グラントとツェリスカが総督府に潜入してから、まだ一分と経っていない。
だがキリト達の周りには、先程の戦闘音を聞き付けた敵対プレイヤー達が再び群がって来ており、その絶え間ない波状攻撃に三人はその場でやや膠着状態に追い込まれていた。
「このっ、ぅらぁ!!
参ったな、このままだと他のプレイヤー達のところに合流できないぞ……!」
そんな敵の猛攻を一身に受けるキリトにも流石に疲れが見え始めていた。いくら主人公補正が掛かっているとはいえ、銃の世界トーシロな彼では限度というものがあるだろう。
なけなしの抵抗としてたまに左手のファイブセブンの引き金を引くが、流石に焼け石に水である。
「くっ……グラントさんも、無茶苦茶言ってくれるわね……っ!!」
そしてそれは、今までに引き続きグロック18cで彼を援護するシノンも同じ……というか寧ろ彼女の方がキツいだろう。
何故なら、彼女はその左肩を、未だにスタンから回復出来ずにぐったりしているハルキに貸しているからである。
(……どうしてだ、グラント)
そんな中でも、彼女の胸中には先程の出来事が絶え間なくフラッシュバックしていた。
これまでに彼がハルキを置いていった事はたった二回しかない。SAO編での最終局面、あのはじまりの街の地下ダンジョンでの最終決戦時と……数日前の、あのスタジアムで戦った時のみである。
だけど、そのような特異的な事情を除けばグラントにとって、彼女を置き去りにするというのはあり得ない選択なのだ。好きな人を守りたい、危険に晒したくないって考えるカレシさんもいるが、基本的に彼はそういうタイプではなく……大事なパートナーだからこそ、問題に直面した時はその人と共に乗り越えていきたいと思う人間である。
―――そして、これも例外は一つ。
(阿修羅に、関係があるのか)
今の今まで、グラントはハルキにさえ、自身が阿修羅であった事は隠していた。
数日前に彼女を守る為に阿修羅になった際は、その姿を見られまいと彼女をロッカーの中に閉じ込めて、されど努力虚しく彼女に知られてしまった後には……それを負い目に感じて、一人で去ろうとした程なのである。
だけど。結果として彼はその全てを彼女に話した筈だ。そして、その上でPoHの関与しているこの戦いを共にと、そう懇願した筈なのに。
(俺じゃ、ダメだって言うのか。俺じゃ、お前と共に戦うには役不足だって言うのか)
自分を庇護の対象として見ていない時点で、つまり純粋に実力不足だと判断された様なものではないか。
もし本当に彼がそのつもりだとしたら、それは共に戦ってきた筈の彼女にとっては屈辱以外の何物でもなく、これまでの信頼関係を揺らがす一大事だったのだ。
「ハルキさん、しっかりして!!
ここで気を抜いたら、私達は全員……あっ!?」
その時。隣でハルキを支えていたシノンの身体が、がくりと落ちた。
二人の前衛として気張っているキリトも、元々敵の銃弾全てを斬り裂いているわけではない。その中で自分や背後の仲間達に当たるものだけを予測して光剣を振るっている。
そして今、長期戦の疲れもあってか……キリトは見逃すべき銃弾を見誤ってしまった様だ。気づけばシノンの左肩を敵の小口径高速弾が穿っていたのだ。
「くっ、すまない! シノン、大丈夫か!?」
「え、ええ、私は平気だけど、ハルキさん……っ!?」
そう、その衝撃で、ハルキはシノンの肩から離れて、地面に倒れ込むことになったのだ。慌ててキリトも二人のカバーに位置を変えるが、彼らがどんどん追い込まれて来ているのは最早火を見るより明らかで。
「……グラントさんも手荒い真似をするよな。
いくら君をこれ以上戦わせない様にする為って言っても、スタン状態にしなくたって良かったんじゃないか……?」
そんな現状にキリトでさえ苦言を呈する程である。確かに、いくらハルくんを自分から剥がしたかったからってそこまでする必要はあったのだろうか。お陰でスタン状態になった彼女が、完全にお荷物状態である。
「ええ、まったくだわ。お陰でこっちはキャラロストの危機に見舞われてるんだから……!!」
そしてここまでで、アスナさんやリズさんレベルにグラントに対してヘイトを溜めつつあったシノンも、キリトに同意しながらマガジンを銃に込める。
……そんな二人を横倒しになったまま見守るハルキに、一つの疑問が宿った。
(……待てよ。
二人の言う通りだ。わざわざ俺の動きを封じる必要はあったのか?
運営用のスタン弾なんだから、俺はツェリスカやオルスと合流しない限りは、この状態を回復出来ないんだぞ……!?)
まさかグラントが意図的にハルキを死なせようと考えていた筈もない。だとしたら、あの場ではキリトやシノンに彼女を引き留めさせた上で、ツェリスカと共に行けば良かっただけなのではないか……?
―――その時、ハルキは見た。ちょうどシノンの背後に回り込んでいたプレイヤーが、手榴弾をこちらに向かって投げようとしているのを。
(あ……危ないっ!!)
思わず脱力した身体に鞭を打って、彼女は立ち上がろうとして。
「……えっ、ハルキさん……!?」
するとだ。
なんとその瞬間、ハルキを硬直させていた筈のスタン状態が、解除されたのだ。
「う……おおおおっ!!」
驚いている場合ではない。急いで起き上がったハルキは、その勢いのままこちらに飛び込んで来たグレネードを蹴り返した。
そして、すぐさま腰のSPAS12を構えて、それを投げたシノンの背後のプレイヤーに光学弾を撃ち込むのだった。
「あ、ありがとう、でも……どうして動けるの!?」
―――こっちが聞きたい!!
一テンポ遅れてその敵の不意討ちに気が付いたシノンが呈した疑問に、心の中でそう返しながら……されどそれを好機と手にした「紫陽花」のフォトンソードを起動させる。
撃たれれば長時間動けなくなる筈の特別製スタン弾である、本来ならこんなに早く戦闘に復帰できるはずがない。
しかし、そんなハルキに向かって、光剣と拳銃を扱う両手を緩めることなく、キリトは尋ねかけるのだった。
「……もしかすると、グラントさんが君に撃ったのは、
「……な……?」
オルスとツェリスカから分けられたものではなく、純粋にプレイヤーとして使用できる市販のスタン弾。それなら、その硬直時間は数分と掛からない筈だ。
という事は、だ。グラントは、まだ彼女に戦って欲しいのだ。すぐにスタン状態から復帰させて、引き続き戦って欲しいと、そう考えているのだ。
(……なら、どうして俺を置いていったんだ、グラント……!!)
その時だ。
彼女の思考に、彼とこれまでに交わした会話がフラッシュバックした。
―――俺は、ちゃんと君が好きだ。だから、もうあいつの前に立って欲しくはない。あんな奴と戦って欲しくない。
彼はあの時、確かにそう言った。それは確かに、彼女を戦闘から遠ざける一つの理由になり得るものだ。
だとすれば、あの時彼が悟ったものとは。これから相対そうとしているものは。
―――だけどその上で、俺と一緒に、戦って欲しい。
酷い頼みなのは分かってる。けど、俺には、ずっと君しかいないんだ。
そして、グラントは確かにそう言って、それをハルキは受け容れたのだ。
つまりそれは、彼が彼女にそんな残酷な願いを頼み込んだと言うだけではなく、
そして。最後に彼は、こう言ったのだ。
―――ハルくん。俺も、君の事を信じてるから。
(……そうか……!!)
ようやくハルキは気が付いた。彼が、自分を置いて行った本当の理由に。
直ぐに彼女は辺りを見回す。総督府上層部にあると言う球体は、グロッケンの建物の中でもかなり高層に存在する。
しかし、その三角形型の総督府の、両端に並び立つビルの天辺からそこを覗けば……やや一般的なスナイパーライフルよりも有効射程が短いシモノフでも届く筈だ。
「……キリト、シノンさん!!
作戦変更だ! 今から、そこの総督府の隣のビルに向かわせてくれ!!」
「何だって? 今まで来た道を、引き返すのか?」
キリトは困惑した。元々はこのままオルス達やピトフーイ達、そしてダイン達始め多くのGGOプレイヤー達と合流しに戻る予定だったので、再び総督府側に向かうというのは本来の移動先と真逆の方向に向かうと言うことになり、それだけ他の仲間達から遠ざかる危険性を孕んでいる。
だがハルキはそれを承知で頷いた。そして彼に続いて驚いた表情を浮かべるシノンにも言い聞かせる様に、続けた。
「あいつは俺に逃げて欲しかったんじゃない。
むしろ逆だ、
そうでなければ、あの場で「信じてる」なんて言う筈がない。彼は信じているのだ、最後の瞬間まで……ハルキが、自分の隣に追い縋って、共に戦ってくれる事を。
どこまでも、彼女が自分の相棒である事を。
「でも、何でそんな、回りくどい事を」
「それは俺にも分からないけど……でも何か理由があるんだ。あえて俺を、自分とは別の場所に布陣させる理由が」
シノンの問いに答えながら、ハルキは振り返ったキリトの目を見つめる。グラント程ではなくとも、この二人もSAOから共に死と戦い続けた絆で結ばれている。
その想いを受け取ったキリトは、一瞬目を閉じて、大胆不敵にもニヤリと笑ってみせると……直ぐにその視線を敵側に向けた。
「―――よし、分かった!
それなら、俺がここで敵を食い止める! その間に二人は……あのビルの中に入ってくれ!!」
「き、キリト、無茶よ! この数を相手にしてたった一人で……」
そんな無謀な提案に、シノンは即座に異を唱えようとして……直後に覗いたキリトの決然とした表情に、続きの言葉を飲み込むのだった。
これ以上は相談する時間も惜しい。危険性も、ハルキやグラントの思惑も、全てキリトは配慮した上でそう言ってくれているのだ。
だったらそれを蒸し返すのはむしろ野暮というものだ。それでも身を呈してくれようとしている彼の、その覚悟を無駄にしてはならない。
だからこそ、ハルキは普段、彼がよく使う言葉で……まるでいつも通りの様に、その戦友に声を掛けるのだった。
「キリト!
このお礼は、いつか必ず……精神的に!!」
「……ああ!!」
そして。
直後にハルキはシノンの手を引いて走り出しながら、言うのだった。
「シノンさん、俺と一緒に来てくれないか。
多分今こそ、君の力が必要だ」
「私の力? 何のこと?」
立て続けに起こる突然の出来事に、やや混乱しかかっているシノンだったが。
次のハルキの言葉に、その翡翠色の瞳を大きく、見開くことになる。
「俺に、狙撃を教えてくれ!!」
身を低くして壁伝いに走り、そこに無数に存在するATMの様な端末を盾にして着実に距離を詰めると、ある地点から一気に突撃して敵の足を払い、手にするライフルを腕ごと光剣で切り裂く。
グロッケン総督府の中央ロビーにも、アメリカ勢のプレイヤーは所狭しと待ち受けていた。そんな彼らが立て続けに降らせる銃弾の雨を左手の拳銃のストックで防ぎ、たまに敵に跳ね返しながら……滑り込む様にして再びそばの遮蔽物に隠れる。
「……驚いたわ」
まるでバスケットボールの様にピョンピョンと跳ね回るその茶髪のちびアバターこと、グラントの背後には、既に十を超える数のプレイヤーが死屍累々と転がっている。
その様子を彼の後方から追うツェリスカは、ただただ唖然と見守っていた。
(……まるで、別人ね)
つい先程までの陽気さから打って変わった、剃刀の様な鋭い眼光を灯したグラントは、ものも言わずに海外勢のベテランプレイヤー達をたった一人で蹂躙していた。ある時は敵の銃を使い、ある時は敵の身体を犠牲にする事で相手との武装の性能差をカバーして……されど誰も死なせずに、その一人一人を確実に無力化しているのだ。
きっとこれが、グラントの「阿修羅」としての姿なのだろうと、ツェリスカは直感で感じた。但し、それは人殺しとしてのものではなく……彼の、本気の姿としての、である。
(……合わさっているんだわ。
昔のグラントくんと、今のグラントくんが……一つになろうとしている)
ピトフーイも語った、仮想世界で初めて人殺しになったかつての「ミニマム」と、武器なし盾スタイルで仮想世界を愛する今の「グラント」が……玄太郎が阿修羅と向き合った事で、一つのものになろうとしていた。仮想世界を守るものとして、時には剣や銃を持ってしても不殺を全うする、信念の戦士へと昇華しつつあったのだ。その全貌までは分からなくとも、雰囲気を感じ取った彼女はゴクリと唾を飲み込んだ。
グラントがこうなったのは、先程総督府前でハルキをシノン達に預けてからである。当時はツェリスカも特に何も思わなかったのだが。
「……終わり、だっ!」
最後に残った敵対プレイヤーが拳銃を突き出すよりも早く、その右腕にナイフを投げつけて硬直させ、その隙にVP70の三点バースト射撃でその銃器を手首もろとも撃ち抜く。
既に特製スタン弾の残弾はなく、その射撃はVP70本来の使用弾薬、9x19mmパラベラム弾によって為されている。よって行動不能にならずに未だ抵抗の意思を見せるその敵に向かって、さらに接近して光剣を二振り。左腕と両足を斬り飛ばして、宙に浮いた敵の身体を思い切り脇に蹴り飛ばす。
ここに、晴れて総督府ロビーの制圧が完遂した。
「お見事だわ。これだけの実力があれば、BoBでも通用するんじゃないかしら〜?
参加するかどうかは別としても、同じGGOプレイヤーとしてあなたを誇りに思うわ〜」
「……それは、とてもありがたく」
対してツェリスカは、未だ抵抗しようとする傍のプレイヤー一人にスタン弾を撃ち込みながら、努めて平静な声でグラントを出迎えた。それに彼も少しだけ強ばらせていた表情を緩めて応じる。
「それで、その緊急ターミナルってのにはどうやって行くんです?
確か、ここの真上にプカプカ浮いてるんですよね?」
「ええ、その通りよ〜。説明するより、見てもらった方が早いわね〜。
それじゃあグラントくん。一旦ロビーの中央部に集まってもらえるかしら〜?」
二人は各々の位置からマップの真ん中、少し盛り上がっていて中二階の様になっている中央部に足を運んだ。するとツェリスカはそこに存在する、普段は施設案内用の為に機能している端末の前に立つと、まるで流れる様にその両手で何やらキーボード操作をし始めたのだ。
「……ツェリスカさん」
「あら、なぁに? ……今はちょっと作業に集中させて欲しいのだけれど〜」
「あ、そっすね、すんません。
……だったら、独り言として聞き流して欲しいんですけど」
ぼつり、と話し出したグラントだったが、流石にタイミングが悪い。ツェリスカも顔を彼に向ける事が出来ずにいる。
しかし。グラントには分かっていたのだ。それを言う事ができるタイミングは、今しかないという事に。
「今までありがとうございました。
初めて会った時、困ってた俺の力になってくれた時から、日本サーバーのプレイヤーを救おうとしてる今まで……あなたは運営のスタッフとしても、人間としても、素晴らしいプレイヤーでしたよ」
最後の操作を終えたツェリスカの手が、ぴくりと止まった。
「GGOの再建、出来る事があれば言ってくださいよ。
所詮はプレイヤーですけど……うちのギルド全員いればまあ、そこは何とかなるでしょ」
と言っている時点で強制的にギルメンをこき使う予定らしい。その無理矢理ぶりにちょっとツェリスカも口元を緩ませて……漸くグラントに向き直って答えた。
「そうやっていつも調子の良い事を言っているけど……私も分かって来たわ。
そう言うあなたは、実は誰よりも多感で、誰よりもナイーブな男の子なのね~?」
「お……おお、ナイーブ……?」
仕返しの様に投げかけられたからかいの言葉に落武者くんは当惑し、それにしてやったりとツェリスカは笑って見せた。直後に、総督府ロビー全体にずしんという音が響き渡る。
「……でも。
それでいいと思うわ。グラントくんはグラントくんで、つらい過去と向き合いながらも、この世界に来てくれたのよね」
思わず見上げると、開かれた天井から見える、遥か上空に浮かんでいた目的地の球体の底から……二人が立っているロビー中央部に向かって、まるでUFOが人を吸い上げる時に発するような光線が降って来たのだ。
「あなたは
きっとハルキちゃんも、そういうあなたの事を好きになったんじゃないかしら」
「……さりげなくそういう事言われると調子狂うじゃないですかー」
まあ、あれだけリア充オーラ出しておいて今更である。グラントも諦めたようにそう軽口を返して。
―――直後に周りを光が走り、それが頭上からの光線と合わさる事で……二人の立つ場所が、まるで円形の浮遊リフトの様に浮かび上がり始めたのだった。
「……マジすかこれ、外からは見えてるんです?」
「いいえ、こんなものが見えちゃったらあの球体の建物に何かがある事がバレバレだもの~。
外からはいつも通りの総督府に見えている筈よ……?」
二人を乗せた直径約二十メートル程の円盤は、そのままロビーを抜けて総督府のツインタワーの間を上がっていく。その高さから見下ろせば、現在のグロッケン中に広がっている戦火が一望できる。
とはいえ、それももうあと少しの事。直ぐに自分達が緊急ターミナルにてシステム操作を行えば、事態はひとまず収束する筈なのだ。
だが。そう思いながらも、ツェリスカは気が付いていた。隣のグラントが、未だに両手の武器を油断なく握りしめている事に。
「ねぇ? グラントくん? そろそろ教えてくれてもいいんじゃないかしら?
……どうしてハルキちゃんを、置いて行ったのか」
その彼女からの真摯な瞳を受け止めて、グラントは覚悟を決めた様に息を吸うと。
「……それは、直接
そうだろ? PoH」
「―――そうだな。その方が、話は早ぇ」
「……っ……!?」
次の瞬間。
ツェリスカの首元に、何の前触れもなく突如として……赤い光刃が突きつけられたのだった。
「おっと、動くなよ。少しでも変な事をすれば……この女は死ぬぜ」
すかさずVP70をツェリスカに、いや、ツェリスカの背後に向かって構えるものの……直後に降りかかった言葉に、グラントはその体勢のまま引き金を引けずにいた。
だが、そのバレットラインは、数秒前までは誰もいなかった筈のその場所で、
「流石って言ってやるぜ。いつから気が付いてたんだ?」
グロッケン上空に浮かぶ浮遊リフトの上で、その男は光剣を持たない左手を挙げておどけるように尋ねる。
「……お前は、直接争いに加わるタイプじゃない。
あの時もそうだったみたいに、俺達が争ってるのをよそで見て、高笑いすんのが好きな奴だ」
表情を凍り付かせたままのツェリスカに一瞬、静かな視線を送った上で……数時間前に彼女が、そして数日前にはあの死銃も使用していた「メタマテリアル光歪曲迷彩」を脱ぎ捨てたその男に返答した。
「だからこそ、あんたが出てくるタイミングがあるとしたら限られてる。
グラントとツェリスカはあのオフィスで交戦をした時点で、既にこの男に存在を知られていた。
その上で、どうあってもひっくり返されるはずのない現在のグロッケンにおいて、今だ抵抗を見せていた二人を見た彼、PoHは……思ったのだろう。
そして……それは、「猿同士の殺し合い」を眺め愉悦に浸りたかった彼にとっては……最大の障害であり、排除すべき存在であった。
「さしずめお前さんは、今までのどこかのタイミングから俺達を黙って尾行してたんだろ。そんで、緊急ターミナルに辿り着いたその瞬間を狙って……こっちを一思いに全滅させるつもりだった」
「エグザクトリィ。どうやらあの時、俺のハイドを破ったのも……偶然ってワケじゃあなかったみたいだな」
ツェリスカは視界に突き刺さる赤い閃光に目をしばたたかせながら……ぶるりと震えた。つまり目の前の落武者男は、さっき彼女と他愛ない会話をしている時でも、今自分を脅かしている背後の男がどこかで潜んでいる事を見抜いていたのだ。
……だから、ハルキを強制的に引き離して、本気を出し始めていたのだ。
「だったら阿修羅。俺が次に何を言うかは、もう察しが付いてんだろ?
この女を救いたけりゃ、抵抗はせずに両手の武器を置くんだな」
それが分かっていて、どうしてこのリフトに乗る前に私に教えてくれなかったの、と一瞬ツェリスカの脳裏に思考がよぎって……すぐにそれを打ち消した。
分かっていたところでどうなる。自分達は緊急ターミナルに行かねばならない。そして相手はステルス状態だ、看破して倒すのは不可能に等しく、出来たとしても多大な時間の浪費につながる。
そして何よりも……途中で計画が破綻した事をこの男が知ってしまったら、その瞬間に自分やグラントくん、そしてハルキちゃん達まで皆殺しにされていたかもしれなかったのだ。
だからこそ、彼は被害を最小限に留めた。二人だけになったところでこの男をおびき出して、決着をつけようとしたのだ。もし全滅したとしても、まだオルス君やハルキちゃんがこの事態を止められるように。
―――というツェリスカの推測は、
「……く」
男の命令に従う形で、グラントは拳銃と光剣をその場に投げ捨てた。
限られた情報の中から目の前の最後の敵……つまりはPoHとの交戦を予測していた彼だったが、しかしそれでも絶望的に不利な現状をひっくり返すには至らなかったのだ。なぜなら初めの一手としてPoHが繰り出しうるパターンは……グラントがカバーしきれない程には存在したのだから。
だから、ここからは即興力で乗り切るしかない。今からPoHと対等な位置に這いあがるまでは、敵が見せうる隙を全て利用して対処していくしかない。それが、グラントの出した結論だった。
「へっ、良い様じゃねぇか、おめぇらしくもねぇ。何か逆転の一手でも考えなかったのか?
その程度の安易なやり方で、ここまで踏み込んじまったのがグラント、おめぇの敗因だ。
……それは、「戦争」という観点からこの戦いを振り返るとするならば、ぐうの音も出ない程に適切で、グラントにとっては急所を突かれるかの如く鋭い指摘だった。PoHの存在に気が付いていたのなら、ハルキやキリト達がいる時点で交戦に持ち込み、被害を出したとしても彼の撃退を最優先に行うべきだったのだ。
誰も殺さず、誰も犠牲者を出さない。そんな戦争があるか。そんな殺し合いが、あってたまるか。
「……ちがうわ。あなたは……勘違いをしてる」
だが。その時、ぎりっと歯噛みするグラントに代わってPoHに反論したのはツェリスカだった。
「
あなた達の都合で、ここを勝手に命のやり取りの場所にしないで……!!」
「……なんだと?」
そんな彼女の言葉に、PoHは本当に驚いたかのように尋ね返した。それはまるで、この世界がゲームである事にまるで気が付いていないような、そんな声音で。
それに対して、ツェリスカは心の炎を灯した瞳で背後の男を睨みつけながら、更に言い渡すのだった。
「そして……ここにいるグラントくんは、もう『阿修羅』じゃない。
私達ザスカーのスタッフが運営するGGOで遊んでくれる、ただのプレイヤーなのよ」
思わずツェリスカの名を呟きかけたグラントに、全て分かっていると言うかのように彼女は微笑んだ。
その上で、リスクを承知でPoHに反駁し、グラントを励ましたのだった。つまりは、彼はもう過去を受け容れて前を向いて歩く一人の人間になったのであり、あなたの知っている人殺しの阿修羅は……もうどこにもいないのだと言わんがために。
「……フッ」
―――既にリフトは目的地である緊急ターミナルまであと数秒の位置まで登りかかっていて、見ればその球体の底がエアロックの様に円形に開く事で上がってきた円盤を迎え入れようとしていた。
そんな中で、PoHは微かに、口から声を漏らしたかと思うと。
「……ヒヒッ、アヒャハハハァッ……!!
そうかそうか、もう『阿修羅』様はいなくなっちまったのかァ! そいつは、そいつは失礼したな」
なんと、ツェリスカの首に迫らせていた赤い光剣をしまい、彼女を解放して。
「えっ―――」
……その胸を、背後から貫いたのである。
「っ……ツェリスカさん!?」
がくん、と一度全身を痙攣させて、直後に前のめりに倒れ込む銀髪の女銃士に、グラントは顔色を変えて駆け寄った。どうやらまだ体力を全損するには至っていない様で、そのままリフトの中心に横たわる彼女は、やって来たグラントを見上げるべく震えながら顔を上げると、そのまま緩慢な動作で右腕を前に出して、彼の頬を包んで。
「……ねぇ、グラントくん。
あなたは……この世界を……好きになってくれた……?」
銃の役目は、人を殺す事、それだけ。
初めて二人が出会った時、グラントはそう彼女に吐き捨てたものだった。
それは、世界に対する拒絶だった。この硝煙漂う銃の世界の、根本を否定する言葉。
「ああ」
だけど。
今ならはっきりと、グラントは口にする事が出来た。
「俺は、この世界が好きだ。
このGGOっていう世界を、愛してるさ」
―――それは、世界に対する賛辞だった。愉快で気さくなゲーマーの集う、この世界を肯定する言葉。
それを聞いたツェリスカは、曇りの晴れたように柔らかな笑みを浮かべると。
「グラントくん。GGOを、守ってね。
私の大好きな、この世界を、どうかまも―――」
次の瞬間、彼女の身体は上に持ち上げられた。
慌ててグラントが上を向いた先で……PoHはツェリスカの髪を掴み上げて、再び地面に顔から叩きつけた。
「お、おい……!!」
ダメージエフェクトで、既にツェリスカの顔はつぶれてしまっている。
それでも手を止める事無く、PoHは彼女の両腕をあり得ない方向に折り曲げ、足を光剣で切断する。
「やめろ、やめてくれ、PoH!!」
……くるりと身体を回して、その耳とエフェクトに染まった鼻を削ぎ落す。
そして、目の存在した辺りに検討をつけて、ナイフで抉り弄った。
「――――――っ」
意識すら失われてしまった彼女の身体がだらりと垂れる。全身から漏れ出る光片が眩しい。
だがPoHは手を止めなかった。たまらず掴みかかろうとしたグラントを思い切り蹴りつけて離すと、身体ごと切断してしまわないようにナイフで何度も何度も切り刻む。
「そうかい。『阿修羅』は、死んだかよ」
そして。
斬られていない場所がないという程に痛めつけられたその身体……最早「身体」とすら呼べない程に裂傷の付いたアバターは、遂にまるでボロ雑巾を扱うように、手荒く打ち捨てられたのだ。
……もちろん、彼は思い出す。あの時も、
「ああ……あああ……!!」
―――死に容赦などない。ものも言えずに、直後にツェリスカは散っていった。それはもう、ゲームで倒されたという言葉は似つかないものだった。
否定のしようがない。ツェリスカは、PoHに殺されたのだ。
「目が覚めたか? 『阿修羅』」
目的地に到達する。球体の中に入ったリフトは、その中に存在した、あのオフィスと似た管制室の様なエリアで制止する。
「たんまり金が入って来たぞ。あの女、そうとうやり込んでたみたいだな」
仕様変更後のグロッケンにおける死は、アバターのロストと倒された敵への全資産の譲渡を意味する。
だがPoHはキルオに聞かされて知っていた。ザスカーのスタッフが持つキャラクターは、金額化できるアイテムやアバター、ステータスとは別に、
そして、
「さあ、殺り合おうぜ。
俺を殺さねぇと、GGOは元に戻んねぇぞ」
それはつまり、ここでグラントがPoHを倒せなければ、運営としてのパスを奪い取ったPoHが、緊急ターミナルを掌握してしまう事を意味していた。
「……ああ、そうかい」
だが。
そんな事は、もう今の彼にとってはどうでも良い事だった。
「そんなに、俺をやる気にさせたかったのかよ」
床に落とした、VP70と光剣を拾い上げる。
「そんなに、人が悲しむのを見るのが、好きなのかよ」
そして、左手に拳銃を、右手に光剣を……
それは敵を攻撃するという意思表示。銃弾を弾く為の剣ではなく、その刃で敵を殺すための凶器として。
「……知らねぇぞ。
お前がそっち側に回った時、どんなに命乞いしてもな……!!」
―――SAOベータテストで大量PKを行い、後のラフコフやピトフーイに影響を与えた、殺人者の「原点」、グラント。
「……いいね。全くお前は……最低だな、『阿修羅』」
―――そしてSAO事件中に最大規模の人殺し集団を率いて、アインクラッドにて大勢の死者を産んだ、殺人者の「頂点」、PoH。
「さあ……オマエの血と命を味わわせてくれ、グラント……!!」
その切っても切れぬ因縁の対決の火ぶたが、戦場となったグロッケンを背景に……たった今、切り落とされたのだった。