※ちょっとシリアス注意報
「……トラッパーは、誰が倒すんだよ……!?」
―――流石のグラントも、この事態にはすっかり普段の余裕を奪われていた。
という訳で、現在彼と暫定コンビのミトがいるのは第一層のラータ平原。ここで迷子の仔牛を見つけて、出現する沼コボルド達を雌牛と共にぶっ倒すという筋書きの筈が……どういうわけか雌牛がその場で消滅していなくなってしまったというのが現在の状況である。
「コンジュラ!!」
なんだその叫び方って思うだろうけど、これ公式なんだもの、仕方ないでしょ。
その奇声を発したモンスターの名は「スワンプコボルド・トラッパー」。コイツは前も言ったように第一層に登場するモンスターの中ではダントツに危険度の高い奴である。
というのも、左手に装備している鉤縄がかなり脅威的で、その攻撃を食らってしまうといわゆるディスアーム状態、つまり武器を強制的に解除させられてしまうのだ。そして地に転がった得物を慌てて拾おうともたついたが最後、あっという間に接近を許してザックザクに切り刻まれるのである。
(と、とりあえず撤退しないと、他に沼コボルドが二体いるし……でも)
当然、クエストは一旦放棄して逃げるのが吉である。しかしそこには一つ問題があった。
このトラッパーという敵は面倒なことに、プレイヤー側が背を向けると追撃として鉤縄攻撃をする確率が高くなるのだ。しかもその場合、ディスアームだけでなく足を掬って転倒させられる危険まで生じる。
なのでベータ版においてコイツから逃げる際は、一人がしんがりとして残って注意を引いているうちに他が逃走するというのがセオリーだった。……ただし、その場合残った奴はほぼ確実に死ぬとされていたけど。
「……ミッちゃん?」
つまりだ。
この場において、ミトか、グラントか、どちらかが残らなければならない。
そして残った方は、一度体力を全損すれば本当の死を意味するこの世界において……生き残れない可能性が高い。
その役目をどちらが担うのか、それとも……何にしても作戦を決めないといけない。そう思って前に片手直剣を構えたまま、グラントは隣にいるミトに声を掛けた。
「……ミッちゃん……?」
声を掛けて、息を呑んだ。
ミトは震えている。瞳孔が開ききって、力の入っていない両手から溢れかかっている大鎌がカタカタと揺れている。
出来ればあのトラッパーに対する、なにかしらの別解を知っていれば聞き出したかったのだが……この様子だとそれ以前に戦闘どころじゃない。
(一体……どういう……!?)
―――あの時の情景が、ミトの脳裏には蘇っていた。
周囲を取り囲む無数のネペントの赤いカーソル。その中心で戦う、栗色の髪のプレイヤー。
助けに行こうと足掻いて、転落トラップに引っ掛かって、崖の下まで落ちて。
何度も体力はレッドゾーンに陥った。その度に自身の死を感じて……それでも諦めず、挫けずに「彼女」を救い出そうとして。
ポーションは底をついて。そのヒットポイントがゼロに近づいて……そして。
「……むり、よ」
殆ど、音になっていない声だった。
何に対してそう口にしたのか、自分でも良く分かっていなかった。
だけど、どうしようもなく限界であることが分かってしまったのだ。こうして、圏外で、命を掛けて誰かと共に戦うということは、自分にはもう。
……それを、この緊急事態で思い知ってしまったのだ。
「むり……もう、こんなの……こんな筈じゃ……!」
「……だーっ、もう、しょーがねぇなぁ!」
―――横からの声に、ハッと我に返る。
グラントは一歩前に出た。そうして片手直剣を改めて構え直すと、続けて。
「囮役、やったろうじゃないの! ミッちゃんは逃げて!!」
「――――――ッ」
呼吸が止まる。
だってこれでは、あの時と。
「……いやよ、私だって」
「却下! どう考えてもそのメンタルで無理でしょ! いいからはよいけ!」
無謀よ、ミトは思った。
前も言ったが、ベータ時代はこのトラッパーと交戦したほぼ全てのプレイヤーが、一度はヒットポイントを全損させたほどなのだ。それをどんなプレイヤーだって、ぶっつけ本番で完封なんて出来るはずがない。
「……そいつはどうかな……!」
「ほぼ全て」、である。
グラントは当時そもそも、
「やってみなきゃ、わかんねぇってばよぉぉ!!」
トラッパーは大きく得物ををぶん回す。
それに対し、無駄にカッコつけたセリフを吐きながら……グラントは事もあろうに、何と真正面から突撃したのである。
「だ、駄目っ―――!!」
ミトの悲鳴も間に合わず、相手は左腕を振りかぶり、鍵縄を投げてきた。射程範囲もさることながら、その速度もかなりのものだ。
それに対して、グラントは特に回避行動を取るわけでもなく、剣を前に突き出したまま。
「……ほいっ!」
―――弾き、上げた。
「……え?」
指先でピンと、剣を僅かに上へと弾く。すぐに鉤爪が右腕に迫り、僅かに逸らした肩を掠めるけど……宙に浮いた剣はなんの影響も受けずに、直ぐに何事も無かったかのように右手に戻ってくる。
「さ……先に自分から装備解除状態にして、ディスアーム攻撃を無効化したの……!?」
「ご名答……じゃなくて、はよ逃げろって!!」
その場で呆然と立っているミトに全力でツッコミながら剣を水平後方に引き絞ると、その刃が水色のエフェクトに包まれる。片手直剣基本技「ホリゾンタル」の発動モーションだ。
……しかし。直後に我に帰ったミトが、さらに叫ぶ。
「ま、待って!!
「え……マジ……っ!?」
そう、引き戻し。
鉤縄を投げ放ったのだから、当然それをトラッパーは引き戻す。初見プレイヤーを数多く仕留めてきた必殺の二撃目が、グラントの背後にまで迫ってきていた。
「こ、このッ」
しかし。コイツは無駄にしぶとい事で有名になる男である。いや別に有名にはならない。
強引に駆けていた足で直角左方向に飛び退きながら、体ごとひねってホリゾンタルの軌道を後ろにまで引き伸ばす。ベーゴマのように回転して繰り出した刃が、鉤爪と接触して甲高い音を立てる。
ソードスキルの一つの特徴として、「発動中は何があってもモーションが阻害されない」というものがある。厳密には自分よりSTRの高い攻撃によって妨害されれば発動失敗はするのだが、そうでない要因―――例えば
……というわけで、何とか二撃目をやり過ごしながら、グラントは衝突のインパクトを利用して大きく横に吹っ飛んだ。そして地面をゴロゴロ転がって硬直を凌いで、トラッパーから大きく離れた場所で再び身構える。
「……っぶね、これは……なかなか」
とはいえ。一見上手く処理出来ているように見えるこの立ち回りも、幾つもの致命的な判断ミスを辿らなかった事による危ういものでしかない。
例えば初撃をソードスキルで受けていれば、その後の技後硬直中に二発目が避けられなかっただろうし、さらに一瞬の判断で大きく離脱していなければ、今度は攻撃速度の早い右手のダガー攻撃の餌食になっていた筈だ。
幸いその後ろにいる二体の沼コボルドはまだ交戦状態になく、こちらから攻撃しない限りは何も仕掛けてこなさそうだが……それでもトラッパー相手に結果として受け切れても一切攻撃の出来ていない現状、グラントがこのまま戦って生き残る保証はない。
―――しかし。ミトの足は、やはり竦んでいた。
(こんな事になるなんて思わなかった……どうすれば良いのか、分からないのよ……!!)
加勢しないと、彼は死んでしまうかもしれない。それは分かっていた。
だけど、一緒にあの強敵と戦って、彼を死なせてしまったら?
もし、またパーティーメンバーの体力が、レッドゾーンを割って、空になるところを目の当たりにしてしまったら?
その時、私はまともで居られる? その現実を、受け止め切れる?
そんなわけない、だったら……彼の言う通り、何もかも忘れて逃げてしまった方がいいのではないか?
「だって……もう既に」
堪らずに溢れた声は、震えていた。
「私は一人……もう既に見捨ててきたのよ……!」
―――前日、ミトは、リアルでも交流のあった一人の少女を置き去りにした。
ネペントの実を破り大量のモンスターに囲まれた「彼女」を救おうと奮闘するも虚しく、その体力が底をつく瞬間を目の当たりにする事に耐えきれずに……パーティーを解散して逃げ出してしまったのだ。
それから放心状態のままに、初心者である「彼女」を世界に慣らす名目で辿っていたそれまでのルートを破棄して、最大効率ながら難度の高いホルンカの村を通るルートを辿ってやって来て。
そして、そこで彼女は再びネペントと遭遇して、グラントと出会ったのである。
「守るって言ったのに……まだ、あの子は何も知らなかったのに……!
私がこのゲームに巻き込んだのに! 私が守ってあげなきゃ……いけなかったのに!!」
―――私はこのゲームのことなんか何も知らないの!! 放っておいてよっ!!
怯えて思わずそう叫んだ「彼女」を守ると豪語して、ミトは強引に彼女をこの世界に、戦いの道に引き入れた。
……だからこそ、自分が全てやり倒さねばならなかった。彼女に戦いを教えて、システムの仕組みを教えて、この世界での生き方を伝えなければならなかったのに。
なのに、そんな大切な人を、彼女は自ら手放してしまった。
「私は……私にはもう、誰も守る資格なんてないのに……!!」
「―――それは、傲慢ってもんだぜ」
しかし。涙をたたえながら、そう叫んでしまったミトに、降りかかる声があった。
顔を上げれば、今度は突進してダガー攻撃を繰り出すトラッパーを捌き続ける、グラントの姿があった。
「ミッちゃんが何したのかイマイチ分かんないけど、守る守るって……そんな誰かをずっと守り通せるほど強い人間なんてそういるかよ。
君はそんなの背負うほど強くなかったってことだ。そんで君に守られてたソイツも、君に甘えてばっかりのアマちゃんだったって事だろ」
「……ちょっと」
お前そんな言い方ないだろ。少しは原作キャラに敬意を払え。
これにはミトさんも大変遺憾な様子である。彼女的には自分はともかく、しれっと「彼女」にまで文句を言っている辺りが我慢ならなかった様だ。
……しかし。
「―――それで、いいじゃん」
しかし。グラントは敵のダガーによる猛攻をなんとかパリィして、トラッパーを大きく吹き飛ばしながら……続けたのだった。
「他人一人守れないくらい弱くて、何が悪いってんだ!
弱い人同士だから、協力できるんじゃん。弱いから……一緒に、強くなっていけるんじゃんかよ!」
「――――ッ」
それは、「彼女」にとっての英雄であろうとしていたミトにとってはあり得なかったもので。
……そしてグラントの今後の行動に繋がる、根幹だった。
「誰も守れないって悩むくらいなら、誰か守ってくれって頼めばいいんじゃないの?
英雄なんてクソ喰らえだ。どんな理由があったってしょい込めないものまで背負うなんて、そんなの……なんかちがうだろ」
大きく、目を見開く。
(そっか、私は)
そして、どこかで納得する。
あの子を守らなければならない。それは自分の、本当の願いではなかったことに。それはただの、自らに課した呪いでしかなかった事に。
(私はただ、純粋に―――)
「っと、うわっ、ヤバっ」
―――唐突に、焦りの声が上がった。
何とかしてダガー攻撃を弾いて、その隙をついてなるべくダメージを与えようとグラントが再び片手直剣スキル「バーチカル」を繰り出したその時。トラッパーはそのタイミングで、鉤縄を放ったのである。
縦一文字に振るわれた刀身と接触し僅かに軌道がずれながらも、鉤縄はそのまま落武者男の背後に回る。つまりさっきも言った「初撃をソードスキルで受けてしまった場合」に陥ってしまっていて、引き戻しの二撃目に対処しようにも技後硬直で動けないのだ。
(あの時と、一緒ね)
パーティーメンバーが、ピンチだ。
助けようとして、助けられなかったら、私はまた怖気付いて彼を見捨ててしまうかもしれない。
―――それは、私は彼を助けなきゃいけない存在だって、心のどこかで思っているから。共に戦うとはそういう事だと、この数週間で思い込んでしまっていたから。
「……私は」
でも、私はもっと、素直で良いのかもしれない。
守った後は、守られても良いのかもしれない。自分一人の力じゃなくて、どんな絶望的な状況でだって助け合って、信じ合って良いのかもしれない。
「……私はっ!!」
あの時、結果が絶望的だったとしても。
その結果として死を見届けることになったとしても。
それでも、あの子を最後まで信じて良かったのかもしれない。それを後悔することなんて、なかったのかもしれない。
そして、そうして良いのなら……それが出来るのなら、私は……!!
「私はもう、逃げたくない―――!!」
―――弾かれた様に飛び出したミトの大鎌での渾身の一振りが、グラントの背中に迫っていた縄を真っ二つに断ち切った。
「うおおおっ!? ミッちゃん!?」
てっきり説得すれば逃げてくれると思っていたグラント、まさかの参戦に仰天である。いやそうしなきゃお前結構ヤバかったんだけども。
「話はあと! 縄だけでも転倒は仕掛けてくるわ!
でもそれはこっちも攻撃で弾き返せるから、小回りのきくあなたの剣でやって! 私はその間に出来るだけ相手の体力を削る!!」
隣に並んだ鎌使いに、彼は振り返ってみる。
口調はテキパキしていても、瞳の光はまだ鈍い。決して完全復活と言うわけではない、震える足を踏み締めて何とか立っている様子だ。彼女自身、直前に自分が放った冴えた一撃に戸惑っていた。
「でも、こうなったら最後までやってやるわ。
私はあなたを守る。だからあなたは、私を守って……だって!」
―――支え合う存在。
一般的にそれを人は、こう呼ぶのである。
「……『仲間』でしょ! 私達!!」
「よーし」
決意の言葉に、グラントも口角を上げて応じる。
「じゃあ、やってやろーぜい!!」
鉤を損なった縄が、飛んでくる。
ディスアーム属性を失った攻撃なので、ソードスキルで防ぐ必要はない。グラントは持ち前の防御技術を活かして、手にした剣でジャストパリィする。
直後にミトが彼の背後から飛び出して、トラッパーに肉薄する。その鎌をライトエフェクトに光らせて、まるで紫色の旋風の様に回転させる。
そして、技後硬直に襲われるミトに襲い掛かるダガーを、遅れて駆けつけたグラントが剣で再び弾き返す。
「……これなら、いける!!」
DEX極振り型エセ剣士である落武者男と違って、ミトは以降の攻略組と遜色ないトッププレイヤーである。その火力は流石のもので、今の一連の動きで既に敵のヒットポイントの三分の一程度を削っていた。
これなら、この手順をあと二回繰り返せば、行ける。そう確信した彼女からアイコンタクトを受けたグラントが、再び飛んできた縄を弾こうと剣を振るう。
「……えっ」
しかし。
その瞬間、ちょうどグラントの剣が縄とぶつかろうとした瞬間……その先端が光に包まれて、断ち切られたはずの鉤が復活したのである。
モンスター側の武器破壊は、時間経過で修復する場合がある。特にあの鉤縄の様なプレイヤー装備には(今のところ)存在しないイレギュラー武器なら猶更その可能性が高い―――それをすっかり、二人は失念していたのだった。
「ぬ、ぬかったっ……!!」
ディスアーム効果が発動して、落武者男の手から剣がすっぽ抜ける。間髪入れずに彼の真横を過ぎていった鉤縄を、ミトも辛うじて回避する。
……だが、もうお分かりのように引き戻しの二撃目がある。武器を失ったグラントには防ぎようがないし、ミトは両手鎌の性質上至近距離のオブジェクトの切断は困難で、避けるので精一杯である。
「……グラントっ、だめーーッ!!」
「…………まだまだ」
いや。
あるではないか。避けなくとも、剣がなくとも……攻撃を、はじき返す方法が!!
「ま……だだああっっ!!」
―――とっさに背中に右手を回して、そこに背負っていたバックラーを左手に装備する。
そして振り向きざまに、ぶっ叩くように鉤縄を打ち払ったのだ。
「ロッゴ……!?」
再びのディスアーム効果で、バックラーも手元から放れる。
しかし、盾による
ちなみに上のはトラッパーの悲鳴で、これまた公式コボルド語である。
「ち……チャンスだ、ミッちゃん!!」
二度のディスアーム効果を受けておもっきし体勢を崩しながら叫んだグラントの声に応じて、ミトがこちらも自分の鉤縄を受けてひっくり返ったトラッパーに猛突する。鉤が復活したのなら先程までの様な安定行動は見込めない、なら……ここで決めるしか道はない!!
「はぁぁああああっっっ!!!」
STR全開、かつ習得しているものの中で最大のソードスキルを解放する。隙も大きいので、決めきれなければやれらるのは自分の方だ。
自身の周り三百六十度を包むライトエフェクトの嵐ごと、トラッパーにぶつかる。無数の斬撃が、その沼コボルドの全身を切り刻んでいく。
(まだ怖いけど、身勝手かもしれないけど……でも)
そして、最後の一撃のシステムアシストを、ありったけの力でブーストさせる。
(あなたの死を、無駄にするわけにはいかない!!)
―――その決意を乗せた一撃に、トラッパーはあえなく光の破片と化すのだった……。
「ほいほい、これが報酬ですかー。いやー、噂には聞いてたけど楽しみっていうか」
それから、数時間後。
トラッパーを何とか撃破して、その他の沼コボルドもコテンパンにして、とりあえず仔牛を村まで連れ帰ってみればクエスト完了となって……何が何だか分からないけどとりあえず報酬をもらった落武者男とミトの図である。
「……どういうこと? だって雌牛がいなかったのにクエスト完了って……?」
その報酬……一人一つずつ、依頼主から手渡されたバスケットを開きながら、ミトは首を傾げていた。
「でも、実際に雌牛はあの場所で消えて……ベータ時代はあんな事起きなかったし、そもそも戦闘イベント自体が組み込まれていなかった……ベータテスターだけが有利にならないように、変更点を加えてるって事……?」
夕暮れの牧場の柵に腰かけて、そう独り言ちるミトに、グラントは眉を寄せた。
気づいていないなら言う必要もない。戦闘イベントは彼女の言う通りベータテスター泣かせの変更ポイントだっただろうけど、雌牛の方は明らかにイレギュラー要素だ。大体クエストの題名は「逆襲の雌牛」であり、クエスト全体のストーリーを考えれば突如雌牛が離脱するなんてありえない。
―――つまり。何かしらの
(もう……もう、人殺しが始まってんのか。
まだ第一層だぜ、これじゃ、あの時よりももっと早く……)
「……ねぇ、グラント? どうしたのよ? そんな顔して」
ミトの不思議そうな声に我に返って「い、いやぁ……テペペロ」とかなり気持ち悪い発言で応じて、こちらもバスケットを開いて中のアイテムを取り出した。
大きな黒いパンが二つと、小さな瓶が一つ。二人でこの瓶なに? と首をひねり合って、少ししてそれがサワークリームの入ったものである事に気が付いて、そして揃ってクリームのついたパンを頬張った。
「……私、パーティーメンバーを見捨てちゃったの」
―――ぽつりと、ミトが零すように言った。
「リアルでも同級生で、その子はゲーム初心者だったから……私が頑張って、このSAOのこと教えなきゃって、ずっと自分に言い聞かせてた。
気が付いたらはじまりの街の広場のど真ん中で、私のリアルネーム叫んでるのよ? ほんとにもう……笑っちゃうわよね」
たまには息抜きしないと、潰れちゃうよ。
そう言って「彼女」にSAOの存在を教えて、あのサービス開始日に二人は合流した。それから街中を二人で散策して。
……あの時の「彼女」の輝いた瞳を見た時、ミトは思ったものだった。優等生であれと、常に完璧を求められ続けてきたあの子が、こんな無垢な表情をするなんて。
よかったと、心から思ったのだ。私も、ゲームを通して誰かを幸せな気持ちにすることが出来るんだって、本気で嬉しかったのだ。
「でも……あんなことがあって」
これは、ゲームであっても遊びではない。
あの茅場晶彦の宣言の直後に野良モンスターの攻撃を受けた「彼女」が取り乱して言い募った言葉は、確かにミトの心を切り刻んだ。自分はゲームの事なんて何も知らないのにと、つまりは、
……それまでの全てが、ガラガラと崩れたような気がした。あれからミトの中で「彼女」を守ることは、自らに課した呪いとなった。
「ずっと、あの子を第一に考えなきゃって思ってた。その為に自分はいるんだって、それが私の償いなんだって。
……でも、それは私の本当の願いじゃ、なかったんだ」
そう。
いつまでもそんな関係が続くとは、ミトも考えてはいなかった。そんな重荷、いつまで背負い続けられるか分からなかった。
そして……それは一日前、あのネペントの丘で破綻した。守るべき人に訪れる死を、その責任を、受け止められなかった。
「本当は……ただ、友達でいて欲しかっただけだったのね」
―――ゲームが好きなゆえに、上手すぎたが故に、誰も友達になってくれなかった。
あの時、「彼女」に拒絶されかかって、再びミトは友を失いかけた。それが彼女の心を堪らずに締め上げて、とっさに口にしてしまったのだ。あなたの事は、私が守ると。
強くありたかった訳じゃない。私が強くないと「彼女」は友達でいてくれない……そう思ったからこそ、ミトはその呪いに縛られ続けていたのだ。
「でも……一緒にいて、楽しいって思ったことはなかったの?」
涙を流しているというのに、口にするクリームパンがどうしようもなく甘かった。そんなミトを前に、グラントはあわあわしながらも……何とか言葉を選んでみる。
「ほら、デスゲームとかそういうことになっちゃったし、思ってもみない事言っちゃったり、やっちゃったりするかもだけど。
その子だってさ、いつ死ぬか分からないって状況で君がいつも守ってくれてて、嬉しかったはずだよ」
ポーションの買い出しの途中で、おしゃれ用の服を二人分買ってきてくれた「彼女」。
髪型をお揃いにしようと、システム操作を使わずに手で髪を編んでくれた「彼女」。
あの時は照れくさくて突き放しがちだったけれど、あれは決して偽りの感情によるものではなかった。
今は守られてばかりだけど、その先で……いつか二人で助け合って守り合う様な、本当の仲間になれる日が来ることを、「彼女」も願っていたのだ。
「それって、つまりさ。
……もう君たちはお互いに、大事な友達だったってことじゃない?」
「そうね」
村のはずれ、どこまでも続く草原と、日の沈む夕闇の中でのひと時だった。
「あの子はとっくに……私の大切な友達でいてくれてたのね」
今は失われた、かつてのかけがえのないものを想って……ミトはひとり泣いた。
「それで? あなたはこれからどうするの?
一層迷宮区前の街、トールバーナに行きたいならこっちよ?」
クリーム付きのパンを食べ終わった二人は、それぞれ支度を終えて、村の入り口で言葉を交わしていた。
「あ……いや、俺はしばらくここら辺を散策しようかなーと。
いやあ、ベータからの変更点があるならもしかしてレアアイテムとかレアクエストとか転がってるかもだし……それに」
そう宣うとグラントは左肩を下げて、そこに背負っているものをミトに見せる。
「……こいつをもうちょい、試してみたくて」
それはあのトラッパー戦の最後にコイツが使用したバックラーである。実は彼が正規サービスで盾を本格的に使ったのは、アレが最初だったのだ。
もしかしたら剣なんてなくても、盾だけで色々立ち回れんじゃね? という愚行の極みが始まってしまった由来なのだった。
「あなた、ほんとどうかしてるわよ。まあ、剣使ってても碌に攻撃しないし、変わりないかもしれないけど。
でも……ありがとう。もうちょっとだけ、私も頑張ってみるわ」
「いやいや、それほどでもー……あるんだけど。……でもまあ」
……その時にこの落武者男の見せた表情になにか鈍いものを見たのは、ミトの感傷的な勘違いだったのだろうか。
「大事な人が傷つくのが耐えられないとか……そういう気持ちは、何となく分かるから」
―――ミトは知らない。
自分がこの後トールバーナまで足を進めて、フロアボス攻略に乗り出す一方で……見捨ててしまったはずの「彼女」はとある剣士に命を救われ、守られるだけでない、ひとりの運命を切り拓く剣士として成長していることを。
そんな「彼女」と、再会する日は意外にも……近いことを。
「もしあなたが一層のフロアボス攻略会議に間に合ったら……その時は、また一緒のパーティーになってあげてもいいわ。
あなたも大事な……私の友達で、仲間だものね」
―――グラントは知らない。
自分がこの後メッチャ道に迷って、通称「コボルド軍曹」の住み着く洞穴に十日も閉じ込められて、その間トレジャーボックスの中で暮らしながら攻略とかそっちのけで盾でのガード技術をメッッチャ洗練させてしまうことを。
……そして、そっちで運命の相棒と出会うことを。
「……それじゃ、また逢いましょう!」
「おー! またよろしくっすミトコーモン」
「次言ったらその首搔っ切るって言ったわよね?」
「ちょっ、まじごめんて、えっ、え」
……彼女とグラント達が今後どう関わっていくかは、また別の話である。
マソップ「『ソードアート・オンライン プログレッシブ -冥き夕闇のスケルツォ-』2022年公開!」
マソップ「こっちの話の続きもそれまで待てッッ」