「ではまた、今度はオフィスで会いましょ?」
「はい、お邪魔しました」
玄関まで見送ってもらったTAC50は、夜道を歩いて帰る。その右手では、土産だと持たされたウイスキーを揺らしている。
夜の街は静まり返っている。ボスの住む街は治安が良いようだった。外で飼われている犬の鳴き声だけが、閑静な住宅街に響いている。
TAC50はポケットから封筒を取り出す。退職願と書かれたそれは、「オフィスで受け取る」とボスに突き返されたものだった。
「何してるんだろう、私」
シワにならないように封筒をしまい、再び歩き始める。車の扉を開けて乗り込み、バタンと音を立てて閉める。
エンジンの音が響き渡る。アクセルをゆっくりと踏み、静かに車は住宅街を後にした。
車を走らせながら、TAC50は楓月を起動させる。正常な起動シーケンスを経て、器用に窓から飛び立っていく。
制限速度ピッタリの安全運転を続けながら、楓月で夜の街を飛び回る。
静かに寝静まった住宅街、人が消えたかのようなオフィス群、まだ騒がしい歓楽街。どれも見慣れた光景だ。
人の住む街を抜けて車は山奥へと入り込む。楓月もそれに追従する。車のヘッドライトだけが、暗い山道を照らす。
「ただいま」
返事を返すものはいないというのに、TAC50はそう呟いた。スーツを外のロープにかけ、ファスナーを開けて中へとはいる。
その小さなテントの中に、物はほとんどない。段ボールが一つと寝袋、それから小さなラジオ付きの時計くらいだ。
TAC50はモゾモゾと寝袋に入り込み、楓月を起動させたまま眠りについた。
=*=*=*=*=
「おはよう!」
「……っ!おはようございますボス!」
「ボス、おかえり」
出勤時刻から少し経った頃、ボスはオフィスで二人に迎えられる。
「ケフィ、アッチソン。二人ともありがとう」
「そんな!ボスが帰ってくるまでに部屋の片付けをしてただけです」
オフィスは明らかに綺麗になっていた。散らばった捜査資料は丁寧にファイリングされ、そして必要なものだけがデスクの上に積まれている。
「車も、見てきたわ」
「車いじりは好きだから」
「それでも良い出来よ。アレなら負けない」
「でもボス、さすがにもうあの男は追えないんじゃ」
「私を誰だと思ってるの」
ボスは二人に、右手に握りしめていた書類を見せる。
「許可は取ってきたわ。存分にやりましょう」
ニヤリと悪どく笑ったあと、そういえばと辺りを見回す。
「楓は?」
「ああ、楓なら……」
二人の目線が彼女のデスクに注がれる。同じ書類の山を見て、ボスはすぐに察した。
「じゃあ楓にも会ってくるわ」
二人に指示を出してから、ボスは再びオフィスの扉に手をかけた。
=*=*=*=*=
静かな射撃場は、今日も銃声が鳴らずに時間だけが過ぎ去っていた。TAC50は、いつものように銃を構えたまま固まっていた。
ガチャリと扉が開く。それが誰であるかは、TAC50の想定どおりだった。
「ボス」
「ただいま、楓。調子はどう?」
「おかえりなさい、ボス。全然です」
ボスは的の方へと視線を向ける。一発も着弾していないことを確認して、的を手元へと戻す。
「駄目ね」
「はい……」
「よし、じゃあ構えて」
照準をあわせて引き金に指をかける。スコープを覗き込む目に演算能力を割いて、息を吐く。
ボスは風船の的を用意して小さい丸を描く。そして一番とおいところにセットした。
「あの小さい丸を狙って」
指示の通り、今まで狙っていた人型の的から狙いを変える。
「ちょっボス!?」
「ほら、狙って」
突然、ボスがTAC50に覆いかぶさる。TAC50を嗅ぎなれない香りを包み、背中から生物の鼓動が伝わる。
ドクン、ドクン
集中するにつれて、その音はより静かに、そして一定に整っていく。ボスがゆっくりと吐き出した息が、耳をくすぐる。
「大丈夫、楓なら引けるはず」
ドクン
ドクン
次の鼓動が鳴る直前、まるでそれが当たり前であるかのように静かに、撃鉄が落ちた。
爆音を鳴り響かせて放たれた銃弾は、未だ揺れが収まらぬ風船へと向かう。その揺れすらも計算された弾道は、ちょうど揺れの中心に来た瞬間に、ボスのつけた印を覆い隠すように穿つ。破裂音は、未だ反響する銃撃音にかき消された。
「……ボス!わたし——」
「楓!」
「うわっぷ」
ボスの方向へと振り向いた瞬間、TAC50は抱きしめられる。
「良かった……、撃てたね!」
「ボスのおかげです……」
「馬鹿ね、私は何もしてないわ。楓自身が、引き金を引いたのよ」
「でも……」
「今の感覚、絶対忘れないようにね」
「……、はい!」
「じゃあ私はオフィスに戻ってるわ……っと」
射撃場から出ていこうとしたボスは踵を返す。
「そういえば、私にわたすものがあるんだっけ?」
TAC50は、上着のポケットから封筒をとりだす。あの日から入れっぱなしであった。
取り出したそれを、TAC50は握りしめてゴミ箱に投げ捨てる。
「いえ?何のことだか」
「そう、ならいいわ」
今度は止まらずにボスが去っていく。その背中を見送りながら、TAC50は空き缶を射撃場に投げる。
コロコロと転がっていく缶に、照準をあわせる。引き金に指をかけ、動きがとまる。
引き金は引かれなかった。
一度スコープから目を離し、状況を再現する。ボスの体温、匂い、吐息、あのときの状況を演算のみで実現させる。
ドクン、ドクン
再現された鼓動が、TAC50の頭の中を埋める。
ドクン
ドクン
その音は先程よりも時間をかけて、静まっていく。そして最後の鼓動を響かせたあと——
——銃声が鳴り響いた。
穴の空いた空き缶がカランカランと転がる。TAC50は排莢し、セーフティをかけて銃をケースにしまった。
「私、撃てたよ」
誰もいない場内で、誰かに語りかけるようにそう呟いた。
=*=*=*=*=
「あっやっと戻ってきたわね」
オフィスでTAC50を迎えたのは、資料の山を抱えたK5だった。
「も、もちます!」
「ありがと。じゃあここに置いて」
資料を下ろすのを手伝っていると、中から一枚落ちてくる。
「これは……?」
「……っ!」
バッとK5はTAC50からそれを奪い取る。
「見た?」
「いえ、じっくりとは」
「はぁ……つまりは見たのね。まあいいんだけど」
その紙は、少し見ただけでは理解できなかった。内容を思い出してよく見てみると、それは捜査メモのようだった。
「もしかしてケフィさんの」
「それ以上言わないで」
「なるほど、これが『占い』の正体ですか」
「それ以上言ったら口を縫い付けるわよ?」
笑顔の中に黒いものをにじませながらK5はTAC50を見つめる。平謝りしながら、TAC50は資料を開く。
「よく、また捜査権が回ってきましたね」
「むしろ最初にウチに回ってきたのが不思議なくらいよ。そして、この事件はこれで最後のチャンスでしょうね」
捜査対象は、逃してしまったあの男だった。少し強引な捜査経路は、まるでこの男を逮捕するためだけに組まれたみたいだった。
「次は逃しません」
「あたりまえよ。そのために私もアッチソンも準備してきた。楓は?」
「私ですか?」
「楓も、ただこの空白期間を寝て過ごしてたわけじゃないでしょう?」
「私は……」
「ま、私は気にしないけど」
ケフィは資料を開きながらそう呟いた。
バタンと音を立ててオフィスの扉が開いてボスが入ってくる。
「よし、楓も戻ってきたわね。それじゃあ作戦会議を始めるわよ!」
「「「はい!」」」
全員の返事が、揃った。