(…大好きな家族が、エマ達がいる。何がなんでも生き残ってみせる。…エマ達を死なせてなんてたまるもんか。)
そう心に決めた5歳の秋。それから時は過ぎ、私はいつの間にか──6歳になろうとしていた。
ぽかぽかと陽射しが暖かい。気を抜けば寝てしまいそうな春の午後、突然エマが言い出した。
「ねぇ!皆で鬼ごっこ王者決定戦しない?」
参加しなければ良かった。なんて私が後悔するのは開催されて僅か10分後のこと。
ノーマンの猛攻に耐えられず、私が最初の犠牲者となった後のことだった。
*
散々走り回ったせいか息がしんどい。私は呼吸を整える為に肩で大きく息を吸った。
…ノーマンこわい。
私の鬼ごっこの感想はただ一つだった。
どれだけ逃げても考えてもエスパーかよとツッコミたくなるくらいに次の手をどんどん読まれる。木の影に隠れようとして、その影からノーマンが顔を出した時は真面目に心臓が止まるかと思った。
齢六歳でこれとかもう勝てる気がしない。むしろ十二歳のノーマン相手に10分もったエマは人間じゃない。流石フルスコア。半端ないって。
深呼吸をしてふと顔を上げると、丁度そのタイミングで皆がワッと沸いた。どうやら粗方ノーマンに捕まって、エマとの一騎打ちが始まったらしい。
…これは多分、5分もかからずに二回戦が始まるやつだ。そう察した私はそっと皆の輪を抜け出した。
私は皆から少し離れて、森の端にある林に行くことにした。そこはあまり人が来ない、いわゆる“穴場”と言うやつで私のお気に入りの昼寝スポットなのだ。
せっかくの良い天気だし、二度寝か三度寝しても良いかもしれない。ルンルン気分で私がそこを訪れると、今日は先約が一人いた。
「レイ?ここで何してるの?」
話しかけると、本を読んでいたレイはゆっくりと顔を上げた。その頭には幾つか葉っぱが散っている。いつからここにいたんだろう。
「…別に。」
レイは一言そう言ったっきり、本へと視線を戻してしまった。
…レイは六歳の誕生日を皮切りに、滅多に一緒に遊ばなくなった。変わりに図書館に通うようになって、狂ったように本を読み始めたのだ。
傍目にはレイが読書に目覚めたようにしか見えないけれど。…原作を知る私は、その理由を知っている。
私は少し考えた後、レイの隣に腰を下ろした。レイはまさか隣に座られるとは思っていなかったらしく、目に見えて動揺した。
「…何だよ」
「ううん、何でも。」
ごろりと寝転ぶと、レイが呆れたように眉をひそめた。そんなレイの前髪を春の風が優しく巻き上げて掬う。
…私はその場面を見ていないけれど、原作通りならレイは既に“内通者”であり“ママの犬”だ。きっとその苦労も苦痛も、計り知れないものだろう。
せめて少しは、気の抜ける時間があってもいい。気を張らなくてもゆっくりする時間が出来ればいい。
そう思って私は欠伸を一つした。一応リラックスしていいよ、のサインのつもりだ。
するとレイはため息を一つついて、パタンと本を閉じた。
陽射しは変わらずぽかぽかと瞬いている。並んで寝転ぶ私とレイの間には、酷くゆったりとした時間が流れていた。
こうしているとここが『農園』だという事実も、全部夢だった様な気さえしてくる。
少しして欠伸が止まらなくなった頃。心地良い眠気に身を任せていると、レイが小さな声で切り出した。
「…例えば、」
「うん?」
「ここが孤児院じゃなかったら…どうする」
ザア、と木が揺れた。木の葉がパラパラと舞い上がる。私は黙ったまま、レイの言葉の続きを待った。
「ここは孤児院じゃなくて…今まで教えられてきたことが全部嘘で。本当は悪夢みたいな…そんな場所だったら。」
「…悪夢?」
「…到底有り得ないような、残酷な場所。」
それは私に話しかけていると言うよりは、独り言に近いような気がした。ポツポツと喋る声は淡々と静かで、いつも冷静なレイらしい。
「死にたくなかったら逃げるしか無くて、でも逃げた先にも安全な場所なんてない。だから結局逃げることなんて出来ないんだよ。」
「…うん」
「…馬鹿みたいだろ、こんな妄想じみたの。」
ハッ、と自虐的にレイが笑った。風が強くなってきたのかざわざわと木々がさざめく。そして少しして、私は口を開いた。
「…じゃあ逃げなきゃだね。それは。」
「…は?」
レイが素っ頓狂な声を上げた。レイは信じられない物を見たように目を見開いている。視線が痛い。
「ならあれだね、皆でここから脱出しないとだね。あ、その前に作戦を立てないとなのか。逃げた先が安全とは限らないから…」
「…え?はぁ?」
「まずはノーマンとエマを仲間に引き込まなきゃね。それからギルダと、ドンにも話さなきゃ。後はご飯とか服とか色々用意して、それから──」
「ちょ、ちょちょ、待て、待て待て。」
レイがストップをかけるように私の目の前に掌を翳した。レイの手は震えている。レイの前髪がバサバサと舞ったせいで、レイの表情は分からなかった。
「──馬鹿に、しねぇの。」
レイがか細く、小さな声で言う。きっと私に切り出すのだって、レイにとっては相当な勇気が必要だった筈だ。
─もしかしたらレイは、私に笑い飛ばされることは覚悟していたのかもしれない。
「しないよ。だってレイ、馬鹿にしたことなんてないじゃんか。」
─信じてるよ。兄妹だもん。
レイの細い目が目一杯に開かれた。丸い瞳に沢山の光が差し込んで、キラキラと光った。
まだ六歳なこともあってか、レイの瞳はあどけない。─瞳が零れてしまいそうだ、なんて。そんなメルヘンな例えが頭に浮かんだ。
レイが口をきゅっと引き結ぶ。レイはやがて起き上がって、私を覗き込むようにして上体を起こした。…レイの肩越しに、ちらりと太陽が写り込む。
「…なぁ、マリー。」
レイのまつ毛がぱちぱち光っているのが見えた。額まで伸びた私の前髪に、レイの指が滑り込んでかきあげられる。
レイと目が合う。レイの指が前髪から輪郭を伝って、なぞるように私の頬を滑っていく。
最後まで辿りきった時、意を決したようにレイが口を開いた。
「…俺、本当は、」
「あーーっ!やっと見つけた!マリー!!とレーイ!!!」
その声が響いた途端、瞬時にレイが私の上から飛び退いた。思わずびっくりして肩を跳ねさせてしまう。すると一瞬おいて隣の茂みが揺れ、エマが顔を出した。
「もー!二人とも探したんだよ!鬼ごっこ!やろ!」
ぴょこぴょこ効果音が付きそうな程エマが跳ねる。どうやら既に鬼ごっこを楽しんできた後らしく、エマの制服は土埃で汚れていた。
「…僕は一応止めたんだよ?邪魔しちゃ悪いよ、って。」
いつの間に来ていたのか、くすくす笑いながらノーマンが言った。何故かその言葉にレイが頬を染め、ノーマンに掴みかかる。
「ッ、ノーマン!!」
「やだなぁレイ、僕は何も言ってないよ?」
ケラケラとノーマンが笑う。どうやらノーマンがレイをからかったらしい。からかった理由に付いてはいまいち分からなかった。天才のやることはよく分からない。
「ねぇレイ、レイは今日も鬼ごっこ参加しないの?」
きょとん、とエマが聞いた。多分レイが本を持っていたから、純粋な疑問だったのだろう。
レイは罰が悪そうに頭をかくと、遠慮がちに言った。
「…や、別に…」
「参加するの!?やったー!!」
言い終わらないうちにエマがレイの手を取って高く掲げた。もう今日のレイの鬼ごっこ参加は確定らしい。
レイは嫌そうな顔をしながらも満更でも無さそうだった。口元に小さく笑みが浮かんでいる。
…良かった、と素直にそう思った。まだレイが笑える世界で、楽しいと思える世界で。本当に良かった。
「マリー!おいでよ!次はね、鬼の人数を増やしてみようかって思ってたんだ!」
「どうせまたノーマンの一人勝ちだろ。」
「そうとは限らないよ、レイ。どうなるかなんて誰にも分からないでしょ?」
わいわい、三人が話している。エマが笑って私を手招きした。三人とも私が来るまで、足並みを揃えて待ってくれている。
「…ありがとう、じゃあ私も参加しようかな!」
あぁ、こういうのを本当の家族って言うのかな。本当の幸せって言うのかな。
私は満たされた気持ちで、先を歩く三人の後を追った。