第二章、幕開けでございます
2-1
「よし……」
TAC50は鏡に映る自分を見つめる。両目がしっかりと見えるように、髪を留め直した自分が映り込んでいた。明らかに不自然な左眼が、じっと自分を見つめていた。
「……やっぱりやめとこうかな」
髪留めを外し、いつものように片目だけ出るように留め直す。
小さくため息をつきながら、彼女はお手洗いから出る。オフィスは、いつもどおり騒がしかった。
「おい!邪魔だどいてくれ!」
「す、すみません!」
TAC50が急いで壁に張り付くと、ガタイのいい男たちが血相を変えて廊下を通っていく。
「いや〜3課はいつも粗いねぇ」
「あっ1課の優男さん」
「優男って……まあ楓ちゃんならどう呼んでもいいけどさ」
「どうしてここに?」
「僕だって人間だよ?トイレくらいするさ」
「ああそうでした」
TAC50はトイレの目の前であることを思い出してその場を離れようとした。
「楓ちゃん」
「はい?」
「君、変わったね」
「そうですか?」
どこかおかしいところがあるのかと、TAC50は自分の身嗜みを確認し始めた。
「そうじゃないよ。あえていうなら……雰囲気かな?」
「そうですか?」
「ああ。より一層魅力的になったね」
「はぁ……」
よく分からずにTAC50が首を傾げていると、突然後ろから手を握られる。
「楓、そんなナンパ男なんてほっといて早くいきましょう?」
「ケフィさん」
「おやおやケフィちゃん、今日も一層かわいらしいね」
「お口は災いの元よ、1課の優男さん。トイレはいいの?」
「そうだった。それじゃあまたね、楓ちゃんにケフィちゃん」
「できれば二度と会いたくないわ」
「まったく、釣れないなぁ」
K5に引っ張られるようにして、TAC50はその場を後にした。
=*=*=*=*=
アッチソンがキーボードをかたかたと鳴らしていると、ボスがうんと背伸びをした。
「アッチソン〜?」
「ん、何?ボス」
「コーヒーとってきて〜」
「どうせもう少ししたらケフィが持ってくるでしょ」
ぐだぁと背もたれの限界に挑戦しているボスに、AA12は飴を投げる。
「なにこれ」
「コーヒー味の飴」
「飴じゃなくてコーヒーが飲みたいのー。あっこれ意外とおいしいわね」
コロコロと飴を転がしていると、部屋の扉が開いた。
「ボス、ただいま戻りました……なにしてるんですか?」
「ケフィ!待ってたよ。そのコーヒーをちょーだい」
「そろそろ欲しい頃かと思いまして。はい」
「まったくケフィは有能だなぁ〜。あっ楓ちゃん、おはよう」
「おはようございます、ボス」
「よーし、それじゃあ全員揃ったし始めようか」
今日も、臨時特別捜査課の一日が始まる。
=*=*=*=*=
ボスはぱんっと手を叩いて、皆の注目を集める。
「だらける時間はもう終わり、さて足で稼ぎに出ましょう」
ぴらぴらと書類をめくりながら、ボスは次々に指示をだす。
「楓、運転をお願い。私はそれに乗っていくわ。アッチソンはケフィを後ろに乗せてもらって」
「私とアッチソンですか?」
「ちょっと楓と話をね」
「そうですか……わかりました」
K5はすこし気を落としながらも、了承の意を示す。
「ケフィさん代わりましょうか?」
TAC50はそう尋ねるが、K5は首を横に振った。
「ボスがあなたに話があるようだし、今日のところは私が引くわ」
「ケフィさん……」
「まったく、帰りは譲らないんだからね」
「はい!」
K5が複雑そうな顔をしながらヘルメット片手に出ていく。TAC50は自分の机に戻り、必要な装備を身につける。
「今日もお願いね」
アタッシュケースに格納された楓月を撫でて、TAC50も部屋を出る。駐車場へと向かえば、先に出ていたボスがすでに車の助手席に座っていた。
「それじゃあ安全運転でよろしくね~」
「はい、任せてください」
慣れた手付きでシートを合わせると、軽快にエンジンをかける。独特の深い振動を感じながら、TAC50はブレーキから足を離した。
「ボス、シートベルトをつけてください」
「はいはい。まったく楓ちゃんの隣じゃ自由にできないね」
「ボス……あなたは人間なんですからできる限り死なないように」
「はいはい、やめやめ。それよりさ」
ボスはTAC50の横顔を見つめながら、そう言う。
「これから行く地区、そのとなりには何があると思う?」
「たしか……自治区でしたよね。公的機関の手の及ばない範囲だと記憶してます」
「よし、偉いね」
運転中だというのに、ボスはTAC50の頭を撫でてくる。
「ちょっと!運転中に撫でないでください!」
「ほらほら事故はおこさないでよ~?」
「まったく……それで、その自治区がどうにかしたんですか?」
「ああ、楓はまだだったから説明しなきゃだと思ったんだよね」
ボスは一旦、コーヒーを啜って一息つく。
「自治区は私たちの捜査権も及ばない範囲。絶対に警察活動は禁止」
「はい、わかってます」
「それと、これだけは持っておきなさい」
そう言って、ダッシュボードに小さな鍵を置いた。
その鍵には、TAC50も見覚えがあった。嫌というほどに。
「ガンケースにつけた鍵ですか」
「あなたはASSTをうけた戦術人形なのだから、銃とともに活動しなさい」
この車に乗る時、トランクは確認しなかった。だが、ボスの言い方からしてTAC-50が積んであるのは明らかだった。
「……はい」
めずらしく、TAC50の返事は歯切れが悪かった。ボスは、はぁとわざとらしくため息をつく。
「自分とつながった銃なんだからそろそろ受け止めなさい」
「あの銃は私の手にはあまります」
「確かに良い銃よね。良すぎるとも言えるわ」
一息おいてから、ボスは言葉を続ける。
「だからこそ、あなたにはあの銃の適正があるのよ」
「どういう意味ですか?」
「あなたは優しいし、それに他人に……っと信号変わってるわ」
TAC50はあわてて確認し、車を発進させる。
「それで、他人に何ですか?」
「やっぱやめた。いずれ自分でもわかるよ。自分がTAC-50で良かったって」
「よくわかりません」
車を走らせながら、TAC50はそう答えた。
「まだわからなくていいよ。それより、アッチソンたちが待ってる。早く行こう」
「法定速度は超えませんからね?」
TAC50は少しアクセルを踏み込む。加速度が身体をシートに沈め、周りの景色がさらに速く流れていく。
=*=*=*=*=
「あれがウチの管轄との境界線よ」
「あれ……ですか……」
停車した場所から、ボスの指す方向を見る。そこにはただ、生け垣があるのみだ。
「これじゃあ超え放題ですね」
「しかもあっちは不法入国という概念もなし。これじゃあ不法入国してくださいって言ってるようなものね」
「それで、今回の任務は?」
TAC50の言葉を聞いたボスは、不機嫌そうに座席の背もたれを思いきり倒した。
「ここで張り込み」
「張り込みですか?」
「人員不足のための駆り出し要員にされたのよ、私たち」
ふて寝をきめこもうとしているボスから目をそらし、TAC50は再び生け垣を見る。
「でも確かに……」
目の前に延々と伸びる生け垣を、TAC50は双眼鏡で眺める。
「この境界線を張り込みするんだったら人手不足にもなりますよね」
「わたしはもっと楽しい捜査がしたいのに」
「まあまあ……」
「それじゃあ楓、任せたわ」
「ボス?」
「……」
返事は返ってこなかった。代わりに、静かな寝息だけが聞こえる。
「まあいいですけど……」
そう言いながらTAC50は牛乳を飲んで、アンパンをくわえこんだ。
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