天を泳ぎて地に戻りきよ   作:緑雲

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クソ長


少女、講義

「可愛いよな~~!ロシアの神秘ってやつ!?たまんないよな!」

 

 

「しっかりした子よね。少し堅いけど……根気よく向き合ってあげて」

 

 

「あの子の力になってやれ、な」

 

 

 

「……………………なんなの?」

「期待してるんだろ」

「せめて心を込めて言ってーー!」

 

 ザクッ、と勢いよく刃が肉塊へ振り下ろされる。最近シユウをタコ殴りにして得た素材で製造したショートブレードは、低確率でスタン効果を付与するという性質を持つ。そして運の良いユウカはその低確率をよく引く。そんなわけで無抵抗のアラガミをザクザク処理しているのであった。

 ソーマと一緒の仕事は珍しくない。というか多い。極東では人材の重用と任務効率の両者を重視しているため、部隊の上官一人が新人につくツーマンセル型が推奨されているし、何よりソーマと組みたがる人間は少ないので彼の手はよく空いている。なんとも悲しい理由だが、ユウカはちょっぴりはそれに感謝しているのだった。

 

「それで、新人はどうなんだ」

 

 ズサーッとバッサリ上下にバスターブレードでフカヒレ野郎を両断すると、ソーマは一息吐いてユウカに尋ねた。ちまちま捕食して素材を毟り取りながら、ユウカは憮然とした表情をそちらへ向ける。

 

「空振り三振スリーストライク。バッター交代してほしいのに、ベンチに誰もいない気分だよ」

「だから言ったろう。気張りすぎるなってな」

「頑張らない方がどうかしてるってば。あんなにソーマさんソックリなのにさ」

「……そうか?」

「知らぬは本人ばかりなりってやつね、ハイハイ」

 

 不愛想で強がって強情で、いつも不機嫌そうで。けれどそれは、余裕がない人間の兆候だ。不愛想なのは必死だからだし、強がっているのも強情なのも不安だからだし、不機嫌なのは何かに怒っているからだ。怒り続けている。だが、一つ違いがあるとするなら、彼女はソーマよりもあらゆる意味でこどもっぽいところだ。あるいは少女らしいと言うべきか。

 

「ほっとけないんだよねぇ」

 

 黒い靄となって地中に沈むオウガテイルを見送って、項垂れるようにユウカは呟いた。

 あの時ソーマが自分の価値もわかってない馬鹿な少年だったように。アリサもまた、無知で無自覚な小さな女の子なのだ。そしてユウカは、傷ついている人間を放っておける性質ではなかった。それが例え外傷でなかろうとだ。

 

「ウゥゥ……ソーマさん手伝ってよー」

「他を当たれ」

 

 ひどい!と頭突きしてみるが、広い背中は小さく揺れた程度で殆ど微動だにせず、神機を肩に担いで周囲を見回した。ピピピという電子音共に任務終了の文字が端末に浮かび上がる。どうやら周辺のアラガミ一掃は完遂できたらしい。

 

「雑魚敵には大分慣れて来たな」

「こんだけ倒せば嫌でも慣れるわ」

「調子に乗って慢心するなよ」

「はーい気を付けまーす」

 

 いつもの調子を崩さない弛んだ返事に、ソーマは呆れるでもなく小さく肩を竦めただけだった。おざなりという訳でも、軽んじている訳でもないだろう。迂闊なところは確かにあるが、馬鹿なわけじゃない。こんな風に無意識に彼女が陽気に振舞っている姿は見覚えがある。見覚えというか、正確に言えば聞き覚えがある。

 

「ユウカ」

「んー?」

「……お前はよくやってる。こんなクソッタレな職場で、よく生き残ってるさ」

「…………えー、なになに、急に」

 

 手の甲で口元を隠そうとするがニヤついているのが丸わかりだ。嬉しさと恥ずかしさが綯交ぜになったような喜色を浮かべるユウカを片腕で引き寄せてやると擽ったかったのか鈴の音のような笑い声を上げた。

 ユウカがソーマに追いつこうと毎朝訓練しては遅くまで資料を読んでいる事を、当然ソーマは知っていた。妙に楽しそうなので止めた事はなかったが、楽しいからといって大変でない訳ではないだろう。その上で同僚との交流を欠かした事はなく、別に後輩でもないアリサの事まで気にかける始末。過剰出撃は流石にしていないようだが、頼まれれば防衛班だけでなく偵察班のヘルプにだってよく参加している。なんでもかんでも背負いこみやがって、スーパーマンにでもなるつもりか。

 だがユウカはあの幽霊時代同様、別にスーパーマンに成りたいわけじゃないのだろう。彼女は自分に出来る事を全てやっているだけの話だ。だがそれを実際に出来る人間が一体、どれだけいるというのだろう。

 

「明後日、どこか行きたい所はあるか」

「桜見に行きたい!」

「ああ、あそこか。……もう散ってるんじゃないか」

「……確かに。あ、でもそしたら木陰でまったりしようよ」

「アラガミがいつ出てくるかわかったもんじゃないところでまったりなんざできるか」

「そこはホラ、交代制で」

「夜営かよ」

 

 もう三年も前になるあの春の日に見た桜の木は、今もどっしりと地に根差し続け花を毎年咲かせている。暇を見つけては念入りに周辺のアラガミや資源を潰して回っているからなのか、それとも何か不思議な力にでも守られているのか、あの古木が倒れる事はなかった。

 

「おべんと作ってこーよ。配給の食材でなんとかやりくりしてさ」

「あのデカいトウモロコシでか?」

「この前伊藤さんに分けて貰った野菜と卵があるから、……あっ」

「オイ誰だそいつ」

「大丈夫、ちゃんと足のつかないルートだから」

「そんなグレーな人間との付き合いを止めろ今すぐ止めろ」

「あははははっ、やーだよ!」

「逃げンな!」

 

 本当は小型アラガミでも見るのさえ怖い癖に、懸命に戦う姿を見る度に思うのだ。誰よりも優しくしてやって甘やかしてやりたい。ソーマがそう思う唯一は構われているのが嬉しくて仕方ないと言わんばかりに楽しそうな笑い声を上げて巧妙にソーマの腕から逃れる。

 捕まえられそうだったその刹那に、ユウカの端末がけたたましく鳴り響いた。彼女には珍しい爽やか系ジャ〇ーズの曲みたいな着信音に動きを止めたソーマを他所に、ユウカは優れた反射神経ですぐさま耳に端末を当てて応答した。

 

「はいユウカです!」

『あ任務直後なのにスマン!至急帰ってきてくれ!』

「了解です。何かありましたか?」

『アリサとカレルの喧嘩がヒートアップしててしかも両者一切引く気がねえ』

「簡潔で緊急性がわかりやすい説明ありがとうございます。ゆっくり帰りますね」

『いやマジ頼むって~~!アメちゃんやるから!なっ?』

「わかりましたよ、もう。あ、アメちゃんはソーマさんにお願いします」

『オッケー!頼むぞアリサ係!』

 

 めちゃくちゃ下らない頼み事を引き受けてしまった気がする、とユウカは端末画面を睨みつけた。一方的に要求だけ押し付けて一方的に電話を切った頼りになるんだかならないんだかイマイチわからない先輩に溜息を禁じ得ない。着信音は完全に第一印象で決めていたが、今度からヤッ〇ーマンとかロ〇ット団キャラソンとかにしようかな。

 

「ハッ、『アリサ係』ね……」

「この支部、曲者揃いの癖になんで他の曲者の手綱は握れないのかな」

「同族嫌悪じゃないか?」

「いや、自由人が多いんだよ。ちなみにソーマさんにも言ってるんだよ、わかってるよね?」

「……さ、帰るか」

「ねぇーーえーー!協調性!協ー調ー性ーーー!」

 

 素知らぬ顔して身を翻すソーマをユウカが喚きながら追いかける。アナグラからそう離れていない地点にせよ、二人の帰還までに優に三十分はかかるだろう。それまでに喧嘩が終わってると良いのに。ユウカは半分希望半分諦念にそんなことを思いつつ神機を構え直した。

 

 

「――ですから、人命の救出よりもアラガミの殲滅を優先すべきだと言っているんです!」

「あのなァ、オレ等は防衛班なんだよ!人命を守る事が仕事なんだっつの!」

「速やかにアラガミの討伐を行えば、結果人命も守られるじゃないですか!そもそも避難命令は事前に出ているのに、残っている人間までを守る必要はないかと思います!」

「そういう奴らもひっくるめて命を守らなきゃなんねぇんだよオレらは!」

「それで結果的に避難済みの人命を脅かしてもですか?本末転倒じゃないですか!」

「だから、そうならない為にアラガミの足止めと避難誘導を同時にやってるんだってぇの!」

「だから、ただでさえ少ない人員を避難誘導にまで割く必要はないと言っているんです!」

 

「ワー……めんどくさそー……」

「ユウカ!やっと来たか」

「特急で帰還しましたけどぉ……あれタツミさんが止めるべき事案じゃないですか?防衛理論はタツミさんの方が造詣深いですし」

「オレじゃあ、あのお嬢さんは納得してくれないさ」

 

 タツミは防衛班の班長に相応しく人命救出最優先を至上とし、しかも防衛理論の戦術書や兵法なんかも全て読破している。バカだバカだと自称しているが、資料室の貸出記録を見れば彼の知識の深さは直ぐに思い知るだろう。しかし何といっても日頃の行いと態度というか、タツミの事を意識低いと認識しているアリサにとっては彼の言葉は含蓄少ないものに聞こえることは間違いなかった。タツミがまだ若造と判じられるほどの年齢である事にも起因しているかもしれない。ユウカにとってみれば、こんなに有能なリーダーも珍しいんじゃないかと思うが。

 軽く一息吐いて、ユウカはなるべく軽やかな足取りを意識して二人に近付いた。

 

「アーリサっ、どうしたの?」

「ッあなたですか……、本日の防衛班の作戦行動に問題があると指摘しているだけです」

「へぇ~、どんな状況だったの?」

「今日は外部居住区から北に1.5キロの地点にアラガミがぽこじゃか沸いて、すぐさま放送で民間人に避難命令、オレ等も出撃。逃げ遅れた奴らを逃がしながらアラガミの撃退、ってな感じで、いつも通りだったさ。この使えねぇ新人が部隊に入ってた事以外はな!」

「はあ?アラガミそっちのけで居住区に入って行った人の方が、よっぽど役に立たなかったと思いますけど」

「だから、」

「あーはいはい成程、状況はわかりました」

 

 尚も言い募ろうとするカレルに苦笑いしながら応える。ユウカは一瞬思考した後、人差し指を顎に添えるようにしながら二人を見た。

 

「お二人とも、トロッコ問題って知ってますか?」

「は?なんだそれ」

「思考実験の一種ですね」

「アリサ正解」

 

 有名な思考実験だから知っている人間は多いだろうが、一応説明しておく。

 トロッコが真っすぐ進んでいる。その線路の先には五人の作業員がいる。このままでは五人が轢かれて死んでしまうが、貴方の前には方向が変えられるレバーがある。方向を変えたら作業員は轢かれないが、方向を変えた先の線路には一人の老人がいる。方向を変えたらその老人は轢かれて死んでしまう。

 

「この時貴方は如何しますか?というのがトロッコ問題です。当然、声を掛けたり自分が身代わりに成ったりなどの第三的選択肢は存在しません。また、作業員は実は悪人だ、といったような前提に付け加えるものや、ランダム性を含めた決定方法は禁止です。というところでアリサ、貴方だったらどうする?」

 

 ユウカがアリサへ問いかけると、彼女は一切迷うことなく、間髪入れずに返答した。

 

「勿論、レバーで方向を変えて五人の作業員を救います」

「うん、実に殲滅部隊らしい功利主義的回答だね。それも正解です」

 

 殲滅班としてなら、アリサの回答は正解だろう。少なくとも間違ってはいない。もし大型のアラガミ討伐の際に、壁外民間人がいたら当然場所を変えるが、アラガミが強すぎたり、大勢いるなら構っていられるものか。そもそもその大型アラガミを倒せなければ、その人たちだって生きては逃げ出せないのだから。

 ユウカが満足そうに頷くと、アリサも自分の回答に自信満々だったのを更に増長させたようで口端を持ち上げた。

 

「じゃあカレルさんだったらどうしますか?」

「トロッコをぶち壊して全員救う」

「は?この問題は二択なんです。話聞いてなかったんですか?」

「そうだね、でもカレルさんの答えは防衛班としては完璧な回答だよ。流石普段は金にがめつくて悪ぶってても根は善人なだけありますね!」

「おちょくってんのかテメー」

「あなたまでそんな事を……!そもそも、あなたが言ったんじゃないですか、第三的選択肢は存在しないって!」

「うん、アリサの言う通りだ。じゃあその上で聞くけど、この問題は一体どんな主義主張の問題を取り扱っているんだと思う?」

「……少数の犠牲を払って多数を救っても許されるのか、という倫理の問題です」

「うん、流石、アリサは賢いね。その通り、この問題は倫理を問う問題だ」

 

 人間はどのように倫理・道徳的なジレンマを解決するか。それを解明するために有用な手掛かりとなると考えられているこの問題は、言わば許容される悪は如何なるものか、そして、正義とはなんなのかを問うところに本質はある。

 元はイギリスの哲学者フィリップ・フットが提起した問題であり、フットは論文内で「私たちの大半の者が無実の人を犯人にでっちあげる事が出来るという考えにゾッとするのに、運転手の方は人数の少ない線路の方へ進路を変えるべきだ、と私たちが躊躇なく言いそうなのは何故か」と説明している。

 

「この問題を合理的に解決できる倫理的指針は、実はない」

 

 アリサは不服そうながらも、渋々といった感じで頷いた。おそらく彼女は論文をきちんと読んだのだろう。レバーを引くべきか、引かざるべきか。援助の義務と非介入の義務、優先されるのはどちらなのか。フット自身も、明確な結論を文中では避けている。

 

「じゃあこの問題における最も道徳的な回答はなんだと思う?勿論、今度こそトロッコの破壊や呼びかけるといった選択肢はなしね」

「はいセンセー!」

「なんですか、タツミさん」

「道徳を問題にするという事自体の道徳性について異議がありまーす!」

「そうですね、でも却下します」

 

 からからと可笑しそうに笑うが、その声はどこか乾いていた。

 アリサはユウカの意図がわからないながらも、解答が分からないのが悔しいのか眉間に皺を寄せて思案しているようだ。

 

「一人を轢いて五人を救う、が解答じゃないんですか?」

「それは功利主義的解答ってさっき言ったでしょ?問題は、最も道徳的な解答だよ」

「選ばない、とかか?少なくとも運転手が積極的に介入した訳じゃない、っつー事になる」

「それも不正解です」

 

 じゃあどうしろと。そんな感じの表情をする二人に、ユウカはふっと周りを見渡して目当ての人物に視線を投げる。二人の喧嘩を少し離れたところで見ながらオロオロしていた少女だ。

 

「カノンちゃん。貴方だったらどうする?」

 

 急に水を向けられた少女は目をまあるくしてひどく驚いて、それから物凄く狼狽えたようだった。まさか自分に指名が飛んでくるとは思わなかったのだろう。出席番号順で解答させる先生の授業の時に、何の前触れもなく不意に指名された生徒のように、カノンはきょろきょろと意味もなく視線を彷徨わせて手をまごつかせた。必死に考えているのだろう彼女は、数秒経ってようやく小さく口を開いた。

 

「ご、ごめんなさい……わかりません。ていうか、選べません……」

「はい、よくできました。正解です」

「…………………エ……え?」

 

 全く予想だにしていなかった返答だったらしく、カノンは呆気に取られて口を開けたまま間抜けに固まった。アリサも口こそ開けっ放しじゃなかったが似たような表情だ。

 

「カノンちゃんはどうして選べなかったの?」

「えっ、えっ!?えっだって、どっち選んでも、人が死ぬじゃないですか、選べるわけないです。人が、死んじゃうんですよ?……あの、本当に?」

「うん。それが、最も道徳的な解答だよ。流石カノンちゃんだね」

「エッいえ!……あの、褒められてますよね?」

「褒めてる褒めてる。人間的には褒めてる」

 

 ゴッドイーターとしては致命的だが。

 一人を殺すわけでもなく、選ばない訳でもなく、『選べない』が最も人間的で道徳的な解答だ。積極的な非介入でなく、無意識の非介入。これはいずれ枯れる花をそっと見守る行為に似ている。花瓶に生けて永らえさせるでもなく、一思いに間引くでもない、自然を受け入れる情動だ。

 

「じゃあタツミさん、本日の講義の総括をお願いします」

「エッ……エーと……正しさに関する脆弱性と、考え方によって正しさも善い行いも異なるって事か?」

「はい、その通りです。ありがとうございました。それではこれにてユウカちゃん先生の講義を終了します!」

「そうか。ではこれから私によるユウカ上等兵への講義を始める。喜べ」

「ゲェーーッ教官!どこから沸いてきたんですかッだだだだだだだ!イタイイタイ!」

「何度言ったらわかるんだ?ここはエントランスであって講義室じゃないんだが?」

「その点については大変申し訳なく可及的速やかに改善する方向ですハイ」

「政治家でももっとマシなコメントをするぞ……。全員解散しろ。タツミもついてこい」

「エーンエーン」

「アッハイ。あー、悪かったなユウカ、ホラ、お前にもアメやるから泣くなよ」

「キャッキャッ」

「猿かな?」

 連行されていくユウカとタツミを見送り、エントランスに屯し、ユウカの講義を聞くためにボウフラのように集まっていたゴッドイーター達がだらだら解散していく。

 その中には当然アリサとカレルの姿があり、二人はジッと睨み合った後に、納得したような、していないような顔をしたが、何も言うことなくその場を後にした。頭の中でタツミの総括が反芻していたからだ。功利主義を掲げたアリサ、無理難題をどうにかしようとしたカレル、どちらも自身の主張の脆弱さの一端に気づいたのであった。

 

「全くお前は、もう少し考えて動いたらどうだ」

「考えて動いた結果があれなんですけど」

「では考えが足りなかったのだろうな」

「ハハ、お厳しい」

 

 バッサリユウカの浅慮を切って捨てたツバキに、タツミが横でからりと笑った。ツバキとてユウカの事を評価していない訳ではない、むしろこれ以上ないというほど評価している。

 

「もっと合理的にあの二人を鎮める手法があった筈だ」

「仰る通りです……」

「ハア……腕立て二百五十だ。終わったら帰って良い」

「はぁい」

「タツミ、元はと言えばお前の監督不行き届きだ。お前は腕立て三百」

「了解です」

「それとユウカ、教官への転向がしたくなったら言え、便宜を図ってやる」

「エッ、あハイ。ありがとうございます、でも遠慮します」

「残念だ、中々堂に入っていた。ここに来る前に何か?」

「いえ、父が教師気質で」

「そうか。さぞ優秀な父上だったんだろうな。……行ってよろしい」

「はい」

 

 敬礼して退室し、タツミと並んで廊下で腕立て伏せを開始する。面倒なので手っ取り早く終わらせてしまいたいが、悲しいかな、腕立て伏せの早さには限界がある。無理にスピードを上げようとすると、むしろ無駄な動きが増えてスピードが落ちてしまうのだ。なので二人は結構な速さで腕立て伏せをしつつも、暇なので終わるまで廊下でくっちゃべり続けることにした。

 

「はーぁ、アリサ嬢はどう扱うべきなのかねえ」

「扱き使ってやれば良いと思いますけど。本人も積極的に任務を受けてますし」

「ありゃ深く考えなくて良いよう無理に忙しくしてるだけだろう。それじゃ本人の成長につながらんのよ」

「それはわかってますけどー、今は外野がどうこう言っても聞く耳持たない感じじゃないですか。時間が必要なんじゃ?」

「『時間こそ最も賢明な相談相手である』か?俺はあんまアレ賛成できねえんだよな」

「まあぶっちゃけ問題の先送りですしね。でも時間があるうちは悩んでも良いじゃないですか」

「いやないだろ時間。明日にゃ死んでるかもしれねぇじゃん」

「けど無理に結論を出すようせっつくのもどうなんです」

「そうなんだよなーそれなんだよなー、あ何回?」

「残り157回です。私は107回です」

「サンキュ。でもお前の言う事なら割とよく聞くじゃん」

「論理的に喋ってますからね。ああいうタイプは第三者の客観的な意見と、理論と法律を盾にすれば逆らえませんから。……だからこそ、倫理を考えさせるのは難しいんですけどね」

「なんであんなにアイツは子どもなのかねぇ」

「パーソナルデータには両親死亡って書かれてましたよ。それが原因じゃないですか?」

「誰にでもあるような重たい過去ってヤツか」

 

 腕立てをしながら同僚の今後憂う二人であった。まるで馬鹿みたいだが、この廊下は上級佐官しか通らない廊下なので立ち聞きの心配もなく、何より暇であった。

 

「え、タツミさんにもあるんですか?」

「オレの事なんだと思ってんだお前は。まあそれなりにな、オレも外出身だし」

「ああ通りで。防衛班って外出身多いですよね」

「だな。エリックとカノンくらいじゃないか、ハイヴ内で生まれたのは」

「……二重の意味で世も末ですね」

「ハハ、違いない」

 

 ゴッドイーターの発掘はだいぶ終盤に差し掛かっている。壁外の民間人はもうほとんどが死に絶えているからだ。なので今後登用されるゴッドイーターは、ハイヴ内で生まれた若手になってくる。つまりイマイチ危機感足りないあの二人のような人間がこれからぽこじゃか生まれてくるという訳だ。

 

「何してんだ、お前ら」

「あ、リンドウさん」

「罰則中なんスよ」

「いやそりゃ見りゃーわかるって。二人揃って何してんだってハナシだよ」

「アリサとカレルが衝突。ユウカが仲裁の為その場で鞭撻を奮ってエントランスが講義室状態。以上です」

「ああ……」

 

 再三ツバキが言っていたように、ユウカがこうして教師紛いの事をするのは初めてじゃない。むしろ常習犯である。

 発端はアリサがロシアと極東の言語表現、文化や考え方の違いの擦り合わせをしようという提案だった。ユウカは語彙力も知識も豊富な為、アリサにそれはもうわかりやすく極東について教えた。なんならロシア語も喋れたので微妙なニュアンスはロシア語で解説した。その際、エントランスで暇していたゴッドイーター共が何処からともなく集まってきて興味深そうに聞いてくれたので、調子に乗ったのである。父親譲りで、ユウカは講義するのが好きだった。しかし人を育てるような力はユウカにはないので、ゴッドイーター辞めるような事があったら尼にでもなろうかとか思っている。

 

「ていうかリンドウさんはどうしてここに?」

「支部長から呼び出し。また厄介な任務押し付けられそうだワ。あ、ユウカお前一五三〇から俺と任務な」

「うぇーーっ、帰って来たばっかりなのに!」

「大変ッスね」

「タツミお前自分が防衛班だからって安心してられると思うなよ……」

「いやー、オレみたいなタイプのバカはお呼びじゃないと思いますよ」

 

 ユウカとリンドウは半笑いで確かに、と頷いた。タツミは人命の為なら命令とか規律なんか石ころ同然だと思っている正に人命至上主義だ。そんな人間に重要な討伐任務を任せるのは賢明とは言い難い。それに、そもそもタツミは神機の扱いが特別秀でていると言った訳でもないし、強さで言えばリンドウの腰元くらいまでしかないだろう。つくづく良いポジションにいるよなぁとユウカは思っている。

 

「あ、ていうかリンドウさん支部長室に行くんですか?気を付けた方が良いですよ」

「え、なんだよ機嫌でも悪いのか?二日目とか?」

「ちっげーですよ。たぶん貴方近々殺されますよ」

 

 支部長室に今猫がいるんですよーワハハ、それぐらいのテンションで言ったユウカに、隣で腕立て伏せしていたタツミまでもがぎょっとした。リンドウなんか顔を盛大に引き攣らせている。

 

「あー……あんま笑えねー冗談だが、根拠が?」

「いやこの前、私とリンドウさんとアリサで任務行ったじゃないですか」

「あのアリサに動物の雲探させたやつか?」

「そうですそうですイワシ雲はイワシってついてるのでギリ動物ですとかアリサが言い張ったやつです」

「エなんだそれ、めっちゃ面白いじゃんあのアリサ嬢。秋だったらどう言い訳したんだよ」

 

 安心させようとして肩を叩いたリンドウの手を思いきり振り払っただけでなく、悲鳴まで上げて飛び退いた彼女を落ち着かせようとしたリンドウの策である。あれはユウカもしきりに感心したものだ。おそらく、任務前にナーバスになったり緊張しすぎたりする新人が初めてじゃないのだろう。直属の上官が落ち着いて的確な対応をした時ほど尊敬を覚える事はない。

 

「あの時リンドウさんの手を振り払ったアリサ、明らかにおかしくなかったですか?」

「まあ……任務前で気が昂ってたか、触られたくないとか、対人恐怖症とかじゃねえの?」

「それも勿論否定できません。ですけど、あの時のアリサはなんていうか、一瞬意識が落ちてたんだと思います」

「真昼間に?任務前にあのお嬢ちゃんが?」

「ええ。そして一瞬で彼女は起きました。悪夢を見て飛び起きた。そんな感じの反応でした」

 

 飛び退いた後の呆然とした反応だけでなく、焦点の定まらない視線。プライドの高い彼女が直ぐに謝った事からもうかがえる微かな思考能力の低下。一時的に浅くなった呼吸。

 ただの対人恐怖症、もしくは気の昂りにしては不審な点が多い。今日男性としても体格の良いカレルに喰ってかかっても恐怖の色が無かった事や、ユウカが時折触れる程近くに寄っても別段避ける姿勢は見せない事、そして他の任務で帯同した時はそんな兆候は一切見られなかった事。

 そして暴走傾向、アラガミに対しての執拗なまでの攻撃的な姿勢。

 

「以上のアリサの身体的兆候からして、自己暗示にしてはコントロールできていない、となれば外部からの暗示でしょうね、端的に言えば洗脳かと。今のところ過剰に発露したのはリンドウさん相手のときだけなので、ならリンドウさん関係でなんかあるだろうなー、とか思いまして。良くて罠……最悪の場合で罠ってところですかね……」

「どっちも罠とかいう絶望の二択やめろ」

 

 ユウカの今言ったような話はただの推論に過ぎない。もしかしたら本当に局所的な対人恐怖症なのかもしれないし、リンドウを生理的に無理だと彼女が思っている可能性もある。リンドウは体格も良ければ力も強いし煙草臭い、良い意味でも悪い意味でも男性臭いのだ。

 しかし暗示というものは、人間はかかりやすいようにできている。バイアスなんかが良い例だろう。人間の脳は高性能だが、愛らしい欠陥にまみれている。洗脳なんかは言い過ぎにしても、彼女がトラウマ克服のために、自身に何らかの暗示を許しているのは明らかだ。

 

「ハー、洗脳……」

「エロ同人みたいだな」

「あっ、信じてませんね?でも結構効果的らしいですよ。そう例えば、―――トラウマ持ちの人とかには、特に」

「そいつは……ゴッドイーターにゃ効果覿面だな」

「話半分で良いですよ。私も充分な知識があるわけじゃありませんし、何より専門外ですしね!」

「いや家電量販店の店員みたいに詳しかったが?」

「まあ何にしても、人を洗脳していいように扱おうとしてる人間にロクなやつはいないです。そんなわけで支部長には気を付けた方が良いかと」

 

 ユウカ如きが気付ける程度の事に、万事を左右する支部長が勘付いていない筈がない。勘付いていながら適切な処置も行わず放置している。何故か、放置していた方が明確に利益が出るからだ。その利益とはなんなのか、ユウカには見抜けずにいた。

 

「ユウカ、お前から見て支部長はどんな奴だと思う」

「エゴイステックなリアリストですね。少なくとも、エイジス計画を信奉するようには見えません」

 

 それは暗にエイジス計画なんていう夢物語をユウカは一切信じていないと言ったも同義であった。

 上官二人が揃って呆れた顔で溜息を吐く。

 

「……お前さあ、ヨソではそれ言うなよ」

「言うワケないじゃないですか……あ、でもソーマさんにちょっと似てますよね」

「はあ?」

「似てないですか?人嫌いなのに人を守ろうとしちゃってるところとか」

 

 リンドウとタツミが同時に黙り込む。似ているなんて、そりゃ当たり前だろう親子なんだから。見た目にも面影があるし、ソーマが支部長の実子であることはアナグラでは公然の事実だ。ああでもそういえばこいつまだ入隊して一ヵ月で、しかもずっとソーマにくっついてたな。そしてあの青年はわざわざテメェの親を言うようなカワイイ性質ではない。そうして二人とも同時に同じ結論に達した。

 あ、これめっちゃ面白いやつだな、と。

 

「あー、そうかもな。気が付かなかったワー」

「そうだな。似てる似てる」

「ですよね!」

 

 気づけば剣呑な話はどこかへ吹っ飛び、上官たちはニコニコ微笑む部下を愛でる方向へ話題をシフトチェンジした。だってとてもお馬鹿な愛らしい言動だったので。ウンウン、そっかぁ~!そんな感じで部下の頭を意味もなく撫でた。馬鹿野郎と陰湿野郎しかいない廊下の一幕はそうして閉じた。

 

 




高INT高EDU「この分野に関しては専門ではないのですが」
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