天を泳ぎて地に戻りきよ   作:緑雲

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幽霊、約束

 幽霊はソーマの部屋に居候することになった。といっても、彼女は衣食もしなければ住んでいるわけでもない。基本的に部屋にいるだけとなった。

 どうやら最初に建物内を全部とは言えないが駆け回った際、ここが一番居心地が良かったそうだ。龍脈か霊道でも通ってるんじゃない?とわりと洒落にならない彼女の推測は置いておくとして、彼女は基本的に、ソーマの部屋に滞在することになった。ならばこの部屋を出れば手っ取り早く成仏できるのではというソーマの提案に、彼女は『だからこわいって言ってるじゃん!』とクソ面倒なことを宣った。ほんとになんなんだ。

 そもそも、彼女の姿がソーマには見えない。一度部屋を離れられては、探すことは困難だし、彼女が声を上げてこちらを探したところで人前でソーマがそれに応えてはソーマが狂人扱いされる。まあ、今更だとは思うが。

 

「一つ、部屋の外で俺に話しかけない」

『ふたつ、部屋の外に行くときと帰って来るときは一声かける!』

「三つ、騒音にならなくとも大声は出さない」

『よっつ、なるたけ、会話を続かせようという努力はする』

「…………それは必要か?」

『記憶喪失には脳の刺激でしょ?まあ脳あるかわかんないけど』

「そこに立て。物理で行ってやる」

『やめて?記憶が戻ったら納得して成仏できそうじゃん!だから決定!はい決定!』

「大声は出さない」

『はい』

「五つ、夜は静かに」

『はーい。これぐらいかな?』

 

 五つしかないのだから紙に認めるまでもない。そもそも万が一にでも見られたら発狂コースだ。デメリットしかない行為を、わざわざするソーマではなかった。彼女は若干不満そうにしていたが。

 

『約束事、約束事だって!』

「五月蠅い。なんだ」

『幽霊が、約束事!こんなにおかしい話がある!?あははっ、おかしい!うれしいなあ!』

 

 けらけらと楽し気な笑い声がソーマしか姿のない部屋に響く。冗談みたいな現実だった。

 

『今日はあと何かすることでもある?』

「ない。いい加減寝る」

『うんうんそうすると良いよ。私はどっか行ってるから安心して』

「………………待て、どこへ行く気だ」

『周辺散策!朝には帰ってくるよっ。朝日ってなんか苦手で』

 

 吸血鬼か、とソーマは思ったが食いつかれても面倒なので黙っておいた。機密がぎっしり詰まったこの支部の面倒なところに入り込まれたら面倒事に発展する、と思ったが、よくよく考えたら知るのが幽霊なら何の問題もなかった。公表する伝手もなければ口外する相手もソーマくらいしかいない。考えれば考えるほどかなしいやつだ。いってきます、とぎこちなく口にした後、声は途絶えた。声がしなければ、本当に彼女がいるのかどうかもわからなくなるものだな、とソーマは改めてそのことを知覚した。予定と大幅にずれた時間ではあるが、ようやっと眠れる。寝台に身体を横たわらせた。

 

『引き留めても良いんだよ?』

「さっさと行け」

 

 

『おっはよーーーーーーっ!グッモーニングーテンモルゲンボンジュールブエノスディアスドーブロエウートロカリメーラフジャムボ!!』

「………………何語だ最後の」

『スワヒリ語!』

 

 何故そんな無駄な知識ばかり持っているのか問い詰めたいが、今はそれよりも聞きたいことがある。

 

「今、何時だ」

『朝の六時ジャストでーす』

 

 起きるには少し早いが、早すぎるという事もない。もう少しばかり寝ていられなくもないがそんな雀の涙ほどの睡眠時間を必要としているほど切羽詰まってもないので、渋々ではあるがソーマは身を起こした。幽霊は目覚まし時計としては優秀らしい。手早く身支度を整えてエネルギー補給食をターミナルの情報を整えながら平らげた。

 

『うわ行儀悪い』

「知るか」

『っていうかそれもしかしなくても朝ご飯?体にわるそー』

「…………………………」

『かーいーわーを続かせようと努力はするー』

「………古代人か、お前は。理論上、必須栄養素が十分に摂れていれば身体的な影響はない。サプリやゼリー飲料なら咀嚼力が衰えるが」

『いや精神的にさ、ないの?美味しい御飯たべたーいとか』

「どうでもいい」

 

 そもそもこの食糧問題が逼迫してきている世でわざわざぜいたく品に手を出そうとは思わない。ソーマ的には食堂すらいらないと思う。あれがあるからプリン味のレーションなど提案する輩が出るのだ。努力は認めるが。

 

『そのうち電気羊の夢をみたりして』

「ARペットならあるから現代も似たようなものだな」

『うわあるんだ。引いてる。……こんな朝早くからどこ行くの?』

「訓練」

『訓練………ってなんの?』

 

 心底不思議そうな声音に、そういえば言ってなかったとソーマは今更な情報に思い当たった。

 

「俺はここ極東支部の神機使い、ゴッドイーターだ。階級は強襲兵曹長。俺は行く、お前は部屋で大人しくして居ろ」

 

 防音設備など知らぬと言わんばかりの悲鳴が扉の向こうから響くのを無視して、ソーマは溜息を短く一つだけ零し廊下を進んだ。

 

『説明を要求しますっ!』

「…………部屋の外で話しかけない」

『今周りに誰もいないじゃん!待って待って私もついてく』

「来るな」

 

 声の出所が右へ左へうろつくのが鬱陶しくてフードをより深く被った。

 

『お兄さんなんかすごい根暗みたいだよそれ』

「………………………」

『えっ無視?ねえねえねえねえねえ』

「………………………」

『ねえってば』

「………………………」

『あの、えっと、聞こえてる?』

 

 徐々に尻すぼみになっていく声に、よしもう一息で諦めて帰りそうだと聞こえないふりを継続した。ソーマ・シックザールは基本的に事なかれ主義である。

 

『あ、あはは、あれかな。制限時間付きとかだったってことかな?一日限定?』

「………………………」

『馬鹿だなわたし、それくらい思いついても良かったじゃん、うわすっごい間抜け……』

「………………………」

『またひとりぼっちに逆戻りかー。でも気付かなかった私が悪いねこれは。うん、しょうがない、しょうがない』

 

 なんだか面倒な方向に勘違いしていないかこれ。普通単純に無視されたと思うだろう。

 歩き続けるソーマの一方、彼女は立ち止まったのか声が少しずつ遠のいていく。しょうがない、と言い聞かせるような声が、僅かに震えて。今まで生きてきた中で一番長く溜息を吐いて、ソーマは振り返った。姿は見えないが、立ち尽くす少女をそこに幻視した。

 

「聞こえている。廊下でお前に返事なんざ寄越せるか、早く来い」

 

 言うだけ言って、返事も聞かずに再度廊下を進んだ。ちょっと考えればわかることだろうに、彼女には人を疑うという発想がないのか?三十メートルほど移動しても騒々しい声が聞こえないのでもしや聞こえてなかったのかと足を止めると。

 

『えへへぇ、ちゃんといますよぅ』

 

 心配して損した。楽しくて仕方ないと言わんばかりの含み笑いを忍ばせる声に、数瞬止まった足を動かした。誤魔化そうと思えばいくらでも言い訳は思いついたが、それを口にする事は無かった。今の彼女には何を言っても無駄だろうし、そのあまりにも喜色ばんだ上機嫌をわざわざ阻害する事もない。

 

『あんまり寂しいことしないでね、女の子は繊細なんだからっ』

「死人だろ」

『死んだって女の子だよ、いやむしろ死んだからこそ永遠に女の子だよ!っていうか廊下で返事なんてできないんじゃなかったんですかー都合の悪い時だけだんまりですかー!』

「………………………」

『口元笑ってるの見えてんだよこのやろー!ばーかばーか!うわーん!一生女の子にモテない呪いかけてやるぅー!お前を末代にしてやるんだから!』

「斬新な呪い文句だな」

 

 末代まで祟る根気はないらしい。この短時間でもわかる即物的で刹那的な彼女らしかった。

 

 

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