だから俺は彼女に恋をした   作:ユーカリの木

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そして、ふたりが選び取ったものは 2

 パークをふたりで巡る。アトラクションやイベントを体験しなくても、散策しているだけで楽しめる。夢の国と言われるだけあって、どこもかしこもお祭り騒ぎで、心が浮ついて仕様がない。

 

 小腹が空いて、軽食店でポップコーンをひとつ買ってふたりでそれを分け合う。

 

「八幡、はい」

 

 言われれば口を開けてポップコーンを沙希に放り込まれ、

 

「ほれ、沙希」

 

 言って沙希の口にも入れ返す。

 

 んふふーとにやけた沙希が身体をこすりつけてくる。すっかり腕に抱き着かれている状態になれてしまって、困った奴めと視線で応えてやる。

 

 可憐なアネモネの笑みを浮かべた沙希が、人込みの視線の隙をついて口づけしてくる。たったそれだけで身体が熱くなった。

 

 だが、心中は穏やかではなかった。不安は沼となって両足を引きずり込んでいた。悪い癖だ。吉兆も福音もすべてを反対にとらえ、勘違いしないようにと自らの立場を孤独な観測者として置いていた過去。それらの過ちが形を変えて罰となり、俺の心に突き刺さっていくようだった。

 

 それを必死で抗おうと沙希との時間を楽しんだ。沙希が隣にいるだけで心が温かくなれた。手を繋ぐだけで心底安心できた。声を聞けるだけで幸せだった。

 

 だから、大丈夫だと思った。

 

 アトラクションを楽しみ、ショップを回り、イベントを見て歓声をあげ、夢の時間を過ごしていく。時が過ぎるのはあっという間だった。

 

 気づけば夜になっていた。パーク内がライトアップされ、昼間と雰囲気ががらりと変わる。魔法が解ける時間まであとわずか。

 

 次第に俺の腕に抱き着く沙希の力が強くなっていく。

 

 海から吹くかぜがにわかに冷たくなってきた。それでも、お互いの体温を分け合っているお陰で身体は暑いくらいだった。

 

 モノレールに乗りたいと言った沙希と一緒にステーションへ向かう。ハリネズミのユーフィーが描かれたモノレールに乗る。車内はディスティニーキャラクターの意匠で彩られていた。ムクムクを基調とした座席に座り、ディスティニーリゾートを一周する。

 

 窓側に座っていた沙希は、両手を窓に付けて外を眺めながら嬉しそうな悲鳴を上げた。モノレールの外は、ライトアップされたリゾートが宝石箱をばらまいたみたいに煌びやかに輝いていた。

 

「夜景きれいだね」

 

「おう、そうだな」

 

「ムクムクの抱き枕買えたね」

 

「家に届けられるのが楽しみだよな」

 

「うん。あれで毎日気持ちよく寝れそう」

 

「俺は起きれなさそうだ」

 

「あたしもそうかも」

 

 沙希が苦笑して言った。かつて、ふたりで遅刻の回数を争っていた時期があった。そのときのことを思い出しているのだろう。

 

「八幡。来てよかったね」

 

「だな、ディスティニーではしゃいだのは初めてだ」

 

「すごく楽しかった」

 

「俺も楽しかった」

 

 そのまま少し雑談をしながらディスティニーリゾートの夜景をふたりで眺める。

 

 ふいに、沙希が囁くように言った。

 

「ふたりになりたいの」

 

「ん?」

 

「ふたりにね、なりたい」

 

 振り返った沙希の瞳は潤んでいた。

 

「なんだろうね。すごくね、触れたいの。いっぱいいっぱい触れたくて、我慢できなくて。どうしていいか分かんないの」

 

 俺も我慢の限界だった。うちに秘めた想いを言う時間だと思った。

 

「……分かった。行くか」

 

「うん、ありがとう」

 

 モノレールを下り、スーベニアメダルも買わずにステーションを出る。サーリン城を通り過ぎて、炎の修道女ロザリロンドの願い井戸にたどり着く。ロザリロンドと六人のローザンヌ達のオブジェが地面からライトアップされていて、人もまったくいなくて、ロマンチックな空気が溢れるくらいにたゆたっていた。

 

「やっと……ふたりになれた……」

 

 沙希が正面から抱き着いてくる。俺も沙希の背に腕を回して力を込めて抱き返した。

 

 沙希の艶っぽい吐息。

 

「沙希……」

 

 勝手に声が出た。自分のものとも思えぬ、柔らかい声。

 

「八幡……」

 

 抱きしめてくる沙希の力が強くなる。

 

 息が震えた。あまりにも愛しくて。

 

 好きで、好きで、大好きで。これ以上の言葉などどこを探しても見つかりはしないとばかりに感情が間欠泉のように湧き出してくる。それを抑えている喉が悲鳴を上げていた。もう吐き出してしまえと訴えかけていた。

 

 己の心の切実さに、理性が限界を迎えた。

 

「沙希」

 

 もう一度名を呼んで、名残惜しくも沙希の身体を離す。少しだけ距離を開けて沙希と向かい合った。

 

「伝えたいことがある」

 

「うん」

 

 深く息を吸う。

 

 生まれて初めての本当の告白。

 

 緊張はある。でも、本物の想いを言葉にしたくて、声に乗せて伝えたくて。

 

 俺は告げる。

 

「好きだ」

 

 沙希が目を見開く。

 

「誰よりも沙希が好きだ」

 

 沙希の目じりに涙が浮かんだ。

 

「沙希の声も、仕草も、笑顔も、大切な家族を想う心も、何もかもが好きだ」

 

 もっといい言葉はきっとあった。心震わせる表現はもっとあったはずだ。でも、好きという感情が勝手にまろび出てきて、頭で思考する隙すらなく声になって外へ放たれていた。

 

「俺と付き合ってくれ」

 

 満感の思いを込める。この五日間で抱いた感情すべてをこの言葉に乗せる。

 

「俺の恋人になってくれ」

 

 沙希の顔が綻ぶ。涙が頬を伝い、顎に滴って地面にぽたぽたと落ちる。

 

「あたし……あたし……!」

 

 沙希が声を震わせる。両手を胸に抱いて、何かを伝えようと必死になって口を開こうとする。だというのに、嗚咽が零れて言葉にならないようだった。

 

 だから待った。

 

 どんな言葉だって受け止められると思った。

 

 沙希の言葉だったら、どんなものであっても聞きたかった。

 

 一分の間。

 

 涙を拭って嗚咽を飲み込んだ沙希が俺を見て――

 

 

 

 絶望の顔をした。

 

 

 

 恋は難しい。

 

 まず、何が正しいか分からない。なにせ人によって恋の価値観が違うから。俺にとっては正しいことでも、彼女にとっては不都合なことなのかもしれない。

 

 恋は予測できない。

 

 言葉や態度は感情と必ずしも一体とは限らない。表層など容易く取り繕えるから勘違いして恋慕を募らせ暴走して、取り返しのつかないことになる。

 

 そもそも恋がわからない。

 

 いつだって俺の恋は紛いもので、心の底から本当の恋というものを感じたことがない。言葉や態度の裏を読む癖があるから、生まれる期待は産声を上げる寸前に意識がぎゅっと押し込んで殺すのだ。

 

 恋なんてしたくない。

 

 分からないから。理解できないから。納得できないから。他人を許容することも、自分をさらけ出して寄りかかることも、俺にとってはひどく難しいことで、判然としなくて、とても怖いことだから。

 

 人の心はとても曖昧で繊細で、確固たる形を持たない。未来の自分の心はおろか、いまですら完全な制御ができない。

 

 それでも、理解してくれようとしてくれる人がいる。知りたいと願える人がいる。さまよえる情動の中で、俺は確かに眩い何かに気づいたのだ。

 

 俺は沙希に恋をした。

 

 俺は沙希が好きだ。

 

 社会は憎悪と悪意に満ち、苦痛や孤独の怨嗟の声に溢れていても、きっといまこの瞬間の俺は誰よりも幸せだと。生まれて初めて手にした恋が、かくも人の闇を祓い盲目にするのだと。

 

 恋が、これほどまで心に荒波を立てるものだと知ってしまった。

 

 だから願うのだ。分かってほしい。実ってほしい。欲してほしい。知ってほしい。隣にいたい。一緒に歩きたい。ずっと、繋がっていたい。

 

 なのに、人生というやつはつくづく苦いらしい。

 

 目の前の彼女が、瞳を驚愕と恐れと懊悩に揺らし、俺を見ずに遥か向こうへと視線を泳がして、首を振って唇を震わすその姿は。きっと、拒絶と定義されるべきもので、俺が欲しかった答えなどではない。

 

「沙希?」

 

 急に不安になって問う。沙希はわなわなと肩をびくつかせて、勢いよく顔を伏せる。

 

 声が聞きたかった。なんでもいいから言葉にして欲しかった。もういっそふってくれたっていいから、一言、どうか一言を……。

 

 沙希が顔を上げる。涙で顔をくしゃくしゃにして、大きく悲しみに歪んだ顔で、沙希が言った。

 

「……あたしじゃ、やっぱり無理だよ」

 

 世界が壊れた。

 

 逃げるように沙希が走り去っていく。俺は動けない。なにも感じられない。すべてが終わった。何もかもが、終幕の奥へと追いやられていく。

 

 もう、なにも考えられない。

 

 

 

 

 




一話の伏線回収完了。

紫のアネモネの花言葉は「あなたを信じて待つ」。
アネモネの花言葉は「はかない恋」「恋の苦しみ」「見捨てられた」「見放された」。

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