SAO (シールドアート・オンライン)   作:ニモ船長

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第十七話 ちゃんと、恋をしよう。

 

 

 「……誰かは知らないけど、ここに姿を見せたって事は、このプレイヤー達の仲間なんだろ、君?」

 

 

 目つきを鋭くした芹沢はそう言うと同時に、再びそこに可視化したままにしていた、GM用のシステムウィンドウを操作する。

 

 

 「だったら、同じように無力化するまでだ。颯爽と助けにやって来たところを悪いけど……黙っていてもらうよ」

 

 

 そして、その妖精王は目の前にいる突然の乱入者に向けて、状態異常のデバフを掛けるGM操作を行使した。

 ……ああ、だけれども。

 

 

 「……効かねぇよ、泥棒の王様さんよ」

 

 

 そう、B級ホラーの悪役みたいに顔を歪めて、ねっとりと言い放つのは、何故か自分は何もしてねぇグラントである。

 だが事実、その妖精王のコマンドは、目の前の男性プレイヤーには一切の影響を及ぼしていなかった。

 

 

 「……何……!?」

 

 

 これには流石の芹沢も明らかな焦りを見せる。さっきまでグラントに対してだけ自身の命令が通らずにやや苛ついていて、それでも何とかその盾男を無力化したと思ったら……また。

 だがそう思いながらも、その内心を強靭な意思で抑え込み、見かけは眉を顰めるのみに留めていた芹沢は……しかし、次の瞬間目の前の少年が発した言葉に、その表情を驚愕に染める事になる。

 

 

 「え、えっと、システムコマンド! IDオベイロンの無敵属性を解除! あと、ペインアブソーバーを周囲のプレイヤーと一律に変更!!」

 

 

 すると、シャラン、と乾いた電子音が芹沢の周囲で鳴り響いて。いやな予感のした芹沢が慌てて自身のステータスを表示していた自身のシステムウィンドウから覗き込む。

 

 

 「……き、貴様……僕に」

 

 

 消えていた。無敵属性も、自身のみ遮断していた痛覚壁も。

 彼をGMたら占めていた筈の属性が、どれ一つとして損なわれてしまったのである。

 

 

 「僕に、何をしたああぁぁっっ!!」

 

 「システムコマンド!!」

 

 

 だが、初めて聞こえたその芹沢のあからさまな怒号を耳にしても、その黒衣の少年……を纏った少女の、次なる大号令が、紅玉宮のドームに響き渡る。

 

 

 「ALO全域の全プレイヤーの、ログアウトボタンの……復旧!!」

 

 「お……おのれぇぇっっ!!」

 

 

 ここまで追い詰められてしまっては、今度こそ本当に詰みである。芹沢は何とかしてそれを阻害しようと、エクスキャリバーを構えて、目の前の男……「キリト」に向かって一撃を加えようとして。

 

 

 

 

 

 

 

 「させるかよ」

 

 

 

 

 

 

 ……その間に割って入る、ロングヘアーのなびく一人のプレイヤーに、さらにいきり立つ事になる。

 

 

 「ぐ……グラントおおおぉぉぉっっっ!!」

 

 「アインクラッド!! まだ俺を、俺達を覚えてるなら!!」

 

 

 だが、ここまでに既に一つのウィンドウ操作を終えていたグラントの左手に……新たな、光の収束が宿った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「もう一度だけ!!

 俺に力をくれぇぇっっ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは、彼が今まで芹沢のGMコマンドから免れる事の出来た、考えられる唯一の理由で。

 それは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()アイテムで。

 ホロウ茅場との戦いで唯一アイテムオブジェクト化から免れていて、今の今まで文字化けして彼のストレージの奥底で眠っていた。

 彼が、あの世界が終焉を迎える、その瞬間まで腕に通し続けていた――――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……へへ、ありがとな。

 俺の、()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――ラディウス・バックラー。

 あの鋼鉄城にて、本来茅場晶彦の手にするはずだった、「全状態異常完全耐性」を付属したS()A()O()()()()()が、ほんの一瞬だけその場で具現化して、芹沢の繰り出したA()L()O()()()()()を打ち壊したのである。

 

 

 「ばっ……バカな、バカなああっ!!」

 

 

 そして、次の瞬間には、その日輪を思わせる白金色の盾は、ALOのカーディナルシステムにバグアイテムとして感知されたのか、グラントの手から光の粒子となって霧散していく。

 だがそれに気を取られる事なく、グラントはその場で横に飛びのいていた。何故なら、そこには……彼の背後で、その巨大な黒剣を上段に構えた、「キリト」がいるのだから。

 

 

 「……これで終わりだよ。妖精王、オベイロン」

 

 

 その決定的な瞬間に、芹沢は見た。目の前の黒衣の剣士の瞳が金色に灯り、その剣に横たわるALOプレイヤー全員から溢れ出る意思を収束させていくのを。

 幻覚だ、そんな事があろうはずがない。最強無二の武器を失った芹沢は、ゾクリと本能的な恐怖を覚えながら、一歩後ずさる。そんな仕様がプログラムされているなんて聞いたことがない。この世界で、システムを無視した現象が、起こる筈がない。

 だが……聞こえるのだ。彼等の声が。彼等の、一体化した意志が。

 

 

 ―――行け。

 

 ―――行け!

 

 ―――行け!!!

 

 

 

 

 

 ―――行けぇっ! 黒の剣士!!!

 

 

 

 

 

 

 

 「でぇりゃあああああっっっ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 「が……あ……っ」

 

 

 SAOから引き継がれた、キリトとしての高ステータス。

 リアルでの鍛錬で鍛えられた、直葉の剣筋。

 その二つが極限にまで昇華された、先程のハルキの居合斬りを凌ぐ絶技に……芹沢の胴は真っ二つになり、その場で大きく宙を舞った。

 そして、たった一撃で、その満タンだったヒットポイントを、全損させる。

 

 

 「お……のれ……くそ……!!」

 

 

 やがてボトリと地に叩きつけられ、しかし身体を両断されている為に動くことすら出来ない彼が次に見たものは……状態異常から回復し、一人、また一人と立ち上がってゆくALOプレイヤー達だった。

 

 

 (……怖い)

 

 

 彼はその消滅までの一瞬の思考で、唐突に感じる。

 そうだ。怖かったのだ。いつ誰かに上回られてしまうか、背中を常に気にして過ごしてきた人生。

 本当は、自分でも分かっていた。自分が、いつかは必ず頂点から引きずり降ろされる、そういう類の弱い人間である事を。そしてその時……仮面の剥がれたその時、それまで尊敬のまなざしを向けていた筈の人間たちから、侮蔑の視線を向けられてしまう事を。

 だから、完璧であろうとしたのに。常に先鋭的であろうとしたのに。あの秋ノ介という男は、いとも簡単にそんな自分のプライドを打ち砕いた。

 

 

 (……僕はもう、終わったんだ)

 

 

 やがて自分が倒れ伏した地面の感覚がなくなり、その場から消滅した事を感じた芹沢は、しかし再び管理者としてその場に戻ることを諦めて。

 

 

 

 

 (……せめて、()()()()()()()()

 

 

 

 

 ……理性を、完全に放棄する選択をしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……終わった、のか」

 

 

 そう言って、力が抜けたようにその場に座り込むグラントは、その視界の前にいる「キリト」に向かって、こう呼びかけた。

 

 

 「……まさか、お兄ちゃんの身体だエヘヘヘ、とか思ってないよね」

 

 「え、ふええっ!? そそそ、そんな訳ないじゃないですか!!」

 

 

 ……いやね? お兄ちゃんどうしてたっけなぁとか言いながら、剣を左右に切り払って背中に収めながらニヤニヤしてたら、そりゃね?

 因みに彼女に関して一体全体何が起きたのかというと。先程マソップが言っていた、神代博士の「メッチャ頑張れば一人くらいはログアウトさせられるかもしれない」という情報を利用して……リーファをALOから現実世界に送り届けたのだ。そして、リアルに戻った直葉が隣の部屋にある、兄の和人が使用していたナーブギアを被って……「キリト」として再ログインしたのだ。

 ヒースクリフの権限を持っているからこそ、閉鎖されているALOにもログインすることが出来るし、あのキリトがアスナを救うべく須郷と戦ったインスタントマップから、ロスト・アインクラッドの紅玉宮に行くことも造作ではない。……ただ、和人と違ってあんまりそういう方面に詳しくないせいか、少々操作に手間取ったらしいけど。

 

 

 「……ご苦労だったな、グラント」

 

 「……サク姐。そっちも、お疲れさん」

 

 

 さて、話を戻して。そんな感じでテンパる、自慢の懐刀を苦笑いして見つめながら、グラントの横に立ったのはサクヤだった。そして優雅にその右手をグラントに差し出して、彼を引き起こす。

 

 

 「これで、本当に良かったのか……少し、複雑な気分だな」

 

 「……うん」

 

 

 監禁されていたSAOプレイヤーの救助。それ自体は人道として当然正しく良い行いだっただろう。そこにはサクヤも異論がない。

 だが、今回の事で、ほぼ間違いなく世論はフルダイブ型VR市場に対して非難を激化させるだろう。言い換えれば、自分達で仮想世界にとどめを刺してしまったようなものなのである。

 

 

 「でもサクヤちゃん、ここにいるプレイヤーは誰も、その事を後悔はしてないと思うナ。

 だって、色んなゴタゴタがあったとしても、みんなが好きなアルヴヘイムは……誰かを理不尽に傷つけたりしない、そういう世界の筈だヨ」

 

 

 だが、そこに軽やかな足取りでやってきて、グラントの胸をコツンと叩いてそう言ったのは、ケットシーの領主、アリシャだった。

 

 

 「……そうだな。俺達も、一度種族としてのありかたを見直す必要があるのかもしれない。無為な諍いが起きない、今よりより良いアルヴヘイムを作っていく必要が、な」

 

 

 そこに大股で豪快に歩み寄って来るユージーンも加わる。今まではほぼ敵対関係にあったと言えるシルフ・ケットシーとサラマンダーのトップ達が、その様に穏やかな合意に達した姿を、その場の他のALOプレイヤー達は驚く様な、だけどどこか納得するような面持ちで眺めていた。

 

 

 「ぐぶぐぶぐぶ、とはいっても、ここにいるのは所詮三種族だけ。現在アルンで待機中のインプのプレイヤー達は差し置いても、あと五種族もの勢力にそれを呼び掛けていくのは大変ってもんだぜ常考」

 

 「……まあ、ぼちぼちやってみようじゃないの」

 

 

 確かに、その神代マソップの指摘通り、現在日本国内でもトップランクのシェアを誇るALO全体にその、言わば暗黙の同盟関係を紡いでいく道を提示するのは……極めて困難だろう。ゲームというのは基本的に現実世界では出来ない事を行える場でもある。悪役のロールプレイをしたい人間だっているし、どんな理由があろうとそのような他人のスタイルを捻じ曲げる権利は誰にもない。

 だが、グラントは思う。そう難しく考えるから面倒くさいのだ。言い換えれば、脱領者として種族のしがらみから解放されている自分が世界を旅して、アルヴヘイム中のプレイヤーと交友を深めていくことが出来れば、いつかは。

 

 

 「……君は、もしかするとこの世界に今、最も必要なプレイヤーなのかもしれないな」

 

 

 そう、微笑んで呟くサクヤに、グラントも開き直って胸を張って応じた。

 

 

 「……おかしいよ、グラントにいちゃんがかっこいい」

 

 「トミィ、そういうのは言わないであげるのが優しさなんだよ、覚えておいてな?」

 

 

 いい雰囲気を全力でぶち壊すトミィの久々の煽りに、横に立ってその視界の先の落武者男を見守っていたハルキはため息交じりにそう返す。そして、その横の少年の背中を、行っておいで、と言うかのように押す。

 すると、トミィは振り返ってハルキに笑いながら頷くと……その全身の鎧をガチャガチャ言わせながら駆け出して行った。

 

 

 「……ごめんな、親父、みんなも。俺が、みんなを巻き込んだんだよな」

 

 「……春花」

 

 

 それを見届けると、ハルキは踵を返して、壁際で身体を寄せ合っていた、門下生の子供達と父親に向かって、頭を下げた。

 

 

 「でも、分かって欲しい。これが、俺達の、仮想世界での生き様なんだ」

 

 

 ちょっと大げさな気もする。というのも、この戦いにも参加せずに、のんびりと時間を過ごしたいと考えるプレイヤーだってALOにはいる筈だからである。みんながみんな、向き合わないといけない運命に立ち向かっている訳ではないのだ。

 だから、強制はしない。逃げる事自体を悪く言いはしない。けれども、そんな人間に手を差し伸べることの出来る人間に、ハルキはなりたかった。

 

 

 「……かっこ、よかったよ」

 

 

 だからこそ。そんな彼女に、子供たちは尊敬して、憧れているのである。

 

 

 「はるねーちゃん、かっこよかった! ズバーンって!!」

 

 

 そう言ったのは、あのSAOにて彼女が離れ離れになってしまった、あの女の子だった。その少女の言葉を皮切りに、次々と子供たちが歓声を上げて笑う。

 その様子を茫然と見つめていたハルキは、その溢れ出る暖かさに感無量になって、口をキュッと引き締めて……そして、父親に向き直った。

 

 

 「……どうか、仮想世界を嫌いにならないで。ここにも、現実はあるんだ。それを、俺は」

 

 

 そして、そこで言葉を切ると、彼女は後ろに振り返って……トミィに腕にまとわりつかれながらも、今もグングンと胸を反らせている、グラントを見つめた。

 

 

 「あいつから、教えてもらったから」

 

 

 その娘の瞳が、かつて在りし日の妻が自分に向けていた、優しく、どこか熱を持ったそれと重なって見えた秋ノ介は……その口に出かかっていた多くの言葉を呑み込んで。

 

 

 「……見届けてやる」

 

 

 そう、新たな一言を紡ぐ決心をしたのだった。

 

 

 「見届けてやる。お前が、これから歩んでいく様を、全て」

 

 

 それは、彼に出来る最大級の、彼女に対する応援の言葉だった。親として、娘の歩む道を全て認めて、出来るだけ力になるという、彼なりの、一つの確固たる覚悟だった。

 

 

 「……ありがとう。親父」

 

 

 震える声でそう零したハルキの目線が、その時ふんぞり返って重心を崩したグラントのそれと重なった。そんな彼女のただならぬ視線を、その落武者男は一瞬ものも言わずに見つめ返していたが。

 やがて彼は、そこから少し離れて、マソップと、現在もアルンにいる筈のSAO生還者全員の一括ログアウトをしようとして……悪戦苦闘しているキリト/直葉に、それぞれ一つずつ耳打ちをした。するとそのツンツン頭の剣士と神代アバターのAIは、一瞬訝し気な表情でそれぞれ顔を見合わせると、すぐに何かを察したように頷いて。

 

 

 「じゃあ、皆さんには一旦、アルンに戻って頂きますね。今後ALOがどうなるか分からないけど、またコミュニティサイトとかで連絡を取り合いましょう! えっと……マソップさん」

 

 「……ぐぶぐぶぐぶ、了解だぜ」

 

 

 そして、領主たちの同意を受け、そう周囲に大声で呼びかける。すると……直後に、見渡す限りの多くのプレイヤーが青白い光に包まれて、その姿を透かしていく。それに応じたマソップが、マップ転移を使ってその場のプレイヤー達を、自分も含めてアルヴヘイムに運んで行ったのである。

 

 

 

 

 

 

 「……え?」

 

 

 たった二人の、例外を除いて。

 

 

 「へっへー。難しい事全部マソップ嬢達に押し付けてやったぜ」

 

 

 グラントと、ハルキである。どうやら先程、マソップとキリトちゃんに事件の後始末を全部投げたらしいそのパワハラ男が、取り残された彼女の前にほくほく顔で歩み寄って来る。

 だが、よく見るとその視線は泳いでいるし、何かをするのを躊躇っているかのようで。

 

 

 「でも、二人にはバレバレだったろうし、あー、根に持たれて後で冷やかされるのやだなあ」

 

 「え、えっと、グラント? 何を言ってるんだ? それに、何で俺達ここに取り残されて……?」

 

 「……今、設定を組んだんだよね」

 

 

 だが、ハルキの前までやってきて、ちらりとその顔を見やった彼は……どうやら覚悟を決めたらしい。何だかムズムズした顔のまま、続ける。

 

 

 「今から三分後に、君と俺はALOから強制ログアウトされる。そういう風に、さっきあのキリトちゃんに頼んで管理者権限を使って、設定したもらったの」

 

 「え……?」

 

 「……ちょっと、失礼します!」

 

 「な、ななっ、ちょ、グラント!?」

 

 

 その落武者男から発せられた言葉の意味が分からず、混乱するハルキを……しかし、グラントは突然、その場で抱え上げた。そして、左手に飛行補助コントローラーを出現させると……それを一気に手前に引く。

 途端に二人は、その場から遥かドームの上空まで飛び上がった。

 

 

 「お、おい!! 何するんだよ!! 恥ずかしいから降ろしてくれよ……!!」

 

 「う、うるせい!! こっちだってハズいんだぞ!!」

 

 「だああ、だったら何でやるんだよぉぉ!!」

 

 「すぐわかるから!!」

 

 

 痴話喧嘩を繰り広げながらも、そのグラントの身体はハルキをお姫様抱っこをしたままさらに、さらに上へと昇っていき……そして。

 そして、その吹き抜けになっている天井をも越えて、紅玉宮の外にまで飛び出した。

 

 

 「……あ……」

 

 

 ハルキは足をバタつかせるのを止めて、その景色の変化を見やる。同じようにグラントも一気に開かれた世界を眺めながら、その宮殿から遠ざかるようにコントローラ-を動かした。

 ゆっくりと、ゆっくりと、紅玉宮が遠ざかってゆく。やがて二人の視界の端に百層より下が移って、そこで漸くハルキは、グラントのしようとしている事を理解した。

 無限に広がる、藍色の夜空とそこに灯る無数の星々。中でも一際明るく光を放つのが、アルヴヘイムのものと比べると少しだけその半径が小さい、満月だった。

 そして、その月明かりに照らされて、鈍くその表面を光らせている、今二人の眼前に悠然と浮かぶ……浮遊城、アインクラッド。

 レクトによって人体実験場として扱われたために余分なデータを省かれてしまっている筈のそのマップデータは、しかしその外観を殆ど損なわせていなかった。七十五層以上と思われる場所も残っており、恐らく中身のない張りぼて構造になってしまっていると考えられるが……それでも。

 それでも、その幾ら両手を広げても足りないほどに大きく、雄大な鋼鉄の巨城は、二人にあの異世界で過ごした、かけがえのない二年間を呼び起こすには十分なものだったのだ。

 

 

 「ほんとはさ」

 

 

 やがて思い付いたかのようにグラントは、アインクラッドを見つめたまま、腕の中の少女に語りかける。

 

 

 「ほんとは、あの百層に辿り着いて、レクトの陰謀を阻止したら。……茅場が、やって来るような、そんな気がしてたんだ。今度こそ、本当に百層に辿り着いた俺を、あいつが待ってくれているような、そんな気がしてた。

 ……でも、あいつはいなかった」

 

 

 今まで、グラントは一度たりとも、面と向かって茅場晶彦と言葉を交わした事が無い。

 ヒースクリフとしての彼とは顔を合わせたこともあるし、実際に彼の送り込んだ処刑用モンスターと戦ったりもしたのだが、だがグラントは……一度たりとも、開発者として、アインクラッドの創造主としての茅場と出会う事は叶わなかったのだ。

 

 

 「何でだろう。俺、あの世界の事、もっと、あいつと話したかったのに。君の事も、ギルドの皆の事も……このALOでの事も、みんなあいつに、どーだって言ってやりたかったのに」

 

 「……グラント」

 

 

 ハルキは夜風に髪をなびかせながら、そっと目を伏せる。そう、その様な意味では、彼等はまだSAOに囚われていたと言えるだろう。あのホロウ茅場との戦いも結局どういう決着として茅場が認識しているのか、彼等は知らないのだ。

 だが、茅場は何も言わない。語りかけてこない。もうあの頃のSAOは失われ、アインクラッドは崩壊してしまったのだ。

 

 

 「だからさ。俺、もう気にするの止めようと思って。あいつの残した世界がどうだとか、あいつの代わりに世界を託されてるだとか。

 こうやって、ちゃんとアインクラッドをもう一回見る事が出来たら、そう吹っ切れるかなって、思ったんだよね」

 

 

 こうして眺めると、その層ごとに何かしらの思い出が蘇ってくる。グラント帝国の皆でワケわかんない事をやった時もあれば、ギルド関係なくその地を踏んだ場所もある。一人で躍起になったハルキがでたらめにレベリングをした場所もあれば、オレンジプレイヤーと遭遇して刃を交えた場所だってある。

 

 

 「……楽し()()()なあ」

 

 「ああ。楽しかったよ」

 

 

 決してその全てが、一概にいい思い出だったと言い切れるほどに綺麗な訳ではなかった。そこで負った傷もあれば、グラントの様に未だに引きずり続ける未練もある。

 だけど、それらがきっと、これからの彼等の人生において、その魂に原動力を与える事を信じて。これまでではなく、これからの為の思い出となる事を願って。

 

 

 「だから、これからは、あいつがなんて言おうが構いやしない。俺は俺なりにこれからも仮想世界と向き合って……今回みたいに、必要なら運営にだって立ち向かう。だから。

 

 

 

 

 

 

 だから、その時に、俺は……君に、隣に居続けて欲しい、かな」

 

 

 「……え……?」

 

 

 若干頬を照れで赤くしながら、一呼吸おいて、グラントはもぞもぞと言う。

 

 

 「君がいるから、俺はあの世界の事を肯定できるんだ。一緒に楽しいこと一杯して、最後にはゲームマスターに喧嘩売って。

 そうやって、最後まで俺の背中を押してくれた、君がいるから、俺は前に進めるんだと思う。

 ……だから。()()()()さん」

 

 

 そして、その彼の言わんとしている事を察して顔を真っ赤に染め上げているハルキに、グラントは……いや、信田玄太郎は、最後まで何とか言い切ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 「ちゃんと、恋をしよう。

 現実世界で会って、お互いの事を知り合って。そうして、一緒に……これからも手を取り合っていこう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……はい」

 

 

 ぐしゃりと歪めた顔を取り繕うことをせずに、ハルキは頷くと、その瞳に溜めていた涙を拭う事もなく……グラントの首に両手を回す。

 

 

 「俺も……お前と……みんなで……!」

 

 

 俺も、お前と共に、みんなで手を取り合って。

 その意図をグラントが呑み込んだその時……ハルキは。

 心を衝く衝動のままに、そっと彼の唇に、自分のそれを重ねたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 (……さよなら。アインクラッド)

 

 

 

 

 

 

 

 

 グラントは思わず左手から、補助コントローラーを取り落とす。するとそれはすぐ彼の下で消滅し、彼の背中に生えていた赤い羽根もその実体を失う。

 だが、それでも……グラントも、ハルキも、その場に留まるために羽根をはばたかせる事をしなかった。赤みのかかったロングヘアーと、ラベンダー色のドレスの裾を宙にはためかせながら、二人は天空を真っ逆さまに舞い落ちていく。

 すると、やがてその夜空に、地平線の向こう側から一条の、朝日の光が……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 >プレイヤー達の為に理不尽な運命に抗い、「魔王」たる世界の支配者と互角に渡り合う、仮想世界の「王」。

 

 

 

 彼等は気付いていない。

 やがて朝焼けの橙色に染まっていく世界の、その浮遊城の前で一つの光点となって落ちてゆく、そんな二人を……遠くから空の上に立ち、眺める人影があった事を。

 

 

 

 >それでいい。君にしか出来ない事だ。グラント君。

 

 

 

 そして「彼」は微笑むと、その身に羽織る白衣を翻して、その場を歩み去ったのだった。

 

 

 

 

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