だから俺は彼女に恋をした   作:ユーカリの木

2 / 29
こう見えて、比企谷八幡は成長している 2

 どうしよう。

 

 サイゼを出て比企谷家に着いたのはいいのだが、いざ玄関を前にして俺は立ち止まってしまった。

 

 やだ、同級生を家に招き入れるのなんていつぶりかしら。

 

 由比ヶ浜のわんこ以来だから、半年ぶり以上だ。しかも難攻不落の玄関を超えてリビングに通すなんて初めてだ。オラ、緊張でガクブルしてきたぞ……!

 

 完全に固まった俺の後ろにいる川崎が、そろそろと声を出す。

 

「やっぱ、迷惑だよね……。ごめん、無理言っちゃって……」

 

 またしても即座に帰ろうとする川崎を慌てて呼び止める。んもう、なんですぐ帰ろうとするのこの子。俺もすぐ帰ろうとするんですけどね……。

 

「待て。あれだ、家に帰るときはいつも深呼吸するんだよ。ちょっと緊張しちゃうだろ」

 

「なんで家に入るのに緊張するのさ……」

 

 川崎の呆れ声が胸に刺さる。分かってる、分かってるから!

 

 こほん、と無理やり咳払いする。

 

「ま、死なばもろともだ。行くぞ」

 

「その悲壮な決意はあたしも必要なの……?」

 

 いいから付いてきて! と切実な視線をちらりと向けてから、玄関の扉を開く。

 

「たでーま」

 

「お邪魔します……」

 

 リビングからバタバタとした音が聞こえ、小町が顔を出した。小町ちゃん、いま夜だから静かにしてね。

 

「おかえりー。沙希さんもいらっしゃいです!」

 

 ささ、どうぞどうぞー、と小町が女将さんみたいな動作で川崎をリビングへと促す。いやあ、狭い家ですみませんがくつろいでくださいねー、なんてことまで言う始末だ。ちなみに俺は玄関に置いてきぼりだ。お兄ちゃんも旅館対応してもらいたかったな……。

 

 のっしのっしとリビングに入ると、小町が既に川崎をソファーに座らせているところだった。

 

 なんだろう、すごく違和感がある。この家、他人が入ってくること無いからなあ。

 

 生暖かい目で川崎を見ていると、当の本人は落ち着かないのか周りをキョロキョロと見渡していた。そういえばと俺もさらりと視線を巡らせる。いるはずの一匹が見つからない。

 

「おう小町。カマクラはどした?」

 

「は?」

 

 台所で飲み物の準備をしている小町に訊くと、なに言ってんのとばかりに馬鹿にする声が返ってきた。

 

「さっき友達のとこに預けてきたよ」

 

「なんで?」

 

「沙希さん猫アレルギーでしょ」

 

 ……忘れてた。よく覚えてたね小町ちゃん。

 

「ちゃんと掃除もしといたから大丈夫だよ」

 

 仕事早くない?

 

 高校に上がってから小町のスキルアップが激しすぎる。あまりのハイスペックっぷりに、バリバリに働くキャリアウーマンが未来予想図として浮かぶ。将来専業主夫になれなかったら養ってもらわないと!

 

 下らないことを考えながら、どさっと荷物を降ろして俺もソファーに座る。

 

 テキパキとお茶を三人分テーブルに並べた小町も俺の隣に腰を落とす。

 

「猫飼ってたんだ。ごめん、気を使わせちゃって……」

 

 なんだか借りてきた猫状態の川崎に軽く手を振る。こうも緊張されると、逆に俺の方は落ち着いてくる。

 

「気にすんな。俺が提案したことだし、お前は適当にのんびりしてくれ」

 

「そうですよー。どうぞ兄をとことん使いつぶしてください!」

 

 やだまあ、とばかりに手を振って小町が俺の言葉に乗ってくる。

 

 ちょっと、しれっとお兄ちゃんを道具扱いしないでね。

 

「うん、ありがと」

 

 ようやく一息つけたか、川崎が口元を緩める。

 

 空気が弛緩した頃合いを見つけたか、小町がくるりと俺に向き直る。

 

「さてお兄ちゃん。早速だけど出てって」

 

「は?」

 

 なんで? お兄ちゃんなんかした? まだ何もしてないよ?

 

「や、着替えてきてってこと。あと邪魔だし」

 

「自宅なのになんで邪魔扱いされなきゃいけないんだよ……」

 

「いいから早く! ほらダッシュ!」

 

「ええー……」

 

 小町が厳しいよお。

 

 お茶を飲む暇も与えてくれない小町が、俺の背をバシバシ叩いて追い出しに掛かる。こうなってしまえば、妹に弱いと近所でも評判な俺は素直に出ていくしかない。

 

 のっそのっそとリビングを出て自室へ向かい、今日も疲れたわー労働したわー働きたくないわーなんて呟いて部屋着に着替える。

 

 お兄ちゃん知ってるよ。小町のことだから、俺のいないところで川崎から話を聞きだすつもりなんだよね。でももうちょっと上手くできないかなあ。主に俺の心を労わる方向で。

 

 時間を稼ぐべく本棚から本を抜き取り、ベッドに寝転がりながら読み流す。しばらくして、部屋の扉をノックする音が届いた。

 

「お兄ちゃーん。もういいよー」

 

「はいよ」

 

 くわっと欠伸を漏らしつつ答え、リビングに戻る。さて、相談でも再開しますかね。

 

 ……と、思ったらリビングに川崎の姿がなかった。

 

「川崎いないんだけど……」

 

「沙希さんならお風呂だよ?」

 

 しれっとすごいこと言ったよこいつ。

 

「ええー……ならなんで呼んだの」

 

 ぐでーっとソファーに座る小町をジト目で見てやるも、深い溜息を返してきやがった。

 

「沙希さんから全部訊いた。だからお兄ちゃんの提案も訊いた」

 

「……なんか間違ってたか?」

 

 返事が怖くて視線を外して訊くと、小町はふわっと笑って言った。

 

「ま、お兄ちゃんにしてはいいんじゃない? どんな斜め下方向の提案したのかなーって思ってたけど、割とまともで安心したよ」

 

 その言葉に不安を払拭され、一息ついてそっと小町の隣に座る。

 

「少しは兄を信頼しようね?」

 

「やだよ、無理だよ、ありえないよ。だってお兄ちゃんだよ? どれだけ面倒くさいか知ってるもん」

 

 今日の小町、ひどすぎませんかね? いちいち俺の心を抉っていくスタイルやめてほしいんだけど……。

 

 半眼で見てくる小町が、ついっと目線を虚空に持っていく。

 

「それで? これからどうするの?」

 

 いきなり嫌な問いだ。決まっていない、しかしすぐにでも定めなければならない指針だ。

 

「……分からん」

 

「たぶん、お兄ちゃんにとっては大変だよ? 沙希さん家への連絡とかフォローとか、どうせろくな手考えてないでしょ?」

 

 痛いところばかり突いてくる。

 

「まあな」

 

「でも、助けたいんでしょ?」

 

 それは違う。俺が何かをするのは俺のことだけだ。だから今回のことも、そんな大義名分などない。

 

 ただ嫌なのだ。あるかもしれない小町の可能性。それが悲惨な結末であるなど、堪えられないのだ。そこに川崎を慮る気持ちは、きっと無い。独善的な理由だ。人を助ける理由としては最低の部類だ。

 

「知って放っておくのは、気分悪いだろ」

 

 俺は苦い顔をしていたのだろう。小町が頬をうりうりと突いてくる。

 

「まったくめんどくさいなーこの人。やっぱちっとも成長してないよ」

 

 でも。指を離した小町が呟いて、身体を預けてくる。

 

「そういうとこ、小町は好きだよ」

 

 上げたり下げたり忙しい奴だ。でも、こういう風に慕ってくれる妹がいるのは嬉しく思う。

 

「ありがとよ」

 

 正直な気持ちで礼を言ったのに、小町は不満なのかぱっと身体を離して非難めいた声を上げる。

 

「ぶえー。そこは愛してるよ小町、でしょ?」

 

「愛してるぞ小町」

 

「小町は全然そうでもないけどありがとー」

 

 きゃぴるん☆ みたいに小町はウインクして胸の前でぱちんと両手を合わせる(超可愛い)。

 

 ぐぬぬ……むかつく。そしてあざとい……。

 

 いろはすめ、小町に悪い影響与えてるんじゃないでしょうね……?

 

 近い将来新たな小悪魔が誕生するのではと慄きながらも、ひとつ咳払いをして逸れた話題を修正する。

 

「でだ、明日からどうするか」

 

「もう五日間泊まってもらえば?」

 

 あっけらかんと小町が答えた。

 

「いやほら、川崎の意向とかあるだろ」

 

「そこは小町にお任せあれ」

 

 ささやかな胸を張って小町が続ける。

 

「ついでにお母さんとお父さんにも許可もらってあるし」

 

 やっぱり仕事早くないですかね。

 

 ともあれ、他に選択肢もない。小町の意見を基に足場を固めてしまおう。

 

「ならあとは川崎家だな」

 

 ちらりと時計に目をやると、もう夜十時を過ぎていた。いい加減に連絡を入れないと警察沙汰になりかねない。

 

「そうだねー。沙希さんに任せるの?」

 

 小町の困った疑問に俺は首を振る。

 

「いんや、俺がやる。大志の番号教えてくれ」

 

 ほいほーいと小町がスマホを取り出して画面を見せてくる。その番号に若干憎らしい思いを感じながらもキーを打つ。電話は思ったよりも早く繋がった。

 

「はいっす。お久しぶりですお兄さん」

 

「俺はお前の兄じゃねえよ」

 

 べーっ……思わず突っ込んでしまった。隣の小町がうわぁって顔してるし。

 

 んっんんーと咳払いして慎重に言葉を選ぶ。

 

「で、だ。話があるんだが……」

 

 大志の声音が落ちる。

 

「すみません、いまちょっと取り込んでて……」

 

「姉のことだろ」

 

「え、なんで分かったんすか? エスパーっすか⁉」

 

 大志が尊敬の混じる声で驚いている。ちょっといい気分だ。

 

「それは年の功だ。崇め奉るといい」

 

「さすがお兄さんっす!」

 

 うむ。実にいい気分だ。もっと褒めてくれてもいいんだよ?

 

 と、後輩に尊敬される先輩の立場に酔っていると、脇腹をゲシゲシと叩かれる。小町が顎をくいっとやって「早く先に進めろ」と無言で言っていた。ついでに耳を指差して「小町にも訊かせろ」と仰っている。仕方なく画面を操作してスピーカーモードに切り替える。

 

「んっ、んん。それで、お前の姉なんだが」

 

 話を軌道修正すると、大志の声が再び落ち込む。

 

「はい、実はまだ帰って来なくて……」

 

「お前の姉は預かった。返して欲しくば二度と小町にちかづかぐぇっ!」

 

 いま一瞬呼吸止まったよ⁉ なにが起きたの⁉

 

 激痛に視界を明滅させていると、いつの間にか小町が目の前に移動して俺に拳を突き出していた。

 

「ちょ、小町! そこは水月! 人体の急所だから!」

 

「ごみいちゃんバカなの? アホなの? 死にたいの?」

 

 無表情になった小町がドスドスと拳を繰り出してくる。ふえぇぇ……妹がバイオレンスになっちゃったよぉぉぉ……!

 

 拳の連打を左手で受けて必死に言い訳する。

 

「ジョーク、八幡ジョークだから! だから水月はやめて!」

 

「ねえお兄ちゃん。これ真面目な話だよね? 自分でそう言ったよね? なのになんでふざけてるの? 小町怒るよ?」

 

 拳を引っ込めた小町が冷たい視線を投げつけてくる。怖いよお。痛いよお。

 

「真面目にやって」

 

 は、はいぃ……。

 

 離していたスマホを耳に押し付け、えーあーとか会話の再開どころを探す。

 

「あー……あれだ。お前の姉ちゃんなんだが」

 

「お兄さんの家にいるってことでいいっすか?」

 

 理解が早くて助かります。あと、さっきの流れをつっこんで来ない点も八幡的にポイント高いよ?

 

「まあ、そうなるな」

 

 ほぉーと大志が長い息を吐く。

 

「よかった。事件とか事故に巻き込まれたんじゃないんですね」

 

「なんだ、あれだ。こっちが無理やり誘ってな。連絡する暇がなかったっつーか。そんな感じだ」

 

「そうっすか。姉ちゃんいま傍にいます?」

 

「いや、小町が言うには風呂入ってるらしい。なんか伝えることでもあるのか?」

 

 しばしの無言。大志が言いづらそうにもごもごし始める。ふむ……。

 

「心当たりでもあるのか?」

 

「……最近、姉ちゃん疲れてるみたいで。もしかしたら、その所為かなって……」

 

 どうやら大志はちゃんと気づいていたらしい。なにしろあの姉は前科があるのだ。大志だって気にはしていたのだろう。その心配が姉にちゃんと伝わっていたかは知る由もないが。

 

「俺の口からはなんとも言えん。ただまあ、いい機会だ。この五日間で姉のありがたみを感じろ」

 

「え、姉ちゃん、ゴールデンウィーク中ずっとお兄さんの家に泊まるんっすか⁉」

 

「そうなるな。だから明日、お前ん家に川崎の着替えとか諸々取りに行くからな」

 

「それは良いんですけど……。親になんて説明しよう……」

 

 至極ごもっともな悩みである。ここが一番ネックだ。だがまあ、世間一般の高校生ならば言い訳のひとつやふたつ簡単に作り出せる。

 

「友達ん家に泊まりに行ったとかでいいんじゃねえの?」

 

 ここで、姉ちゃん友達いないっすよ、とか言われたらマジで困るぞ。心中でごくりと息を呑むが、大志は俺の意見を肯定する。

 

「それが無難そうっすね……」

 

「んじゃ、明日行くわ」

 

 声に出さないように安堵する。

 

「了解っす。姉ちゃんを、よろしくお願いします」

 

「あいよ」

 

 電話を切って、知らず前のめりになっていた身体をソファーの背もたれに落とす。ふあーっと情けない声が漏れた。

 

 これが正解だったのだろうか。もっと上手い手があったのではないか。川崎の意思を置き去りにして事を進めてしまったことに罪悪感がある。

 

 自信がない。

 

 いつもそうだ。他人が関わると途端に足元が崩れ去ったような不安が付いて回る。自分ひとりだけなら責任も自分に返ってくるだけだ。どんな結果であっても受け止められる。それがどんな過酷な現実であっても。

 

 だが、他人を巻き込めば責任はひとりのものではなくなる。それが恐ろしい。返ってきた事実を受け入れられるか分からない。

 

 俺の失敗が、川崎家に何を齎すのか。考えれば考えるほどよくない妄想が生まれる。

 

 元々俺は、ひとりでやってきたのだ。自分に手が出せる範囲内で動き、誰かの支えになることなどしてこなかった。なぜなら俺は独りだったから。

 

 そんな狭い世界に、由比ヶ浜が加わった。雪ノ下が加わった。俺の世界が、ほんの少しだけ広がった。

 

 成長したと思った。出来ることが多くなったと思った。思い上がりも甚だしい。現に今回は初手から躓き、二人に助けを求めることすら封殺された。独りに戻り、手が出せる範囲は狭まった。

 

 俺は、取り返しのつかないことをやろうとしているんじゃなかろうか。

 

「お兄ちゃん」

 

 思考の海に沈んだ俺を小町が呼ぶ。

 

 横を見ると、小町が苦笑しながら俺を見ていた。

 

「なーに悩んでるのさ。お兄ちゃんは悩む側じゃないでしょ。そんなんじゃ、沙希さん不安になっちゃうよ?」

 

「……だな」

 

 まったくだ。不甲斐なくて心底嫌になる。

 

「小町たちは切っ掛けを与えるだけだよ。先のことは考えても分からないし、進む道を選ぶのは沙希さん達だよ。だから、小町たちは手助けしてあとは見守ってればいいんだよ」

 

「それ無責任じゃねえか?」

 

「あのねお兄ちゃん。なんでもかんでも自分のことのように問題に対処してたら潰れちゃうよ? できる範囲で手伝う、それだけでいいんだよ。それに、奉仕部の方針だってあるでしょ?」

 

「奉仕部の仕事じゃないんだけどなあ」

 

「お兄ちゃんは不真面目な癖にこういうときは真面目だもんなー」

 

 うっせえ。言って小町の頭をわしゃわしゃと撫でる。ぎゃーっとなんか嫌そうな声を上げられてちょっと傷つく。

 

 そうこうしていると、風呂を出た川崎がリビングに入って来た。

 

 見覚えのあるジャージを着た川崎は、頬を上気させながら近づいてくる。当然ながら髪は下ろした状態だ。その姿が新鮮で見惚れてしまう。

 

 ふと、気づく。小町さん、あれ俺のジャージだよね? いつ持ってきたの? というか俺のジャージを川崎が着てるとか、あとで使うとき気になっちゃうだろ。うえぇ、恥ずかしいよお……。

 

 俺の懊悩など知らない川崎は、ほかほかとした顔でソファーの端にちょこんと座る。

 

「お風呂ありがと」

 

「いえいえー、お気に召してもらえましたかー?」

 

「ん、気持ちよかったよ」

 

「それは良かったですー」

 

 ふたりがやり取りしてるが、俺は会話なんぞできる状態ではない。すぐにでも布団を被って足をバタバタしたい! 嫌だよお、恥ずかしいよお!

 

 ひとり悶々としていると、小町が脇腹を突いてくる。なんだよと睨みつけると、「さっさとさっきの話をしろ」と顎で促された。

 

 分かった! 分かったから脇腹虐めないで! そこ弱いの!

 

「あー、なんだ、川崎。これからのことなんだが……」

 

「……うん」

 

 緩んでいた川崎の顔が真剣なものになる。とはいえ、いつもの剣呑な視線は無い。ぼっちが精神状況を表に出してる時点で、深刻さは推して図るべし。

 

「まず、大志には話を通しておいた。友達の家に泊まってることにしといた。勝手にすまん……」

 

 頭を下げて謝罪する。川崎はゆっくりと首を振った。

 

「いいよ。むしろ連絡してくれてありがと。あたしからだと、なんて言っていいか分からないから……」

 

「そうか……。それでなんだが、連休中、うち泊まるか?」

 

「でも迷惑じゃ……」

 

 いえいえーと小町が割り込んでくる。

 

「うちの両親にはちゃんと許可もらってあるんでお気になさらず! あとー、小町的に短い間でもお姉ちゃんができると嬉しいなーって思うんですよ」

 

 それに、と小町が目を細めて続きを言う。

 

「お兄ちゃんが知り合いを泊めるなんて初めてですから。これを機に仲良くなってもらいたいなって思うんです。それに、たぶんお兄ちゃんが初めて自発的に乗った相談ですから、ちゃんと見守りたいし助けたいんです。全部こっちの都合です。だから気にしないで下さい。むしろ、勝手なことばかり言ってごめんなさい」

 

 ぺこりと小町が頭を下げる。

 

 川崎の目が潤む。わなわなと肩を震わせ口元を抑えた。

 

「あんた達って、なんでそんなお人好しなの……」

 

「そんなんじゃねえよ」

 

 勘違いしないでよね! あんたのためにやるんじゃないんだからね!

 

 脳内ツンデレするくらいに川崎の反応は恥ずかしい。

 

「でもま、どうせ俺も暇だし。高校最後に青春らしいことしてもいいんじゃね?」

 

「うわー、お兄ちゃんらしくないなー。しかも最後って……」

 

「うっせ。そもそも俺が青春できるわけないだろ」

 

 青春とは嘘であり、悪である、とか一年前の作文で提出しちゃったし。

 

 ふふーんと小町が笑う。

 

「沙希さんとすればいいじゃん。青春」

 

 そういうこと本人がいる前で言わないでくれませんかね。川崎のやつ俯いちゃったじゃねえかよ。

 

「さて、じゃあ小町は布団敷いてくるねー。沙希さんの分も小町の部屋に敷いときますので、あとで呼びにきまーす。しばらくお兄ちゃんとご歓談ください!」

 

 言うだけ言って小町はパタパタと行ってしまった。歓談ってなんだよ。お見合いしちゃうのかよ。とりあえず「ご趣味は……?」とか話せばいいの?

 

 気まずい静寂。

 

 短くない沈黙の後、川崎がぽしょりと呟く。

 

「ホント、ありがとね」

 

「お、おう。とりあえずのんびりしろよ。やりたい事あれば言ってくれ。協力するからよ」

 

「あたし、あんたらには頭上がらないね」

 

「いや上げろよ。なんなら見下していいまである」

 

「そんなことしないよ」

 

「ま、ここにいる間くらい適当にしろよ」

 

「ん、がんばる」

 

 頑張るところじゃないんだよなあ。まったく、サキサキったら真面目なんだから。

 

「ああ、そういや明日お前ん家に着替え取りに行くぞ。そのまま連れてきちゃったしな」

 

 川崎の表情にさっと影が走るも、すぐに取り繕って首肯して見せる。

 

「分かった」

 

 あー、これは失敗したくさい。というかなんで考え付かなかったのかねえ。家出するまで追い詰められた人間が、着替えを取りに家に戻るかよ。

 

 またミスった……。どれだけ失敗を積み重ねれば満足なんでしょうね八幡くん……。

 

 理由は分かっている。奉仕部で行ってきたように、依頼として、仕事して動いているわけではないからだ。自分の意思で計画し、立案し、提案して行動している。この点だけ見れば、クリスマス合同イベントの黒歴史の時に似ている。あのときも無様なものだったが、いまは輪をかけて酷い。行動理由がいまいち曖昧だからだろう。確たる信念がないから内容がブレる。だから場当たり的に動いてすぐに躓く。要は、経験のないことだから分からないのだ。

 

 まあいい。

 

 精々振り回されよう。計画通りに事が進むのなら、今ごろ学校中の人気者だし彼女だっているはずだ。そんなことは夢物語でしかない。翻弄されるのが世の常なら、醜くあがいてみるしかない。

 

 パシンと膝を叩いて立ち上がる。

 

「さっきのは無しだ。ちょっと待ってろ」

 

「え、あ、うん」

 

 自室に戻って箪笥から目当てのものを取り出す。封筒だ。中身は当然お金。錬金術で精製した俺のヘソクリだ。こんな歳からヘソクリする俺って専業主夫魂ありすぎるな。意識高すぎて将来の職が専業主夫しか無いまである。専業主夫に俺はなる!

 

 中身を確認すると、なんとまあ七万円もあるじゃありませんか。その中から五人の諭吉様を万感の思いを込めて抜き去る。

 

 ぐぅ、心が痛い!

 

 ゲーム様、小説様、マッカン様、しばしのお別れです。また近い内にお会いしましょう。ぜ、絶対に迎えに行くんだからね!

 

 しばらく貧乏生活を強いられるかと思うと、悲しくて涙がちょちょぎれそうそうだ。でも仕方あるまい。小町がいみじくも言った通り、今回は俺たちの都合だ。問題は対処するって言っちゃったしな。

 

 煩悩の迷いを断ち切るべく箪笥を力いっぱい閉め、振り向きもせずにリビングに戻る。所在無さげにもぞもぞしていた川崎の対面に座り、五人合わせて諭吉レンジャーをテーブルに滑らせる。

 

 川崎の目線が俺と諭吉レンジャーとに交互に動く。

 

「え、なにこれ?」

 

「それで諸々揃えてくれ。足りるよな……?」

 

 少ねえよとか言われたらどうしよう。あの二万円はできればマッカン様のために取っておきたいんだけど……。さっき別れたばかりだけどやっぱり毎日飲みたいんですぅ……。

 

 大丈夫だよね、と上目遣いに見ると、川崎が全身で困惑していた。

 

 あれ、思った額より低いのかな。んもう、サキサキったら我儘なんだから! 仕方ない、あと一万追加してくれよう。ああ、マッカン様、本当にしばしのお別れになりそうです……。

 

 決死の覚悟で立ち上がろうとしたところに、川崎が慌てたように言う。

 

「ちょ、なんでここまでするの? いいって! 着替え取りに帰ればいいだけでしょ」

 

 なるほど。理由が知りたいと。確かにタダより高いものはないって言うしね。さすがサキサキ、経済意識が高い!

 

「いやね、それだとちょっと都合が悪いかなーと」

 

「都合って?」

 

「いやほら、川崎帰るだろ? 準備してるところにばったり両親に会う。問い詰められて思わず口走っちゃって反対される。嫌な未来しか浮かばねえよ」

 

 うっと川崎が言葉に詰まる。やっぱ考えることは同じだよねー。

 

「でも、それはあたしの問題だし、あんたが気にすることじゃないでしょ」

 

「そこはなんだ、客だしな。アフターフォローまでするのが比企谷家の家訓なんだ。お客さんが帰ってのんびりするまでがお客様だよ的な?」

 

「なにその家に帰るまでが遠足理論は……」

 

 川崎が呆れ顔で脱力する。

 

 まあ、比企谷家に家訓なんてないんですけどね。いま作った。まさに気遣いの産物。見てる小町ちゃん? これが本当の気遣いだよ?

 

 ガシガシと頭を掻いてカレンダーに目をやる。

 

 今年の連休は五日だ。五日の間で川崎と川崎家の意識を変え、正常な状態に戻す必要がある。川崎と同じ家で生活することは考えると眠れなくなるからやめよう。

 

「つまりだ、この五日間俺にくれ。だから変に気を使ったり暗い顔しなくていいし、その金も対価だと思ってもらえばいい」

 

 言って寒くなるような科白だ。俺が吐いた言葉とは思えない。というか、最後の部分とかレンタル彼女的な発想じゃねえか。これは黒歴史決定ですね。

 

 嫌だなあ。怖いなあ。

 

 身もだえしながら視線を戻すと、川崎はなぜか突然がばっと両手で顔を覆って俯き出した。微かに肩が震えたかと思うと、嗚咽を部屋に響せる。

 

 あれ? これマジ泣き? もしかしなくてもサキサキ泣かせちゃった?

 

 慌てて立ち上がって謝罪を繰り出す。

 

「いやま、ちょ、すまん。俺なんかしたか? したよね? ホントマジすんません……」

 

 女の子の涙は最強。泣かせた奴は絶対悪。ならば下手に出てとことん謝るしか無い。

 

「すまん。その、嫌がらせとかじゃなくてだな、色々考えて最善手を打とうとしてだな……」

 

 泣き声に変わった。声を上げて幼子のようにわんわん泣く川崎の姿に、罪悪感でくびり殺されそうになる。

 

 失敗した。間違いだった。なにが振り回されようだ。あがくもなにも、相手を傷つけたらどうしようもない。

 

 頭が真っ白になる。がくんと頭が落ちた。

 

「悪かった……。泣くほど嫌とは思わなかった……」

 

 俺が居ては落ち着かないだろう。音を立てずに部屋に行こうとしたところで、リビングの扉が少しだけ開いていることに気づく。小町が廊下からこっそりと覗いていた。どこの家政婦だよ。欺瞞でも暴いちゃうの?

 

 小町は俺と視線が合うと、人差し指を立ててぴっぴっとこちらを指す。なにが言いたいのか分からん。

 

 首を傾げて続きを促す。小町はこれ見よがしにため息のポーズをし、指を上から下へ勢いよく動かし「さっさと座れ」と伝えてくる。

 

 どうやら針のむしろから退散させてはくれないらしい。

 

 もうどうにでもなれという気分で座ると、いまだしゃくりあげている川崎が指の隙間から俺を覗いた。

 

「その、急に泣いちゃってごめん。あんたの所為とかじゃなくて、その……」

 

 言葉を切った川崎が目元を袖でぐしぐし拭う。

 

「こんなに良くしてもらったの、初めてだったから。嬉しくて」

 

 ……え?

 

 言われたことが理解できなくて反射的に扉を見る。小町がなぜか偉そうにへっへーんと鼻を指でこすっていた。なんか態度おかしくないですかね。

 

 とにかくだ。俺なんもしてないってことでいいんだよね。

 

 うわー、さっき謝ってた事実が恥ずかしい。胸を掻きむしって夜の海に向かって叫びたい。黒歴史が量産されてくよお……!

 

 なんだか今日だけで羞恥のフルコースを味わった気分だ。中学生以来だよこんなの。青春ってこんなに恥ずかしい思いばかりするのか。やっぱ青春なんて害悪じゃねえか。

 

 もう二度と青春なんかしないもん!

 

 次の機会なんてないんだよなあ……。

 

 今後のぼっちライフについて考えていると、ぎぃぃとリビングの扉が開く。いま来たよ覗いてませんよとばかりに外向けの顔をした小町が、つたたたと入ってくる。

 

「沙希さーん。布団敷き終わったんで寝ましょうかー。もう遅いですし」

 

 目を赤くしたままの川崎が戸惑いながら笑む。

 

「あ、うん。ありがとね、色々してもらっちゃって」

 

「いえいえー。沙希さんはいま小町のお姉ちゃんですから。世話焼きますよーなんなら兄もあげますよー」

 

 おててを揉みもみしながら小町がニヤついている。どこぞの越後屋みたいである。

 

 川崎は苦笑しつつ立ち上がって俺に顔を向ける。

 

「比企谷、今日はありがとね。それから、五日間よろしく」

 

「おう。おやすみ」

 

「ん、おやすみ」

 

 俺たちのやり取りを見ていた小町は、口元を覆ってうっふっふーといやらしい顔をして諭吉様を懐にしまい、川崎の手を引く。

 

 あれ、そのお金小町ちゃんのじゃないよ?

 

 視線で、めっ、と叱ると小町は意味深に微笑むだけ。

 

 まあ流れ的に受け取らなそうだったから、うまいこと渡してくれるのだろう。妹スキルであるところの「お願い」で川崎を篭絡するに違いない。お姉ちゃん属性のあいつには大層効くことだろう。

 

 ……間違っても自分のお金にしないよね?

 

「ではでは~、小町の部屋に一名様ご案内しまーす。じゃ、お兄ちゃんおやすみー」

 

「はいはい、おやすみおやすみ」

 

 成長の方向性が間違ってきている気がする小町へ適当に返す。

 

 ふたりがいなくなって、数時間ぶりにひとりの時間が訪れる。明日からのことを考えなければいけないが、頭が疲れていてうまく思考ができない。

 

 初めて尽くしで完全にキャパオーバーだ。

 

 明日のことは明日の俺に任せる。明日できることは今日やらない。

 

 さって、俺も風呂入って寝よ。

 

 スマホをほっぽり投げて風呂場へ向かう。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。