だから俺は彼女に恋をした   作:ユーカリの木

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そして、ふたりが選び取ったものは 6

 帰りのホームルームを終えると、教室は生徒たちの会話やらなんやらで騒がしくなる。その中を気配を消して俺は鞄を持って立ち上がる。ふと沙希に目をやってみれば、スマホに目を落としたまま足早に教室を出るところだった。声を掛けたかったが、部活に行かなくてはならないから衝動をぐっと堪えた。

 

 相変わらず奇異の視線を浴びながら教室を出て、特別棟へ続く廊下を歩いた。

 

 今日は妙なこと続きだった。葉山は現れるし戸塚も行動が不審だったし、一色に至っては俺の状態を見抜いて相談すら受けてくれた。少なくとも普通ではない。こんな奇妙な状況を作ったのは誰かと考えれば、事情をしる小町以外考えられないのだが、葉山の存在を考えるとそれも怪しい。加えて今回の強引な招集だ。俺の知らない水面下で何かしらが動いていると考えて差し支えないだろう。

 

 ようやく回りだした思考が異常を察知したところで、部室が見えてくる。部室の扉の前に女子生徒が立っていた。小町だった。

 

「あ、お兄ちゃん」

 

 やほーと軽く手を上げる小町の雰囲気に特別なものは感じられない。表情も仕草もなにもかもがいつも通りだ。

 

「部室に来るなんてどうしたんだ? 部員じゃないだろ」

 

「ん、ちょっとお兄ちゃんに伝えることがあって」

 

 少し寂しそうな顔で小町が言って、俺に向き直る。

 

「どした?」

 

「うん、一応言っておくね。恨むなら小町を恨んで」

 

「は?」

 

 科白の内容の酷さに、小町が何を言っているのか一瞬分からなかった。儚く散りそうな表情をした小町が言った。

 

「きっと、お兄ちゃんのことだから自分を責めるとかしそうだから。その怒りを小町に向けてってこと」

 

「まったく意味が分からないんだが……」

 

「うん、すぐに分かるから」

 

 とりあえず入った入った、と小町が部室の扉を開けて俺の背を押してくる。押されるままに部室に入ると、既に雪ノ下も由比ヶ浜も揃って椅子に座っていた。

 

 雪ノ下が申し訳なさそうな表情で俺に声を掛けてくる。

 

「いきなり呼び出してごめんなさい。どうしても重要な用があって比企谷くんには来てもらったの」

 

 よく見れば、雪ノ下も由比ヶ浜も普段と違って表情が強張っているような気がした。何が起きているのか把握できず、少し困惑した状態でいつもの席に腰かける。

 

「で、なにがあった?」

 

「いえ、なにかがあったという訳ではないの」雪ノ下が答える。

 

「じゃ、重要な用ってのは?」

 

 俺の問いにふたりが沈黙する。

 

 途端に静寂が部室内をひたひたと支配する。居心地の悪さを感じていると、こほん、と雪ノ下が咳払いをした。

 

「比企谷くんに来てもらったのには理由があるわ」

 

「だろうな。で、その用ってのは?」

 

「私と由比ヶ浜さんがそれぞれ用にあるのだけれど、同じ用だから一緒に話すわ。あまりあなたの時間を私たちに割いて欲しくないから」

 

 妙な言い回しをする。俺は部員なのだから部活動の時間は拘束されて当然だ。まあ、今日は抜けようと考えていたのだが……。

 

「比企谷くん、申し訳ないのだけれど、依頼者側の席に座っていただけないかしら。できれば対面で話したいのよ」

 

「あ、ああ」

 

 机の端に座っていた俺は、荷物を持って席を移動する。雪ノ下と由比ヶ浜の対面になる依頼者の席に腰を落とす。いよいよこの状況が普通の状態ではないことに疑いを挟む余地はなかった。

 

「ヒッキー。大事な話があるの」

 

 いままで黙っていた由比ヶ浜が口を開く。いくばくかの緊張感を纏っていた先ほどと異なり、何か決意を固めたような瞳で俺を見ている。

 

 ふと目を逸らした由比ヶ浜が、雪ノ下と目を合わせる。目だけで語り合った二人が頷き、ふたりとも俺に目を向けた。二対の視線が俺の身体を射抜く。そんな錯覚を覚えるほどの強い想いを持った視線だった。

 

「ヒッキー。ううん、比企谷八幡くん」

 

 由比ヶ浜が決意の顔で口を開く。

 

「好きです。あたしと付き合ってください」

 

 空白。

 

 何を言われたのか分からなかった。

 

 言葉の意味を咀嚼する前に雪ノ下が続く。

 

「比企谷くん。私もあなたのことが好きよ。私と付き合ってくれませんか?」

 

 混乱。困惑。動揺。そして驚愕。

 

 唐突のことで状況が理解できない。ただひとつ明確なことは、ふたりに告白されたことだ。そして俺はそれに答えなければならない。

 

 だが、いきなりどうして?

 

 疑問は水泡のように無数に浮かんでは消える。

 

 時間は無慈悲に過ぎていく。室内の壁時計の秒針が律義に時を進めている。答えなければならない。黙したままなにも言わないなど最低だ。分かっている、分かっているのだが……。

 

 ふっと、雪ノ下が微笑んだ。

 

「さすがに混乱しているようね。無理もないわ。でもごめんなさい。私たちとしても、いまを逃すわけにはいかないのよ」

 

「ヒッキー。よく考えてみて。いま誰のことを一番考えているか。わたしたちのこととか考えなくていいから、難しいかもしれないけれど、もう一度自分の気持ちを思い出してみて」

 

 考えるまでもない。今日一日で、一色のお陰で、沙希のことが好きだと再確認できた。

 

 それは単に恋が終わっていなかったということだけではなくて、どうしたって彼女のことを忘れることができないのだ。あの五日間があまりにも綺麗な思い出になっていて、これからもふたりでそんなものを作っていきたいと心から願ってしまうから。

 

 そうなれば、答えなど決まっている。

 

「すまん、ふたりとも……。俺には好きな人がいる」

 

「ええ、知っているわ。それは誰かしら?」雪ノ下の細い声で問うてくる。

 

「沙希だ」

 

「うん、やっぱりそうだよね」由比ヶ浜が掠れた声で頷いた。

 

 ならどうして……。そんな言葉が脳裏に浮かんだ。報われないと知っていて、断られると分かっていて、どうして俺に告白なんてしてきたんだ。

 

 想われている自覚はあった。それが恋愛感情なのか友情感情なのかまでは気づけなかったが、それでも、憎からず思われていることは知っていた。一年も一緒にいて、色々な経験をして、たくさん話をして、三人で強固な絆を繋いだ。

 

 だというのに、いまふたりが何を考えているのか想像すらできない。

 

「さて、そろそろ邪魔者は退散しましょうか。由比ヶ浜さん、行きましょう」

 

「うん、ヒッキー……頑張ってね」

 

 雪ノ下と由比ヶ浜が立ち上がって、部室を出て行こうとする。その背に何か言葉を掛けたいはずなのに、口が開こうとしない。部室から去る直前、雪ノ下が俺に振り返る。

 

「あなたは負い目を感じなくていい。あなたは誠実に私たちの告白に返事をしてくれた。それはとても素晴らしいことよ。だから、あなたはあなたの恋を頑張りなさい」

 

 それだけ言って、俺の返事など聞かずに部室を出て行った。ひとり残された俺は動けなかった。

 

 そして……。

 

 部室の扉が開いた。

 

「……沙希?」

 

 沙希がいた。大粒の涙を流して顔をゆがめた沙希が、部室の前で立ち尽くしていた。

 

「聞いてた……のか?」

 

 こくん、と沙希が頷く。

 

「小町から……メールが来て。ここに来いって……そしたら、あんなことになって……あたし……」

 

 思わず顔を覆った。恨めとはそういうことか……。

 

 ――あいつ、雪ノ下と由比ヶ浜を捨て石にしやがった……。

 

 沙希が近づいてくる。力が抜けたのか鞄を取り落とし、ふらふらと俺の前までやって来る。

 

「八幡……あたしね……」

 

 涙を顎に滴らせながら沙希が訴える。

 

「ずっと不安で、あの二人には勝てないって……ずっと思ってて。あの日、八幡が告白してくれたときに、ふたりが後ろにいるのが見えて、急に怖くなったの。あたしじゃダメだって。あたしなんかじゃ敵わない。でも……だけど……!」

 

 沙希が嗚咽を飲み込んで言った。

 

「八幡じゃないと嫌だよ……!」

 

 沙希が抱き着いてきた。その矮躯を俺も力を込めて抱きしめる。

 

「ごめん、ごめんね。あのときあんな酷いこと言っちゃって、本当にごめんね。自信がなくてごめんなさい。断っちゃってごめんなさい。こんな大変なときに来ちゃってごめんなさい。あたしは、あたしは……」

 

 声を震わせ、沙希が告げる。

 

「八幡が好き。大好き。他の誰かじゃだめ。八幡じゃないとだめなの……!」

 

 胸が熱くなった。想いが通じ合っただけで、急に幸せが溢れ出した。これ以外などもう何もいらないと思えるほどに。

 

「沙希、俺も好きだ。俺と、付き合ってくれ」

 

 胸の中で沙希が何度も頷く。

 

「うん、うん。お願い、あたしと付き合って」

 

「ああ」

 

 深い息が漏れた。幸せの頂点にいると思えた。それなのに、心の底にしこりのようなものができていて、無条件に喜ぶことができなかった。

 

 この結末はなんだ。雪ノ下を、由比ヶ浜を無意味に傷つけ、あまつさえそれを第三者である沙希に見せた。ふたりにとっては、本来侵されざる聖域を土足で踏みにじられた気分だろう。

 

 発端は俺だ。雪ノ下も由比ヶ浜も異性だ。だが、彼女らの好意に甘えて関係を明確にせず、ぬるま湯の場所に浸り続けてきた俺の責任だ。誰もが悪く、誰もが等しく被害者だ。そこに明確な善悪は存在しない。

 

 それでも、たぶん小町は一線を越えた。超えてしまった。

 

 沙希も俺の気持ちが分かったのか涙を止めて俺の顔を見上げた。化粧がはがれた目元は、不自然に赤くなっていた。

 

「沙希、これから話さないといけないやつがいる」

 

「うん」

 

「さすがに今回ばかりは叱ってやらないとな」

 

「うん、そうだね」

 

 沙希が真剣な眼差しで頷く。

 

 俺は沙希を離すとスマホを取り出して電話を掛ける。相手は一コールで繋がった。

 

「はーい、愛しの小町ですよー」

 

「よう小町。話があるから面貸せ」

 

 俺の強い口調に対し、小町はからからと無邪気な笑みを返す。

 

「うん、そう来ると思ってた。屋上で待ってるよ。これだけ言えば、分かるんだよね?」

 

 特別棟の屋上のことを言っているのだろう。あそこの鍵が壊れているのは女子の間で有名らしいとは、確か沙希から訊いた話だったか。

 

「分かった、すぐに行くからそこを動くなよ」

 

「かしこまり―」

 

 ふざけた返事をした小町が電話を切る。耳から離したスマホをしばらく見つめる。俺は怒っていた。よりにもよって、人の想いを利用するやり方をした小町に憤りを感じていた。

 

 一度深呼吸をして心のさざ波を落ち着かせる。

 

 分かっている。誰のためにそんなことをやったのかも。今日一日起こったすべてには結局のところ小町に繋がっていることも。全部、俺のためにやったことなど言われなくとも気づいている。知っている。

 

 何が正しくて何が間違っているかなど、断じるほど物事に精通などしていない。ただ、やってはいけないことというのは、なんとなく分かる。たぶん、小町が講じた最後の一点は間違っていた。感情的なのか、道徳的なのか、はたまた別のものなのかは知らないが、過ちを犯した。

 

 ならば俺はどうする。決まっている。

 

 説教するしかあるまい。

 

 古今東西、間違ったことをしたら怒られるのが世の常だ。

 

 もっとも、この思考の流れすら、小町の想定通りだろうけれど……。

 

 

 

 


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