天を泳ぎて地に戻りきよ   作:緑雲

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すこし短いです


幽霊、と少年

 

 ユウカの身体は、まるで水が凍るように徐々に固まって行った。脚が動かないことをはじめとして、腰も回らなくなり、指先が上手く動かなくなって、とうとう腕と頭部以外動かなくなった。

 代わりとばかりに、ソーマとユウカは触れ合えるようになっていた。

 冷たいばかりでちっとも温かみのない、ほとんど力の入っていない身体。触れることも手を繋ぐことも抱き締めることも、荷物のように運ぶことだってできた。彼女がもう浮遊できなくとも、好きなところにいくらだって連れて行ってやれる。ソーマだけが。

 そんな独占欲とか優越感を隠したソーマが、行きたい所はないかと聞いても、しかし彼女はまるっとそんな感情をスルーして困ったように笑って言った。

 

『良いの。ここに居たいって言ってるでしょ』

 

 この部屋に。窓一つない、壁にはホログラム映像が時たま映って、自主練の為に弾痕がそこかしこにある物騒な部屋。けれど的だったものはもうとっくになく、乱雑に散らかった部屋は整理整頓とまではいかないが見るに堪えうる姿にはなった。話して笑って怒って泣いて、謳って喧嘩して分かり合えなくてもどかしくて、恋し合ったこの部屋に、最後まで。

 

『おかえりーソーマさん。遅かったね、バガラリー見飽きちゃったよ』

「戻った。勝手にアーカイブを漁るな」

『点けっぱなしで出て行く方が悪いもーん、不用心だなぁ』

 

 体の殆どが動かないくせして元気な奴である。

 二人は出来る限り、いつも通りに過ごすことに決めた。ユウカが好き勝手してソーマが振り回されているように見えて、終わった見ればなぜかユウカの方が振り回されていたみたいな、どうしてそうなったのか本人たちにだってわからないような、雨の日の癖毛のように跳ね散らかし、柔らかなそれを。いずれ訪れる終わりが見える、はかない日々。それこそが、最期まで笑って過ごす方法だっただろうから。

 

「お前への身体接触上の介入ができるようになったと思っていたが、逆なのか?お前が現実に介入できるようになった?」

『あ止めて小難しい話聞いてると眠くなっちゃう』

「ド理系が何言ってるんだ」

『いや今全然わかんないわかんない。今四則演算すらできない』

「未就学児かよ」

 

 へらへらと緩み切った顔で笑う彼女を鼻で笑って持ち上げる。そう、抱き上げるに非ず。またはしゃぎまわられても面倒だ。あとその流れは初日にやったから飽きていた。

 

『いつもすまないねぇじーさん』

「それは言わない約束だろババア」

『口わっるいじーさんだな』

 

 やわらかいベッドの上に適当に放り投げ、雑!と喚く彼女を放置してコートを脱ぎ捨てる。今回の任務は第一部隊としてのものだったので、対人関係で色々めんどくさいメンツであった。あの夫婦サッサと結婚しろなんで俺が思春期の息子扱いをされなくてはならないんだ。

 

「……………………………疲れた」

『お疲れ様、ユウカのここ、空いてますよ!』

「そうか。で、この見るからに頭ハッピーセットな映像は?」

『流された……やなんかアーカイブにあったから見ただけ。すごいよこれ総数何話だろう、こち〇かな?』

「前々から疑問だったんだが、お前のその絶妙に古い番組知識はどこから来たんだ?」

『ほとんど母さんかな……くわえ煙草のセブンティーンマップみたいなタイプのひとだったから』

「昭和か」

『私も十四歳の新しい自分探そうかな。ユウカマークⅡ、いつかはクラウン』

「昭和か」

 

 前者は尾〇豊、後者はト〇タである。生涯使わない知識なので、知らないなら知らないままでよろしい。

 

「というかお前今日一日中テレビ見てたのか。だめ人間みたいだな」

『みたいじゃなくて事実そうでしょ。私だってできるならソーマさんにくっついて観戦……じゃなくて見守りたいし本だって読みたいけどさ』

「観戦」

『ソーマさん単独任務だと全然無茶しないし深追いもしないし無難に終わらせて安心できるから仕方ないの』

 

 虚空へ視線を飛ばす彼女をじろりと睨みつけ、嘆息してから本棚から本を数冊抜き取る。

 

『別に催促じゃなかったよ?』

「いいから受け取れ」

 

 半ば押し付けるように殆ど論文のような分厚い本をユウカに手渡す。彼女はもうどこにでも自由に行けないのは分かっていたのだから、これは単純にソーマの配慮不足だった。だがまんじりとただ彼女がこの部屋の扉が開くのを待つという状況はそれはそれで良い気分になると思ったので、たまに冊数をわざと少なくしよう、などとあくどいことを考えた。

 

『嬉しいけど私今百二十字以上の文章読めないし漢字も読めない……』

「今日は何をそんなにだらけてるんだ」

『端的に言って暇。何かして遊ぼーよソーマさん』

「ここに娯楽用品なんてないぞ」

『偉い人は言いました、ないなら作れば良いじゃない、と』

「その場合作るのは俺だろうが」

『止めないでソーマさん、今なら私双六制作の神童になれる気がするの』

「神童にでも工藤にでも勝手になってろ」

『わかった、私一人でやり遂げて見せるよ!じっちゃんの名にかけて!』

 

 それは金〇一少年である。ベッドの下からカッターと画用紙を取り出してやる気満々の彼女を他所に、彼女に持ってきたはずの本を読み始める。

 

「いや待て、何時の間に俺のベッドの下にそんなものを」

『大丈夫、箪笥の上から三段目の洋服の隙間にある薄い冊子の中身は見てないよ』

「ぶっ殺すぞ」

 

 なおこの後『はーーー!指先碌に動かないのに作れるわけなかったわ!真実はいつも一つってかぁ!?』とカッターを放り出した彼女がキッチリ伏線回収したところで、ようやっとこの日部屋の電気は落とされた。

 本格的に馬鹿々々しい毎日である。

 

 腕はその日中に動かなくなった。

 

『だるま……』

「その先は指定が入るからやめろ」

 

 能天気に呟く彼女に咄嗟にストップをかけたソーマの言葉はふざけていたが、その実とても不安だった。恐怖心しかなかった。来る日も来る日も進んでいく彼女の凍結は、まさしくタイムリミット。砂時計の中の砂が落ちていくのを、ただ眺めるだけの日々。このしっとりと冷たい温度さえ、失ってしまう。朝が来るのがひどく恐ろしい。朝起きて、もしユウカが既にいなくなっていたなら、きっとソーマは立ち直れない。だからここ数日、ソーマはギリギリまで遅く眠り、朝陽より先に起きた。睡眠不足をユウカに悟られてはいけないから、任務の移動中に少しずつ睡眠を取ってやりくりしていた。元々ショートスリーパーだ、問題はない。

 けれどそんな日々も、もう終わりだ。

 

「それで、どこへ行きたいんだ」

『へっへっへ、わかってるねお兄さん』

 

 朝っぱらどころか午前四時前に頭突きで叩き起こされれば流石に用事があるだろう程度の察しはつく。というかこれで用事も何もなかったらソーマはキレても良いはずだ。

 ユウカは少しだけ思考するそぶりを見せた後、そう時間もかからず明るい表情で口を開いた。

 

『屋上かな。ね、連れてって』

 




次回、最終回です。最終回とエピローグとフユキくんのおはなしの三話は同日同時投降なので、お気をつけて
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