※シリアス注意
※シリアス注意
※シリアス注意
その一報が来るまで、俺は忘れていた。
いや、正確には忘れてはいなかった。それどころか、片時も忘れた事は無いと言って良い。
だが、やはり今のままでは、俺は忘れていたのと同じことなのだ。
俺は、一人のプレイヤーを見捨ててここまで来たという事を。
「これで何体目だったか」
俺は長い事垂れていた頭を上げて、夜空を仰いだ。
……いや、夜空というより、そこにはただ一つ上の層の底が広がっているだけなのだが。だが最低限の光を提供しないとゲームが成り立たないと運営側が判断したためか、地平線と上層の底の合間……つまりアインクラッドの外側に広がる「夜空」からは、現実でのそれに良く似せられた月が燦々と月光を降り注いでいる。
黄昏時を過ぎて月が顔を出す時間という事は、もうそろそろ俺の他にもレベリングの為に多くのプレイヤーがここフィールドに姿を見せ始める頃だ。彼らと交代でモンスターを倒している様では一晩かかってもろくに強くなんてなりはしないだろう……そう思い、俺は早々に他のエリアに移ろうと歩き出そうとして。
「おう、ハルキじゃねぇか。その様子だと、もう一狩りし終わったみてぇだな」
唐突に降りかかったバリトンボイスに、さして驚きもせずに答えた。
「こんな時間に店閉めてちゃ儲からないんじゃないか、エギル」
「商人と攻略組の二足わらじはそんな楽な道じゃないんでな。今日は早めに切り上げたってのに……全く、最近はキリトと言いどうしてこう若いのは死に急ぐみたいに……」
俺は今日は夜どころか昼過ぎの時点からこの場でひたすらモンスターを屠り続けていた。その為か今日はレベルが既に二つも上がっていて、この調子なら日を跨がない内にさらにもう一ついけるか、と言ったところだ。
だがそんな俺の様子は、この目の前の大男にはあまり良いものとして映っていない様だった。
「あのなぁ、第一層で会って少しパーティーを組んでた時のお前さんも中々余裕がなさそうだったけどな、今は本当に酷い顔してるぞ?」
人の忠告はありがたく受け取っておくものだとは思うのだが、今回だけは例外だ。あながち的を得ているのだろうエギルのその発言を振り払ってでも、俺はすべき事があるのだから。
「……お前さんがギルドから離れてから、もう三ヶ月近くになるんじゃないのか?」
「もう、三ヶ月になるのか」
そう。俺は三ヶ月前、あのへんてこなギルドを去った。
手紙の書き置きをするにもこの世界でのメッセージの残し方が分からなかった俺は、結局あのメンバーに何も言うことなくギルドルームを出てきてしまった。今から思えば記録結晶にでも吹き込めば良かったと思うが、まあグラントのことだ。俺がいなくたってどうにかするだろう。
それに、意外にもその後あいつからは特にメッセージが送られてくる事もなかった。お互いの生死確認はフレンド一覧を見れば分かる事だ、心配するだけ野暮だろうとでも考えているんだろうか。
「俺の事を紹介して貰おうと思っていたんだがな。一つのギルドまるまる売り込めればこっちも商売が捗るってのによ」
「あいつらに何を売るってんだよ、とてもあんたの手に負える相手じゃないと思うけど」
まあ、ギルドを去ったとはいえシステム的にギルドから脱退したわけでは無いし、本当に奴らが困るような事があれば助太刀に向かおうとは思っている。
だが、あの場所は俺にとって少々居心地が良すぎた。それこそ本当に、「メッセージ」が来るまでは何もかもを忘れてあのズルムトのギルドホームで摩訶不思議な日常を送ったっていいとさえ思いかけていた。
「……それじゃ、どうしてお前さんはソロになったんだ?
別にギルメンと仲が悪かった訳じゃないんなら、パーティでいる方が生存確率は上がるし、何より攻略組にも入りやすいだろう?」
「ソロでもレベル差のあるエリアに足を踏み入れたりしないで、無理しなければちゃんと生き残れるよ。
それに……俺はさ、あの三層での一件でもう攻略組に関してはどうでも良くなっててさ」
「どうでも良い? ハルキは、少しでも攻略のペースが上がれば良いって思わないのか?」
「そこだよ」
無駄話が過ぎた。早く動かないと、他のプレイヤー達に場所を取られてしまう。そう思い立ち、俺はエギルに後ろ手を振りながら足を前に踏み出した。
「……前へ行こうとすればするほど、何かを失っていく。そんな経験、ないか?」
正直、今の自分のしている事が本当に将来、俺が目指すべきものの為に役立っているかは……はっきりとは分からない。
ギルドを出た直後は、感情的になった余り自分が取り返しのつかない過ちを犯したのではないか、と何度も頭の片隅で囁く声があったものだ……というかグラント達に連絡もせず勝手に居なくなったことも含めて、客観的に考えて俺は本当に道を見誤っているのかもしれない。
だが目的ははっきりしていた。ただひたすら、強くなる事。
それに関してだけは、初めから変わらず冷静でいるつもりだ。
(俺には、その義務があるんだ)
モンスターの攻撃のアルゴリズム。俺たちプレイヤーとは根本的に性質の違う、NPCという存在。現実世界で労力を必要とする多くの行動を省略、簡略化してくれるシステムウィンドウ。
あの時にはさっぱり理解が及ばなかったそれら、この仮想世界でのルールも、ここ数ヶ月でそれなりに理解が追いつくようになった。
だが。この世界における「強さ」とは、所詮ステータスの良し悪しの問題だ。それはこの電脳世界の存在に対しては有効かもしれないが、自分自身の成長とは別に勝手に育っていってしまうものである事も確かなのだ。
例えば今俺は、目の前の亀型モンスターを一刀の元に斬り伏せた。こいつも初めは何度もダメージを与えないと倒せなかったのが、今ではクリティカルヒットの発生部位までしっかりと見極める事ができるようになった。それはきっと、経験による判断と以前より上昇したレベルという強さによってなされたものだろう。
だが、その強さを司っている俺自身は、真の意味ではあの頃から何も変わっていないのではないか?
今の俺なら、あの時助け出す事の出来なかったあの子を、救えるのだろうか?
その問いにはっきりと答えを見出すのに丁度いい力試しの機会が訪れたのは、さらにそれから数ヶ月後の事だった。
「やっぱり来たんだな、キリト」
驚いたように言ったつもりだったが、出た声は自分でも驚く程に抑揚がなかった。
あれからさらに月を重ねて、今はクリスマスイヴだ。俺は相も変わらずソロでレベリングにふけっていたのだが、今日はそれも早めに切り上げてこのエリア……第三十五層の「迷いの森」に足を運んでいた。
「……ハルキ」
だが、向こうの声もこちらに負けず劣らず底冷えしたものだった。それはまるで、凪のように吹雪の止まっているこの静寂の森の中でも、耳を澄まさないと聞こえない程にか細い返事だった。
「そこをどいてくれ。俺はここのボスを倒さないといけない」
「悪いけどキリト、それは俺を倒してからにしてくれよな」
だからといって慈悲を与える気も、話し合いをするつもりもなかった。俺は手早くデュエル申請をキリトに送り、そう伝える。
「……どうして君が俺を止めるんだ」
「あんたを心配している人から、そう頼まれたのさ」
昨日の事である。突然アルゴに呼び出された俺は、彼女にキリトが一人でボスに挑むのを止める様に説得してほしいと頼まれたのだ。情報屋として何としてでもイベントの発生場所を探し当てて、彼を止めないといけない。アルゴはそう言った。
『アイツは攻略組の中でも飛びぬけてスゴイ奴なんだヨ。そんなプレイヤーが期間限定の別に受けなくてもいいクエストで死んじまうなんテ、そんなのあんまりだロ?』
そうフランクに話すアルゴの目下には、しかしフェイスペイントと軽快な笑顔では隠し切れない疲労が滲み出ていた。個人的にもキリトの安否に思う所があったのだろう、結局彼女は、それから今日の夕方までかけて情報を探して、遂に二時間ほど前に場所を突き止めたと俺に連絡をよこしたのだ。どうやらその捜索に血盟騎士団も絡んでいると言うから、「彼女」も絡んでいるのだろう。
まあ、そんなことをこの男に教えてやる義理もないんだが。
「……そうか」
そして、キリトも特にその詳細を聞く事もなく、俺からの申請を受諾した。ルールは相手のヒットポイントを半分にしたプレイヤーを勝者とする、「半減決着モード」。
(この瞬間を、待ってた)
もちろん、グラントじゃあるまいし、俺個人にキリトに対する対抗心があったわけじゃない。それにここが終着点でもない。そもそも、誰かに見せつけるような、そんな独りよがりな強さを求めていたわけじゃないのだ。
だけどいい機会だ。俺は自らの剣を両手に持って構えて、そう意気込む。途方もない時間を、俺はレベリングに費やしてきた。この世界での戦い方も学んできた。その培った強さに……俺自身が見合っているのか。
その力を使いこなして、驕らず卑しからずに他の誰かを支える事が出来るのか。それを試す、いい機会なのだ。
『第一層、はじまりの街にて、プレイヤーレベルの差を盾にした暴挙が多発。
治安はアインクラッドの圏内エリア中最低に』
あの時に突然届いた、あの一報を、俺は最低でも千回以上は読み返したのではないだろうか。
何でも今年上旬に起きた第二十五層フロアボス攻略でのALSの壊滅以降、リーダーのキバオウを始めとするその残党は攻略組を脱退しはじまりの街に詰めかけていたそうで、そこでの大規模ギルドをも吸収し肥大化した元ALS、通称「軍」は……いつしか組織の腐敗、それによる一般プレイヤーへの横暴や粛清を止められなくなってしまったらしい。
俺があの街から「抜け出した」時点であの有様だったのだ。今となってはどんな恐慌状態になっているか、想像もつかない。そして。
そして、俺がそんな場所に置き去りにしてきた、あの子は。
(強くなる義務があるんだ。あの子のためにも)
それが今の、剣を振る理由。
時間がない。手遅れになる前に、俺は誰もが文句のつけられない強さを手に入れなければならない。そうして、迎えに行くんだ。あの時見捨ててしまった、あの子を。
だから、キリト。
「俺は、あんたに勝つ」
……デュエルのカウントダウンが、ゼロになった。
そして、その数秒後に俺は、キリトに負けた。
一瞬だったのだ。
デュエルが開始する、そのコンマ数秒前から動き始めていたキリトに気付いた俺は、彼を迎え撃つべく剣を振るった。構えから見て最も守りの薄い下段を切り払い、足止めをした後にひと思いに勝負をつける算段だった。
だが、たった一合……剣と剣が初めて交錯したその瞬間に、俺の剣は根元から折れ飛んだ。
愛剣を失ったことへの喪失感を味わう暇もなく、キリトの剣をなりふり構わず俺は避けようとした。幸い、俺の剣にとって文字通りの命がけの迎撃によって、その軌道は俺からわずかに左に逸らされていた。そのおかげで左肩をほんの一、二ミリ切り裂かれただけで済んだ。ここから武器もないままどう巻き返すか、それを俺は考えようとして。
そして、たったそれだけの傷の為に、俺のヒットポイントバーが一気に半分を割るのを見た。
「レベルに差がありすぎだ」
あまりの出来事に立ち尽くしていた俺に、デュエル決着のファンファーレにも構わず、キリトは言った。
「毎日レベル上げをしていたって、効率のいい狩場を知っているかどうかで、レベルは十は変わる。武器も最大強化じゃなきゃ話にならない」
あたかも知っていて当然というかのように、そう吐き捨てると、俺の横を通って森の奥へと歩いていく。
「イベントボスを、倒しに行くのか」
それでも俺がなけなしの気力を振り絞ってそう言えたのは、これが俺個人の問題のみならず、アルゴ達から依頼されたものである事を思い出したからだ。
「一人でそんなに強くなって、どうするんだよ」
だが、この時俺は思い知った。何とか言わないとと思い必死に絞り出したその台詞は、まるでそのまま自分に返ってくる言葉ではないのか。
所詮、今のままでは、俺はたった一人なのだ。ソロプレイヤーのままでは、全て手に入れてきたと思っていた情報の量も、誰にも負けないと誇ってきた意志の強さにも、決定的な限界があるのだ。
……それでは、今戦った彼の様な天才の、足元にも及ばない。
「……なあ、ハルキ。知ってるか?」
そして、そんな俺に通じるものをほんの少しでも感じたのか、最後にキリトは、呟くように零したのだ。
「どんなにより強くなる方法を、知っていたとしても。
結局、俺は仲間を……誰一人として救えなかったんだぜ」
重い瞼をうっすらと開けると、目の前にどこかの部屋の灰色の天井が広がっていた。
「迷いの森」ではその積雪から察する事が出来る様に体感温度がかなり低めに設定されていた。最もその場においてそんな事を気にしている余裕はなく、寒さをあまり感じていなかったのだが……こうして暖かい室内で布団にくるまれているとあの時の冷たさが今更思い起こされて、思わず全身がぶるぶると震える。
『\(◎o◎)/!』
しかし、ふと上体を起こしたその時、聞き覚えのある通知音と手紙のアイコンに……俺は気の抜けた声を出す羽目になったのだ。
「変わってないなぁ、トミィ」
久しぶりとは言え勝手知る「グラント帝国」ギルドルームの一部屋。
その片隅で椅子に座ってこぶし大サイズのパンの様なもの(街中のNPCから適当に買ったのだろう)をリスの様に両手に持って食べていたのは、この数か月間まるで近況を知らなかったかつての仲間の一人、鎧ずくめのトミィだった。俺に気付くや否や、食事の為に開けていたフルフェイスヘルメットの口当てを急いで閉じる彼を見ていると、どうも張りつめていた気持ちが緩んできてしまう。
これは俺が完全に回復した後に聞いた話だが、どうやらあの後俺は、一足遅れてやって来た「風林火山」のメンバーによって倒れているところを発見されたそうだ。俺に代わってキリトを追わないといけなかった彼らは、やむなく俺が所属するギルド……つまりグラント帝国に現状を連絡した。なので、俺はその後やって来たグラント帝国のメンバーによって助けられたという事になる。
「……借りを作っちゃったな」
俺は自嘲するように呟いた。何も言わずに飛び出したこのギルドに、却って迷惑をかけるような結果になるなんて。これまで積み重ねてきた事の顛末は、こんなに情けないものなのか。
だが、俺はキリトを止められなかった。キリトに勝てなかった。キリトの最後の言葉に、何も言い返せなかった。それが全てだ。
俺は、一年近くかけて、何も証明できなかったのだ。そして、あの子の犠牲に、まるで報いることが出来ていなかったのだ。
「……馬鹿みたい、か」
もう、無理だった。
あれだけの年月と努力が失敗に終わった今、もう再び立ち上がるだけの気力は、俺には残されていない様に思えて。
果たしてこのベッドから降りて、何をすればいいのか。何を成せばいいのか。何ができるというのか。
それがもう分からなくて……起き上がったその姿勢のまま、掛け布団をどけることもなく途方に暮れるしかなくて。
だから、トミィが俺のすぐ横まで来ている事にも、突然俺に身体を(というより鎧を)投げ出してきた事にも、全く気付かなかったのだ。
「お、おい? ちょっと、トミ……ィ……?」
突然の事に驚いた俺だったが、やがて先程とは別の理由で呆気にとられることになった。
トミィは泣いていたのだ。すすり泣く声をヘルメットから響かせて。まるで子供の様にしがみついて。
「おいおい、冗談だろ……こんな、俺みたいな裏切り者に泣く事ないだろ……」
ヘルメットが左右に振られる。腕に回された手はメッセージを送る事もせずに、そのまま力がこもるのが分かる。そんなトミィの頼りなく思える位にみっともない姿を見て。
……俺はようやく、気付いたのだ。
「みんな、俺の事を、もしかして心配してくれてたのか……?」
半年以上も。
仲間を捨てて。
安否も言わず、ほったらかしにして。
そんな自分を、見限らずに。
瞼に、一気に思い起こされる。俺を探すべく、フィールド中を極端フットワークで駆け巡るトミィや、人にこちらの無事を尋ねようにも言葉が通じないオルス。マソップは……まあ置いておいて。
そして、これも後に分かったことだが、毎日の様に黒鉄宮に行って俺の安否を確認する、グラントの姿が。
この時点では証拠もなく、確かにそれは憶測だったけれど。でも、それは妙に現実味を帯びている様に感じて。そして、突然居なくなった自分を彼らがどんなに心配するか……そんな少し考えればわかりそうな事を、俺はあれから一度も察する事が出来なかったという事実に、愕然として。
「……馬鹿だよ……お前ら、ほんとにばかだよ…………」
そうして、俺はようやく、ちゃんと後悔できたのだ。あの時ここを去ったことを。ようやく、自分に足りなかったものを受け容れることが出来たのだ。
一気にはじけたように目からあふれ出してきた涙をぬぐう事もせずに、俺は泣きついてきたトミィの冷たい鎧に腕を回して、その中からほんのりと伝わる暖かさを感じていた……。
「まあ、思春期の少年少女に一つや二つ、そんな過ちがあってもいいさ」
……改めてその顔を見ると、やっぱり小憎たらしい。先程までの気持ちをつかの間忘れて、俺は思った。
思春期って、大して年も変わらないだろ。
「無事なら何よりってね。ゆっくり休んで、ゆっくーり元気になればいいさー」
「グラント」
ヒットポイントは全快したが、まだまだ倦怠感のある俺の寝床に、その後帰宅したこいつは姿を現した。呆れるほどに口調もノリも変わっていなかったその落武者男に、俺は敢えて、言った。
「強くなりたいんだ。みんなで」
強くなったとしても、その後俺がやりたい事にみんながついて来てくれるかは分からない。だけど、恐れずに言ってみて、駄目ならその時はその時だ。
今は、もう一度やり直したい。みんなで、この世界を生きて、力強くなりたい。
「だから、力を貸してくれよ、ギルドリーダー」
「……あたぼうじゃん?」
そして悔しいことに、そんな俺の恥知らずな願望を……こいつが笑わずに受け止めてくれることは、不思議と分かっていたのだ。
「キリトなんか、メじゃないぐらい、強くなってやろーぜ」
マソップ「シリアス、ダメ、ゼッタイ」
グラント「認めたくないものだな、自分自身の、若さゆえの過ちというものを」
ハルキ「やっぱ出てくか」