天を泳ぎて地に戻りきよ   作:緑雲

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風邪ひいて死んでました。スマヌ。え?夏風邪は何がひくって???聞こえないわァ~~~~~~耳が遠くなったかしらァ~~~~~~~


幽霊、叫び

 

 特別なことなんてなにもない、ありきたりの陰口が耳に届く。今更気にすることすら億劫な定型文だ。もっとバリエーションとかないのかと呆れすら湧いた。鋭敏な聴覚で拾うそれは、ソーマにとって憂鬱ではあるが、深く傷つけられるほどのことではない。聞き流そうと視線を落とす間際、

 

『違うだろ!!!』

 

 少女の張り上げた声が響いた。いつも能天気でポジティブなくせにどこか卑屈っぽい、けれどそう、まるで夏の日差しのような声音が、絶叫にも似た鋭さでソーマの鼓膜を震わせる。叫んでいる。すぐに踵を返した。エリックが困惑の声を上げていたが、知ったことか。

 

『お兄さんはあの日だってめちゃくちゃ頑張って走ってた!息が切れても足がもつれても!体力がなくなるギリギリで!あんたたちのところまで必死に!走って行ったんだよ!誰か一人でも助けられるようにって!』

 

 息継ぎなんていらない身体で好き勝手、なりふり構わずに。そうしたのは身体がないからじゃない。誰にも見えないからなんて理由じゃない。それくらいはソーマにもわかった。

 おそらく声の出所と思われる場所では、三人の青年たちが談笑していた。ソーマの聴覚が正しければ、先程陰口叩いていた連中だろう。

 

『誰かを守るためにいつだってお兄さんは頑張ってきた!訓練だって誰よりも朝早くから夜遅くまでやって!あんたたちが省くようなことだって全部丁寧にやってた!』

 

 叫び散らかすように喚く彼女の声で耳が痛く、それ以上に胸が痛かった。心臓が早鐘を打っているのが立ち尽くしているだけでもわかる。

 

『吹っ飛ばされた人がいたときはわざと前に出てアラガミの攻撃を一手に引き受けてたし、回復柱も回復球も毎回!誰かに使ってばっかりで!』

 

 男の表情に変化はない。当たり前だ、彼女の声が聴こえるのはソーマ只一人なのだから。彼女にとっては不本意極まりないその事実が、今この瞬間何よりも愛おしい。

 

『まだ一ヵ月しか一緒にいないような私だってこの人が良い人だって、優しい人だってわかるのになんであんたたちがわかんないんだよ!こんなに、こんなに強くて優しいひとなのに!くそめ!なんで!なんで!なんで――』

 

 自分はこの先もずっと一人なのだと思っていた。それで構わないと思えてしまっていたから、もし何かの奇跡が起こってふたりになってしまったとき、欠けてしまうのが恐ろしかったから。

 けれど違ったのだ、ソーマは最初から欠けていた。人間というものは、最初から不完全な存在で、その欠けた部分にぴたりと合うその存在のために生きている。やっと、それがわかった。

 

『―――なんで、届かないんだよ……!』

 

 震える声で、みっともない、聞くに堪えない負け犬の声。黒髪がはらりと舞った後、項垂れる頭に陰気にぶら下がった。抱き締めるように腰をくの字に曲げ、筋肉を強張らせた身体がぶるぶる震えている。黄味を帯びた白い肌。その顔は見えない。けれど。ああ、ああ。なんて。なんて。

 何も見えない男たちは去って、少女は一人そこに残された。震える足で立ち尽くし、頭を垂れて。その腕が持ち上がる。

 いけない、と思った。思ったときには既に、その腕を掴んでいた。今ならできると思ったのだ。だってその涙はきっと、いいや――

 

『お兄さん?』

 

 ―――たしかに、うつくしいのだ。

 

「来い」

 

 一言だけ、そう言ってソーマはその腕を引いた。確かにある感触に温度は感じられず、むしろ無機物でも握っているかのように体温が奪われていくような気さえする。本当は掴んでいるのは腕なんかじゃなくて、何かそこらへんにあった資材なのではと不安に駆られ後方を確認すること数回。その度に呆然とした視線を受け止めるのも数回。

 ようやっと部屋に滑り込んだ頃には、幽霊はだいぶ正気に戻ったようで居心地悪そうに視線を床へ向けていた。ソーマはその手を離さないように、消えてしまわないように握りしめたまま、射るように彼女の眼を見つめる。

 こうして見れば、瞳の色を除けば彼女はどこにでもいるごく普通の少女で、極東にいるいろいろとカラフルなゴッドイーターに比べてしまえば没個性とも感じてしまうほど純日本人風の顔つきをしていた。体格は平均より細身で小さいが、おそらくこれは栄養失調の影響だろう。あちこちにある細かな傷跡や、ぱさぱさに乾いた髪から外で生活していた事を如実に伺える。壁外で暮らす普遍的な少女。

 沈黙に耐えられなくなった彼女が、のろのろと面を上げた。

 

「すまなかった」

 

 少女が何某かを言おうと口を開いたのを遮るように、ソーマは焦燥を滲ませてそう謝った。彼女を優先したいのは心底から思っていたが、またあんなふうに痛みを伴う鋭い言葉を彼女に吐かせるくらいなら、プライドなんてドブに捨てようが構わなかった。

 

『お兄さんが謝ることなんて、なんにもないよ。誰かを助けようとして、何が悪いって言うのさ』

「だが、お前のこころまで守ってやれなかった」

 

 必死に感情を押し殺して淡々と事実だけを持ちだそうとする彼女に、ソーマは感情的な言葉で自らの不足を詰った。

 彼女は憂いの瞳を丸くさせ、堪えるように唇を噛み締める。聞こえるはずのない喉が震えるような聞こえた気がして、彼女が一瞬だけ、生きている人間に見えたような気がして。

 そうして気付く。守る、そうだ、自分は彼女を。

 

 守りたかったのか。

 

 くだらない話をしたかった。大抵は彼女が言い出す突飛な話題も、馬鹿みたいな言葉遊びとか、偏ったしりとりとか。彼女が軽やかに笑う声が聴けるのならば、なんでも。

 あの日の遠のく意識と少女の絶叫が蘇る。

 

 ――『お兄さん!』

 

 その呼び声を。

 守りたかったのだ。

 

「あの日できなかった。だから今度は上手くやる」

 

 過去がソーマの喉を締め上げる。口下手なのは、会話をする努力をしなかったからだ。それを飲みほして受け入れて、その上で彼女にこのこころ丸ごと伝えられたら良かったのに。こんな拙くぶっきらぼうな言の葉でなく。

 ようやく掴めた少女の腕にかける力を弱め、つ、と位置を下げて彼女の手のひらを掴み直した。そこに温度はない。ないが、それが悲しいので温めようと両手で包んだ。温度が移るように。

 しかし、彼女は繰り返した。

 

『―――信じられない』

 

 ソーマの胸を、その言葉が再び貫く。

 

『なんでだろ、信じたい、信じたいんだよ、ほんと、ほんとに。けど、なんでかな、どうして、これっぽっちも信じられないんだろ』

 

 歩き続け、疲れ果てた老人のように枯れ果てた瞳が、ぼんやりと虚空を見つめていた。

 

『聞いてた?』

「ああ」

『あは。マ、そだよね。ウン、私、お兄さんがとってもステキなひとだって思ってる。優しくて、強くて、きれいで、』

 

 髪がはらりと彼女の頬にかかり、顔に影を落とした。白々しいサマーブルーが細められ、口元は強張って端がひくついていたのが、にっこりとしたきれいな笑みになる。

 

『私が薄っぺらくて、浅慮で、弱くて、汚れてて、ゆうれいなのが。いやになっちゃうんだ』

 

 それは少女の本心だった。

 名前もない。記憶もない。身体もない。なにもない自分に、心底吐き気がするのだ。お兄さんがキレイだからこそ、自分の薄汚さが浮彫りになる。死人がうろついてんじゃねぇよ、そう誰にともなく言われた気がして。彼の傍にいることがどうしても許されないような気がして。それが、嫌なのだ。

 

「……母親殺しが、そんなにキレイなもんかね」

 

 不穏な言葉に、幽霊はのろのろと彼に視線を戻した。嘲笑うその顔を、幽霊は見たことがなかった。

 

「胎児の頃にアラガミ因子を注入され、生後間もない赤ん坊はそれを制御できずに暴走。出産室と監視していた部屋までを血の海にして、血飛沫を産声としたのが俺だ」

 

 胎児の頃、水中で聞いた声を覚えている。優し気なひとだった。強く、毅然として、正しいひとだった。だが無理矢理引きずり出された胎児に外の世界は眩すぎて、拒絶するために力を振るった。誰も幸せにならない力を。あの優しいひとは、永遠に失われた。

 

「普通のゴッドイーターよりも頑丈で、治癒力もすこぶる高く、なにより過剰なまでの筋力。化物と罵られつづけた俺が、キレイだと?」

 

 それは、おそらく、ソーマの、傷とも言える、あえて表現するなら『痛み』のようなものだった。人なら誰しもが抱え、苦悩する根源のひとつ。他者との差異であり、異質。

 

「お前が思う俺なんざ、どこにもいやしねぇ」

『っなら、なんで手を離してくれないの』

 

 ぶるり、彼女が震える。

 

『あなたを全然理解できない私なんかを』

「人に聞いたからだ。誰かを想うことの奇跡を」

『そんな奇跡、どこにだって転がってるよ』

「そうかもな。だが俺は、お前が初めてだった」

『は?何それ。私じゃなくても良かったってこと?』

「それはお前もだろうが」

『私にはあなたしか選択肢がなかった』

「俺にはお前が初めてだった」

『これから!沢山出て来るよ、あなたを想ってくれるひとが!』

「お前だって、夜の間ヒマなんだからこんな不愛想男じゃないやつを探しに行けただろ!」

『それでも見つけられなかったんだから、仕方ないじゃん!』

「何本当に探してるんだこの尻軽女!大体お前のそのこれからっていつだ!ここ十七年一切現れなかったぞお前以外はな!」

『尻軽って、言って良いことと悪い事があるじゃん!ひ、ひとがせっかくお兄さんの負担をなくそうと思ってたのに!っていうかあの赤い髪のお友達だってお兄さんの事を想ってるでしょ!お兄さんが気付いてないだけ!!』

「誰が頼んだんだンなこと!エリックは顔見知りだ気色悪いこと言うな!たまたまアイツの沸点が高くてペア組まされるのが多いだけだ!」

 

 声が昂り、両者共に肩を怒らせ始める。最早話がどこでどうつながっているのかわかったもんじゃなく、しかし二人の間でだけは正常に動いていた。

 

『信じられるもんか!見たんだからお兄さんが笑ってたの!嘘つかないで!!』

「盗み見するなストーカーか!?俺が必死に探してたッてのに何してるんだお前は!大体笑ってたのはアイツがお前の話題を振ってきたからでつまり、お前のことだからだ!」

『それとこれとは話が違うでしょ!?なんで私の話題で笑うのもっと楽しい事いっぱいあるでしょ!』

「仕方ないだろ今のところ娯楽はお前が担当だったんだから!好きな女の話題出して笑わない男がどこの世界にいるんだ馬鹿が!」

『馬鹿って何よそりゃお兄さんからすれば馬鹿だけど馬鹿って言った方が馬鹿って教わらなかったの!?だからカッコいいし優しいのに人付き合い全然できないんだよなんでも腕力と産まれと目つきのせいにしないで!!』

「目つきは関係ないだろ目つきは!お前みたいなどう見ても聡明そうに見えないノーテンキなアホ面と同じ種族としてカウントするな!こちとら生後二秒で化物扱いだぞ!!」

『はー??キレそうキレてる!そのくっだらないクズ共がほざいたその呼称二度と使わないでくれます!?私なんて今完全に誰よりもモンスターな幽霊ですけどぉ!?』

 

 額をぶつかりそうなほどに突き合わせて、眉を跳ね上げ目を吊り上げ、感情を全て言葉にして唾と一緒に口から緩むことなく飛ばしまくった。怒りと悲しみと苦しみと痛みと辛さで顔を赤くして、相手の言葉をどれ一つとっても否定し続ける。

 

「俺は化物だ!」

『私は幽霊だよ!』

「そんなことはどうでもいい!」

『そんなことどうでもいい!』

 

 ヤケクソ9割で叫び続ける二人には、論理性も理性も欠片もなく、昂る感情そのままに、互いの傷を抉って瘡蓋を剥がして、それでもその傷を治そうと消毒液ぶっかけて労わった。絆創膏はしたくなかった。

 だが、嗚呼そのとき。その時確かに――時計は動き出したのだ。

 

『もういや!だって、どうせ!私はお兄さんになんにもあげられないのに!何一つだって、お兄さんに残せないのに!消えるしかないのに!』

「与えてほしいからいてほしいんじゃねぇ!残してほしいから引っ張ってきたんじゃねぇ!今!ここにいてほしいんだ!!」

『死にたがりの癖に!生きる意味もないくせに!』

「そんなもんもうとっくに、出来てた!」

 

 力任せに彼女の腕を引っ張る。ほんとうに鼻と鼻がくっつきそうな、吐息すら感じられる距離。心臓はもうとっくに四拍子を刻み、息は上がりっぱなしだった。

 その生きる理由がなんなのか、ソーマの眼が雄弁に語っていた。視線だけで焼き尽くされそうなそのひとみ。

 

『なんで……』

「俺にとってお前が、奇跡だったからだ」

 

 優男の言葉を借りて、ソーマはゆっくりと言う。借り物だらけの言葉、利用されるばかりの身体。そんなソーマが初めて掴んだ、色素も違う、温度もない、柔らかいか固いかも曖昧で、確かなもの。

 

『私、きっとあなたを置いていくよ……』

「望むところだ。あの世で待ってろ、土産話持っていく」

『あの世なんてないかも、無に還るだけかも』

「それならそれで、一緒だから、良いだろ」

 

 ソーマはもう、彼女の成仏を心底嫌だと思えていた。だがそれを手伝わない道も、ソーマにはなかった。

 幽霊となった彼らがある程度佇みやがて消えていくのはそこに理があるからだ。彼女は死者だ。生者の世界にいてはいけない。もし、ソーマが先に死んで、彼女がここで佇んだままだと思えば、そちらのほうがよほどゾッとする。彼女がひとりになるのも、他の誰かに成仏を手伝わせるのも。

 

「お前の消える恐怖も、痛みも、苦痛も、後悔も、全部、俺のものだ」

 

 誰にも、他の誰にも渡せるものか。

 彼女のうつくしい空の青が蛍光灯にきらりと照らされて瞬き、その端から。

 

『あ。あれ、なんでだろ。今日、ヘンだよ。今まで、この身体で一度も泣いたことなんて、なかったのに』

 

 雨垂れのように止めどなく流れる雫は先程とは違い大粒でぼろぼろと顎から落ち、床に落ちる頃には消えた。今まで彼女の涙が出なかったのはきっと、彼女が独りだったからだ。その涙を誰も拭えなかったから。ソーマに彼女が見えるようになったから、彼女は涙を取り戻したのだ。理屈なんてひとつもなく、妄想に近い理由をソーマは本気で信じた。

 

「ソーマ・シックザール」

『……もぅ知ってる……』

「それも知ってる。だが、ケジメというやつだ」

『変なところで律儀だよねお兄さんってば、あ』

 

 もうお兄さんって呼べないね。恥ずかしそうに彼女がはにかみ笑う。

 

『私の名前はね、たぶん、ユウカ』

「多分ってなんだ」

『しょーがないじゃん、記憶ないんだもん。けど、きっと、ううん絶対にそう!今、どうしてか思い出したの!』

 

 音だけがわかるらしい彼女が、その由来も意味もわからず、目尻を赤く染めて晴れやかに笑う。ユウカ。ユウカ。心の中だけで何度も何度も繰り返す。今まで言えなかったぶんを補いあまるくらいに。

 

『またよろしくね!ソーマさん!』

 

 夕焼けのように焼き尽くされそうな眩い笑顔。夏の空のように透き通って活き活きとした声。

 もう離したくない、けれどいつかはきっと離さなければならない手を、今だけはと言うように繋ぎ直した。緩まぬように強く、解けぬように絡める。

 終わりに向かって行く明日を、笑って迎えられるように。

 




というわけでかなしみの二話連続投稿です
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