※このエピソードには、『劇場版SAOプログレッシブ 星なき夜のアリア』のネタバレがふんだんに含まれております。ご注意下さい。
あの次の日 part1
アインクラッド第一層。
まだあのおバカ二人が邂逅していない、デスゲームが始まって数週間しか経っていない頃の話である。
「……っ」
ここはホルンカの森。
はじまりの街の北西ゲートから道なりに進んだ先に位置するここは、第一層最強の片手直剣「アニール・ブレード」の入手ポイントであるだけでなく、初心者を脱するレベルに達したプレイヤーの間では格好のレベリングスポットとなっていた。
「……あ」
その理由が今ポップしたこの、「リトルネペント」と呼ばれる植物型のモンスターである。
ただでさえ群れで出現する事が多いそのモンスターなのだが、更にその中で実の付いた個体を倒すとその場に大量の増援をポップさせる習性があり、ある程度こちらのレベルが高ければ効率よく経験値を稼げると評判なのである。
「あ、ああっ……!」
とはいえ、それはある程度レベルが高ければの話。
一度体力を全損すれば現実での死を意味するこのデスゲームにおいて、十分なステータスを持たずにその大量ポップに囲まれてしまうと途端に致死率が高まってしまう。
実付き個体に手を出さなければ良い話ではあるのだが、アクシデントで倒してしまうという事もあり得るわけで、駆け出しのプレイヤーが挑むにはあまりにも危険すぎるモンスターなのである。
「や……やめてっ……!」
そして。
たった今出現したそのリトルネペントには実がついていないにも関わらず……それを前にした「彼女」は足を竦ませてしまっていた。
ブレストプレート付きの紫色の服とショートパンツの上から白いマントを羽織る彼女の両手には、その身長に迫る程に大きな得物、つまりは大鎌が握られている。
―――彼女の名前はミト。メタい事を言うなら、先日公開された劇場版SAOにて新たに追加されたキャラクターである。
『……ミト』
声が、聞こえる。
あのサービス開始の日から昨日までずっと耳にしてきた。自分の名前を呼ぶ少女の声が。
あの時あの瞬間、最期まで助けを求めて叫んでいただろう、その悲鳴が。
目の前にいるネペントと同種のモンスターの餌食になってしまったはずの、彼女の声が。
(……これは、罰……?)
逃げたい。こんなところで、死にたくない。
だけどその声が頭の中に残響するたびに全身が硬直して、動いてくれない。
本能とトラウマがかちあって、ネペントがじわりじわりと迫っているというのに……その少女ミトはまるで身動き一つ取れずに、ただ震えるしかなかったのだ。
「た……たす……」
……それすら、口にしていいのか分からず。
ついに目の前にまで来てその蔓をしならせるネペントを見て、思わず固く目を瞑った、その時。
……その時、である。
「ウッヒョアッだれか止めてちょぐほぉお!!」
―――横から来るぞ! 気をつけろぉ!
いきなり側方からのストライク。……もうちょい詳しく説明すると、ちょうどミトのすぐ前にまで接近していたネペントに、なんか汚い悲鳴を上げながら横から飛び出してきた黒い影が突如、激突したのである。
「……え?」
これにはミトさんもお口ポカンである。ちょちょ切れていた涙もどこへやら。
ちなみにブッ飛んだネペントさんも近くの樹木型のオブジェクトにぶつかって、敢えなくガシャンと霧散するのだった。
「……な、え?」
次にミトが見た光景、というか有様は、あまりにあんまりで目を疑う様なものだった。
雌牛だった。ブモオォとか何とか息巻いているその牛型のモンスター? が何かが、どうやら先程のネペントを跳ね飛ばしてくれたのだろう事は容易に推察できた。
そして、なによりも意味不明なのはその雌牛の背中にどういう訳か、一人の人間が乗っかっている事だ。……いや、乗ってるというよりはうつ伏せにへばりついている様な感じで、身体のあちこちからダメージをあったのかキラキラとダメージエフェクトがきらめいている。
―――その頭部から伸びるロングヘアーが乱れに乱れて、なんか見るに絶えないことになっている。
(え……NPC? いやでも、こんな……?)
ただでさえ数秒前まで命の危険にさらされていたのである。よく考えればカーソルを見ればプレイヤーかNPCかくらいは見分けがつくと言うものだが、流石に今のミトにそんな冷静な判断を求めるのは酷というものだった。
……そう、あまりに酷だった。
「……っだドチクショウ!! こんのじゃじゃ馬じゃなくじゃじゃ牛がぁ!!」
―――ガバッと顔を上げるなり、いきなりそう発狂するB級ホラー並みにキモい落武者男を前にして、冷静さを求めるなんてあまりに酷というものだったのだ。
「い……いやぁぁァァァァぁっっ!!」
―――というわけで、ミトとそのロングヘアー男……ご存知グラントの出会いは、控えめに言っても最悪なものだったのである。
「ごめんてミッちゃん、ごめんてー……まさか目の前に人がいるとかこっちも思わなかったんだってー」
「……取り敢えずそのミッちゃんとか、馴れ馴れしく呼ばないでくれる? 初対面でしょ」
「ウボァー」
ザックリとグラントの心を抉る、底冷えした声音である。さすが大鎌の使い手である。
とにかくここはホルンカの村の郊外。ひとまず二人と一頭(ネペントを吹っ飛ばした、あの雌牛のこと)で森を抜けた、その帰路での会話である。
「まあ、助けてくれたことには礼を言うわ。あなたが来てくれなかったら、ちょっとまずかったかもだから」
「え? 俺なんかしたの? このウッシーちゃんに必死にしがみついてただけで何が何だかさっぱりなんですけど」
「……ならもういいわ」
さすがグラントである、せっかく珍しく女の子に感謝されたのに。トンデモムーブからとことん締まらない辺りまで、初期落武者男のガチヤバ要素がてんこ盛りである。いや盛りすぎたか。
「……で、その雌牛って、もしかしてあの?」
「あ、うんにゃ。『迷子の仔牛』改め、『逆襲の雌牛』クエストの雌牛だぜー」
逆襲の雌牛。
ベータ時代は「迷子の仔牛」という名前だったそれは、ホルンカの村の牧場で受注できる探索・護衛型のクエストである。内容は迷子になった仔牛をフィールドから探してくるというものなのだが、その迷子牛を探すためには母親であるこの雌牛を借りて、捜索エリアの草原まで連れていかなければいけないという、結構面倒なクエストなのだ。
……そしてこの雌牛、定期的に好物の岩塩を舐めさせないと機嫌を損ねて明後日の方向に走り出して、最終的には牧場に戻ってしまう程に気性難なのである。
「いやー、ちょっと油断したらコレだよ。めっちゃ全速力で逃げようとするから、コイツめって背中に飛び乗ったったらさぁ……ホントに止まんねぇでやんの……」
―――そのまま明後日の方向に突っ走り続けた結果、なぜか森に突っ込んであのザマだったと。
結果的にミトさんの危機を救ったから良かったものを。実は彼女のレベルはネペントごときにやられるほど低くはないし、少しでも雌牛の気まぐれで場所がずれてたら吹っ飛んでたのは彼女の方だったんだぞ、分かってんのか?
「っていうか、そのクエストってそもそもソロ向きじゃないわよ。一人で戦闘も雌牛の管理もするとか無理に決まってるでしょ」
ミトさん、完全に軽蔑モードである。徹底的にSAO女性陣から嫌われるお約束のグラントだったが、残念ながら新キャラとかも例外じゃなかったらしい。知ってた。
それは置いておいて。しかし彼女の言う通り、そもそもそのクエスト自体、本来は複数人で戦闘ロールと雌牛管理ロールを分配してこなすものなのだ。なのでこの時点では友達とか全くいないぼっちグラントにはとても敷居の高く……。
「……何、その目」
「ふっふーん、いやぁ、俺、さっきミッちゃんの命を救ったっぽいじゃん?」
「うわぁ……最低」
軽蔑の視線からゴミを見るような目に格下げである。
このパワハラ男、まさかの脅迫である。テメーの命を救ってやったんだから、俺に協力しろと。交渉材料として有効なのは分からんではないが、その手段を選ばないスタイルのせいでぐんぐん好感度下がってるぞ。
「まあまあまあ、良いじゃないですかー。
「……っ!?」
―――ミトは、かつてのベータテスターである。
その実力たるや当時のNo.2と言っても良い程であり、実際にベータテスト終了直前においては第十層迷宮区のボス部屋を開けた某ブラッキーさんに誰よりも近づいた程なのである。
「あなた、どうしてッ!?」
「あ、いや俺もベータテスターなんすよ、うむ。そもそも大鎌なんてマイナー武器、殆ど使ってるプレイヤーいないし」
紫カラーに白マント。姿格好は大男が小柄な少女とだいぶ様変わりしているが、同じベータテスターだったグラントから見れば一目瞭然だった。
だからどうしてそうやって、警戒度を上げる真似ばっかするかなぁ。案の定ミトさんの視線がさらに鋭くなる。
……でも。ミトは考えた。ここでこの男を野放しにすると、他のプレイヤーに自分がベータテスターだって言いふらされかねない。何となくではあるけど、サービス開始日から最短攻略ルートを知り尽くしてリソースを奪い尽くした自分が、周囲からよく思われないのは目に見えているのだ。
「……いいわ、今回だけ協力してあげる。それでこの件は全部チャラよ、分かった?」
「よーしよしよし、そう来なくっちゃ流石ミッちゃんマジミトコーモン」
「次ミッちゃんとかミトコーモンとか言ったらその首掻っ切るからね?」
「マジすんません勘弁してください」
場所を移して、ここはその仔牛がどこかに潜んでいる、捜索スポットこと「ラータ平原」である。
一度村に帰ってアイテムの調達を行ってからこの第一層最大の平地フィールドにやってくるまでに一時間程が経過している。その間にモンスターとのエンカウントは五、六回、そして二人でそれぞれ戦闘要員と雌牛管理要員を分担して行っていたのだが。
せっかくなので、それぞれのお互いへの評価を聞いてみようじゃないですか。
(なに、ほんとなんなの、あいつ……!)
知ってた。ミトさん、グラントの立ち回りにはほとほとウンザリだった。
捌く、とにかく捌きまくる。蜂型モンスターの刺突攻撃とか、イノシシ型の突進攻撃とか、それぞれ絶妙なタイミングで弾き返して、その威力を徹底的に無効化する。
……しかし、反撃しない。それどころかなんか跳ね返すことに満足して、気持ち悪い笑みを浮かべている。結局ミトさんがやってられずに横から鎌で一閃しないと、戦闘が終わらないのである。
(初めて見たわよ、あんな人ベータ時代にも会ってないわよ……あんな、あんな
―――しかし、だ。
我々の知る落武者男と一つ違うのは、この時点でのグラントはまだ片手直剣使いだったのである。一応背中に盾を背負ってはいるけど、戦闘中も全く使わないし、あくまで非常用装備でしかないのであった。
まあこの時点で専守スタイル自体は確立していたとはいえ、どうやらまだ盾を使うという発想には至っていなかったようだ。なのであくまで追撃することなく、敵の攻撃を剣でパリィしまくっているのである。
「いやー、やっぱ流石ミト姐さんっすねー。まさかこんなにトントン拍子で上手くいくとは」
対してグラントの方は随分とミトの実力にご満悦のようである。
そもそも大鎌という武器は完全に初心者向けの武器ではない。劇場版見た人はちょっと分かるかもだが、グルグル回したりスキルモーションが派手な割に連撃数はそこまで多くない。さらに無駄にデカいせいでちょっと下手するだけで自分の身体が真っ二つになりかねない。そんな感じで、トーシロが突然手を出して使いこなせるような代物ではないのである。
それをこのミトさんはまるで手足のように扱っている。しかもグラントに当たらないようにちゃんと配慮した上でだ、細かい小技から全体を一掃する大振りまでこなすにはかなりのSTR値が要求されるはずなので、恐らく現環境においては紛れもないトッププレイヤーの一人なのだろう。
「ベータのときはフレと一緒にパーティー組んでたんすけどねー。どーしてかこっちだと誰も一緒に組んでくれなくて」
「私は貧乏くじって訳ね……」
リアル顔が割れちゃっている現状ではベータ時代の仲間と合流とか基本しにくいわけで、まあ別にグラントだからあぶれちゃってる訳じゃあないんだけども。でもそれとは別にプレイスタイルがトンデモだから敬遠されてるところは絶対にある。なきゃおかしい。
そういう感じで二人で協力して、いやミトさんが殆ど独力で頑張ってこなして来たこのクエストも折り返し地点である。あとは仔牛を見つけて、二頭とも連れ戻れば万事解決だ。
「……あ、近くにいるわよ。雌牛が吠えてるわ」
ミトがげんなりしていた表情を引き締めて、グラントに声を掛ける。
仔牛を見つけるコツがこの雌牛の反応を見分けることだ。こうして唸っている間は、クエスト受注者が仔牛に接近していることを示している。それを知っているからこそ、ミトは急いでその開けた草原を見回して。
そして、ちょうどそのロングヘアー男の背後の辺りに、目当ての黒い影を見つけて。
「見つけたわ、あそこに……えっ!?」
驚くのも無理はない。
仔牛はいた。確かにいたのだが……なんか変なの二人組がそのちっこい牛を掻っ攫おうとしているじゃないか。
いや、二人というよりは、二体なんだけど。
「あ、そういや言い忘れてた。なんかベータ時代とちょっと変わったみたいでしてね?」
ベータ時代のこのクエストの名前は、「迷える仔牛」。
対して現在の名前は「逆襲の雌牛」である。
名前が変わっているので、クエスト内容も実はちょっと変わっている。ベータ時代はそのまま仔牛を連れて帰ればおしまいだったのだが、グラントによるとそこに更に戦闘イベントが追加されているのだという。
「えっとね、まずは今目の前にいる『スワンプコボルド・ラットハンター』が二体。まあ沼コボルドってやつだよ、俺達のレベルならある程度余裕はあると思うけども。
……もう一体が、アレでねぇ」
そうグラントが言い終わらないうちに、三体目が現れた。
「スワンプコボルド・トラッパー」。右手にダガーを、左手に鉤縄を携えたその沼コボルドは、第一層のモンスターの中では要注意モンスターの一角である。先の二体とは違って推奨レベルはちょうど今の二人と同じくらいであり、かつ「特殊な攻撃」をしてくる為ベータテストでは殆どのプレイヤーがヤツに殺されたといっても過言ではないほどの危険度を誇っている。
―――しかしだ。実はこの強制戦闘には、仕掛けがあった。
「とは言いましたけどね。実はこれイベント戦闘らしいんすよ。
下手に交戦したりしないで突っ立ってれば、『逆襲の雌牛』よろしくウッシーちゃんが俺達の代わりにヤツをぶっ飛ばしてくれるらしくてー」
ちなみに、検証元は例の黒いのと鼠である。そしてグラントがそれを知っているのは、彼がその鼠の販売している攻略本を買っていたからである。
いわゆる初見殺し的なそのギミックは、恐らくベータテスト時代から正規サービス時代の今に移行するにあたり、初めて観測された変更点だった。しかしまあ裏を返してしまえばタネがわかっているので、つまりミトとグラントは下手にそのトラッパーと交戦せず、雌牛が動くのを見計らって他の二体を倒せば良いという話なのだ。
……いや。
そういう話の、筈だった。
「……えっ?」
―――パリンと、背後で何かが弾ける音がする。
二人が振り返ると、そこにはポリゴンの欠片となって飛び散る、雌牛の姿があった。
「……はっ? え、うそっ」
グラントが思わず声を上げる。
当然だ。だって、
「ちょっと!? これ、本当にクエストの進行に沿ってるの!?」
「い……いや、そんなハズないんだけど……だって、雌牛が死んだら、じゃあ」
血の気の引いた表情で詰め寄るミトに、グラントも余裕をなくして返答する。
……そして、二人は揃って、視線を前に向ける。
「……トラッパーは、誰が倒すんだよ……!?」
―――コンジュラ!! と、コボルド独特の奇声を上げながら、トラッパーは鉤縄を回し始めていたのだった。
(part2へ続く)