だから俺は彼女に恋をした   作:ユーカリの木

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そして、ふたりが選び取ったものは 4

 奈落に落ちたような気分だった。幸せの穴だと思っていたそれは、背中を蹴られて飛び込んでみれば絶望の深淵だった。

 

 歴史があざ笑う。だから言ったろうと。正常に回りだした思考が呆れる。人に期待することが愚かだと。

 

 その通りかもしれない。でも、それでも。

 

 後悔だけはしたくなかった。

 

 白夜を行くなかで初めて見つけた幸せだったから。それに手を伸ばさんとする行為だけは、誰にも間違いだと言わせたくなかった。

 

 気づけば連休の開けた朝六時だった。

 

 嫌な朝だった。

 

 俺に都合の良かった世界が元に戻ったような気がした。のろのろと身体を起こして一階に降りてシャワーを浴びる。身支度を終えてリビングに入ると、家族全員が揃っていた。

 

 誰も昨日のことは訊いてこなかった。小町でさえ、いつもの態度で俺に接してくる。その気遣いがありがたかった。

 

 両親が仕事へ向かい、小町とふたりになる。総武高校の制服に着替えてきた小町がソファーにどさりと座った。

 

「うぇー、連休後の学校って嫌だよねぇ」

 

「まあ、休み明けってのは大体そんなもんだ。学校でこんな気分になるんだから社会に出たらもっとひどいだろうな。やっぱり働きたくねえ」

 

 なんとか普段を装って言葉を放る。

 

「ぶえー捻くれてるなー」

 

 ぶーぶーと批判してくる小町の頭を「こやつめー」と撫でまくる。うぎゃー髪が乱れるーやめてーと騒がれ地味にショックだった。

 

 俺から離れた小町が必死に髪を整える。

 

「まったく、小町はこれでも人気あるんだから。髪がぼさぼさになったら今まで築いてきた小町ブランドが地に堕ちるよ」

 

「なにそれ。ブランドなんてあるの? 可愛いのは当然だけど、ブランドってなあ……。あとお兄ちゃん彼氏なんて許しませんからね」

 

「小町可愛いからなー。すぐにできちゃうかもしれないなー」

 

「よし、男が近づいてきたら俺に言え。追い払ってやる」

 

「うえー、それは嫌だなあ」

 

 そんな心底こいつ駄目な兄だなっていう表情で言わないで! 結構心に来るから!

 

 こそこそっと近づいてきた小町がうりうりーと脇腹を突いてくる。だからそこはやめて! 弱点だから!

 

「シスコンめー」

 

 によによしながら小町が言ってくる。

 

「シスコンじゃねえよ」

 

 小町がきょとんと首を傾げる。あらやだ可愛い。

 

「じゃあこまコン?」

 

「新しい言葉を作るんじゃありません」

 

 これだから若者は新しい意味不明な言葉をすぐ作るから困る。日本語の乱れは文化の乱れだよ! 気を付けよう!

 

「やっぱりお兄ちゃんはめんどくさいなあ」

 

「人間そうそう変わらないってことだな。参考にしていいぞ」

 

「駄目な見本だよね。反面教師ってやつ?」

 

「それはまあ、否定できないな」

 

「そこは否定してほしかったなー」

 

「めんどうな妹だ」

 

「妹は大抵面倒なんですー」

 

 ふん、とそっぽを向いて小町が語尾を伸ばした。そのまま時計を見た小町が「そろそろ時間だ」と言って立ち上がる。

 

 途端に憂鬱になる。学校に行きたくなかった。現実を見せられると思うと身がすくむような思いがした。

 

 震えそうになる身体を必死で鼓舞して腰を上げる。その様を見届けた小町が鞄を持って玄関へ向かう。その後に続いてふたりで家を出た。

 

 今日は生憎の曇り空だった。ゴールデンウィークの輝きが嘘だったかのような鈍色の雲が空を覆っている。それだけで気分が滅入った。

 

 家を出てすぐに突っ立っていると、小町が自転車をもってやってきた。

 

「ほらお兄ちゃん。休みボケしてるのは分かるけどほら乗って」

 

「おう」

 

 俺がのろのろと自転車にまたがっていると、小町も自分の自転車を引いてくる。

 

「それじゃ、学校へ向かってれっつらごー!」

 

 勢いよく前方を指差した小町と共に自転車を走らせる。

 

 道中も小町は何も聞いてこない。普段通り、いな、いつもよりも明るく俺に接してくる。負の感情など吹き飛ばせとばかりに。さすが長年付き添ってきた妹。俺の心を把握していらっしゃる。それが嬉しくて、情けなくて、いまこの瞬間が怖くて、やっぱり学校へ行くのは嫌だった。

 

 こんな風に感じるなど久しぶりだ。

 

 どうした比企谷八幡。期待するのは辞めたんじゃなかったのか。諦めたからすべてに線を引いたんじゃないのか。それを自分から取っ払っておいて何を今さら怖気づいている。後悔など当の昔に全て済ませたじゃないか。

 

 ――だったら、怖いものなどないだろう?

 

 馬鹿を言え。こんな感情、俺は知らなかった。誰もが一度は経験するであろうこの痛みを俺は理解していなかった。

 

 契りきな かたみに袖を しぼりつつ

 

 末の松山 波こさじとは

 

 百人一首の一句を思い出す。

 

 約束したのだ。一緒にいると。隣にいると。互いに涙してすべてを吐き出し、受け止め合って。それが変わることなんて、あり得ないと信じていたのに。

 

 馬鹿々々しい。現実を直視しろ。心変わりしない人間などいない。女心と秋の空と言うだろう。現に俺は見たではないか。その瞬間を。決して見たくはなかったその刹那を。

 

 信頼していた。誰よりも。小町すら勝ると思うほどに強く信じていた。これはなんだ。裏切られたのか? 俺が悪いのか? それとも、沙希が非情だったのか?

 

 分からない。

 

 なにもかもが初めてで、汚水のごとき黒い感情がなんであるかを知る経験がない。ただ、この感情を育ててしまえば、自分の中で何かが壊れると思った。それだけはやってはならないと冷静な部分が指摘していた。

 

 考えないようにしたかった。それでも痛む胸が訴えるのだ。

 

 思い知れ、これが人の裏側だと。

 

 そして、いっそ憎んでしまえと囁くのだ。そうすれば、自分だけが被害者でいられるから。心の平穏をほんの一時でも得られることができるから。

 

 思わず自転車を止めた。数舜遅れて、俺の異変に気付いた小町もブレーキを掛ける。

 

「お兄ちゃん?」

 

 心配の孕んだ小町の声に俺は反応ができない。

 

 頭を抱えたかった。妹の前なのに、兄らしく恰好つけることすらできそうになかった。もう泣きたかった。

 

「大丈夫だよ」

 

 闇に抱かれそうになった俺に、小町がやさしく言った。俯いていた顔を上げる。小町が慈しむ表情で俺をじっと見つめていた。

 

「なにが大丈夫なんだ?」

 

 無理やり平然とした口調を作る。小町はそれを苦笑して受け止めて、言った。

 

「小町が、小町たちがお兄ちゃんを守るから」

 

 科白の内容に目を剥いた。

 

 いつも、心のどこかで妹を守らなければと思っていた。しっかりしているのは妹の方だというのに、やっぱり兄である自分が妹を助けなければと考えていた。

 

 それがいまはどうだ。その保護対象である妹から守ると言われている。これを情けないと受け取ればいいのか、成長したと喜べばいいのか、いまの俺には判断することができない。感情の舵取りが上手くいかない。ゆらゆらと正と負の狭間を揺らいでいて、少しでも油断をすれば負の方向へ進んでしまう。

 

 物言わぬ石像となった俺に小町がやさしい言葉を注いでくる。

 

「絶対に、守ってみせるから」

 

 小町が続ける。

 

「もう、ひとりで抱え込まなくていいんだよ」

 

 奥歯を強く噛んだ。これ以上妹の顔を直視していたら壊れると思って目を逸らした。喉の奥で悲鳴を殺した。

 

 だからと、小町が掠れた声で言葉を重ねる。

 

「もう一度だけ勇気を出して。必ず舞台を用意するから」

 

 舞台ってなんだ。またふられろとでも言うのか。そんなの耐えられるはずがない。たった一度でこれだぞ。そんなに俺の心を砕きたいのか。

 

 反論をしようと小町を睨んだ瞬間、時が凍った。小町が、妹が、いままで見たことのないような真剣な眼差しで俺を見つめていた。

 

「私を信じて」

 

 言葉に乗った想いの切実さが、俺の胸を鋭く打った。

 

 勝負をする前から分かり切っている。妹に勝てるはずがない。いつだって兄は妹に弱いのだ。

 

 それに――

 

 妹を信じない兄なんていないだろ……。

 

「……頼む」

 

 小町が真摯な表情で頷く。

 

「任せて」

 

 勇気よ奮い立て。あと一度でいい。小町が作ってくれたチャンスを掴むための力を俺に寄越せ。

 

 

 

 学校に着いたのは、遅刻にはならないが教室に入るのはぎりぎりといった、いつもの俺の登校時間だ。パタパタと駆ける小町と一緒に昇降口に入る。そこに散見されるのは、足早に教室へと向かう生徒たちの姿。普段の光景。

 

 昇降口で小町と別れ、時間のせいか短い挨拶が飛び交う中を進んでいく。次第に生徒たちの喧騒が大きくなっていく。階段を昇り、廊下を進んで教室の中へ影のように忍び込む。

 

 ゴールデンウィークを終えたからか、生徒たちはいつもより活気に溢れているように見えた。連休でリフレッシュでもできたのだろう。こっちはどん底の気分なんだが……。水たまりで滑って転べばいいのに、とちんけなことを考えてみる。この呪い、みんなに届け! 届かんな。

 

 ふと、女子生徒と目が合う。沙希だった。心に動揺が生まれるが、違和感に気づく。目元に濃い化粧を施していた。普段は化粧などしていないのに。

 

 俺を見つめる沙希の瞳が揺れたように見えた。表情が強張り、何かを言いたげに口元が動く。だが声は聞こえない。

 

 予鈴が鳴り、絡ませていた視線を外して席に着く。沙希はずっと俺を見ていた。話しかけたかったが、今は我慢した。いま口を開けば何を言うか分からなかった。小町が作ってくれるという舞台を待つ。そしてそれまでに勇気の土壌を固める。俺にできることはそれだけだ。

 

 朝のホームルームを終え、再び室内がにわかにざわめきだす。普段通りの光景。俺は可能な限り気配を消して背景に徹して机に伏せる。

 

 唐突に女子生徒が大きな声で言う。

 

「そういえば知ってるー? 連休中さー、あのヒキタニと川崎さんが仲良さそうに腕くんでデートしてたんだけどー?」

 

 目を剥いた。おい、待て、それはいまの俺に効く。思わず顔を浮かせかけるが必死にそれを堪えた。

 

 いまの声は、同じクラスのカースト上位の女子だったか。名前は……知らん。確か容姿は三浦に似ているが性格は似ても似つかない嫌味ばかり吐く奴だったはずだ。やっぱり名前は思い出せない。

 

「えーマジ―? あのヒキタニとデートとか、ウケるんだけどー」

 

 会話に参加してきたのは劣化三浦の腰ぎんちゃくだったか。名前はやはり知らない。というか興味がない。

 

 待て待て。久しぶりに教室に居づらい。というか本気で胸が痛いくらいに動悸が酷い。

 

「でしょー、ウケるー。ヒキタニって生徒会長の下僕じゃなかったっけー? 川崎さんに鞍替えしたの? 超腰軽なんだけど」

 

 会話は無慈悲に続いていく。教室内の空気がおかしくなっていく。視線が俺に集中しているのが分かる。沙希がどういう状況か分からない。だが、同じ気分を味わっているのだろうと思うと腸が煮えくり返る思いがした。

 

 どうする。この状況を覆すには何をすればいい?

 

 まったく想定していなかった。本来ならば一番に警戒すべき事柄だったというのに。全然考えていなかった。己の浅慮を呪い殺したくなる。

 

 にたにたした下品な笑みが室内に広がっていく。俺たちの心が土足で踏みにじられていく。

 

 どうすればいい。思考がまとまらない。いままでならばどうしてきた。比企谷八幡、ここで動かないともっとひどいことになるぞ。

 

「比企谷」

 

 ふいに、室内に響き渡る爽やかな声が俺の耳に届いた。反射的に顔を上げる。葉山だった。

 

「やあ比企谷。連休中はよくもいろはを俺に押し付けてくれたな。まあ、ラーメンに連れて行ってくれて助かったよ。いろはも機嫌を直してくれたみたいだし」

 

 これ見よがしに声を張った葉山が、室内に入って近づいてくる。クラスメートが水を打ったように静かになる。それを目ざとく拾った葉山が、視線を沙希へと向ける。

 

「川崎さんもあのときはありがとう、楽しかったよ。ラーメンも美味しかったよな」

 

 ごく自然に、葉山は親友かのように声を掛ける。沙希はぽかんとした表情でこくんと頷いていた。

 

「で、比企谷、相談なんだが。戸部もなりたけに連れて行ってやってくれないか? ヒキタニくんとラーメンに行きたい、とかなんとかしつこいんだよ」

 

「お前が連れてけよ……」

 

「そういうなよ。戸部は比企谷をご所望なんだから。あとついでにいろはももう一度連れて行ってやってくれないか? 部活でしごきすぎてすこぶる機嫌が悪い」

 

 葉山が苦笑する。教室に動揺が生まれていく。

 

「一色の管轄はお前だろ……」

 

「部活はな。生徒会側は比企谷の担当だろ? 少しは手伝ってくれよ」

 

「そう言っていつも引きずり回されてるんだけどな……」

 

「比企谷は仕事が早いからな。いろはも頼りたくなるんだろ」

 

 そこまで言ってから、葉山が「おっと時間だ」とわざとらしく壁に掛けられた時計を見る。

 

「じゃあ、戸部といろはのこと頼んだぞ」

 

「おい待て、ふたりは勘弁しろ。せめてどっちかひとりお前が担当してくれ」

 

「部長は忙しくてね、暇がない。じゃよろしく」

 

 好き勝手言いまくった葉山が教室を出ていく。室内の雰囲気はもはや困惑の一言に尽きた。

 

「え、ヒキタニと葉山くんって仲良かったの?」

 

「生徒会長の管轄ってどういう意味?」

 

「生徒会長の下僕じゃなくて頼られてたってこと?」

 

 いつも好き放題言っていたクラスメートたちの視線が好奇なものに変わる。

 

 そんなことはもはやどうでも良くなった俺は、葉山の意図を考える。

 

 なんのつもりだ? あまりにもタイミングが良すぎる。小町から伝わった? それで動くような奴か? そもそも、小町と葉山は繋がっていない。なら一体……。

 

 思考の渦に嵌っている間に教師が入室し、授業が始まる。

 

 内容などひとつも頭に入らず授業が終わる。

 

 そして、今度やってきたのは戸塚だった。

 

「あ、はちまーん!」

 

 天使の降臨に思わず頬が緩む。戸塚、今日も可愛い。

 

 こっちに来るのかと思いきや、なぜか視線をこっちに向けたまま別の方向へ進んでいく。あれ、戸塚さん、俺のところに来てくれないのん?

 

 戸塚の動きを追っていく。戸塚は沙希のところまで行くと、「川崎さん、行こ!」と腕を掴んで引っ張ってくるではないか。あら戸塚、なんて大胆!

 

「はちまーん!」

 

 うん、戸塚。意図は全然読めないがものすごく不自然だぞ。戸塚が沙希の腕を引きながら俺のところに来るとか、クラスメートとかもう固まっちゃってるからね。

 

「いきなりどした?」

 

「うん、ふたりの顔を見たくなっちゃって」

 

 戸塚が頬を赤らめて言って、照れたようにえへへと笑った。

 

 守りたい、この笑顔。

 

 でも表情と行動が全然一致していないのはなんでなんですかね。沙希もなんだか慌てている様子だ。思わず俺も口元がもにょもにょとなる。両者の顔を見やった戸塚が、ぱちんと胸の前で手を叩く。

 

「そういえば、ふたりとも歌がすっごくうまかったよね」

 

 あれ、それ俺の黒歴史じゃね? 正確には沙希とふたりでカラオケに行ったときの黒歴史だけれど……。

 

 そこで沙希がぶっと噴出した。おい沙希てめえ、なに笑ってやがる……!

 

「は、八幡の……歌……ッ」

 

 腹を抱え出した沙希を戸塚が不思議そうに見つめる。うん、俺も思い出しただけで気分が落ちるわ。

 

 沙希がぼそっと一言。

 

「ハートキャッチ」

 

「沙希さん? これ以上の追い打ちはやめようね」

 

「だってあれ、すっごく面白くて……。そのあと――」

 

 そこでふたりしてぼんっと顔が赤くなる。うん、思い出しちゃいけないものを思い出しましたね……。

 

 くすくすと戸塚が笑う。

 

「やっぱり二人は仲がいいね」

 

 そこで戸塚が特大の爆弾を落とす。

 

「八幡には雪ノ下さんか由比ヶ浜さんかなって思ってたことがあったけど、やっぱり川崎さんが一番お似合いだね」

 

 無垢な笑顔でさらっと戸塚が言った。俺と沙希が凍る。

 

 えへへ、と微笑む戸塚は「もう時間だ。またね、八幡、川崎さん」と可愛く手を振って教室から去っていった。

 

 あれー、今日は一体なんなの?

 

 取り残された俺と沙希がその場でもじもじとする。

 

「ま、またね」

 

 一瞬早く自分を取り戻した沙希が、自分の席へ戻っていく。

 

 そして教師が来て授業が始まって休み時間を迎える。今度やってきたのはあざと生徒会長の一色だ。

 

 きゃぴきゃぴしながら小走りでやってきた一色は、俺を見るや「せんぱ~い。ひどいんです~」とかなんとか言いながらやって来る。

 

「先輩、葉山先輩ったらひどいんですよ! 色んなところで、『いろはが生徒会の仕事を比企谷に頼ってる』って言いふらしてるんですよ! そんなことされたら私の面目丸つぶれじゃないですか! なんとかして欲しいです!」

 

「いや、事実だし。というか上級生のクラスで大声でそんなこと言ったら意味ないからな」

 

「は、なんですかもしかして口説いてるんですか私のために頑張ってくれている事実を広めて外堀から埋めるつもりですかでも私よりも川崎先輩の方が先輩にはお似合いなので身を引かせて頂きますごめんなさい」

 

 一息でそこまで言った一色がぺこんと頭を下げる。

 

「なんか知らんが理不尽に振られたことだけは分かった」

 

 相変わらず早すぎて何を言ってるのか聞き取れない。というかもはや一色の振り芸は聞き流してるまである。

 

 室内が騒然としている気がするが、今回で三回目だ。いい加減慣れた、というか無視だ無視。視線が痛くて堪らないから、お願いだから見ないで!

 

 そんなことを考えていると、一色が沙希の方を見やいなや、大きく手を振って声を上げる。

 

「あ、川崎先輩。先輩とのデートの内容そろそろ教えてくださいよ~。採点したくてずっとうずうずしてたんですから」

 

 やめて! こんなところで言わないで!

 

 八幡のライフがゴリゴリ削られてるから!

 

 沙希もこれには頬が引きつっていた。構わず一色が続ける。

 

「でもでもー、あのときの川崎先輩すっごく美人でした。先輩もやりますねー。あと先輩も眼鏡掛けたら結構イケてますよね」

 

 いろはす、目が笑ってないよいろはす。なんでクラスメートに喧嘩売るような視線を投げてるんですかね?

 

「先輩のクラスは……」

 

 一色がぐるりと教室を見渡し、

 

「はっ!」

 

 鼻で笑った! 鼻で笑ったよこいつ!

 

 ころっと表情を変えてにこぱー☆と一色が笑う。

 

「やっぱり先輩たちが一番ですねー!」

 

 怖い。超怖いよいろはす!

 

「あ、そろそろ時間ですねー。ではでは、またラーメン連れてって下さいね。よろしくです☆」

 

 きゃぴるん、とウィンクしてあざとく敬礼した一色が、とてとてと教室を出ていく。なんだ、あの嵐のような奴は……。

 

 とにかく、なにか起きていることだけは分かった。大いに分かった。これ以上は分かりたくないくらいに理解した。

 

 思いっきり俺の心をヤスリで削りに来ている気がするけど、なんとなく善意ということだけは分かる。

 

 小町め……一体何を企んでやがる……。

 

 

 

 

 


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