新・銀河英雄伝説~残照編   作:盤坂万

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第1話

 視界の端から端まで散りばめられる星々の輝きは、戦闘前の高揚と相まって戦闘艇乗りと呼ばれる人種にも無形の感慨を与えるようだ。

 

 途方もない感覚に人は慄くしかないが、度し難いことに人という生き物は感動を後悔を感謝を何度繰り返してもすぐに忘却してしまうのである。

 無から生まれたとされる宇宙が紡いだ百三十五億年もの時間の中で、人が星と共に虚空を彷徨えるようになってから、まだほんの五、六〇〇年を数える程度にしかときが経たないにも関わらず、宇宙で過ごす人々は原初の驚きと発見の興奮に半ば飽きてしまったかのようだった。

 人の傲慢は留まることを知らず、無数に存在する島宇宙のひとつを切り取っただけに過ぎぬ存在でありながら、その興味と関心は常に内なる闘争へ注がれ、一向人類は人間であることを超越できずにいる。人が宇宙を語るにあたっては、その命数はあまりに短く、あまりに少ないのだろう。連綿と続く宇宙の時間の中で人が目醒める日は訪れるのであろうか……。

 

 母船から送信された座標を捜索しながら、強行偵察中のミハエル・オルトリンゲン元曹長は出撃の直前まで同僚が眺めていたソリヴィジョンのドキュメンタリーに流れるナレーションを思い出していた。

 目前に途方もなく拡がり深遠は果ても底もなく、全方位が黒々とした宇宙空間にいて、パイロットスーツに閉じ込められたか弱い生命体は時折おおきな孤独とそれに反した一体感を感じるのだった。

 これだから戦闘艇乗りはやめられない。ミハエルはほんの少しの陶酔感と大きな畏れに身をすくめさせた後、索敵範囲を広げたり狭めたりを繰り返していた。

 戦闘前の独特な高揚感は確かにある。宙域に漂う気配が、つい五年ほど前まで軍人であった彼の鼻腔をくすぐるのだ。だが見渡す限り凪の宇宙を尻目に、ミハエルは母船との交信をつないだ。

「お嬢、海賊どもが現れるというのは本筋の情報なのか? 指定座標はかなり宇宙港に近い。襲撃するにもこのあたりはレーダー網のど真ん中ですぜ。直接ワープアウトでもしない限りただちに捕捉されて一網打尽になっちまう」

 計器やレーダーを確認しながら、モニターに映る眠たげな眼の令嬢にミハエルは軽口を飛ばした。眠たそうな様子以外、表情のまるで読めない女司令官は微動だにしない。

 モニターの中の女司令官が何か言うのを待っていると別の偵察艇から通信が入った。

「ミハエル、何度も言わせるな。お嬢などという呼び方は姫様に無礼だ」

 今度はモニターの麗人の右眉がぴくりと動く。姫様と呼ばれたことに反応したのは間違いなく、反応の要素は不快に近いものであるらしい。

「言うがなヒルデブラント。お前の“姫様”も相当だぞ。時代錯誤も甚だしい」

「あなたたちいい加減になさいな。お姉様はお怒りよ」

 女司令官がようやく何か言おうとしたタイミングでさらに別の通信が入る。コンソールのモニターには、彼女をお嬢と呼んだ野卑た佇まいの戦闘艇乗りと、姫様と訂正した画像に収まりきらないほど巨漢の戦闘艇乗り、そしてお姉様呼ばわりをする十代後半の小顔な少女の戦闘艇乗りが映し出されている。

「姫様は姫様だろうが」

「時代はとっくに貴族様の世の中ではないのだ。お嬢と呼んだ方がしっくりくる」

「どの呼び方もお姉様は嫌がっておいでなのが判らないのかしら」

「しかしペトラ様……」

「お黙りなさいミハエル!」

「ご無体を仰られる……」

 何度繰り返されたか数えるのも馬鹿馬鹿しいほどのやり取りを眺めていた眠たげな眼の麗人は、手近なサイドテーブルに何も載っていないことを確認してから、それを固めた拳の底で一度だけどすんとやった。好き放題にわめいていた三人は、モニター越しに彼らの女主人の怒気を感じてぴたりと静まる。

「何度でもいいますけどね、私のことはゾフィーで結構と伝えたはず。お嬢も姫様もお姉様も禁止していたはずですが」

 ゾフィー嬢は半眼になって念を押し、モニターの三人は三様に不承不承主人の言を受け入れる返答をしたが、いずれ間を置かず同じようなやり取りが繰り返されるだろうことは想像に易い。ゾフィーは諦観のため息をまだ静かなフェザーンの海に吐き出した。

 


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