天を泳ぎて地に戻りきよ   作:緑雲

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浅き夢見し


幽霊、回顧

 

 それを見つけたのは、完全な偶然だった。

 食料に不安があるという理由だけで入ったそれなりに住めなくもない、おそらく朽ちる前は何らかの避難施設だっただろうそこは、最近まで人がいた気配で溢れていた。部屋内を一つずつ隈なく探索していた最中、赤黒く、不規則に床に描かれた点描。双子には見るだけでわかった、血痕だ、しかもまだ新しい。

 双子は顔を無言で見合わせ、足取り静かに、慎重に血痕を辿った。怪我人がいるなら放っておけないのは完全に血筋で、まだ脅威が去っているかもわからないのに進む無鉄砲さもまた同様であった。

 数メートルも進まない内に、その血痕の元らしき人物は見つかった。正確には、その人物が入っている箪笥を先に見つけた。血痕と手跡まみれの扉に手をかけ、そっと静かにそれを開く。

 

「――――っナオミ、さん……?」

 

 変わり果てていた。左腕がくっついてるのが不思議なくらい皮一枚で力無くぶら下がり、腰が見るからにいけない方向へ折れていた。全身がおそらく自らの血でどす黒く染まり、端から乾いた欠片がぽろぽろ箪笥内を汚している。生気のない目玉が、ぎょろりと双子の方を見やる。思わず後ずさった双子に、気付いたらしい日下部が笑みらしきものを浮かべて口を開けた。

 

「あぁ……ユウカちゃ……フユ……くん……」

「ま、まって。だめ、まず処置しないと」

「だめ……脊椎が、折れてる、って……」

 

 こひゅ、こひゅ、と奇妙な呼吸音を合間に挟みながら、日下部は力無く言葉を紡いだ。見たところ肺は無事なのか、吐血の痕はない。それが何一つとして気休めにならないのが、日下部の身体状況の凄惨さを物語っていた。

 カタカタと震えるユウカの肩をぐっと掴んで、フユキが少し前に出る。

 

「父さんと母さんは、皆はどうなりましたか?」

 

 日下部の事情を一切無視したフユキの質問に、日下部は安心したように小さく微笑んだ。なにもかも諦めたひとの瞳だった。

 

「あなた達のお父さんは、わからないけど。お母さんは、私とおなじ方向に逃げたの。でもそれからすぐ、アラガミに襲われて、」

 

 声を出すだけで痛みがするに違いない。絶叫するほどの、大人の男だって泣き叫ぶくらいの痛みが。けれど日下部はそんな素振りを一切見せず、彼女の出来得る限り流暢に情報を吐き出した。

 

「アラガミは沢山いて。どうにもならない状況だったわ。そして、いちばん先に、殿にいたひとが食べられた。ツヅキが、ユウヤが、」

 

 うっそりと、笑みすら浮かべて日下部が名前を羅列していく。どれも慣れ親しんだ名前、怪我や病気で双子が診察したことだってある人達。一緒に遊んでもらったり、共にその日を乗り切った仲間の名前が。

 

「ミズキ、ナナさん、それから、―――ハルカさんが」

 

 淀んだ眼が全てを物語っていた。それら一切全てが、本当に起こったことだと言う事を。

 

「わたしが、最後」

 

 おそらくその話は、日下部の出血量からしてたった今から数時間もしない内に起こった事だったろう。この施設内に人の気配はなかった。『ありふれた大量出血の痕』があるくらいで、他には、何も。肉片一つも。

 

 ―――『フユキをよろしくね』

 

 一ヵ月前の母の言葉が蘇る。いつも通りの言葉だったはずだった。特に気にも留めない、ありふれた言葉のはずだったのに。

 寒気が背筋をかけ上り、嘔吐感が喉で跳躍する。そう、喰われたのだ、母は。紛れもなく、あの化物共に。咄嗟に口を手で押さえ、込み上げる吐き気を飲み干す。そうしてやっと、日下部の顔色に気づいた。

 

「ナオミさん、だめ、だめです。目を閉じないで」

 

 日下部の顔色は雪よりも白く、全身は僅かに痙攣が始まっていた。上手く止血できていなかったらしい患部からの出血が増し、洪水の日のマンホールのようにごぼごぼと止めどなく溢れてくる。視線は虚空を眺め、瞳孔が開閉を繰り返し口端から泡が噴き出る。箪笥の中で気道の確保もクソもない。とにかくこんな狭い所から出して人工呼吸に胸部圧迫、応急処置だけでもすれば延命くらいはと抱き上げた。あんなに温かく柔らかかった体温は、凍えるように冷たく、硬くなっていた。

 直後、肩に頭を乗せた彼女が囁く。

 

「うそつき」

 

 耳元で、はっきりと。

 一度大きく痙攣した彼女の身体はその後、完全に静かになった。呼吸の音も、脈拍も、心臓の音も聞こえない。完璧に沈黙した死人。人類が未だ知り得ない領域へ、彼女は。

 フユキがそっと彼女を持ち上げて、ゆっくり地面へ横たわらせた。手のひらで瞼を閉じさせ、両手を腹の上で組ませる。箪笥の中に戻せば、アラガミの捕食から遺体は逃れられるかもしれなかったが、そうはしなかった。このまま箪笥で肉体を腐らせるよりかは、みんな同じところへ行けた方がましだと思ったから。

 

「……ユウカ、行こう」

 

 返事ができるほどの気力はなかった。うそつき。うそつき。うそつき。彼女の声が、呪いのようにユウカを蝕む。寒さのせいだけじゃない震えが全身を襲い、足元が崩れ落ちていく感覚に陥る。

 ただそんな中で、フユキにあの言葉が聞こえなくてよかった、と、ただそれだけを思った。

 

 

 ―――『フユキをよろしくね』

 

 

 母の言葉が反芻する。

 そうだ。

 

 それだけが。

 

「うん。ここを、離れなきゃね」

 

 心臓が鉛のように重かった。しかし、ユウカは笑みを浮かべた。それだけが最早、ユウカに残されたすべてのように思えたから。

 フユキの顔が強張ったその瞬間、ガラン、と階下で大きな音が響く。襲来を知らせるトラップの缶の音色。

 

「逃げるよ!」

 

 どちらからともなくそう言い、駆け足でその場を離れた。廊下の奥に、白く硬質な角が見えた気がして、背筋が凍る。後ろを振り返る余裕はなかった。日下部の死体がどうなったかも。二度と。

 

「っ、こんなにたくさん、何時の間にッ……」

 

 外は小型アラガミで溢れかえっていた。銅像のような直立不動のアラガミが乱立し、その間を縫うように鬼の顔をした白いアラガミが跋扈している。

 焦燥を滲ませ、それでも慎重で、冷静のつもりだったのだ。

 

「フユキッ!!」

 

 咄嗟の判断に碌な物はないのは総じて明らかだ。私のこの時の行動も、きっと客観的に見れば碌なものではない。けれど私は何度だって、いつだってどこでだって、例え冷静であったとしても、同じ事をしただろう。

 声をあげる暇さえ惜しく脚を動かし、腕が考える一刹那さえなく突き飛ばした。

 瞬間、腹部に感じたのは比類ない痛み、それと猛烈な熱だった。燃えるようなんてものじゃない、マグマを流し込まれているかのように錯覚するほどの、圧倒的な熱。どくどくと全身の血管が早鐘を打ちながら流れを勢い付けて頭が沸騰しそうだ。

 体の半身を打ち付けられた衝撃で倒れたことに気づき、焼かれた腹を握りしめながら瞑りそうになる目を無理矢理開ける。

 

「ゆう、か?」

 

 チカチカする視界に、目を見開いて立ち尽くす弟の姿が映った。この、バカ、なにぼうっとしてんだっつの。そう罵倒したかったけれど、それよりもまず、ここを逃れることの方が重要だ。女の子にあるまじき咆哮を上げながら、ユウカはフユキの腕を取って足をもつれさせながらも走り出した。

 

「ゆうかっ、ねえ、ちょっと!ユウカ!ユウカ!」

「……っるさい……」

 

 血液と共にアドレナリンが大量放出されていたのだろう、痛みも熱もあったが、気にはならなかった。それよりもまず、フユキだ。騒がしい弟の頭をブッ叩いて、その腕を取って風よりも早く走る。アラガミが後ろから迫ってきているのが見なくともわかった。

 この施設に来るまでに乗っていた、長い付き合いになっていた単車の運転席にフユキを押し込み、その後ろに自分も跨る。

 

「アクセル!早く!」

 

 フユキはバイクを殆ど運転できない。だから不器用にハンドルを持つ手をユウカが上から重ね、その安定を図った。自我が保てなくなりそうなほどの困惑で咄嗟に声に従う弟に、ユウカは薄く笑みを浮かべた。ベタ踏みしたアクセルのままに、バイクは音も乗り心地も荷物も気にせず道路を突っ走る。

 

「ユウカ!?これどこに向かってんの!?」

「………南東よ。南東へ行って」

 

 そっとフユキの手から両手を外し、片腕をフユキの腹へ、もう片方で自分の懐を探った。カツ、と爪先に当たる感触に、わき腹と共に喰われていなくてよかったと息を吐く。最早遺品ともなってしまったそれを、フユキの上着のポケットにそっと滑り込ませた。

 意識が遠のく。黒く塗り潰される。身体の何処も彼処もが痛くて、込み上げる嘔吐感が胃を絞り上げている。

 その中で感じたのは――確かに安堵だった。

 

『私も、死ぬときはフユキが側にいてほしいものね』

 

 背中から感じ取れる僅かな温度が心地よい。

 体温とはつまり、愛だ。触れ合って分け合える柔らかなもの、温かいもの。

 今からユウカが永遠に失うもの。

 

 フユキ。

 あなたを置いて行く不出来な姉を、許さないでね。

 

 ――『フユキをよろしくね』

 

 母の声が脳裏に蘇った。

 ああ、嗚呼。

 母さん、私はフユキをちゃんと守れたのかなぁ。

 

 

 いるかもわからないかみさま。

 私はここで終わっても良いから。

 うそつきは地獄の釜で踊ったって構いません。

 母さんと父さんに天国で会えなくっても良い。

 呪われようがどうでもいい、だから。

 どうか。

 

 

 フユキの未来を、どうかよろしく。

 

 

 

 思い出を辿りながら、すべてソーマに話した。ここに至るまで、ユウカが覚えている限りの全てを。ソーマは一言も相槌も打たず、ただジッと静かにユウカの話を聞いた。

 

『きっと私の魂だけ、フユキが持ってきちゃったんだね』

 

 文字通り墓場まで。優しい優しい、弱っちい弟。そうして彼と一緒に、記憶もここに置いてきたままだったのだろう。石碑に刻まれたうつくしい名前を見つめ続ける。

 

 ―――二人は元々ひとつだったんだよ

 ―――同じ卵子が分裂したんでしょ?

 ―――そうさ。かみさまがわざわざ、二人にしたんだ。この世に落とされる一瞬前に

 ―――珍しく良い仕事したね

 ―――それはほんとうにそう

 ―――でも、元々一つだったんなら、

 

 ―――――二度目の離れ離れも、きっとすぐ出会えるね。

 

『そっか。フユキは、そっか………』

 

 ユウカの決死の行動虚しく。

 その先を言葉にすることはできなかった。ソーマも何も、言わなかった。もうとっくに起こっていて変えられないのに、それでも言葉にはできなかった。そうしてしまえば、全てが終わってしまうような気がした。

 幽霊で良かった、と自身をせせら笑う。脳がないから発狂の仕様がない。

 

『戻ろう、ソーマさん』

 

 くるりと身体を反転させ、佇むソーマににこりと微笑む。ソーマは何も言わず、何も聞かなかった。しかしその雄弁な眼が口にせず語る、いいのか、と。ユウカはそれに笑みを深めて嗤った。

 良くはないかもしれない。けれど、取り合えず今日はいいのだ。

 

『うん、でも今はもう何も考えたくない。疲れちゃった』

 

 泥のように眠れたら良かったのに。

 

 




酔ひもせず
ふぇぇ;;ユウカちゃんもフユキくんもかわいそうだよぉ;;誰だよこんな重い過去背負わせた奴;;あ私か~~~~!!!!^^
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