だから俺は彼女に恋をした   作:ユーカリの木

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終章
だから俺は彼女に恋をした


 あの日から沙希は目に見えて変わった。校則違反にならない程度の化粧をするようになったし、人当たりも柔らかくなって、笑顔をよく見せるようになった。お陰でクラスの男どもが群がるようになったが、それは沙希の変わらぬ眼力によって一蹴されていた。ついでに俺も怖かった。彼氏になったいまでも沙希のガン飛ばしにビビるどうも俺です。

 

 それでも、川崎のモテっぷりは天井知らずだった。

 

 例えばこんな一幕があったそうだ。

 

 放課後の黄昏の下。特別校舎の屋上。どこか特別な空気感を感じさせるその場所で、沙希はクラスメートの男子生徒に呼び出されたそうだ。男子生徒は少し気後れしたように顔を逸らした後、すぐに頭を下げてこう言ったらしい。

 

「俺と付き合ってください」

 

「やだ。帰る」

 

 即答である。あまりの即断即決っぷりに男子生徒はうろたえ、こう縋ったそうな。

 

「ヒキタニより俺の方がいいに決まってる、もう一度考え直してくれ!」

 

 このとき、沙希は自分がどうなったかあまり覚えていないらしい。後から思い出す限りでは、

 

「あんたあたしの彼氏を馬鹿にしてるわけ? 名前すら間違えるとかあり得ないでしょ。殴られたいの? 顔は許してやるからボディだしな。殴るよ? あんたのどこが八幡を上回ってるわけ? 一欠けらもそんなとこないでしょ。というか人の彼氏を引き合いに出すとか最低じゃないの? 一回死ねば? というかお願いだからあたしの視界から消えて、今すぐに」

 

 とかなんとかボロクソに言葉を叩きつけて、部活をしている俺を待つために図書室に向かったそうだ。

 

 後日、クラスの噂を訊いた限りではその男子生徒は一週間は寝込んだそうだ。

 

 そして俺はと言えば……。

 

 沙希の勧めで伊達メガネを掛けるようになり、さらに沙希という美人の彼女を持ったことによって、周囲から好意的に受け止められるようになった……気がする。まあ、それでも遠巻きに見られるだけなんだけどね!

 

 ただ、葉山の噂による効果が効いたのか、『一色の下僕』から『生徒会のフィクサー』という物騒な呼ばれ方を陰でされるようになってしまった。お陰で下級生からはビビられるわ羨望の眼差しで見られるわと、今までの平穏が完全に崩れてしまった。まあ、一色に関わってしまった時点で平穏もなにもないのだが……。

 

 ちなみに、葉山の約束であった戸部と一色をなりたけに連れていくという約束だが、本当に履行させられる羽目になった。陽乃さんを使った葉山の策略により、俺は完全に逃げ場を失った。

 

 当日、戸部はひたすら「べーっべーこのラーメンっべーわー。ヒキタニくんやっぱパナいわぁ。フィクサ谷くんだわぁ」と言いまくり、一色は一色で「戸部先輩うるさいです。黙ってください。ラーメンがまずくなります。あ、でもでも、ラーメン奢ってくれたら許します☆」などと終始あざとかった。いや、あざといというか戸部の扱いがひどすぎる。とりあえずふたりとも黙って食べて欲しかった……。

 

 ともかく、陽乃さんには葉山を虐めまくるように雪ノ下経由で依頼はしておいた。当然だ。遠巻きに高笑いを浮かべているであろうあの野郎は地獄に叩き落されるべきである。

 

 俺の天使であるところの戸塚だが、沙希と付き合った日の夜に報告を入れた。すぐに電話が掛かってきて、戸塚はこの世すべてを祝福せんと言わんばかりに喜んでくれた。やはり戸塚は天使だった……。思わず「毎日俺の味噌汁を作ってくれ」という科白を飲み込むのにどれだけの気力を使い果たしたか、筆舌にし難い。

 

 そして、奉仕部の部室はいつも通りの空気感だった。かぐわしい紅茶の香り漂う部室で、俺と雪ノ下は相変わらず読書をし、由比ヶ浜は携帯を弄る普段通りの光景。

 

「あ、ヒッキー。なんか新しいクレープ屋ができたみたいだよ」

 

「ん、沙希と行く。どこだ?」

 

「んーとね、ここ。なんかお洒落だし美味しそうだよ」

 

 由比ヶ浜が携帯の画面を見せてくる。千葉に出来たという新店だ。フランスから東京に進出し、千葉まで浸食してきたらしい。ほほう、これはなかなか良さそうだ。

 

 ふむふむとふたりで眺めているところに、雪ノ下がわざとらしく咳払いをする。

 

「ところで比企谷くん。いつだったか小町さんがたくさんくれると言っていたカマクラさんの写真はまだかしら? ずっと待っているのだけれど」

 

「小町に催促しろよ……。俺は持ってないぞ」

 

 俺の返しに雪ノ下がくわっと目を剥く。ちょっと怖い……。

 

「なぜ持っていないの? あれほど愛くるしい存在の写真を常備していないなんて考えられないのだけれど」

 

「お前は自分のキャラをどうしたいのかが俺には分からねえよ」

 

 やれやれと雪ノ下が首を振る。こっちがやれやれなのだが、そんな俺の思いなど構わず雪ノ下が告げる。

 

「猫とパンさん好きを隠していたことは愚かだったわ……。好きなものを好きという。そして声を大にして良さを広める。これこそ真実の愛よ……!」

 

 拳を握る雪ノ下に由比ヶ浜は苦笑していた。どうやら雪ノ下は未知の扉を開いてしまったようだ。できればその扉は開かない方が良かっただろうとは、口が裂けても言えそうにないが。

 

 そこにがらりと扉を開ける厄介者が一人。当然一色いろはだ。

 

「雪乃先輩、先輩借りに来ました~」

 

「帰りなさい。フィクサ谷くんは休暇中よ」と雪ノ下が即座に言い放ち、

 

「そーだそーだー! ブラック労働を許すなー!」由比ヶ浜がなぜか労働問題を唄い出す。

 

 困惑したのは一色だ。当然だ。いままでひとつ返事で頷かれていたというのに、途端に俺という労働力が借りられなくなったのだ。

 

 すぐに涙を目じりに滲ませた一色が、驚くべき素早さで俺の隣にやって来る。相変わらず忍者みたいだなこいつ……。

 

「先輩……ちょっとだけ、ダメですか……?」

 

 潤ませた瞳で上目遣いに俺を眺め、柔らかく握った拳を口元に持っていき、もう片方の手で袖口をちょんちょんと引っ張ってくる。

 

 あざとい。そして胸が痛い……。ここで断れば一色は大変な目に合うのではないかという嫌な想像が浮かぶ。

 

「先輩がいないと……困るんです」

 

 ぐぬぬ……。

 

 だが、

 

「比企谷くん」

 

「ヒッキー」

 

 ふたりが俺の心の惰弱さを叱咤する。

 

「川崎さんと約束があるのでしょう?」

 

 それは荒野に落とされた一滴の雫。魔法の言葉だ。一気に断る勇気が出る。

 

「よし一色帰れ。すぐ帰れ今すぐ帰れ帰らないなら俺が帰る!」

 

 鞄を持って立ち上がった俺に一色が慌てふためいた。

 

「ちょ、せんぱい! 急に辛辣過ぎます! 扱いの改善を希望します!」

 

「先週丸五日間手伝っただろ。そろそろ沙希とデートさせろ。というかさせてくださいお願いします」

 

 もはや懇願だ。相談に乗って貰ったという借りもあってか、ここのところずっと一色の手伝いをしていたのだ。さすがにもう休暇が欲しい。沙希との時間が欲しい。イチャイチャしたい!

 

「むぅ、確かにずっと手伝ってもらってましたし……今日のところは引き下がります」

 

「まるで悪の親玉の科白ね」

 

 むくれる一色に雪ノ下が苦笑を向けると、立ち上がって紅茶を淹れる準備を始める。

 

「折角だから休憩していきなさい。比企谷くんはもう行きなさい。川崎さんが待っているのでしょう?」

 

「助かる。んじゃ、またな」

 

 三人がそれぞれ返した挨拶を受けて、俺はそのまま部室を後にした。放課後の廊下を歩いて階段を降り、図書室へと向かう。

 

 途中、何かとすれ違った気がするが、気のせいだと無視した。

 

「ハチえもーん」とか言ってた気がするが絶対幻聴だ。無視だ無視。いまこそステルスヒッキーの本領を発揮するとき、とか思っていたが、やはり奴には敵わなかった。

 

 ふんす、と鼻を鳴らした材木座が俺の前に立ちはだかる。すげえ邪魔なんだけど……。

 

「八幡! 我の! 我の一大傑作が遂に出来上がったのだ! 読みたいというのならば見せてやらないこともないぞ!」

 

 うぜぇ……。

 

「全然まったくこれっぽっちも読みたくない。彼女が待ってるから俺は行く。じゃあな」

 

「辛辣ゥ! そしてリア充爆発しろ!」

 

 丁度いいのでそのまますれ違って立ち去ろうとするも、がしっと肩を捕まれる。

 

「そんなこと言わないで読んでよーハチえもーん!」

 

「気持ち悪い声出すな。同類だと思われちゃうだろうが」

 

「またもや辛辣ゥ! でも我は話すぞ! だって誰かに読んでもらいたいんだもん」

 

「もん、とか言うな気持ち悪い。感想が欲しけりゃ雪ノ下のとこにでも持っていけ」

 

「あの女子は的確に我の急所を抉ってくる宿敵よ。奴に勝つためにはまず八幡の意見が訊きたいと思ってな」

 

「要は雪ノ下に話しかける勇気もないし感想でぶった切られるのも怖いってことだろ」

 

「そうとも言う!」

 

「威張るなよ……」

 

 そのまま行こうとするも肩を掴んだ材木座の手は離れない。無視して無理やり進んでもいいが、このままでは確実に沙希との時間を邪魔される。折角久しぶりの放課後デートだ。邪魔者には即座に退散して頂く必要がある。

 

 結論。

 

 折れるしかなかった。

 

「分かったからさっさと手を離して原稿を寄越せ」

 

「ふっ、やはり我の作品は読まずとも万人を引き付ける魅了の力を宿しているのだな。ついに八幡もその力に堕ちてしまうとは……いやはや、我の才能が眩しすぎる」

 

「さっさと死んでくれない?」

 

「辛辣ゥ!」

 

「そのネタ飽きたわ。もう読まん」

 

 一気に無駄に落ち込んだ材木座が潤んだ瞳で見上げてくる。非常に気持ち悪い。これが沙希だったらと思うと余計に殴りたくなってくる。

 

 しかし我慢して「早く寄越せ」と目配せする。

 

「さすが我が相棒!」

 

 素直になった材木座がずずっと俺の顔に原稿を押し付けてくる。それをひったくって乱暴に鞄に仕舞うと、「じゃあな」と言って今度こそその場から離脱を謀る。去り際に「感想待ってるぞハチえもーん!」という言葉は鼓膜の手前でスルーすることにした。

 

 無駄な時間をかけてようやく図書室に辿り着く。図書室には三年生と思われる受験組の姿がいくつか見受けられ、参考書片手に勉強に励んでいた。その中には沙希の姿もあって、真剣な表情で何やら問題と格闘していた。

 

 そろっと近づくも、すぐに沙希に気づかれる。ほんわかした微笑みを湛えた沙希が、手早く勉強道具を鞄に仕舞うと立ち上がってやって来る。

 

「待たせたな」

 

「んーん、全然。行こっか」

 

 思わず花も恥じらうような笑顔で沙希が首を振って、俺の手を取って引っ張っていく。されるがままの俺は沙希についていき、昇降口から外に出た。

 

 外はまだ太陽の昇る時間帯で空は青い。六月も近づいたからか、にわかに暑くなってきたが、それでもまだ千葉は過ごしやすかった。

 

 駐輪場に行って自転車を取ると、ふたりの鞄を籠に入れて歩き出す。

 

「一週間お疲れ様」

 

 校門を出たところで沙希がくすくすと笑って言ってくる。言葉の裏には、一色の相手をして大変だっただろうという声が隠れていた。

 

「まったくだ。今回ばかりは疲れた。しばらく休みたい」

 

「お休みはもらえた?」

 

「雪ノ下達も口添えしてくれたし、たぶん大丈夫だろ。たぶん……きっと……恐らくな」

 

 俺の言い方に沙希が苦笑する。

 

「そこは絶対じゃないんだ」

 

「一色だしな」

 

 ああ、と沙希が空を仰ぐ。それで伝わってしまうのが一色いろはという存在だ。まあ、それでも可愛い後輩なんだけどね。でもそろそろ葉山にバトンタッチする頃合いだろう。あとでメールをぽいぽい投げく必要があるだろう。喜びはみなと共有し、苦しみは葉山へ投げる。これがいまの俺だ。

 

 駅までの道をのんびり歩く。スーパーを通り過ぎると、そこで偶然小町と遭遇した。買い物袋を抱えた小町がこちらに気づき、「おやおや」とニヤニヤした笑みで近づいてくる。

 

「もしかしてこれからふたりで放課後デートですかぁ? いいですねぇ。青春ですねぇ。お兄ちゃんやるなぁ。このこの、憎いねぇ! 結婚式はいつですかぁ?」

 

 小町の行動に沙希は苦笑。俺は悩ましい気分になってくる。なんだろう、連休中に猛烈な進化を遂げた妹だが、どうにもこれは……。

 

「小町、お前どんどんオバチャン化してないか……?」

 

「ガーン」と口で言った小町が顔を固まらせる。やがて、ぶるぶるっと肩を震わせると、

 

「お兄ちゃんのバカ! アホ! ボケナス! 意気地なし! 甲斐性なし! 八幡! 今日は夕飯抜きだからね! 沙希さんと夕飯食べて来なさい!」

 

 捨て台詞をあるだけ吐き捨てて、ぷんすか怒りながら踵を返してしまう。どうしたものかと思っていると、小町がすぐに立ち止まって振り返る。その表情には先ほどまでの怒りなど微塵もなかった。

 

「ふたりともあまり遅くならないようにね」

 

 ふっと微笑んで小町が言った。

 

「あいよ。行ってくるわ」俺は軽く手を上げる。

 

「小町も気を付けて帰るんだよ」沙希が柔らかく微笑んだ。

 

「うん、行ってらっしゃい」

 

 ひとつ頷いた小町がのんびりと足を進めて帰路に着く。妹の背を二人で眺めて、俺たちも駅へと足を運ぶ。

 

 両手を背中で組んだ沙希が腰を曲げて俺を見つめてくる。

 

「ね、ふたりになれるとこ行きたいな……」

 

 綿菓子のように甘い声に、飴色のとろけるような笑み。あまりに蠱惑的な沙希に、思わず背筋がゾッとした。こうなった沙希にはどうあがいても逆らえない。

 

「また襲う気か……?」

 

 せめて反撃くらいはしてやろうと言葉を返すと、沙希は笑顔を引っ込めて慌てまくる。

 

「お、襲ってないし! あのときはちゅーしたかっただけだし! 八幡も喜んでたし!」

 

「『し』が多すぎる。お前は一体何ヶ浜だよ……」

 

「川崎沙希だよ!」

 

「知ってる。したがりなのに恥ずかしがり屋だよな」

 

「うぅ……。八幡だってして来るくせに」

 

「そりゃ好きだからな」

 

 ぷすん、と沙希が顔を真っ赤にする。たぶん俺も赤くなっているはずだ。

 

 しばしの間ふたり無言でとぼとぼ歩く。

 

 でも……と沙希がハンドルを握る俺の手に触れる。唐突に沙希の体温が灯り身体が熱くなる。

 

「今日は……いいよね?」

 

 瞳を濡らした沙希が俺を見上げてくる。その視線の熱に心臓が止まる思いがしてその場に立ち止まった。沙希が身体をすり寄らせてくる。天下の往来だというのにも関わらず、いまは奇跡的に人がいない。

 

「一週間待ったから。それに……」

 

 いま、誰もいないよ。

 

 囁いた沙希が瞳を閉じる。恋する乙女の美しい顔が近づいてくる。

 

 俺は恋をした。

 

 俺は沙希が好きだ。

 

 社会は憎悪と悪意に満ち、苦痛や孤独の怨嗟の声に溢れていても、きっといまこの瞬間の俺は誰よりも幸せだと。生まれて初めて手にした恋が、かくも人の闇を祓い盲目にするのだと。

 

 実った恋が、これほどまで心を掻き乱し、それでいて約束の地のような安らぎを与えてくれるものだと知ってしまった。

 

 だから願うのだ。見てほしい。聞いてほしい。触れてほしい。知ってほしい。欲してほしい。隣にいたい。一緒に歩きたい。ずっと、繋がっていたい。

 

「沙希……」

 

「八幡……」

 

 淡い口づけ。

 

 それだけでは足りなくて。もっともっと触れていたくて。そんな想いすら同じだと分かってしまって。ふたり見合ってはにかんで。

 

 人が来るまでのほんの一瞬。

 

 もう一度だけ、沙希と重なった。

 

 

 

 

 




これにてこの話は完結。
あとがきは活動報告にて

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