ハルキ「知ってた」
グラント「イワァァァァク!!」
2024年、11月1日、はじまりの街、解放戦。
黒鉄宮の前に広がる転移門広場……あの、茅場晶彦がSAOのデスゲーム化を宣告したあの因縁の広場に、現在はじまりの街の大半の人間が集結していた。
その理由は簡単。反乱勢力のプレイヤーは、ここに戦意を喪失した軍の人々を連行していたからである。彼らの今回の目的はあくまで軍を懲らしめる事にあり、何処かに監禁したり追放するには準備も費用も足りない為、暫定的にその様な事になっているのである。
それにもし軍の誰かが逃げ出したとしても、またみんなで寄ってたかってぶっ叩けば、いずれは諦めて戻ってくるだろうことは明白だった。ここまで来るとなんか反乱者側も外道に思えてくる。
「ふぅ、これで軍の兵士たちは大体、この広場に連行することが出来ましたね……あれ、あそこに誰かいませんか?」
「『ちょっと見てくるよ』っつーのは死亡フラグだからナシだぜ。
てゆーかいくらニキ、あれはパイセン達だろ常考」
そんなある種殺伐とした空気の漂う大広場に向かって、やって来る者達がいた。彼ら二人の存在に気付いたその場のプレイヤー達は、それぞれ三者三様の反応を示す。
何せその来訪者は、アインクラッド解放軍と反乱組織のレジスタンス……それぞれ敵対勢力の実質的なリーダーその人達だったからである。
「グラントさん達に……あれは、軍の……!?」
そのあまりに意外な組み合わせに驚愕する北海いくらの目の前で、しかし次の瞬間には彼らは別れていた。その片割れであるトゲ頭の男が、静かに何も言う事なしに……グラント達から離れて転移門前までずかずかと歩みを進めていく。
「WB。……ハルキニキ、どうしたんだぜ?」
「お疲れ、マソップ嬢。ハルくん凄かったんだよ……ま、ちょっと今は立て込んでるから、これが終わったら話すとしよっかな」
「立て込んでる……とはなんぞや?」
相変わらずニヤニヤ顔のマソップに、疲れ切ったハルキを背負うグラントがため息交じりに答えようとして……その直前に、何とも特徴的な怒号が辺りに響き渡った。その瞬間、それまでも肩を落としていた軍の面々が一層、顔色を青くする。
「はようしろ。こっちはとっくに準備が出来てるんや」
そう言ってこちらをきつく睨みつけるのは、数時間前の追放から舞い戻って来た、この街の権力者、キバオウである。そして、今度は周りのプレイヤー達を大きく見回すと、より一層大きな声で……続けて告げたのである。
「今からわいとこのグラントちゅう男で、デュエルをする!
勝った方が、この街を支配するリーダーになるんや!」
その声明に、その場の全てのプレイヤーが例外なくざわめいた。それは良い方に捉えれば、反乱勢力は遂に軍の圧政から脱却する道筋を見出すことに成功したとも言えるのだが……逆にグラントがデュエルに負けた時のことを考えると、これまでの努力が水泡に帰してしまう危険性があるとも考えられるのである。それでは勇気を振り絞って軍に歯向かった見返りとしては割りに合わないというものである。
「グラントさん! 一体、何があったっていうんです!?」
「あ、北海いくらさん」
思わずグラント達に駆け付けて声を張り上げる北海いくらに、その短髪男は強張った顔で笑顔を作って見せた。
「い、いやぁ……不意打ちで詰め寄られて、決闘しろって言われちゃった日には……思わずおうともさ、って……」
「ば、馬鹿なんですか」
「……馬鹿だぞ」
「馬鹿だぞ常考」
北海いくらの呟きに、哀れな短髪男の背中のハルキと、マソップが同調する。というかここまでくると一週回って、今頃になるまでグラントの本質に気付かなかったホッカ飯倉の方が悪い。
「……まあ、ほら。突然だったし、斬りかかられなかっただけマシだったとは思うんだよね。それに、要はデュエルに負けなければいいんじゃん? ね?」
「リーダーが油断しなけりゃすんだ話だったような気がするっス。いやマジで」
「……えっと、それで……グラントにいちゃんは、キバオウさんとたたかうの?」
ご尤もなオルスとは対照的に、普通に話すと今までの痛烈さはどこへやらな無邪気さを見せるトミィ。
「……俺が出る」
「却下。ハルくんはもう限界でしょ」
背中でもがくハルキを降ろしてマソップに預けながら、グラントはかぶりを振った。だが今度ばかりはその満身創痍の剣士も食い下がるつもりの様である。
「だからって、お前が戦ったって勝てる見込みは少ないだろ! 武器すら持ってないんだぞ!」
「うぐ、痛いところを突くねぇハルくん」
無理もない。デスゲーム開始以来、未だにグラントが武器を持った姿をハルキは見たことがないのだ。……いや、二年近く前のキバオウ戦で短剣を使った件はあったけど……あれはろくに使ったとはいえないのでノーカンである。
「デュエルはどっちかがどっちかの体力を減らさないと決着が着かない。グラントだってそれは分かって……でっ!!」
「けが人が、ギャーギャー吼えないの」
しかしグラントも一歩も譲らず、あろうことか彼女のおでこにデコピンをかます始末である。そうして、不安げにこちらを見つめる他のメンバーにも向き直って、腕を叩いて力こぶしのポーズを取った。
「なんだーよみんなして。ほら、オルスもやる気ありげな顔しないの。
いいからここは、俺に任しときなって。どの道、あのキバオウはんは俺と戦いがってるみたいだし」
「……勝てるんですね」
あくまで念を押す北海いくらに、グラントは向き直る。
「これが、恐らくこの反乱に於いては最後の戦いでしょう。だからこそここで勝たないと、私達のやってきた事が全て無駄になってしまうんです。
何としても、あの男をこの街の天辺から……引きずり落とさないと」
そういう彼の言葉には、グラント達には推し量る事のできない重みがあった。
恐らくこれまで長い間、はじまりの街で苦境に立たされ続けていた彼だからこそ、込められる思いが含まれているのだろうと……その場の成り行きを見守っていたハルキ達は、息の詰まるような思いでグラントの返答を待つ。
だが、その短髪男の次に発した言葉は……その場にいた誰もにとって、予想外のものであった。
「この街のみんなを解放する、それは絶対に成し遂げようじゃないの。約束するよ。
だけどね……俺は勝つために、キバオウと戦うわけじゃないんだ」
「……え……!?」
驚いて二の句が告げないレジスタンスのリーダーに、グラントは悪戯っぽく、笑いかけた。
「まあ、見ててよ。多分、これが一番いい方法だからさ」
「待ちくたびれたで。グラント」
転移門広場の、ど真ん中。つまり転移門の石碑の前で、グラントとキバオウは、はじまりの街で生きるプレイヤー達に囲まれて対峙した。
「突然現れたか思たら、とんでもないことしでかしてくれるやんけ」
「まあ、確かにどっちかというと部外者な俺に、いきなりこんな事されてもびっくりするよねぇ。
でも、この街のみんなは、そう思ってはいないみたいだよ」
静かに話しかけるキバオウは、しかし既に鬼気迫る形相でグラントを睨み据えている。一方のグラントはそんなのどこ吹く風といった様子で自分のシステムウィンドウを弄っていた。
だが、次の瞬間にキバオウから送られてきたデュエル申請を見て、彼の右手はピタリと止まる事になる。
「本気でやるので? キバオウはん」
「……わいは本気やで」
グラントが少し前に、黒鉄宮でマソップの報告を受けてハルキの危機を悟った際。あの時彼は、彼女があの殺人犯に「完成決着モード」でのデュエルをけしかけられるだろう事を予測して駆け付けたのだが。
これが自分も同じルールで戦うという事になると、何とも気持ちが改まって良くないものである。
「……ま、俺は結構だよ。それにしても久しぶりだねぇ。
『完全決着モード』のデュエルなんて、ベータ以来だぜ」
そのグラントの言葉に、その場の全プレイヤーが凍りついた。
なぜならそれは、結果的に軍が再び権威を取り戻しても、あるいは反乱勢力が街を解放したとしても……キバオウかグラント、どちらかが。
どちらかが、死亡する事を意味するからである。
「おい、キバオウ!! どういう事だよ! 完全決着モードって……!」
「ハルキおねえちゃん」
これに真っ先に怒りを露わにしたのはハルキだった。つい先程まで同じルールで命をかけて戦っていたのだ、同じ危険を、よりによってこの世界で一番親しい人間には……味わって欲しくなかったのである。
だが、そんな彼女にそっと呼びかけたのはトミィだった。ハルキが振り返ると、ヘルメットを脱いだその少年は波打たない水面の様に静かな瞳で、彼女を見上げていた。
「グラントにいちゃんを、信じてあげようよ。きっと、だいじょうぶだと思うんだ」
「大丈夫って……」
ハルキは困惑して、思わずグラントへと視線を向ける。彼はある意味で明確にキバオウから殺意を向けられていると言うのに……その表情には確かな余裕があった。
「……そうっスね。リーダーはこの街を解放するって、約束してくれたじゃないっスか。いやマジで」
「めっちゃ死亡フラグ立っててワロタ。
……でも、露骨に立ったフラグは、真逆の効果になる事もあるんだぜ」
トミィの横でオルスが、ハルキに肩を貸しているマソップが次々に言葉を重ねていった。
ハルキは困惑を通り越して、驚いていた。先程まで彼の出陣に難色を示していたみんなが、今はグラントの生還を信じ切っているのだ。まるでギルマスである彼の言った言葉を、これっぽっちも疑っていないかの様に。
「ハルキおねえちゃんが一番に信じてあげなきゃ。グラントにいちゃんも、キバオウさんも、きっと……みんなだいじょうぶだって」
そして、このトミィの台詞で、彼女はようやく気付いたのだ。
グラントが、この事態まで想定済みであった事に。その上で……キバオウの体力を削り切らずに、ことを収めようとしている事に。
それには武器を持っていない、グラント本人が戦うのが最も適しているという事に。
(はは……俺はまだ。まだあいつを超えられそうにないな)
ハルキは笑う様に短く息を吐くと、軽く目を瞑り、両手を胸の前で絡ませた。
そして、強く願った。全てが、上手くいく様に。
「任せてよ。こっからは……俺のターンだぜ」
そんな彼女に答える様に、グラントはメニュー操作をやめて、実体化させた自らの装備を左腕に通した。リズベットの手によって新たに生まれ変わったその盾を見て、人々はその荘厳さに目を見張る事になる。
それは日輪の様な形状をした白い丸盾だった。放射線状に広がる装飾に、中央付近にサイコロの六の字の様に紅玉が埋め込まれている。そしてその中心には、女神を象った様な彫刻が備え付けられていた。
―――「ラディウス・バックラー」。
アインクラッドの語源、「An Incarnate of the『Radius』」こと「具現化する『世界』」を指す名を冠するその盾を、グラントが高く掲げた、その時。
デュエル開始のカウントダウンが、この市民戦争最後の戦いの火蓋が切って落とされたことを……高らかに宣言した。
「グラントぉぉぉっ!!」
前に戦った時と同じで、キバオウは上段突進技「ソニックリープ」で一気に距離を詰めてきた。グラントも待ってましたとばかりにその新たな盾をかざして、相手のライトエフェクトを纏った剣を受け止める。
そして、前とは比較にならない尋常ならぬそのパワーに、思わずその場から慌てて距離を取った。
「ほーう、どうやら前線を離れてもステータス強化は怠らなかった様だねぇ」
「ほざけ! ジブンに……ジブンにだけは……!!」
だが、そんなグラントの品定めをするかのような態度に、キバオウは猛獣のように獰猛な目付きで、激昂して吠えた。
「ジブンにだけは、言われとうないわぁ!!!」
そして、間髪入れずに次のソードスキルを発動させる。その行動の選択自体はまた前と同じものであったが、前回はそのスキルが片手直剣基本技「ホリゾンタル」だったのが……今度は片手直剣最上位ソードスキル「ノヴァ・アセンション」に変わっていた。十連撃という驚異の連撃数に加えて、初めの上段斬りの出が非常に速いことから、片手直剣スキルの最後に習得できるスキルにして、現在最も強力なソードスキルの一つとして攻略組でも認知されているその絶技を、しかしキバオウは当然の様に放って見せたのである。
「ま、まじっすか……ぐっ!?」
予想外の高位ソードスキルに動揺したグラントが、初めの一撃に少しだけ盾を上にずらしてしまう。すかさず今が好機と判断したキバオウは、自らの剣の速度を飛躍的に上昇させてグラントに襲いかかった。
ソードスキルは基本的にシステムアシストに身体を任せてしまえば自動的に最後まで攻撃動作が行われるが、そこに自身の動きを上乗せする事でその威力や速度を底上げする事が出来る。
そうしてキバオウ本人の動きの乗った怒りの剣撃を、グラントは盾による防御のみに頼らずに回避を混ぜ込む事で、どうにか全てを凌ぎ切ったようだった。
(いやはや、相変わらず月並みな戦法に月並みな動きだけど……それを補って有り余る圧倒的なパワーだなぁ。
あのキバオウはんが、こんなに強くなっているとは)
グラントは心の中で愚痴を零しながら、引き続き繰り出された剣を受け流す。トミィ程ではないとはいえかなりのSTR振りだろう、最早彼はキバオウの攻撃を正面から弾き返す事が不可能であった。
……いや、それだけじゃないな。そしてグラントはあまり考えたくない結論に達する。STRの高いプレイヤーと言うだけなら、キリトを初め多くの攻略組のメンバーが彼に匹敵する筈なのだ。
つまりキバオウの、それらのプレイヤーよりも突出した攻撃性能を裏付けるのは……彼の明確な、グラントへの殺意なのだ。
(―――いわゆる、火事場の馬鹿力ってやつか。
きっと今は普段の彼じゃ想像もつかない位の、スキルモーションへの身体の連動による補正がかかってるんだ)
グラントは盾越しにキバオウを見やる。その形相は、最早勝利への作戦など冷静に考えている様には見えないものだった。ただひたすら、こちらの守りをこじ開けてそのアバターを切り刻む事しか考えていない様な。
まるで、あのラフコフのメンバーの浮かべる表情、そのものの様な。
「ジブン、人を殺したことあるか?」
そのキバオウが口を開いたのは、そんな時だった。最後にグラントの盾に自身の剣を強振し、二人の間に少し距離が出来るや否やといった時である。
「自分が傷つけた人間が、なんかを言い残す事も出来へんまま死んでいく。そういう経験をした事があるか?」
次の瞬間には、キバオウの猛攻は再開していた。まるでこちらの盾を打ち壊そうとするかの様に強撃を重ねてゆく。
「わいは、あんねん。何人も何人も、わいは人を殺して、彼らが死んでいくのをなんもせずに見守っとった事があんねん」
双頭の巨人が斧を振るうと、まるでプレイヤーが鞠の様に軽やかにボス部屋の空中を舞ってゆく。
それはジャグリングさながらの現実離れした光景だった。今まで自分達が体験してきたフロアボス攻略とは何から何までが異なっていた……視界の端に見える仲間のヒットポイントバーが、まるで完了間際のダウンロードバーの様にごっそりと減少し、その値がゼロになったプレイヤーの表示が次々に消えていく。
キバオウは、自らの部下がその命を盛大に散らしているというのに、まるでその危機を打開すべく動くことが出来ないでいた。それどころか、目の前で繰り広げられているその惨状を見ても、どこか夢を見ているかの様な感覚に囚われていたのだ。
「それまでのわいは、あの時あいつらと一緒に死んでん。後に残ったのは、カーソルがオレンジにならへんだけの人殺しや。
ジブン一人殺したところで、わいの罪は大して変わりはせえへんのや」
「……そういう風に、PoHに信じ込まされたのかい」
キバオウの言葉を聞いて、グラントはそう呟いた。もしそうならば、彼のALS時代からの豹変ぶりも納得がいくものである。彼の感じた怒りや後悔、そして虚無感を……PoHは都合のいい様に弄んだのである。
それは、次にキバオウがか細く零した言葉からも良く分かるものだった。
「……あの方は、人殺しのわいに、人でなしとして生きる方法を教えてくれたんや。
わいは、もうまともな人間にはなれへん。そやさかい、人を苦しませる事でしか生きる意味を見出せへんねん」
それは、端から聞いたら全く持って言語道断な理屈であった。もしそれが北海いくらやハルキに聞こえていたならば、彼らは間違いなく激怒してキバオウを絶対に許さないだろう。
だが、それまでのキバオウの言葉を聞いたグラントには分かっていたのだ。彼は、それを覚悟の上で業を深めている。悪行を重ねる事で得られる罪悪感や自己否定感で、何とか自分自身を保っているのだ。
二十五層にて死にゆく部下を誰一人として救えなかった彼は、そうでもしなければ本当に壊れてしまっていたのだ。
そんなキバオウには、正義や大義名分を振りかざした理論は通用しない。実際に軍も彼のその思考に沿った、大衆からの評判を顧みない専横を行ってきたではないか。
「あのね、キバオウはん」
だからこそ、グラントは口を開く事にした。一旦目を閉じて、全身に力を込めて……相変わらずの強烈なキバオウの剣を、盾の基部で防ぐ事を無視して強引に弾き返す。
そして、貫通ダメージによって自身のヒットポイントバーが微量に減ったのを気にもせず、刮目した。
「あんたの部下を殺したのは、あんたじゃなくて二十五層のフロアボスだ。あるいはそいつを作った茅場晶彦だって言ってもいい。
あんたは誰も救えなかった、ただの弱い人間だよ」
それまでとは打って変わってキバオウに向かって突進し、彼が慌てて振り下ろしてきた剣を上方向に受け流しながら……その剣を持つ右腕を自身の右手で掴む。
そのまま、一本背負いの要領でキバオウをその場に投げ叩きつけた。
「いいかい、キバオウはん。人を殺すんなら」
仰向けに転がったキバオウが、グラントの目を覗く。その目はいつもの彼の目ではなかった。無感情に、しかし強い何かを感じさせる、冷徹で凶暴な目付きだった。
次の瞬間、グラントは盾を両手で振りかぶっていた。そして側面の装飾で、キバオウの首を斬り飛ばすかの様な勢いで……叩きつけた。
「……これくらいは、するもんだぜ」
無論、盾による攻撃なのでキバオウには一切のダメージは入る事はないが、物体同士の接触によるノックバックは発生する。
ゼロ距離で全力で首に盾を叩き付けられたキバオウは、一瞬気管が詰まる様な窒息感を覚えた後に、何度も地面を跳ね回って広場を転がった。
(……グラント)
ハルキはあの迷いの森での彼の変貌を思い出していた。沈む意識の中で見たものであるため詳細は確かではないが、あの時自身を眠らせたグラントも、今と同じ目をしていたのだ。
無論、普段の無駄にテンションの高い、阿呆を具現化した様なグラントが、偽りの姿であるとは彼女も思っていなかった。いつもの落武者男はハルキ達との生活を心から楽しんでいたと断言出来るうえ、その際に態度こそあれ自分たちギルメンを大切にしようとする彼の気遣いを感じたものだった。
だから、恐らくグラントはいつか話すだろう。ハルキはそう思っていた。自分がとうとうグラントに身の上話を全て白状した様に、彼にもその時は必ず来るはずだ。
その時、彼が自分にしてくれた様に、しっかりとそれを受け止めてやる事……それが、自らに出来る精一杯の手助けだと、彼女は強く思ったのだ。
「が……かはっ……く、くそ……!?」
「来いよ、キバオウはん。俺を殺すつもりなんでしょ?」
何とか首を押さえながらも、剣を持って立ち上がったキバオウに、グラントが挑発する。そしてまるでつまらない様な声音で続ける。
「そんなんじゃダメだよ。もっと強く、もっと怒んなきゃ。
俺を倒して、本物の人殺しになるんだ」
そのグラントの台詞は、一種狂気を含んだものと捉えられてもおかしくないものだった。実際その場で二人の決闘を静観していたプレイヤー達の多くが、彼の普段との変わり様に息を呑んでいる。
だが、挑発された本人であるキバオウからすればそれは自分を見下す侮蔑の表現でしかなかった。今以上にさらに目を釣り上げた彼は、右手の剣を弓を引くように構える。それは片手直剣単発重攻撃「ヴォーパルストライク」の構えだった。
「ね……ねぶるのも大概にせいやぁぁっ!!」
その瞬間。
キバオウは自身のソードスキルが発動する直前に、左手を前に大きく振った。それはグラントに対する何かしらの行動というよりは、周りで彼らを見守っているプレイヤーに対して発せられた、何かしらの合図のようで。
そして……軍の派閥の中でも特に「キバオウ一派」と呼ばれる、キバオウが取り巻く兵士達が、彼のその行動を理解して……突然、その場から転移門に向かって突撃し始めたのである。
「うおぉぉぉ……!! キバオウさんの命令だ、全員突っ込め!!」
「なっ……!?」
この突然の一部の軍のプレイヤー達の自棄気味の蜂起に、反乱プレイヤー達はまるで対応できなかった。彼らを振り切って広場の中央に躍り出た総勢十名近くの兵士が、手にした武器を持って短髪男に向かって斬りかかっていく。
これには流石のハルキ達や北海いくらも血相を変えた。彼らの武器がグラントに命中したところで、デュエル対象外からの攻撃はダメージを持たず、圏内戦闘の時と同じ様にノックバックが生じるだけなのだが……それでも、たった今必殺の一撃を加えようとしているデュエル相手に、グラントはそのノックバックによって大きな隙を見せる事になってしまうのだ。
「グラント……!」
「ハルキ先輩、みるっス! いやマジで」
だが。オルスの声に、ハルキはその我らがギルドマスターに目を向ける。そして……予想外の光景に目を点にした。
彼はこちらに向かって、親指を立てた拳を突き出していた。その表情もどこか愉しげであり、それは今のグラントが……いつもの、あのひょうきん物のおバカ落武者男に戻った事を意味していた。
いや、というよりもしかすると、初めからグラントは変わらずに正気だったのではないだろうか。全てはキバオウを精神的に追い詰める為の、ハッタリだったのではないだろうか。
「……あーもう! 何だってんだよ!!」
拍子抜けしたハルキの情けない叫び声に合わせて、グラントは左手の盾を掲げながら右手を振り上げる事で、盾にライトエフェクトを纏わせた。盾ソードスキル、「スレットフル・ロアー」の発動モーションである。
この「スレットフル・ロアー」というスキルは、いわゆる挑発技に属するものである。前に登場した「ハウリングホール」とは違い、モンスターの注意を自分に向けるという、正統派のヘイト集め用スキルではあるのだが、それではモンスターではなく敵対プレイヤーに対して使った際にどうなるかというと……その場合は、相手の視界を自分中心で固定する事が出来、かつレベル差が大きいほどその視界制限を剥がされにくくなるという少々特徴的な性質を秘めているのだった。
故に、たった今キバオウ含め軍の兵士達の視界の中心はグラントに固定された。どうやら二年前と比較して劇的に成長したのはその短髪男も一緒だったようで、軍の中ではダントツにレベルが高いキバオウでさえその注目を解除する事は出来なかったようである。
いや、攻撃する側としては解除する必要もなく、むしろもってこいなのだが。
「ヘイト集めやと……ふざけた真似しよって……!!」
キバオウはグラントのこの行動を先程に続く挑発行為だと受け取った。当然である、この場においてわざわざ相手の攻撃を確実に自分に当てる様にする事なんぞ、「ジブンらの攻撃なんて屁でもありゃせんわ、全部受け止めたる!」と宣言しているみたいなものなのだ。余程自身の耐久力に自信がない限りはそんな真似は出来ない。
怒りに任せて、キバオウは発光する武器を振りかざしながら、部下達と共に走り出した。あとはそのまま剣を前に突き出せば、その動きはヴォーパルストライクの初動モーションだとシステムに認識されるだろう。そんなリーダーの姿を見て、他の特攻する軍のメンバーもそれぞれソードスキルを発動させて。
「……ふふーん」
それを見たグラントも負けじと、「スレットフル・ロアー」起動モーションの最後の手順、盾を通した左腕の突き出しを行うために……左手を頭の後ろに振りかぶり。
そして、さらに左手を後ろに振りかぶり。
さらに左手を後ろに振りかぶり。
左手を後ろに振りかぶり。
……その手で、自分の後頭部をがりがりと、掻いた。
「……は?」
キバオウが驚いたのも束の間、その瞬間グラントの盾ソードスキルがファンブル……つまり発動失敗となり、その短髪男に照準を合わせていた軍のプレイヤー達が、一度にその視界拘束から解放された。
だが、既に発動していたソードスキルの勢いは止まらなかった。そうしてそれまでの動きの慣性によって、グラントから微妙に離れた位置を攻撃対象とせざるを得なくなった彼らは……まるでその盾男をわざと避けて武器を振るっているかの様に、彼の周りでソードスキルを空振りする羽目になってしまい。
「な……何やと……がはっ!?」
驚愕するキバオウもろとも、その全員が勝手に同士討ちをする事態となり、それぞれがノックバックによってグラントの周りで倒れこむことになったのだった。
「……まじかよ」
「グ、グラントさん……一歩も動かずに、軍のメンバーを……!?」
ハルキはグラントのこの様な奇想天外な戦法をこれまでも何度も目の当たりにしている為、反応としては唸る程度だったが、それに対してあの短髪男の戦う姿を初めて見た北海いくらは……そのある意味で次元の違う戦闘方法に目から鱗の落ちる思いだった。
「へへーん、どーだよ、すごいだろ。キリトよりすごいだろ」
「黙ってりゃ完璧だったのになこのバカ落武者男」
「ぴえんハルくんヒドイン」
武器を持たないと言う事は、言い換えれば相手を傷つける事がないと言う事だ。盾に攻撃判定のないSAOではその不文律が徹底されている。先程のグラントの様にどんなに強く盾で殴っても、相手のヒットポイントは一ミリも減りはしないのだ。
進んで強さを求めない、負けない為の戦い方の極致が、そこにはあった。「柔」なる戦いとも言うのだろうか。
それこそが、グラントにとっての「シールドアート」なのだ。「最強」を求めてソードアートを操るキリト達とは違い、「最良」を目指してシールドアートを生み出すのが、彼のやり方なのである。
「ほら、立ちなよキバオウはん。そんな卑怯な手なんか使わないで、正々堂々俺をぶっ飛ばしてみなよ。
……本当にお前さんが、それをしたがっているならね」
その言葉を聞いて、キバオウは何とも言い知れぬ表情を浮かべた。何かに取り憑かれた様に一人、その軍の副リーダーはふらりと立ち上がり、あくまでグラントに向かって剣を振り上げた。
「わいは、ジブンを殺す。殺さなあかんのや」
彼はもはやソードスキルですらない、ただの上段から下段への振り下ろしを敢行して……そして。
そして、そのキバオウの剣が、グラントの盾に当たった瞬間に、根本から折れ飛んだ。
「……そんな、キバオウさんが……」
軍の誰かの零した呟きが、しんと静まり返った転移門広場に響き渡る。
今まで一度たりともグラントに攻撃を当てる事も出来ず、遂には剣をも失ったキバオウは、しばらくその場に立ち尽くしていた。まるで無感情にその折れた自分の剣を見つめていたが、次の瞬間にはその残骸もポリゴンの欠片となって彼の手元から立ち消えていった。
「……殺さな、あかんのや……」
だが、それでも。それでもキバオウはグラントに向かって歩みを進めていた。まるで狂人のように正気の失った目で、状態異常はおろかヒットポイントすらまるで減らしていないにも関わらず、傷だらけであるかのようにふらつきながらも……遂にグラントの許に辿り着くと、その拳をゆらりと振り上げて。
「殺さな……」
そのまま、目の前の盾男に倒れ込んだ。周囲からは小さく悲鳴が上がり、その痛々しい顛末に北海いくらやハルキ達も思わず目を背けて俯いた。
そして、グラントは……そんな哀れな男の、最後の一言を聞き取った。
「……殺してや。わいを、殺してや……」
「『参った』なぁ。そうは、いかないんだよねぇ」
その言葉はそのまま、デュエル終了の合図となっていた。グラントは決着のファンファーレに目もくれず、周りで転がっていた先ほどのキバオウ一派のメンバーを起こすと、自分の腕の中で気を失ってしまったキバオウを彼らに引き渡した。
そして、自分達のリーダーを介抱しながらも、デュエルが中断された事に戸惑いを隠せない彼らに、グラントは頬を緩めて、言ったのである。
「だってそんなの……なんかちがうじゃんか」
「そうです、殺し合いなんて馬鹿げた事はもう、やめましょう」
その時。その広場に、また新たな声が響き渡った。
反乱プレイヤー達は謎の来訪者に当惑の目を向け、軍の兵士達は聞き覚えのあるその声に、がっくりと項垂れた。
「はじまりの街の皆さん。これまでのアインクラッド解放軍が貴方達にしてきた所業を、軍のリーダーである私が謝罪します」
「シンカーさん……それに、ユリエールさんも……!!」
「シンカーだって? あの人が軍のリーダーのシンカーさんなのか!?」
北海いくらが目を見開いて叫ぶ。その視線の先を辿りながら、ハルキはその聞き覚えのある名前に驚いて尋ね返した。
見ると、グラントとキバオウ一派の軍のメンバー達のいる、転移門の石碑の前に、いつの間にか新たなプレイヤーが二人、姿を現していた。
かたや背はグラントと同じくらい、太めの体を地味な色合いの服に包んだ、穏やかな印象を抱かせる男と、かたや彼よりも背が高く銀髪の長い髪をポニーテールに纏めた、凛とした雰囲気の女性である。
彼らの名前はそれぞれ、シンカーとユリエールという。シンカーは前にグラントの話で出てきた、アインクラッドの現リーダーその人であり、ユリエールはギルドMTD発足当時からリーダーの彼を支えてきた実質的な相棒といった存在であった。
「シンカーは、今までキバオウの奸計によって、黒鉄宮の地下に存在する迷宮ダンジョンにて身動きが取れない状況でした。
偶然この街を訪れていた攻略組の方々によって先程ようやく救出されましたが、その間に今まで以上に軍の暴走を野放しにしてしまった事を、彼は極めて重く捉えています」
そう演説するユリエールの表情は、決意に満ち溢れながらも晴れやかなものだった。親しいシンカーの無事が確認できたこともあるが、何よりもグラント達レジスタンスが作り出したこの状況を利用する事で、はじまりの街最大の元凶に終止符を打つことが出来る、という確信が彼女を奮い立たせていたのだ。
そして彼女からバトンを受け取ったシンカーは……そんなユリエールの覚悟に決意を固めたように、それを宣言するのである。
「軍は、大きくなりすぎました……ご覧の通り、リーダーである私も、街のみんなの事はおろか、自分自身の安全の確保さえままならない状況です。
よって、私は、そして軍は。その責務を……はじまりの街の治安維持と、人々をアインクラッドから解放するという責務をこれ以上果たすことは不可能であると判断しました。
以上のことから」
くどいようだが、もう一度表記する。
2024年、11月1日。それは浮遊城アインクラッドから、一つの巨大な組織が、事実上の消滅を迎えた日であった。
「本日、11月1日を持ちまして、アインクラッド解放軍は、解散させて頂きます」