二杯目のコーヒーをすすりながらアウグスト・ザムエル・ワーレン元帥は、同僚である帝都防衛司令官を兼務する憲兵総監相手に愚痴をこぼしていた。日頃は泰然自若を体現する元帥同士であっても、旧くからの仲間との会話には油断や隙が生じるものであるらしく、交わされる内容は壮年の中間管理職が場末のワインバーでやりとりする水準である。
「宇宙海賊討伐など俺の部下にさせるより未だ無役同然のビッテンフェルトにでもやらせておけばいいのだ。しかし彼奴め放っておくと犯罪者を軒並み軍事裁判でテロリストとして即時死刑にしてしまうからな。猪突猛進をうたう自称野蛮人などは実際の野蛮人よりよほど性質が悪い」
まさかビッテンフェルトと言えどもそのようなことをするわけではなかったが、かの元帥を揶揄する上ではなかなか趣が深い。それに対するケスラーの返答も充分に皮肉が効いていた。
「対症療法が根治に有効な場合がない訳でもないからな。だが奴にばかり楽な仕事が回るのは確かに不公平というものだ。いっそ宇宙艦隊司令長官にでも推せばバランスがとれてよいかもしれん。その場合後を譲るミッターマイヤーの苦悩は計り知れんがな」
このような会話にも顕れているが、帝国において軍務関係には人材がまだ揃っていると言ってよい。空席の軍務尚書には現在代行としてワーレンが就いているが、実質的には前の軍務尚書副官、アントン・フェルナー少将と、幕僚総監のシュタインメッツ中将があたって不足不明がない。いずれはシュタインメッツをして二代目の軍務尚書ということになるだろうというのが大勢の意見だが、いまだ中将のシュタインメッツでは位が足りない。ほどなく皇太后ヒルデガルドの命が下って位階が進むであろうが、大将を経て上級大将に就くまでは差し当たってワーレンが代行を続けることになりそうだった。
「ところで最近不穏な噂がある」
ケスラーがワーレンに耳打ちしたところによると、今のところ数はたいしたことがないらしいが、旧貴族勢力が再び糾合しようとしているということだった。
「またその類の話か。有象無象が何をするというのか」
隻腕の元帥は胡散臭そうに鼻梁をしかめたが、切れ者で鳴る憲兵総監は深刻な表情を崩さなかった。ひそめたままの声音で淡々と言葉を紡ぐ。
「確かにその通りだが、こたびは少々毛色が違うのだ。どうも求心力となる者がエルウィン・ヨーゼフを名乗っているらしくてな」
「なに。それは本当か」
ワーレンの声音は色めき立ったが、言葉とは裏腹にさきほどより胡散臭さの濃度が増している。こうした話は年中どこかで囁かれているのだ。
「さて、ことの真偽は判らぬ。誰でも思いつきそうな三流のシナリオだがな、それだけに真実味もあるというもの。旧フェザーンの資金力が結び付くという噂もあるし、それにこれは以前から我々が想定していた事態のひとつだ。そして先年来、性質の悪い噂や流言の一つが物事の核心を突いていた悪しき例には枚挙に暇がないときている」
生真面目に話す同僚にワーレンは辟易しつつあった。ケスラーが確信の方に判断の目盛りを傾けつつあるのだ。この悪い予感はきっと的中するだろう。そう思うから心底辟易するのだった。
ワーレンは得も言われぬ疲労を感じ、意識の矛先を変えることにした。その話はもう少し真実味が出てきてから相談しよう、と打ち切るがそれでは遅きに過ぎるだろうか。
「ところで奥方との結婚生活はどうだ。憲兵総監どの」
噂の話はもう充分だった。おそらくことは起こるし対処もせねばならない。そのときのために対策を立案せねばならないし組織を活性化させねばならないだろう。だがいまは考えたくないというのが本音だ。そんな心境から不意に向けた話題はしかし、意外な憲兵総監の微笑みという対価をもって支払われた。
「ああ、まあ順調だと思う。だがやはり子のことだな。俺もそんなに若いわけではないが、マリーカはあの通り元気そのものだから」
ワーレンは微笑ましく想いながら冷めつつあるコーヒーに口をつけなおす。目を閉じた彼の脳裏にそろそろ少年期を脱しようとしている一人の男児の相貌がよぎった。
「子供はいいぞ。俺もフェザーンに居を移したからな。ようやく手元に引き取ることができた」
「そうか、卿は奥方を亡くされていたのだったな」
憲兵総監のごく常識的な気遣いには右手を軽く挙げて謝絶の意を示しつつ、ワーレンは年齢のことなど気にするなとアドバイスをした。少し照れたような様子を見せていたケスラーだったが、子供と言えば、と話を飛躍させた。
「先年戦没したメルカッツに娘があったのを卿は知っているか」
「無論だ。リップシュタット盟約の折、ブラウンシュヴァイク公に与する誓約として人質に取られていたのをメックリンガーが救い出したはずだな。その後叛意もなく従順だということで監視相当となったのではなかったか?」
「今では独立商人として商隊を率いているのだが、これがなかなかの規模だ。実際には賞金稼ぎまがいのことをやっているらしい。結果としてだが軍関係からも何度か依頼をしており成果もそつがない」
ケスラーが差し出す報告書に目を落として、ワーレンはそこに映る妙齢の女性の写真を見た。長い銀髪の眠たげな眼をした麗人である。言われて感じる程度ではあったが、そこかしこにメルカッツの面影があった。単純に故人を懐かしむ気持ちが自然に沸き起こってくる。
「それでこの令嬢が何かしでかしたか」
「いや、今回のエルウィン・ヨーゼフの件で上がって来た資料の中にあったのでたまたま目に留まったに過ぎぬよ。メルカッツは銀河帝国正統政府に軍務尚書として名を連ねていた。その娘がそこそこの武力を有しているわけだからまあ調査の対象になるのもおかしからぬ話だ」
なるほど、と首肯してワーレンは再度報告書の写真に目をおとす。独身で年齢は二十六歳とある。メルカッツの享年が六十三歳で、もう五年ほど前のことになるから父娘の年齢差は四十二年か。ワーレンはふと相好を崩した。
「メルカッツ提督は四十二でこの娘を得ている。卿も年をとりすぎているなどと考える必要はないだろう」
そう言ってワーレンは報告書の映し出された携帯端末をケスラーに返した。受け取った半白髪の元帥はそのことに関して何も口にしなかったが、心なしかその瞳に決意めいたものをワーレンは身贔屓にも感じたのだった。