「――マ、――ソーマくーーん!聞いてる!?」
「聞いてない」
「シッカリ聞いて!!?」
低い舌打ちを一つしながらも、ソーマは頬杖突いてまずいコーヒーを啜った。
あれからも世界は変わらない。クソッタレできな臭く、差別的で容赦もない。あれから、ソーマは幽霊の類を見る事は無くなった。必要がなくなったからだろう。彼女を受け入れるためだけに、きっとあの能力はあったのだ。
苛酷な任務をあれからいくつか受けはしたもののちゃんと生きている。死んで堪るかと歯を食いしばって、今日も。
「それで、なんなんだ。要件を簡潔に言え」
「いや聞いてなかったの君だよね?なんで偉そうなの?」
「帰る」
「アーーー冗談冗談!ほんとお願いだよ相談乗って!」
謎に追いすがってくるこのエリックは、あれからもソーマになんでか構いまくり、まあなんとなく仲良くなっていた。ソーマはともかくとして、エリックはキチンと社交性があるのにである。陽キャの考えることはわからんと溜息を堪えながらなんだかんだ妙な危なっかしい彼に付き合うこのソーマの世話好きは絶対に彼女のそれが移ったものだ。
そんな感じでほぼ親友のようなエリックがゲッソリと頬をこけさせて今日任務に来たのだからさしものソーマも驚きもするし訳も聞こうとする。どうやら悩み事がこの頭お花畑野郎にもあるらしい。
「妹のことなんだ……」
「ああ、あの」
エリックの妹はそりゃあもう小生意気な美少女だった。エリックに対してだけはでれでれだったが。正しくその年頃の娘っ子を満喫しており、エリックもついつい甘やかしてでれでれしてしまうのだからなんというか悪循環な感じの兄妹である。ソーマとしてはシスコン……とドン引きしてはいるが、まぁ許容範囲内である。とは言えそんな溺愛する妹のことなのだから、何かあったとあればこうもなるだろうと納得しつつ「彼女がどうしたんだ」と先を促す。
「この前体調を崩して、ここの病室に少しお邪魔したんだ。ちょっと風邪をこじらせてね……ほら、ここのすぐ下の」
「ああ」
アナグラに医務室は数多くあるが、その中で重傷・重病人のいる部屋は研究室の手前。家族が出入りしやすく、アラガミに関するものであればすぐに研究者が出てこれる場所にある。ソーマの部屋の真下の部屋もそうだ。
「それで、そこで出逢った人に一目惚れしちゃったらしくて………」
「アッソ」
「ウワアアア興味なさそーーーーー!!!」
両手で顔を覆うまでは良いが奇声を発するのだけはやめてほしい、周囲の視線が痛い。ゴミを見る目で眺めるソーマの視線を察してか、エリックはスンッと一瞬にして真顔になった後に言った。
「というわけで、恫喝……いや違うな牽制……でもなくまあちょっと顔を見に行ったんだけどね」
「マジで気持ち悪いなお前」
「君でもマジとか使うんだね……でそしたらね、なんと、―――女の子だったんだよ!!」
「ハア……」
そっすか……とソーマはドン引いたまま相槌を打った。妹はまあ理解できる。この時代ジェンダーレイシストなんてする暇もないのでいないし、そういうのは個人の自由だろう。だがエリック、お前はそこまでにしとけよ。
「しかも結構美少女!エメラルドグリーンの大海原のような眼に一本通った意志が美しくってね、歳は僕らより二つ三つ下だろうけどまたそこが良いと言うか」
「帰っていいか?」
「待って待ってこっからが本題なんだって、そんな感じで好感触しか持てないような少女から僕の妹を引きはがす方法ない?最近通いっぱなしでお兄ちゃん寂しいよ!!」
「すまんが手洗いに行ってくる」
「遠回しに吐き気がするって言われた!?兄にとっては割と死活問題なんですけど!」
ぎゃあぎゃあうるさい声は慣れているが、男のしかもエリックのものなど嬉しくもなんともない。お前今年でいくつだ。隠しもせず盛大に溜息を吐いて、渋々、本当に渋々ソーマは彼に向き直った。手っ取り早く解決した方が早いと気づいたためである。
「どんなやつなんだその女は。粗探しでもして現実を突きつければ夢も覚めるだろ」
「それだ」
エリックは悪い大人の顔をして、妹の夢をぶち壊すべく思案した。最低だなこいつ、と思いながらソーマはそれに耳を傾ける。
「穏やか、なひとなんだろうね本来。喜怒哀楽表情がくるくる変わるけど、たぶん元々は静かな人だ。知識量も多いし、エレナも上手にあやしてる。あれはかなり下の弟妹慣れしてるね」
コイツ本当はその女のことが好きなのではと思うくらいの観察眼だった。エリックが話を続けるごとにソーマの心は一メートルくらい離れていっている。妹の初恋相手に恋するとか正気かよ。
「あとは、そうだな。とても笑顔が印象的なひとなんだ」
――世界一美しい少女の笑顔が瞼の裏に蘇る。
思わず微笑したソーマの顔は、次の言葉で固まった。
「長い睫毛の間にうっすらエメラルドグリーンが透けてて、くしゃっと眉が寄って、口角が溶け落ちそうに弛められて」
それは。
それは。今では、ここではソーマだけが知っているはずの。
「ああ、あと」
背骨が熱した棒に代わったかのように熱く、爪先がジンとして鳥肌が立った。
もし、もしかしたら。
いいや、そんなことはありえない。
その先を聞いたらきっと絶望を味わうに決まっている。彼女は消えた。いなくなったのだ。この世のどこにも。期待なんて持つだけ無駄だ。脳がソーマの心臓をそう搾り取るように脈打たせる。
けれどその心臓にいた小さなソーマが全てを振り切り逃げ出して裏切った。
「あの人をこれからもよろしくね、って言われたな。エリナのことじゃないだろうし、文脈的に僕の事でもないし、一体誰の―――」
「それでね、お姉さん!エリックたら面白いくらい落ち込んじゃった!」
「楽しそうにひどいねぇ」
「だっていっつも余裕ぶってるお兄ちゃんがあわててるの面白いんだもん!」
「うーんこの小悪魔。エリナはほんと可愛いなぁ、将来大物になるよ」
「ほんと!?」
「うん、絶対そう。私、見る眼はそこそこあると思うよ」
白い病室。開かれた窓から夏の湿った風がそよいで、白いカーテンを揺らしている。
そこには姦しい声ふたつ。
「ねね、お姉さんは好きな人いないの?」
「いるよ。世界で一番とびっきりの男前」
「……ちゃんとここに来てる?」
「わお、10歳に相手の倫理観の心配された」
「難しい言葉で誤魔化さないで!お姉さん重傷でしょ!?まだ身体うごかないくらいなんだよ!?見舞いにも来ないってどーいうことなの!?」
「あハイ。いやあのちょっとあらぬ誤解がね」
「あらぬ誤解もアラル海もないわよ!!何処のどいつよ私のお姉さんをたぶらかしてるのは!」
「やだ……エリナが今日もかっこかわいい……すき……」
「えへへっ、私もお姉さんが大好き!」
「うんうん。だから私の好きな人にはひどい事しないでね、むしろ私怒られる側なんだから」
「………お姉さんが?」
「うん。こんなとこにいる事知られたら、絶対怒られる」
「怪我の事言ってないの!?」
「えっ、やそれはどうなんだろう……言ったカウントして良いのかな……ま、まあとりあえず、怒られるのよ」
「よくわかんないけど、じゃあ、私のお兄ちゃんに仲介してもらう?お兄ちゃん、なんだかんだお姉さんのこと好きになりかけてるから庇ってくれると思うよ?」
「泥沼。昼ドラかよやめて。じゃなくて、良いの、怒られるのは。むしろ今、怒られるためにがんばってリハビリしてるんだから」
揺れるカーテンの隙間、金色の懐中時計が陽の光に照らされてつるりと光った。傷だらけで、装飾なんかちょっと剥がれかけ、なお輝きを失わずに。それを包む白い手は片方包帯を巻かれて肌を隠している。懐中時計と同様、傷だらけでぼろぼろの手だった。その手の温度を、未だソーマは知らない。
「行ってきますって言ったんだから、おかえりって言わせてあげなくちゃ」
だが、その声は絶対に忘れぬもの。
あの頃、確かにソーマだけのものだったもの。
一瞬の躊躇もなく、そのカーテンを乱雑にかき分けた。
一連の流れが終わって呆気にとられた彼女に、今まで生きてきた中で一番の笑顔を浮かべ、彼女の両手ごと懐中時計を握りしめる。
その手と唇の温かさに、また泣きたくなった。
生きているって、なんて素晴らしいんだろう。