記憶喪失の私は記憶喪失の養子になりました   作:TAKUMIN_T

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※先行公開分となります。完成後は今回と差し替える形で新規投稿します。

一年以上。長らく日の目を見なかった文達です。
一部表現が完成後に変更されている可能性があります。御了承を。


013.02-03:emomary / 2[一部先行公開]

 

 

 

 

 一辺(いっぺん)は1メートル。本色(ほんしょく)である白い花崗岩を加工して作られた、正方形のタイルが敷き詰められている。縦横を繰り返し、視点を上へ上へと床から垂直に遠ざけようとも、継ぎ目の格子模様が永遠に繰り返すように錯覚する。

 唐突に、人影がタイルを横切った。

 

 

 

 

『おおっと! ここで二組が追い上げてきた! 序盤でパッとしなかったのは終盤に合わせるように力を温存していたかからでしょうかぁぁ‼︎』

 

 

 

 

 湧きあがる興奮を伝える事のみの一心で、自身が実況席からあらんかぎり叫んでいる。その手に握られている設置型音声増幅装置(スタンドマイク)は、もはや意識の外だ。実況者の(さが)だからこそか、装置(マイク)の根本を握る手は無意識で。それでいて、口元へは近付ける必要が無いほどに、室内は自身の声が反響している。

 捉え方を変えれば、競技場に響き渡る歓声に()()たり*1

 冷静な観客の隣で、興奮から中座する実況者。傍目からしても、どんな様子なのかは一目瞭然だろう。

 言い換えれば、実況者も〈観客の一人〉だということ。

 そんな実況者を筆頭とする観客達の興奮が、周囲の観客へと伝播――リバーシのように〈色〉が変わりゆく事柄が起こっているのだ。時間が経つほど、会場の興奮度合い(ボルテージ)が目に見えて上昇していた。

 例え話として、冷静に、傍観するように、とある訪客が一人、観客席から少し離れていたとしよう。

 【観客】は、燃料が次々投下される〈炎〉。彼ら彼女らが生み出す【熱気】は、炎が発する〈遠赤外線〉という未知なる力。

 まるで、焚き火へ近付くと、身体の芯から暖まる〈現象〉とあまりにも似ていた。

 訪客の肌どころか、心の表層をも撫でていたことだろう。

 

 そんな多種多様な客らに共通して言えることは、眼前で起きている出来事を見逃さない。それに限るだろう。

 

 実況は、その状況を一言一句違えることもなく。

 観客は、あらん限りの声援を選手へと。

 

『上に位置していた選手を――4人――6人っ‼︎ ごぼう抜きだぁ‼︎ そして、そのまま先頭に立ったぁぁぁぁ‼︎』

 

 白熱の展開は、観客へさらなる燃料を投下する。実況も、クールダウンしていて冷静だった当初に比べ、感情が思いっきり声に表れている。もはや、重賞レース*2の競馬実況だ。

 

『しかし今使っても、勢い付いた二組に追いつけるほどの力は残っていない‼︎ これはぁぁ――‼︎』

 

 そして、大波乱(番狂わせ)は訪れる。

 

『二組が一番にゴールしましたぁぁ‼︎ 力を温存し、終盤のごぼう抜きからの逆転勝利ですぅぅっっ――‼︎』

 

 

 

 本日の〈天気〉は、大荒れの様相(ようそう)(てい)していた。

 

 

 

 

「いや、なんで」

 

 観客達の湧き立つ歓声が、待機席(ベンチ)ですらもひっきりなしに耳に入る。応急処置として手で耳を塞いでも、「ゴォー」という(筋肉が動いている)音に続き、歓声が手を貫通()してくる。心地良いと思うか、うるさいと思うか。判断は各々(おのおの)によって違うかもしれない。そこらへんの解釈違いは、ここでは保留しておこう。

 少なくとも、ここの()はうるさいと感じているかもしれない。

 そんな状況の中。

 もはや発生源が特定不可能な(誰の声かわからない)ほどに入り乱れてしまっている歓声。その音量10に対し、音量1に相当。今すぐ掻き消されそうな〝ぼやき〟がグレンの口から漏れ出てしまうのは、いたって仕方ないことなのだろう。

 彼からしてみれば、この状況はそれ程まで信じられない出来事なのだ。

 

 それどころか、()()()()()()()()()()()()()――と、味方を疑っている始末。

 

「やったぁぁぁぁぁ‼︎」

「いける! これはイケる‼︎」

「このまま勝ち続けるよ‼︎」

 

 現実が信じられないからと疑う事で目を背けようとしている(警察)とは反対に、当事者(被疑者)である二組生徒は、全員が歓喜一色に染まっ(無罪を主張し)ている。比例して士気もぐんぐん上向(うわむ)いている。

 

 確かに。確かにっ。グレンはノエルと共に生徒達へ指導していた。一片も疑うこと無き、紛れもない事実だ。

 しかしそれらは、プライドに従い、習う、古臭い考え方ではない。

 魔術師として対照的であるグレン(第三階位)ノエル(第七階位)の二人がいるからこその、階位を無視する基礎としての魔術。

 グレンが過去に所属していた組織で学んだ、実践的な魔術。

 ノエルが扱う、基礎がしっかりしているからこその応用編な使い方の魔術。

 いざという時の応用が効く実践的な手段と方法の、新旧織り交ぜた形の〈魔術〉を教えていた。

 彼自身も、示教(しきょう)*3することによる生徒達の成長を間近で体感していた。

 

 事実、その結果は初戦から如実(にょじつ)に現れた。

 

 世間的な魔術師の教えを受けた生徒の行動は、比喩もなにも、まさに教科書(マニュアル)通り、定石パターンと言えるものだった。それでも、変化をつけようと多少なりの色付けを試みたのを戦術にも見られたが、まだまだ青二才(あおにさい)の知恵による焼付き刃にしか過ぎなかった。

 単純に強力な魔術を行使しようとする彼等(かれら)に対し、二組はと言うと、〈魔術師〉として名乗るなら誰でも扱えるような汎用魔法を多用していた。

 

 地力が鍛えられていたからこそ、知識(ラーニング)技術(テクニック)を応用した小細工(ごまかし)無しの真っ向勝負(ぶつかり合い)

 ただ、このような狭いフィールド(ない)での短期戦は、実力が拮抗しているほど効果が余り表れないのは通例だ。

 しかし、時折発生した長期戦の戦績を参照すると、二組生徒がトップに立つ割合がとてつもなく上がっていた。指導が影響していたのは疑う余地もない。

 それら(地力、基礎)が伴っていなかった選手が負ける姿。魔術を深く知っているほど、その目に映っていたことだろう。

 しかし、教科書(マニュアル)通りとはいえ、想定外(イレギュラー)を咄嗟に対応しようとしていたのは、流石に同じ魔術師を目指す同門同士であるのが伺えた。

 

 ただまあ。

 

 それらの要素は一組との()()()()()()()()()()グレンは想定しており、少なくとも()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()は一切予想していなかったわけで。

 今までの試合内容もとても不思議ではある。流石に種目全てで1位を取っているわけではないのだが。

 

 ないのだが。

 

 種目別であったとしても、出場した全員が表彰台に登るというのはどういうことなのか。しかも半数以上が1位。

 そしてその1位の数人が、たった一週間で。

 

 

 

 

 4年次生に迫ろうかという高スコアを叩き出しているのか。

 

 

 

 

「先生……? 不満なのかしら……?」

「いやなんでだよ‼︎ なんで()()()()こんなに成長しているんだよお前ら‼︎」

 そりゃあグレンがここまで声高々に異議を唱えたいわけだ。ノエルが呟いていた〈遠隔バフ(ドーピング)〉を()()()()()疑いたくもなる。もしかしたら、隠れてやっているかもしれない。〝アイツ〟なら本当にやりかねない。

 あと、システィの笑顔がどことなく怖い。

「少しかんがえてみりゃオカシイよなぁ⁉︎ 魔術を一週間でここまで扱えるようになるとか――ふざけてるのかって疑いたくなるぞ俺ェ‼︎」

 常日頃から非現実的な存在(ノエル=アルフォネア)と接している――家族だからこそ判っている部分はある。

 

 が。

 

 至って現実的な存在()()()()()()二組生徒が、子供の頃のゴッコ遊びやら、ヒーローものの〈お約束〉のように、非現実的な成績を短期間の練習で叩き出していることには、思わず口を挟まずにはいられないわけで。

 グレンの慌てように多少の理解を抱きながらも、システィは誇るように腕を組んで。

 

「それはもちろん――ノエルのお陰よ?」

「のえるぅぅぅぅぅぅ‼︎」

 

 違う。

 確かに特別褒賞を(飢えを免れるために)貰いたい、だからグレンは優勝したいとは言ってた。ノエルは来年に繋げる為の布石として地力を付けさせるということを言っていた。

 しかし〝4年に繋げる〟諸々の話が、そもそもの発言者であるノエルの手により火に()べられてお空へと昇天なされていて。

 実際そもそもの話、現時点で既に()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 いや、ただ文句を言いたいわけじゃない。ノエルが生徒にいろいろ仕込んでいたのは、ノエル自身が実演しながらアドバイスしているのを見ていたから知っている。

 

 しかし、それがここまでの〈爆弾〉を投下するなんて思っていなかった。

 

 一週間でここまで成長させるとか、一体何をしたのか。あれか、ヤベー薬か。それこそキモチよくなる白(検閲されました

 それほどまでに、当事者である自分(グレン)が叫んでまでも、目の前の状況を疑いたくなるのだ。

 

 なんでこうも、アイツは爪痕を残してしまうのか。

 

 ほら、二組から顔を(そむ)けてみれば、背けた先にいた一組がぐぬぬって顔して睨んでるぞ?

 しかしそれを意に(かい)すどころか、身体全体で喜悦(きえつ)*4を表して、視界に入っていない二組。

 なんだろう。心なしか一組の背後に、怨念のオーラを漂わせているのが見えてきた。こわい、近寄らんとこ――そう言わんばかりに、周囲の人達が(からだ)を引いているのが見える。

 もしかしなくても、今すぐに般若(はんにゃ)の面を引っ提げてきそうだ。

 

「おかしいよなぁ、おかしいよなぁ⁉︎」

 

 グレンの悲鳴は、歓声に掻き消されるばかりである。あわよくば、〈腹痛〉のお薬と()()()()()()になってしまうのだろうか。

 

 波乱に満ちる今回の魔術競技祭。毎回訪れる

 例年に増して、感じられる観客の熱量(エントロピー)は肥大している。未だ春先であるはずなのに、客席の温度はグングンと上昇している。

 当てられてか、競技場の保健室に運び込まれている訪客(かんじゃ)も心なしか多い気がする。彼らに共通しているのは、みな笑顔ではある、ということだが……。

 搬送されている彼らの体調は心慮(しんりょ)するところだが、この競技祭を心の奥底から楽しんでくれて()いるようだ。

 

「みんな! このままの順位を全員が保ち続けられれば、私たちが優勝できるわ!」

 ――おおぉぉ!

アイツ(ノエル)に〈優勝〉の二文字を送りつけてやるわよ!」

 ――おおぉぉ‼︎

 

 こっちの熱量も、馬鹿に出来ないぐらい肥大化していた。

 一組は過負荷(マイナス)が溜まっているが。

 

 

 

 

「わかりましたわ!」

『おおぉぉぉぉっと! 最初に解答のベルを鳴らしたのは、快進撃が続く二組のウェンディ選手! 先ほどの問題に続き、これも説いてしまうのか⁉︎』

「『騎士は勇気を(むね)とし、真実のみを語る』ですわ!」

 

 

 ……。

 

 

 …………。

 

 

 ――正解のファンファーレが響く。

 

 

『おおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ‼︎ 数ある言語の中でも超難問とされている龍言語すらもあっさりと解いたぁぁぁぁ‼︎ 誰も文句を挟むことない、圧倒的一位でウェンディ=ナーブレス選手〈暗号解読〉部門、堂々優勝だぁぁああああああああ――っ‼︎』

 

 

 二位との差は、二倍(ダブルスコア)。数字によって裏付けされし、確固たる圧巻の成績。こんな点数差、今の今までなかった。

 今までこの競技で観客の興奮を煽いでいたのは、理解度が拮抗していたが(ゆえ)の接戦。あとは多少点数が多い程度。それ以外の展開も想定()されてはいただろうが、結局は当人達以外が唱える〝机上(きじょう)の空論〟でしかなかった。

 だからこそ。

 競技場を駆け巡る、自身の名前を共にする優勝宣言。ウェンディは堂々と、表彰台のてっぺんに立っているのは当然。

 言葉にせずとも佇まいは辺りへ語り、年相応なちょっとばかし子供らしい〝背伸び〟で、自信満々と胸を張っていた。

 

 クラスメイトがなんとなしに訊いた。どうしてこんなに点数が取れたのか。

 彼女は、またも自信満々に答える。

 

「ノエルさんに期待をよせられているのですから、これぐらいはわたくしが出来なくては、ナーブレスの家名に泥を付けてしまいますわ」

 

 どうやら、その〝一言〟のおかげみたいだ。

 

 

 +00:23:05

 

 

 ▶︎

 

 

 

「あぁぁっ――うめぇぇーーっ‼︎」

 時は昼休憩。

 空かせた胃が「食べ物よこせ」とグルグルあたり構わず風聴し、爆笑する男ども。もしくは羞恥から顔を赤らめる女。反応はそれぞれだ。

 (まば)らになる席で、周囲にとどく男の声。心の奥から言っていると、喉で反響させているような濁声(だみごえ)にも表れている。そんな彼――グレンはフォークを力一杯(ちからいっぱい)に握り、膝に載せているお弁当の美味しさに打ち拉がれていた。

 しかし彼の眼前に座る人はたまったもんじゃないらしい。そのたまったもんじゃない本人――ウェンディ=ナーブレスが迷惑そうな表情で体を反転させる。

「ちょっと先生っ! なにを叫んでいらっしゃるのですか!」

「いいだろぉ、叫んだってよぉ」

 つまりは、叫びたいから叫んだ。通常、公共の場では咎められるだろうが、この場はそもそも観客がわいわいとお祭り騒ぎ。余程の迷惑行為でない限りは咎められないだろう。

 しかし、ウェンディはどうも納得していない様子だ。

「わたくしのサンドイッチに、先生のツバがついてしまいますわよっ‼︎」

 不機嫌な彼女の膝にも、蓋の開いている小さなピクニックバスケット。中には四角いサンドイッチが4個(よっつ)。まだ手は付けられていないようだ。

 もしついてしまったらどうしてくれるのですかっ。怪訝な表情が、言葉に出さずとも訴えていた。

「あ〜へいへ〜い」

 相手の訴えに分があり、反論しようがない。周りに気を使わないで声を出したっていいじゃないか、そう言いたげに、しぶしぶお弁当のパスタをフォークで掬い口に運ぶ。

 そして味わうように、顎が数回動く。

――(あぁ)――」

 何事にも言い換え難い笑顔を浮かべているあたり、とっても美味しいらしい。

 そんな美味しさに震えるグレンの二つ後ろでは、同じく昼食で陣取っていたカッシュ。

「先生。それって、ノエルが作ってきたランチなのか?」

「ん? そうだけど……」

 当たり前じゃないかと、なぜそんなことを訊いてくるのか疑問気。

 あ、マジなのか。カッシュの些細な驚きが心中に生まれる。

「こんな昼食も作れるんのかよ……」

 美味しそうな見た目に美味しそうな匂い。これらが完璧に成り立っていて、一体どの口が美味しくなさそうと唱えられるのか。

「なんだよ。文句あんのか?」

「ねぇけど……ぜってーそのサンドイッチとか美味しいとか思って……」

 カッシュが言い示すのは、グレンの右隣に置かれているもう一つのお弁当箱の中身のこと。三角形2つを並べた四角形という、何とも風変わりなサンドイッチ。

 メイン料理に炭水化物であるパスタに対して、挟んでいるのはキャベツとトマトなどの野菜。それら以外で他に挟ませる余地無しと言わんばかりに、新鮮で程よく冷たい野菜満載。主菜としてどっぷり腰を落ち着けている。

「そりゃぁそうだろ。ノエルが作ってきたんだぜ? 美味しくないわけ無いだろ」

「くっ――おこがましいお話ですが、ノエルさんでは納得できてしまいますわ……」

 理由としてはあまりに荒唐無稽だ。人の名前を出して、それが理由です。側からすれば、あまりにもふざけてる理由だ。一体どこぞの人が該当できるというのか。

 しかし、そのふざけた理由(ノエル)を一切論破出来ない自分達がいる。

 ノエルと一ヶ月を学園で過ごして起こす行動が自由奔放すぎるのを知ってしまったが故、〈思い出補正〉よろしくと根拠に倍々で掛かってしまっていた。

 しかも原数値は決して1ではない。もしかしたら10はあるかもしれないそれが「ニバイニバーイ(2倍2倍)」かそれ以上か。

 もしかしたら、出来ないことはないのではないか。そんな印象を思い描くには十分だった。

「一口食べてみてぇなぁ……」

「そうですわね……」

 自分の食べ物と物々交換して、かの食べ物の予想しえぬ美味しさへ手を伸ばしたい。

「あっあのっ……」

 二人が虎視眈々としているところに、遠慮気味な少女の声。声の方を向くと、声色通りの少女が一人。雰囲気は物静かそうで首元までの黒髪。

 彼女は二組生徒〈リン=ティティス〉。そんな彼女が、おどおどと強張(こわば)っていた。

 

 

「は? うまく変身できない?」

 

 膝上に右手はひとくち欠けたサンドイッチ。ふたくちめを欠けさせて「どうして」と言わんばかりの表情を浮かべる。

「練習の時はうまくいってましたわよね?」

「だよな。俺もそう見えたぞ?」

「そ、そう、なんですけどぉ……」

 グレンの隣にリンが座り、前後にはウェンディ()カッシュ()が同じく彼女の話を訊くという万全の体制。

 ただ、その体制が悪いのか分からないが。心なしかリンの強張り具合が増した気もする。言いづらそうだ。

「どうかしたんですの? 理由を言ってくださらないと、わたくし達は何も助言できませんわ?」

「う、ぅ……」

 気になっているのはウェンディも同様。同組の学友として一年、彼女の様々な顔色を見ている。内気な性格で内面を出すことは殆どない。そんな彼女が頼んできているのだ。応えない道理は無い。

 ――しかしこういう親切心は、時に人を追い詰めたりもする。

 あまりにも眩しい親切心。影の存在にいる彼女からすれば、晒された瞬間浄化対象となること間違いなし。

 相談主ではあるのだが、もはや逃げ道などは塞がれてしまっているという矛盾。「ぅぅ――」と弱々しく呻く。

 

 心を鎮めたいのか、深呼吸を繰り返す。口が動く。

「き、緊張しちゃって……それで、お、お腹が痛くなっちゃって……」

「ぇ」

 で、全員の力は穴が空いた風船のように弾け飛んだ。

 一体どういうことなのかと、困惑の目でリンを見つめる。グレンへ縋っていた目がそそくさと横にずらされ、頬がほんのりと紅くなる。心なしか、小柄な体がさらに小さく見える。

 ……その理由が、彼女にとってとても恥ずかしいことのようだ。

 お嬢様(ウェンディ)ですら戸惑い顔。発言内容の整理もついていない。グレンも同様だ。発言が想定外すぎて困惑していた。どう返していいのか、答えも出しあぐねていた。

 が。

「だ、だから、先生……‼︎」

 グレンの右腕。リンに両手で縋られた。

 ――背筋に寒気。ダメなやつだこれ。

 しかし逃げられない。

「緊張しない、方法って、ありませんかっ…… お願い、しますっ……‼︎ 教えて、くださいっ……‼︎」

「落ち着け! 焦っているのはわかったから、まずは落ち着け!」

「そうですわっ! 先生のおっしゃる通りですわリンさんっ!」

「そうだぜ! 先生だった……なんか、アドバイスしてくれるはずだから!」

「俺そんなに信用ねぇのかぁ⁉︎」

「もう落ち着いて、いられませんぅぅ……っ‼︎」

 もうなりふり構っていられない。決壊したダムのように、焦りが水のように顔へと流れ始めた。貯水が全て無くなるまで、もはや誰にも止められない。懇願する彼女の圧。グレン達は水から逃げ惑うしかなかった。

 

「その……すいません……」

「お、落ち着けばいいんだ、落ち着けばな……?」

 数分後。

 恥ずかしさやら興奮やら。あとは居た堪れなさなんかで、リンの赤くなった顔が俯き、肩身が狭い。

 こんな態度をされてしまっては、いつもおちゃらけている流石のグレンすらも、沈んでいる彼女の気を紛らわせようと頭を掻いたりで困惑してしまった。

「こんなに取り乱したリンさんは初めてですわね……」

「いつも静かだもんな」

「ふ、ふたりとも……っ」

 ウェンディとカッシュも、今まで見ることのなかった一面に冷静になっている。彼女が埋めたい穴を悪気無しにさらに掘ろうとしている、追い討ちの状況ではあるのだが。

「で、〈変身〉するのは――なんだ? 〈天使〉……だったか?」

「あ、はい……時の天使の〈ラ・ティリカ〉様ですけど……」

 彼女が出場する競技は〈変身〉。競技名が意味を表すように、自()の姿を〈何〉に()えられるか。変身した〈モノ〉と変身難易度、正確さ、精度で競われる。

 まだ前半のブロックであるにも関わらず、自主的に反復練習していたのは、それだけ二組の士気の高さがなんとなくで伺えた。

「……緊張はするのに、なぁんでこういう場で目立つ題目を選ぶんだ?」

 ビクッ――‼︎

「何に変身するのかは自由ではありませんこと?」

「いやまあ……そりゃ自由にやらしてる」

「そうだよなぁ」

「ですわよねぇ……先生が勧める理由がおありにありませんし」

「おい」

 魔術の行使自体も、普通なら精神を研ぎ澄まし、危険の排除と安全を考慮してから発動させるのが鉄則。気楽な気持ちでやっては、行使した魔術次第で下手を打ったら死人が出る。それが自分なのか、他人なのかはさておき。

「き、綺麗じゃないですかっ――」

「いやだから、人に見せるから練習していたのに、本番で緊張していたら元も子もないだろ……?」

 重要なのは、()使()()()()()()()()()()()()()()()ということ。観客から向けられる視線を想像しまったが故の緊張、自分自身に対する不安。これら加えて、彼女の気弱な性格が災いし、魔術行使に()いて影響が生じてしまっていた。

 指摘されて、またも恥ずかしそうにリンの肩が狭くなる。チラチラと横目でグレンを伺いながら、決まりが悪そうに。

 

「そのぉ――…………

 

 

 夢中に、なって――…………」

 

 

 どうやら、興奮がなんやかんや作用して、向けられるであろう期待と、それに相対(あいたい)するプレッシャーを当の本人が失念していたみたいだ。

 無差別の観客の前で、信仰される天使の彫刻に変身とはなんという豪胆の持ち主――ではなく、夢中でやっちゃった。

 

 グレンはこんなときに掛ける励ましの言葉を持ち合わせていなかった。

 

「な、なにか、言ってくださいっ…よっ……‼︎」

 自ら生み出してしまったこの湿()()()空気。居た堪れなくなり、吹き飛ばそうと声を上げるリン。それでも努力は虚しく、微妙な空気が風に運ばれる気配、はたまた様子もない。

 グレン達でさえ、気を遣ってしまって困惑している最中だ。

「い、いやぁ……ど、どうするのか……」

「で、ですわよね……」

「な、何を言えと……」

(ねぎら)いの言葉、ひとつぐらいあっても、いいじゃないですかぁ……ぁ」

 確かに変身を練習している姿を見ていたし、なにより指導もした。競技に掛ける気持ちをノエルと共に感じていたのも確かだ。

 しかし、労いの言葉を掛けるだけで気分が落ち着くのなら、とても簡単な話だ。リンの言う通りにすれば解決する。

 

「あのな……それで気が済むのか……?」

「……す、すみません」

 

 ……それが(ねぎら)いになるのであれば、想定とは逆の隠れた〝期待〟が〝プレッシャー〟として重しになってくるはずがない。

「そ、想像したくありませんわ……」

「う、ウェンディに、言われたくない――っ‼︎」

「うっ」

 あんなに自信満々だった友達も、私のこのそのあのあれどれそれこれ以下略に

「――訊きたいんだけどな。ノエルは最終的にお前の変身になにかいってたか?」

「え? ――その……『キレイですね』って……」

 

 ……。

 

「――え、ちょっとまって、それだけなのか?」

「は、はい」

「ノエルさんアドバイスなどは、おっしゃらなかったのですか――?」

「な、なかった、よ……?」

 

 「な、なにかダメだったんですかっ」とリンは焦り気味。

「い、いや。そうじゃねぇんだけどな……――」

 彼女の抱く気持ちはわからなくもない。

 ノエルのたった一言。それだけはとても抽象的で、あまりにも発言の真意を捉えにくい。後に続く発言も喋っておらず、否定と肯定のどちらかの意味にも人によって解釈できてしまう。

「だけどよぉ。ノエルはそれだけしか言わなかったんだろ?」

「ノエル」

 今回は、ノエルがリンに送った最終的な出来を表す評価が言葉の裏にある。ノエルだったら、何か指摘する点があったら声に出しているはず。だとしたら――。

及第点(きゅうだいてん)だった、てことなのか?」

 グレンの呟きが、3人の耳にスッと入る。

「及第点……? つまりは、大丈夫とおっしゃいますの?」

「真には受けないでくれよ?」

 ちょっと苦笑している。

「リンが練習していたのは全員知ってるだろ?」

「え、ええ、知ってますわ……」

「そ、そうだけどよぉ」

「で、その努力は俺とノエルも知っている」

 それはそうだ。様々な行動がアレすぎる二人ではあるが、一応教員ではある。知らなかったら問題ではあるだろう。

「でだ、俺は話だけできて魔術にはからっきしだし? ノエルがそれだけ言ってんなら、それでいいんじゃねぇか?」

「……先生が、それ言っちゃうん、ですかっ?」

「うっせっ」

 自他ともに認める事実ではあるが、やはり気にするものらしい。

 この話を側で聞いていた噛み砕いていたウェンディが、なんとなしに呟く。

「つまり、リンさんが優勝するとおっしゃりたいと」

「――えぇ⁉︎」

 リンにとって、ウェンディの予想は予想外中の予想外。三連単*5の大穴を当てずっぽうで書いて当ててしまったかのよう。

 見てびっくり、当ててびっくり、自分にびっくり。驚きに伴う、その三拍子が揃うかのようにだ。

 グレンは首肯する。

「だって、アイツ正直に物事は言うぞ? 言葉に気を使うこともしない。本音のド直球だからな? こういう時に嘘なんてアイツが言うわけないのはなんとなくわからないか?」

「はぃ……」

 あまりの驚きに、〝心ここに有らず〟と多少、(うわ)(そら)な気分のようだ。

「の、ノエルさんが……」

 この結論はグレンの憶測ではあるが、信じられないと「優勝……?」とぼそぼそ反芻(はんすう)している。

 ノエルが姿を変身させるところをリンは見たことはないが、推測するまでもなく、とても高度なことも出来てしまうだろうと思っている。

 例えば、彫刻などの単一的な物ではなく、概念をそのまま再現してしまうだろう。〈森〉なら、ただ樹林が生えているだけではなく、本当にその場にいるかのような空気すら、魔術を並行利用することによって再現してしまうかもしれない。

 そんな幻想(ファンタジー)はさておき。グレンは意地悪な――言い換えれば、面白がっている子供のような〝笑み〟を見せながら。

 

「ほら……いっつもバカなことしてるノエルだけどさ、セリカが第七階位(セプテンデ)とか言ってるアイツからの評価だぜ?」

「……なんか、いいこと言ってたと思ったんだけどなぁ」

「うっせーぞカッシュ」

 

 一体〝誰が〟、リンの変身を批評(ひひょう)したのか。

 ノエルのお墨付き。リンの脳内で中略された短評(たんぴょう)が、口の中で反芻される。

 ひとつひとつの単語の意味と、繋げた場合の意味。

 思い返してみれば、ノエルはリンの変身を見た際に「お〜!」と気の抜けたような声を上げていた。その声をさらに掘り下げ、そこから抑揚(よくよう)に言及するなら、無感情な平坦な声ではなく、高揚を隠そうとせずに語尾をあげてくれた。

 

 そうだった。感心するより、リンの変身をノエルは楽しんでいた。

 

「本当はどうか分からねーけど、ちょっとは自分に自信もったらいいんじゃねーか?」

 でも、これは全部俺の意見だからな。グレンは苦笑しながらも付け加えた。

 その発言を少し推量(すいりょう)するなら、グレンも自分(リン)の変身にノエルと同じ評価をつけていると判断する。

 明言している訳ではない。期待を持っている訳でもない。ただ、自分がそう推測しているだけ。

 

 でも、楽しんでいた。

 

「リンさんは、どうしたいですの?」

 出てもいい、出なくてもいい。どちらを選択するかは出場するリン次第。

 

「――が、頑張って……みますぅ……」

 

 なんとも心許ない。でも、精一杯の勇気を出していた。

 

 

*1
一つの事物が他の事物に、はなはだ類似していることを表わす。実によく似ている。

*2
競馬で、特別に格付けされた賞金の高いレース。

*3
具体的に示しつつ、教えること。教示(きょうし)。じきょうともいう。(出典:スーパー大辞林)

*4
心から喜ぶこと。心からの強い喜び。出典:大辞林4.0

*5
競馬において、1着、2着、3着となる馬の馬番号を着順通りに的中させる投票法。1着のみを当てるならまだしも、2着と3着も着順通りに当てるとなると、確率が自ずと低くなるために、配当金は自然と高くなる。順序不順の三連複も存在する。




今回の完成予想:当たり前のように二万字超えて、何回も推敲重ねているから、大変なことになってる。
でも遅れる一番の理由は地上波+ニコニコ実況。

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