だから俺は彼女に恋をした   作:ユーカリの木

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一章
こう見えて、比企谷八幡は成長している 1


 恋は難しい。

 

 まず、何が正しいか分からない。なにせ人によって恋の価値観が違うから。俺にとっては正しいことでも、彼女にとっては不都合なことなのかもしれない。

 

 恋は予測できない。

 

 言葉や態度は感情と必ずしも一体とは限らない。表層など容易く取り繕えるからだ。だから勘違いして恋慕を募らせ暴走して、取り返しのつかないことになる。

 

 そもそも恋がわからない。

 

 いつだって俺の恋は紛いもので、心の底から本当の恋というものを感じたことがない。言葉や態度の裏を読む癖があるから、生まれる期待は産声を上げる寸前に意識がぎゅっと押し込んで殺すのだ。

 

 恋なんてしたくない。

 

 分からないから。理解できないから。納得できないから。他人を許容することも、自分をさらけ出して寄りかかることも、俺にとってはひどく難しいことで、判然としなくて、とても怖いことだから。

 

 人の心はとても曖昧で繊細で、確固たる形を持たない。未来の自分の心はおろか、いまですら完全な制御ができない。

 

 それでも、理解してくれようとしてくれる人がいる。知りたいと願える人がいる。さまよえる情動の中で、俺は確かに眩い何かに気づいたのだ。

 

 俺は彼女に恋をした。

 

 俺は彼女が好きだ。

 

 社会は憎悪と悪意に満ち、苦痛や孤独の怨嗟の声に溢れていても、きっといまこの瞬間の俺は誰よりも幸せだと。生まれて初めて手にした恋が、かくも人の闇を祓い盲目にするのだと。

 

 恋が、これほどまで心に荒波を立てるものだと知ってしまった。

 

 だから願うのだ。分かってほしい。実ってほしい。欲してほしい。知ってほしい。隣にいたい。一緒に歩きたい。ずっと、繋がっていたい。

 

 なのに、人生というやつはつくづく苦いらしい。

 

 目の前の彼女が、瞳を驚愕と恐れと懊悩に揺らし、俺を見ずに遥か向こうへと視線を泳がして、首を振って唇を震わすその姿は。きっと、拒絶と定義されるべきもので、俺が欲しかった答えなどではなかった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 予備校の授業が終わり、ほっと息をついた俺は椅子にもたれ掛かる。

 

 ゴールデンウィークがやってくる。

 

 夢と希望と怠惰な時間がいっぱいに詰まった大型連休が、明日やってくる。今年は休みが飛んでしまって九連休とはならなかったが、それでも五連休だ。

 

 高校三年生を迎え、受験戦争に突入した俺もいまから心がうきうきしてしまう。わあ、明日から何しよう……!

 

 心をぴょんぴょんさせながら教室を出る。

 

 本屋行って~、新刊買って~、あと新しいゲームもやりたいよなあー……うわあ、私すごく充実してる……!

 

 思わず口元がニタリと歪む。すれ違った女子生徒(可愛い)が、ヒッと小さく悲鳴を上げて仰け反った。ごめんね、キモくて……。

 

 心の中で謝罪しながらも歩みは止めない。時は止まらない。常に流れ続ける。振り返ってはならない。顧みてはならない。満願成就の連休はすぐそこだ。

 

 俺……この連休は絶対に守ってみせるんだ……!

 

 鼻歌交じりで、なんなら軽くスキップもしながら廊下を進み、自動販売機でMAXコーヒーを購入して一口煽る。

 

 奉仕部の活動は無く、一色いろはの襲撃も無いいま、俺は自由だ。だが呆けてはならない。時間は有限だ。綿密に計画を建てなければならない。

 

 舌先がぬめる甘いコーヒーをすすっていると、ポニーテールの女子生徒が近づいてきた。自販機で何やら飲み物を買うと、俺の隣に立ってこめかみを揉みながら浅い息を漏らす。

 

 景気悪いなあと思いつつも、一応見知った間柄であるから声を掛ける。

 

「よう、お疲れか?」

 

「……まあね。あんたは、なんか元気そうだね」

 

 流し目を向けた川崎沙希が苦笑した。心なしかいつもよりやつれて見える。やだ、受験戦争はまだ始まったばかりなのにもう疲れちゃったのかしら。

 

「当たり前だ。明日からGWだ。黄金週間だぞ。名前からしてワクワクするじゃねえか」

 

「予備校の講義もあるけどね……。それに、受験生でしょ」

 

「勉強は毎日やってる。それ以外の空き時間を楽しむんだよ」

 

 なんだか普通に会話しちゃっている。なんだかんだで予備校で一緒になるものだから、会えばこうして話す仲になったのだ。

 

 なんかさ、と川崎がだらりと身体を壁に預けて天井を仰ぐ。

 

「疲れちゃった」

 

「受験までまだあるぞ。勉強し過ぎなんじゃねえの?」

 

 ふるふると川崎が首を振る。

 

「最近、ちゃんと勉強できてなくて。なんか、集中できないっていうか……なんだろ」

 

 乾いた笑みを貼り付けた川崎が、泣きそうな目で俺を見る。それは、親に縋る仔リスの目だ。

 

 すぐには声を出せず、頭をガシガシと掻く。

 

 違和感があった。

 

 たぶんあれだ、勉強に意識が向きすぎてまた周りが見えてないだけなのだろう。一言二言アドバイスでもすれば自己完結するに違いない。

 

 いのち短し、悩めよ乙女。悩んだ数だけ強くなるぞ、うん。

 

「なんつーの? 気を張り過ぎなんじゃねえの? 集中できないなら気晴らしでもしたらどうだ?」

 

「そんな暇ない」

 

「……は?」

 

「家事しなきゃいけないし、けーちゃん達の相手しなくちゃいけないし、色々、やらないとだし……」

 

 え、なに、どゆこと?

 

 川崎の様子がどんどんおかしくなっていく。顔を俯かせ、唇を噛みしめ、肩を震わせる様は、いまにも泣き出しそうなくらい小さく見える。

 

 まだ予備校に残っている生徒たちから怪訝な目で見られていた。お、俺が泣かしたわけじゃないよ? というかまだ泣いてないよ! たぶん……。

 

「ちょ、待て、落ち着け。あれだ、サイゼ行くか。な?」

 

 慌てて提案を繰り出す俺に、川崎がこくんと頷く。

 

 なんだか元気のない川崎を連れ立って予備校の建物を出る。外は夜の帳が下りていた。時刻はもう二十一時を過ぎている。

 

 俯いて無言で付いてくる川崎を気にしつつ、マリンピア専門館の向かい、サイゼリヤ稲毛海岸駅前店に入る。店員に案内された四人掛けの席に座ると、ふぅっと重い吐息が漏れた。

 

 対面に座った川崎は俯いて表情を隠したままだ。いかにも落ち込んでますといった様子にこちらは困ってしまう。

 

 ぼっちは感情を隠すことがうまい。そもそも表に出しても誰も気づいてくれないから、成長の過程で心の内に仕舞うことを覚えるのだ。俺もそうだし、きっと、川崎もそうだ。俺たちの感情に気づいてくれるのは近しい家族だけだ。

 

 つまり、いまの川崎は十中八九重症だ。

 

「ま、なにか頼むか。どうする?」

 

 いつもならすぐに店員を呼ぶところだが、川崎を見やりつつ声を投げる。俺もこういう気遣いができるようになったのだ。主に一色の所為で……。

 

 ん、と川崎がメニューの一部分を指差す。ドリンクバーだ。

 

「それだけでいいのか?」

 

「お腹すいてない」

 

 えー、サイゼに来たんだからフォカッチャとかミラノ風ドリアとか頼もうよ。なんて言えるはずもなく店員を呼んで注文する。

 

 ドリンクを取りに行くべく立ち上がるが、川崎は店内に入ったときのまま両膝を眺めたままだ。仕方ない、ついでに川崎の分も適当に持ってきてやるか。

 

 コーヒーとウーロン茶を入れて席に戻るも、川崎の恰好は先ほどから寸分も違わない。

 

 こほんと軽く咳払いをしてみるも川崎は動かない。え、こいつ地蔵か何かなの?

 

 しばらくコーヒーに口をつけてはテーブルに戻すを繰り返す。その間、川崎は口を開かない。沈黙が重い。空気が痛い。

 

 ふえぇぇ、ガハマさん助けてよぉぉぉ……!

 

 奉仕部のコミュニケーションモンスターを呼び出そうか悩んでいると、ようやく川崎が顔を上げた。眉を下げ、目じりに涙を浮かべる川崎がぽつぽつと話し出す。

 

「最近、なんだか疲れちゃって。家のこととか、勉強とか、やんなきゃいけないこと多くて。でも受験生だし、頑張んないとって。みんな同じだって、きっとこういうものなんだって思って……でも、色々手がつかなくなっちゃって。どうしていいか、分かんなくなった……」

 

 言葉を切って川崎が唇を噛む。

 

「両親に迷惑掛けたくないし、大志だって高校に入ったばっかで大変だろうし、あたしのことはあたしで何とかしないといけない。掃除して、洗濯して、ご飯作って、お弁当も作って、勉強して、けーちゃんの送り迎えして、相手して……」

 

 川崎の目じりから涙が零れる。

 

「なんで、いつもちゃんと出来ていたのに……」

 

 両手で顔を覆った川崎が弱々しく嗚咽した。

 

 俺も思うところはあって、息が細るのを感じた。

 

 家族を想うが故に潰れた。そう解釈するのが妥当だろう。両親が好きだから家事をする。弟たちが好きだから世話を焼く。家族が好きだから自分は我慢をする。

 

 これまでは家族と川崎自身を量る天秤が家族側に傾いていた。それが、受験の年になって天秤の重さが狂った。

 

 誰だって自分は大切だ。人生を左右しかねないものがすぐそこまで迫っているとなればなおさらに。

 

 優先度が変われば行動も変わる。だが、川崎の場合は違った。家族愛が優先度を超えた。それでも自身のことも大切だから、思考のどつぼに嵌って身動きが取れなくなった。

 

 たぶん、そう遠くない考えだろう。

 

 そして、もしかしたら小町が通るかもしれない道だ。なんだかんだ完全な兄離れをしていない妹だ。こういう未来もあるだろう。

 

 川崎の問題を身近に据えてしまうと、どうにも他人事のように思えなくなる。小町ならきっと大丈夫。性格からしてこうまで内に溜め込むタイプではない。それでも、あるいは、と考えてしまう。

 

「息抜きしろって言っても無理か?」

 

「……分かんない」

 

 川崎が首を振って答える。単純な回答もいまの川崎の前では無意味だ。息抜きなんぞ出来る器用さがあれば、こんな風になっていない。

 

 例えば息抜きを無理やり行って、この先なにかが変わるか?

 

 答えは否だ。

 

 川崎はきっと同じ袋小路に迷い込むだろう。己よりも家族を大切にする優しい女の子だから。パラダイムシフトを起こさなければ何も変化はない。

 

 川崎の優先度を変え、家族に頼るように促し、家族もまた長女の苦難を理解する。

 

 手はふたつある。

 

 一番簡単かつ当たり前である程度の効果が期待できる方法と、効果は大きいが後始末が面倒になりかねない方法。

 

 スラックスのポケットにあるスマホに指を触れる。

 

「家族と話し合えないのか?」

 

「こんなの言えない。だって、家族が重荷になってるなんて、そんなこと……!」

 

 言って、自分が口にした言葉の意味に気づいた川崎の顔が歪む。

 

 見ていられない。

 

「川崎、家出するか」

 

「……え?」

 

 俺の提案が突拍子もないのか、川崎は目を丸くして首を傾げた。正直下手に冷静になられると拒否される可能性が高まる。ここは言葉で畳みかけるしかない。

 

「もう家事やらなんやら家のことは全部置いてきちまえ。この連休中はとにかく遊びまくれ。提案者だからあと腐れないように問題は俺が対処する。この五日間、川崎が好きなように使え。少しくらいやりたいことあるだろ。いっそそれ全部やっちまえ」

 

「え、でも、そんなの無理に決まって……」

 

 当然の科白に俺は手早く返す。

 

「無理じゃない。無理やりやるんだ。家出って言ったろ。世の中の主婦だって実家に帰らせて頂きますとか置手紙残して家出するだろ。それと同じことだ」

 

「でも、家出って……どこに行けばいいのさ」

 

「候補はある。由比ヶ浜とか雪ノ下とか、まあそんくらいだけどな」

 

 触れていたスマホを握りしめてポケットから出す。

 

 こういうときはあの二人に頼りたい。この方法が正しいなんて思っていない。去年からすれば変わった俺だが、結局のところ意地や性格は悪いままで、やり方だって間違いだらけだ。

 

 いまの俺には、間違いを正してくれる人が必要だ。あの二人ならばそれに足り得る。むしろ駄目出しされまくって説教されて泣くまである。その後、ちゃんと助言をくれるはずだ。

 

「まず二人に話を通すが、構わないか?」

 

 恐る恐る聞くが、川崎は再び俯いてしまう。

 

「できれば……あんまり人に話さないでほしい」

 

 ですよねー。

 

 家族の重い話とかなかなか他人に話せるものじゃない。それに、川崎とあの二人は特別仲が良いという訳ではない。考えたら、サキサキの友達って誰なんですかね……。

 

 一応同じクラスメイトである川崎の学校内での行動を思い出す。

 

 ……うん、いつもひとりだね!

 

 あっれー、さっそく詰んだぞー?

 

 まだだ。まだある。平塚先生がいるじゃないか! どうせまだ独身だし、可愛い生徒のひとりくらい預かってくれるはずだろ。

 

 ……もう転勤しちゃったんだよなあ。学校変わっていま絶対忙しいだろうし、無理だろなあ。

 

 やばい。自信満々に家出しろって言ったのに家出先が無い。

 

 川崎の事情に精通しており、信頼に足る人物であり、GW期間中が暇かつ家に泊めてくれる人物。

 

 ないわー。そもそも俺に人脈がない。

 

 なんて、脳内でふざけないといけないくらいに打つ手がない。

 

 人生相談なんて柄じゃないし、こなせるほど人格者でもない。千葉県のお兄ちゃんでもできないことはあるのだ。

 

 ふいに、スマホがぶるぶると震え出した。川崎に断って画面を操作すると、小町からの着信だった。まったくもう、少しは空気読んでよね。お兄ちゃんいま考え中なんだけど……。

 

「はいもしもしー」

 

 それでも妹の電話には出る。どうも俺です。

 

「あ、お兄ちゃん? 帰りにアイス買ってきてくれない? チョコバー的なやつ。ハーゲンダッツだと小町的にポイント高いかなー」

 

 うわあ、こいつ奢って貰う気満々だよ。八幡的に超ポイント低い……。

 

「小町ちゃん、いま取り込み中だから後にしてくれない?」

 

「え、なに? どったの?」

 

「まあなに、人生相談窓口受付中みたいな?」

 

「お兄ちゃんが? 人の相談を? 嘘だー」

 

 うちの妹がひど過ぎる……。

 

 一応奉仕部だよ? 相談とか超乗ってきたからね?

 

 よしさっさと切ろう。さっきから川崎がぽかーんとした顔で俺を見てくるし。

 

「という訳で切る。アイスは買ってやらん」

 

「待った待った! ちょーっと待った!」

 

 耳からスマホを離そうとした途端、大声で小町に呼び止められる。

 

「なんなの、お兄ちゃんいま忙しいから。ちょっぱやでハコ抑えてケツカッチンだから」

 

「いや、それ全然意味分かんないからね。とりあえず、家に連れてきたら? お兄ちゃんがそんな相談受けたこと無いでしょ。普通なら絶対スルーして家に帰ってくるはずだし」

 

 さすが小町。俺のことをよく分かってらっしゃる。

 

「さすがにもう遅いだろ。夜に女子を連れまわしたら捕まっちゃうだろうが」

 

「んんー? 結衣さん? それとも雪乃さん?」

 

「違う」

 

「んー、いろはさん?」

 

「一色のお願いなんざ夜に受けねえよ。営業時間外だ。川崎だよ。というかもう切るぞ? 真面目な話なんだよ」

 

「待った待った! ホントに待った!」

 

 いっそスマホの電源でも落としてやろうと指を動かすも、またも小町に止められる。さすがにこれ以上兄妹コントを続ける訳にもいかない。

 

 声を低くして小町に告げる。

 

「小町、三度は言わんぞ。真面目な話だ」

 

「分かってるって。だから家に連れてきて」

 

「なんでそうなるんだよ」

 

「お兄ちゃんの手に余るでしょ」

 

 んぐぅ……。

 

「どうせ提案だけして実行不可能とかそんなオチなんじゃない?」

 

 ぐふっ……。

 

「お兄ちゃん、ちゃんと分かってる? お兄ちゃんに頼ってるんだよ? これもう相当だよ? ごみいちゃんの頭だけで解決できるわけないでしょ」

 

 もうやめて! もうお兄ちゃんのライフはゼロよ!

 

「分かってる。理解もしてる。だから今考えてるんだよ」

 

「で、答えは出たの?」

 

「……考え中だ」

 

「いつ出るの?」

 

「……分からん」

 

「急ぎの問題?」

 

「喫緊だな」

 

「いま小町に話せる?」

 

「そもそも話せんな」

 

 はあー、と小町が長い溜息をこぼす。

 

「いまどこにいるの?」

 

「あ? 稲毛海岸駅前のサイゼだけど……っておい。まさか来るつもりじゃないだろうな? 夜間外出なんてお兄ちゃん許しませんよ!」

 

「そう思うなら連れてきて」

 

「いや、だがな……」

 

「いいから。準備しとくから連れてきなさい」

 

 命令口調で言った小町が一方的に電話を切った。

 

 ええー……。あいつ無茶苦茶言ってない?

 

 でも、確かに行き詰ってはいたし、俺にも思考の転換が必要だ。とはいえ、川崎が承諾するかどうか分からない。俺だって納得しちゃいない。だってほら「家寄ってく?」みたいなリア充会話を俺ができるはずがない。

 

 どうすんだよこれ。

 

 思わず頭を抱えると、川崎が息を呑む音が届く。

 

「ごめん……。変な話しちゃって。やっぱさっきの無しで。ごめん、忘れてくれていいから」

 

 立ち上がった川崎が俺を見降ろして言った。その表情はひどく痛々しい笑みだった。

 

 ああまったく、人生相談なんて受けるもんじゃない。こういう顔をされると罪悪感で胸が締め付けられる。

 

 もう駄目で元々だ。無様になってもいいじゃないか。川崎も俺に対して心の内を晒したのだ。俺も覚悟を決めるべきだろう。

 

「川崎」

 

 そのまま帰ろうとしている川崎を呼び止める。振り返った川崎と目を合わせて言う。

 

「家、来るか?」

 

「……え?」

 

「まあ、あれだ。今日だけとりあえずな。小町も連れて来いって言ってるし。どうだ……?」

 

 考えを巡らせているのか、しばらく視線を惑わせた川崎は、一度目を伏せて俺を見る。

 

「……いいの? あんたらしくないんじゃない?」

 

「俺も多少は変わったんだよ。それに、お前の境遇は色々重なるんだよ。ここで何もしないと後悔する気がしてな……」

 

 ああすればよかった。こうすればよかった。そんな後悔はたくさんある。黒歴史鑑賞モードなんてあるくらいだ。後悔については一家言ある。その中でも、今回の件は確実に上位に食い込むだろう。知り合いが潰れていく様を何もせずに見ているだけなんて、後味が悪い。

 

「それに、同じシスコン同士だろ。まあ、助け合うのも悪くないんじゃね?」

 

 俺にできるのはこれくらいだ。あとは川崎が決めるしかない。

 

「ほんとに、いいの?」

 

 再度川崎が問う。今度は幾ばくかの切実さを伴って。

 

「おう。たまには人の好意に甘えてみろ。人生なんて苦いんだから、適度に甘味を摂らんとやってられんぞ」

 

 残っていたコーヒーを飲み下す。

 

 苦い……。砂糖とガムシロ入れ忘れたよ……。というかなんで最初に飲んだときに気が付かなかったんですかねえ……。

 

 想定外の味に顔をしかめていたら、ふふっと、初めて川崎が笑った。

 

「ありがと」

 

 その笑顔は、素直に綺麗だと思えた。

 

 

 

 


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