すべてを失った獣がいた。すべてに執着した獣がいた。
数奇な運命を歩んだ二匹の最後の対峙がはじまる。
(はっ)
閉じられていた深い暗闇がとつじょとして途切れた。まばゆい光が楕円形の隙間の中から漏れ、やがて視界を埋めつくしていく。
(ううっ・・・・・・ここは・・・・・・)
ああ、何のことはない。この隙間は私の目蓋じゃないか。
形のない意識だけの存在だった私に、どうやら生の肉体と感覚とが取り戻されているようだ。
今までどのくらい眠っていたんだろう?
短い間だったのかもしれないし、長いこと眠り続けていたのかもしれない。
一つだけ言えるのは、もう目覚めることがないと思えるほどに深い眠りだったということだ。
「食え・・・・・・食え・・・・・・僕を食え」
静かにささやきかける声が耳元で聴こえる。幻聴の類じゃなく現実のものだ。
声の主がすぐ傍にいるはずなのに、私には正体がよくわからない。視界がひどくぼやけているんだ。光がひどく眩しくて、目の前の全てにモヤがかかっている。
辛うじて分かるのは色見とおおよそのシルエットぐらいだ。
「かぶりつけ・・・・・・空腹を満たすんだ」
「ッッ!?」
全身が真っ赤な色をした謎のシルエットが私を覗き込んでいる。どうやら声の主のようだ。
いまの私の目には、恐ろし気な赤いモザイクの集合体にしか見えない。
ただわかるのは、鋭く長い二本の角を生やしていることと、満面の笑みを浮かべていること。
どこに目があるのかすら分からないっていうのに”それ”が歓喜している感情だけは、何故だか鮮明に伝わってくる。
「さあ、お前の中に僕を入れろ!」
________ガッ
赤いシルエットが私の体を強い力で引き寄せてくる。
どうやらそいつは私が目を覚ます前からこちらのことをがっちりと羽交い締めにしているみたいだった。
いまや顔と顔が触れ合いそうなぐらい近くで見つめ合っている。
「ぐ、ぐぱあっ!」
まるで抗いがたい命令を受けているかのように、私は大口を開けてそいつを迎えようとした。
まともに見えない目の代わりに、別の感覚がにわかに研ぎ澄まされている。
・・・・・・それは嗅覚だ。甘く芳醇な、食欲を刺激してやまない香りが奴の体から伝わってくる。
顔を近づけているだけで正気を失ってしまうほどの誘惑に晒される。
どす黒い怪物の衝動が頭をもたげ、私を内側から突き動かそうとしている。
かぶりつきたい。血を飲み干したい。肉片を舌の上で転がして味わいたい・・・・・・
________だめええええっ
今にも赤い肉に歯を立てんとする時、金切り声が稲妻のように私を打った。
それを聞いた瞬間ハッと我に返る。
一体誰の声だ? 目の前の赤いコイツじゃないことは確かだ。
周囲を見回しても声の主を見つけられない。光と影がメチャクチャに歪んだ幻覚じみた景色しか見えない。
理解はまだまだ追い付かないが、ともかくこのまま食欲に流されてはいけないと自分に言い聞かせることにした。
「何を遠慮してるんだァ?」
「アアッ・・・・・・ウアアッ!」
剥き出しにした牙を閉じる。そしてその場から離れようと足掻いてみる。
正気を保つためには、ともかくこの頭をおかしくする肉の匂いを遠ざけなくてならない。
・・・・・・が、それを奴は許さない。万力のような力でこちらを押さえつけてきている。
食えよ食えよ、とさらに狂ったように繰り返して、何としても私に自分のことを食べさせようとしてきている。
目の前の相手の異常性に、私は本能で危険を感じ取った。
「は、な、せ・・・・・・!」
________ドキャッ!!
手も足も出せない状況だったから、代わりに私は頭を使うことにした。
上半身をしならせて腰のバネを使い、目前に迫ってくる赤い影にめがけて頭突きを食らわせた。
鈍い打撃音が響くと、さしものそいつも私から手を離した。自由になった体が地面に落ちる。
奴の頭は岩にでも打ち付けたんじゃないかと思うぐらいの感触だったけれども、ようやく拘束から逃れたんだと知る。
「・・・・・・痛ゥ」
渾身の頭突きを食らわせたつもりだったが、そいつは呻きながら少しのけぞっただけで、昏倒させるには至らなかった。
________プシュ・・・・・・
そいつの頭部から鮮血が吹き出し、同じ色の体と混じり合った。しかし微塵も痛がる素振りも見せず、恐ろし気な幻覚じみた表情をなおさら嬉しそうに歪ませた。
「クククッ、そんな攻撃よりも牙で噛んでくれよ」
「う、や、やめろ・・・・・・来るなッ!」
その怪物じみた様相に恐怖を覚えた私は、脱兎のごとく背を向けて奴から逃れようとした。
・・・・・・だが思うようにはいかない。さっきから体がおかしいんだ。
未だに視力が戻らないから足元もおぼつかないし、奴から発せられる強烈な匂いが私の正気を奪い去ろうとしてくる。離れたくても体が言うことを聞いてくれない。
鼻の穴を手でふさぎながらフラフラと後ずさるだけで精一杯だ。
「どこへ行くんだ? 僕はここだよ」
(・・・・・・食べたい、食べたい、食わせろ食わせろ食わせろ)
私を嘲笑いながらゆっくりと近寄ってくる奴の気配が濃くなる度、おぞましい食欲がふたたび内側から沸き立ってきて脳を割りそうになる。
「う、う、うるさああいッ!」
________ガンッ! ガンッ! ガシャッ!
私を支配しようとするもう一人の私の声を黙らせるために、手近にあった岩らしき塊に頭を何度も打ち付けた。自らを痛めつけることで正気が戻ることを期待した。
・・・・・・が、そんなことをしたところで無駄だった。岩はあっという間に粉々に砕け散って私の頭突きを受け止められなくなった。
こんな物よりも奴の額の方がよっぽど固いとすら思った。
(ああ・・・・・・消える・・・・・・私が消える)
本格的な絶望が脳裏によぎる。恐ろしいもう一人の私がついに表に姿を現す・・・・・・
「アムールトラさんっ!」
「わあああっ!!」
________ボギュッ!
後ろから何者かが私の背中に触れた。
刹那、私は振り向きざまに拳を薙ぎ払った・・・・・・しかし、あえなく空を切る。
てっきり例の赤い奴が近づいてきたかと思ったが、そこにいたのは奴よりもずいぶんと背の低い姿だった。
「・・・・・・アムールトラさん、わたしだよ」
水色のサファリ帽が、私の拳が巻き起こした風圧によって宙高く巻き上げられた。
帽子の持ち主が私を気遣うように見上げている。攻撃に気圧されることなく、無防備に身を晒すように私の傍に立っている。
「お、おまえは」
奇妙な色合いの瞳だ。右目は赤く、左目は鮮やかな緑色をしている。
・・・・・・二つの瞳を食い入るように見つめていると、それを中心にして鮮明な世界が描き出されていった。
幻覚しか映らなかった私の目に、ふたたび正確な輪郭と色合いが取り戻された。
「・・・・・・ともえ」
「うん!」
混濁した意識が晴れていくと同時に、今までのことを思い返す。
私はともえ達とジャパリホテルから脱出しようとしていたんだ。
水中で巨大なセルリアンと戦っている最中に私は気を失って、目が覚めたらこんなワケのわからないことになっていて・・・・・・
辺りを見回してみると、ここがジャパリホテルではないことは一目瞭然だった。
他でもない。私がさいきん住処にしていた岩まみれの草原じゃないか・・・・・・私が世話していた一輪の白い花のことを思い出さずにはいられない。
あれは何だ? 辺りの空を埋めつくす真っ黒い蠢きは?
・・・・・・私の目がまだ幻に囚われているわけじゃないのであれば、あれはセルリアンの群れじゃないのか? それも数えきれない程に沢山いる。
「ふはははっ、アニムスよ。まさか僕の提案に乗るつもりか? 僕の代わりにアムールトラに身を捧げる気か?」
「ちがうよメリノヒツジさん・・・・・・わたしは食べられないよ。アムールトラさんと一緒に生きるんだから!」
振り向いたともえが、例の赤い奴の問いかけに答える。
ともえは私が起きるよりも前から奴と対峙しているようだ。
メリノヒツジと呼ばれたそのフレンズは、幻覚の中で見るよりも幾分かはマシな風貌をしていたが、それでも紅に染め上げられた全身は見る者を圧倒する威圧感を放っている。
「お、おーい! アムールトラ! 大丈夫かよー!?」
聞き覚えのある活発で良く通る声が聴こえる。
振り向くと向こうの方にロードランナーの姿が見える。イエイヌもいる。私を捕まえてきた3人の博士たちもいる。
・・・・・・だが様子がおかしい。みんな苦しそうにうずくまって、その場から一歩も動くことが出来ないでいるみたいだった。
「そのメリノヒツジが一番悪い奴なんだ! ジャパリホテルがセルリアンに襲われたのも全部そいつの仕業なんだ!」
青ざめた顔で現状を必死に伝えようとしてくれるロードランナー。
だが次第に口ごもってくる。そこから先を口にするのにとても抵抗があるような様子だ。
「そのヤローは、アンタのことを・・・・・・び、ビーストに、戻そうとしてるんだ! じ、自分の体を、アンタに食わせることで・・・・・・」
なるほど。大体のことがわかった。
少し落ち着いたけれど、もう一人の私は今も変わらずに内側でくすぶっている。
また私のことを浸食し始めているんだ。この鉤爪がその証拠だ。
爪の先からは、黒いビーストの炎が自分の意思とは無関係に吹き出ている。
戦いの中で自分を取り戻し、いったんは普通のフレンズの手に戻れたっていうのに、また元通りになってしまっている。
食欲に流されたその瞬間に、私は完全にビーストに飲み込まれてしまうことになるだろう。
「メリノヒツジとか言ったな。お前は何者だ? なぜこんなことをする?」
「ほう、言葉を取り戻しているのか。だが随分とつれないことを言う・・・・・・お前と僕とは、手を取り合って死線をくぐり抜けた仲じゃないか」
________ジャランッ
問い詰める私を嘲笑うと、メリノヒツジは両腕を目の前に掲げ、手首に嵌めた腕輪を見せつけて来た。
その色見も、質感も、引き千切れた短い鎖が付いている様も、何もかも私の腕に付いている物と同一だ。
「まあ、仮にお前に記憶が残っていたとしても、この変わり果てた姿では分からないだろうが」
「わ、わふっ!! アムールトラさんっ! ともえさんを連れて逃げてください! 早くここから離れて!」
イエイヌが割って入り、これ以上メリノヒツジに関わるなと言わんばかりに逃亡を促してくる。
ロードランナーや3人の博士たちも同意見と言った感じで頷く。
「逃がすと思うのか」
が、メリノヒツジは、彼女達の声を一蹴するように、威圧感を滲ませた低い声で呟いた。
________ブブブブブ・・・・・・
メリノヒツジが腕輪の付いた両腕を天高く掲げると、その動きに呼応するように、上空のセルリアンの群れが激しく飛び回り始めた。
奴が号令を下せば、セルリアン達は今すぐにでも私達に襲い掛かってくるだろう。
「ま、まさか・・・・・・」と、ともえが何かを察したように息を呑んだ。
「このセルリアン達の役目は、アムールトラさんを逃がさないことなの? 最初からそのことのためだけに・・・・・・」
「言うまでもないことだろう。お前らごときを近づけさせないだけなら、セルリアンはこの10分の1以下の数でも事足りる」
どうやらメリノヒツジは私のことを完全に追い詰めているようだ。
逃げるために大量のセルリアンと命がけで戦うか、奴を食らってビーストと化すか。奴が私に提示した選択肢はそのふたつだけだ。
どちらを選んだとしても私はタダじゃすまない。そして、ともえや仲間達のことも助けることが出来なくなる。
・・・・・・だったら私は、どちらも選ばない。もうひとつの選択肢を取るだけだ。
「ともえ、下がるんだ。みんながいる所まで戻れ」
「アムールトラさん、まさか・・・・・・?」
ともえはすぐに私の意図を察したみたいだった。
逃げたりなんかしない。しかしメリノヒツジを食べてビーストに戻るつもりもない。
私は私のまま奴と戦って勝利し、皆を守り抜いてみせる。
「や、やめてよ! どうしていつも自分ひとりで無茶するの!?」
ともえから轟々の非難が上がる。
無理のない話だと思った。ジャパリホテルでも私は、ともえ達を守るために一人で無茶をした。
その結果、ついさっきまで生死の境を彷徨うハメになってしまっていた。ともえ達には随分と心配をかけたことだろう。
にも関わらず、私はこうしてまた同じ轍を踏もうとしている。
「そんなボロボロの体で戦うなんて! それに、その・・・・・・」
ともえは私の両手に生えたビーストの鉤爪を見ていた。
彼女が心配していることは二つあるだろう。一つは、傷ついた体で戦う私が命を落とすこと。そしてもう一つは、戦いの最中に正気を失ってビーストに戻ってしまうことだ。
こうしている間にも、メリノヒツジから発せられる肉の匂いが鼻を突き、猛烈な飢餓感と食肉衝動を煽って来る。
・・・・・・だが、こんな匂いが何だって言うのだ。私の鼻が感じ取っている単なる刺激でしかない。それは本質じゃない。
こんなものに気を取られる必要はないんだ。
(・・・・・・吸い込む空気は冷たい。吐き出す空気は温かい・・・・・・)
私は自分の呼吸を意識した。体を流れる空気の流れをすみずみまで観察し、それによって波一つ立たない水面のような冷静さを取り戻していった。
今の私はビーストじゃない。本来の自分自身の戦い方をすでに取り戻している。
「野生解放!」
________シュウウウ・・・・・・
覚悟を持ってその文言を口にすると、私の全身から金色の光が立ち昇り始めた。
指先にまで光が浸透すると、ビーストの鉤爪がひび割れてこぼれ落ち、手のひらが普通の大きさに戻っていった。
さらに無意識のうちに体が動いた。両手を脱力させ、いっけん無造作に立っているだけのリラックスした構えへと・・・・・・
こうしていると実に座りがいい。記憶を無くしていても、やっぱりこの立ち方が私のファイティングポーズなんだと確信できる。
「わふっ、アムールトラさんが!?」
「っしゃあ! これなら負けねーぜ!」
ともえは驚いて手で口元を覆い、後ろにいる仲間達は歓喜の声を漏らした。
私はもう一度うなずいてからともえに「心配するな」言って聞かせた。さしもの彼女も今度は納得してくれたような顔をしている。
「・・・・・・信じてるからね」
「大丈夫だ。お前にもらったお守りがあるから」
私はそう言いながら胸元にあるブローチに触れた。優しさと勇気が湧いてくる気がする。
頷いたともえがおずおずと後ろに下がって行くのを見届けてから、メリノヒツジへと視線を向け対峙した。
奴はこちらを小ばかにしたように口元を歪めている。
「ふふふっ、サクヅキ流か・・・・・・じつに気品と威厳を感じさせる立ち姿だ。まさにお前の真髄というわけだ」
メリノヒツジは私に感心したように溜息を漏らすと、訳知り顔で講釈を垂れてきた。
出来事に関する思い出と、体で覚えた技術とでは、記憶としての種類が違うんだと。
前者を失ったとしても、後者は簡単には失われない。
だから私は自分の戦い方を思いだすことが出来たんだ。
サクヅキ流・・・・・・その言葉を聞くと、チクリと頭が痛む気がする。
私に戦い方を教えてくれた存在がいたんだろうけども、顔も名前もすべて忘れてしまっている。
かつて私は何者だったんだろう。頭の中に残っているのは、ともえ達に出会うまでジャパリパークで孤独に過ごしていた記憶だけだ。
「だがなアムールトラ。いかに体に刻み込まれた真髄であろうとも、それは持って生まれた本能をも上回る物なのか?」
「・・・・・・何が言いたい?」
「僕はこの目で見たんだよ。かつて全盛期の力と技術を持っていたお前が、本能に飲まれて暴走する様をな・・・・・・技術では本能に勝つことはできない。それはすでに証明されたことなのだよ」
私の全てを知っていると言わんばかりのメリノヒツジが不敵に微笑む。
その瞳には燃えたぎる金色の光が宿っている。私に合わせるように、いつの間にか奴も野生開放状態になっていたんだ。
奴の実力はいかほどのものか? 今もなお余裕の表情が崩れない理由はなんなのか?
「・・・・・・断言しよう。あの日の出来事が、これから再現されることになる」
________スッ
注視していると、メリノヒツジは懐から小さな金属の筒を取り出して掲げた。
「し、進化促進薬! それで何をするつもりですか!?」
割れるような大声を上げたのは、ともえ達と一緒にいる白い小柄なフレンズだ。
フクロウの二人組と一緒に私のことを捕まえようとしてきた、確かハツカネズミといったか。
メリノヒツジと同じぐらい訳を知った風な顔をしているのが、仲間達の中でもことさら異彩を放っている。
「園長っ! ビーストではないあなたがそれを打ったら、どうなるかわかっているんですか!」
「・・・・・・ここまでの展開は読めていた。ここからがお楽しみだ」
________ドスッ
進化促進薬と呼ばれた注射を、メリノヒツジは自分の首筋に向かって突き立てた。
じっくりと時間をかけながら中身が注入されていっている。ハツカネズミの口ぶりから、ろくでもない物体であることだけはわかる。
「ふふ、ふふふふっ・・・・・・」
________グジュッ、ウジュウッッ
中身を出し切ったのち、用済みと言わんばかりに注射が放り捨てられる。
その直後、メリノヒツジは狂気的な笑みを浮かべたまま苦しそうにうずくまった。
「な、何をする気だ?」
震える奴の背中から、奴の体よりもさらに真っ赤な血のような霧が噴き出しはじめた。
途轍もない量の血煙が、周囲の空間ごとすっかりメリノヒツジを包み込んだかと思うと、それらはすぐさま凝固を始め、新たな形を成して奴の全身に纏わり付いていった。
________ドシンッ
「待たせたな。アムールトラ」
もはや原型を留めていない姿となったメリノヒツジが、地響きを起こしながら立ち上がった。
その背丈はゆうに私の倍以上にまで巨大化している。
全身にまとった深紅の鎧は、血管さながらに脈動を繰り返しながらも、金属を思わせる光沢と鋭さを感じさせた。
顔は既にわからない。奴の頭部全体が、牙を剥き出しにした猛獣を思わせる形をした兜に覆われてしまっている。
ヒツジの象徴とも言うべき二本角は、湾曲した剣と言うほかない長さと鋭さを獲得していた。
セルリアンとはまったく違う、見たこともない怪物の姿がそこにはあった。
「こ、こ、こんなの! もうフレンズじゃねーだろ!」
「・・・・・・いいや。僕はフレンズだ。そして元はただのヒツジだった」
背後では怯え切ったロードランナーが率直な感想を漏らした。
それに答えるメリノヒツジの声色は地鳴りのように低く、見た目と同様にそれまでと別物になっていた。
「ぐははははっ! さあ行くぞッッ!」
________ドドドドドドドドッ
歓喜の声を発しながらメリノヒツジがさっそく仕掛けてきた。
思い切り身をかがめ、自慢の二本角を見せつけるように突っ込んでくる。
まるで動物のヒツジがそうするかのような、原始的という他はない体当たり攻撃だ。
かなりの威力を予感させる。巨体に見合わぬ俊足と、地面に深々とめり込むほどの強烈な踏み込みがその証拠だ。
躱すのは簡単だろう。だが問題は攻撃の向きだった。
私がここで躱してしまったら、奴は背後にいるともえ達の方に突っ込んでいくだろう。
そこまで織り込み済みで攻撃してきたというワケか・・・・・・!
「食らえっ!」
「くッッ!」
肉薄する瞬間、私は肉体のギアを最高潮に高め、意を決して両手を突き出した。
________ドシィィッッ!
タイミングは完璧だ。二本の角を掴み体当たりを受け止めることが出来た。
・・・・・・が、予想していた通りもの凄い馬力だ。突き抜けるような衝撃を脊髄に感じる。
激しくひび割れている周囲の地面が、今この場で巻き起こっている取っ組み合いの力の凄まじさを物語っている。
「・・・・・・かつて、とある強い角獣が言っていた。こうして4つに組み合えば、相手の力量が全てわかるとな!」
「な、何の話だァ!」
まともに拮抗していられたのは最初の数秒だけだった。
単純な膂力では私よりメリノヒツジの方がはるかに勝っている。伸びきっていた私の膝は折れ曲がり、今や奴に押し潰されてしまいそうな格好になってしまっている。
コイツの土俵で戦ってはダメだ。体当たりを受け止められたなら、もうこれ以上力比べに付き合う必要はない。
「逃がすものかっ!」
角をいなし脇によけた私に追いすがるようにして、向きを変えたメリノヒツジが拳を振り下ろしてくる。
かなりの素早さだったが、やはり巨大になった分動きは大振りにならざるを得ないようだ。
攻撃の軌道を見切った私は、奴の懐に潜りこみつつカウンターの一撃を放った。
________ガキンッ!
「何かしたかな?」
顔が見えなくても、ニヤついているのが分かる声色でメリノヒツジは答えた。
私の拳は確かに奴の顔面を捉えていた。脳震盪を起こさせるために、顎らしき部分にクリーンヒットを当てていた。
・・・・・・が、見た目通りに強固な鎧を身にまとったメリノヒツジには、まるでダメージが通っていないみたいだった。
「何か勘違いしているようだなァ?」
________ガシィッ!
おどろき青ざめる私の一瞬の隙を付いて、メリノヒツジが私の腕を掴んできた。
骨ごとペシャンコにされてしまいそうな握力の前には振りほどくことさえ叶わない。たまらず残ったもう一本の拳で貫手や手刀を見舞うも、文字通りに刃が立たなかった。
私の手技は金属すら切り裂くというのに・・・・・・コイツの防御力は常軌を逸している。
「肉を食わずして、全盛期の力が戻ると思うなァッッ!」
________ブォンッッ!
メリノヒツジは私を軽々と持ち上げると、上半身をしならせて振りかぶり、天へ向かって放り投げた。
「あ、あ・・・・・・」
目に見える景色が一瞬で変わる。
見慣れた岩まみれの平原も、こうして鳥のような視点で俯瞰するとまったく印象が変わる。平原の隣に広がる森や、彼方の水平線さえ見えてくる。
・・・・・・ともえ達の青ざめた顔がまるで豆粒みたいだ。
________ヌッ
驚き呆気に取られている私の視界を、何者かが一瞬で覆い隠した。
はじめは上空に群がっているセルリアンだと思った。だが、血のような赤い体をしていることから、それがメリノヒツジであることがすぐにわかった。
一瞬でこの高さにまで跳躍したというのか。
腕力も、防御力も、俊敏さも・・・・・・一体こいつはどれほどまでに強いんだ・・・・・・?
間髪入れずにメリノヒツジの追撃が飛んできた。
ハンマーのように上から振り下ろされた拳は、防御の上からでも全身を軋ませるほどの威力だ。そのうえ落下している私の体にさらに物凄い勢いを付けさせてきた。
________ドガッシャアアッッ!!
成すすべもなく落下した私は、大の字になって地面に叩きつけられた。
そしてメリノヒツジが遅れるようにして地上に戻ってくる。落下の勢いを利用したまま私のどてっ腹を踏みつけてきた。
「ぐふうっ!!」
意識が飛びそうになる程の猛烈な痛みが走る。
・・・・・・そして、もう一人の私が内側から叫ぶ。怒りと殺意と食欲とが入り混じった咆哮を上げている。
「いやああっ! アムールトラさんっ!」
「な、な、何ですか!? メリノヒツジのあの異常なまでの強さは!?」
「・・・・・・違うんだよ」
メリノヒツジが私を踏みしだいたまま、ともえ達へと向き直り説明を始めた。
自分が特別強いわけではないのだと。かつての時代基準で考えれば、自分と同じぐらい強いフレンズはざらにいたんだと。
今のこの実力差の原因は、根本から別のところにあるのだと。
「少しばかり戦い方を思いだしたのかもしれんが、今のアムールトラの力は全盛期の足元にも及ばん。さらに内側にいるビーストを押さえつけることにも余力を割いてしまっている状況だ。そんなザマで勝てると思う方が・・・・・・」
唐突に説明を打ち切ったメリノヒツジが、真下にいる私を見下ろしてきた。
牙を剥き出しにした猛獣のような兜ごしに殺気に満ちた眼光が光る。そして私を踏みつけている足を持ち上げて・・・・・・
「おかしいのさッ!!」
________ズドンッ!
地面を爆発させるような強烈な踏みつけが襲い来る。
私は済んでのところで横に転がってこれを躱し、そのまま飛び退いて奴と距離を取った。
「安心したよ。躱せなかったら死んでいたかもな」
メリノヒツジが薄ら笑いを発しながら、引き下がる私を目で追ってくる。
こうなることを予測していたような様子だ。
目いっぱい殺気を送り、大振りな踏みつけを繰り出すことで。わざと躱す猶予を作ってくれたのかもしれない。
完全に遊ばれている・・・・・・その事実に戦慄し、戦意さえ失いそうになっている自分に気付く。
「今のお前に比べたら”あの2人”の方がよほど歯ごたえがあったな」
「・・・・・・だ、誰のことだ!?」
「クククッ、どうせ名前を言っても思いだせないだろう。僕にとっては長いあいだ目の上のたんこぶのような存在だった。実に手ごわい、敵ながら尊敬に値する戦士たちだった」
メリノヒツジは戦いの最中にも関わらず、余裕たっぷりの態度で昔話を始めた。
私がビーストとして目覚める以前、とある戦いが原因で長い眠りについていたらしい。
そんな私を、メリノヒツジとその主であるヒトは厳重に幽閉していたんだと。
・・・・・・が、そんな私をメリノヒツジ達の下から奪い取った2人のフレンズがいた。
その2人は元々からしてメリノヒツジ達とは敵対していたようであり、私のこともメリノヒツジ達から守るために奪還したんだと。
・・・・・・それからというもの、2人は長きに渡ってメリノヒツジ達の手から私の事を隠し続けてくれたらしい。
「2人はどうなった?」
「さて、それは知らないな」
私のことを手下に探させていたメリノヒツジはある時、ビーストと化した私が一人ジャパリパークを彷徨っているのを知ったらしい。
そして例の2人は忽然と姿を消していたのだと。どこかで命を落としたか、記憶を無くしてどこかで全く別の暮らしをしているか、二つの可能性しか考えられないというのだ。
その後メリノヒツジは、1人になった私が各地で暮らすフレンズ達から白眼視され行き場をなくしているのを知って、今回の計画を思いついたというのだ。
「いずれにしろお前があの2人と会うことはないだろうさ。お前は天涯孤独だ」
「私にはともえ達がいる」
「新たな自分の居場所を見つけたつもりか? 奴らはお前を迫害するだけの下らん弱者だぞ?」
「だまれ・・・・・・!」
メリノヒツジの挑発によって奮起した私は、敢然と反撃に躍り出た。
当たり前の攻撃では、あの強固な鎧を貫くことは出来ないだろう。でもあの攻撃ならきっと通用するはずだ。
例によって名前は思いだせないが・・・・・・あの、離れた所に衝撃を伝わらせる打撃技なら!
________トッ・・・・・・
メリノヒツジの剛腕から繰り出される攻撃をすり抜け、奴の脇腹に押し当てる。
まるで手のひらに別の感覚が芽生えたように膨大な情報が流れ込んでくる。
深紅の鎧に包まれたメリノヒツジの肉体も、鼓動を刻む奴の心臓の位置さえも手に取るようにわかる。
(行け!)
体に刻み込まれた技の記憶を呼び覚ます。
感覚が命じるまま目を閉じ、筋力に頼らない衝撃をメリノヒツジにめがけて送り込んだ。
「・・・・・・ほう、勁脈打ちか。伝家の宝刀を出してきたな」
(な、何だと!?)
メリノヒツジは倒れない。
使い手である私ですら知らない技の名前を語りながら不気味に立ち尽くしている。
失敗したなんてあり得ない。手ごたえでわかる・・・・・・だとしたら、送り込んだ衝撃は一体どこへ行ってしまったんだ?
呆気に取られる私はさらなる異変を見た。メリノヒツジが身に纏っている深紅の鎧が、光を発しながら膨張を始めたのだ。
「ふんっ!」
________ズッドオオオオッッ!!
メリノヒツジが全身をのけぞらせて気合を込めると、奴の全身から謎の衝撃波がほとばしった。
爆風と言うしかないそれは、周囲の地面を吹き飛ばしてクレーターを作り出し、奴のすぐそばにいた私をいとも簡単に吹き飛ばした。
これまでで最大の衝撃に打ち据えられた私は、ぼろ雑巾のように地面に横たわることになってしまった。
「さすがは勁脈打ち。すさまじい威力だ」
「・・・・・・がはァッ! な、何をした!?」
「僕はお前の攻撃を跳ね返しただけさ。この鎧でね」
メリノヒツジが己の鎧をあらためて見せつけるように胸部を叩いた。
変わらぬ禍々しさを放つ異形だったが、さきほどの膨張や発光現象は収まっているようだった。
「これが僕のふたつ目の能力・・・・・・と、言っても今のお前には何のことやらだろうが」
自信満々の種明かしが始まる。
奴の鎧はあらゆる攻撃を弾き飛ばすことが可能なのだという。
そして今のあの爆発は、勁脈打ちという私の技を跳ね返したことで起こったものらしいのだ。
・・・・・・何と言うことだ。そんな無敵の防御を持っている奴を倒す方法なんてないじゃないか。
「僕を倒す方法ならあるぞ」
メリノヒツジが私の心を呼んだように答える。
まるで私の回復を待つような調子で、のそりのそりと体を揺らしながらゆっくり近づいてくる。
「アムールトラ、お前がその気になれば、こんな鎧など簡単に引き裂くことが出来る」
「・・・・・・な、何だと?」
「ビーストに戻るんだ。鉤爪を使って僕を攻撃しろ」
今は必死に押さえつけ引っ込めている、ビーストの象徴とも言うべき鉤爪。
そこから立ち昇る黒い炎には、ある特別な力が宿っているんだと言う。
それはサンドスターのあらゆる働きを阻害し無効化することだ。
メリノヒツジのあの鎧も、奴の体内のサンドスターによって生成されたものに過ぎないため、ビーストの鉤爪ならば簡単に切り裂くことが出来るとのことだ。
「・・・・・・さあアムールトラ、早く自分を解き放て。これ以上お前を苦しめたくはないんだ」
________グイッ
メリノヒツジの巨躯が間近にそびえ立つ。そして私の胸倉をひょいと掴んで持ち上げ、ふたたび顔を近づけてきた。
兜ごしに触れそうなぐらい奴の顔が迫ってくると、嗅覚がまたも研ぎ澄まされていく。
たとえ姿が怪物的になったとしても、奴から発せられる甘い肉の匂いはどうしようもない程に健在だった。
・・・・・・もはや完全に追い詰められてしまっている。
ダメージを受けすぎた。私の中のビーストがより一層激しく叫んでいる。
痛い。苦しい。メリノヒツジの肉を食べて楽になりたい・・・・・・ああ、また嗅覚以外の感覚が鈍くなってきた。
「アムールトラさんっ! 起きて! 負けないで!」
視界がぼやけていく。ともえ達が必死に私を応援してくれているのに、その声がどんどん小さくなっていく。
ここまでなのか。私にはもうメリノヒツジを食って正気を失うか、それとも奴に殺される選択肢しか残されていないのか。
ともえ・・・・・・あの子のどこまでも未来を信じようとする瞳に救われた。こんな私でもまだやり直せると思った。
遠い昔の私が、あの子のような温かさを放つ存在を知っているような気がした。
思いだしたい。なのに何も思いだせない。
せっかく芽生えた希望が、あっけなく潰えてしまうのか。
「これでいいんだよ。僕がお前を救ってやる。そして僕も救われる。すべてが丸く収まる」
「・・・・・・わ、私に食われることが、お前の救いなのか?」
「もちろんさ」
メリノヒツジが優しく耳元で語り掛けてくる。
とある2人のフレンズの思い出を。
遠い昔に死んでしまった2人は、メリノヒツジが今も敬愛してやまない偉大なる先輩たちであったという。
同時にこの私にとっても浅からぬ縁を持つ相手であったと。
1人はかつて私のライバルだった無敵の戦士。私との熾烈な争いを経て、最後には共闘を果たし、巨悪を倒すことが出来たんだと。
もう1人は、仲間をかばって命を落としたという非業の最期を遂げた聖者だった・・・・・・そのフレンズを殺したのは他でもない私だ。骨も残さず頭から食べてしまったんだと。
メリノヒツジはそのことを恨んでいるわけではないようだ。
ただ彼女たちと同じことを自分もやりたいんだと・・・・・・すなわち、私を力で圧倒することと、私に命を捧げることを。
憧れの2人に並ぶこと。ずっとそのことだけを夢見て来たと。
何故だろう? メリノヒツジに勝てないのも道理のような気がしてきてしまう。
昔のことを語る奴は実に誇らしげだった。
奴の力と執念は、きっと大切に紡いできた思い出によって支えられている物なのだろう。
それとは対照的に、私には縋る過去が一切ない・・・・・・私が生きてきた証に等しい大事な思い出を、何もかも忘れてしまっている。
失ったものの大きさにあらためて絶望する。
埋めることが出来ない寂しさと喪失感とで胸が痛む。
________ヌッ・・・・・・
(ほ、欲しい)
食欲とは別の欲求が頭をもたげ、私はメリノヒツジの頭へと手を伸ばした。
奴がそれを見て満足そうに頷くのが見える。
おもむろに指先から手首にかけて酷いかゆみが走りだす。
感覚が麻痺してしまうかと思った瞬間、押さえつけていたビーストの鉤爪が、自分の意思とは無関係に生えだしてきた。
(取り戻したい、大事な思い出を・・・・・・)
怪物のそれと化した手のひらでそっとメリノヒツジに触れる。
背後からはともえ達の甲高い悲鳴が聞こえる・・・・・・それでももう、彼女達の声が私を引き戻してくれることはなかった。
to be continued・・・
_______________Cast________________
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種
「アムールトラ」
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・ヤギ亜科・ヒツジ属
「メリノヒツジ」
哺乳綱・ネコ目・イヌ科・イヌ属
「イエイヌ」
鳥綱・カッコウ目・カッコウ科・ミチバシリ属
「英名G・ロードランナー 和名オオミチバシリ」
鳥綱・フクロウ目・フクロウ科・コノハズク属
「アフリカオオコノハズク」
鳥綱・フクロウ目・フクロウ科・ワシミミズク属
「ワシミミズク」
哺乳綱・げっ歯目・ネズミ科・ハツカネズミ属
「ハツカネズミ」
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「通称ともえ」
_______________The Power of Next (野生解放の先にある力)
「デア・ツァラトゥストラ(超人)」
使用者:メリノヒツジ
概要:メリノヒツジのふたつ目の能力。さまざまな形の武器を生成する「ディ・フェアヴァントル(変身)」が進化したことにより、全身を覆うサンドスターの鎧を生成することを可能とする。
パワードスーツの役割も兼ねており、能力の発動中は防御力だけでなくパワー、スピードとも爆発的に向上する。
一見すると硬質な装甲に見えるが、実際はサンドスターが物凄いスピードで循環することで形成されている流動体であり、エネルギーの激流によって他のフレンズのあらゆる攻撃を弾き飛ばすことが可能となっている。
無敵に近い能力ではあるものの、展開しているだけで命を削るほどに体力を消耗する他、ひとつ目の能力ディ・フェアヴァントルが使用出来なくなるという無視できないデメリットがある。
なお、メリノヒツジがこれまでの戦いを通じてその容姿が変化していったことは、この能力が発現する先触れであった。
_______________Story inspired by________________
“けものフレンズ” “けものフレンズ2”
byけものフレンズプロジェクト
“けものフレンズR”
by呪詛兄貴