「……ぐぶ」
さて、場面を変えて、ここはアインクラッド第一層、はじまりの街である。ハルキがシステム障壁を突破した後に、残されたギルメン三人が彼女の指示に従って、有志で集まってもらったプレイヤー達を何とか無事に街まで送り届けた直後の事だった。
モチのロンで、その声の主はマソップである。と言うかいい加減にぐぶぐぶぐぶって何なのか教えろよ。どういう発声したらそうなるんだよ。まあ、ウェヒヒヒも実際聴くまではなかなか想像はつかなかったけどさ。
「……お。
【速報】パイセン達の状況が知りたい奴、ちょっと来い」
ピコン、と鳴った効果音に彼女は自身のウィンドウを開いて、直後に他のプレイヤー達と並んで前を歩くトミィとオルスにそう呼びかけた。
「リーダーの状況!? 分かったんスか、いやマジで」
「ど、どういうことなの!?」
現在ギルメンの三人は黒鉄宮の前を通過していた。そのマソップの言葉がなければ、なるべく早く城内にいるシンカーたちにダンジョンの最下層で起こったことを報告して、何かしら救援に向かうことが出来たら……と考えていたのだが。
「……今、パイセンから録音結晶のトレード申請が来たんだぜ。これを聞けば、何かわかるかもだぜ」
おお、盾男、考えたなあ。確かにグラントとハルキは、地下迷宮最深部での隔絶どころかもはやアインクラッド外にまで連れ去られてしまっているので、現状ではどう頑張っても他のプレイヤーと物理的な接触が出来ない筈なのだが。
だがアイテムの受け渡しだけは、迷いの森でピナを一度死なせてしまったシリカにキリトが装備を送った時の様に(SAO本編での一幕)、申請形式によって成すことが出来るのである。システム的には未だマソップたちとパーティーを組んだままになっているグラントは、それを利用して録音結晶という音声データを彼女に送ったのだろう。
とまあ、細かい説明は後にしようか。取り敢えず今は、グラントとハルキが何の目的でその音声データをギルメンに託したのかを聞いてみようじゃないか。気付けばマソップの周りには、オルスやトミィがいるのは勿論の事、彼等と共にあのダンジョンを探索して、グラントの勇姿とハルキの決死の突入を見守っていた他のプレイヤー達まで群がっている。
「じゃあおまえら、刮目せよ! ……ほい」
マソップ残念、テンションが足らなかったなー。というかネタが渋いと思うよ。どっかの熱血な教育学院講師って言ったって伝わんないだろうし。
『お、おお、よーしよし、作動したな……もしもーし、こっちの音聴こえる……って、うおおい! ちょっ、やめ、オレンジに、オレンジになるから!!』
「ん、んんー……?」
マソップは首を傾げる。ほんとに戦闘中か、これ。なんかいつものギルドルームでの様子とあんまり変わんない気がするぞ? というか、オレンジになるって、何の事だよ。誰に言ってるんだよ。
『えー、ゴホン。取り敢えずこれはマソップに送ってるけど、いずれにしてもトミィやオルス達にも耳に入れてもらう事になる話だから、できればみんな集まって聞いてくれると助かるなー、うん。
現在、引き続きあの鬼畜エネミーと交戦中。ヤバい。マジヤバい。強すぎてこのままじゃやられる……って、だから、分かったから、今はやめてちょハルくん!!』
『うるせぇ! 変態! クズ! 落武者男!! 今回はどう考えてもお前が悪い!!』
「……どういう状況っスかこれ。いやマジで」
なーんか緊張感のへったくれもねぇご報告である。さっきまで自身のギルマスとサブリーダーを本気で心配していた自分達がバカみたいに思えるオルス達であった。
いーや、よく聞こうね。このままじゃやられるって言ってるよ。けっこうマズい事態だよ。
『と、とにかく録音の時間制限もあるし、あのエネミーが活動を復旧させる前にみんなに伝えたいことがあるんすよ!!
あのね、簡単に言うと俺達二人だけじゃあれにまず勝ち目がないの! システム的に色々保護されてて、ダメージも通んないし真正面から殴って勝てる相手じゃないっす!』
「……かち目がないって、じゃあ」
そんな中でも表情を凍らせてグラントのその言葉を反芻するトミィに、周りのプレイヤー達も次第に事態の重さを実感して押し黙って続く盾男の声に耳を傾ける。
『と、いう訳でね!? 二人じゃ敵わないなら、みんなの力を借りるしかないなって思って、これを送った次第なんだよね!
出来るだけ多くのはじまりの街のプレイヤーに、この事を伝えて欲しい、それで、彼等から出来るだけ多くのアイテムを、種類を問わずに俺に送ってほしい!!』
「あ、アイテム……?」
「そんな事をして、どう切り抜けるつもりなんスか。いやマジで」
むむ? アイテムをグラントに送る?
それはつまり、回復ポーションとかそういう支援物資を送ってくれという意味合いで言っているのだろうか。まあ、確かに複数のプレイヤーから物資の支援を受ける事が出来れば、受けないよりは長時間戦闘を続ける事は可能になるかもしれないけど。
でも、本質的な問題はそこではない。いくら戦いを長期化させた所で、グラント達はあの理不尽な敵に対してこれ以上積極的なアプローチが出来ない状況だと、自分でも申告しているのである。それでは突破口を見出すどころか、判断ミスや何かしらのアクシデントによって、いずれにしても相手に最終的にやり込められてしまう可能性の方がダントツに高いだろう。
いや、でも待てよ? 今グラントは、「種類を問わずに」アイテムを送って欲しいと言っていたな。それはつまり、支援アイテムに拘らないという事であり。
『マソップ辺りはもう察してくれたかな。一応俺も編み出した技は大体試してみたんだけどさ、まあどれもあんまり効果がないっていうか。
やっぱり相手もデータだからさ。プレイヤーとしてそれに敵わないっていうなら、そのデータごとぶっ壊すしかないんじゃないかなって。
……データを破壊したいなら、やっぱもっとデカいデータをぶつけるのがセオリーだよね?』
大体、技は試したと、グラントは言った。
そういえば、グラントがこの二年間で実演しては周囲のプレイヤーを驚かせたテクニックが色々あったけど……まだ一つだけ、たった一つだけ、試されてないものがあるよね。
そういうわけで、グラントの真の腹積もりは、次の言葉で明らかになった。
『可能な限り多くのプレイヤーのアイテムを俺とハルくんのアイテムストレージに集約させて、同時に全アイテムオブジェクト化ボタンを使って相手に一気にぶつけるんだ。
「めら☆ぞーま」の上位互換として名付けるなら、「元☆気☆珠」かな?』
「ふー、取り敢えずは、伝えるべき事はなんとか伝えたつもりだけど……。
これで第二段階は突破……してると良いなぁ……」
さて。舞台を戻してここはホロウ・エリア秘匿領域。未だに目前で沈黙を貫いている聖騎士型エネミーの前で、グラントは一仕事終えたと一息ついた。
「ハルくんもご協力感謝です、あれ位の雰囲気じゃないと、みんなに心配かけちゃうからね……。
あと、最後の……すごく、良かったと思うよ」
「……」
なんと。どうやらあの漫才音声は演技だったらしい。そりゃそうだよな、生きて帰る保証がないとか、現時点で余計な心配をギルメンに掛けるのもどうかって話かもしれないなぁ。変に希望を持たせるのも無責任だけど。
そして、その事に関してはハルキも如何にするべきだったのかを決めかねているようで、その表情を曇らせたまま、俯いた。
……というか、最後のって、何?
「……サイテー落武者男」
「バッチリ聞こえてるよハルくん」
流石に案件としてスルーはできなかったか。当たり前だ。グラントてめー自分の言ったこと分かってるのか。
「……いや、ね? その、悪かったよ? 脈絡なくいきなりあれはうん、自分でもないわーって思ったよ、うん……だけど、だけどどうしても必要な過程だったわけで」
「必要だったとか仕方がなかったとか、そういう風に気軽に言って良いもんじゃないだろ! 幾らなんでも酷いぞ!!」
「う、うーむ、それは、その、本当にごもっともだと思うんですけど……でも、さっきも説明したでしょ……?
マソップ達が上手くやってくれて、彼女等経由で大量のアイテムが送られてきた時、俺かハルくんか個人のストレージじゃあ一瞬でパンクして逆にこっちのデータがおかしくなっちゃう危険性があるから、『全情報と全アイテムの共有』が出来てストレージの容量が単純計算でも倍になる結婚システムを使ってそれを回避したかったんだよぅ……」
「もう一回説明しなくていいよ!! だいたい、それだったらただの共有アイテムウィンドウでいいじゃないか!」
「だ、だって共有アイテムウィンドウは個人のストレージとは別個に出来るんだし、そしたら向こうから共有タブに送られてきた分のアイテムを全部個人ストレージに移さないと全アイテムオブジェクト化ボタンは使えない訳だし……」
「ううう……ううううっ……!!」
なるほどねー、そういう訳だったのか。なんだか随分と夢もロマンもあったもんじゃない話になってる。そりゃハルくんも怒るわ。
何はともあれ、そういう経緯で現在、二人はシステム上において婚約関係になっている。よかったね! これでキリアスに一歩近付いたよ! お幸せに!!
……以上、茶番劇である。というかよくその状況でハルくんは受諾したね。
「何だよこれ……何だか、大事なものを失ったような感じがする……」
「……そこまで言われるとそれはそれでかなーりヘコむんですが……そりゃ、俺みたいな変人相手じゃあ入り用でもヤーかもしれないけどさぁ……」
「………………別に、そういう事を、言ってるわけじゃないけどさ……っ!?」
その時。
突然周囲に、なにか電子機器の起動音に似たサウンドエフェクトが響き渡ったかと思えば、次の瞬間には眼前でそれまで固まっていた筈の聖騎士エネミーが、そのグラフィックをたびたび歪ませながらも再び動作を開始させていたのである。
「とにかく、ほんとに悪く思ってるからさ。今は我慢して……ギルメンのみんなの準備が出来るまで、持ちこたえる事に集中してくれたら、嬉しいなぁ……」
休憩時間は終わり、というようにぎこちない動きで再び両手の十字剣と十字盾を持ち直すその因縁の敵を見て、グラントは一歩前に出ながら慎重に盾を構えた。彼も言った通り、この後の二人の役目は作戦決行まで敵の攻撃を凌ぎきることである。
「……いいよ。悪く思わなくたって。
了解した。とにかく今は、力を合わせて乗り切るぞ!!」
「……おう!!」
くよくよしても仕方がないと剣を両手に握り、そう返した背後のハルキに、グラントは右手でサムズアップをする。それを見た彼女は、一人でどこか納得した気持ちを抱いていたのだった。
そう、つまりは、この二年間の間、自分はこの背中を追い掛けていたのかもしれないと。人は皆自分の事を献身的で優良であると言うけれど、実際はただ……出会った時にはとてつもなく先を歩んでいたように感じたこの男の横に、ただ並び立ってみたかっただけなのかもしれないと。
だからこそ、悔しいことに、結婚申請の理由が機能面によるものだと明かされた時、実はちょっとだけ安心してしまったのかもしれない、と。
「安くなっちまったもんだなぁ、俺も」
「……どゆことハルくん?」
第二ラウンド、開始である。
とはいえ、せっかくグラント達が踏ん張ってても、作戦のキモであるマソップ達が役目を果たさないとまるで成功の余地はないだろう。
と、いうわけで、現在はじまりの街では、グラントの音声データを一通り聞いたグラント帝国の三人が、黒鉄宮の中で控えていたシンカーと北海いくらに事情を伝えた後に、再び彼等と一緒にそのグラントの指示に耳を傾けていた。
『さて! それじゃあ詳細を説明しよう!
正直、今回のこの作戦は、他ならぬ俺が考えるにしては悪手というか、下策なニオイがプンプン漂ってるから、無理を承知で言うんだけど。
とゆーのもさ、実際にただこっちにアイテムが送られてくるだけだと、多分まず一度に爆発的に増える所持アイテムにストレージが付いていかずにバグっちまう可能性を考えた方がいいだろうし、そこが何とかなったとしても容量オーバーになったアイテムは全部足元に実体化しちゃうから、結局あんまり意味がないんだよね。
つまり、街のみんなからトミィやオルス氏、マソップにシンカーや北海いくらさんとかを介して俺のストレージに送って、俺が全アイテムオブジェクト化ボタンを押す……ここまでを、ほぼ同時にしなきゃならないって話になる訳だよ、うん。悪手だよねー』
なるほど、激ムズである。
ただでさえ街の皆が協力してくれるかどうかすら怪しいというのに、その上アイテムの受け渡し動作を全て同時に起こさないと、どこかでパンクしてそこのストレージの持ち主がヤバっちゃうと。
この世界にイレギュラー因子を排除する監視役としてカーディナルシステムが搭載されている事を考えると、そうなってしまえばそのプレイヤーはアカウントをBANされて、実質的にナーブギアのマイクロウェーブを受ける対象として指定される可能性が極めて高いだろう。
『だからね、そっちの準備が出来たら、こっちにメッセージか何かを送った上で、そうだなあ……じゃあ、その三十秒後に決行って事でよろしくお願いしたいなー。シンカーあたりが号令して、みんなで一斉に同じタイミングでトレードの決定ボタンを押すっていう感じが一番順当だと思うかな』
「……事情は分かりました。そういう事でしたらお任せください。ひとまずは、街中のプレイヤーを転移門広場に集めましょう」
「あつめるなんてこと、できるの? 二せん人のプレイヤーさんたちがいるって、まえにグラントにいちゃんが行ってたけど……?」
最近は煽り要員である事も忘れてすっかり聞き役が板についているトミィだったが、それに答えたのは彼の親代わりを請け負っている北海いくらだった。
「トミィ、僕達が初めてこのゲームの世界にやって来た時、鐘の音と共にあの広場に連れられて、それで茅場晶彦の声を聞いたよね。
あの時の鐘……転移門広場の中央にある、あの鐘は、プレイヤーもこの黒鉄宮から鳴らすことが出来るんだよ」
地味に驚愕な事実にその場のみんなが唸り声を上げた。うん、まあ確かに一見茅場ら運営側のみが操作できそうな要素だよね。
デスゲーム開始以降は、基本的にはそれを敢えて鳴らす必要も無かったことからただの一度も使用していなかったそうなのだが、だからこそ今それを利用すれば注目度は高いだろう……何ともプレイヤー達のあの日に対する潜在的な傷を抉る様で少々申し訳がないけど。
「……でも、みんなを広場に集めてから、どうやって説得をするつもりなんです? 何もプランがないのでしたら、暫定的なここのリーダーである私とユリエールで事情を話します、その方が妙な誤解や疑いをかけられることもないでしょうから……」
「だが断る」
「ま……マソップさん!?」
やっちゃったZE☆。アイテムの提供を求めるなんぞ、何に悪用されるか分かったもんじゃないし今回は提供者に何の利益もない訳で、余程信頼の厚い人間が乞わないと成立しないと思うんだけどなあ。そこんとこどうよマソップ。
だがそこには彼女らしくもなく、まともな理由があった様だ。
「今は途中で切ったけどこの録音結晶、パイセンの説明の後にあの『純傑』の名で通ってるハルキニキの呼びかけが、記録上限まで入ってるんだぜ。まずはそっちを聞いてもらった方が効き目は高いと思われ」
えー、まあ、そういう訳で、できればはじまりの街の皆の力をね、貸してほしいって言うか……うーん、どうしようかねー。そこんとこがちょっと問題なんだけど……。
……はあ、全く。
おい、グラント。それちょっと貸してくれ。早く!
え? あ、これ? いや、でも今録音中だから……い、イタイイタイ、耳引っ張るなかれ!! 分かった、分かったから!!
変に躊躇うからだろ、制限時間があるんだからさ……。
あー、もしもし、これ聞こえてるのかな。今しがた、話し手はグラントから俺、ハルキに代わりました。ちょっと長話になっちゃうかもしれないけど……出来れば、聞いて欲しいな。
コホン、えっと、こういうのは初めてだからちょっと緊張するな……。まず、一応事情をおさらいしておくな。
俺とグラントは、今茅場晶彦に襲われている。正確には彼が嗾けた理不尽なくらいに強いエネミーと戦う羽目になってるって訳なんだけど、どうやら茅場は、グラントや俺がこのアインクラッド全体の秩序を乱す存在だと思っていて、それで排除したいって考えてるらしい。
まあ、分かるよな。この際だから白状しちゃうけど、俺達は軍のメンバーに勝てるどころか、ホントはレベルだけなら最前線で戦える域に達してるんだ。だけど、俺もグラントも攻略組には結局入らなかった。世間で言われてる「黒の剣士」や「閃光」みたいに、アインクラッドから俺達プレイヤーを現実世界に連れ戻す長くて苦しい旅に、遂に今まで参加してこなかったんだ。
個人的な話をすれば、自信が、なかったんだよな。まあ、実際の経緯は色々あって、一度は攻略組の入隊試験みたいなのも受けたり、俺に至っては仲間に何の連絡も入れずに随分長い間無茶してみたり、そんな感じでさ。みんなは俺の事、どう思ってるか分からないけど……でも俺、結構ダメダメなんだよ。自分の守りたかった小さな子供一人守り切れなくて、離れ離れになって……その事とちゃんと再び向き合うのに、二年近く掛けちゃうくらいには、どうしようもない奴なんだ。
でも、それでもさ。俺はこのグラントっていう人間と出会って、トミィやオルス、マソップ達に出会って、そしてアインクラッドの低層、中層でほんとに色んなプレイヤーと出会って。みんな歩む道はそれぞれだったけど、必死にこのデスゲームっていう逃げられない逆境に何とかして戦おうとしていてさ。ある人は戦って、ある人はアイテムを作って、ある人は誰かを愛してみて。……いや、そんな大層な事じゃなくたっていいんだ。
俺達、みんなアインクラッドで生きている。その事が、俺はどうしようもなく凄いことに感じるんだ。確かにここは俺達が生まれ育った場所じゃないけど、それでも簡単に人が死んでしまうこの世界で、でも俺たちは生きていて。たまにその思いがどうにもいかなくなって、人に手を掛けてしまうプレイヤーもいるけど……でも。それでも、俺はここで必死に暮らしている、アインクラッドの人間がみんな、大好きなんだ。
だから、俺はもっと、もっとこの世界を良くしていきたい。勿論現実世界に帰れることになれば、それは嬉しいことだけど、でもだからってこの住み慣れた世界と、そこで出会ったみんなとの事を、犯してしまった過ちとして消し去ったりしたくない。この世界の事を、ちゃんと人生の一部として肯定したいんだ。
少なくとも俺はそう、この二年間で学んだつもりだよ。本当に多くの事があって、NPCも含めてほんとに色んなつながりが出来て……だから、もしその事を知らない人がいたら手を差し伸べてあげたくて……。
……やっぱり話し過ぎちゃったかな。ごめんな。でも、最後にこれだけは言わせて欲しい。
俺はこの世界にやって来たことを、後悔していない。そして……みんなもその選択を迫られた時に、後悔しない選択をして欲しい。
無理に良く思えってワケじゃないんだ。否定するのもありだと思うよ。でも、もしみんなにこのアインクラッドを愛する気持ちがあって、そのかじ取りを俺と、そして俺にそういう気持ちを抱かせてくれたこのグラントって奴に任せても良いって思ってくれるなら……力を、分けて欲しい。
みんなで立ち向かえば、奇跡は起きるかもしれないから。起きるって断言はできないけど……でも少なくとも俺は、この世界で、このグラントと一緒に最後まで理不尽な現状に抗うって、決めたから。
……じゃあな、みんな。アインクラッドに生きる全てのプレイヤーが、幸せになる事を願って。
転移門広場は、しんと静まり返っていた。
街全体に鳴り響く鐘の音に何事かと飛び出してきた二千人にも上る現地プレイヤーは、しかし、直後にその場でシンカーによってそのハルキの録音音声を耳にする事となったのだった。
「……大丈夫っスかね……いや、マジで」
『(∵`)』
それを黒鉄宮から見守るのはグラント帝国の三人だった。トミィやオルスが心配の声を上げるのも無理はなく、その場は録音結晶の再生が終わってはや一分近く経ったというのに、未だ声の一つも上がらないのだ。
「……ぐぶ」
この鎖骨prpr女は平常運転である。今日も黒鉄宮の一室で角を陣取って、壁を向きながらシステムウィンドウを弄っている。
「……ぐぶぐぶ」
とは言っても、何の当てもない訳ではない。その手元はちゃんと、作戦の決行時の為にトレード申請先の指定をする為に対象となるプレイヤー名、つまりグラントとハルキの名前を探っていて。
そして、確信を持ったのだった。落武者男から作戦を聞かされた当初から疑問に思っていた、彼自身も再三言っていた、ストレージのパンク問題を、最終的なアイテムの放出口の役割を持つあの二人が、どう解決したのかを。
「爆ぜろ、リア充」
その時、広場で、ある言葉が、誰かの口から紡がれた。
それは一つの名前を意味していた。だがそれは「グラント」や、「ハルキ」といったような個人を差すプレイヤー名とは違い、また「黒の剣士」や「閃光」のようなSAOに存在するプレイヤーに対する呼び名とも、また違ったものであった。
それは一つの概念だった。アインクラッドに新たな変革をもたらす存在そのものを差す言葉だった。この世界を支配する「魔王」を打倒し、真なる異世界としてアインクラッドを確立させようとする、一つの希望、「王」に対する名称だった。
次第にその文句が周囲に広がり、それを口にするプレイヤーがあれよあれよと増えていくのを、トミィ達は部屋の窓から驚嘆の意を持って見下ろしていた。マソップはそこには加わらなかったが、やがて街全体を、あるいは第一層全体を揺るがすほどに大きくなっていったその声を聞いて、人知れずその口をにやりと歪ませたのだった……。
『ま かここま 、手こず と 、予 以上だ たよ』
敵の十字剣から放たれた無数の衝撃波が、まるでマップの半分を掃討するかのように炸裂する。
それは最早グラントにさえ名前の分からない片手直剣のソードスキルだった。現時点でキリトなどのトッププレイヤーが既に片手直剣スキルを極めていて、その種類を彼自身も嗜みとして把握していた筈だったのだが、現在目の前の聖騎士エネミーが放ってくるその剣劇は、片手直剣最上位ソードスキルである「ノヴァ・アセンション」の十連撃を遥かに超えた、二刀流のソードスキルと遜色ないレベルの連撃数を誇る凄まじい技へと変貌を遂げていたのだった。
「所謂……未公開ソードスキルってか……むぐぐ……!!」
視界全体が衝撃波のエフェクトに染まるが、一発一発が即死級の破壊力と状態異常を秘めている事から、背後のハルキに被弾させないためにも安易に回避が出来ず、その多くを盾で正面から防ぎきることになる。だがグラントは少し前から、敵の攻撃に正気とは思えない度合いのノックバックが付き始めている事に気付いていた。ある程度は衝撃を側面に逃がしきらないととても防ぎきれる代物ではない。
―――く、くそっ……!! まだまだこれからだ……っ!!
―――ちょっ、ハルくん!?
剣戟の波が過ぎ去ったのを確認すると、防戦一方になっている現状に歯噛みしたハルキがグラントの背後から飛び出して、猛然と茅場もどきの操る処刑用モンスターに突っ込んだ。どんなに相手に隙が生じている様に見えても、そんな推察がこの敵には通用しない事は彼女も重々承知であり、下手に攻撃部位などの読み合いをせずに、真正面から突っ込んで大上段から振り下ろす。
しかしその時、グラントは恐ろしいほどの違和感を覚えた。ゆらりと身体を震わせた敵が、しかし次の瞬間その動きを不自然に止めていたのである。先程の茅場AIの声と言い、どうも一度システムエラーを起こしてからというものの、向こうもどこか様子がおかしい様に感じてはいたのだ。ありていに言えば、どこか暴走状態にある様な。
―――ハルくん、避けろぉぉっ!!!
―――……っ!?
その直感のままに発したグラントの意思をダイレクトに感じたハルキは、慌ててその場をバックステップで離れる。
すると何と言う事だろう、彼女がコンマ数秒前までいたその場所で、突如としてソードスキルが足場に炸裂した際に発生する轟音が鳴り響いていたのだ。
―――ついに……ついに、グラフィックまで誤認させ始めやがった……!!
―――そ……そんな……うわっ!?
ハルキは突然、自分に向かって何かが迫ってきている事を、いつの間にか会得していた超感覚で悟って、されど回避も間に合わずに何とかその方面に向けてデルフィニウムを翳して防御態勢を取る。
直後に、全身の骨が全て粉砕するのではないかと思えるほどの振動が彼女を襲った。そして……敵の攻撃をもろに受けてしまったその深紫の剣が、何の余韻もなく光の破片となって消し飛んで行った。
ハルキの意識は急速に遠のいていった。愛剣の尊い犠牲のお陰でヒットポイントの全損は免れた様だったが、どうやら状態異常は装備を貫通してプレイヤーに作用する仕様の様だ、現在彼女にはアインクラッドに存在するありとあらゆるデバフが付いており、麻痺状態どころか指一本動かせる状態ではなくなっていた。
だが、その見えざる敵の攻撃に鞠の様に吹っ飛んでいたハルキの身体に、何かが突き刺さった。
―――ハルくんっ!! 掴まれ!!
かすかに残る触覚から自分に向かって飛び込んできたそれが、グラントの盾である事をハルキが感じた瞬間―――意識がすうっと明瞭になり、それがチャクラムのソードスキルを纏って彼女の身体ごとグラントの下へ舞い戻ろうとしているのが分かった。ラディウス・バックラーに付属する状態異常無効の効能を、むりやりハルキに投げて装備状態にさせる事で発動させたのである。
そして数秒後には、グラントは盾ごとハルキの身体を受け止めて、自身の片手直剣である「クサナギシンケン」を手渡していた。
―――これは……もうヤバいかもしれないなぁ……
―――………っく…………
敵は今もなお、先程の身体を震わせる姿勢のままである。相手の行動が視認出来ないというのは、プレイヤーとしてはあまりに致命事である。ハルくんがさっき発動させたような超感覚が今後も何回も上手く感じ取れるとは思えず、そもそも敵のスピードも上がりすぎてそれを発動させたとしても避けられるか怪しいのだ。
これ以上、ハルくんを前に出す訳にはいかない。グラントは思った。今現在敵の攻撃を無効化できるのは自分だけだ、それも上手く盾の基部に当たれば、の話である。ここまで来ると流石にグラントも敵の攻撃を無傷で捌き切れる可能性は限りなく低い。防御技術は高くても、キリトの様に反応速度が速い訳ではないのだ。
あと彼に残されている敵への察知能力は聴覚しかない。幸い相手はあれだけ大きな武器を扱っているのだ、何をするにせよ音だけは漏れてしまうはずである。
―――ハルくん、俺に掴まってて。この際状態異常を受けるのは仕方ない、俺の盾でどうとでもなるから、万が一君の方に攻撃が来た時の為に身構えといて。
覚悟を決めて、グラントはハルキを空いた右手で強引に背後へと押しのけると、そう伝えて盾を構え直す。彼女は不服そうだったが、流石に先程の被弾が応えていた事に加え、いつになく彼の口調が強かったことから、何も言い返さずに後方に回り、その盾男の服の後ろを手で掴んだ。
マップ全体に、先程までのとは明らかに違う、最上位級のソードスキルの発動音が鳴り響いたのは、その時だった。
『さて そ そろ、 わりにし う』
神聖剣最上位ソードスキル、「アカシック・アーマゲドン」。
それは先程までの未公開ソードスキルとは違って、連撃数で言えばたった十連撃しかない一撃重厚型の必殺奥義であった。
………それが、
「が……はっ」
グラントは宙を舞った。
初撃を聴覚で察知して受け止めた瞬間、彼はすぐにあり得ない速さで殺意が自分に向けて降りかかってきているのを感じた。あとは意識を自分に可能な限り加速させて、直感を交えながら盾を左右に振り分けたのである。
勿論、そんなやり方ではそのチート技が防ぎきれる訳もない。それでも意地でクリーンヒットだけは避け切ったものの、あまりのノックバックと貫通ダメージに耐え切れずについ先程のハルキの様に大きく吹き飛ばされてしまったのだ。SAO開始以来、グラントのガードが剥がされたのはこれが初めてである。
(回復結晶……起動させておいて、良かった)
そう、実はグラント、敵のソードスキルが発動する瞬間に、懐に忍ばせておいた回復結晶を使っていたのである。ダメージがガードを抜けてしまった際にその分を回復する為……といった程度にしか考えていなかったが、結果としてその判断は生死を分けたと言って良いだろう。
「グラント……っ」
そして、背中から地面に叩きつけられて転がり、漸く勢いの止んだ身体に鞭を打って、何とか後ろ手を地面に付けながら上体を起こしたグラントの目の前に、こちらもどうやら貫通ダメージを負ってしまったのかヒットポイントがレッドゾーンにまで落ち込んでしまっているハルキが横たわっていた。
「お、お前……ヒットポイントが……」
「そういうハルくんだって……ヤバいじゃないのさ」
それでも何とか立ち上がろうとした二人は、今度は突然何かに押さえつけられるように地面に叩きつけられた。後にSAOのコピーサーバーであるALOで須郷という男が行った様に、マップ全体の重力負荷が倍増されたのである。状態異常にかかっている訳でもないのに最早まともに動く事すらままならなくなってしまった二人は、同時に顔を合わせる様に地面に倒れこむ。
勝てない。この時、グラントとハルキは同時に悟った。
理不尽だ。あまりに一方的すぎる。こんな勝負、勝ち目があるはずもない。
(そりゃ、そうだよな。向こうはゲームマスターで、俺達はただの……プレイヤーなんだ)
グラントはこのアインクラッドを、本当の異世界にしたかった。
今の様に現実世界に付随しながらも隔絶された、自己満足的な異世界としてではなく、アインクラッドを現実世界と同等の立場の、双方に互換性のある異世界として確立させたかったのである。
そして、ハルキはその構想自体は未だ彼の口から聞き及んではいないものの、この世界を一つの現実として肯定し、その存在を維持させたいと願っていた。それは彼女自身がこの世界で学んだことであり、相棒であるグラントから託された意志そのものでもあった。
だが、それも所詮は二人のプレイヤーの考える戯言である。今まさに、その荒唐無稽な夢はゲームマスターの乱暴な暴力の下に舞い散ろうとして…………。
ピコン。
「…………ふふっ」
グラントは笑った。ハルキも、笑った。
その着信音が意味するものを、考えたのだ。
それは、二人の想いが、二人のものだけではなくなったことを示唆していた。アインクラッドに生きるプレイヤーが……アインクラッドが、まだ自分達を求めてくれている、ということを。
「……君の願いが、届いたんだねぇ。ハルくん」
「なーに。お前から教わった事だよ」
三十秒。その後に、彼等の共有ストレージに膨大な量のアイテムデータが送られてくる。メニューを開いて、結晶を送ったあの時点で予め組んでおいたタイマーを起動させながら、グラントはハルキの頭越しに例の聖騎士エネミーを見やった。
未だに表示はあれ以来完全に停止したままだ。だが先程の最上位ソードスキルは向こうも負担のかかるものだったのか、その場は水を打ったかのように静かだった。今すぐにこちらを追撃する、といった危険性は無さそうだ。
「……ハルくん、ありがとう」
無意識に喉を突いて出たその言葉に、彼女は不思議そうにこちらを見やって……そして、ぎょっと目を見開いた。
「お、おい、泣くなよ。男がそんな軽々しく泣いていいもんじゃないぞ?」
「か、返す言葉もない。
でも、嬉しくて。ここまで、一緒に戦ってきてくれて」
気付けばぼろぼろと涙を零していたグラントに、ハルキは苦笑いしてそう優しく諭して……続けて言った。
「なあ。教えてくれよ。お前の、本当の名前」
グラントはその言葉に一瞬、ぼんやりとした表情で相棒を見つめ返していたが、やがて意を決めたようにその瞳を覗くと、
「信田、玄太郎だったかな。グラントは名前に全く関係ないよ。……君は?」
ええ、関係ないのか、と驚いたように口をぽっかり空けたハルキは、しかし直後に自分も名を聞かれている事に気付いて、少し戸惑った末に、彼女にしては分かり易く顔を朱に染めて俯いた。
「……鈴風、春花。妙に女らしい名前が、ちょっと性に合わなくてさ」
ああ、そういう事だったのか。名前自体はハルカだったけど、気に入らなかったから一文字変えたんだね。カとキってカタカナ的にも隣り合わせだし。
「そうかなあ、涼しげで、良い名前だと思うけど。俺みたいな没個性的なヤーツじゃないし」
「……それって、単に『鈴』が入ってるからだろ、全く。
おあいこだから言うけどな、俺も……最近の変にかっこつけた名前よりかは、グラントのそういう名前の方が好きだよ」
「そ、そっか」
「うん……」
現在過重力によって起き上がることさえ出来ない二人は、上も下も星空に覆われたどこか幻想的なフィールドにて、横たわりながらその会話としている。それはまるで戦場での一幕とは思えなかった。多分……恐らく、二人とも察してしまっているのだろう。これが、この世界での、自分達の最後の会話になるのだろうことを。
だが、もう時間がない。グラントは可視化したままのウィンドウで、全アイテムオブジェクト化ボタンを押すべく表示をタップしてゆく。その様子を見守りながら、ハルキはふわりと微笑んだ。
「……グラント、また、会えるよな」
グラントはそれに、嘘偽ることなく答える。
「……データであるのはあのエネミーだけじゃない、このデバッグルーム全体もそうだよね。
だから、もし膨大なアイテムデータがこのデバッグルーム自体も崩壊させたら……その時、俺達は」
「分かってる。その上で言ってるんだ」
だがハルキは、そのグラントの口を人差し指で塞いで、繰り返した。
「……また、会ってくれないかな」
「……うん。必ず」
それは、果たされる確証のない約束だった。それでも……きっと、交わすことに、意味があると、信じて。
「必ずまた会おう。きっと、会いに行くよ」
その言葉にハルキが笑顔で頷くのと同時に。
―――こちらこそ、ありがとう、グラント。お前は、誰よりも強くて、優しい、俺の英雄だったよ。
グラントは、ボタンを押した。
「こ……これは……!?」
「ど、どういう事っスか!? いやマジで」
「ハルキおねえちゃん……グラントにいちゃん……!?」
アインクラッド第一層、はじまりの街。
数秒前に街のプレイヤー達と力を合わせてアイテムをグラント達に送ったグラント帝国のギルメン三人は、次の瞬間に起こった不可解な現象に目を疑った。
消えているのだ、パーティーメンバーから、メッセージの送り先から、なんならギルドメンバーの名簿から。
グラントとハルキの二人の名前が、システムウィンドウの如何なる項目からも、消滅しているのである。
「……『生命の碑』を、確認するZOY」
口調はいつものそれだが、声音は珍しく震わせているマソップのその言葉に、三人は弾かれたかのように黒鉄宮の中心部に位置する、プレイヤーの生死の記された石碑、『生命の碑』に足を運んで。
「き……消えてる……だと……!?」
何と。
「Grant」と「Haruki」の文字が、その名簿から完全に消え去っていたのである。
「ろ……ログアウトしたって事は考えられないっスか、いやマジで……」
「…………」
その場でへたり込んで、泣き崩れてしまうトミィに、未だ現実が受け入れられないオルス、そして事態を把握できずに混乱するマソップ……その三人を、現地プレイヤーを引き連れてやって来たシンカー達が見て、声を掛けられずに立ち尽くしている時。
そのアナウンスが、アインクラッド中に響き渡った―――――――――
『ゲームはクリアされました――――ゲームはクリアされました――――ゲームは――――』.