そして、ふたりが選び取ったものは 1
連休最終日は、朝から心が浮ついていた。どうしてかジッとしていることができなくて、勝手に貧乏ゆすりをしたり指を組んだり外したりと、なかなかに忙しい。その様を小町は大人の笑みで眺めているだけだ。
今日は最終日とあって、小町の勧めで俺だけが先に出て舞浜駅前で待ち合わせをすることになった。
久しぶりに駅までの道をひとりで歩く。電車に乗って舞浜駅まで二十分ほどをつり革に摑まってゆらゆらと揺られる。
今日自分がやる事を考えると、緊張のひとつでも出てくるはずなのに至って平常心だ。むしろ、楽しみだと思う感情が強く表れている。これで断られたら一体どれだけ凹むのだろうか。
そんなふうに電車に乗っていると、窓の向こうに東京ディスティニーランドのアトラクションが目に入る。
うわぁ、早く沙希と遊びたいなぁ。
なんて、らしくもない考えが浮かぶ。心が昂っていた。
ワクワクしながら舞浜駅を降りる。ディスティニーの発車ベルの音を聴きながらホームを下りて改札を抜けた。
集合場所に辿り着く。腕時計に目を落とすと集合時刻までまだ時間があった。いつもならスマホでニュースサイトでも見るところだが、どうにも落ち着かなくてその場でそわそわする。
ふと、スマホが鳴る。沙希からのメールだった。
「もう着いた頃?」
簡素な内容。それでも嬉しいと感じるのは恋のなせる魔法か。
「丁度着いた」
こちらも簡単に返信する。
「そっか、もうちょっと待って。こっちももう少しで着くから」
「気にするな。元ぼっちは待つのが得意だからな」
「ようやく元って認めたんだ」
「いまさら無駄な予防線を引いても仕方ないだろ」
ぽんぽんメールが飛び交う。いつもは長い一分がすぐに過ぎ去っていく。時が圧縮されたように十分が過ぎて、舞浜駅に着いたという沙希に声を掛けられた。
「おまたせ」
視界に入ってきたのはアネモネを連想させる淡い紫だ。
珍しく帽子を被った沙希が柔らかく笑み、その場でくるりと回って見せた。
「どう?」
今日は髪をストレートにして被っているのは可憐な桜色のキャスケット。白地に花びら模様が散ったワンピースを着て、腰には梅色のベルト。その上から淡い紫のカーディガンを羽織り胸元を白いリボンで留めている。足元は動きやすそうな白のサンダルだ。
まあ、なんというか、服装なんて基本どうでもいいとは思っているのだけれど。
つまりは可愛すぎた。
一輪のアネモネを連想させる甘い恰好。
「まあ、その、なんだ……可愛い」
ぼそっと呟く。
にんまり笑った沙希がふわっと背を向けると、「やった」と小さく拳を握った。そんな仕草も可愛く感じるのだから困る。なにこの子、相変わらず天然で一色を越えてくるんだけど。
「ん、行こっか」
反転した沙希が俺の腕に抱き着いてくる。沙希の感触を腕全体で味わいながら、ふたりで歩き出す。
入場待ちの列に並んで、チケットをパスに引き換えてエントランスゲートから中へ進む。
本当は当日券を購入する予定だったのだが、親父が昨日わざわざチケットを買ってきてくれたのだ。
曰く、「息子の勝負くらい手伝わせろ」とのことだ。親父ぃ……あんた、いま最高に輝いているよ。
なんにせよ、この大型連休最終日にチケットなしでディスティニーに来ようとした計画性のない俺にびっくりだ。いつもはワクワクしながら綿密に計画をたてるというのに……!
ともかく、沙希と一緒に広場のような場所に出る。映画から飛び出してきた西洋風の建物が並ぶメインストリート。背景には白亜の城がそびえ立つ。人は多いが、俄然気分が上がっていく。沙希も思わず声を上げてあちこちへ視線を飛ばしていた。
目の前にひときわ目立つ人だかりがあった。人相の悪いパンダ、ディスティニーの看板キャラクターであるパンさんが観光客に囲まれていた。うわあ、雪ノ下がいたら絶対に特攻してくだろうなあ。
さすがにあの人込みを突破することなどできず、迂回して先へ進んでいく。
ここで問題が発生。
どこを回ろうか……。
折角のデート。しかも告白なんぞをかまそうというのに、園内の回り方ひとつ考えていない、どうも俺です。
ちょっとまずったなあと隣を見るが、沙希はそんなことどうでもいいとばかりに目をあちこちにやって「どこ行こっかなー」とのぼせたように呟いている。
うん、沙希の行きたいところに行こう(思考放棄)。
なんだろう、こういうとき男は引っ張るものだとか一色に言われた気がするけれど、沙希には意外と当てはまらない。そんなところが気分的にも楽で、やっぱり沙希と一緒にいるのは精神的にも良くていいなあ、なんて思ったりする。
あ、と声を上げた沙希が、もこもこ怪物ヌーヌーのゴー&ライドの建物を指差す。人気アトラクションだというのに奇跡的に行列が短く、沙希に手を引っ張られて最後尾に着く。
「これ行ってみたかったの」
沙希のテンションは留まることを知らないようだ。さっきからきゃっきゃと笑い声をあげて飛び跳ねている。
「そりゃあよかった」
「まえに一度来たことあるけど、けーちゃんのお守りで行きたいとこに行けなかったから」
「なら今日は沙希の好きなとこでも行くか」
「いいの?」
沙希が目を輝かせる。こんなことで喜んでもらえるのなら来た甲斐があったというものだ。
「構わん。行きたいとこ言ってくれ。全部付き合う」
やった、と沙希がその場で跳ねる。うん、胸もばいんばいんしてるからそろそろやめようね。八幡目が逸らせなくなるから……!
俺の視線に気づいた沙希が、んふふーと意地悪そうに笑んで腕に抱き着いてくる。思い切り胸を押し付けてくるのですぐに頭が沸騰する。
「沙希さん、少し離れませんか?」
「やだー」
ふふふと微笑む沙希は俺の腕をがっちり掴んで離さない。人肌の温もりと女の子の柔らかさと好きな人に触れている恥ずかしさとで、頭がしっちゃかめっちゃかになる。
「あれだ、なんだ……まあいいか」
結局負けた。なんかもうこのままでもいいかなと思った。だってほら、ここ夢の国だし。別に現実のこと考えなくていいもんね。ちょっとくらい良い気分を味わったってバチは当たらないよね。
「うん、いいの。今日はずっとくっついてる」
「ま、ほどほどにな」
保ってほしい、俺の理性……!
沙希が抱き着いたまま俺を見上げてくる。夢の世界にいるせいか沙希の瞳の輝きがいつもより増していて、まるで宝石のようだった。
「あのね、なんだか今日はずっと楽しいの」
「まだ来たばっかだぞ? ついでに言うとまだなにも乗ってないしな」
「うん、でもすっごく楽しいの。なんでだろうね」
意味深に笑ってみせて、沙希が頬をこすりつけてくる。
俺も同じだ。
この場にいるだけで心躍る気分になる。これがディスティニーランドの魔力なのか、あるいは沙希がいるからなのか。もしくは、その両方なのか。疑問に明確な解答はない。感情なんてそんなものだ。
どうだっていい。
いまがすごく楽しいのだから。
「ま、今日は難しいことは無しだ」
「うん、そうだね。ヌーヌー楽しみだなあ」
「気弱フェルトのムクムクもいいぞ」
「ムクムクも好き! 抱きつきたい!」
「誰しも一度は考えるよなあ。あれは抱きつきたい。むしろ布団にして寝たいまである」
気弱フェルトのムクムクとはパンさんに次ぐ人気キャラクターで、雲のようなもくもくした毛に覆われた白い羊だ。全世界抱きつきたいキャラクターランキングで常にトップに君臨しているキャラクターでもある。ムクムクの抱き枕とかあったら欲しいなあ。
「じゃあムクムク見つけたら抱きつきに行こうよ」
「だな、ふたりで抱きつきにいくか」
わあ、ムクムクと会えないかなあ。いまから楽しみだ。
ヌーヌーのゴー&ライドから出る。ライドに乗っている最中、沙希は幼子に戻ったかのようにしゃぎっぱなしだった。その様がアネモネの妖精のように可愛らしくて、見ているだけで幸せな気持ちになれた。
むにゅっと沙希に腕を掴まれてランド内を散策する。
お掃除をしているキャストさんが、歌いながらモップで地面に絵を描いているところに遭遇した。
「あ、おしゃまキャットメリーちゃんだ!」
沙希が驚きと興奮の声を上げる。キャストさんがモップでメリーちゃんの絵を描いていた。よく聞けば歌もメリーちゃんのテーマソングだった。なんだか得した気分になってふたりして写真をパシャパシャ。キャストさんが気を利かせて、絶妙な角度で絵と俺たちを写真で撮ってくれる。
うわあ、本当に夢の国みたいだあ……。
ふたりでわーきゃー言いながらランド内を歩く。泥まみれ姫サーリンの白亜の城が近づき、沙希が歓声を上げながら俺を引っ張っていってサーリン城の列に並ぶ。
「女子はサーリン好きだよな」
「女の子の憧れだからね」
城を見上げて沙希がしみじみと言う。
「沙希もサーリンみたいに王子様でも待ってたのか?」
どうだろ、と沙希が首を捻る。
「王子様っていうより、あたしを見てくれる人を待ってたのかもね」
薄く笑んだ沙希が俺を見上げる。意味ありげな科白が心をかき乱す。思わずそわそわしそうになって、でも、いまは楽しむだけにしておこうとじっと心を落ち着かせる。
しばらくして順番になり、サーリン城の中を散策する。物語の中に入ったような気分にさせられるその内装にふたりして感嘆。有名なガラスの靴が展示されているのを眺めたり、そのガラスの靴に履けると分かって嬉々として沙希が靴を履いたり。終始ふたりで騒いでいた。
サーリン城を出てランドを歩いていると、なんと、ムクムクと遭遇する。もはや丸としか言えないもこもこしたシルエットが、のっそのっそとランド内で飛び跳ねている。
わあ、ムクムクだあ。柔らかそう。抱き着きに行かないと!
沙希と見合わせてムクムクへ突撃する。
了承を取ってふたりで抱き着き、むくむくの身体を堪能する。雲に包まれたような感覚で思わず夢見心地になる。
ああ、やわっかいなあ。気持ちいい。このまま寝たい……。
キャストさんに写真を撮ってもらって、名残惜しくもムクムクから離れる。ムクムクは俺たちに愛くるしい瞳を向けて短い手をたくさん振ってくれた。
「ムクムクうちに欲しい!」
「抱き枕売ってねえかなあ……」
「うん、抱き枕欲しい!」
「帰りにショップ寄ってくか。抱き枕を探すぞ」
「うんうん、探そー!」
そろそろ時刻は正午を回ろうとしていた。いい加減小腹が空いてくる時間だ。
「どっかで昼飯でもとるか」
「うん。ここってレストランより軽食の方がおいしいらしいよ?」
「詳しいんだな」
「昨日調べた!」
すごいでしょ、と沙希が自慢げに言ってくる。もう、この子は昨日から楽しみにしちゃって。えらいぞーと左手で頭を撫でてやると、んふーと沙希が相好を崩す。
近くにあった軽食屋に寄る。
俺はかっちんタートルのミーくんが焼き印されたパンケーキサンド、沙希はパンさんのスパイラルロールを購入。席に座ってふたりしてもふもふと食べる。うん、かっちんタートルなのに柔らかい……。なぜだ……でもうまい。
沙希が俺のパンケーキをじっと見ていたので、口に突っ込んでみる。んふふーと嬉しそうにそれを咀嚼した沙希は満足げに頷いた。
「おいしい。でもカメなのに硬くないね」
「やっぱそう思うよなあ」
「こっちも美味しいよ」
はい、と沙希がスパイラルロールを差し出してくるので、失敬して拝借。パンさんが竹を携えくるくる回っているパッケージを見つつ、ロールにかぶりつく。カリッとした触感の後にピザソースとチーズの濃厚な味が口内に広がった。
「うまいな」
「うん、おいしいでしょー」
うまい美味しい言いながら軽食を食べ終える。立ち去るついでにパンさんのチュロスを二人して買って、食べながら歩き回る。
周囲がにわかに騒ぎ出す。卵の殻を被ったいたずら好きのウサッピーが、あちこちに嵌っているへんてこな青いおもちゃが現れたのだ。おもちゃの上では仮装したパンさんがゲストに手を振りながら踊っている。
なにあれすごい!
パレードが始まったようだ。次から次へとへんてこすぎるおもちゃがやってくる。周囲が歓声を上げる。沙希もわあと声を漏らして飛び跳ねる。あの、気持ちは分かる。すっごく分かる。でも、腕を抱えたまま跳ばないで! 身体が、がくがくするから……! あとやっぱり胸ぇぇ!
俺の葛藤など知らぬとばかりに沙希がはしゃぎまわる。仕方ないなあなんて苦笑して、沙希に引っ張られながら人込みをかきわけ最前列へ。
うわあ、ディスティニーキャラがいっぱいいるよお。
「すごいすごい! やっぱり来てよかった!」
沙希が笑いながら俺に引っ付いてくる。
「ありがとうね八幡。大好き」
ぼん、と顔が赤くなった。一瞬、なにを言われたか分からなかった。沙希を見ると、なにを言ったのか気づいていないのか愉し気な表情でパレードを眺めていた。
告白ではない。
きっと、告白などではないのだろうけど。無意識でそんな言葉が出てきたという事実に心が喝采を上げた。純粋に生きていて良かったと思えた。
もしかして、今日の告白は成功するのではないかと期待が膨らんだ。そうなると心の内にあったわずかな不安も吹き飛んで、どんどん気分が上がっていく。
気を取り直してパレードをふたりで鑑賞。次から次へと現れるディスティニーキャラとそのイベントの内容に、元ぼっちの俺たちはらしくもなく大盛り上がりだった。
「すごかったね。ウサッピー可愛かった」
「ウサッピーたくさんいたな」
「うんうん。あんなたくさんのウサッピーが見られるなんて映画の中にいるみたい」
「夢の国だからな」
「えへへー、楽しいなー」
にへらと笑った沙希がしなだれかかってくる
「もう、いっぱいいっぱい幸せなの」
一瞬の隙を取られて口づけされた。ぎょっとして顔を仰け反らせると、沙希がしてやったりという表情をして俺を見ていた。
「んふー、あたしの勝ち―」
「なんの勝負なんですかねえ」
「隙を見せたらちゅーする勝負」
なにその俺得勝負。ちょっと本気出しちゃおっかなあ。
思わずやる気になっていると、沙希がぷいっと顔を逸らす。
「八幡はだめー。あたしがずーっと勝つんだもん」
ショートケーキもかくやの甘さだった。漂う空気がぬるくて、脳髄を痺れさせるほどに甘く、胸がきゅっとなる。
「ま、恥ずかしいしな」
頬を赤らめて言うと、沙希がむーっとむくれる。
「えー、してくれないの?」
「勝ちたいのか負けたいのかどっちなんだ」
「ちゅーしたいだけー」
んもう、サキサキったらワガママさん! でもやっぱりまだ恥ずかしいからふたりになれる場所でね!
どんどん沙希が好きになっていく。底の見えない崖を転がり落ちている感覚。きっと、その先にあるのは沙希によって張られた甘い恋の罠。もう完全に嵌っていた。
いっそこの場で抱きしめたかった。燃え上がるこの想いを言葉にして伝えたかった。どんな結果でもいい、声に出してふたりで共有できるなら、どこでだって構わない。そんな狂える衝動に襲われた。
一拍の隙。
再び口づけされる。えへへーと笑う沙希があまりにも可愛くて、強固だった理性にヒビが入った。
まだ昼だ。まだ耐えろ。折角の告白だ。場所だってもっといいところでしたいし、ここは人が多すぎる。
一瞬、沙希が目を剥いた。唇がわなわなと震え、遠くを見ているように見えた。瞳が言いしれない不安感に滲み揺れているようだった。
思わず声を掛ける。
「どうした?」
はっとしたように俺に視線を戻した沙希が、すぐにくしゃりと笑ってみせた。
「んーん、なんでもない。行こ?」
俺の手を取って沙希が進んでいく。腕に絡みついてこないことに違和感を覚えた。
なにかあったのか。俺の対応に問題でもあったのか。急に不安がこみ上げてくる。
「沙希……」
「違うの」
なにか言う前に遮られる。
手を解いて振り返った沙希が俺を見つめる。甘くも儚いアネモネの微笑み。
「ただ、怖くなっただけ。あまりにも幸せだから」
あたしでいいのかなって。
最後の言葉は、ほとんどが園内の喧騒の中にたゆたって消えた。
なにかを言うべきだった。だが、声に出すべき言葉が見つからない。
再び楽しそうな笑顔に戻った沙希が俺の腕を抱きしめてくる。もうつまらない話は終わりとばかりに。
ただ、俺の心に一抹の不安が汚泥のように溜まり始めていた。