『そいえば、いつから、私のこと見えてたの?』
「最初に見えたのは、桜の木の下だ。それからまた見えなくなって、今日お前が叫んだ姿が見えてからはずっと」
鼻をかんだり涙を拭ったりユウカ不在で荒れてた部屋を片付けたりを終えようやくひと段落した時、思い出したようにそう聞けば、なんとも不思議な回答が返ってきた。切欠がイマイチわからない。
「単純に記憶が戻りかけたから、じゃないのか」
『じゃあその記憶が戻るタイミングは?』
「……感情が一定のラインを振り切った時、か?」
『すごい!なんか私の感情が平坦みたい!』
「そうだな、この説は学会から追い出そう」
『遠回りに躁鬱って言うのやめて!?』
「そこまでは言ってない」
それに近しいことは言ったってことじゃん!とユウカが眉根を寄せてソーマに弱そうな拳を振り上げる。しかし。
『あっっっっぶな!!』
「っおい!」
するり、と彼女の腕がソーマを貫く。当たるはずだったそれの勢いのまま彼女はつんのめり、肩くらいまでソーマに埋まった。まるでホログラム映像のように彼女の腕が切断されたように見えるのが大変心臓に悪い。
『ヘーキヘーキ。ていうかごめんね?大丈夫だった?』
「何もない」
言ってから、その空虚さに吐き気がした。いっそのこと凍えるような冷気や、熱した鉄のような痛みがあればまだマシだったのに。ここにいるのに、いないのだ。無意識に低く舌打ちをすると、何故か彼女が居心地が悪そうな顔をした。お前に向けたんじゃない。
感触も温度もなく、彼女は腕を引っ込めてじろじろ自身の腕とソーマとを見やった。
『さっきまで触れたのに……』
「……むしろ、幽霊なのに触れられるのがおかしくないか」
『確かに!』
異常は先ほどの方だったのだろう。両指をパチンと鳴らしてソーマを指差す彼女は、電球が点灯しました!みたいな顔をした。次いで顎に手を添え、うんうんと頷く。
そっ、と、ソーマは彼女の頬に手を伸ばした。浅黒い指先は視覚的には彼女の白い肌に触れているはずが、何の感触も得られない。目を瞬かせるユウカに小さく笑って、それから彼女が今までに、この感情を何度味わったのだろうと考えた。こんな二度と味わいたくない虚無感と、それでも手を伸ばさずにはいられないさみしさを。
『ちょっとした奇跡だったんだね、きっと』
「持続型にしろ」
『んな無茶な』
くすくすとユウカが鈴を転がすように笑う。ゆっくり手を引っ込めてまだ見慣れない少女のあどけない笑みを眺めた。突然、笑っていた彼女があっ!と声を上げて首を傾げる。
『ねぇねぇソーマさん。サクラバフユキって知ってる?』
「……いや、記憶にない。どうした?」
『いや、なんか、さっきまで一緒にいた幽霊仲間なんだけど』
うっかり目を離した隙にどこぞへ行ってしまったらしい。ユウカがソーマから離れていた間の時間の、大体をその少年と過ごしていたのだと言う。
『ソーマさんのところまで私を誘導したんだよ。秘密のひとつも握ってやらないと』
腰に手を当て呆れたような笑みを浮かべる彼女に、内心溜息を吐きたいぐらいの心境に陥ったソーマは、小さく息を吐いてそれを押し流した。
「……死亡履歴でも見れば、ここの中で死んだのならわかるかもな」
『あやっぱりあるんだそういうの』
「ここに来られたということは神機適合の可能性がある、ということだからな。死体をいじくりまわされてるかもわからんが」
『恐い事言わないでよ……まいいや。そうと決まったら――……どうすれば良いの?』
「ここのありとあらゆる情報はアーカイブで確認できる」
『やたっ』
「が、それを閲覧できるかどうかはアクセス権限がものを言う。つまり」
『今日は無理そう?』
「そういうことだ。今日はもう寝るぞ」
はぁい、と間延びした返事をする彼女を他所に部屋の灯りを落とす。暗闇の中、彼女の身体はうすぼんやりと光っているように見える。全身が淡く発光しているような、不思議な見目だ。
「……間接照明……」
『なんか言った??』
「何も」
半眼でジトッと睨む彼女の視線からそそくさと逃げるようにベッドに滑り込んだ。今まで気配と声だけから読み取っていた情報に表情が追加されたはずが、やり取りに何一つ変わりはなかった。視覚的に部屋に彼女がいることを認識できるというのに、何一つ嫌悪も緊張も感じない。ずっとそうだったかのように、ユウカがソーマのベッドの縁に腰かける。ぱたぱたと足を微かに揺らして、暗いだけの大画面を眺めている。ソーマの視線に気づいたのか不意にこちらへ向けた首を傾げた。
なに?
別に。
視線の方向を固定したまま瞼を落とす。静けさに満ちたその部屋に息遣いは一つだけ。目を開ければ確かにそこにいるのに、その部屋に生者はソーマだけだった。数分して、小さな鼻歌が耳を打つ。ヘタクソ。
あの奇跡がまた、夜毎起きればいいのに。
*
「桜庭冬暁。三ヵ月前に極東支部に重体で転がり込んできた14歳男性。医療スタッフの尽力敵わずそのまま死亡。埋葬も終わっているようだ」
『見せて』
ん、と軽く身を反らされたそこからざっと目を通す。死亡時刻はここに辿り着いて、直後。因子保有者で、神機の適合率も高い。おそらく生きてさえいればなかなかのゴッドイーターになれたかもしれないな、とソーマが呟いた。才能があった優し気な少年には顔写真すらなく、備考欄に外見的な特徴が幾つかと、負傷状態がまとめられているのみだった。
「息も絶え絶えな人間がここに来るのは、そう珍しい事じゃない。門番が一ヵ月でおよそ千人規模の対応をしている内の、三割程度がそうだ」
決して多くもなく、少なくもない数字は変えることの難しい現状であり、当事者にとっては悲劇だった。ここ極東はアラガミ戦線の最前線なのでそりゃあ物資はそれなりに充実してはいるが、それでも過分には絶対にない。不足している物の方が圧倒的に多く、不満の方が残酷なまでに多い。そんな状況で、すべてのひとを助けてだなんて、とても、幽霊には言えなかった。
『ありふれた不幸のひとつ、ね』
「言い方は悪いが、そうだ。万能は人には遠すぎる」
紙っぺら一枚に容易に収まってしまいそうな簡素な情報。それがここでの少年の全てだった。そこに怒りを覚える権利はユウカにはなく、ただどことないやるせなさが心臓の部分に燻った。
『思ったより、あんまり良い気持ちじゃないね』
「単純に考えればただの個人情報漏洩だからな。故人だから許可は容易に降りたが」
『ヤ~な感じ~~。っていうか、じゃあ私の情報とかあるんじゃ、』
「とっくに調べた。が、ここ数か月でユウカと言う名前の死亡履歴は無かった。やはり名前を間違えているんじゃないか?」
『えっそんな……そんな悲しい事言わないでよ……思い出した記憶すら虚偽とかしんど……』
「部分一致で探しても見つからなかった」
『おいそっちかよ私の覚え間違い説かよやめて流石に自分の名前は間違えないでしょ』
胡乱気な眼を向けられて幽霊はウッと呻き声を上げた。一ヵ月の半分以下で合っても、部屋の戻り方が分からなくて迷子になっていたのは事実である。説得力は皆無だった。
「墓の場所くらいは分かる。行くか?」
『んーーー………うん。行こうかな』
「行きたくないのか?」
『気は進まない、かなぁ。なんとなく地雷臭する。夜は墓場で大フィーバーっていうのは嘘っぱちだね』
「運動会な」
そんなバブリーな鬼太郎嫌だろ。
『良し!思い立ったが吉日!』
「今が何時か言ってみろ」
『22時31分ですね』
「非番は明後日の午後。以上だ」
『えぇーーーーっ!やだやだ今すぐ行くーーー!!』
「さっきまで気が進まないっつったのはどこのどいつだ」
『マジレスやめて。……まいっか、その間にフユキにも会えるかもしんないし』
「今すぐ行くか」
『なんで?夜こわいよ??』
「ホラー筆頭幽霊が何言ってるんだ」
とは言えソーマも言ってみただけなので、その後追及することも言葉を重ねることもなく寝床を整えた。ユウカが来てからというもの彼女が五月蠅いのでらしくもない規則正しい生活を強いられているのである。シャワーを浴びて歯を磨いて寝る、そうしようとしたところで、ふと思い至ることがあって口に出した。
「そういえばお前、俺が着替えているときいつもどうして、」
『聞こえないなァーーーーーー!お兄さんキレーな身体してるなとか全然思ってなかったから全然ガン見なんかしてなかったから大丈夫安心して』
「正座」
『はい』
「帰ってくるまで崩すなよ」
『はい……』
しくしくとすすり泣く阿呆を放置して、ソマはサッサとわざわざ共用シャワールームへ向かった。なかなかどうして、こそばゆいやら嬉しいやらなんかちょっと違うような、複雑な心境である。
「あ。や、ソーマ」
「…………ああ」
もう夜も遅いので誰もいないだろうとタカをくくっていたが、先客が牛乳瓶片手に寛いでいた。初めてサングラスを外したところを見たものだから一瞬誰かと思ったのは言わないでおく。出来たばかりの生傷が腕に見えたので恐らく夜勤出撃にでも遭ったのだろう。
「なんだか楽しそうだね」
「そうか」
「お目当ての人と会えたのかい?」
「……そんなところだ」
まさか今頃部屋で正座しているなどとは言えず、曖昧に濁しながらも肯定する。なんだかんだ世話になったので返礼でもすべきだろうが、彼はおそらくそんなことを望んでそうしたのではないだろうので、アクションを起こすことはやめた。つけあがりそうで面倒だったとも言う。
「そういえば、どんな人なんだい?」
「………………………………言ってなかったか?」
「聞いてないねぇ」
ほけほけ笑ってはいるが、その言葉が真実ならばエリックは顔も名前も知らない少女をソーマと共に探していたことになる。道理で行く先々で苦笑していたわけだ。
「どこにでもいるようなやつだ。普通に笑うし、普通に怒るし、普通より騒々しく鬱陶しく、だから普通に、当たり前に優しいやつなんだ」
境遇だけが完璧に異常なくせ、どうしたって助けてもらう立場の癖に。その状態のままひとを慮って手を差し伸べるだけ差し伸べて、いざその手を握ろうと思ったらさっと手を引っ込めるような少女。どこでそんな距離感を掴んできたんだと胸倉をつかみ上げてやりたいところだが、生憎そんな奇跡は現在品切れ中である。尊い血が流れてるわけでなく、利用価値があるわけでもなく、特別正義感が強いだとか、特別優しいとかもなく、慈悲深い訳でもない。面倒事の塊のような存在だし、浮気性だし、騒々しいし、見当違いな事ばかりだし、自己中心的で典型的なエゴイスト、ソーマの思い通りになんてちっともなったことがない。けれど、それでも。
「その子の事が好きなんだね」
「……………………………………黙秘する」
「アハハ!言ったも同然だよ、それ」
お幸せに!などとほざくエリックにボトルを投げつけ、それを小癪にも避けた彼はそのまま高笑いを上げながら退散していった。落ちたボトルを拾い上げ、その表面をジッと何とはなしに見つめた後、壁に貼り付けられた鏡を見やった。14の少女が綺麗というには殺伐とし過ぎている。やはりソーマはユウカと感性が合わない。
「いつから、」
いつから、こんなに溢れてしまったのだろう。会わなかった反動だろうと甘く見ていた。こんなことでは、また間違えてしまいそうで。それだけがひどく恐ろしい。己の薄弱な決意が憎たらしかった。
『ソーマざん゛!!!!!遅い!!!!』
帰って来て早々喧しい、転がった少女の頭に手刀を落として寝床に着いた。喧々諤々抗議の声を上げる少女に笑いを堪えつつ、すり抜けるとわかっていながら軽く小突く。
彼女が帰ってきてからこっち、あの悪癖が出たことは一度としてなかった。