―――夢を見ていたような気がする。
長い夢を見ていたような、そんな気がしていた。
それは何とも奇妙な毎日だった。とある洞穴にて宝箱から飛び出してきたある男と出会った事をきっかけとして、気付けば自分の周りにはお世辞でも普通とは言えない変人たちが集まって来ていて、そして彼等と一緒に多くの出来事を体験する事になったのだから。
その落武者男を始めとして、全身鎧ずくめで恐ろしくフットワークの重い男……いや少年。優秀な戦士で比較的まともな思考の持ち主なのに、言語が通じなくて何言っているのか分からない外人。常に予想の斜め上の発言をこれでもかと宣う引きこもり少女。
そんな仲間達と過ごした時間が、とてもかけがえのないものだったのを覚えている。彼らだけじゃない、この世界に来てから初めて出来た同性の友人である細剣使いや、彼女のパートナーにして最終的に世界の希望となった黒の剣士……その他にも、数えきれない人々との思い出が今、自分の胸の中でささやかな疼きとして残っている。
だけれども。もしそれが、全て偽りだとしたら。すべては自分の思い描いた、空想の産物だとしたら。
(嫌だ)
もし、次に目を覚ました時、自分がまだ、全てが始まる前の……あの盾男と出会う前の、あのホルンカの宿の一室で一人でいたとしたら。
隠しログアウトスポットとして噂されていたコボルドの巣穴にまだ行っておらず、それからの出来事が全部、自分の妄想に過ぎなかったとしたら。
まだ、あの時離れ離れになった彼女を、救えていないままだとしたら。
(……嘘だ)
―――何故そんな風に思えてしまうのか。
自分自身でもよく分からなかった。確かにそれらの記憶は、既に自分の中では過去のものへと……思い出として、胸の中で今でも鮮明に覚えているのだ。
でも、それは今、自分が手にしているものではない。既に自分の手元から、両腕から……時間の流れに従って溢れていってしまったもの。
あれ?
俺は今、どこで、何をしているんだ??
(……俺は)
見えるって、何だった?
香りって、どんなものだった?
聞こえるって、何だったっけ?
触れるって、どんな
……
(言わないぞ、怖い、なんて)
何もかもが漠然として、上手く現状を把握できない。意識だけは失われていないが……それだけだ。まるで、自分が世界そのものになってしまって、誰もそこに踏み入ることが出来ないような。夢と現実の区別が、付かなくなってしまっているような。
(……そうだったとしても、全て夢だったとしても)
それでも。
それでも……譲れないものがあるのだ。どうしても、忘れる訳にはいかないのだから。
十分な意味を込めることを考えずに、ただがむしゃらに剣を振っていた昔の自分とはもう違う。今は、そこに……語り切れないほど多くの気持ちを込めているのだ。
(………そうだ、前に気付いたじゃないか)
あの世界で見た景色、
嗅いだ香り、
聴いた音、
触れた感覚。
その全てが、今の自分の中に宿っている。その正体が夢であろうが何であろうが、あそこにいた全ての人間と共に感じたそれは、まぎれもなく自分が生きていた証し。
そして、それらを胸に秘めて、戻ってきた現実世界でも、まだ生きていかないといけないのだ。
(そうだ。俺は、まだ………!!)
そう、彼女が自覚をして、強く念じたその時。
「――――ここは………ぐっ!?」
気が付くと彼女………ハルキは、どことも知れない建物の中で立ち尽くしていた。だが、突如として再接続された五感に意識がついて行かずに、思わず大きくよろめいてその場に蹲ってしまう。
「あ、あれ? 俺は、何をしていたんだっけ………?」
記憶が混濁していて、上手く状況が把握できない。どの思い出が、どの順番だったのか……そう、思わず自分の身体を見下ろす。
そして、その身に纏っている、あのラベンダー色のドレスを見て。一瞬で、それは順序立って彼女の脳裏に収まっていった。
そうだ。あの世界が終わりを迎えた後、俺は何とかしてグラントを会おうとALOにダイブして。それでようやく会えて、その……気持ちを伝えたところで、親父にそれがバレて。
(それでもなんとか親父を納得させて、みんなでVR空間の下見に……そうだ、みんなは!?)
未だ上手く動かない身体に鞭を打って、ハルキは周りを見渡した。
先程建物の中と言ったけど、仰いで見れば天井はどうやら吹き抜けになっていて、そこからは仄かに星空が光っていた。その星明かりとドームの側面に付けられた燭台の炎によって内部が照らされていて、周囲がどうやら赤い色が基調のドーム状の構造になっていることが分かる。
そしてそれと同時に、その筒状の壁の端、ハルキから見て向かい側に、あの時共にVR機器を被った子供たちと、彼女の父親が時を同じくして目覚めていたのが確認できたのだった。
「お、親父!? みんなも……どうなってるんだ、ここが……」
慌てて駆け寄り、全員がその場にいて目立った支障がない状況にある事を確認すると、ハルキは再度周囲を見渡して、やはりその表情に浮かぶ困惑の色を深めた。
「ここが……俺達に与えられた、VR空間……なんて訳はないよな……」
「春花、お前にも分からないのか……?」
その父親の言葉に振り返り、改めて彼とその場の道場の門下生達の姿を眺めてみると、彼らの着ている服……というより装備は、彼女がアルヴヘイムで一人のインプのプレイヤーとして身につけていた初期装備とよく似ていて。
「……それじゃ、ここはALO、なのか……?」
「ご名答。流石に春花は勘がいいね」
その場の空気に似つかない軽やかな声に、ハルキは声の聞こえた方へと振り返る。
「……芹沢さん」
先程までは誰もいなかった筈のそこには、現実世界での彼のスーツ姿そっくりの見た目をした、あの芹沢が立っていた。
そして、そんな彼を見るハルキの目にも、並々ならぬ困惑が宿っている。なぜなら、彼女が最後に見たものは、普段は温厚な雰囲気の持ち主だった筈の彼が見せた、一瞬の冷笑だったから。
「芹沢、お前、何をした」
「まあまあ師匠。怒るのは後に取っておいて下さいよ。そんなんじゃ後が心配ですね。
でも安心して下さい。あなた方の身体は現在、最寄りの病院に受け入れられて、現在も医療スタッフ達に厳重管理されている筈ですよ。まるで」
そこで、芹沢は一言区切ると……宣告するように次の言葉を言い放った。
「まるで、SAOプレイヤーのように、ね。
因みに、今君たちが被っているのは
ハルキは目の前の男が何を言っているのか、すぐに理解できずにいた。それでは、今までの彼の振る舞いは一体、何だったというのだ。数年振りに帰郷して、自分のALO入りに協力して。この場の全員分のアミュスフィアを用意して。
それらの全てが、欺瞞だったというのか。全てはこの状況を作り出すための演技だったというのか。
でも、何のために?
「僕がやったのと同じような手口で……つまりは日本各地のSAO生還者の下へとレクトの一部の社員がクライアントの振りをして忍び込んで、VR空間を提供する体で彼等を仮想世界に引き込む……そういう手口で、今後も少なくない数のサンプルがこのALOに送り込まれてくるはずだよ。
君達はね、レクトが秘密裏に行っている、脳の思考、記憶操作の研究の実験体としてこの世界に閉じ込められているんだよ。…………表向きはね」
鼓動が早まって、上手くその言葉が何を意味するのかを考えられない。だが、やはり……やはり目の前の、かつてのうちの門下生が、実は人道にもとるおぞましい計画の一端を担っている事だけは嫌でも認識できてしまう。
だが。本当に恐ろしいのは、そこではなかった。
「でも、それは定義としては春花、君だけが該当する。
何せこの中でSAO生還者は君だけだからね。あとのみんなを引き込んだのは僕の独断だよ。
…………君達には、破滅してもらいたくてさ」
「……芹沢!! お前は!!」
その悪魔的な一言に誰よりも速く反応したのは、流石と言うべきか一家の長たる秋ノ介だった。元々芹沢に良からぬものを感じていた経緯もあってか、まるで態度を一変させた芹沢に怯える子供たちの横で立ち上がると、彼の前まで詰め寄ろうとして。
そして、直後にその場で、まるで巨人に殴りつけられたかのように地面に叩きつけられたのだ。
「が……はっ」
「親父!?」
「んー、これが重力魔法ねぇ。試しに個人対象に打ってみた訳だけど……なんか暴力性に欠けるなぁ。動きを止めるのには良い感じかな」
つまらなさそうにそう吐き捨てた芹沢は眠そうな足取りでその秋ノ介の下へと歩み寄ると、右手を縦に振って出現したウィンドウを操作すると、その手に大型の斧を実体化させる。
「やっぱり、こういう方が僕の性分には合ってるんだよね。特にあなたには、いつかこうして報いを受けさせてやりたいって、ずっと思ってたよ」
「せっ……芹沢さん、やめっ……!?」
「システムコマンド、ペインアブソーバー、レベル4に」
そう淡々と言葉を続かる彼が次に何をするのかを察したハルキが顔色を変えてそう叫ぶが。時すでに遅し。
芹沢は、手にした斧を両手で振りかぶり、うつ伏せに横たわる秋ノ介の右腕にその刃を叩きつけたのだ。
「――――――っっ」
その凄惨な光景を間近で目撃することになった子供達から悲鳴が上がる。声のない苦悶に秋ノ介の身体がビクリと跳ねて、その後も何度も痙攣するかのように震える。そんな彼の右腕が、宙を舞ってハルキの足元にまで転がってきて………その場で光の破片となって飛び散った。
ペインアブソーバーとは、基本的には仮想世界内において生じる痛覚を和らげるための装置だが、その効能を逆に使えば痛みを現実世界と同一のものに引き上げる事も出来る。そして、そのレベルは1から10まで存在するが、完全遮断のレベル10に対して、レベルが3まで下げられると現実世界においても強い影響を及ぼしてしまうという。
そして、今回はレベル4だ。それは芹沢の凶行が、ただの酔狂ではない事を如実に表していた。
「師匠、あなたは知っていましたよね。僕が、それまで何の汚点もなく、順調に人生を過ごしていた事を。
不動産経営の裕福な家庭に育って、何不自由なく育ってきた。学業だって常に優秀であろうとしましたし、道場でだって常に模範であろうとした。
だけど、あなたは何のためらいもなく、そんな僕をあの場から追い出した」
不気味なほどにその口調は穏やかだ。だがよく聞けば、その声音は溢れ出るかのように怒りに震えている。その事が、ハルキには只々恐ろしかった。
「あれから、僕の人生がどうも狂っちゃったんですよね。東京の大学に出たっていうのに、全く調子が上がらなくて、いつの間にか放校されて。なんの前触れもなく社会に投げだされて、金のやりくりのせいで僕にはまともに飯を食う暇も、剣なんか振る暇なんてまるでなかった………この、レクト・プログレスに拾われるまではね」
失った右腕の接合部から走る痛みに、その言葉に反駁する余裕すらない秋ノ介の後頭部を、芹沢はさらに左足で思い切り踏みしめる。その力加減は流石に頭が破裂する程ではないものの、彼が足に力を籠めるたびにゲーム特有のズガンという炸裂音が辺りに響き渡る。
「だから僕は、もう一度やり直そうって思ったんですよ。キャリアもない僕なんて最初は下っ端も良いところでしたけど、沢山汚い真似して同僚を蹴落として、何とかあの須郷って男に取り入って。
そうして、何とかして
須郷さんはさっき、レクト本社を去りましたよ。誰彼を殺すって物凄い形相で呟いてて、明らかに正常な精神状態にはなかった。今なら、あいつに成り代わることが出来る」
そこで一旦言葉を切ると、芹沢はその口を歪ませた。だがそこから乾いた笑いが漏れ出る事は無く………次の瞬間、彼は叫んだ。
「システムログイン、ID、
直後。そのアバターが光に包まれ、やがてまるで違う外見に様変わりしたのだ。
カールにした長い金髪を白銀の円冠で止め、濃緑のゆったりとした法衣のような衣装で全身が包まれている。その羽根はエメラルドグリーンの蝶の様な形状をしており、通常のALOプレイヤーの羽根とは明らかに異質なものだった。
「須郷さんの腰巾着として探りを入れ始めて二年。漸くさっきアカウントを乗っ取ってみたら、どういう訳か権限が失効されてるし、これでもGM特権を組み直すのに苦労したんだよ? それにしても須郷さん、こんな成金みたいな衣装で趣味が悪いなあ」
そう嗤う芹沢の顔も、既に現実の彼の造形ではなくなっていた。鋭い鼻梁に切れ長の目、作り物特有の温かみのない端正で美麗な顔立ちを……しかし今、何とも言い知れない負の感情を滲ませながら大きく引き攣らせていて、まるで心霊写真の歪んだ顔の様な狂気を思い起こさせる。
「そう言う訳で、今後は僕がこの世界を乗っ取る。須郷さんにはあくまで
分かりますか師匠。あなたに引き裂かれた僕の人生は、もうすぐ再び立ち直るでしょう。でもその前に……また優秀な僕に戻る前に、あなたに落とし前を付ける必要があるんですよ」
「……その為に、お前は教え子や、娘を巻き添えにしたのか」
漸く荒い息を吐きながらも、漸くその一言を絞り出した秋ノ介は、続けて鼻をふん、と軽く鳴らす。そして事もあろうに、こう続けたのだ。
「やはりお前のような輩は、道場から追い出して正解だったな。俺だけじゃない。お前の事など、誰も必要としてくれるものか」
芹沢は表情を消した。まるで爆発の直前の一瞬の空気の収束の様に顔からスッと色が消えたかと思うと……直後に、今度はまるで別人の様に思い切り衝動に任せて、左手で秋ノ介の背を掴み上げながら右手で斧を大きく振り上げて。
「五月蠅いなあ」
そして、今度は秋ノ介の胴を切断せんと、その斧が振り下ろれ……。
「…………もう、やめてくれえぇっっ!!」
……なかった。
なぜなら、その瞬間に、まるで弾丸のように突進してきたハルキが、その芹沢の斧の柄を掴んで彼ごと後方に押し込んだからである。
「お、っとっと。……なんだ、春花か」
「なんで……なんでだ、芹沢さん」
おどけたように開いた左手で垂れたオベイロンとしての金髪を分ける芹沢の前で、涙に瞳を滲ませたハルキがまくし立てる。
「芹沢さんは、最後にダメになったかもしれないけど、あの道場じゃみんなに認められてたじゃないか! 誰よりも強くて、誰よりも優しくて……それが、どうして」
「は?」
だがその訴えはかつての先輩の心にはまるで届いていなかったようだ。そんな彼女に煩わしく思うように頭を振ると、斧を掴んでいた右手に力を込める。
「あのね、そんなの当たり前なんだよ。僕がそうしたくてそう振る舞ってたんだから。行った行動に対する、当然の帰結なの。
だっていうのに、破門されてから、僕は思い知ったんだよ。どんなに手繰り寄せようとしても、上手くいかない事があるって、自覚しちゃったんだよ。だから、それからは昔みたいに気持ちよく堂々としてられなくなった。君が言う優等生を演じるだけのモチベーションがなくなっちゃったんだよ。
おかげで、今まで最悪の人生だった」
そして、右腕を強振する。
どうやらGM権限の復活したオベイロンはステータス優先度がかなり高めに設定されている様だ、それだけでハルキは理不尽なまでのノックバックを食らってその場で大きく弾かれてしまう。
「うぁ……っ」
「というか、春花はやっぱり、随分僕をひいき目に見ていてくれたんだね、もしかして」
そうしてその場で蹲る彼女に。
「もしかして、僕の事、好きだったの?」
違う。ハルキの息が止まった。
それは違ったんだ。
だけど、当時は? 物を深く考えずに、ただ憧れを追いかけていただけの、幼い頃の自分は?
「……ふふっ。春花は可愛いなあ」
耐えられなかった。
それは、あの頃の彼女に対する、最大限の侮辱だった。良くも悪くも無知だった自分が、今の今まで彼の思うがままに弄ばれていた事の象徴。
「例えばさあ、何で君がALOにログインしてる事、そこの親父さんにバレたと思う? それに、僕の社宅に押し掛けたって、親父さんは鍵とか持ってないんだから押し入る事も出来ない筈だよね?」
……そんな彼女に向けて、更なる厳しい現実が降り掛かる。
「あれだってさ、告げ口したの僕だよ? 娘さんがうちで、事もあろうにまたVR機器を被ってるって。
そして押し掛けてきた彼を部屋に招き入れたのさ。そうすればきっと、君は親父さんとちゃんと話して、事を上手く進めてくれるだろうって思ったのさ。
加えて、君に社宅で貸してて、今も被ってるあのアミュスフィアも、初めからただ君のナーヴギアの外見を弄っただけ。自分が如何に今まで多くの嘘に気付かなかったか、これで分かるだろ?」
そうなのだ。初めからこの男は、自分を利用する気だったのだ。ハルキは悟った。どうせあの頃と大差ないだろうと端からたかを括られて、それに俺もまんまと引っかかってしまったのだ。
どうしようもなく悔しくて、恨めしくて、やりきれなくて、そして……悲しくて。
「……僕が憎いかい?」
これ以上、彼の言葉を聞きたくなかった。だが、今逃げ出したら父親と子供達はどうなる。
そう、何とか気を持ったハルキは、動揺で上手く目の焦点が合わないのも厭わずに、それでも必死に立ち上がって。
……そんな少女の腹部を、芹沢の斧が深く抉った。
鞠の様に大きく吹き飛ばされ、ドームの壁に背中から大激突したハルキは、先程の父親のようにものを言う事も出来ずにその場に落下し、横たわった。その華奢な腰にはドレスの上から赤いダメージエフェクトが痛々しく刻まれている。
「……ほら、やっぱりあの頃と同じだ、バカだなあ。
君じゃ、僕には勝てないのさ」
「芹沢、これ以上娘何をする気だ……?」
「いやね師匠、あなた僕が彼女に手を出してないか、気にしてたなぁって。
お望みどおり、この場で彼女を辱めたら、どんな顔をしてくれるのかなって。安心してください。どうせあなた達はうちの研究の被験体にされるんだから。いずれは何もかも忘れさせて、僕の奴隷にでもしてあげますよ」
「貴様ッ!! 娘に……娘に手を出したら……!!」
溜めていた涙が両目から溢れ出るのを感じながらも、もうハルキに立ち上がる力は残されていなかった。
(そうだ―――俺はあの世界では剣士でも。現実世界では、剣は扱えても何の力も持っていない、ただの弱い子供だった)
だから、俺は……春花はハルキでいたがっていたのか。剣を修めたって何も変えることの出来ない現実世界で、自分の無力さにどこか辟易としていたんじゃないか。あの世界、あの浮遊城でなら、仲間と共に苦難を乗り越えた一人の剣士としていられたのにって、考えなかったとは言えないんじゃないか?
(そうだよな。俺は春花に戻ってから、逃げてばっかりだった。親父にも、自分自身にすら本当の気持ちを隠して……。
俺はそんな現状を何とか打開する事しか考えてなかった。後先考えずに突っ走って、事態をより悪い方向に運んでしまったんだ)
これは罰なのかもしれない。誰彼の為と優秀ぶって、ヒーローの様に扱われることに甘んじた俺が運命への抗い方を誤解した結果、芹沢を無条件に信じ、親父に歯向かって、門下生を含める多くの人間をトラブルに巻き込んでしまった、そのすべてに対する、罰。
そうだとしたら、俺がすべきことは、罰を受け入れる事。抵抗せずに、運命に屈する事。
―――諦めるって事かい?
そういう訳じゃないよ。辛くても、耐えるしかないんだ。
―――どうして辛いのに、耐えなきゃいけないのかね?
だって、俺のせいで、親父やみんなが苦しんでる。俺が甘かったせいで。
―――それは
……被害者ズラ?
―――前に言ったはずだよ。「諦める」か、「立ち向かう」かしかないって。でも、その選択を迫られている時点で……君はまだ被害者じゃなくて、運命と戦っている戦士なんじゃないかな。
そんなこと言われたって、どうすればいいか、今度こそ俺には分からないんだよ……。
―――俺は君を守ったり、助けてあげられるような大層なヤツじゃないけど……でも、俺は知ってるよ。君は「立ち向かう」人間だ。苦しい人や、悲しい人がいたら、迷わず彼等の為に戦える、底なしの良い奴だ。
……俺は、もう一回、やり直せるのかな。
―――だーかーら! それはなんかちがう! やり直すんじゃなくて、
―――全く、ハルくんは今まで何を見てきたんだか。良いかい、一度道を決めたら、どんな理不尽な決定でも最後まで突っ走るのが、バカの矜持ってもんだぜ!!
そうだ。
俺が親父の頑固さに向き合わず、芹沢の社宅でALOにダイブしなかったら。そうしたら道場を立て直す道筋も経たず、アルヴヘイムで彼とも会えず、心の整理も出来なかった筈だ。
それに今後の事だって、別にレクトが大手だというだけで、VR環境を提供してくれる企業は他にもあるかもしれない。元よりうちは苦境に立たされていたんだ、提携を組んでくれるところを一から洗って探し出すくらい覚悟の上だ。
(……はは。そうだな。
あの世界で学んだ、一番大切な事を忘れてたよ)
ハルキは、鈴風春花なのだ。他の誰でもない。彼女自身そのもの。剣士だろうが弱い子供だろうが、そんなものは自分の人生を切り開くにあたって何の関係もない。その過程で窮地に陥ったとしたも、その業と責任を背負う事になったとしてもなお、立ち止まらずに強引に打開するまでのこと。
瞼の裏で瞳に光を取り戻す。横たわり、目を瞑ったまま、気付かれないように、悟られないように、右手をゆっくりと握りしめる。
そして、遂に芹沢の手が自身のドレスに掛かった瞬間。
「……芹沢さんの、言う通りだよ」
ハルキは、その拳を全力で、かつて憧れた男の顔面に向かって振り抜いた。
「俺はバカだ!
バカだから、前を向けるんだ!」
……恐らく芹沢は伊達にレクトで働いている訳ではなく、システム関連にはそれなりに知識はあったのだろうが、実際にVR空間に触れる機会はそこまで無かったのだろう。少なくとも二年間デスゲームに囚われていたハルキとは、その経験値に雲泥の差があった。
そんななので、すっかり忘れていたのである。ペインアブソーバーの設定が、
「―――がっ……!!」
途端に顔面に走った爆発するような痛みに、芹沢はその場で大きくのけ反り、数歩後退する。その隙にハルキは立ち上がり……そして、首元に付いていた花の装飾を、邪魔に思ったのか毟り取った。
それはまるで、「あなたを信じて待つ」という紫色のアネモネの花言葉から、自身を解放させるかのように。助けを待つだけの存在から、自らの手で運命を切り開く、真の戦士となるかのように。
「……そうそう、それでこそ」
そして、その直後。
慌ててたたらを踏む芹沢に、側方から何か板状のものが叩きつけられた。思わず横にすっ飛ぶ彼に代わってハルキの前に落ちたそれは、彼女自身も見覚えのある丸盾。
「それでこそ、ハルくんだよ」
彼女はその盾を拾うと、振り返る事なく声の聞こえてきた方へとそれを差し出した。すると数秒の後にはその重みがなくなり、自分の横に人が並び立つのを感じる。
「そりゃ、どうも。相棒さん」
そして、今度は逆に
一瞬、ちらりと横たわる父親と不安げにこちらを見る門下生の子供達を見た。その中にはあのアインクラッドで生き別れてしまい、年月の果てに再会できたあの娘もいる。
(見ててくれ、みんな)
これが、剣士ハルキだ。横にいる相棒から教わったバカの矜恃を宿す、運命に抗う鈴風春花の
「行くぞ、グラント」
「うんにゃ。行こう、ハルくん」
……決戦の火蓋は、落とされようとしていた。
マソップ「紫色のアネモネの花言葉は『あなたを信じて、待つ』」
マソップ「ちょwwwフラグクラッシャーwww」