天を泳ぎて地に戻りきよ   作:緑雲

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優しい記憶。もう取り戻せない遠い遠い昔日の――


幽霊、記憶

 およそ二週間に一度ほど、壁外に暮らす人々は住処を変える。一か所に固執するのは、心理面でも安全面でもあまり良くない。この時代の壁外の人々の住処は江戸時代の人々と同様、すぐ壊れてすぐ新しいものを作るという精神で成り立っている故だ。もちろんアクシデントによって長くなったり短くなったりもするし、一ヵ月住み続ける集団もあるらしいからあくまで平均的な数字上のことだ。

 

「母さん、バイク壊れたって」

「えぇー。どこが」

「エンジンから変な煙出てるって」

「それははやく言って!!?箱箱箱」

「はい」

「サンキュ!」

 

 移動時に限って、こうやって機材アクシデントが起こるのはそう珍しい事ではない。道具一式を持ってどたばた忙しなく走って行く母、桜庭ハルカは元エンジニアで、こんな世界になる前は休日にバイクを乗り回す生粋のバイカーだったそうな。スピード狂とも言う。嫌いなものは白バイとパトカーと交通課、あとトマト。なんともパワフルな母親であるが、今年で御年40である。そろそろ落ち着きというものを学んでほしいのが子供心だ。

 

「ハルカさんは?」

「バイク直しに行った」

「ああ。ところでお前たちは暇?暇だね。怪我人をよろしく」

「「はぁーい」」

 

 これが父親の桜庭アキト。優しく正しく潔癖で、天才を絵に描いたような男だ。

 破天荒を絵に描いたような母とどう接点があったのかと言えば、当然母が事故って搬送された病院にいたのがこの人だったのである。母の一目惚れだそうだ。「その時のアキトさんったら真冬の風みたいに鋭く冷たくってね、バイクで海岸沿いを走っているときみたいな人だったのよそれがカッコよくってキレイでね」と矢継ぎ早に惚気をかましてくるのは母の視点で、「彼女に会うときのみ心拍数が100を超えたのが彼女の行動の突飛さ故のものだったのか恋だったのか今でも解明できない」とは父親の視点である。感情的な母と、理論的な父。双子は二人の膝の上で、ブロックでハイクオリティな車や飛行機をつくり、人形遊びをしながら人体の駆動域と構造について学んだのである。然もありなん。

 そんなわけで、そんなハイスペックかつぶっ飛んだ二人のおかげで、桜庭家はそこそこどこの集団でも重用された。

 怪我人、病人たちがまとまる場所に着くや否や二人は別れてそれぞれ患者の元へすっ飛んでいく。

 

「ナオミさん、今日の調子はいかがですか?」

「ごめんなさい……」

 

 日下部ナオミは先週の物資探索の際、足場の悪いところで踏み外しふくらはぎ下部に深めの切り傷を負ってしまった。ザックリ木材が刺さったのである。貫通しなかっただけマシな方だ。生き抜くべくアキトの知識を日々刻々と叩き込まれているユウカが担当する患者の一人である。穏やかで優しく、ちょっぴり小心者な25歳女性だ。

 

「いやいや私は全然平気だよ。どこ痛い?」

「……傷が……」

「関節とか、周りの筋肉が痙攣してるとかないですか?」

「それは大丈夫」

「うんうんなるほど、ちょっと包帯代えるね」

 

 怪我の処置なんて手慣れたもので、傷の具合や筋肉の縮小を確認しながら二分とかからず包帯とガーゼをキチンと巻いた。経過はこんな環境下だが順調で、来週には十分歩けるようになるだろう。

 

「リハビリはちゃんとしてるみたいだね。えらい!ツヅキさんにも見習ってもらいたいなぁ」

「聞こえてるからな~」

 

 フユキのいる方向から聞こえてきた言葉に地獄耳め、とそちらにべぇっと舌を出す。今日の重傷寄りの軽傷患者は彼女だけだ。他は今朝方ぞろぞろユウカを訪ねてとっとと処置して帰したので、奇しくも最も重症な彼女が最後になってしまった。掬い上げるように彼女の背と膝裏に腕を通して抱える、いわゆるお姫様ダッコだ。

 

「ごめんなさい」

「いやだから全然いいから。仕事だから」

「ユウカちゃんより十も年上なのに……情けない……」

「これから立派になっていけば良いんだよ~」

「ほんと良い子過ぎお姉さんのクッキーあとであげるわね」

「それはナオミさんが食べて。ナオミさんまた体重落ちたでしょ。フユキ~!ナオミさんに後でカンパンあげといてー!」

「あいよー」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

「ありがとうって言ってくれた方が嬉しいな」

「女神……」

 

 馬鹿みたいなことを言う日下部に苦笑し、トラックのワゴンに苦も無く乗せる。十四になったユウカは身体がしっかりしてきたのもあってかなり力持ちの部類に分けられ、こうして彼女程度なら運ぶことが出来た。どっかの貧弱な弟と違って。

 

「ユウカ~!」

「あ~ハイハイ!じゃあナオミさん、くれぐれも安静にね」

「ありがとお」

 

 件の弟のなっさけない声に釣られて向かう間際、日下部に元気ですよアピールも兼ねてぶんぶん手を振る。よくもあんな気にしいな人がこのご時世自然淘汰されなかったものだ。

 フユキの元へスタコラサッサと到着すれば、ヘタクソなおんぶをして周囲に笑いをもたらしているところだった。アキトにガチめにご教授して貰った癖に、何をやっているのだか。

 

「ユウカ~」

「よし、泣きが入ったな。ユウカ、もうちょっと放置しようぜ」

「ツーヅーキーさん。ウチの弟で遊ばないで」

 

 明るい茶髪をスパーン!と叩いて周囲の笑い袋もいくつか叩いて止める。彼の言う通りフユキの目にはうっすら涙の膜が張っていた。お前今年でいくつだ。

 

「もうほんとバカなんだからいいからこっちきなさい」

「いけると思ったんだっていけると思ったんだって!」

「ハイハイ遠山さーん、一旦下ろしますよー」

「イダダダダユックリ頼むわ!」

 

 どんなオンブの仕方をしたのか遠山の腰がグニャリと曲がり、患部のはずの左脚が悲鳴を上げていた。そうっと地面に降ろして、それからユウカがファイアーマンズキャリーで遠山を持ち上げた。流石に成人男性を姫抱っこするほどの筋力はない。

 

「筋トレしなさい、弟よ」

「してるよ!」

「フユキー俺も俺も」

「ツヅキさんは松葉杖で歩けるじゃないスか」

「流石にトラックに乗るのはムリ」

「なんでドヤってるんですか」

 

 この人たち僕らがいなかったら置いてかれてるんじゃないかなぁ、とフユキがぼんやりツヅキを補助しながらぼやいた。いるから甘えられるんでしょ、とユウカは思ったが、口にはしなかった。何しろ流石に遠山は重いので、それ以上言葉を出す余裕はなかったので。

 怪我人をトラックに運んだら、全員を健診して回っているはずのアキトの元へ帰る。患者の容体を報告して、アキトは満足そうに頷いて二人を撫でた。今集団にいる全員の身体の具合をすべて知っているのみならず紙媒体に頼らず記憶しているのだから恐れ入る。

 

「出発まであと二十分ほどある。自由にしてて良いよ」

「父さんは?」

「ハルカさんとスクラップ置き場に行ってくる。彼女のバイクだから、スグ帰ってこれるだろうし」

「水持った?」

「持った持った」

 

 スピード狂ハルカのバイクはほぼ全方向バンジージャンプだ。この悪路であんなスピード出すのだからそりゃあガクガクなるに決まっているが、ハルカほどの腕ともなれば次元が違う。マッタク揺れることを知覚できないのだ、揺れすぎて。高速で違う色の紙を回すとその色が混ざった色に見えるかの如く、まるで流れるようなスライドをしているような感覚。それなのになぜか―――吐く。ものすごく吐く。きっと身体と脳がズレすぎて擦り切れるからだ。

 それでも、その運転が必要な時はある。

 スクラップ置き場はアラガミが出やすい。資材というエネルギーを求めて群がるからだ。そういうとき、ハルカとバイクさえあれば8割は逃げ切れる。8割ふり切れるハルカがヤバいのか、2割しか後ろに座るにんげんを喰らえないアラガミが不甲斐ないのか。

 行ってらっしゃい、はやく帰ってきてねとそれぞれ言って、ユウカとフユキはぱたぱた外へ出てった。

 

「これから大移動なんだから体力は温存しなきゃ……」

「それもそうだね。じゃあ川で顔でも洗おうよ。ついでに即席ろ過装置作ってちょっと飲も」

「賛成」

 

 木炭の欠片を入れたちゃちなペットボトルをナップザックから出して近くの小川へ駆ける。魚一匹いないが、飲めなくもないことは既にわかっている。ぽぽいぽいぽいぽーい、と砂利と砂と石と炭と布を適当に詰めてコップの上に置く。その間、ばしゃばしゃ顔を洗ってぴぴぴぴと犬猫のように水気を払って腕で拭った。ハンカチを使うのがダルかったのだ。

 

「冷た~~~、もう冬じゃん」

「それ。水こんなに冷たいとかもう実質冬」

「越冬の準備しなきゃね」

「クマかな?」

「いいね、冬眠したらスグなのに」

「その隙にアラガミに喰われてそうだけど」

「安楽死じゃん」

「さすがに途中で起きると思う」

 

 いずれ訪れる最期を二人して感じ悪く笑った。外で生きている以上、アラガミにはいずれ必ず捕食される。事故死でも病死でも、どう死んだって死体は彼らの胃袋に収まるだろう。例外は爆発四散で肉片も残らない、マグマで溶解、とかだ。それらにいちいち恐ろしがっていたら人生は立ち行かない。物心ついたころには既にアラガミが世界中を跋扈するのが常識となっていた世界に産まれたこどもたちはみんなそう、死がいつも隣あわせに身近にあるから覚悟はバッチリなのだ。ひどく、かなしいことに。

 けれどそれがどうしたって言うのだろう。今を懸命に生きる人々が、間違っているわけでは決してない。

 

「ユウーー!ユキーー!」

「はーあーいー!」

 

 母の呼び声に、子どもらが無邪気に返答する。ここら一帯にアラガミがいないことは今朝のパトロールでわかっていた。周囲を警戒もせずに足音高く両親に駆け寄る。

 朝、診察して昼にパトロール、夕暮れに集団全員の健康診断をして、夜は食糧保管担当に配られたご飯を食し、ごみを纏め掃除して罠なんかも作って眠りにつく。一週間に一度こうして移動し、時にアラガミから逃げ、集団を渡り、時たま長く棲みつく。それが、双子の日々だった。

 歩き続け、生き続ける。世界は不平等で不公平で不満不安不足だが、須らくそういうものなのだから。

 

「聞いてる?途中でホワイトマーケットに寄るってさ」

「聞いてるよ……」

 

 トラックの荷台は怪我人と荷物のものなので、健常者は歩く、当たり前のことだ。当たり前のことだが、ひとり頭水二リットルと三日分の食料、プラス諸々の非常時用の品々とくれば、リュックサックは中々の重さだ。歩くだけで、かなり疲労が溜まる。そして筋力も体力もないフユキは見ての通りほぼ歩く死人と成り果てていた。まさしくリビングデッド、ゾンビとからかうのも可哀想なレベルだ。

 

「マーケットって、どこで?」

「ここから南に川沿い三キロだから……鶴見川近くの、エーと……旧ヒヨシだね」

 

 コンパスと地図を眺めながらそう答えると、アキトがぽんぽんと無言でユウカの頭を撫でた。正解という事だろう。ちなみにアキトもかなりの貧弱アンド貧弱だ。大人だからそれなりに体力はあるが、おそらく元気盛り育ちざかりなユウカよりは下だろう。揃いも揃って桜庭家の男共が情けない。母は桜庭家で一番の体力オバケなので、後方で荷物運びをしている。

 マーケットは不定期に各地で行われる戦時下の闇市のようなもので、あらゆる物資が物々交換式で売買可能。時間帯や開催日こそ不安定だが、訪れるひとのために場所だけはずっと変わらない。どのようなひとでもその場所では平等で、いつ訪れても賑わっている。

 この集団ごといくのは流石に邪魔だし動きにくいし荷物番も必要なので、この集団から数人だけが行くことになるだろう。

 

「というわけでユウカ、おつかいよろしく」

「マージで言ってる?」

「言ってる言ってる~」

 

 事前の下調べ通りに到着した中継ポイントで休息中、この集団のトップ、朝霧ユキトが笑いながら応えた。こんな頭が軽そうな言動だが、筋骨隆々なバリバリの体育会系であり、屈指の脳筋である。アキトが匙を投げるレベルの馬鹿だが、集団をまとめ上げる力はかなり優れ、そのお陰でこの集団は文化レベルも人間性も高い。

 

「…………ひとりで?」

「いやそんなさみしそうな顔するな!フユキも付けるに決まってるだろ」

「ユッキー、馬鹿だ馬鹿だとは思ってたけど、私たちのトシも数えられないくらいだったんだね……」

「じゅ・う・よ・ん!だろ!十四っつったらもう大人の仲間みたいなもん……っつーのは流石にウソだが、お前らはもう立派な自立した大人だ。俺の見る目だけは間違いない!」

「えぇ~……フユキとだと私が荷物持ちじゃん……やだー……」

「ハイハイ。今回のマーケットは夕方だそうだ。今夜はここで野営になる。時間の事は気にせずゆっくりしてこい」

「いや早めに帰ってくるよ父さんと母さん心配するし……で、交換物資は?」

「はい一覧表。よろしくー」

「了解」

 

 ユキトに別れを告げ、ぼろい透明なファイルに入れられた紙を眺めながら、フラフラ荷物番の方へ向かう。一休みしている母を小さく睨んで、ファイルで口を覆った。

 

「母さんのばか。わたし、マーケット三回しか行った事ないのに」

「いや十分でしょ。いつまでも甘えてないの。売りに出すものは纏めておいたから、確認お願いね」

「んー」

 

 ワゴンに積まれた荷物を下から順にリストと照合していく。舗装もされていない砂利道をこの荷物を積んだワゴンで行くのだから相当時間がかかるだろう。道のりにかかる時間に当りをつけながらも、確認作業は終了して一息吐く。間違いはなかったので、荷解きは必要なかった。

 

「早いわねぇ。もう十四なんて」

「母さんの時代なら、まだ全然子どもだった時期でしょ」

「そうねぇ。私なんてヤンチャだったし、ユウカよりずぅーーっとガキだったわ」

「知ってる。長ラン着てハーレー乗ってぶっ飛ばしてたんでしょ」

「そうそう。親とも兄妹とも喧嘩ばっかりで……ユウカはほーんと、反抗期をお母さんのおなかに落っことしてきたのね」

 

 時代のせいか双子が早熟なのか、フユキの反抗期は9歳とかなり早い段階で訪れた。またの名をアキトのスパルタ教育へのストとも言う。ユウカはそんなフユキと双子なので勿論、当然フユキに味方したが、実際に反抗期になったわけではない。あくまでフユキの味方をしただけだ。ユウカはどんなことがあっても、フユキの味方なのだから。

 

「ユウカは本当に、フユキが好きね」

「そりゃあ、双子だもん。普通の事でしょ?」

「いやいや、世にはチョー仲悪い双子とかヨユーでいるから。逆に仲が良すぎる、とかもね」

「ふぅん」

 

 ユウカは当然、気のない返事をした。ユウカにとって双子なんてフユキしか知らない。だから他の双子の情報だけを伝えられても、はあそうですか、くらいしか返せない。モノクロの視界で生きるひとに赤の説明をしても要領を得ないように。ユウカはまだ稚拙で、知ってるものしか知覚できない。

 

「あそうだ、はいこれ」

「なにこれ……時計?」

 

 何の変哲もない、古風な巻くタイプの懐中時計だ。蓋は中央のみを隠し、それ以外を雅やかな模様で彩っている。軽いので純金でも鉱物的な価値があるものでもないだろうが、時計は貴重品なのでマーケットなら中々のものと交換できるだろう。デジタル時計でもないので時間が合っているかはともかくとして。

 

「その時計で七時になるまでは帰ってくるよーに。いいわね?寄道しないこと」

「しないから」

 

 大きくなったなどと嘯いたその口で子ども扱いする母の感性はイマイチ理解できない。言動に一貫性がないってレベルじゃないぞ。呆れた眼差しを向ける娘をものともせず、ハルカは晴れやかに笑った。

 

「いってらっしゃい、ユウカ。フユキをよろしく。はやく帰ってくるのよ」

 

 母のその言葉は、家族が少しの間離れるときにお決まりの台詞だった。フユキはユウカより数分遅れで生まれただけだがその弟という属性が悪いのかもしれない、甘ったれで泣き虫でいらない苦労ばっかり背負うなんとも難儀なこどもであった。そんな弟を引っ張る姉を動かす魔法の言葉が、それだった。その言葉さえあれば、ユウカはいつだって立ち続けられたのだ。だからユウカも、いつものように笑って応えた。

 

「うん。行ってきます、母さん」

 

 

 ―――それが最期の母娘の会話になるなど思いもせずに。

 

 嗚呼哀れむは無知か無垢か無関心か。永遠に続く日々もなければ、必ず訪れる明日もないことを嫌というほど思い知らされて生きてきたにも関わらず。その呼吸に終わりがあることを分かってさえいて。

 平穏が壊れるのはいつでも一瞬。

 人は死を常に考えてはいられない。だから、こんなどこにでもある悲劇は起こるのだ。

 

 




当然ですが人が何人か死ぬので「ふぇぇ人が死ぬはずないよぉ><」ってひとは次回ご注意を。
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