「ルーキー、どうだ?」
「最悪の気分ですね」
病院のように無機質な廊下で、AA12とTAC50は向き合っていた。椅子に座り込んでいるTAC50を見ながら、向かい側の壁に体重を預けるAA12は新しく飴を取り出した。
「ふたりとも、お疲れさま」
「ボス、お疲れ様です」
立ち上がろうとするTAC50を手で制しながら、ボスはAA12へと目を向ける。
「止められなかった?」
「すいません、ボス」
「いいの、別に責めるつもりでもないし」
ボスは左手に持っていた缶コーヒーのプルタブを引き、カフェインを喉に通す。化粧で隠してはいるが、隈が酷い。昨夜も寝ずに仕事をしていたのだろうとTAC50はすぐに理解した。
「ただね、今回はいつもよりさらに厄介よ。このままだと最悪の形で事件を解決することになるわ」
「最悪の形ですか?」
「ええ、容疑者の人形を殺して再発生を防ぐっていう一番野蛮な形よ」
ガリッと飴玉を噛み砕く音が聞こえた。
「このままじゃ終わらせない。あの人形の記憶をサルベージできさえすれば……」
AA12の言葉を遮るかのように、近くの扉が開く。中には人形が横たわったベッドがあり、人形には何本ものコードが繋がれている。
中から出てきた男は何も言わずにボスに書類の束を渡す。それを受けとってペラペラとめくるボスの表情は、決して良いものではなかった。
「残念ね、この事件はここでお終いよ」
「そ、そんな」
思わずTAC50は立ち上がる。諦めがつくわけがない。この課が捜査を終了するということは、事件は謎を多く残したまま幕を閉じることに他ならない。
「楓、残念だけどもうお終い。アッチソン、車の準備をしてきて」
「わかった」
AA12が出口へと向かうのを眺めつつ、ボスはTAC50に耳打ちする。
「これでお終い。本当に残念だけどね」
わざわざ耳元で言わずとも良い内容に、TAC50は困惑した表情を浮かべる。
「だから、これは楓の上司であるボスではなく、私からのお願い」
そう言いつつ、ボスはTAC50のポケットに紙切れを入れた。
「感謝はケフィにも忘れないようにね。それじゃあアッチソンと先に帰ってるわ」
そう言ってボスも出口の方へと向かっていく。何気ない動作で投げた空き缶は、吸い込まれるかのようにゴミ箱へとはいって音を響かせた。
=*=*=*=*=
タクシーでTAC50が向かったのは、あの崩壊した廃墟だった。未だに立ち入りは制限されており、警備員が目を光らせている。もちろん、捜査官であるTAC50がここに入るのは難しくない。バッチを見せれば、彼らは喜んで道を開けてくれるだろう。
しかしTAC50は遠いところに立ちすくむだけで、そこから動こうとはしなかった。
「なあそこの姉ちゃん」
「ん、あなたたちはここのお子さんたちですか?」
「うん。それでさ、あの屋敷もう入れないのか」
男の子がそう無邪気に聞いてくる。その身なりは整っており、ここらの住人であることもデータベースですぐに確認が取れた。
「うん、あのお屋敷はもう危険だから入っちゃいけないよ」
「ちぇっ。そういやあそこにいた兄ちゃんは知らないか?ずっと約束してたことがあるんだが」
TAC50は一瞬考え込み、それからしゃがみ込む。しゃがみこめば、目線の高さは一転して男の子のほうが高くなった。
「すこしお姉ちゃんに話を聞かせてくれない?」
「うん、あっでも塾の時間だ。ごめんねお姉ちゃん」
男の子はそういってどこかへ走っていってしまった。TAC50はすっと立ち上がると、先程ボスに入れられた紙を取り出す。
『こまったらここに電話して』
その電話番号は、TAC50の持つリストには登録されていない。つまりは、TAC50とは関わったこともなく、さらに言えばEIPの組織内でもない者の電話番号ということだ。
数分だけメモを片手に悩み、その後に端末を取り出す。打ち込むのは、メモにかかれた謎の電話番号だ。
『もしもし?』
電話に出たのは女性の声だった。しかし、ただの女性ではない。その音声の質は、人形のもので間違いなかった。
「すこし……困ったことになっていまして」
『そうですか。それで、お望みは?』
明らかに、話しが飛びすぎていた。TAC50は記憶を探してもこの声の主にあたる人形は特定できない。であるのに、あちらは全てを把握しているかのように話をすすめてくる。
『ああ、対価でしたらもう頂いているので気にしなくて結構ですよ』
「そういう話では……いえなんでもありません」
ボスから渡されたのならば、全てボスが知っているはずである。TAC50はひとまず、ボスを信じてみることにした。
「話を聞きたい対象が塾に行ってしまいまして」
『なるほど、わかりました。しばらくそこに居てください』
そこで電話は一方的に切られた。
「あっさっきの姉ちゃん」
数分後には、さきほどの男の子が車から降りてきた。
「それで、聞きたい話ってなに?」
無邪気に笑いかけてくる男の子に、再びTAC50はしゃがみこんで答える。
「そのまえに塾があるんじゃなかったの?」
「なんか無くなったって!爆弾やら脅迫やら言ってた!」
悟られない程度に、TAC50の表情が固まる。先程の電話の相手と無関係とは思えなかった。
「そうなんだね。それで聞きたい話ってのはね――」
何も考えないことにした。考えてしまえば、その胸ポケットにしまう手帳を手放さなければいけなくなることを察してしまったのだった。
=*=*=*=*=
TAC50は足音をたてながら廊下を歩く。少し早まる足を、止められずにいた。
男の子の話は、証拠としての能力としては不十分でも手がかりとしては十二分なものだった。
現にTAC50ははやる気持ちを抑えて資料室へと向かっている。
「あ、楓」
「ケフィさん?」
「その様子じゃ何か掴んでいるようね」
「はい。いまから資料室で裏取りをしていくところです」
「ボスには報告した?」
「いえ、全て判明してからにします。どうせこの事件はもう……」
「そうね、ボスにもそう言っておくわ」
「ありがとうございます」
「いいのよ、これくらい」
何も感じてないふうに通り過ぎようとするK5の手を、TAC50は掴む。
「少し疲れてますか?顔色がよくないですよ」
顔を覗き込むTAC50から顔をそむける。
「ちょっと顔が近いわ、やめて」
「あっすみません」
手を離すと、K5はそそくさといってしまった。何故かその耳を真っ赤にしていたが、TAC50は首をかしげるだけだった。
廊下の一番奥に、その部屋はある。重苦しい扉を開けば、書類の束がこれでもかというほど積み上がった部屋がTAC50を迎え入れる。
「これは……想定以上に時間がかかりそうですね」
そういってTAC50は一番近い机から取り掛かろうとした。
「……誰かの作業中でしょうか?にしては片付いていますね」
明らかに意図的に分けられた書類と、まだ湯気のたっているコーヒーをみながらそう呟く。
資料の中身を開いて、TAC50は自然と口角があがる。
そこには、今まさにTAC50の必要としている書類も含まれている書棚のナンバーを示したメモが挟まっていた。
「ありがとうございます、ケフィさん」
TAC50は、放置されているコーヒーカップの主に感謝を述べた。
次回、第一章最終話