「これは……一体、何が起きたのかしら」
ドームの北側からグラントが内部に潜入して、十分程度が経過した。
だが、その間肝心の彼からは一切の連絡がなく、また暫くドーム東側の入り口付近で張り込んでいたところ、控えていた筈の五人の刺客たちが一斉に姿を消したのを目撃して、それを彼に伝えようとして……試みた連絡すら届かず。いよいよ心配になったツェリスカは覚悟を決めて、単身グラントの入っていったダクトへと突入したのだが。
だが、その通風管を辿った先に開けられた穴から降りてみたはいいが、そこからダンジョンの奥側に進んで暫くが経ち、もう既に全体の中間地点近くまでたどり着いているというのに……目的のグラントはおろか、ここに潜っていったと思われるプレイヤー集団すらまるで見当たらない。
この奥には地下の研究施設エリアに行くエレベーターしか設置されていない筈だ、だが本来あのダクトはその地下エリアまで伸びているのだ、それがあの場所でぶち開けられていたと言うのは、即ち彼はこの地上ドーム内エリアにて何らかの事情で降り立った事を意味しているのだが。
「一度、正面玄関側に戻ってみるべきかしら……おっと」
そこで、ツェリスカは気付いたのだ。ちょうど自身の横に、何やらプレイヤー一人分くらいの大きさの穴が、壁に穿たれているのを。
(あらあら、私としたことが、見落とすところだったわ。
……でも、これって)
GGO内におけるこのような室内戦闘が主となるエリアでは、思ったより多くの場所において、障害物や構成する壁の破壊が可能となっている。勿論建築上重要な箇所を壊すことで、ダンジョン丸ごと……といった芸当は出来ない仕様になってはいるが、背中側を壁に囲まれているから安心出来る、とは言えない程にはそういった不意討ちが可能なのだ。
そして、今ここにこの穴が開いていて、それが修復されていないということは、ここで誰かが壁越しに敵を撃って、まだ間もないという事だ。
(誰か、室内にいるのかしら)
普段はエネミー戦が多い彼女も今度は対人戦が予想される事から、サブアームであるPKM……旧ソ連で開発されながら、現ロシア連邦軍においても現用兵器として採用されている汎用機関銃を腕に構えながら……その穴のすぐ横に存在する扉を蹴り開けて、中に飛び込んだ。
そこはロッカールーム、まるでアスリートたちの控室の様な場所だ。目の前のロッカーがいくつか倒されてバリケード状になっているのは元々のデザインだろうか、それとも。
ツェリスカはロッカーを背に次々と場所を変えながら、その部屋の内部を素早くチェックする。途中で彼女も愛用するPeacockが落ちているのを発見し、益々警戒心を強めた彼女だったが。
やがて誰もいない事を確認すると、ホッと一つ息を吐いて、ひとまずその場を去ろうとして……先程も確認したバリケード状に倒されたロッカーの一つを蹴ってしまい。
「あいたっ」
「わっ、こら、気を付けろっ!」
「ご、ごめんなさいね?」
「……っ、そこに、誰かいるの?」
……思わず漏れたらしい自分のものではない悲鳴に、ツェリスカは銃を横倒しのロッカーに構えながら鋭く言い放ち……そして事情を悟った。
そのドア部分が、底面になっているのだ。
「……まさか、出られなくなっているのかしら?」
するとだ。その声を聞くや否や、突然そのロッカーから、むやみやたらに中から叩く音と切羽詰まった声が聞こえてくる。
「頼むっ……ここから出してくれ……くそ、息苦しいっ……!!」
「い、今出してあげるから、ちょっと待っててね~……!」
その必死さに今の状況も忘れて、思わずロッカーを転がしてあげるツェリスカ。優しい。直後にその側面になったドアがバタンと開かれて、中から彼女の銀髪と対照的な……黒髪を持つプレイヤーが転がって外に出てきたのである。
「うわっ……つつ、痛ぇ……。
し、死ぬかと思ったぞ……待った、今は休戦だ。俺にはやるべき事がある」
ツェリスカは銃口を、その必死に両手を振って無抵抗を示しているプレイヤーに向けるべきか一瞬悩んで……結果としてそれを中断した。アバターのデザインと装備品が重なった場合、両者が透過する仕様になっているGGOで、その長い黒髪があの覆面に入る訳がない。
つまり、この女性は、例のグラントくんが追っていた熟練プレイヤーか、あるいは。
「もしかして、あなたがグラントくんの、お友達さん?」
「……知ってるなら話は早い。
頼む、あいつに会わせてくれ。今すぐだ、今すぐあいつに……うおっと!?」
「あ、ほら、慌てないで~?」
目の前のプレイヤーがグラントの知り合いだと気付き、その勢いのままに立ち上がろうとして思わずよろめいた彼女が、彼の探していた人物である事に気付いた決め手は……その「俺」という一人称だった。よく聞けばその女性としてはやや低めの落ち着いた声も、先程の音声ログで耳にしたもの、そのものだ。
「ちょ、ちょっと。どうしたの、そんなに慌てて。
私もあの子を探して、ついさっきここまでやって来たのだけれど……何かあったようね」
「詳しい話は後だ、とにかく今は……あいつを探し出して、止めないと」
「……止める? どういうこと……あ、こら!」
だが、その目の前の女性プレイヤー……ハルキはそんな制止も聞き入れずに部屋を飛び出ると、そのまま回廊を走っていく。その尋常ならない様子にツェリスカは一瞬呑まれてしまうが、直ぐに周囲にまだ敵がいる危険を思い出してPKMを構え直すと、その後を追うべく地を蹴った。
既にハルキの姿は見えない。だが回廊に小さく彼女が駆ける音が小刻みに響いている。そっちは私がやって来た道よ、特に何も見当たらなかったけど~……とこの場で大声で発するのもどうかと思い、その足音の聞こえる方向へとツェリスカも走って向かったが。
―――だが、突然それは止んだ。直後にドサリと誰かが倒れるような音がして、いよいよ無冠の女王も顔色を変える。まさか、あの覆面プレイヤー集団に遭遇して、やられてしまったのか。
(……もう、好き勝手にしちゃって……!!)
これがグラントくんの事がなければ、とっくに匙を投げているところだわ、と思わず頭の中に浮かんだ言葉を……しかし、即座に否定する。そういう問題ではない、ツェリスカ自身が困った人間を見捨てる事の出来ない類の人間だったし、何よりも。
何よりも、彼女には困ったGGOプレイヤーを補助する、
「はぁっ、はぁ……い、いた……!!」
ハルキは無事だった。周囲に敵対するプレイヤーの姿も見えない。ひとまずは安全だ。
―――安全、だが。
「……こ、これは……!!」
先程ツェリスカがダクトから降り立った場所から、さらに入り口方面に向かったその場所には、合計で三丁の銃が打ち捨てられたかのように転がっていた。そしてそれを前にしたあの黒髪の女性が……力無く座り込んで、途方に暮れていたのだ。
まさか。ハルキの背後に立って、その落ちている銃の種類を確かめたツェリスカは……しかし確信する。これらはあの子のものじゃない。つまりあの、GGOにログインして間もない少年プレイヤーは、こんな高レアリティの銃を手に入れられるだけの上級プレイヤー、少なくとも三人を相手に……その全員を返り討ちにしたという事になる。
だが。それはつまり、あのグラントと言う少年がまだ生存している可能性を示してもいるのだ。だというのに目の前の彼女はどうして。
「間に、合わなかった」
「……え?」
それはあまりにか細い声だった。
先程の勇ましいそれと今のを、同一人物が出しているとは到底信じられない程に……弱弱しい声だった。
そして、その違和感の正体は、振り返った彼女が両目から溢れさせていた涙と……続いて紡がれた言葉によって、明らかとなったのだ。
「……あいつが、人殺しになっちまった。
俺のせいで、あいつが殺人鬼になっちゃったよ……!!」
何を……何を言っているの、この子は。
もうそれは完全に号泣と呼ばれるもので。その場で人目も気にせずに大声で慟哭する彼女を、ツェリスカは気が付けば自身の母性だけを以て抱き締めて、その艶やかな黒髪を撫でているのだった。
「ど……どういう事かしら? だって、ここはGGOっていう、ゲームの中なのよ……?」
「……あなたにとっては、そうなのかもしれないけど……!!」
困りに困ったツェリスカは、思わずそう……されどなるべく目の前の彼女を傷つけないように優しい声音で問いかける。だが一瞬きつく目を瞑ったハルキは震える口でたどたどしく返答する。
「俺達にとって、この世界はれっきとした、現実だったんだ! 確かに、アバターを操っているし、現実世界とは何もかも、違うかもしれないけど……それでも!
それでも、俺達は本気でここで生きてたはずだったんだ。それを、俺が軽く見積もったせいで、あいつは」
一層力を込めてこちらに抱き着く彼女はどうやらSTRが高めの様だ、気付けば自分の体力が微量ながら減少しているのが分かる。
だが、そんなものが気にならない程には、次の彼女の言葉にはインパクトがあったのだ。
「あいつは、他のプレイヤーに
SAOが始まった当初、ハルキはよくゲームと現実世界との区別が付かずに失敗を繰り返し、その度にグラントの手を煩わせたものだった。
だが彼女は後に気付いたのだ。本当にあの仮想世界を現実の様に見なして、その在り方や成り行きを真剣に考えていたのは、むしろグラントの方だった事に。
つまりそれは、「グラントがプレイヤーを殺す」事と、「玄太郎がリアルで殺人を犯す」事が……他ならぬ彼の主観では、同義であるという事を意味しているとは、考えられないだろうか。
「そんな……そんなのって、詭弁だわ」
ツェリスカは思わず声を上げた。そんな理屈が通ってしまったら、PvPの存在する全てのゲームの在り方が間違っていると認めてしまうようなものではないか。馬鹿げている。
「……そうだな。俺も、そう思うよ」
感情をぶちまける事で落ち着いてきたのか、漸く息をついて声音を安定させながら、ハルキは目を伏せて、静かに同調した。
「でも、俺もさ。殺せなかったんだよ。
あいつの代わりに襲ってくるプレイヤーを、撃ち殺せなかった。俺も、あいつと同類なんだ」
ああ。ツェリスカはそこで、一つの予感を頭に走らせる。この子とあの子は、つまり、
これが、それまでのゲームの存在意義を完全に覆して、世間にゲームに対する徹底抗戦派閥を生み出すきっかけとなった……あの悪魔的なゲームに、人生を狂わされた少年少女たちなのか。その影響は……
そう察した時。彼女が自覚するよりも早く喉を付いて出た言葉は……思いのほか、激しいもので。
「しゃきっとしなさい、めそめそして!!」
身体を引き剥がすようにして目の前の女性プレイヤーの両肩を掴むと、ツェリスカは一気にまくし立てていた。
「あなた達がどういう道を今まで辿って来たかは分からないわ。あなた達がどれだけ深い関係なのかも私は知らない。
でもあなた達は答えを出す努力をするべきよ。この世界が……仮想世界が、現実か、虚構か。
そして答えを出すために、もっと一杯経験すべきことがある筈よ」
仮想世界での死が、本当の死を意味する。
それはあのSAOを体現する文句ではあるが、今のグラントやハルキはSAOという世界でなくても、その檻の中に囚われ続けていると言えるだろう。現にグラント帝国の暗黙の了解として、
だからこそ、例えば彼等は知らない。
「乗り越えなさい、あなた達二人で」
恐らく目の前の黒髪の少女とあの少年くんは、自分の予想する以上に密接で深いつながりを持っているのだろうと、ツェリスカは思う。それは恐らく二人がいたのであろうあの世界を生き抜いた事による絆であるかもしれず、あるいはそれ以上の関係性なのかもしれない。
「あなた達二人にとっての『現実』がどこにあるのか、ちゃんと答えを出してきなさい」
その二人ともが同じ問題に突き当たっているというのなら、もう結論は見えている。
綺麗事を言い合わずに。同情し合わずに。手を取り合って、向き合っていくしかないではないか。
「あの子を人殺しと、殺人鬼と見なすかどうかは、それからよ。
この銃世界の中で、誰かをそういう人間だって安易に作り上げる事は……
「へへ、会って間もない相手に、容赦ないね」
トン、と両手でツェリスカの肩を両手で押して、ハルキは彼女の身体から離れた。その腕で一度、自身の顔を思い切りゴシゴシと拭いて。
「―――でも、心に響いたよ。何だか、お母さんみたいだった」
「……あら?」
力なくではあるが、カラッと笑みを浮かべたハルキに、つられてツェリスカも微笑んだ。彼女は知らない……ハルキは物心がつく前には母親を亡くしていて、実は今まで一度も母の温もりと言うものを味わう機会がなかった事を。
「じゃあさ、アバターの残存時間の護衛、頼まれてくれないかな。
俺、一回リアルに戻るよ。向こうで、あいつに会ってみる」
「……ええ、そうするといいわ。頑張ってね、何かあればいつでも連絡して……フレンド登録、しましょうか〜」
「うん、ありがとな」
無冠の女王―――とはいえハルキは知る由もないが―――からのフレンド申請に、躊躇いなく承認するハルキ。それはグラントの必死の制止を破ってやって来た世界でなお、今後も生きていく事の徴であった。
「じゃあさ、えっと、ツェリスカさん。
もう一回だけ、いいかな」
「……しょうがないわね~。いらっしゃい」
……そしてもう一度、暫定母親代わりのツェリスカにその身体を預けながら……ハルキはログアウト操作をするのだった。頭と背中に回された、仮想世界の中でも暖かな感覚に心のささくれを溶かしながら。
(待ってろよ、グラント。
答え合わせを、しよう。今度は俺がお前を支えて、隣に並ばせる番だ)
その新たな決意を、胸に秘める。
どうやってここまで辿り着いたのか、彼には定かではなかった。
肩にのしかかる肩掛けカバンの重みから、どうやら無意識のうちに荷物を纏めてあの学寮の部屋を後にしたのだろうことは、自分の事ながら客観的に判断できる。本当は最後に学寮の寮監に挨拶に向かおうと思っていたのだが、この様子では忘れてしまっているだろう。
気が付けばそこは彼の実家の最寄り駅、大森駅前の喧騒を抜けた物静かな路地だった。どうやら直ぐに実家に帰る気にならなかったのか随分と道草を食っていたらしい、日はとっくに地平線の下へと沈んでいってしまったようで、冬の夜の寒さが上着を貫いて身体に沁み込んでくる。
(…………)
その時までの彼は、異様な程に無感情だった。というより、無感情であるように努めていた。
なぜなら、何か今の自分に付いて思う事を思ってみても、所詮それは自分を取り繕ったり、自虐的に攻め立てたりする作為的なものでしかないからだ。
また、人を殺した。三年間守り通した殺さず殺されずの誓約を、結局自分で破った。
その認識だけでたくさんだった。それだけの為に生きてきたとすら言えるだろう自分の流儀が崩れ去ってしまった今、彼の中に残るものは何一つとして存在しない……。
いや。本当はそんな事はない。それどころか、むしろ。
(……ごめんよ、ハルくん)
自分が過ちを犯したというだけならば、他の皆に迷惑を掛けないように一人去ってしまえばいいが、今回はその様にはいかなかった。
なぜなら、彼が人を殺したという事実を、結果としてあの場にいたハルキはあの後目の当たりにしただろうからだ。彼女は良く出来た人間だ、そうなればきっと……彼女は猛烈に自分を責め立ててしまうだろう。その事だけが、彼にとっては気がかりだった。
(……寂しい思いも、一杯させちゃったよね)
実は彼は知っている。ALOにてよく人目を憚らずに二人の世界に入り、ごく稀に唇すら重ねるあのキリトとアスナを端で見やるハルキが、実はたまにこちらをちらりと覗く事があったのを。ALOで共に戦っている時はまるでそんな素振りは見せなくても……現実世界で会う際はかなり女性らしさに気を遣っているらしく、洋服を買う際には何時間でも鏡の前で百面相をしているらしい事を。
無論彼女の事は大切に想っている。SAOの時の様に男扱いする事もなく、しっかりと一人の女の子として、でも弱い守るべき人としてではなく対等な仲間として……恋人として、相棒として見ているつもりである。第一ちゃんと恋をしようと彼女に告げたのは、彼の方なのだ。
それでも……彼が彼女と今以上に更に次のステージに踏み込めていない理由があるとすれば……それは間違いなく。
(一度背負ったものからは、逃れられないんだなぁ……分かってたけどさ)
それは、法律上はまるで罪ではなくて。
だけど、彼の中ではれっきとした十字架で。
(こんな俺の事は、俺だけが知ってりゃ良かったと思うんだけどな)
それは、いつかは向き合わなければならない定めであって。
だけど、彼女には背負って欲しくなかった定めであって。
(……なんか、ちがうよなぁ)
全てが変わる。恐らくは悪い方向に。
そう、彼は頭上でぼんやりと光る月を見上げて感じながら……。
直後、正面からやってきた人影に、激突した。
「……って」
「す、すいませんちょっとボーッと……?」
尻餅を付きながら反射的にそう謝り、ぶつかった相手がその鞄からぶちまけてしまった荷物を拾ってあげようとして。
それを、見たのだった。
「……え……?」
彼の実家である信田家は両親共に医療従事者であった。
そして、その一人息子であった彼は体調不良の際に父の勤務する病院に出向き、その職場を何度か目にする機会があり、また家族の団欒でその様な医療現場で使う機器についての話を耳にした事もあった。
つまりだ。今彼の目の前で相手の荷物から零れ落ちた、クリーム色のプラスチックで構成された、おもちゃの光線銃の様なそれが……「無針高圧注射器」と呼ばれる現代の医療機器である事を、知っていたのである。
「こ、これって……ちょっと、あんた」
そして即座に、その横に二つ並んで転がる、いわゆるカードリッジと呼ばれる薬品入れのラベルを読んで……先程までは抜け殻の様だったその表情を、再び凍りつかせた。
「サクシニルコリン……!?」
筋緊張剤だ。つまりこれを過剰に摂取すると、全身の筋肉が硬直して人体の生命維持活動が、停止する。
そんなものを、こんな道端で携帯しているなんて、どう考えても普通ではない。
「……あーあ、バレちゃったんなら、しょうがないっすねぇ」
ゆらりと立ち上がり、左手で顔を隠すようにしてそうため息を付く男の言葉を聞いて、彼は現状を整理する。
今ぶつかったこの男はどう考えてもまともな医療人ではない。つまりはどこぞの医療機関からそのサクシニルコリンは無断で持ち出されたことになるだろうし、それを私的に使う目的があるとしたら、それはたった一つしかない。
……そして。その事と、彼とハルキがあの銃の世界で追っていた、あの事件の経緯が、頭の中で一つの線として繋がり始めて。
「……お前は」
その僅かな可能性を検証するために、玄太郎は……目の前の金髪に染めた、痩せた体躯の男に
「お前は、死銃なのか」
「……こりゃ、驚きましたよぉ。そんな事まで分かっちゃうなんて」
死銃……正確には死銃の一人であるその男は、先程のやや楽しむような声を一気に冷まして、低い声で答えた。
つまりだ。今回の事件の手口は、ゲーム内で撃った弾丸が、現実世界の人を殺していたのではなく。
「生憎とぉ、まだあと二人も、殺さなきゃいけないヒトが残ってるんすよねぇ」
はっとして、玄太郎はそばの公園に立つ時計塔を見やる。既に時刻は午後九時を回っている、恐らくGGO世界では既に……第三回BoBが始まっているのだ。
この男は、その出場者を殺すつもりなのだ。玄太郎は立ち上がって、やや強張り気味な身体を奮い立たせる。
「……だからぁ。
アンタには、ここで黙っててもらうしかないんすよねぇ!!」
そして。
それに計画の途中で気が付いてしまった玄太郎を始末するために、鞄からナイフを取り出して襲い掛かって来た目の前の金髪の……その洗練された斬り筋に服の裾を切り裂かれる事になるのだった。
「ぐっ……」
間一髪避けたものの、敵の細身な身体が放つものとしてはあり得ない程に研ぎ澄まされた剣速と……そして、
間違いない。今のは短剣中級突進技、「ラピッドバイト」。ライトエフェクトに包まれていなくとも、何度もあの世界で目の当たりにしたソードスキルだ。
(……GGOでの殺人計画も、ある意味ナーヴギアの致命性能に似せた、SAOにインスピレーションされた手口だった。
つまりだ。この男も俺と同じ、SAO生還者である可能性が高い。それで、こんなに躊躇いなく人を殺そうとする事が出来るってのは、つまり。
……つまり)
「……ラフコフかい」
「あったりぃ……!!」
アインクラッドに存在した、史上最悪のレッドプレイヤー集団。
ゲームがクリアされる数か月前に、攻略組の手によって壊滅まで追い込まれた、最大規模の犯罪ギルド。
「ラフィン・コフィン」。その残党が、今回の事件の犯人だったのか。
「それが分かるって事は、アンタもあっちにいたってワケですかぁ……?」
どうやらこの後も殺人を犯すつもりらしいそのラフコフ残党は例の注射器を使うつもりはない様で、手にしたナイフをひらひらと電灯の光にきらつかせながら玄太郎に問いかける。彼からすれば今玄太郎を逃がしたら犯行計画に支障が出かねず、また玄太郎にしても死銃計画の全貌を暴くチャンスではあるのだ。お互いに腹の内を探り合うような展開になるのは不可避である。
しかし。その瞬間、目の前の金髪の男は……ぴたりと動きを止めて、玄太郎を注視したのだ。
「あァ……? 待てよ、アンタ……?」
玄太郎とSAOでのグラントは顔の造形は同じだが、髪型に大きな変化がある。加えて彼含めグラント帝国のメンバーはラフコフ討伐戦には参加していない為、その顔も連中に割れるようなことは無い筈だ。
……筈、だったのだ。
「……知ってる。俺知ってる!!
監獄エリアでヘッドの部下達から特徴は聞いてるぜぇ、当時はロングヘアー、んで今は短髪、ぜーんぶ茶髪!!
間違いねぇ、アンタ……グラントだろ!?」
「な……!!」
ヘッドの部下。つまりはPoHの手下か。
玄太郎は思い出す。アインクラッド第三十五層、迷いの森にてPoHがハルキを襲った時、彼の手下二人をグラントが黒鉄宮送りにしていた事を。
そして、あの時、
数時間前のスタジアムでの一件に続いて、さらに暴かれた自分の正体に、玄太郎は全身に刃で貫かれたような衝撃を走らせる。
「ヒッ……ハハ、マジかよ、こんな、こんなところで……。
こんなところで、『阿修羅』様にご面会とはなァ!!」
「……だったら、何なんだよ」
恐らくラフコフ討伐戦辺りで監獄送りにされたその金髪は口元を大きく歪ませた。まるでこちらの弱みを握ったかのように勝ち誇ったようなその表情には……それに加えて、ほんの少しの
……だが。彼にとっての本当の悪夢は、これからだったのだ。
「アンタ、こっちの世界じゃ人気者だったんだぜェ? SAOで初めてプレイヤーを
そんでよォ、あんたのやった事が、向こうじゃうちのヘッドがやらかした事だって噂されてさァ……随分と荒れたもんだったぜ、
ラフコフの目標は、アンタだったんだよ。『阿修羅』のせいでいつまでもアンタの影にいるのが我慢なんなかったヘッドは、あの愛する黒の剣士様と一緒に、『阿修羅』のアンタを殺すことが目標だったんだよォ……!!」
玄太郎は、自分の身体を見下ろした。
その腹部には、突き出されたナイフの切っ先が、浅く突き刺さっている。
「ワーン、ダウーン」
見上げれば、いつの間にか目の鼻の先まで近づいていた男が、瞳孔を思い切り開き、至福の表情を浮かべながら……ナイフを持つ手を更に強めようとしていて。
(これが、裁きってか)
じんわりと広がる熱感と痛みに頭が凍る様な感覚を抱きながら……それでも、玄太郎はそこから逃れようとしなかった。
そんな力は、もう彼には残されていなかったのだ。
「……ラフコフは、まだ終わっちゃいねェ。これからが、本当の始まりだぜ」
それは、あの犯罪ギルドが復活するにあたっては絶好のタイミングでの狼煙であった。なぜなら……彼等がいつか始末すると念願していた人間が、今目の前でその刃を受けているのだから。もう、彼等を阻むものはなにもないのだ。
だからこそ。「阿修羅」に引導を渡そうとしているその男……向こうでは「ジョニー・ブラック」と呼ばれていたレッドプレイヤーは、その場で声を張り上げたのだった。
「イッツ・ショウ・タァーイム」
だが。彼が玄太郎の心臓を抉る機会は、結果として訪れなかった。
ナイフを抜いて即座に距離を置き、地面に落ちた注射器とカードリッジを手早く纏めた「ジョニー・ブラック」は、一つ口汚く罵った後に、直ぐに地を蹴ってその場を後にする。
(…………)
どさりと音を立てて、玄太郎は倒れ込む。少しでも身体を動かすと、腹部の傷口が刺激されて激痛が走る為、そのまま地に這いつくばったまま動くことが出来なかった。
なぜ、あのレッドプレイヤーが自分にとどめを刺さなかったのかは分からない。何か急いでいる様子だった事を考えると、誰かに追われているか、それか犯行計画の時間が迫っていたのか。
だけど、そんな事は今の彼にとってはどうでも良い事だった。こうなってしまった以上、もう自分には彼等を止める術がないし、何より。
何より、
(……………………)
やがて、そんな事を考えるのも億劫になっていく。次第に意識がぼんやりとし出して、辛うじて見える視界も朧げになっていく。
「―――ロー、ゲン――――――!!」
―――だから、きっとそう、微かに彼女の声が聞こえてきたのも、恐らく幻聴だろうと……玄太郎は、最後に思ったのだった。
※第三回BoB本戦にて死銃に狙われたプレイヤーは「ペイルライダー」、「ギャレット」、「シノン」の三名。
「ギャレット」の自宅……川崎市武蔵小杉
「シノン」の自宅……文京区湯島
「ペイルライダー」の自宅……大田区大森