ある魔女の話
歩けども歩けども荒野が続いていた。
見渡せど見渡せど荒野が広がっていた。
探せども探せども動くものは在りはしなかった。
どこまで続くのだろう。
どこまでも続くのだろう。
悲観はない。
楽観もない。
あるのは達観だけだ。
自嘲気味に口の端を吊り上げて、濁った双眸で空を見上げた。
空は灰色だった。
戦火に焼かれたモノたちが、灰の煙となって空を染め上げたのだ。
ここはかつて戦争に明け暮れていた土地であるということを、
魔女の夜/
目の前に生命を宿した存在を認識し、灰色の魔女は足を止めた。
視線の先には、一人。青色のマフラーを巻いた人間がいた。
戦時中に飽きるほど見た紺色の軍服を身に纏っていることから、軍人の類であることは明白。
ひし形のバイザーで顔を覆い隠した女性であることも知れた。
女性の赤銅色の髪が風に揺れる。
魔女は女性のバイザーを介して、そこに映った自分自身の姿を再認識した。
灰を被ったように髪も肌も色白な小柄な少女であった。
それだけ確認し、また視界を空に戻した。
「君が、灰色の魔女であるね」
つと、低い声音で女性が尋ねる。
「んー? そうだと、おもう」
気だるげな態度に曖昧な返事。
常に空を見上げたまま、それ以外を眼中に入れないような仕草と相まって不気味に思えた。
「あなたは、だあれ?」
「小官はウォーレン・C・ラークワン。あるいは――」
名乗り、女性は半身に構えた。右手を引いて、左手を前に。
「
告げる。
瞬間、魔女の視線が女性――ウォーレンに定まった。
ゾワリ。
空気が変わる。ウォーレンの肌に冷や汗が湧き出た。
「……一つ訊きたいのだが」
「なあに?」
「この一帯に住んでいた人々は、今どこに在るのかね」
「あぁ……あぁ!」
ウォーレンの問いに、魔女は「そういえばそんなこともあったわ」と言わんばかりの態度で頷く。
「灰にしたの」
「……なに?」
「燃やしてね、灰にしたの。灰よ、灰。わかるかしら?
善い人も悪い人も、やさしい人もいじわるな人も、みんなみんな灰にしたの!
すごいでしょう!? そしたら空に撒いてね、あっ、魂は空に還るって言うからそうしたの!
そうしたら見て! ほら、灰色の空のできあがり!
もう誰も彼もが灰かぶり! 私だけが独りぼっちじゃないの!
お
あらゆるは灰へ! 空を覆い! 大地を隠す! そうして天上の月も灰をかぶるの!」
先ほどの態度から打って変わって、饒舌に語りだす。
両手を広げ、空を仰ぎ、無垢な少女のように生き生きと。あどけのない笑顔を浮かべて。
「なるほど」
それで十分だった。
それだけで判断できた。
しかし――
「
「は?」
踏み込む。大地を砕き、ウォーレンは
直線距離。一足のもとに灰色の魔女へと肉薄。
見た目こそ少女のそれは、決して儚い存在ではない。
魔女。魔女なのだ。
己が内を晒し、世界の一部を己の心象で上書きする人型の脅威。生きる災厄。
魔女が作りだした恐怖は数知れず。
魔女が刻み込んだ遺恨は数知れず。
それが魔女と言う存在なのである。
「フッ!」
短い呼気とともに右手を突き出す。
魔力で構築された薄い保護膜で覆われた拳が、まだ幼さを残す肉体を抉り、砕く。
はずであった。
「む!?」
手応えがない。
理由はすぐに解った。
霧散していたのだ。魔女の身体が輪郭を燻らして。芥の灰となっていた。
「ふむ、そういうものか」
「アハハハハハ!」
笑い声とともに、霧散した魔女が身体を再構築。
胴体に穴を開けたまま、その内側に現れたのは灰色に輝く小さな刃の群。
それが突き出されたウォーレンの腕目掛けて収束する。
「むんっ」
ウォーレンは力を込め、拳を覆っていた魔力を放出。
攻撃力を付与されていた魔力は迫る刃を砕き、灰となった魔女の身体をさらに散らした。
下半身は大地に転がり、上半身は放物線を描き落ちていく。
無論、それで仕留められるとは考えてはいない。
追撃。
狙うのは上半身――その頭部。
灰へと変化した肉体は、しかし頭部だけが輪郭をはっきりと保ったままであることをウォーレンは見抜いていた。
駆ける。
踏み込んだ大地がへこむ。
次いで袖下から拳銃を取り出し、銃口を向ける。
悠長に構えている暇はないとばかりに撃つ。撃つ。撃つ。
定めずに撃ちだしたそれらは、しかし正確に魔女の頭部へと向かって進んでいく。
それだけに留まらない。
さらに踏み込み、放ったばかりの弾丸に追いつく。
「古来より続く異形殺しの伝統、
拳で弾丸を殴りつけ、強制的に加速させる。
同時に魔力を干渉させることで、ただの弾丸から魔力を与えられた物質へと変質。
言葉通り、魔力によって銀色に発光し飛んでいく。
銀――通称を
魔女には絶大とは言えないながらも、通常のものよりは与えられるダメージは格段に上がっているはず。
……無論、手際よく当たればの話だが、ね。
ウォーレンの心中で生じた不安に応えるかのように、魔女が動く。
笑みを浮かべたまま、囁くように息を吹いた。
瞬間、周囲に灰の弾丸が形成される。
「空間、否、大気中の微細物質を灰へと変質させたか!」
そして、射出。
迫りくる銀の弾丸の射線に合わせて放たれた灰の弾丸は、衝突したその一瞬で触れた全てを侵食し、灰へと変えて散らせた。
「早いな!?」
感嘆にも似た言葉を吐き、ふたたび近接戦を仕掛けようと踏み込もうとし――
「ぬ、ぐぅっ!」
左。視界の端。
跳び蹴りがきた。
魔女の下半身。
ウォーレンの顔面を狙った蹴りを、左腕でガード。
か細い脚からは想像もつかないほどの力が、腕を軋ませる。
痛みはあるが耐えられないものではない。
左足を軸に身体を捻り、右腕を振るい魔女の下半身を殴ろうとし、
魔女の下半身は霧散した。
灰はウォーレンの右腕に纏わりつき、魔力ごと灰へと侵食させてしまった。
「なんと!」
奇妙な喪失感に襲われる。
痛みはない。
……痛覚を感じる前に神経ごと灰へと?
咄嗟。
大地を踏み砕き、土煙を巻き上げ、衝撃で灰を振り払いながら飛び退く。
左手の爪を突き立て、急ブレーキをかける。爪痕を刻みながらようやく止まる。
距離は開けた。魔女からの追撃はない。
土煙が明ける。
確認。
魔女がいた。既に上半身と下半身は繋がれていた。
灰の軌跡を周囲に靡かせ、ウォーレンに視線を向けている。
「驚いたね。まさか既に
「ふふふ、すごいでしょう。この世界なら、わたし、いつもより好きにできるの」
魔女はくるりとその場で回転して見せる。
空を見上げれば灰色の空が広がっていた。
……否、灰色の夜であるね。
その中に、ぼんやりと薄く、輪郭の曖昧な満月が浮かんでいた。
魔女がその内に秘めた自身の世界を、夜として顕現させる最上位魔術。
殆どは一時的であるが、世界の理ごと上書きしてしまうというとんでもないものであった。
範囲こそ広くはないとされているが、それでも現在確認されている最小は街一つを完全に呑み込んでしまうほどだ。
実際はいまだ謎が多く、全貌を解明できていない秘術であり、禁忌でもあり、魔女を魔女たらしめる災厄の奇跡である。
だがこれにより生じた被害は多く、また甚大であった。
「よもや君のような幼さの残る子が、魔女とは」
世の中はやるせないものだ。
首を振って、強く息を吐く。
左手を握りしめ、拳を作る。
「……君は嘘を吐いている」
「またそれ? わたしが、いったいなにを偽っているなんて」
「君は誰も灰にはしていないからだ」
魔女の笑顔が固まった。
「……なにを」
言っているの。
そう紡ごうとした言葉は、目の前で起きた事象によって遮られた。
ウォーレンが左拳で喪失した右腕の空間を殴ったのだ。
そして、次の瞬間、右腕がそこに在った。
再生したわけでもない。
新生したわけでもない。
まるで、灰に変質させられたことなどなかったかのように。
「小官も魔女でね」
「……は?」
「ああ、人類側のだ。人は小官をある二つ名で呼んでいる」
一拍。
「否定の魔女、だと」
瞬き。
ウォーレンが眼前にいた。
「――!?」
反応。
遅延。
対応。
遅い。
拳。
衝撃。
世界が逆さに。
背中。
振動。
激突。
鈍い音。
灰色の夜が視界に入った。
「ぁ、あぁぁぁぁ~~~ッ!?」
ようやく出した声は、しかしようやくきた痛みによって呻きに変わった。
即断。
灰を纏い、二撃目に備えた。
だが――
「その灰は、否定させてもらおう」
衝撃。
灰の防御膜が吹き飛ぶ。
防御力が否定され、威力は削がれることなく魔女に突き刺さった。
華奢な肉体がバウンドし、大地に転がる。
先ほどの笑顔は苦悶の表情に変わり、視線は定まらない。
「元よりこの周辺一帯には何もない。在ったのは確かだがね」
何事かを語りかけながらウォーレンが近づく。
迷いのなかった拳と違い、その声音はどこか優し気であった。
「かつて戦争があった」
「ぅ……さい……るさい……」
「その際に焼かれたのだ。ここに在った多くのものが。灰煙が燻り、空を染め上げるほどに」
「ちが……ちがう……ちがうちがうちがう……」
脳髄の奥が痛む。
腹の底からこみあげてくるような不快感に襲われる。
大地を焼く炎の匂いが視界を滲ませる。
何かを呼ぶ誰かの叫びが鼓膜を塞ぐ。
誰かの名を探す声が炎に包まれる。
誇るように高らかなラッパの音色が皮膚を叩く。
『魔女は聖なる火によりて浄化すべし』
月が融けだし、絵の具めいて夜に混じる。
本来、強固であるはずの魔女の夜が崩れていく。
魔女の心が揺れている。
魔女の決意がブレている。
徐々に崩れだした世界は、しかしふと静止した。
「
そして、世界が歪んだ。
ここ数年、体調の大きく崩しておりました。
リハビリも兼て少しずつ色々滞っていたものを書いていこうと思います。