SAO (シールドアート・オンライン)   作:ニモ船長

42 / 88
 
「俺、すっかり泣き虫になっちゃったよ……アスナ」


グラント「エンディングまで泣くんじゃない」

キリト「違う、そうじゃない」




第八話 父と娘

 

 

 浮いている筈の自分自身が、浮いていると認知出来なくなる。

 突如として五感による認識が切断されたような感覚に陥ったハルキの脳はそれを、浮遊の終わり……つまり落下と捉えたらしい。ほんの一瞬前までグラントに委ねていたその身体が、直後に底のない奈落に投げ出されるような感覚に襲われて、彼女はきつく目を瞑った。

 しかし、それもほんの一瞬の事である。上下覚が直角に変わり、先程まで自分が前を見ていた筈の目線が、輪郭が朧げながらも天井方向を向いている事実に気がついた時、ハルキ/春花は自身の感覚が乱暴に再接続されていくようなショックを覚えて身震いする。

 

 

 (い、一体何が……っ!?)

 

 

 詰まるところ、アミュスフィアの回線が強制切断されたのだ。

 SAOに閉じ込められた当初、多少の時間差はあれどプレイヤー全員が意識を失う事件があり、後にそれはデスゲームに囚われたプレイヤー達のリアルの身体が病院に搬送された事によるものだとされていたが……あの時の体験に似ている物を感じ、思わず自分が再び仮想世界に囚われたのではないか。

 そんな不安に思わず、大きく目を見開いて。

 

 

 「えっ……な、どうして……!?」

 

 

 そこには、ここにはどうあってもいる筈のない……いや、いてはいけない人間がいた。

 ベットの傍らには、眉間に震える程にしわを寄せた厳しい表情の秋ノ介……つまりは春花の父親が立っていたのだ。

 

 

 「ち、ちょっと、そんな急に電源を抜いたら、春花が」

 

 

 すぐ後に聞こえたのは、恐らくこの部屋の主である芹沢の声だろう。視界の内にはいないものの、玄関の扉の開閉音に続いて、こちらに駆け寄ってくる足音からもそれは明白だった。

 だが秋ノ介はそんな彼にギロリと剥いた目を向けると、一喝する。

 

 

 「娘を誑かすなと言ったはずだ、芹沢」

 

 

 怒号が狭い部屋の中を反響して耳に唸って伝わる。それだけでも現在秋ノ介がいかに激怒しているかが一目瞭然であり、芹沢も思わずその開いた口を閉じて硬直するのみだった。

 

 

 「二度と娘と私の前に顔を出すな。こんな機械など」

 

 

 そして、彼は春花がその頭に取りつけているアミュスフィアを力任せにひったくると、その場で叩き壊そうと大きく振り上げた。突然乱雑に頭からそのゴーグル型の機械が外されたことに春花は呆気に取られていたが。

 ……しかし次に自分の父親が何を使用しているのかを即座に看破した彼女は。

 

 

 「なんだ、その手は」

 

 

 ……振り上げられた父親の腕に、必死に組み付いてその破壊を阻止しようとしたのだった。

 

 

 「春花、もう一度、聞くぞ」

 

 

 そんな自分の娘の有様をまるで信じられないものを見るような目つきで睨みつけながら、怒気を孕ませた声で秋ノ介は、問う。

 

 

 「なんなんだ、その手は」

 

 「やめてくれ、親父」

 

 

 だが次の瞬間、その厳然とした彼の表情に、わずかに戸惑いの色が浮かんだ。

 たった今目の前で自分に縋りつく娘の瞳に、うっすらと涙が称えられていたのだ。この類の機械のせいで長い間死と隣り合わせの生活を強いられていた筈の娘が、それを否定するどころか、それを案じて涙を浮かべているのだ。

 

 

 「……お願いだ。やめてくれ」

 

 

 そしてそれはやはり聞き間違いではなかったようだ、秋ノ介はいよいよ内心混乱を抑えきれなかった。まるで彼女が、自分の手の届かないどこか遠くへと離れて行ってしまったような、そんな感覚。

 一気に身体から力が抜け、彼は上げた手をだらりと垂らすと、しばらく虚空を見つめて茫然としていた。それを怯えと罪悪感の混じったような気持ちで春花は見守っていたが……やがてその父親はアミュスフィアをベッドに放り出してその場を数歩離れると、玄関へと歩き出しながら吐き捨てる様に言ったのだった。

 

 

 「来い、春花。これから二度とここへは来るな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 社宅に芹沢ごと置き去りにして、父と娘は車に乗って道場への帰路を辿っていた。

 その間、二人の間には一切の会話も交わされることはなかった。その代わり秋ノ介の口はまるで引き千切れるのではないかというほどにきつく結ばれており、春花もあまりの突然の破局に心がついて行っていないのか上手く目の焦点を合わせる事が出来なかった。

 だが、やがて車が実家のガレージにて停まり、彼女が下車したその瞬間……その胸倉をすさまじい剣幕で秋ノ介が掴み上げた。

 

 

 「お前は何を考えてるんだ、この馬鹿娘が!!」

 

 

 そしてそのまま娘を引きずるようにして自宅の玄関を開くと、その中に彼女を突き飛ばすように押し込んだ。

 

 

 「ただでさえ得体のしれない事をしているとは思っていたが、とんだ親不孝者だな! よりによってあんなものにまだ手を付ける気なのか!!」

 

 

 都会の様に猥雑としていない辺り一帯に、屋内でのものであっても関係なくそれは響き渡っただろう。放られたことによる身体の痛みに細められていた春花の目が、鼓膜にまでびりびりと伝わる父親の激昂にさらに閉じられる事になった。

 

 

 「親父、黙っていた事は本当に悪かった、だけど」

 

 「黙れ、口答えするな! お前の話は聞きたくもない!」

 

 

 それでも必死に事情を伝えようとする春花の腕を引くと、秋ノ介はそのまま靴も脱がずに道場まで彼女を連行する。そしてその大広間で電気も付けずに一礼も忘れて踏み込むと、その場に彼女を強く叩きつけた。

 

 

 「春花、お前が何を考えてるか知らんが、その考えは断ち切らせてもらう。あれはもう無縁のものだとお前が理解するまで、徹底的に思い知らせてやる」

 

 

 そうして秋ノ介が倉庫から竹刀を一本取り出してきたのを、春花は唖然として見やっていた。今までも彼の厳しい指導に何度も苦しんだものだったが、今回はそれとはわけが違う。こんなものは指導でも説教でも何でもない、ただの暴力だ。

 

 

 「ちょっと待ってくれ、親父……うわっ!?」

 

 

 直後に飛んできた剣先を、春花は慌てて意識を切り替えて回避する。父親に純粋な怒りと共に剣を向けられた事に並々ならぬ衝撃を覚えながらも、取り敢えずはどうすればこの場を収める事が出来るのかを彼女は必死に考えようとした。

 彼女だって、父親に伝えたいことがあるのだ。それを見出すためにALOに降り立ったというのに、これではまるで意味がなくなってしまう。まずは何とかして、彼に冷静になってもらう必要があった。

 

 

 (でも、こんなの、どうすれば)

 

 

 再び振られた竹刀を何とか身をよじって躱したところで、しかし春花は気付く。

 もしこれが本当に父親が自分に危害を加えようとしているならば、その剣筋はもっと速い筈だ。先の試合で彼女は奇跡的に優勢でいられたものの、あれはそもそも秋ノ介が手加減をしていたことが要因として大きい。彼が本気を出せば自分なんてものの一瞬で地に沈むに決まっている。

 だが今も春花は剣を避けることが出来た。つまり今の父親は本気を出してはいない……いや、違う。出せていないんだ。

 

 

 (……つまり、まともに剣が振るえないほどに、親父は感情的になってるって事か)

 

 

 そう意識して目の前の父親を見ると、先程までは委縮してしまって見て取れなかった彼の様々な感情が、何となくではあるものの春花に伝わってきた。

 まず当然ながら、彼は怒っている。自分に黙って、自分の強く嫌うVR機器を陰で使っていた娘にひどく失望している。

 そして、彼は戸惑っている。恐らくSAOでの彼女の日々が悲惨なものだったと推測しているであろう彼は、それにも関わらず再び仮想世界に飛び込んだ娘の内心が理解できなくて混乱しているのだ。

 そうして……ああ、そうか。

 

 

 (親父は、自分が許せなくて仕方がないんだ。あの日ナーヴギアを買ってきてしまった事。そして、またVR機器を使った俺を理解できない事。

 俺の事を考えて行った行動が、全て裏目に出て……それがやりきれなくて堪らないのか)

 

 

 娘の為を思って購入したナーヴギアは、彼女を限りなく死の危険に近づけた。

 恐らく彼のVR機器に対する感情は、彼自身の無念さに加えて、負の過去を抱える事になった娘を気遣う意味合いも含まれていたのだろう。だが、実際の彼女のした行為は……彼の意図と真逆のものだったのだ。

 すべてが空回りしていた。父親が父親として娘を気遣おうとすればするほど、結果として事態は悪化してしまう。その事が、そんな自分自身の事が、親父は許せないんじゃないか。

 

 

 (そっか。そうだよな。……だったら)

 

 

 だったら。春花は身震いした。これから彼女が行おうとしている事は、極めて勇気を要するものだ。それに覚悟も必要だ、恐らくそれには今まで体験した事のない痛みを伴うだろうから。

 でも、それは俺がやるべきことだ。彼女は思った。今まで父親と面と向かって話すこともせず、惰性的に今日まで過ごしてしまった自分が、娘として彼に見せることの出来る、最大限の誠意だ。

 

 

 「……ごめんな、親父」

 

 

 ……そう思った春花は、全身の力をスッと抜いて、甘んじて父親の剣を受けたのである。

 

 

 「――――――っ!?」

 

 

 あっと叫ぶ間もなく、春花の身体を焼きごてをあてられたかのように激痛が走った。左肩に炸裂した父親の力の籠った一撃が、そのやや華奢な全身を軋ませて、その際に生じた息を詰まらせ呼吸を忘れさせるような衝撃が彼女をその場に昏倒させた。

 

 

 「…………は、」

 

 

 唐突に感じた手ごたえに、秋ノ介も驚いて我に返った様だった。無論それまでの記憶がないなどと、そんな無責任な事を言うつもりはなかったのだが。

 だが、それでもやはり現在目の前に広がっている光景が、自分によって引き起こされたものだとは到底思えなかった。いや、信じたくなかったのだ。

 彼の目の前で、彼の娘が、左肩を押さえて蹲っていた。その目はきつく瞑られ、まるで何か拷問を受けたかのように荒い息を吐いて苦しんでいた。

 

 

 「……は、春花」

 

 

 秋ノ介は竹刀を投げ捨てて、まるで先程とは打って変わったかのように蒼白な顔で娘の下へ走り寄った。そしてその力ない彼女の身体を抱きかかえると、まるで壊れた機械の様に呟くのだった。

 

 

 「すまなかった、すまなかった。ああ、春花。すまなかった」

 

 「……あ、親父……はは」

 

 

 あまりに親として、あるまじき行為だった。娘に理不尽に当てつけて暴力を振るってしまった。大の男の力でまだ成長しきっていない年頃の女性の身体を打ち据えたのだ、当然無事でいられるはずがない。そのあまりにも短絡的で衝動的な自分の行動に、秋ノ介は一気に冷めた頭で今まで以上の自己嫌悪を抱き、春花への贖罪の気持ちで心を支配させた。

 そう、元より彼女とあの二年間についてもっと詳しく面と向かって話し合っていれば、こんなすれ違いなど起きなかったのかもしれないのだ。

 

 

 「いや……俺の方が……卑怯だったから……でも、親父」

 

 

 だというのに。

 自分にひどく痛めつけられたはずのその娘は、必死に痛みに耐え忍びながら、その父親の背中をひしと抱きしめて……そして震える声で告げたのだ。

 

 

 「……俺も、寂しかった。二年間、寂しかったよ……!!」

 

 

 ―――それだけで、秋ノ介の目から、怒りの代わりに涙が溢れるのに充分な理由足り得たのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「どうだ、食えるか」

 

 「……ん、大丈夫。右肩は痛くないし、左もすぐに治ると思うから心配しないでくれよ」

 

 

 場所は変わって、ここは春花の寝室。

 秋ノ介の一撃を左肩に受けた彼女だったが、どうやら脱臼等の内的な損傷からは免れていた様で、それでもなお自分で立とうとする春花を秋ノ介が背負って彼女の部屋まで運んだのが三十分前のこと。それから病気を患ったわけでもないのにお粥を作って部屋まで持ってきて、相変わらずのぶすっとした顔のまま横たわる自分に食べさせる父親の過保護っぷりに、思わず春花の顔には苦笑が浮かんでいた。

 

 

 「そうもいかない。お前は腐っても女だからな、身体に傷跡が残っては良くない。……少しひやりとするぞ」

 

 「うん。ありがと」

 

 

 その言葉の後に、春花の左肩の上に秋ノ介が用意した氷袋が添えられる。

 これが本来の秋ノ介である事を春花はよく知っていた。物言いも投げやりで、殆ど笑みを浮かべる事のない男だが、母親が早くに亡くなっているその環境から春花は殆ど男手一つで育てられたのであり、その中で秋ノ介が自分の事を溺愛し、極めて大切に想っている事を春花も久々と感じてきたのだ。

 そして今、その酷く不器用な父親は、春花の安静にしている左手をそっと取って、ぼそぼそと呟く様に話し始めたのだった。

 

 

 「……お前の意識が戻らない間、俺はこうしてお前の手を握って無事を祈っていたよ。頭に電流、だったか……を受けていないとしても、何日も目を覚さないお前を見ていると、本当に死んでしまった様に何度感じたことか。

 だが、手を握れば、その暖かさで分かるんだ。お前が生きている事を。お前が、俺の知らぬどこかで、それでも何とか生きながらえている事をな」

 

 

 春花はSAOに閉じ込められた当事者だが、それでは実際にあの異世界で何をしていたかと言えば、はじめは混乱したり投げやりになったり、彼女自身も自暴自棄になったりしながらも……最終的には前を向いて、自分の置かれた境遇の中で楽しさや意義を見出して生きていた。

 だが、現実世界に残された人々はどうだろうか。どう考えても自分の親しい人間が目覚めない状況に、希望や楽しさを見出す事など出来るはずもない。彼等にとっては、大切な誰かがいつ死ぬかも、いつ息を吹き返すかも分からない余りに漠然とした日々の中で、無力感だけを募らせた二年間だったに違いないのだ。

 だからこそ、春花と秋ノ介の間には、その年月に対して、決定的な認識の違いが生じたのである。

 

 

 「……春花。お前はさっき、あの機器を壊さないで欲しいと言ったな。

 だとすれば、何故あの機械に二年間を奪われたお前が、まだあれに執着するのか、俺にはそれをお前の口から聞く権利が……いや、この際だ、そういうものはよそう。

 教えてくれ。お前は、この二年間で、何を見てきたんだ」

 

 

 それは秋ノ介にしては随分と柔和な物言いで、春花もそれに思わず面食らった。だがその表情は真剣そのものであり、それに対してはもう包み隠すことなく、全てを語る必要があると彼女は感じていた。

 大丈夫、困った時はきっと……俺の心の中にもいて、あの世界でももう一度会うことの出来たあいつが、背中を押してくれる。

 

 

 「分かったよ、親父。全部、話すから」

 

 

 そうして、春花は二年間で起きたことをすべて……自分が道場の門下生を置き去りにしてしまった事から、途中で世にも奇妙な集団の一員として奔走する羽目になった事や、その中で不条理な世界でも力強く生きていく心構えを学んでいったこと、そしてそれをもって臨んだ戦いの後に生き別れてしまったその門下生と再会し、最終的には世界の支配者と刃を交えた事……そのすべてを、まるで夢を見ているかのような心地で父親に語ったのだった。

 

 

 

 

 「刃物で斬られてもさ、痛くないんだよ」

 

 

 「ぺいん何とかっていうシステ……まあ装置みたいなのがあってさ、あの世界じゃ痛みがある程度抑えられてるんだ」

 

 

 「だから、死に対する危機感みたいなものも薄れていく。そりゃ、茅場はゲーム内で死んだら現実でも死ぬ、って言ってたけど、あくまでそれを確認する方法は俺たちにはなかったから。

 ……だから、人殺しを生業とする集団が出て来たりもした」

 

 

 「でも、そういう奴らばっかりな訳じゃなかったんだぜ?

 俺と同じくらいの年齢なのに、多くの大人から攻略の希望って祭り上げられて、必死に期待に応えようと頑張ってる奴もいた、そういう奴を何とか孤立させない様にって場を盛り上げようとする大人もいた。

 ……そして、そういう強さが絶対化される世界で板挟みに遭う人達を救いたいって、茅場に直談判した奴もいた」

 

 

 「みんな、ほんとにいい奴で、たまに嫌な奴もいたけど。

 でもそれは、この現実世界と何ら変わらなくて。現実だろうが仮想だろうが、人同士がどう繋がって、そこで自分がどうあるべきかを考えるって意味じゃ、本質的に何も変わらないんだって思った」

 

 

 「現実と変わらないから、自分にとってあの世界も現実だって思ってたからこそ……あの世界で、この俺が、恋までしてたんだぞ? ……気付いたのは最近だけど」

 

 

 

 

 秋ノ介は、その一時間以上にわたる春花の言葉を一切言葉を挟まずに全て聞き終えると、「そうか」と一言だけ頷いて頭を垂れた。そうして、布団に包まったまま最後まで話し合えて疲れた表情を見せる春花の頭をやや無遠慮に撫でる。

 

 

 (……あ)

 

 

 数ヶ月前に同じようにあの盾男に頭をくしゃくしゃにされた事を思い出して、春花は少しだけ頬を染める。その様子を見て、あの男勝りの自分の娘が本気で誰かに恋をした事を思い知った秋ノ介は、

 

 

 「……すまなかったな。てっきり俺は、お前が芹沢を慕っているのかと」

 

 「芹沢さんはすごく良い人だけど……俺には勿体ないよ。

 それに、憧れが恋に変わる事はあっても、憧れ自体は恋じゃないんだ」

 

 

 そう言い切った自分の娘が、自分の想像を遥かに超えて成長している事に気付いたのだった。

 

 

 「なあ、俺はさ、そんなに悪い話じゃないと思うんだ。芹沢さんの、あの話」

 

 「……あの機械を使って、道場を立て直すという、あれのことか」

 

 

 やや探るような様子で、されど春花は続ける。

 

 

 「親父がこの二年間、俺の為にすごく辛い思いをしたっていうのは理解したつもりだ、さっきの一太刀で骨にまで染みたよ……はは。

 だから、無理にとは言わない。でも俺がこの二年間で味わったように、仮想世界に入ったからって人生が無駄になるわけじゃないと思うから。どこにいたとしても、大事なのは」

 

 「自分自身がどうあるか、だったな」

 

 「ああ」

 

 

 そこまで言ったところで、春花は目をしょぼつかせる。どうやらかなり夜も更けてきてしまったらしい、それに気付いた秋ノ介はおもむろに浴衣の襟を正すと、春花が完食した食器を纏めてその場で立ち上がる。

 

 

 「何か不都合があればいつでも呼べ。俺は隣の居間で寝る」

 

 「分かった。ありがとう」

 

 

 そうして確認を取って彼はそのまま部屋を出ようと襖を開いて。

 最後に一言だけ、呟いた。

 

 

 「お前は、強い娘だな」

 

 

 「……親父の子、だからな」

 

 

 そしてそれに、春花は不敵に笑って返したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「それじゃあ、みんな、アミュスフィアを被ってねー」

 

 「「「「「はーい!」」」」」

 

 

 2025年、1月17日。グランドクエスト挑戦から六日後の正午前の事である。奥多摩の山奥に立つ木造の道場に、門下生である子供たちの黄色い声が響き渡った。

 

 

 「それにしても、こんなド田舎に回線なんて届くもんなんだなあ」

 

 「おいおい、テレビは見られているんだから、ネット回線の一つや二つ敷くのなんて訳ないさ」

 

 

 こればっかりは芹沢の言う通りである、大体二年前に既にここでナーヴギア環境を整えられたんだから、大丈夫に決まってんだろハルくん。

 秋ノ介があれだけ嫌悪していた筈の道場のVR環境への進出を不承不承ながら了承したのは、彼が娘と和解したあの夜から丸一日が経った後の事だった。その間道場を春花に全て任せて自室に閉じこもっていたその師範は、しかし稽古が終わり門下生達が帰宅するその瞬間に徐ろに道場に顔を出すと、終始苦々しい顔を崩さずに皆に言い渡したのである。

 今後この「鈴風流武蔵野伝水漱館」は、芹沢の提言を受け入れ、VR環境で武道教室を開く事を前向きに検討する、と。

 

 

 「それにしても、変わってないんだなぁ、僕がここを去ったのは五年以上前だからなぁ……あの頃は僕も高校生だったっけ」

 

 「……その、本当にありがとうな。破門までされたって言うのに、うちの事を真剣に考えてくれて。

 でも、ここみたいに知名度の低い道場と提携を組んだって、誰も相手にしないんじゃないのか?」

 

 「……いやいや。最後がちょっと後味悪かっただけで、僕だってここで十年近くは親父さんに鍛えてもらったんだからね。恩はしっかりと返さないとさ。

 それに春花、それは真逆だよ。流派の違いなんて新規で武道を習いに来る人にはよく分からないだろうし、むしろここみたいな他にはない特色を持っている流派と組んだ方が話題性があるから、今回の話はうちとしても好都合なんだよ」

 

 

 ああ、春花はやはり思った。この芹沢という男は、基本的に誰を乏しめたりせずに義理も大切にする良い人だが、どこか内心打算的で感情よりも理論で動いている節がある。もちろん今回の話は鈴風流にとっては渡りに舟な案件であり、そんな状況で彼にその褒めているんだか貶しているんだか分からない言葉を口にする訳にもいかず黙っていたが。

 これが大人、って事なのかな。俺も大人になれば、こういう風に常に多面的な思考を持つようになるのだろうか。

 

 

 「……ねーちゃん、はるねーちゃん!!」

 

 「わっ……なんだよ、どうしたんだ?」

 

 

 ぼんやりと思考にふけっていた春花が気がつくと、いつの間にか彼女の前に一人の少女……はじまりの街にて春花/ハルキが置き去りにしてしまい、後に再会することのできたあの少女がやって来て、彼女の名前を呼んでいた。

 

 

 「どうした、じゃないでしょ! はるねーちゃんも早くあみゅす……? かぶるんだよ!」

 

 「アミュスフィア、な。ああ、分かった、じゃあ今親父呼んでくるからさ、ちょっと待っててくれよ」

 

 

 現在、芹沢の勤める会社、レクトがこの道場に提供するVR空間の下見をする為に、秋ノ介と春花、そして芹沢の計らいによって門下生の子供達も含めて全員にアミュスフィアが貸し出されており、それを用いてこの場で全員一斉にフルダイブを行う予定だった。どうやらまだ仮想現実に対しての忌避感から、そして芹沢との確執から振り切れていないらしい秋ノ介が道場に顔を出していないようなので、春花は小さくため息をついて父親を呼び付ける。

 すると、それから数十秒の後に、まるで手負いの兵士であるかのようにゆっくりと、ゆっくりと秋ノ介は道場に姿を現した。余程芹沢に対して気まずいのだろう、苦虫を噛み潰したかのような表情で、しかしそれでもむすっと背を剃り返してゆっくりと歩く父親の姿に再び大きく嘆息した春花は、つかつかと彼の元に歩み寄るとその手を掴んで強引にこちらへと引き寄せる。

 

 

 「ほら、早くしてくれよ! 子供じゃないんだから」

 

 「む……少々腰を痛めてだな」

 

 「俺にあんな腰の入った一撃入れといてよく言うよ、全く」

 

 「……むむ」

 

 

 出たー、家族水入らずの容赦ない切り返し文句である。それを言われちゃさしもの秋ノ介も黙って従うしかない。ハルくん扱いが上手である。

 そうして、仕方なく芹沢の元へと連れられ、彼と相対した鈴風流の師範は……しかしようやく覚悟を決めたのか、彼の目を真正面から見据えて、言い渡す。

 

 

 「勘違いするなよ。俺はお前を許したわけではない。娘がお前を信じて欲しいと言うからこそ、俺も娘を信じる事に決めたまでだ。

 ……だが、今回はお前の事も含めて、俺が責任を取ってやる」

 

 

 要は芹沢の提案を受け入れると言っているのである。その随分と周りくどい言い方に、春花と芹沢はお互いこっそりと笑って肩を竦めた。

 

 

 「……ありがとうございます。任せてください。

 僕が、この道場を立て直してみせます」

 

 

 元門下生のその返答に秋ノ介は微かに眉を上げると、春花から差し出されたゴーグル型の機械……アミュスフィアを受け取る。

 

 

 「ししょー! はやくー!!」

 

 

 そして、その子供達の声に応じるように、父親とその娘は、広い道場の間取りの中で横一列に並んでいる彼らの一番端に並ぶと、そこに横たわって……手にしていたVR機器を頭に被った。

 

 

 「じゃあ、みんなは先に向こうにダイブしていて下さい。一応戸締りとかを確認した上で、それぞれのアミュスフィアの稼働の様子をチェックして……そしたら、僕も後を追いますから」

 

 

 春花はそれに頷くと、その場でアミュスフィアを被る子供達と父親に合図を送る。せっかくなので皆で一緒にあの合言葉を言おうという魂胆だった。

 

 

 「親父、大丈夫だからな。俺は……ちゃんと、隣にいるから」

 

 「……ああ」

 

 

 そうして、彼女達は一斉に言ったのだった。

 

 

 

 

 

 「リンク・スタート!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……だが、それを口にした春花は、その直後にふと自分達を見守る芹沢を見て。

 その彼の雰囲気の変貌ぶりに、ざわりと違和感を覚えた。

 

 

 (…………っ!?)

 

 

 彼は、先程までの柔和な面持ちとは打って変わったかの様に、その瞳に底冷えした冷酷な光を称えていた。そしてその口を不気味に歪ませながら目の前の彼女達を見下ろしていたのだ。

 

 

 (一体、何を………――――――)

 

 

 だが、それはほんの刹那の疑問だった。

 なぜなら彼女の五感は、次の瞬間には現実世界から引き離されて……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「今日も来ないなぁハルくん」

 

 「パイセンがハチ公みたいになっててワロタ」

 

 

 同年、同日。現実世界においては既に日が沈んだ時刻、されどアルヴヘイムではちょうど正午くらいの時間。

 そんな中で、以前にグランドクエストに挑戦した状況のまま、グラントはアルンに留まって酒場エリアにてマソップと暇を潰していた。

 

 

 「パイセン、一体どうしたんだぜ。ALOの問題を解き明かすどころか、もうかれこれ一週間近くはここでヒッキーしてるだけじゃねーか」

 

 「うん……まあそうなんだけどさ」

 

 

 足をブンブン振りながら煽るに煽りまくるテーブル越しのマソップに、しかしグラントはらしくない弱った表情を浮かべてもごもごと口を動かす。

 

 

 「……何か、ハルキニキに言われたんだぜ?」

 

 

 その質問に、グラントはどう返すべきかかなり困っていた。

 あの日、ハルキと奇跡の再会を果たしたあの日、彼はその元相棒から思いもよらぬ告白を受けたのだったが……それが紡がれた直後に、彼女はどういう訳かこの仮想世界からログアウトしてしまったのだ。それ以来一度も彼女は、一度も再びこの世界に降り立つことはなく……そして現在に至るのだった。

 まあ、その告白の事は現時点で誰にも打ち明ける気にはなれなかったのだが……だが、グラントにはそれをおいても一つ懸念があったのだ。

 

 

 「いや……何か、変な事に巻き込まれてないといいけど」

 

 「なぜそう思うのだぜ?」

 

 「あの時、ハルくんはアバターを残留させる事なくログアウトしてた。

 おかしいんだよ。基本的に自分の所属する種族の領地以外の場所でログアウトしたら、それ専用のアイテムを使わない限りはさっきも言った通りアバターが一定時間残る筈なんだよね。でもそこに例外があるとしたら、それは多分」

 

 「外部の別の人間による、回線の強制切断」

 

 

 なぜ、このALOにおいてログアウトしても一定時間のアバター残留が存在するのか。

 それは、プレイヤーにログアウトという行為を無制限に認めてしまうと、今度は戦闘中にピンチに陥ったり、盗みを働いて追われたりといった状況で、ログアウトを利用したお手軽な脱出方法がまかり通ってしまうからである。そうなってしまえば、ゲームとして設けられた行動の選択肢や、それを実行する際のプレイヤースキルを完全に無視して、いかにログアウトを要領よく行うかという本来のゲーム性を無視したプレイングが出来上がってしまい、プレイヤー同士におけるゲーム内での「公平性」が損なわれてしまう。

 だが、逆に考えて、もしプレイヤーが自分の意思とは無関係にALOのログアウトを余儀なくされた場合はどうだろうか。突然アルヴヘイムからはじき出され、されどアバターはその仮想世界に残留する。再びログインした際には、既にキルされているか略奪に遭っているかもしれない。それはそれで本人の意図にまるで叶っておらず、また先程とは別の意味で「公平性」が失われていると言える状況ではないだろうか。

 つまり、ALOにおけるログアウト時のアバター残留には、それを踏まえて一つだけ救済措置が存在するのである。すなわち、回線が強制的に切断された際は、プレイヤーがアルヴヘイムのいかなる地域にいても即座にそのアバターは消滅する、という。

 

 

 「だからあの時ハルくんが、彼女以外の誰かによって、無理矢理ALOからログアウトされた事は間違いないんだよね。

 そうだよなぁ、よく考えたらSAO生還者が、こんなに早くまた仮想世界に戻って来られる可能性は極めて低いよなぁ」

 

 

 そのグラントの言葉が、現在におけるSAOと、SAOから生還したプレイヤーを取り巻く厳しい現状を物語っていた。彼だって神代博士がいたからこそこのALOへのダイブを家族に認められているのであり、どう考えても二十歳以下であるハルキを含め未成年者は、再び仮想世界に目を向けるものなら即効で保護者から猛反対を受けるに決まっているのだ。そして二年間もの年月の間、彼等に心労や苦労を掛けてしまった生還者達が、基本的にはそれを跳ね除けるだけの言葉を持ち合わせている筈もないのである。

 

 

 (……でも、あんな事言われちゃったら……何とゆーか、放っておけないじゃないか)

 

 

 だが、現時点でグラントとハルキの繋がりはこのALOにしか存在しない。現実世界で会える見込みもまるでなく、彼はこの場を離れてアルヴヘイムの他の地を訪れるべきか、またはもう少し待ってログインした彼女と話してからにするか……それを決めかねているのだった。

 

 

 「そうは言っても悠長な事言ってらんねーぜ。一応、パイセンから頼まれた通り、ALOのコミュニティサイトに写真はばら撒いておいたが……」

 

 「うむ、ご苦労」

 

 

 だが、マソップが実体化させた一つの写真……彼女がグラントから譲り受けた、写真用アイテムによって撮られたスクリーンショットの一枚の、解像度をある程度上げた版を机に置くと、グラントもその眉を少しだけ潜める。

 

 

 「……アーちゃんだよねぇ」

 

 「アーちゃんだな常考」

 

 

 恐らく、あの金色の光を撮った際に入手した写真だった。その発光部分の解像度を上げると、どうやらそこに鳥かごの様なオブジェクトが存在している事が分かったのだった。

 そしてその中には、断定する程に決定的な証拠ではないにしても、見る人が見れば瞬時に分かる亜麻色の髪の少女……アスナの姿が映っていたのだ。流石に個人を特定しかねない画像である為、マソップによってその彼女の輪郭のみ画質を更に荒くする特殊加工を施したのだが、それでも……例えばあの世界で彼女の夫であった彼などからすれば、そんな小細工はまるで無意味なものだろう。

 

 

 「ぐぶぐぶぐぶ、少なくともこれで、一部のSAOプレイヤーの昏睡状態と、ALO含め運営するレクト・プログレスに何らかの関係があるのはほぼ確定的だって捉えられるんだぜ」

 

 「うむ……あとはトミィ氏含む三百人のプレイヤーを、ALOのどこに隠しているか、かなぁ……世界樹の上、って言う可能性もなくはないけどさ……」

 

 

 そう。

 この時、まだこの二人は理解していなかったのだ。確かにこの段階において、事件の被害者は未だ目覚めぬSAOプレイヤーのみであっても。

 だが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と言う事に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……パイセン」

 

 「どーしたマソップ嬢。……え、どうしたの」

 

 「パイセン、心して聞くんだぜ。今、情報が入ってきたんだけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハルキニキが……VR機器を被ったまま、家族と数人の児童と共に昏睡状態で病院に搬送されたらしい。

 今日の午後に発見されたそうだけど、それまでに数時間の間……自宅でそのまま、放置されていた可能性が、あるって」

 

 

 




アスナ「エンディングだぞ、泣けよ」

 
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。