の都合で兵器として利用されていたなどという過去もない。むごたらしい戦争の記憶もない。

 汚辱を全て取り去ったのちに、清浄なるフレンズの楽園が創造される。

 

「・・・・・・権力に物を言わせて、そんな粛清まがいのことを始めようというのか。アンタを信じている周りのヒトやフレンズたちを、その澄ました善人面で騙しながら・・・・・・」

「そうです。全ては理想を実現するためです」

「ヴェスパーに成り代わって、今度はカコ・クリュウがこの世界を支配する。フレンズはヒトの独裁者に振り回されるしかないというのか・・・・・・」

 

 全てを聞き終えたメリノヒツジは、より一層深いため息をつき、立ち上がることさえ出来ないでいた。

 私の荒唐無稽な言葉に怒ることも狼狽えることもなく、ただひたすらに、全てが空しいと言わんばかりに落胆を深めている。

 

「こんなのが結末か? いったい僕らは何のために戦ったんだ? どうしてクズリさんたちは死ななきゃならなかったんだ・・・・・・?」

 

 メリノヒツジの人間に対する不信は想像以上に根深かった。

 ・・・・・・いや、人間という種族それ自体ではなく、どうやら権力を持つ者を憎んでいるようだ。

 この子の中では私もヴェスパーも同じ、自分の都合で際限なく破壊と悪意を撒き散らかす、セルリアンよりも質の悪い破壊者なのだろう。

 

「カコ・クリュウ、僕の前から消え失せろ。二度と顔を見せるな」

「気に食わないなら、あなたの手で私を止めてみせればいいでしょう」

「・・・・・・何だと?」

 

 私をこの場で殺すことはメリノヒツジには容易いはずだ。

 2人きりの狭い洞穴の中で彼女を止める者は何もない。槍でも取り出して私を貫けばいい。

 もちろん周囲にはウィーゼルズのスナイパーたちを護衛に配置させているし、彼らには私の状況もモニターさせている。

 が、彼らには「メリノヒツジとの間に何が起こっても関与しなくていい」と、最初から言い聞かせている。

 

 ・・・・・・あるいは殺さなくても、今しがた私から聞いたことをジャパリ・ユニオンのスタッフかフレンズに口外してみればいい。

 それだけで私の社会的信用は失墜し、再起不能になるだろう。

 私はすべてを覚悟したうえで、メリノヒツジとの対話に臨んでいるのだ。

 

「だったら望み通りにしてやる!」

 

________ドシャッ!

 売り言葉に買い言葉と言わんばかりにメリノヒツジの殺気が弾ける。

 目に留まらぬ速さで私の胸倉を掴み、体をかるがる持ち上げると、勢いよくその場に押し倒してきた。

 されるがまま地面に転がる私の上に、激情に駆られた真っ赤な体が馬乗りになる。

________ヌッ・・・・・・

 さらに彼女は片腕を振りかぶり、手のひらを金色に光らせた。

 形を成した細長い二股の槍が、身動きが取れない私の顔に向かってゆっくりと伸びてきた。やがて鋭い切っ先が、触れるか触れないかというぐらいの至近距離で突きつけられる。

 これで完全に生殺与奪を握られた。私がメリノヒツジから逃れることは不可能になった。

 

「言っておきますが、私を殺しても、私の意志を消すことはできませんよ? 必ずや後に続く者が現れるでしょうからね」

「だまれ! そんなザマで今度はどんな世迷言をほざく気だ!」

「死者が遺した意志は強烈な影響力を持つ、ということです・・・・・・だからこそ、ヴェスパーの意志を途絶させるために、粛清の断行が必要不可欠なんですよ」

 

 抵抗もせずに淡々と喋り続ける私を前に、彼女の表情からは明らかな動揺がにじみ始める。

 

「メリノヒツジ、誰かから意志を受け継ぐことについて、あなたにも思い当たる節があるのではないでしょうか?」

 

 私の意志は決して私一人のものじゃない。

 父から受け継いだ物だ。そしてサーバルやアムールトラというフレンズたちとの出会いの中で育まれ成長していったものだ。

 ・・・・・・そう、意志とはすべての時間を繋ぐものなのだ。

 過去から託された意志が現在を作り、未来へと受け継がれていく。

 生きとし生ける者すべてが他者との関わりの中で意志を紡いでいく。

 だからこそ誰かと出会うことは尊いのだ。

 

 それはメリノヒツジだって同じことのはず。

 クズリら仲間たちとの出会いがかけがえのない物であったからこそ、彼女はその喪失の重さに打ちひしがれている。

 仲間たちが死んでいく死の間際に立ち合い、生きざまと死にざまを見届け、意志を託された。

 それは彼女にとって何物にも代えがたい財産だ。

 

「いいかげんに目を覚ましなさい」

 

 私は滅多なことでは他人を叱責したりはしない。

 だが今の彼女には強い言葉が必要と思い、彼女にあらんかぎりの言葉のビンタを投げかけた。

 

「死んでいった大切な仲間たちの意志を背負ったまま、ここで朽ち果てていくおつもりですか? あなたが死んだら、彼女たちもこの世から完全に消えてしまうことになります。それでもいいのですか?」

「だまれぇぇぇっっ!!」

 

________ザキュッッ!

 怒声とともに槍が振り下ろされる。

 切っ先が地面に深々と突き刺さる・・・・・・私の頬すれすれに、髪の毛を何本か巻き込みながら。

 すんでの所でメリノヒツジは狙いを逸らしたのだった。

 そして次の瞬間には二股の槍が、彼女の殺意が萎えたことに呼応するように、粒子状に分解されて消えてしまった。

 

「僕にはクズリさんみたいな強さはない。スパイダーさんのような優れた精神もない・・・・・・彼女たちの代わりにはなれない。

 なんでこんな無能な僕だけが生き残ったんだ! 生きるべきだったのは! 彼女たちだったはずなのに!」

 

 私に馬乗りになりながらボロボロと泣き崩れるメリノヒツジ・・・・・・はじめてありのままの本心を打ち明けてくれていると思った。そのことに愛おしさすら感じる。

「それでもあなたは生きるべきです」と、私は彼女の両腕を握りしめながら語り掛けた。 

  

「生き残った意味を探してください。あなたにしか出来ない事があるはずです。どれだけかかってもかまいません・・・・・・時間と場所は、この私が用意します」

「僕なんかに何が出来る!」

「絶望しないでください。フリードリヒ・ニーチェも言っていたじゃないですか」

 

 意外な人物の名前を聞いてメリノヒツジがピクリと黙る。

 洞穴に埋もれる書物の中で、彼女がここ最近で唯一手を取ったと思しきニーチェの著作から、私はある一説をそらんじた。

 

「世界には、きみ以外には誰も歩むことのできない唯一の道がある。その道はどこに行き着くのか、と問うてはならない。ひたすら進め」

 

 その言葉を聞いた途端、メリノヒツジが額に皺をよせながら強く目を閉じた。心の中で言葉を反芻しているのだろうか。

________スッ

 やがておもむろに立ち上がると、積まれた本の傍によろよろと近づいて行って、その一説が書かれた本を手に取ったのだった。

 その瞳からは今も大粒の涙が溢れている。

 頬をつたう雫が、彼女が手にしているクズリの腕輪と、ニーチェの本の表紙の上へ零れた。

 

「いいさ・・・・・・僕は僕の”真実の山”を登る」

 

 メリノヒツジがぽつりとだが、確かにそうつぶやいた。

 これならきっと大丈夫だ。彼女はやがて立ち直るだろう。リスクを冒してまで説得した甲斐があった。

 成果を実感した私は、積まれた本の前で静かに立ち尽くす彼女に向かって、今日一番の目的である頼みを言うことにした。

 

「メリノヒツジ、私の仲間になってくれませんか?」

「・・・・・・ウィーゼルズの粛清ごっこに参加しろとでも?」

「そういうことではありません。返事も今すぐは必要ありません」

 

 ウィーゼルズの活動はあくまで人間だけで行う。

 人間の不始末は人間がつけなければならない。フレンズを付き合わせるのは筋が違っている。

 それに、ウィーゼルズの活動はそう長く続く物ではない。イヴ・ヴェスパーの記憶という手がかりがあるならば、おそらく数年以内に粛清は終わるだろう。

 

 ・・・・・・私が言っているのはもっとずっと先の話だ。

 メリノヒツジには、楽園を創造するという果てしない計画を共に遂げる同志になってほしい。 

 だがもちろん強制するつもりはない。彼女が納得してくれるなら、という話だ。

 当分の間、心の傷を癒しながら、私という存在が信頼に足るかどうかを見定めてほしい。

 信頼できないのであれば、今日話した秘密を暴露して、私のことをつぶせばいい。

 

「カコ・クリュウ・・・・・・アンタは権力を握りながらもそれを誇示せず、あえて自分の弱点を晒すような真似さえするのか」

 

 メリノヒツジが私の方へ向き直って、真意を問うようにジッと私の目を見つめている。

「・・・・・・僕はアンタを見張るぞ」

 しばらくそうしたのち、鋭い目つきのまま、険のある言い方で返答してくれた。今はそれだけで十分だった。

 どうやらここから失礼する時が来たようだ。

 その前に「最後に一つだけ」と断りを入れてから彼女にある進言をすることにした。

 

「死んでしまった者たちだけでなく、生きている者たちの意志にも目を向けてください。誰のことを言っているか、わかりますね?」

「・・・・・・」

 

 メリノヒツジがその言葉に応えることはなかった。再び私から視線を外し、物思いに耽るような顔で手にした本と腕輪を見つめている。

 私は返事を待つことなく踵を返し、洞穴を後にした。

 

 

 それから数日が経った。

 私はジャパリ・ユニオンの代表として、あいも変わらず世界中を飛び回り分刻みのスケジュールをこなしていた。

 今日の午前中はフィリピンのマニラで講演を行った。

 アフリカ大陸においてはセルリアン災害に対する活動拠点はマダガスカルであるが、アジア圏においてはフィリピンがその役目を担っている。

 アフリカがホームであるジャパリ・ユニオンはアジアでの政治的地盤が弱いために、今後も積極的に活動を展開していかなければならない。

 

 その次はウクライナのキーウに向かう。

 ジャパリ・ユニオンにとりわけ協力的なこの国では、世界初のSS兵器専門の巨大軍需工場がかねてより建設されており、本日をもって工事が完了する。

 その竣工式に参列しに行くのだ。

 

 窓の向こうに広がる青空を眺めながら一息つく。

 プライベートジェットを用いた目的地までの移動時間が、私にとっての僅かな休息となる。

 十分な広さのある縦長の機内机の上には、小物が入った鞄、仕事用のノートパソコン、コーヒーカップと軽食が整然と並んでいる。

 

________ブンッ

 鞄の中のスマートフォンがおもむろに震えたので、取り出して覗き込む。

 この筐体は私の個人使用物であり、職務に関する連絡は入ってこない。連絡を入れられるのは私のプライベートの知人という事になる。

 

 通知の主はヒグラシ博士だった。

 私はあの会合を行った日以来、フレンズ保護区に戻る暇もなく、それからのことは博士たちに任せきりになっていた。

 スワイプして文面を読み進めていくと、そこには喜ばしい内容が書かれていた。

 

 メリノヒツジがみずから皆の前に姿を見せたというのだ。

 食事にも手を付けるようになり、体調がみるみる回復していると。

 ・・・・・・彼女は私の裏の顔も知っているわけだが、どうやら口外はしていないようだ。あの子は賢い。少なくとも今は、私を止めるべきではないと思ってくれているのだろう。

 後は賭けだ。彼女が秘密を暴露するか、心強い同志となってくれるか・・・・・・

 

 その後メリノヒツジは「迷惑をかけた」と方々に頭を下げて回ったようだ。

 特にヒグラシ博士とパンサーに関しては、深い謝罪と感謝の言葉を述べたという。

 私の「誰のことを言っているか」という問いかけにキチンと気付いていたようで安心した。

 メリノヒツジは理解したのだ。

 どんな時でも、たとえ自身が死にそうな時でさえ、彼女を思いやり慈しんでくれるヒグラシ博士のぬくもりを。

 復讐心を捨てて、彼女に手を差し伸べたパンサーの気持ちの気高さを。

 

 文末には一枚の写真が添付されていた。

 フレンズ保護区にある中央広場のとある一角にて、眠るアムールトラを背にしながら、ヒグラシ博士やアマーラ、フレンズたちが集合写真を取っていたのだ。

 アムールトラが眠る高さ5メートルに及ぶ砂時計型の台座の足元には、何本もの色鮮やかな花が植えられている。

 あたりは芝生だというのに、そこだけ盛り返された土が露出しており、植えられて間もないことは明らかだ。

 

 真ん中に映るのはヒグラシ博士とアマーラだ。手をつなぎながら、親子で仲睦まじい様子で立っている。

 その隣では、しゃがんだパンサーが、車椅子に座るメガバットと顔を並べて微笑んでいる。

 ほかのフレンズたちも、思い思いのポーズを取りながら弾けるように笑っている。

 ・・・・・・メリノヒツジはと言うと、はにかむような遠慮がちな顔で隅にポツンと立っているだけだったが、皆と共にいるだけでも素晴らしい進歩だ。

 

________チカッ

 私が写真を眺めながら幸せな気持ちに浸っていると、今度はブラックアウトしていたノートパソコンに光がともった。

 こっちは十分なセキュリティが施された仕事用だ。

 スマートフォンを鞄にしまい込み、ノートパソコンの画面に瞳を近づける。

 虹彩認証がパスされるのを待つと、メールボックスに一通の通知が入っていることに気付いた。

 

 ウィーゼルズの人間からの連絡だ。クラウドを経由して動画が送られてきている。

 薄暗い画面の中には、複雑な配線が張り巡らされた植物のような形の機械が映っていた。

________キュイインッ・・・・・・

 機械の節々に電気が灯り、まるで息吹を吹き込まれたように駆動音を立て始める。

 光によって詳細に形が露わになった機械の中央には、金魚鉢のような分厚いガラスの球体が収まっている。

 薬液に付けられた人間の脳が球体の中にはあった。

 

 ウィーゼルズの優秀なスタッフが、イヴ・ヴェスパーの脳組織を材料に生体デバイスを作り上げ、予定通り完成させたのだ。

 彼女は今もあそこで生きている。

 私たちが必要とする情報を半永久的に提供してくれるデータベースとして。

 

(・・・・・・さあ、始めましょう。創造と、粛清を)

 

 to be continued・・・

 




_______________Cast________________

哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・ヤギ亜科・ヒツジ属
「メリノヒツジ」

_______________Human cast ________________

「久留生 果子(くりゅうかこ)」
年齢:27歳 性別:女 職業:国際的非政府組織「JAPARI UNION」代表・最高取締役
「イヴ・B・ヴェスパー(Eve Brea Vesper)」
享年26歳(脳は生きたまま保存されている) 性別:女 職業:元Cフォース要人

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴
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