だから俺は彼女に恋をした   作:ユーカリの木

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四章
どんなときも、最後に頼れるのは家族である 1


 想定していた最悪の事態のひとつが起きた。

 

 これは少なからず考えていた事象だ。だが、早すぎた。まさかゴールデンウィーク中盤に発生するとは想定していなかった。甘かった。

 

 こくんと喉を鳴らす。隣にいる沙希は震えていた。大丈夫だということを伝えたくて手を握った。沙希の震えが止まる。お互い見合って頷いた。

 

「なにがあった?」

 

 電話口の大志は意気消沈の雰囲気を出していた。それでも高校生として成長したからか、出した言葉はちゃんと精査されていた。

 

「まず、姉ちゃんがいないことで京華と渉が泣き出しました。なんとか俺がなだめすかしたんですが、日に日にひどくなっていって……。うちの両親はゴールデンウィークも結構仕事入ってて、いまは家事とか俺がやってるんですが、やっぱり料理がうまくいかなくて。二人とも結構ご飯とか残しちゃうんですよ。俺も結構それがショックで……。両親も徐々に二人の様子がおかしいことに気づいて家族で会話の場を持ったりしたんですが、やっぱり姉ちゃんがいないことがすごく大きくて……。しまいには両親が喧嘩を始めて、京華と渉もそれにびっくりして癇癪を起しちゃって、さっきようやく静かになったとこです」

 

 聞く限り、やはり川崎家で沙希の存在はあまりにも大きかったのだろう。沙希という柱が無くなっただけですべてが狂いだした。

 

 正直これは手に余る。俺だけじゃ対処できない。

 

「大志……ごめんね。ほんとにごめんね」

 

 沙希が泣きながら大志に謝る。大志は慌てたように声を重ねた。

 

「違う! 姉ちゃんのせいじゃない! 俺が、俺たちが姉ちゃんに頼りすぎてたんだよ。ゴールデンウィークでそれがよく分かったんだ。今日だってそれを言ったんだけど、みんな余裕がなくてなかなか聞いてくれなくて……姉ちゃん、俺どうすればいいんだろう……? ホントは姉ちゃんにこれ以上迷惑なんて掛けたくないのに、もう訳わかんなくて……」

 

 思考する。

 

 大前提として、俺だけじゃ無理だ。第三者介入が必要だ。すぐには結論が出せない。だが、事態の解決は早急に行わなければならない。でなければ、沙希が帰ったとしてもまたパンクする。それは最悪の結末だ。

 

 俺は慎重に言葉を選ぶ。

 

「大志、明日まで待てるか? こっちで対処法を考える」

 

「……はい。比企谷先輩、うちの家族の問題に巻き込んで本当にすみません」

 

「気にすんな。もう最後まで付き合うつもりだったからな。こっちでなんとかする。お前は今日は何も考えずにゆっくり休め。今日までご苦労だったな」

 

「ありがとうございます。比企谷先輩、姉ちゃん……夜遅くにホントにごめんなさい。あとお願いします。おやすみなさい」

 

 電話が切れる。

 

 沈黙が部屋を支配する。

 

 考えろ。解決法を導き出せ。これは絶対に失敗できない。誰に頼るのが一番だ?

 

 由比ヶ浜か? 雪ノ下か?

 

 駄目だ。

 

 高校生が出張って対処できる事態を越えている。

 

「八幡……」

 

 沙希が不安な表情で俺の手を強く握ってくる。俺は問題ないと頷き、反対の手で沙希の髪を撫でた。

 

 沙希の心を守る。川崎家を守る。これが用意すべき結末だ。

 

 俺の面目など、もうどうでもいい。

 

「……最後の手段を使う」

 

 沙希を引っ張り上げる。

 

「どうするの?」

 

「俺たちは高校生だ。ようするにまだ子供だ。なら、親に頼ればいい」

 

 言って、俺は沙希と一緒にリビングに降りた。リビングには相変わらずソファーでテレビを見ていた母親と、いつの間にか帰ってきていた父親の姿があった。

 

「おう、八幡に沙希ちゃん。まだ起きてたのか」

 

 父親が小町が用意していた夕食を食べながら俺たちに声を掛ける。その声はどこか嬉しそうだ。

 

 返事はせず、リビングの入口で立ち止まってふたりを見る。

 

「母ちゃん、親父、話がある」

 

 久しぶりに両親へ向けた真面目な声。ふたりは俺の様子にすぐに気づき、一度目を見開いた後、大きく頷いた。

 

「おう、なんだ? まずいことでも起きたか?」と父親。

 

「川崎家で問題発生だ。沙希がいなくなったことで家が回らなくなった。さっき沙希の弟からヘルプの電話が掛かってきた」

 

 二人の眉が上がる。

 

「お父さん、明日仕事休める?」即座に母親が父親へ問いを投げる。

 

「仕事もあらかた片付いたし、代休を無理やりねじ込む。お前は?」

 

「同じ。問題ないよ。明日沙希ちゃんの家に行こう」

 

 即断即決だった。

 

「え、仕事大丈夫なんですか?」

 

 沙希が慌てて声を挟む。二人は安心させるような笑みを沙希へ向けた。

 

「大丈夫。沙希ちゃんはもう娘みたいなもんだからな。困ってるっていうなら助けるさ。大人っていうのはそういうものだからな」

 

「八幡と小町が世話になってるしね。沙希ちゃんの両親にお礼に伺う良い機会だわ」

 

 母親が一拍おいて、沙希へ訊く。

 

「沙希ちゃん、家に帰りたい? それともここに居たい? 本音を教えて?」

 

 沙希が息を呑んだ。視線を彷徨わせて唇を震わせる。喉の奥を小さく鳴らして、

 

「……帰りたく、ないです」

 

 沙希が告げた。

 

 ふたりが大きく頷く。

 

「なら決まりだ。明日沙希ちゃんの家に行く。一応小町も連れてこう。八幡は来た方がいいと思うか?」と父親。

 

「正直、男の家に泊まってるってのは心証はよくないね。けど、連れてく」

 

 いい? と母親に目線で問われる。当然頷いた。

 

「うん、よし。あんたなら大丈夫」

 

 母親が微笑み、沙希へ視線を向ける。

 

「ほら、沙希ちゃんおいで」

 

 沙希がとぼとぼと母親の下まで行く。ソファーから立ち上がった母親が沙希を抱きしめた。

 

「あんたは頑張ったよ。頑張った頑張った。偉いよ、すっごく偉い。だから大丈夫。あとはお母さんたちに任せなさい。明日のことは大丈夫よ」

 

 ひっく、と沙希がしゃくりあげる。

 

「いいよ、泣いちゃいなさい。たくさん涙が溜まってるでしょう? ほら、お母さんが全部受け止めてあげるから」

 

 沙希が母親の背に手を回して、嗚咽を吐き出した。その様を眺めていた俺の肩に力強い感触。父親だった。

 

「行くぞ。こういう女の涙は見ないようにするもんだ」

 

 父親と一緒にリビングを出て自室へ入る。父親は閉めた扉に背を預けて腕を組んだ。

 

「よく頼ってくれたな八幡。俺は嬉しいぞ」

 

「いいのか? 正直気が進まなかったんだが……」

 

「いいに決まってる。お前は頼ることを知らなすぎるからな。もう少し頼って欲しかったんだよ。いい機会だ。親父と母ちゃんの格好いいところを見せてやるよ」

 

「ありがとう」

 

 父親がくしゃりと笑った。

 

「お前も変わったな。沙希ちゃんのお陰か」

 

「かもしれん」

 

「なら、今回は頑張らないとな」

 

「なんとかできそうなのか?」

 

 不安になって訊くが、問題ないというように父親は頷く。

 

「こういうのは親の仕事なんだよ。ま、沙希ちゃん家の事情も分からないことはないし、うちだって似たようなもんだからな。正直家が回ってるのは小町と八幡がちゃんとしてるからだ」

 

「小町だけだろ」

 

「なに言ってんだ。お前もだよ。小さいころから小町の面倒見てくれただろ。ちゃんと知ってるんだぞ? いまだってそうだ。小町のことよく見て面倒見てくれてる。だから小町も大丈夫なんだよ」

 

 うるっときた。まさかそんな風に見られていたとは思わなかった。

 

 父親が照れくさそうにガシガシ頭を掻いた。

 

「まあ、こういう機会でもないと言えないからな。八幡には感謝してるよ。小町の面倒みてくれてありがとうな」

 

「ちょ、やめろって。最近涙もろくなってんだから……」

 

「おう、泣け泣け。俺も抱きしめてやろうか?」

 

「泣くのは沙希の前だけでいい」

 

「おうおう、こりゃ随分と落とされたな」

 

 父親が野太い声で笑う。だが、すぐに笑いを収めて真っ直ぐに俺を見つめてくる。

 

「八幡、いい加減腹くくれ。もう、いい加減いいんじゃないか?」

 

 なんのことを言っているかすぐに分かった。

 

「……そうだな」

 

「まあ、いまの事情が事情だし、いますぐにってはいかんだろうが、最終日には決めてこい」

 

「まったく、誰も彼もそればっかだな」

 

「そりゃお前が好かれて心配されてる証拠だ。良かったな」

 

 目の奥が熱い。本当に泣きそうだった。ぐっと奥歯を噛んでなんとか堪える。その様をじっと眺めていた父親は、一度ふっと笑みを漏らして背を向けた。

 

「小町には俺から話しておく。今日はふたりでゆっくり寝な。おやすみ」

 

「……ああ、おやすみ」

 

 部屋を出る直前、あ、と父親が声を上げて振り返った。

 

「あれはちゃんと使えよ?」

 

「なんで最後に台無しにするのこの親父は⁉」

 

 思わず叫ぶ。呵々と笑った父親はそのまま部屋を出て小町の下へ向かった。

 

 なんとも言えない気分になってごろりとベッドに転がる。

 

 そういえば、両親にこうして頼ったことなどあっただろうか。記憶を遡る。

 

 ない。

 

 一度もなかった。問題に直面すればそれはいつだって俺だけの問題で、俺が解決すべきものだった。

 

 そう、思っていた。

 

 それで何とかなってきたのだ。色々なものを犠牲にしてしまったが、いまさら後悔などできない。できれば黒歴史は消したいが……。

 

「間違ってたのか……」

 

 素直にそう思えた。許容量を超えれば誰かに頼ればいい。そうでなくても相談すればいい。そんな簡単なことが俺には難しかった。それが今回できた。たぶん、これは成長と呼べるものなのだろう。

 

 人生はひとりで生きていけるほど甘くはない。分かっていたはずなのに、根本で理解できていなかったのか。あるいは、人という存在に嫌悪にも似た恐怖を抱いていたから頼れなかったのか。もしくは、ただの諦めなのか……。

 

 はっ、と笑った。

 

 いまになって過去の自分を考察しても意味がない。成長できたのなら、乗り越えられたのなら、次は前を見よう。

 

 やらなければならないことがある。

 

 助けたい人がいる。

 

 助けたい場所がある。

 

 なら、いまは振り向かず立ち止まらず、前だけをみて歩こう。

 

 控え目のノック音。

 

 少しだけドアを開けた沙希が顔を覗かせる。

 

「入っていい?」

 

「いまさら気にする必要ないだろ」

 

「うん」

 

 おずおずと沙希が部屋に入ってベッドに腰を下ろす。俺も上半身を起こして沙希の隣に座りなおした。

 

 沙希の顔を見ると、目元がうっすら赤くなっていた。でも、どこかすっきりしたような顔をしていた。

 

「ね、良い家族だね」

 

「まあ、否定はしないな」

 

 とてん、と沙希が頭を肩に乗せてくる。

 

 恋しかった温もりが灯る。心がぽっと温かくなった。沙希を感じるだけで不安が吹き飛んだ。なんとかなる、そう思えた。

 

 ねえ、と沙希が愛しい声を出す。

 

「少し、ちゅーしていい?」

 

 即答しかねた。さすがにまだそういう行為に羞恥心は拭えない。だって今日初めてしたんだもん……!

 

「改めて言われると恥ずかしいんですけど……」

 

 ぷいっと顔をそむける。

 

 じゃあ、と沙希が顔を向けた気配がした。伸びた指先が俺の両頬を挟み、沙希へ優しく導かれる。心から恋焦がれる端正な顔が近づいてくる。

 

「無理やりする」

 

 そっと触れるだけ。今度は心が温かくなった。冬だった季節が急に春に変わったかのような、そんな温かさだ。

 

 目をとろんとさせた沙希が唇を開く。

 

「あと十回」

 

「ちょ、多っ……!」

 

 つっこみを入れる前に口を塞がれた。さっきよりも深く長く。互いの吐息を交換できるほどに。

 

 やがて顔を離した沙希がくしゃりと笑った。

 

「うん、やっぱり次で最後にする。だから……」

 

 飴色の表情で沙希が再び顔を近づける。瞳を閉じて、心震わせる声で言った。

 

 ――長く、ね?

 

 自然と動いていた。

 

 唇が重なるだけで、心が触れあっているような感覚がした。ひとつになって、溶けて別の何かに変貌していくような、それでいて不安感なんて微塵も感じなくて。ただ、いまこの瞬間が永遠に続けば良いのに願って。逆らえない自然の摂理だけが唯一の不満だった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 夜が過ぎて朝になると、にわかに比企谷家は騒がしくなった。母親と父親は朝から手土産がどうだの服装がどうのとバタバタしているし、小町も家事で忙しなく動きまわっていた。かくいう俺と沙希は、三人から「ふたりでどっか行ってろ」と言われてしまった。

 

 外出でもするかとリビングを出る直前、俺だけ母親からちょいちょいと呼ばれる。なんだ、と疑問に思って沙希を玄関に向かわせ母親の下へ向かうと、いきなり五万を目の前に差し出される。

 

 諭吉様が五人も現れて俺としては思わず拝みたくなる。

 

「小町から聞いたよ。あんた、沙希ちゃんに五万渡したんだって?」

 

 なんで言っちゃうかなあの子は……。お兄ちゃんの情報が全部母ちゃんに筒抜けな気がしてきたよ。

 

「あんたがなんでその発想に至ったのかが親としてすごく心配だわ。まあ、相手が沙希ちゃんならいいんだけれど。まあ、そんなわけで同じ額渡しとくわ。高校生の貸し借りは面倒だからあげちゃいなさい」

 

 大金が舞い込んで思わず恐縮しつつ受け取る。

 

「元からそのつもりなんだけどな」

 

 俺の返答に母親が絶句していた。

 

「塾の費用を懐に入れてるあんたがそんな科白を吐くなんて……」

 

 知ってたのかよ……。

 

「まあいいわ。とりあえず行った行った」

 

 母親に背を押され、ふたりして家から追い出される。

 

 そんな訳で、俺と沙希は住宅街をとてとてと歩いていた。

 

 相変わらずゴールデンウィークは程よい天気だ。太陽もまだやる気がでないのか、ポカポカした陽気で、時折吹く風は心地よくて非常に過ごしやすい。まだ春が続いているような気候だ。青葉も萌えて見ていて気分が良い。

 

 天気予報によると、五日間はずっと晴れが続く。降水確率も低いし、突然の雨に降られることもないだろう。

 

 なにはともあれ、今日も非常にお出かけ日和ということだ。まあ、普段あまり家を出ないから気にしたことはないけど……。

 

 隣を見る。

 

 今日は普段通りの装いに戻った沙希は、淡い水色のTシャツの上に白のパーカーを羽織り、青のスキニーデニムに白いスニーカーを履いた格好だ。

 

「行きたいとこあるか?」

 

「んー、どうしよっか。時間も決まってるし」

 

 俺の問いに沙希が首を捻る。

 

 十四時には家族全員で川崎家に行くことになっているから、そこまで遠出はできない。

 

 考えた末に沙希が出した答えは、ここら辺の高校生が出すいつもの回答だ。

 

「イオンで時間でも潰そっか」

 

「だな。行くか」

 

 元々駅へ向かっていたから、駅前にあるイオンというのは実に都合がよい。主にあまり歩かなくていいという点では満点だ。働きたくない、永遠に……!

 

 少し無理をして残念なことを考えていても、やっぱり沙希のことが気になった。こっそり様子を伺うが、一見していつもと変わらない表情と雰囲気をしていた。だが、少し目が虚空を泳いでいるようにも見えた。やはり家のことが気になるのだろう。

 

「八幡」

 

 突然沙希に呼ばれて変な声が漏れる。

 

「んぁ? どうした?」

 

 沙希が頬を赤らめて顔を逸らした。

 

「そんなに見つめないで……その、ちゅーしたくなるから」

 

 ぼん、と顔が一気に熱を持つ。

 

「悪い……」

 

「ううん、いいんだけど。ほら、昨日いっぱいちゅーしたから、まだ感触が残ってて……」

 

 沙希が艶のある唇に触れる。昨日のことを思い出して俺は赤面することしかできない。ふたりとも寝入るまでずっとキスしていたのだ。まったく青春だな、とか自分で自分を茶化してないと平常心が保てそうにない。

 

「その……ね」

 

 沙希が言いづらそうに言葉を重ねる。

 

「やっぱり、その……ふたりになれる場所がいいかも」

 

 ぱっと浮かぶ二人になれる場所。カラオケにマンガ喫茶。ふたつとも沙希と濃厚な時間を過ごした場所で、思い出すと身体が熱を持つ。

 

 こくんと喉が鳴った。

 

 落ち着け比企谷八幡。

 

 今日はそんな場合じゃない。大事な用事があるんだから、浮ついているときではない。

 

 軽く深呼吸をして、心を保つ感情の天秤を冷静に傾ける。

 

「個室のカフェでも探すか。確かこの辺にもあったはずだし」

 

「……うん」

 

 沙希が手を差し出す。それを握って駅前を散策する。少ししてカフェが見つかって、店内に入って店員に確認すると個室席があった。案内されて中に入ると、簡素のテーブルと対面に並べられた椅子の少し狭い場所だった。ふたりで過ごすには丁度良い場所だった。

 

 沙希はカフェオレを、俺はコーヒーを頼んでしばらくふたり見つめ合った。最初に口を開いたのは沙希だ。

 

「……やっぱり、少し不安かも」

 

 沙希が顔を伏せて視線をテーブルに落とす。

 

「だろうな。何が不安か言ってくれ」

 

「分かんなくて。ただすごく罪悪感があって。あたしがもっとちゃんと強ければって思っちゃう……」

 

「沙希は頑張りすぎるほど頑張った。だから少しくらい休んでもいい。なあ、たぶん、沙希のことで家族間でちゃんとした会話の場を持って来なかったんだろ?」

 

 こくんと沙希が頷く。

 

「置かれた状況をちゃんと説明して、自分の気持ちを素直に言えば良い。今回は俺も小町も親父も母ちゃんもいるからな。全員沙希の味方だ。まあ、別に川崎家が敵ってわけじゃないし、沙希が自分の想いを伝えるための機会ができたってくらいに考えとけ」

 

「なんだかね。すごく不安なことばっかりで……。あたし、家族を裏切ってるんじゃないかって。あんなに大事だったのに重荷になんて感じて、こうして逃げてることが本当に良かったのかなって……」

 

 沙希が心中を吐露する。

 

「あたしはすごく楽しかった。八幡と一緒にいられて幸せだった。でも、あたしだけがそんな良い目あってるのに、家族は大変な状況で……。なんだか、胸が痛いの……」

 

 沙希の中で家族の優先度はまだ高い。もっと自分本位になっていいはずだ。

 

「沙希、お前はもっとわがままになっていい。高校生にしちゃあ上出来すぎるくらい家族に尽くしてる。俺を見てみろ、毎日ぐだぐだしてるぞ。普通の高校生なんてそんなもんだ。少しくらい楽したって責められるもんじゃない。もっと気楽に考えていいんだよ」

 

「そうかな……」

 

「家族に不満を持ったり家族の愚痴を言ったりなんて、割と普通なことだ。別に特別なことなんかじゃない。沙希は頑張りすぎてるんだよ。もっと自分を労わっていいし、甘やかしたっていい」

 

 うん、と沙希が頷いた。

 

 しばらく無言の時間が続いた。

 

 ふいに、個室の扉が開いて店員が入ってくる。カフェオレとコーヒーをそれぞれテーブルに置き、店員が一礼して去っていく。

 

 俺はスティックシュガーを五本くらい掴んで入れようとして、沙希に止められた。

 

「八幡……やっぱりそれ止めた方がいいよ。糖尿になるよ?」

 

「人生苦いんだからコーヒーくらいは甘くていいだろ」

 

「あたしが甘くしてあげるから……それじゃだめ?」

 

 言葉に詰まる。実はここ数日マッカンを我慢していて若干禁断症状が出ているのだ。あの黄色いパッケージが恋しい……!

 

「こ、コーヒーは甘いくらいが丁度いいんだよ……」

 

 なんとか捻りだした科白は全然説得力がなかった。沙希が苦笑する。

 

「ホントに甘いの好きなんだね。今度お菓子作ってみよっかな」

 

「作れるのか?」

 

「んーん。ほとんど作ったことなくて。でも八幡に食べてもらいたいから挑戦してみようかなって」

 

 作っている姿を想像しているのか、沙希が顔を綻ばせる。

 

「是非甘いのにしてくれ」

 

「そこは前向きに検討しておくよ」

 

「社会人のお断り常套文句だな」

 

「八幡の捻くれが移っちゃったのかもね」

 

 くすくすと沙希が笑う。そこに負の感情は見られない。沙希の中にある不安が顔を出さなくなったことにひっそりと安堵する。

 

「ま、とりあえず善処してくれ。切実に」

 

「女の子より甘いもの好きだよね八幡」

 

「甘いものは脳を活性化させるからな。頭がよくなる気がして気分がいい。あと疲れが取れる」

 

 人生疲れることばかりだからな、と付け加えておく。

 

「いまはどう? 疲れてる?」

 

「いや、沙希が来てからそんなことはないな」

 

 むしろ無駄に元気になってきている気がする。もう、原因は明らかなのだけれど。

 

「そっか。あたしもね、八幡といるとつらいこととかすぐに忘れちゃえるよ」

 

「そりゃあよかった」

 

 平然と返すが、内心は嬉しかった。同じ心の情動を共有していることにこの上ない満足感を覚えた。

 

 沙希が身を乗り出して俺の顔を覗いてくる。いきなり顔が近づいてきて恥ずかしくなる。

 

「もしかして、照れてる?」

 

「そ、そんなことないぞぞ?」

 

 うん、思いっきり噛みましたね。もうバレバレですね。

 

「照れてるんだ。ふふ、可愛い」

 

 案の定見透かした沙希がころころと笑う。沙希のひとつひとつの笑顔が見ているだけで幸福感を覚える。もう、これは惚れたからと言わざるを得ない。

 

 結論は出たな……。

 

 こんな何気ない会話ひとつで幸せになれて、一緒にいるだけで心が子供みたいに喜んでいて、目が合うだけで恥ずかしいけどやっぱり安心感が生まれる。

 

 その源泉にある感情は、心の水面を掬わなくとも明らかだった。

 

 俺は沙希が好きだ。

 

 誰よりも。何よりも。沙希が好きで、好きで、堪らなく好きだ。

 

 この感情に嘘は付けないし、蓋を被せられるほど弱いものじゃない。あまりにも強くて、勝手に外に出てきてしまうくらいだ。

 

 思わず震える息を漏らした。

 

 初めての強い感情に気づき、急に身体が熱を持つ。胸に奇妙な感覚が生まれて、頭の中は沙希のことでいっぱいで、もうなにも考えられない。

 

 好きだと言いたかった。心の言葉を伝えたかった。

 

 やっぱり恐怖もある。心は怯えてるし、拒絶されたらどうしようかとも思う。でも、そんなことよりも、なにより言葉にして伝えたい。

 

 ようやく形にできた。言葉に変換できるようになった。無駄に遠回りをして、変に思考を拗らせて、結局ありきたりな答えに辿り着いてしまったけれど、これが俺が出した心の結論だ。

 

 分かってほしい。実ってほしい。欲してほしい。知ってほしい。隣にいたい。一緒に歩きたい。ずっと、繋がっていたい。

 

 そんな想いばかりが心の中からぽんぽんと現れる。

 

 これは重症だ。完全に恋の病に侵されている。

 

 だから、告白しようと思った。ゴールデンウィークの最終日に、沙希に心の丈をすべて伝えてしまおうと強く思った。

 

「なあ、沙希」

 

「うん?」

 

「今日全部片付いたらさ」

 

「うん」

 

「明日、ディスティニーランドに行かないか?」

 

 勝負の場所は決めた。あとは沙希が乗ってくれるかだ。

 

 沙希が目をぱちくりする。でも、すぐに満面の笑みで頷いてくれた。

 

「うん、行く。行きたい」

 

 もう足踏みするのはお終いだ。気持ちが決まり、抑えきれないほどの想いがあるのなら、あとは前に進むしかない。

 

 たとえそれが、失敗に終わってしまうものであったとしても……。

 

 きっと、後悔だけはしないから。

 

 

 

 


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