「何の用だ?」
「すこーし野暮用がね?」
一課では、まるで修羅場のような空気が漂っていた。
「捜査資料なら僕のデスクの上だぞ」
「あら、ご丁寧にどうも」
ボスは足を前にだすが、優男が道を開ける様子はない。デスクの隙間を縫っていくには狭すぎる。つまりは通せんぼであった。
「あの……ボス?」
「楓?何?」
「その、控えめに言って無理では?」
「うーん、そうねぇ」
ボスは目の前で腕組みする優男をじっと見る。
そしてその視線がTAC50へと向き、すぐにそらしたのをしっかりと見た。
「ふーん、へぇ、こういうのか」
ボスはニヤニヤとしながら、TAC50の両肩を掴んで自分の前にだす。
「ん?どういうことだい?」
「ボス?いったい何を?」
口ではそういっているが、優男は距離を一定に保つよう、TAC50たちが進むにつれて後ずさる。
「まさかこういう子がタイプなんてねぇ」
「ちょっと何を言っているのかわからないな」
優男はあとずさりながらも、口だけは動かし続ける。
「そもそも僕はノータッチ主義だし、無理に女の子に触れに行くようなことはしないんだが?」
「ああでも待ってくれ、たしかに楓ちゃんには特に距離を取ってしまってるところがあるのかもしれないけれどこれは意識しているとかそんなわけじゃなくてね」
「何を言っているんだ僕は。つまり楓ちゃんはいい子だし可愛いしうちの課にもファンだっているくらいだけどね」
ブツブツとつぶやきながら後ずさる優男は、いつのまにか自分のデスクまで追い詰められていた。
「……、楓」
「ん?何ですかボス」
「ごめんね」
トンとボスはTAC50の背中を押した。そんなに強い力でもなかったが、突然のことにTAC50は前に数歩よろめく。
そしてその数歩先には、固まっている優男がいた。
止まれなかったTAC50は優男の身体に抱きつくようなカタチで寄りかかってしまう。
「あの、すみません」
「え……あ、うん大丈夫だ。僕は平気だから」
最大限まで身体をのけぞらせてからそう言う優男を不思議そうに見ながら、TAC50はそっと離れた。
「楓、撤収」
「待ってください~」
オフィスから出ていくボスたちを、TAC50は急いで追いかける。
「大丈夫ですかい?」
「うるせえ、それよりはやく捜査を進めるぞ」
優男は頭を振って切り替えて、自分のデスクに戻る。
デスクの上には、明らかに女の筆跡でありがとうと付箋のついた捜査資料が置いてあった。
「くそ……やられた」
優男はまるで隠蔽するかのように、その付箋を細かくちぎってゴミ箱に捨てた。
=*=*=*=*=
「楓、あいつ何をしたの」
「何?といわれましても」
見に覚えのない容疑に、TAC50は首をかしげる。
「いい?男はケダモノ。そうやすやすと身体を許さないこと」
「ほんとうに何もしてませんよ。それにあの人はそんなに危ない人でもなさそうですし」
ボスは深くため息をつく。
「楓が心配でいってるの。あのヘタレは大丈夫だろうけど、みんなが皆ああいった男じゃないんだよ?」
「大丈夫ですよ。それに成人男性くらいなら返り討ちにできますし」
TAC50の細腕を見て、ボスは再びため息をついた。
「それで、あいつに何をしたの」
「だから何も」
「そんなわけないわ。あいつがあそこまで押される女なんて楓くらいよ?」
「そんなわけ……」
TAC50は思い出してみる。思えばたしかに、あの優男は基本的に一定距離まで自分から女の子のほうへと近寄っていた。K5にも、AA12にもだ。しかし、先程はその距離外にいたにもかかわらず、遠ざかろうとしていた。
「私、嫌われてるんでしょうか」
「はぁ……、まあそういうことにしておきましょ」
自分たちのオフィスに戻ると、ボスはすぐに荷物をまとめ始めた。
「早帰りですか?」
「ちがうわ。ほら、二人も聞いて」
K5とAA12もボスの方へと視線を向ける。
「1週間ぐらい休みましょ。ああ、休むといっても研修旅行ってやつだから休暇というわけでもないから、装備は各員持ち運ぶように。じゃあ2時間後に再集合ね」
そういいながら、ボスはウインクした。
=*=*=*=*=
ボコボコと泡が身体にあたる。コリがほぐれる感触を楽しみながら、ボスはジェットバスに身体を沈める。
「ボス?背中を流しましょうか」
「ケフィ、ありがとう。でももう先に洗っちゃったわ」
「そうですか……」
すこししょんぼりとするK5にボスは笑いかける。
「ほら、それより一緒にはいりましょ。さすがはラグジュアリーホテル、設備も一流だわ」
そのあたりではひときわ高層なビルの最上階、特別課は今、全員でその一角の部屋を借りていた。
「大丈夫なんですか?こんなに豪華な部屋をとっても」
「残念ながらお金なら余っているからね。それにお祖父様が経費で少し落としてくれるみたいだし」
「総監への根回しまで完璧ですか。さすがボスです」
「ほら、背中流してあげる」
ボスは湯船からあがってK5の背中にお湯をかける。
「アッチソンと楓はどうしてる?」
「楓はいま、楓月に集中してます。アッチソンはいま仮眠を」
「楓もそろそろ休ませないとね」
研修旅行とは名ばかりの、ただの張り込みである。TAC50のドローンはずっと例の男を追跡し続けていた。そしてその制御と監視にリソースを割いているTAC50は、明らかに普段のスペックとは言えないくらいに疲弊しているようだった。
「ボスも休んでください」
「私は十分休んでるよ」
「目の下に隈できてますよ?」
「えっ嘘でしょ」
慌てて鏡で顔を確認するボスを見て、K5はくすくすと笑う。
「嘘です。でも気をつけてくださいよ。ボスは人間なんですから」
「人間だからって弱音を吐くようなことをしたくないわ」
「そうじゃないです。お願いですから無茶はほどほどに」
「大丈夫よ」
「じゃあ今日は日付が変わる前に寝てくださいね。昨晩のように丑三つ時まで起きずに」
「それはホシの動きによるから約束できないわね」
「私の占いで今日は動かないと結果が出ていてもですか?」
「わかったわ。今日は早めに寝る」
再びジェットバスを堪能したあと、タオルを身体に巻いてバスルームから出る。
「楓、監視はどう?」
「順調です。まだ気づかれてないみたいですね」
TAC50は左目にリソースを割きながらも、いくつかのラップトップで動画を再生する。それは今すぐ側のソファで寝転がっているAA12が仕掛けてきた、監視カメラをハッキングした映像である。
「楓、お風呂に行ってきていいわよ」
「いえ、私は身体を拭くだけで」
「いいからいいから。楓月だけは任せておくけれど」
「わかりました。それではお言葉に甘えて」
ラップトップでの監視をK5に引き継ぎ、TAC50はバスルームへと入っていった。
「さてと」
ボスはソファに腰掛けると、タオルで髪を乾かし始める。
「早く服を着ないと風邪をひきますよ」
「大丈夫よ。そのための空調設備だし」
「はあ、まったく」
バスローブを羽織らせると、K5は監視カメラの映像を視界にいれる。
「さすがはケフィ、占い通りね」
「褒められてもなにもでませんよ」
「実績が出てるから十分よ。それより、問題は相手の規模ね……」
車から降りた男は、複数の護衛に囲まれながらエントランスへと入る。そしてチェックインの手続きを他に任せ、自分はエレベーターで先に部屋へと移動しはじめた。
「男ばかりでむさ苦しいわ」
「ケフィ、むしろ喜ぶべきでしょう?人形はいないみたいだって」
「まあそれも想定……いえ、占い済みですので」
「まったく、頼りになるわ」
K5の頭をぽんと撫でると、ボスはタオルを持ってくる。
「拭いてあげるからじっとしててね」
「そんな!」
「ほらちゃんと監視して」
K5は風呂上がり特有の匂いを感じながら、監視カメラに映る一挙一動を逃さぬようにと画面になんとか意識を向けた。