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2016年9月中旬
「さあ、みーちゃん。観念なさぁい。」
「う、うたのん。止めようよ、こんなこと。」
歌野は笑顔で両手をワキワキと動かしながら、水都に近づく。
「いーえ、やめません。別にいいでしょう、見られて減るものでも有るまいし。」
「減るもん!私の中の何かが絶対減るもん!」
若干目元に涙を浮かべる水都だったが、それすらも楽しげな笑みを浮かべ歌野は徐々にその距離を縮める。
「みーちゃん!御覚悟!てぇぇえええい!」
「あ、あははは、く、くすぐったいよぉ、うたのん。」
歌野は水都の弱点などお見通しと言わんばかりに、水都の脇から脇腹にかけて移動するようにくすぐり攻撃を開始する。
効果は絶大で水都の全身から力が抜ける。
「隙あり!」
「あっ!?」
確実にできた一瞬の隙を狙い、歌野は水都が大事そうに腕で抱えていた紙を破ることなく奪い取った。
水都は笑い顔から一変。
慌てた様子でその紙を奪い返そうとするも、時すでに遅し。
その中身は遠慮の無さすぎる歌野の行動力により、暴かれていた。
「……んー?それほど悪くないんじゃない?」
歌野は何やら数字が沢山並んだ紙の上の方に書かれた「35点」という点数を見て、そう言い放った。
「……だって、うたのんに比べたら全然悪いんだもん。」
少し、拗ねるように水都は頬を膨らませる。
「大丈夫!みーちゃんも私と一緒にスタディーすればもっといいスコアになるはずよ!私もがんばるから、みーちゃんも汗水垂らしてガンバりましょう!」
「うぅ、うたのん……。」
「みーちゃん!」
がし、と音がするように抱き締めあった二人の横で、暑苦しそうにしている二人がいた。
「うぅ、じめじめして暑いですぅ。」
「……だな。」
恵那がそう言うと、少しは堪えているのか光成もテンション低めに返す。
温暖な気候が続く中、雨がシトシトと降り注ぎ湿気を高める。
ここは歌野と水都が暮らす家。
そこで四人は勉強会を開いていた。
ことの発端は昨日の昼まで遡る。
最近になって雨の日が続くようになった諏訪では、人々は仕事を終えると娯楽施設が圧倒的なまでに少ないこともあって寄り道せず、すぐ家に帰るようになった。
それは雨の日でも出動することのある勇者達とて例外でなく、最低限の畑仕事を終えると簡単な事務仕事以外やることがなく、それも終えると完全に暇をもて余していた。
当初はカルタや人生ゲームなどのアナログゲームで空いた時間を過ごしていた彼等だったが、一人机に向かい勉強を始めようとした恵那の姿を見て、皆で勉強会をすることにしたのだ。
主にメンバーの中でやる気なのは恵那と同じ巫女の立場にある水都だ。
水都と恵那は一つ歳が離れた関係であるが、諏訪に来て以降大社の大人達と光成から空いた時間に勉強を教えられていた恵那との学力の差が徐々に悪い方向に開きつつあることに気がつき、「このままでは年上の威厳が!?」と、急速に危機感が芽生えたようだ。
恵那の勉強を見る過程である程度勉強らしきことはしていたのだが、最近になって自分では分からない範囲の勉強を恵那がしているのを知り、色々と気にし始め、それに気がついた歌野が今回の勉強会を提案したというのが大筋の流れだ。
教材は近所に住んでいる元小学校の先生をしていたおじいさんから貸してもらい、巫女や勇者の教育関係の仕事に就く大社の人からは課題を出してもらい、そのテストの結果が彼らの手元にあった。
バーテックスが現れてからここ一年近く、水都と歌野は同学年の子供がするような勉強をしてこなかった分、学力が少し落ちていた。
歌野は独学で農業について学んでいたり、カッコイイからという単純明快な理由で始めた英語の勉強をしていたりしていたこともあって、一部の分野では好成績を残すも、全体的に見ると知識が偏りすぎである。
水都は歌野や恵那と共に彼女らの勉強に付き添うことが多かったため、全然ダメダメというわけではないのだが、自分の知識として定着しているのか怪しげな部分が多く見られ、先程歌野に奪われた算数のテストに関して言えば間違いの多くは勉学から離れたが故のケアレスミスが原因だった。
同年代で現在、平均的に優秀なのは恵那だ。
諏訪に来てからずっと勉強していたこともあるが、同居している光成の指導もあってサバイバルに必要な生物に関する知識や、科学の知識だけは歌野以上のモノを持っている。
光成は諏訪に来た当初は将来のことなど考える余裕がなく、歌野の畑の手伝いをするか、実家にいたときのようにロードワークに勤しむ毎日を過ごしていたが、恵那の影響を受けて徐々に元の生活に戻ったときのことを考え始め、前世でならったことの復習をしていたため、大幅に学力が低下してはいない。
今回の勉強会では、主に小中学生組の勉強をみるのが彼の役目だ。
「というわけで、光成さん!私たちのお勉強のお世話、よろしくお願いします!」
「お、お手柔らかにお願いします……」
「おう、任せとけ。」
教えてもらう側の歌野と水都は光成に挨拶をすませると、居間に設置した横長のテーブルに教材を置き、それぞれの勉強へと移る。
主に先のテストの復習とそれの見直しが今回のメインなのだが、歌野は比較的スムーズに進め、水都はうんうんと頭を抱え教材とにらめっこし、恵那は光成に質問しながら疑問点を解消していった。
水都が同じところで悩み続けていると横にいる歌野がフォローに入り、それでも分からないことは光成に聞き、少しずつ分からないことを無くしていった。
順調に勉強を続けること数時間後、一同は休憩に入る。
最近収穫した葉を使ったお茶を雨音をBGMにマッタリとした空気で味わう一同。
そんな中、一人、水都が意を決した様子を見せると、口を開いた。
「あの、恵那ちゃんはなんで勉強を続けてたの?」
「へっ!?えっと、それは……。」
突然な質問に面食らう恵那だったが、水都は慌てた様子ですかさずフォローする。
「あ、別に変な意味はないんだよ。ただちょっと気になっただけだから、言いたくなかったら言わなくてもいいから。」
それに対し隣にいる光成のことをチラチラと見ながら頬を染めた恵那は、体をモジモジさせながら話を始める。
「ちょっと、恥ずかしいけど……。その、私、体力もないし皆と比べたらまだまだ子供だけど巫女としてちゃんとお勤めして、諏訪の皆の役に立つようにがんばろうって思ったの。でも、巫女の力を持ってるだけじゃダメなんだなって同じ巫女の水都ちゃんのことを見てて分かっちゃって……。」
どうにも恵那は巫女にとって重要な使命である神々からの情報伝達が自分は水都ほど上手くないと感じたらしい。
水都の神託の精度が高いことも関係するが、送られてくる神託を即座に他の人に分かるように伝えられるかは本人の技量次第であるため、同じ立場にある恵那はいやでもその差を感じてしまったようなのだ。
「神託の精度は上がらないかも知れないけど、巫女の訓練以外にも、少しでも勉強して皆に分かりやすく神託を伝えられるようにガンバらなきゃって思ったんです。それに、この戦いが終わるかどうかに関係なくいずれ巫女の力は無くなっちゃうから、その時ただの役立たずになりたくないって思ったら、自然と勉強しなきゃってなっただけで、あんまり自分じゃ全然すごいとかは思ってなくて、その……。」
巫女や勇者は無垢な少女にしか務まらない性質上、大人になったらおそらくその力を失うことになる。
恵那は目先の戦いのことだけでなく、先を見越して自ら勉学に励んでいたのだ。
「ううん、恵那ちゃんは立派だよ。私なんて今を過ごすだけで精一杯で、自分の将来のことなんて全然考えてなかった。私の方が年上なのに何もできなくて、ホントにダメダメなのは私の方で……。」
言葉を続けるうちに声がしりすぼみになっていく水都。
それを見て恵那は先程とは立場を逆にして、水都を慰めに入る。
「そ、そんなことないよ、水都ちゃん!それに、私はお、お兄さんの隣に立つためには子供のままじゃダメだと思ったのもあって、えっと、その、うぅ~……。」
色々と耐えられなかったのか、恵那は顔を真っ赤に変化させそれを手で覆った。
なんとも言えない空気になり、名前の出された光成は少し顔を赤らめ、頬を掻く。
「もぉ~~~、恵那さん健気だわ!光成さん、恵那さんを泣かしたらフルでボッコボコのボコにするから覚悟なさい!!」
「……今のでなぜそうなる?」
光成は歌野の言葉に首をかしげる。
彼からしてみれば今の話の流れは妙に感じるようだ。
だって、それではまるで恵那が異性として彼を想っているように聞こえるではないか。
光成としては恵那が自分に向ける感情はそういう単純なモノではないと思っている。
仮にそうだとしても妹のように感じている彼女に対し、今の光成の方にそういう感情はないわけで、断るにしても彼女の心を折る形にするわけにはいかない。
なので、光成は彼女に対し鈍感な振りをすることにしているのだが、そんな男の心の内など知ったことでない少女達は、
「え、もしかして気付いてないの?今のメチャクチャ分かりやすい流れで気付いていないと言うの、この男は!?」
「恵那ちゃんッ、私、応援してるから!折れちゃダメだよ!」
「うぅ~~、水都ちゃぁ~ん。」
といった風に、恵那ちゃん応援ムードに入っている。
自称、ガラスのハートの持ち主である光成は、色々とストレスで粉々になりそうな精神を無理矢理補強しながら心を保つ。
現在は全く動かない表情筋のおかげで周囲を誤魔化せているが、いずれ結論を出さなければならない。
その時のことを考えると胃に穴が空きそうだが、それは未来の自分に託すしかないだろう。
そう、心の中で自己完結した光成は、恵那のおかげで温まった空気が冷めない内に勉強の指導へと移るのであった。
◇◆
依然として雨が降り注ぐ中、雲を通し差し込まれていた日の光が弱まってきた夕暮れ時。
彼らは夕食の準備を始めていた。
今日は歌野達の家でお泊まりすることにしているため、当然夕食もそこで取ることとなる。
と言っても、本格的に夕食の準備をしているのは台所にいる恵那だけだ。
最後に光成から出された試験に三人とも合格ッ!、とはいかず、またしてもミスを連発した水都だけがギリギリ及第点に届かず、今は光成が付きっきりで指導中である。
他の二人はもうすぐ夕食時であることを鑑みて、二人で食事の準備を進めることにしたのだが、予定していた料理の食材が足りないことに気が付き歌野が急遽畑に採取に向かい、残った恵那は一人でできる作業を進めている。
「あのー、及川さん。やっぱり私も夕食のお手伝いをしようかなー、って思うんですけど。」
「安心しろ、どのみち歌野が戻るまでは大したことはできん。時間はまだあるから、今のうちに勉強を進めるぞ。」
「……はい。」
休憩中の出来事のおかげで勉強に対して意欲的ではあるのだが他の二人が働いてる中、自分だけなにもしないことに罪悪感を抱いているのか、先程からペンが進んでいない。
水都は地の頭は悪くないので復習もそれなりに速く終わるはずなのだが、このままでは本人のモチベーションにも悪い影響を与えかねない。
そう考えた光成は歌野が戻ってきたら、勉強を切り上げることにした。
それから十分後、一向に戻ってこない歌野のことが気になり始めた頃、取り敢えず切りのよいところまで終えたということで水都への個人レッスンは一時終了した。
「今日はありがとうございました。」
「まあ、俺も好きでやってるとこもあるから気にするな。取り敢えず、今日のところはお疲れ、水都さん。」
「……えっ?」
「ん?どうかしたか?顔に何かついてるのか?」
突然、驚きの声と共に光成の方を向いた水都に、光成は顔に手を伸ばしながら小首をかしげた。
「い、いえ、突然名前で呼ばれたから、ちょっとビックリしちゃって。」
少し間を開けて光成は気が付いた様子を見せる。
「ああ、そういうことか。最近名字より下の名前の方がよく耳に入るもんだから、つい下の名前で呼んじまったのかもな。」
大社の職員とは業務上の付き合いな所為か、勇者や巫女は名字で呼ばれることが多いのだが、畑仕事の手伝いをする人達が出てきてからは中心人物である歌野の影響か、みんなフレンドリーに下の名前で彼女のことを呼ぶので今では下の名前の方が耳によく残り、自然と「藤森さん」ではなく「水都さん」と呼んでしまったのだ。
「……すまん、嫌だったか?」
「いえいえっ!?全然そんなことはないです!……ただ、私も下の名前で呼んだ方がいいのかなって、思って。」
「いや、別に今まで通りで大丈夫だが?」
光成が水都のことを下の名前で呼んでしまったのは、ただ単に皆がそう呼んでたからだ。
その点で言えば光成はどちらかというと名字で呼ばれることが多かった。
今の諏訪の中に及川は光成以外にいなかったというのもあるが、みーちゃんと呼ばれる存在が近くにいたので年寄りの人が光成と水都と混同してしまうことがあり、差別化した結果、「及川の坊主」やら「及川くん」、「及川の兄ちゃん」といった風に呼ばれることが多くなっている。
そういうわけで別に無理をして呼び方を変えなくても問題はないと光成は考え、それを伝える。
「それはそうだけど、うたのんも恵那ちゃんも下の名前で呼んでるのに、私だけ呼び方が違うのは変なのかなって。」
「そんなことはないぞ?人との距離の取り方なんて人それぞれだ。名字で呼ぼうが下の名前で呼ぼうが大切なのは自分の主観であって、他人の偏見なんかじゃない。自分にあった距離感さえ掴めていれば多少茶化しはするが皆、受け入れてくれるだろうよ。」
「そういうモノなんですか……。」
「そういうモノだ。」
この約一年の交流を経て、さしもの光成も水都から距離を取られている原因に気が付いていた。
その原因とは、親友である歌野が彼に取られてしまうのではないか、という本当に単純な理由である。
出会った当初はそういう発想にいたらなかった光成だが、彼女の人柄を知り、どのような考え方をしているのかが分かりかけてきた頃になって彼女の懸念事項がようやく理解できた。
藤森水都は非常に繊細な女の子であり、かなり人付き合いに慣れていなかった。
故に、始めてできた親友の歌野との関係が変わってしまうことに酷く怯えていた。
前線で歌野と共に戦う関係である光成は巫女である水都では理解できない勇者の思いに共感し、分かり合うことができる。
そして、時間が経てば、もしかしたら歌野にとっての特別な存在が自分ではなく彼になってしまうのではないか?
自分は要らない子になってしまうのではないか?
本人の口から出た言葉ではないが、それに似た様なことを度々口にしていた。
歌野にとって一番の親友は水都であることに間違いはない。
端から見ても、二人の絆は簡単に裂けるようなモノではないと一目でわかる。
ただ、それが事実であっても、当の本人が納得できるかは別問題なのだ。
だからこそ、光成は何もしなかった。
変に意識した行動は、往々にして誤解を生む可能性が高い。
光成は前世を含めた今までの人生経験からそう答えを導きだし、行動している。
それはこれからも変わらないだろう。
「それじゃあ、台所の手伝いにーーー、」
行くか、と言うよりも速く、玄関の方から慌ただしい音が鳴り響く。
「みんなぁーー!ビックニュース!ビックニュースよ!!」
「う、うたのん!?なんで服が泥だらけなの!?」
「そんなことは後でいいから、庭にゴーフォーアウトよ!ハリーハリー!!」
「ちょっと、待ってよ!うたのん。」
玄関を突き破る勢いで居間に入ってきた歌野は勢いに付いてこれていない水都の腕を軽く引きながら、外へと連れ出す。
光成は台所から騒ぎを聞き付けた恵那と共に外に出るとすでに雨は止んでおり、水溜まりのできた庭には茶色くて大きな何かを前にし、驚いて口を抑えている水都と自慢げに胸を張る歌野の姿があった。
「おっきなイノシシさんです……。」
「そう!畑で偶々見つけたから捕まえたの!」
「……いや、討伐の間違いだろ。」
庭にはかなりガタイのいいイノシシが白目を剥いて横たわっていた。
頭部に大きなへこみがあり、恐らく腰につけた勇者の鞭でつけられた傷なのだろう。
それ以外に目立った外傷はなく、一撃で仕留められている。
「前に人里に降りてきた熊を光成さんが退治したでしょ?それを参考にしてみたの。」
数ヵ月前、体長二メートルを越える熊が諏訪の結界をすり抜け現れた時、たまたま居合わせた光成は踵落としで熊の頭蓋骨を粉砕し、討伐したことがあった。
歌野はその時の退治法を真似したようだ。
ちなみにその時取れた熊の体は余さず有効活用している。
「うたのん、大丈夫?怪我してない?」
「ノープロブレム!バーテックスに比べればどうってことはないわ。だから安心して、みーちゃん。」
「もう、あんまり無茶しちゃダメだよ、うたのん。」
心配そうにしていた水都だったが、仕方なさそうな笑みを浮かべる。
「ーーと、いうわけで、光成さん。解体のご指導、お願いします!」
「分かった。取り敢えず準備するぞ。」
実家で鹿の解体を経験したことがある光成は熊の時に地元の猟師の人から道具を借り、処理をしていたのだが歌野はその場に居合わせておらず、次の機会があれば解体法を伝授すると光成と約束していたのだ。
「じゃあ、二人は夕食の準備をしておいてくれ。」
「え、私も解体のやり方、知りたいです。」
「わ、私も今後の参考までに知っておきたいです……。」
時間がかかる上に意外と体力を使う作業なため、自然と二人のことを指導対象として除外していた光成だったが、本人達がやる気であるならば、と快く引き受けた。
その後、彼らが夕食にありつけたのは夜遅くになったものの、尊い犠牲となった猪に感謝し、久し振りの肉を堪能するのであった。
全体的に中途半端な内容になってもうた……
日常って難しいっす。